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【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
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pipopipo555jp
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【沖縄戦】 「美しい死」と「不潔な死」
軍の司令部の付近の住民がスパイといって虐殺された?
そんなことありません。絶対そんな不潔なことしません、と
そんなことありません。絶対そんな不潔なことしません、と
首里城と32軍司令部壕
摩文仁の丘と32軍司令部壕
摩文仁の丘と32軍司令部壕
スローガンは、
「軍官民共生共死の一体化」
「一人十殺一戦車」
住民を巻き込んだ沖縄戦は、1945年3月23日空爆、24日艦砲射撃の開始、4月1日の米軍上陸に始まり、摩文仁の丘で司令官と参謀長が自決した6月23日(22日という説もある)まで、3ヶ月間続いた(沖縄では9月7日を終戦と考え「沖縄市民平和の日」と定めている)。司令官が自決に先立って「足腰の立つものは尺寸の土地が存する限り戦いつづけるよう」命じていたので、実際は9月まで潜行戦が続きいっそう犠牲者を増やした。20万人の死者を数え内12万人以上が沖縄出身者で、実に県民の1/4が犠牲になった。県外出身将兵は6万6千人が亡くなった。
沖縄守備隊である第32軍は「持久戦」を展開した。人も大砲も食糧もすべて地下陣地に隠して立て篭もり、米軍を引き寄せて撃つという戦法をとった。その総司令部が、首里城の下に掘った32軍司令部壕だった。
伊波苗子さんは、牛島司令官付き看護婦として辻遊廓から32軍司令部に呼ばれ、首里の司令部壕から摩文仁の司令部壕に至る3ヶ月間、司令部に従軍した。伊波さんが,美しい殉国の死と不潔な住民虐殺の死と、目撃した2種類の女性の死を語った。
【目次】
I. はじめに
II. 伊波苗子証言(1)2011.11.28 書き起こし
- II-01<スタジオ>
- II-02<首里城の壕に行く>
- II-03<首里城から摩文仁まで>
- II-04<摩文仁の壕で>
- II-05<慰安婦はいたか>
- II-06<パインの缶かん>
- II-07<牛島司令官の自決>
- II-08<虐殺はありましたか>
- II-09<スタジオ>
III. 仲井真県政による説明板「文言削除」
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし
- IV-01<今日の番組内容>
- IV-02<沖縄のメディアが騒ぎ出したので再び証言を求めた>
- IV-03<若藤楼の女性たちの地下司令部での仕事>
- IV-04<若藤楼の女性たち、慰安婦だったら「自決」しないだろう>
- IV-05<芸者もいなかった>
- IV-06<拷問>
- IV-07<見せしめ公開刺突処刑>
- IV-08<住民ではないんですか?>
- IV-09<スタジオ、水島総氏、大高未貴氏によるまとめ>
V. 伊波証言の要約と考察
- V-01,02「慰安婦はいなかった」の根拠と考察
- (コラム)陛下の・・・
- V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察
- V-05(表)32軍首里司令部壕「スパイ容疑住民虐殺」目撃証言のいろいろ
- V-06 スパイ話をつくったもの
- V-07 伊波証言の信憑性について
- (付録)「若藤楼のお姐さん」
VI. 参考資料一覧
- A. 海鳴り資料
- B. その他
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