神が与えた悪魔の左手

1: 名前:サスライ☆09/19(日) 09:31:05
 とある次元の世界の、とある酒場にて。
 ワイワイガヤガヤと雑音賑わす荒れくれ者に混ざって、小汚ない初老の男がテーブルに座っていた。向かいにはまだ15程の、若々しい胴着の少女が居る。
 無精にも程がある小汚ない髭から口がたまにチラリと見えて、向かいの席に座る男に聞こえる程度に声を放っていた。
「……と、まぁ。ヤツの情報は以上だ」
「はい。ありがとうございます」
 深く礼をして、少女は懐から皺だらけの紙幣をテーブルの上に置くと、小汚ない男にそれを流す。
 それを受け取った彼は眉を潜めて小汚なさと反比例するギラリと恐ろしい輝きを隠さない眼を少女に向ける。しかし少女はあくまで凛としていた。
「お前さん、何だか知んねぇがソイツはヤベェぞ。強さだけなら最強の賞金首かも知らん」
「知っています、だから野放しにする訳にはいかないのです」
 表情を崩さない二人の間に、特に変わらない張り詰めた空気が流れている。だからなのか気持ち周りに人が少ない。
「中途半端な正義心で動くなら止めとけ、人間誰だって最後には自分の命が惜しくなるんだ」
 少女は眉間に皺を寄せて顔を赤くした。そして蒼白く燃える低い声を放つ。
「逃げません、中途半端なんかじゃありません。これはケジメなんです。
……私の同族から犯罪者を出してしまった事への」
2: 名前:サスライ☆09/19(日) 10:00:35
†10年前†

 丘の上で呑気に仰向けになる15歳程の少年が一人。口に草を喰わえて、そのつり目は空を踊る鳥を眺める。
「あ~あ~、良いねぇ。鳥は気楽で。俺なんて苦労が絶えねぇってのに」
 誰に言うまでも無くて、天に唾を吐く様にグダグダな台詞を吐く。だから、唾が戻ってくるかを象徴するかの様に、空から顔面に糞を付けられた。
「……例えば、今お前等にクソ付けられた事とかな。降りてこいやクソったれ、焼き鳥にして喰っちゃろうか!」
 青筋を健康に危ない位浮かべて立ち上がり、空にまた台詞を吐き捨てる。故に透明な虚しさが顔面から肛門にかけて通り抜けた。
「黄桜(キザクラ)様。こんな所で何を?」
「七海(ナナミ)か、よく俺の場所が解ったな」
 下から少女の声が聞こえたので、呼ばれた男こと黄桜はそちらへ振り向くと思った通り一人少女がそこで指を絡めて立っていた。
 年齢は黄桜と同じか年下と言ったところ。青みがかった黒髪で右目を覆い、腰まで届く長い後ろ髪を一つの三つ編みにするヘアスタイルを取っている。
 しかし特徴的なのはそこでは無くて、幾何学的な模様を持つ青い神官の様な格好をしていて、腕からベルトの様な物を垂らしている事だ。
「いや、あれだけ大きな声で叫べば多分誰でもお気付きになると……」
 特徴的な彼女は、平凡的な答えを出した。
3: 名前:サスライ☆09/19(日) 10:32:58
 『ギルル黄桜』。その売れない一発屋芸人の様な、どこぞの売れない団体の悪役レスラーの様な名前がつり目の彼の名前だ。
 どうしてそうなったかと言えば、次期里長は『ギルル』の苗字を名乗るのが里の習慣で、その基準は強力な『能力』を持つか否かでだからだ。運悪く彼は強力だった。
 『能力』と言うのは、この里の血筋にのみに伝わる超能力の様なモノで、人はそれを『精霊の加護』と呼んでいる。
 何故、そんな事が起こるか。それは黄桜達の住むこの世界が『とある次元の世界』だからだ。
 ここは『ギルルの里』、精霊に護られた箱庭である。精霊の力は里の威光を強め、故に里の人間は精霊を崇めていた。
 そんな精霊の巫女の一人、七海はチョコンと黄桜の隣に座って、延々と次期里長の愚痴を聞かされていた。
 その薄っぺらな動作に里長としての威厳は少しも無くて、代わりに少年独特の熱意が溢れ出ている。
 黄桜の愚痴を七海は軽く笑顔でソウデスカと受け流し、代わりに熱意溢れる雰囲気を楽しむ。
