15年戦争資料 @wiki内検索 / 「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>」で検索した結果

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  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>
    ...端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>はじめに 1.第1 次世界大戦1) 第1 次世界大戦の勃発と対華21 カ条要求 2) 西原借款から新4 国借款団へ 3) パリ講和会議と5.4 運動 2.ワシントン体制の成立1) ワシントン会議と9 カ国条約 2) 山東問題と対華21 カ条要求関連条約の改廃問題 3) ワシントン体制の成立とその後 3.北京政府「修約外交」と第1 次幣原外交1) 5.30 事件 2) 北京関税特別会議 3) 北伐と南京事件...
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次
    ...陽・賀新城 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動(日本側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> <その2> (収録済) (中国側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 王建朗 第2部 戦争の時代第1章 満州事変から盧溝橋事件まで(日本側)満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> <その2> (収録済) (中国側)満洲事変から日中戦争まで 臧運●(示へんに古) 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦(日本側)日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1> <その2> (中国側)日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争 栄維木 第3章 日中戦争と太平洋戦争(日本側)日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> <その2> (中国側)日中戦争と太平洋戦争 陶文釗 日中歴史共同研究
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>
    ...端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>4.国民政府「革命外交」と田中外交・第2 次幣原外交1) 第1 次山東出兵、東方会議、山本─張鉄道協約 2) 済南事件と張作霖爆殺事件 3) 国民政府「革命外交」 4) 奉ソ戦争と経済関係 5) 中国における日本人コミュニティ おわりに 4.国民政府「革命外交」と田中外交・第2 次幣原外交 1) 第1 次山東出兵、東方会議、山本─張鉄道協約...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    ...)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を行った。力点は満蒙に置かれ、既得権益の存続に対して条約的根拠を与えることにあった。  1922年に山東懸案細目協定や鉄道細目協定を結んだ。中国では国権回収運動が高まりつつあった。日本は中国に対し「対支...
  • 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が…
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312359018-n1.htm(~n3) 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が… 2010.1.31 23 58 日中双方の見解の相違 日中両国の有識者による歴史共同研究は、いまなお双方の歴史認識の溝が埋めがたいことを浮き彫りにした。特に近現代史において、日本側は日中戦争当時の日本政府の意思決定過程の積み重ねに努めたのに対し、中国側は日本の戦争責任を問いただす内容となった。一方で日本側は加害者の立場を明確にするなどの中国側の配慮もみられた。日中戦争を中心に、両者の主張の相違点を検証する。(長谷川周人)  【「南京事件」】  国民政府の首都・南京への攻略命令を受けた日本軍は1937年(昭和12年)12月、総攻撃を開始した。このときの犠牲者数...
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書 序
    ...日中両国 第3 章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 第2 部 戦争の時代第1 章 満州事変から盧溝橋事件まで 第2 章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 第3 章 日中戦争と太平洋戦争 第3 部 戦後日中関係の再建と発展第1 章 戦争終結から日中国交正常化まで 第2 章 新時代の日中関係 第3 章 日中における歴史認識、歴史教育 この会合では分科会の討議も行われた。会合後、両国委員は麻生太郎外務大臣(当時)を表敬訪問したほか、防衛省防衛研究所図書館及びアジア歴史資料センターを視察した。 (3)論文の執筆と討論 2007 年3 月の会合後、日中双方の委員は論文の執筆を開始し、それと同時に、研究に協力する外部執筆委員の人選を行った。 日本側では同年6 月22 日付で、下記の研究者に対して事務局から外部執筆委員の依嘱を行っている(肩書はいずれも、発足当時のも...
  • 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) 庄司潤一郎:防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>はじめに 第1 節 盧溝橋事件の発生と全面戦争への拡大1)盧溝橋事件の勃発と拡大要因 2)関東軍の積極介入と北支那方面軍の南下 3)上海派兵 4)南京攻略と南京虐殺事件 5)和平をめぐる葛藤-トラウトマン工作32と9ヶ国条約会議 第2節 ...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>4.日露戦争と満洲問題■日露戦争と日中関係 ■日露戦争の勃発と中国の中立 ■ポーツマス条約の締結と「日露戦争の世界史的意義」 ■「満洲」問題の発生 5.日露戦後の日中関係と辛亥革命■中国利権をめぐる協商関係の形成 ■立憲君主制の試みと日...