 だから黄桜の愚痴は七海にとって苦では無くて、単なる雑談となんら変わり無い。
 彼女は、幸せな今を噛み締めていた。
4: 名前:サスライ☆09/19(日) 11:02:13
 はじめは次期里長としての愚痴だったが、段々と脱線して行き、とうとう今喰わえている草が苦いだの愚痴にするまでも無い話になってきた所で、ハッと黄桜は我に帰る。
「……あ、そう言えば七海。何か俺に用?」
 ここに達するまで約40分、理に叶っていない悪い意味でロマンチック溢れる無駄な時間と言わざるを得ない。
 そこでトリップしていた七海はハッと我に帰る。もしかしたら黄桜よりも質が悪い人間かも知れない。
「あ、そう言えばですね、里長が黄桜様を呼んでいました」
 途端に黄桜が薬にならない苦虫を噛み潰した顔を見せたので、七海はフォローを入れるが、それを今度は苦笑いで受け取らなかった。
「なぁに、俺が愚痴ってたのがいけねーんだ。
て、言うか、俺を呼ぶのにお前を使ったあのジジイが悪いのかな。ガッハッハ」
 豪快な笑いにはにかむ七海は、どう反応しているかを戸惑っている様で、取り敢えず笑ってみたら黄桜に誉められたので不思議と嬉しかった。
 ヨッコラセと親父臭く腰を上げ、七海の手を引っ張って立ち上がらせる。手を繋いだまま丘を下るとまた他愛の無い雑談が生まれた。
 その雑談の一つにこんな物がある。
「もしもこの力を悪用する様な奴が居たらさ、俺はソイツをブッ殺すわ」
「はぁ、それはまた物騒な」
「物騒じゃねーよ。俺の里長としての誇りってヤツだよ。次期だけどな」
 そう言って彼はまたガハハと笑って胸を張った。
5: 名前:サスライ☆09/19(日) 11:55:03
 道を歩いていると木綿の服を来た子供に出会った。かなり幼くてまだ性別の判断も付かない。
「あー、黄桜様だー」
「おう、なんだチビじゃねえか」
「違うよー、千鳥(チドリ)には千鳥って名前があるんですー」
 千鳥は子供らしく、敬語と日常語が混ざるカオスな言葉で、それを聞いた黄桜は口元をUの字にして微笑んだ。
「ガッハッハ、そうかそれは済まなかったな。チビ千鳥」
「あー、だから違うよー。チビじゃないよー。怒るよー?」
 膨らんだ頬を両の手で摘まむとひょっとこを不細工にした様な顔になって、一瞬苦しむ。
 そしてゼイゼイと喉を押さえて頭を下げている所をクシャクシャと撫で回した。
「まあ、もっと強くなったら相手してやんよ」
「むー、覚えていろよー。そうやってイチャイチャしてる隙に追い抜いてあげますー!」
 ソコでハッとしたのがさっきから外からニコニコと穏やかに眺めていた七海だ。
 第三者として見ていたから楽しいものの、こうして突然蚊帳の中に入れられると対応に困る。取り敢えず彼女は笑って誤魔化す事にした。
「ちょ、そこはオロオロしとけよ!なんか子供に誤解されちまうだろ!」
「違うの、ですか……?」
 哀しげな七海の瞳に思わず黄桜は次期里長の身体能力で、全力疾走した。いや、全力失踪の方が合っているかも知れない。
「……」
「逃げたー」
 そして後には無言の七海と、はやし立てと言う勝利の鐘を鳴らす千鳥が残された。
6: 名前:サスライ☆09/19(日) 12:35:32
 シンシンとした冷たい空気と、蝋燭の揺れる炎が集中力を高める。炎に照らされる木の床に精霊神の女体像。
 ここはギルル神殿座禅室。
「遅いよ!」
 冷たい空気を吹き飛ばす怒声が部屋に響いた。正座している黄桜は、それで床が震えているのが良く解る。
「アー ハイハイ ゴメンナサイ。でかい声してんなぁ、焔(ホムラ)」
 七海と全く同じ顔、同じ服。違う事と言えば髪がやや赤みがかった黒髪で、神官服が赤いと言う事だ。
 今説教垂れている焔と呼ばれたこの少女も、七海と同じく精霊の巫女で、ギルルの里ではこの二人が巫女をしている。
 余談であるが、同じ顔なのは一卵性双生児の双子であるからとの事。
「全く、黄桜様はどれ位人を待たせれば気が済むのかなー、かれこれ40分は遅れてる気がするよ。
全く、七海も何やってんだか」
 先程の千鳥の様にブスッとした顔を下から見上げる黄桜を「なぁに」と冷ややかな眼で見詰める。
 黄桜は腕を組んで何かを味わう顔でウンウン2回頷くと再び焔を見た。
「いやな、先ずはお前も七海みたく可愛い所ねーかなーって見てたんだ」
「うん、『先ずは』の時点で大分失礼だけどそれで?」
「ああ、調度すきま風がスカートをなびかせてな。可愛いパンツでも履いてないかなーって思ったら、まさか、履いてなかっ……ウゴッ!何をする!」
 耳までその衣装より真っ赤にして黄桜を一気に踏んづけた。そのまま何度でも踏みつける。
「ちょっ、死ぬっ!マジで!」
「死ね!死んでしまえ!」
 木板はギシギシと揺れるのみ。スカートに合わせて。
7: 名前:サスライ☆09/19(日) 13:10:47
 やっと気が済んだのか、踏みつけ地獄から解放された。黄桜は後頭部をさすりながら上目遣いで焔を見て唇を尖らせる。
「痛ってーな、禿げたらどうするんだっての。
それに良いじゃねえか、どうせその内に、そう言う関係になるんだしよ」
 次期里長は巫女を許嫁、つまり妻とする迎える習慣がある。これは巫女が精霊神に直接遣えている為、里長が巫女と結婚すれば精霊の加護は護られ続けると考えられているからである。
 しかし焔は黄桜を睨み付けて、心の底どころか地獄の釜の底にも響く低い声で腕を組んで言ってのけた。
「あ゛。
何、もう一回くらいたいの?黄桜様はマゾだねぇー」
「マジ御免なさい」
 身体を捻り軽いフットワークで3歩程下がり、その勢いで空中に身を投げて同時に膝を曲げて地面に付いた途端に土下座する。
 そんなアクロバット土下座は一瞬の出来事で、焔はフンと鼻を鳴らすと背を向けて、扉へ歩き出す。
「全く、物事には順番位あるでしょ」
「え、そんじゃ順番守れば良いの?」
 嬉々してペカリと顔を上げる黄桜の問いに、まあねと答える焔。
「そんじゃ今からキスしない?」
「ア゛!」
「調子こいてすいませんでした」
 頭を上げる速度よりも速く下げる。『引く速度は押す速度の約2倍』、ボクシングにおいて理想のジャブの形だった。関係無いが。
8: 名前:サスライ☆09/19(日) 13:46:02
 畳と鏡のシンプルな部屋、それ故に雑念は消えて頭が働き身体が上手く動く。ここはギルル神殿鍛練所。主に神官が武道を学ぶ場所だ。
 そこに一人、胴着を着、鏡に向かって片手を突き出している老人が居る。
 白髭はかなり伸びているが、丁寧に手入れされているので寧ろ仙人の様な威厳があり、眼光も正にそれだった。
 一瞬で手を上に引き、もう片腕を下に押して足を入れ換える。だから一瞬で型が変わって、それを繰り返す。
 タンと震脚が部屋全体に染み渡った頃に、扉が開く。中から出てきたのは黄桜だ。
「いよぉ、精が出てんねクソジジイ」
「……」
 黄桜の方を見ずに老人は鍛練を続ける。それは虚空に浮かぶ渦潮の如く、老人を中心とした見事な演武となる。
「トコロでジジイ、俺と勝負しない?実は俺さ、さっきジジイみたく禿げが出来そうになってムシャクシャしててよ」
「……」
 しかし流水に石を投げても何も変わらない様に、老人も何も変わらない。
 黄桜はフゥと一呼吸ついて余裕を作り、上を見て一気に跳び跳ねて足を突き出した。
「オラァ!無視してんじゃねぇよクソジジイ、ボケたか、アァ!?」
 演武の最中の出来事だった。老人はその跳び蹴りの突き出された足の踵をすくい上げて、180°回転し黄桜が腹を上に向けた場面で、身を捻り逆ベクトルから黄桜の腹に掌を当てて一気に床に叩きつける。
 腹を押される痛みと床に叩きつけられる痛みで悶絶しそうになった。その様を見届けると老人は満足そうに髭を擦り、口を開く。