  • 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) 庄司潤一郎:防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>   日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2>第2節 戦線拡大と持久戦2)「長期持久戦」への転換-対峙段階の戦争a.武漢・広東攻略と長期持久体制 b.中国の抵抗 3)東亜新秩序声明と汪兆銘政権の承認a.東亜新秩...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>
    [日中歴史共同研究]] 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>1.朝鮮半島をめぐる対立と日清戦争■朝鮮半島をめぐる日中対立 ■日清戦争の勃発から講和へ ■日清戦争の位置づけをめぐる日中の議論 2.義和団事変と中国をめぐる国際政治の変容■日清戦争後の中国をめぐる国際政治 ■戊戌変法と日本 ■義和団事件と北京議定書(辛丑和約) 3.「近代」をめぐる日...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>1.満洲事変1)柳条湖事件 2)中国の対応と国際連盟 3)事変解決の模索 4)上海事変と満洲国建国 5)満洲国の実態 6)熱河事件と国際連盟脱退 2.関係安定化の模索と挫折1)戦区接収と実務協定 2)広田・重光外交 3)日中提携の試み 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 ...
  • 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第3章 日中戦争と太平洋戦争 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1>はじめに―開戦と中国戦線 第1 節 太平洋戦争下の中国戦場1)重慶攻略作戦構想の挫折と浙〓作戦 2)ビルマ攻略作戦とCBI 戦線 3)華北の戦い 4)一号作戦(豫湘桂戦役) 第2節 日本占領地域の状況1)汪政権下の政治と経済 2)通貨戦争 3)「対華新政策」とその破綻 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> はじめに―開戦と中国戦線 日米開戦時に日本軍は20...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>  満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満...
  • 七 性の蹂躙と中国女性の抗日意識
    中国女性にとっての日中十五年戦争 七 性の蹂躙と中国女性の抗日意識 南京事件におけ婦女凌辱に象徴されるように、日中戦争における日本軍の侵略行為は、中国女性にとっての「性の蹂躙」という側面をもっていた。したがって、抗日戦争は中国女性の性と人権を守る戦いでもあった。よく知られるように抗日根拠地(解放区)においては、女性がめざましい活躍をして八路軍や新四軍、抗日ゲリラ部隊の活動を支援したのは、そのような日本軍の性の蹂躙から自らを守るという側面をもっていた。 日中戦争期に日本軍が広く中国全土の作戦地域において婦女凌辱行為を行ったのは、私が指摘したことのある次のような日本軍の特質とも関係がある。 「日本の軍隊は兵士個人の人権を抑圧し、その生命を武器よりも軽く扱うことがあった。戦場173においても兵士の体力や精神を無視した作戦が強行された。そうした非人問的な待遇に対する反発や不満の捌...
  • 平和への結集ブログ「私の発言 弁護士 河内謙策」posted on 5月 28th, 2006
    平和への結集ブログ 「私の発言 弁護士 河内謙策」 posted on 5月 28th, 2006 河内謙策と申します。私は、5月21日に行われた自由法曹団の5月集会で、以下のとおり発言しましたので、皆様の参考になれば、と思い送信させていただきます。皆様の親しい方への転送・転載は自由です。 河内謙策 東京支部の河内です。私は、統一戦線運動と団の役割、という点について、問題提起をさせていただきたいと思います。私の発言を正確なものにするために発言原稿を作成してきましたので、それを読ませていただきたいと思います。 国内外の現在の情勢が、きわめて深刻なものであることについては、割愛させていただきます。私が言いたいのは、それを根本的に打破するには、広範な統一戦線を結成して、平和や自由・民主主義を求めるエネルギーを総結集する以外にない、ということです。 ...
  • 第4 アジア大陸への侵略の兵端基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化1 日本の朝鮮政策では、当初は、 2 1938年9月の第1回各道産業部長会議における南総督の訓辞は、 3 近代の植民地は、先進国の工業化を支える役割を負わされており、 4 戦時下の朝鮮は、日本からみると、食料(米)と労働力(人)との供出 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化 1 日本の朝鮮政策では、当初は、   日本の朝鮮政策では、当初は、日本の食糧問題解決のために朝鮮における産米増殖計画などの重農政策がとられた。こ...
  • 日中歴史研究報告書のポイント
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100094 日中歴史研究報告書のポイント  日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。 【日清戦争(1894~95年)以降】  日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。  中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。 【田中上奏文(1927年)】  日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「...