「ふん、精が出ている様に見えんのはお前が鈍いからじゃろ。
そしてワシの事は利休(リキュウ)師匠と呼べと言ったじゃろが」
9: 名前:サスライ☆09/19(日) 14:19:02
 黄桜は耳をほじくり、口を台形にして歯を見せたふてぶてしい顔でソッポを向く。
「はー、全く。クソなジジイだからクソジジイで何が間違ってんだボ……ウガフゥッ!」
 利休は掌に更に力を込めると、腹を突き破ったのかと思える訳の解らない悲鳴が漏れる。
 ため息一つの後に利休はスックと立ち上がり、掌の甲を前に向けた防御の構えを取ると呆れ声を吐き捨てた。
「ほら、さっさと打ち込んでこんかい。ちょいとモンでやろう」
 眉間に皺をこれでもかと言う程寄せて、実はそれ神経なんじゃないかと思う程の青筋を浮かべて、腹をさする事も忘れてやせ我慢で立ち上がる。
 その口は歯を光らせて獲物を狙う肉食獣の様。しかし、笑っていた。
「喧嘩上等じゃねえか、アアン?」
 黄桜の左手からモヤが溢れ出す。モヤは身体を離れると桜の花弁の形に散り、花弁の熱は大気を揺らがせる。
 これが、ギルルの里に住むギルル族の『精霊の加護』だ。
 初めは只のエネルギー体で肉体強化程度(それでも大木をへし折る位なら出来るが)だが、段々と独自の物に変わっていく。故に、鍛練所の畳と鏡は相応の対策がしてある。
 黄桜はこの変化の片鱗を生まれた時から使えた。潜在能力では里で一番強力な加護、故に次期里長を任されるのだ。
10: 名前:サスライ☆09/21(火) 06:29:48
 ベッドに寝かされた手当て跡だらけの黄桜の左手側には七海と焔が居る。
 傷が浅いと解っていながらも、七海は何か出来る事は無いかと取り敢えずギャンギャン喚く黄桜の額を撫でていた。
「あ~、もう。惜しかったんだって。あそこで左手を受け流されていなければ勝ててたんだって!」
「はい、そうですね。黄桜様は強いですもの」
 クスクスと嫌味の無い硝子玉の様な笑いで応対する七海との会話は、利休と戦ってボコボコにされた事を忘れる位楽しい。
 黄桜本人が認める位に惜しくもなんとも無いのを忘れて、やはり自分は強い気になれる程だ。
 それを鼻息混じりに黒曜石の様な、雑じり気があるが吸い込まれそうな笑いで応対するのは焔だった。
「な~にが惜しいんだか。何も考えずに左手で突進したのが悪いんでしょ」
「んなっ、あれは先ず威力のある左手を先に出してビビらせたところに蹴りをだな……」
「じゃあ、尚更封じられちゃ駄目じゃないの。て、言うか他の人に効くからって別の人に効くとは別問題だから」
 そこでグムと黙るが、しっかりと七海がフォローして、そのフォローを崩さない様に焔はそれを邪魔しない。
 強者が負けない者と言う意味なら、黄桜とは強者だろう。倒されただけで、尚且つ支えてくれる仲間がいるのだから。
11: 名前:サスライ☆09/21(火) 06:55:20
 あれから30分後、黄桜は何時もと変わらぬ傲慢とも言える笑いを浮かべて、ギルルの里現里長である利休の元に戻って来た。決してリターンマッチに来た訳では無い。
「んで、俺に何の用だよクソジジイ」
「ほぉ。よくこの間稽古をサボったから、その仕打ちでは無いと解ったの。
お前の脳ミソは猪と入れ換えても大差無いと思っとったわ」
「は、クソジジイは達人だけど挑発は俺の方が上手えな。もしもそうなら、一時間そこらで回復する様な浅い傷で済ませる訳ねえ」
 それは単に黄桜がサボり魔で、かつ、やられ慣れているからこそ言えると、つつく事も出来るがそんな事をしても利休と不毛な口喧嘩になるし、今度また解らせてやれば良いので黙っておく。
 利休は澄んだ眼でジイと黄桜を見て髭を一撫ですると、口を開いた。
「さて、理由は『依頼』じゃ。最近海賊が×××の町の商船を襲うからやってくれなそうな」
 人外の能力である精霊の加護を持つギルル族はこう言った荒事を中心に生計を立てている。
 無くても良い物だが、存在する事でギルル族以上の大きな組織が生まれない事もメリットとなっている。
「ふーん、大分調子乗ってんな、そいつらは。俺等に勝てる筈無いのに」
「まあ、精霊の加護その物をまやかしか何かと思っている連中は沢山居るしな。
それに、たまにお前みたく慢心したのがやられるからのう」
 黄桜は舌打ち一つ。
12: 名前:サスライ☆09/21(火) 12:09:55
 潮風の臭いが肌に染みる港町。特に案内も無しに利休と黄桜はやって来た。
 海賊に困っているのには、護衛が手堅い時は現れず、しかし護衛が薄い小さな荷物の時のみに現れるしたたかさにある。
 しかし決して大きな海賊では無い。が、その分低コストで長持ちしてだから大きな船を持たず、拠点は未だ見付かっていない。
 その拠点探しから殲滅まで全て任されたのが今回の仕事だ。
「やれやれ、面倒臭い事押し付けおって」
「全くだな!それで、どうすれば早く暴れられるんだ?」
 黄桜を見て利休は額を押さえて、深くため息をつく。これに突っ込んだら、また突っ込みの無限ループになる気がするので、心の中で黒金より重いため息をついた。
「……まあ、いいわい。『神槍グングニル』」
 利休が手と手の間に空間を作り、精霊の加護の能力名をスイッチとして発動させると、手と手の空間にモヤが生まれる。
 モヤは段々と棒状に形を変えていく、と、ここまでは黄桜と同じだが利休にはその先がある。
 モヤが実体化し神々しい金属光沢を持って、やがて三ツ又の西洋槍となったのだ。その矛先にはルーン文字が彫られている。
 『神槍グングニル』、北欧神話において主神オーディンの所有物とされ、投じれば外れる事は無く、持ち主に戻ってくると伝えられている伝説の槍。
 その名の通り、彼の槍は外れる事は無い。だから、投げれば目的の場所が何処にあるかが解る。
「ほいっと」
 理想的なフォームから槍投げをすると、グングニルは天高く飛び、しかし方向が直線では無くて、やがて見えなくなった。
「あー、あっちじゃな」
 槍の方角に向かって利休は歩き出した。
15: 名前:サスライ☆09/22(水) 08:38:50
 岩影の奥に中型の木船が見えた。その周りには五隻の小舟が浮かんでいる。
 水夫の服を来た男二人がラム酒を飲みながら談笑して、近付く細身の人影がある。黄桜だ。
「こんにちは」
「はぁ、どうも」
 黄桜の営業スマイルを掛けた挨拶に水夫の一人は返事した。何をしていますかと聞けば、水夫は特に目を泳がす事も無く真っ直ぐと応対する。
「ああ、俺等はしょぼい海運の人間でな。ハハハ、こんな事言ったらお頭に怒られちまうな。
まあ、補給の為に停泊してんだ。今、仲間が色々買いに行ってる」
 絵筆宜しく堅実かつ親近感のある応えに黄桜は営業スマイルを壊さずに、ウンと二回頷いた後に今度は彼が応える。
「だから補給物資らしき麻袋がちらほらと見えるのですね。成る程。
……じゃあ死ね」
「え?」
 黄桜の笑顔が急に暗く崩れたと話して黄桜と話していない方の水夫は思った。
 何故なら、黄桜と話していた水夫は最後の一言と同時に、顔面に放った一発の拳と一緒に意識が暗闇に落ちたから。
「取り敢えず三つ、突っ込み所がある。
補給すんなら岩影に隠さずに港に停めるだろ。
海賊が溢れる今のご時世護衛船無しに船が一隻ってのがおかしい。
そして、そんな中で見張りが二人しか居ないのがおかしい」
 と、話している間に水夫は血のついた拳を見て、船の方に回れ右をして逃げ出した。
 これは少数の海賊ならではの知恵で一人がやられてももう一人が連絡に行ける様にする為だ。
 尤も、それは船内に人が居る事を知らせている様な物で、黄桜は敢えてそれを追わない。
16: 名前:サスライ☆09/22(水) 12:28:34