  • 【正論】伊原吉之助 台湾は世界安定の要衝である
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/270803/ 【正論】伊原吉之助 台湾は世界安定の要衝である 2009/06/26 10 02更新 195656_c185.jpg ≪中国による併呑への道?≫  台湾に親中政権が登場して1年経った。台湾に於(お)ける民主進歩党から中国国民党への政権交代は、現状維持から現状打破への方針転換を意味する。  台湾の命運を握る米国は台湾につれない。2003年12月、ワシントンを訪れた温家宝中国首相を前にブッシュ大統領は「台独(立)反対」「台湾海峡の現状を一方的に変えたがっている台湾の指導者に反対」と言明した。 記事本文の続き だが民進党と陳水扁総統は明かに現状維持勢力だった。民進党を「独立志向」と形容する日本の新聞は誤解を散布するもの。04年5月...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00912.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  <序>=(略)  <古代・中近世史>=(略)  <近現代史>  【明治維新】  日本側 明治維新では、中央集権でなければ外国と対抗できないことが広く理解されていた。薩長の下級武士からなる官僚が藩を廃止し、自ら武士(身分)も廃止した。清国の改革「洋務運動」は十分な成果を上げなかった。全国一体としての運動にならず、儒教が大きな障害になったというべきだろう。  中国側 明治政府は国内改革の成功で国力を結集し、近代強国に成長し、対外的な力を強化した。...
  • 出発点としての尖閣諸島領有問題 2010年10月17日 毛利正道
    出発点としての尖閣諸島領有問題 2010年10月17日 毛 利 正 道 http //www.lcv.ne.jp/~mourima/10.10.13senkaku-2.pdf 出発点としての尖閣諸島領有問題尖閣諸島 事実経過 尖閣諸島は日本の領土1 2 3 4 5 6 残された、しかし、出発点としての問題1 2 3 4 中国に「日本領有」が理解されるか1 2 3 4 国連海洋法条約を遵守する視点1 2 3 4 平和をどう築くか1 2 3 4 5 尖閣諸島 魚釣島・久場島・大正島・北小島・南小島の5島と3つの岩礁 面積は、魚釣島4.32平方キロ、5島の総面積6.3平方キロ 北緯25度44分から25度57分 東経123度30分から124度35分の間にある  南北約30キロメートル 東西約110キロメートルの範囲位置図 別紙 図1・図2http //senkakusyashin...
  • 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。   日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづ...
  • “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記
    http //www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-01/2010020102_01_1.html 2010年2月1日(月)「しんぶん赤旗」 “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記  日中両国の歴史認識の溝を埋めようと、双方の研究者で構成される「日中歴史共同研究」(座長=北岡伸一東大教授、歩平・中国社会科学院近代史研究所所長)の第1期報告書が31日、公表されました。報告書は約550ページで、古代から近現代までの歴史を、日本側委員と中国側委員がそれぞれの立場から記述しました。  1937年12月の「南京虐殺事件」について、日本側は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認めました。一方、犠牲者数については、中国側が主張する20万...
  • Kensaku Kawauchi[uniting-peace][11369] アジアを考えるための本(15)2009/10/06
    Kensaku Kawauchi[uniting-peace][11369] アジアを考えるための本(15)2009/10/06 河内謙策と申します。“独善的”立場から、アジアを考えるうえで重要と思われる 本や興味深い本を紹介させていただいています。(この情報を重複して受け取られた 方は、失礼をお許し下さい。転送・転載は自由です。)  中国建国60周年なので、最近読んだ中国関係の本を取り上げてみます。 田久保忠衛『米中、二超大国時代の日本の生き筋』海竜社  中国を分析するには、中国だけを見てても、日中だけを見てもダメです。真にグ ローバルな分析が求められます。この本は、G2時代が既に到来した(!)と言う問 題意識に立っています。その問題意識は面白いのですが、中身は、やや竜頭蛇尾の感 があります。 韓鋼著、辻康吾編訳『中国共産党史の論争点』岩波書店 中島嶺...
  • 第二章 満洲事変への道
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第二章 満洲事変への道 第二章 満洲事変への道第一節 対華二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 ソ連=コミンテルンの東アジア攻勢と米国の東アジア介入 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第一節 対華二十一箇条要求問題  さて、欧州大戦の初期一九一五=大正四年一月十八日、日本政府(大隈重信内閣)は「対華二十一か条の要求」を...