 見張りが行った後、ゆったりこっそり船の中に入ると、中はその黄桜の進入に対応仕切れて居ない位に荒れていた。
 黄桜が来た方向とは逆方向から利休が奇襲し、撹乱した為に陣形を崩しているのだ。
 未だにそれが崩れているのは利休が見付かっていないから。さて、『神槍グングニル』は伝説とは裏腹に、暗殺に適している。
 例えば今回の様に、『百発百中』の能力で船に高価そうな槍が突き刺さっていたとの理由でそれを回収させる。
 そこから船に進入後『手元に戻す』能力を発動して事故に見せ掛け暗殺。事故の対処をしている間に背後から忍び寄り、体術で確実に仕留めていく。
 黄桜は慌てている海賊達を物陰から見て、その一人の背後に忍び寄り口を封じて引きずり込み、声帯を潰して蹴りを叩き込み壁にぶつけた。
 音に驚き、いっせいのせのタイミングでそちらを振り向く海賊達は、底知れぬ深い不敵な笑みを浮かべて物陰から出て来る黄桜を見た。
「ほら、かかって来いよ」
 ザワザワとする船内だが、その中の一人が声を上げる。歳は30中盤だろうか、貫禄のある迫力のある大男で、腰には拳銃があった。
「待て、これは罠だ。恐らくコイツの仲間がまだ船内に二人位居る筈だ。
全員三人一組に固まり、仲間を探せ。俺は、コイツを殺る」
 的確な指示、そのお陰でボスと実力勝負。しかも地の利はあちらにあると言うのに黄桜の不敵な笑いは、もう一層深くなる。
 これが利休の作戦で、ボスを的確に叩くと言うものなのだから。
17: 名前:サスライ☆09/22(水) 13:54:21
 黄桜と海賊のボスは数メートル離れていた。その為、拳銃が有効に使えるが対象が武闘家の為に迂闊に使えばかわされる可能性もあり、未だ睨み合いが続いていた。お互いに身振りだけで実力が解るから。
 そんな時、海賊のボスが口を開く。親しみを持ち、されども決して油断せずに。
「お前、中々強いな。名前を聞いておこう。
俺は歌舞伎座 豪(カブキザ ゴウ)と言う」
「歌舞伎座……、成る程。強い訳だ」
 『歌舞伎座ノ一族』;遠い国に存在した武闘派集団。
 古来より要人護衛を行って来た為にその実力はかなり高く、政治的な面から見ればギルル族とかなり似ている。
 しかし封建制が崩壊。一族に縛られていた者は自由の身分とされたのである。
「俺はギルル黄桜。ギルル族だ」
 それを聞くと、豪の口に少し力が入った。一部の力の乱れは全体の力の乱れ。
 黄桜はそれを逃さず、床板を一気に蹴った。拳銃の引き金を見て、発射のタイミングを計り上手くかわす。そこから更に間合いを詰めると、弾丸の様に鋭い抜き手を右手で放った。
「隙ありだ!」
 しかし豪は、実は銃弾の発射と同時に拳銃から手を離していた。
 その手で抜き手を稲妻宜しく叩き落とし、反作用を利用して宙の拳銃を掴み、黄桜の眉間に銃口を突きつけた。
 はじめから狙っていたし、そうで無くとも落下した拳銃を掴んで次の体勢に移れるから出来る事だ。決して避けるのを見てから離した訳では無い。
 豪は凝縮した一瞬を一服した息をフゥと吐く。
「浅いな、考えが。まるで、昔の俺みたいだ」
18: 名前:サスライ☆09/22(水) 14:28:42
 ギルル黄桜と言う若者の目を見る。それを見てるとに、豪には昔の事が脳裏を駆ける。
 この世は敗者に甘くない。自由と聞こえは良いが、結局浮浪者を増やしただけでは無いか。
 歌舞伎座ノ一族が無くなったところで、一族に心を縛られた者達はどうすれば良い。
 人は何かに繋ぎ止められなくては生きていけない、自由と感じている人間は自由に縛られた人間だ。
「なあ、お前は何でこんなに強いのに、その力を奪う事に使うんだ?」
 生々しい火薬の臭いが新しい銃口に怯む事無く、黄桜は雑談をはじめた。
 豪も口を開く。何故ならば、昔の自分も今の自分にこの様にされたら同じ質問をしてるだろうから。
「奪いたい訳じゃ無い、俺は生きたいかったからだ」