  • 近代日中関係の発端 北岡伸一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第一章 第1章 近代日中関係のはじまり 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その1> 北岡 伸一:東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授 【座長】 http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その1>はじめに 第一節 西洋の衝撃と開国:日本と中国1.近代西洋国際秩序と東アジア国際秩序 2.中国の開国 3.日本の開国 第二節 明治維新と脱亜入欧1.幕府の崩壊と新政府の成立 2.新政府の開国 近代日中関係の発端 北岡伸一<その2>第三節 日清修好条規の成立 第四節 台湾出兵と琉球問題1.琉球帰属問題 第五節 朝鮮問題の発端 3...
  • 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を
    http //www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201002034485.html 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を  一定の成果はあった半面、大きな課題も浮き彫りになった。歴史問題の克服を目指す「日中歴史共同研究」の報告書が公表された。  日中戦争を「日本による侵略」とする共通見解なども盛り込まれたが、ほとんどは両国それぞれの論文を併記する形で決着した。  南京大虐殺の犠牲者数や日本の拡張政策などで歴史認識の違いは埋まらないままだ。今後の共同研究でも、厳しい議論が予想される。  ただ、伝統や政治体制が違う両国間で歴史の見方が異なるのは当然だろう。共通見解を導く努力は必要だが、違いを克服した上で相互理解を進める方法も探るべきだ。  共同研究は両国関係を改善するため2006年に合意。10人ず...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • Ken Kawauchi[uniting-peace][13101] 中国人権情報(3)2010/06/29
    Ken Kawauchi[uniting-peace][13101] 中国人権情報(3)2010/06/29 河内謙策と申します。(情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許しください。このメールの転送・転載は自由です。)  中国の人権派弁護士の状況について、私が人権派弁護士にいくつか質問をしました。誰でもいいから回答をして下さい、と頼んでおいたところ、先日、人権派弁護士の唐吉田(タン・チーティエン)から回答がきたので、以下、貼り付けます(6月25日の「大阪の集い」で配布した文書と同一内容です)。人権派弁護士自身が何を考えているか、よく分かると思います。そのほかにも質問したいことがあれば、河内までご連絡ください。 ====================================== 中国人権派弁護士に関するいくつかの質問への回答            ...
  • 田母神俊雄の尖閣紛争論
    田母神俊雄の尖閣紛争論 田母神俊雄の尖閣紛争論尖閣諸島における中国漁船の体当たり 聖戦 田母神激白! 中国に史上最大級の情報戦争仕掛けられた 尖閣諸島における中国漁船の体当たり http //ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-10655449434.html 2010-09-22 01 37 35 尖閣諸島で、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突をしてきた。海上保安庁が撮影したビデオなどによると、わざと体当たりをしてきたようだ。日本も舐められたものだと思う。我が国は、絶対に銃撃はしないということを読まれてしまっているのだ。この漁船は、恐らく中国政府の意を受けて行動しているに違いない。元来、中国人は臆病で政府の後ろ盾もなく巡視船に体当たりなど出来るわけがない。「お前、行ってこい。どうせ短時間拘留したら日本はお前を釈放するはずだ。帰ってきたら...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に
    http //www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20100202az 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に  日中両国の有識者でつくる歴史共同研究委員会の報告書がまとまった。歴史問題で対立し、時に不信感を募らせてきた両国の経緯を考えれば、報告書の作成と公表までたどり着いたことは、一つの前進といえる。  研究はこれで終わりではない。今回を「第1期」とし、「第2期」へと継続していくことでも合意した。今後、双方の間に広がる歴史認識の溝を可能な限り埋め、相互理解を進める手だてとしなければならない。  過去もさることながら、日中両国は現在、密接不可分な関係にあり、将来も続くととらえるのが妥当だからである。  半面、難問が数多く残されていることを指摘しないわけにはいかない。中国側の要求で1989年の天安門事件をはじ...
  • 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm010010125000c.html 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)  先月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書では、歴史認識の隔たりが埋まらないとして、中国側の要請で、「近現代史」のうち1945年以降を扱った第3部(第1~3章)を非公表としていた。今回、入手したのは非公表とされた全文。他の論文と同様、両国の有識者が同じテーマを巡って、それぞれ執筆した。 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)年表図 ◆第3部第1章 1945~72年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第2章 1972~2008年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第3章 歴史認識問題◇日本側 ◇中国側 ■近現代史第3部の論文執筆者 年表図 ◆第3部第1章 1945~72年 ◇日本側  戦争を引き起こ...
  • 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第3章 日中戦争と太平洋戦争 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2>第3 節 日本の降伏1)大東亜会議と連合国の戦後構想 2)和平工作 4)国民党支配の危機とヤルタ協定 5)日本の降伏 おわりに 第3 節 日本の降伏 1)大東亜会議と連合国の戦後構想 43 年11 月、日本のアジア占領地に樹立された「独立国」の代表(満州国、汪兆銘政府、ビルマ、フィリピン、タイのほか自由印度仮政府代表が陪席)が...
  • 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100092 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究の成果をまとめた報告書が31日、公表された。双方は、日中戦争の原因が基本的に日本側にあり、中国国民に深刻な被害を与えたとの見解では一致。しかし、南京虐殺事件の犠牲者数を中国側が30万人と主張したのに対し、日本側は2万~20万人とするなど、認識の隔たりも浮き彫りとなった。  日中の有識者は共同研究を継続していく方針を確認しているが、政治体制の違いもあり、歴史認識の共有に向けたハードルは高いのが実情だ。  歴史共同研究は両国の相互理解を深めることを目的に、2006年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月にスタート。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究...
  • 新安保防衛懇報告 はじめに
    新安保防衛懇報告(要約) 目次 第一章  安全保障戦略 新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想 ―「平和創造国家」を目指して― はじめに いかなる国家にとってもその安全は最も基本的な価値である。国の安全なくして国民の独立も繁栄も福祉もありえない。一方、日本をめぐる安全保障環境は、世界的にも地域的にも、まさに歴史的と言えるほどに変容しつつあり、安全保障はますます大きな課題となりつつある。冷戦終結以降、世界は地域紛争、破綻国家、大量破壊兵器の拡散、テロ、海賊など、冷戦の時代以上に多様な安全保障上の課題に直面し、日本もそうした課題に対応するべく努力してきた。しかし、これからの世界の変化、とりわけ新興国の台頭によるパワーバランスの世界的、地域的変化を考えれば、日本をめぐる安全保障環境は重要な変動期に入ったと言える。 本懇談会は、こうした安全保障環境の変化...
  • 近代日中関係の発端 北岡伸一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第一章 第1章 近代日中関係のはじまり 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その2> 北岡 伸一:東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授 【座長】 http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 近代日中関係の発端 北岡伸一<その1> 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その2>第三節 日清修好条規の成立 第四節 台湾出兵と琉球問題1.琉球帰属問題 第五節 朝鮮問題の発端 33江華島事件と日朝修好条規 壬午事変 甲申事変 おわりに 第三節 日清修好条規の成立 ところで、開国した清国に対し、日本も貿易と国交を望んだ。幕府が1862 年、千歳丸を上海に派遣して貿易...
  • 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010011003-n1.htm 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究 2010.2.1 00 11  2006(平成18)年、日中両国が歴史共同研究で合意した後、中国のインターネット上には「日本の誤った歴史認識を正す機会」との声が相次いだ。中国の「正しい歴史観」で日本側を「再教育」せよ、との圧力を痛感したと中国側関係者は話す。31日公表された報告書を読むと、中国側が共産党の歴史認識を基本にし、日本側と対立する面と同時に、双方が歩み寄った面も目につく。それはなぜか。  日中歴史共同研究を最初に提起したのは05年4月に訪中した町村信孝外相(当時)だった。折しも、靖国神社参拝を継続した小泉純一郎首相(同)への中国側の不満が各地で反日デモに発展しており、提案はほと...
  • 民主代表選最中に発生尖閣沖漁船衝突事件の対応は
    民主代表選最中に発生尖閣沖漁船衝突事件の対応は 菅氏再選、小沢氏の次の一手は! …青山がズバリ 9/15放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ” http //kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid883.html#sequel <略> 村西利恵 「アメリカ国務省幹部によると、党内野党を抱え込んだ菅政権は、『さらに内向きになり、外交や経済に即応できない』」 青山繁晴 「ええ。これ電話で話してて、けっこうまた腹が立ちましてですね。すいません、僕もいつも怒ってるわけじゃないんですよ(笑)。でもまぁあの、さすがに今日はあの、余計なこと言うなとは言いませんでした。最近彼にね、It s none of your business.と、お前の知ったことかってことを時々言ってて、彼もけっこう怒るんですが、...
  • 民主党政権下の日米同盟と防衛政策
    2010.11.27.九条の会事務局主催学習会「新安保防衛懇報告と憲法9条」 レジュメ 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~ 渡辺 治 はじめに 民主党政権で止まっていたりジグザグ繰り返した日米同盟強化、菅政権下での再稼働 新安保防衛報告、防衛計画の大綱見直しに関する提言での防衛政策の始動 普天間問題、尖閣列島問題、北朝鮮の武力挑発政策 一体、民主党政権下で、軍事大国化、改憲問題はどう展開するのか 報告(講演)の視点 1)この10年の自民党政権下の日米同盟と防衛政策 2)民主党の安保、外交政策の変化と現在 3)2つの流れの合流として新安保防衛懇と民主党の防衛政策を検討する 4)防衛政策とリンクする改憲政策 【目次】 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~はじめに 1 自民党政...
  • 【日中歴史研究】南京事件の中国側論文(要旨)
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312257013-n1.htm 【日中歴史研究】南京事件の中国側論文(要旨) 2010.1.31 22 53  日本軍が上海を占領した後、3つのルートから南京攻略を開始し、12月13日、南京は陥落した。敗退した中国軍の大半は捕虜となり、集団で日本軍に殺害された。第16師団の中島今朝吾師団長は12月13日の日記で、数千人の捕虜を処理したと記述した。日本軍の南京における戦闘の報告は敵の数の羅列が多く、捕虜数はほとんど触れていない。日本軍は上から下まで徹底的に捕虜を殺害する方針を実施したことがうかがえる。  多くの中国兵士が軍服を脱ぎ難民区に隠れたが、日本軍は顔だけで敗残兵を随意に判断し、多くの平民が軍人として殺害された。12月24日、金陵大学の難民所のテニスコ...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現...
  • 第一章 「昭和の戦争」前史
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第一章 「昭和の戦争」前史 第一章 「昭和の戦争」前史第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴) 第二節 明治政府の国家戦略 第三節 日清戦争の歴史的意義 第四節 日露戦争の世界史的意義 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 更に深まる支那大陸の混迷状況 第七節 欧州大戦及びロシア革命の甚大な影響 第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴)  周知のように、満洲事変から支那事変、大東亜戦争へと、「昭和の戦争」は日本の国策として首尾一貫したアジア・太平洋方面への侵略戦争だったとする知識が日本のみならず世界の常識になっている。第二次世界大戦は平和と民主主義を愛する正義の諸国=『連合国』と世...
  • 第七章 いかにして戦闘は始まったか
    シナ大陸の真相―1931‐1938 K.カール カワカミ (著), 福井 雄三 (翻訳) 展転社 (2001/01) 〔小見出し(***)は引用者による〕 第七章 いかにして戦闘は始まったか(戦争を望んだ中国) (七月七日マルコ・ポーロ橋、軍事演習) (銃撃と休戦) (最初の協定) (南京政府の動員令) (日本は地域レベルでの平和的解決にこだわった) (七月二〇日の攻撃) (廊坊事件) (七月二五日の最後通告) (七月二八日日本軍の進撃開始) 第七章 いかにして戦闘は始まったか (戦争を望んだ中国) 一九三七年という年は中国にとって不吉な場面で始まった。全ての批判的な観察者から見て、中国がただ漫然と流されているのではなく、日本との戦争に向けて意識的に動いているのは明らかであった。蒋介石総統が共産軍と手を結んだのでその結果、南京は最左派の軍人と政治家に支配された...
  • 尖閣漁船衝突事件で中国が報復措置
    尖閣漁船衝突事件で中国が報復措置 新戦略“三戦”作戦とは?青山ズバリ 9/22放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ” http //kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid886.html#sequel  青山さん曰く「日本が中国に屈したら、日本の民主主義は死にます」。  今回の事件は日中間だけの問題ではありません。アジアの将来にもつながっています。  よその番組では絶対に聞けない青山さんの論説、今週は特に必見です。  コーナー本編は間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。  今週もYouTubeに動画を見つけられなかったため、画像はテレビ画面からデジカメで撮影しました。粗いですがご容赦下さい。  内容紹介ここから_...
  • 日中歴史研究 違い見つめることから
    http //www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010020202000041.html 【社説】 日中歴史研究 違い見つめることから 2010年2月2日  日本と中国の歴史共同研究の報告書が公表された。日中の見方の大きな違いが明らかになる一方、一部歩み寄りもみられた。隔たりを嘆くより、それを見つめることから対話を一層、進めたい。  歴史共同研究は二〇〇五年春、北京や上海を席巻した「反日」デモの渦中に日本が提案した。  当初、中国側は消極的だったが、〇六年十月、靖国問題をめぐる対立を克服し関係を正常化した安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意に達した。  このため、共同研究には当初から、歴史認識問題を外交やメディアの応酬から切り離して専門家による対話の場に移し、沈静化させる意図が込...
  • 李登輝友の会が配布した怪文書デマ
    李登輝友の会が配布した怪文書 日本李登輝友の会 http //www.ritouki.jp/ 会  長 小田村四郎 事務局長 柚原 正敬 は そのメールマガジン5月6日号で以下のような怪文書をWEB上に配布しました。 http //www.melma.com/backnumber_100557_4470503/ 平成21年(2009年) 5月6日】 ☆★☆★ 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 ☆★☆★       新しい日台交流にあなたの力を!!  [Vol.1030] (引用開始) 2 潮匡人氏も「NHK反日プロジェクト」と批判 「日台戦争」の出典『日清戦争-秘蔵写真が明かす真実』の著者も激怒  本日付の産経新聞で評論家の潮匡人氏がNHK「JAPANデビュー」問題について取り上げ、「公共放送としてほおかぶりを決め込むのは許...
  • 【日中歴史研究】私はこう読む 藤岡信勝・拓殖大教授 研究無視の政治論文
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010009001-n1.htm 【日中歴史研究】私はこう読む 藤岡信勝・拓殖大教授 研究無視の政治論文 2010.2.1 00 09  南京事件について虐殺数を「20万人を上限として4万人、2万人」などとする日本側の報告書は、この10年間に進展した学問的研究を一切無視した、問題の多い内容だ。  事件をめぐっては、10年前に日本「南京」学会が発足し、事件の客観的証言者とされた西欧人ジャーナリストが中国国民党宣伝部に雇われていた事実が明らかになるなど、虐殺自体の存在を疑わせる証拠がいくつも出てきた。しかし、報告書では一切これらに言及せず、逆に「大虐殺」を主張する研究者の論文はふんだんに利用している。  学術論文は、たとえ自分に都合の悪い研究であってもそ...
  • 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010321006-n1.htm 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ 2010.2.1 03 21  日中の有識者による歴史共同研究の報告書が発表された。両国の歴史に対する考え方の違いが一段と明確になった。  この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、3年がかりで行われた。両国の認識の隔たりが大きく、両論併記の形がとられたのは当然である。  近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない。  ただ、南京事件(昭和12~13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。 ...
  • 永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半
    永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半 永井荷風の日記『断腸亭日乗』、昭和十二年七月以降を看て見ました。 8月28日、9月初3日、9月初4日、11月16日、を追記します。(061127) 永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半七月十七日 八月廿四日 八月廿六日 八月廿八日 九月三日 九月四日 九月十二日 九月十三日 十月四日 十月二十日 十月廿七日 十一月十六日 十一月十七日 十一月十九日 十一月廿一日 十二月廿九日 7月 6日   オットー・フラーケ「マルキ・ド・サド」、良俗に反するとして発禁。 7日   北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国国民党軍が衝突。(盧溝橋事件) 8日   中国共産党中央委員会、全民族抗戦声明を出す。 11日  日本軍特務機関長松井太久郎と中国天津市長張自忠との間で、盧溝橋事件に関する停戦協議が成立する。       日本政府閣議で...
  • 尖閣沖漁船衝突事件について(続続)‏ 河内謙策 2010/10/13
    尖閣沖漁船衝突事件について(続続)‏ 河内謙策 2010/10/13  河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許しください。転載・転送は自由です。)  私が様々なMLに投稿した「尖閣沖漁船衝突事件について」「尖閣沖漁船衝突事件について(続)」に対し、多くの方からコメントが寄せられましたが、そのうち私に対し批判・異論を提出された方に対し、私の提起した4大論点に沿って、以下のとおり再度の反論をさせていただきたいと思います。  まず、今回の事件の真相について。  私が、「日本の領海で不法操業した中国の漁船船長の公務執行妨害罪の成立は間違いない」と述べたので、私の論理の前提である、尖閣諸島は日本領である、という点についていくつかの疑問が提出されています。それらの中で、最近はHayariki様※1とテント村様※2から、私の論理の枠組みである「先...
  • @wiki全体から「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>」で調べる

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