 今の黄桜にとってチンプンカンプンな答えに、黄桜は取り敢えず解ったフリをしておいた。それでも愚直に質問を続けるのは何故だろうと、自分でも思いながら。
「何でこんな遠い国で海賊なんかしているんだ」
「俺より強い奴なんて見えないだけで沢山居た。それは賊の世界でも然りだ」
「一族に誇りは無いのか」
「あったさ、だから誰よりも縛られる事に安心する、今のお前みたくな。
俺は、他の奴等みたく器用に生きる事が出来なかったんだ」
 そうかと黄桜は目を細める。鼻息を一つ落として、肩の力を抜けば話は終わったのだなと豪は引き金を引こうとしたその時だ。
「そうか……
ふざけるな!」
 黄桜の顔の感情値が一気に跳ね上がる。目をランランと光らせ、顔を真っ赤にする。いっそ角と牙でも生やしてやろうと言った勢いだ。
 そして左手が燃え上がる。モヤでは無くて、ハッキリと。
19: 名前:サスライ☆09/22(水) 14:53:08
 豪は目の前の出来事に一旦驚き、しかし引き金に力を込めようとする。
 ギルル族の事は知っていた、歌舞伎座ノ一族と似た様な物だと思い、高をくくっていた。
 神話も噂が独り歩きした物に過ぎないと思っていたので、こうして本物を見るとやや驚く。
 しかし、左手の火炎放射と眉間の拳銃では拳銃の方が早い。ところが、だ。
 何故か拳銃は引けなかった。と、言うより拳銃の存在が意識から離れていた。
 その隙に黄桜は顎に蹴りを入れる。身体強化の蹴りは巨体を浮かせた。
 何故だ、そう感じる。豪が感じているのは身体強化でも炎でも無く、何故、生死の境目の筈なのに命綱から意識が離れていたか。
 ふと、相手を見れば左手の炎は更に炎としてのクオリティを上げ、遂に炎では無い何かに成っていた。
 確かに炎の様に燃えているが、その色は闇の様に深い漆黒で、火の粉は黒い桜の花弁だった。
 そしてまた気付く。手に持っている『黒い塊』は何だっただろう、確か武器だった『気がする』が『何に使う』のだったか。
「ふざけるな、ふざけるな!俺はテメェとは違う、違うんだ!」
 左手で床に叩き付けられた。黒炎を根元から浴びて、その能力を完全に理解する。
 我慢出来ない顔で、誰だったか三人一組になっていた奴の一人が豪に駆け寄ろうとして、後ろから槍で貫かれた。
 豪は思う、あいつ誰だっけ。何で思い出すと悲しくなるのだろう。
20: 名前:サスライ☆09/22(水) 15:18:32
 黄桜の激情のまま、豪はマウントポジションで何度も殴られる。
 その度に黒炎を浴びて、その度に『自己(アイデンティティー)』を燃やされていく。
 何故、こんな所に居るのだろう。何故、周りの人間はあんなにハラハラしているのだろう。何故、目の前の男は怒っているのだろう。
 様々な何故を繰り返す内に、段々自分が自分じゃなくなり、灰になっていくのを考えてゾッとした。それでも殴られる度に色々大切な事を燃やされていく。
「イヤだ……シにたく……ナい……」
 それが豪の最後の言葉で、それ以後何かを口に出す事は無かった。
 言葉を燃やされたか、全てを燃やされたを知る者は居ない。勿論、本人もそれを知る事は一生無かった。
「俺はよぅ……くそ、なんか言えよコラ」
 殴るのを止めた黄桜は豪の襟を掴む。そこには火傷まみれになった廃人が居るだけだ。
 そしてそれは、黄桜の求めている歌舞伎座 豪では無いのである。
 ボロ雑巾を捨てる様に手を離せば、ドシャリと肉が墜ちる音がする。
 人は否定したい自分を見る事が一番不快だ。そして目の前の空っぽの肉達磨は紛れもなく黄桜の否定したい己だった。
 だから憤怒を沸き上がらせたのだが、今の完全に血が昇った黄桜は、目の前の肉達磨と同じでそんな事は考えられない。
 これは、利休がある重要な決断をした時の話である。
23: 名前:サスライ☆09/23(木) 18:19:11
 海賊を討伐した次の日の事だ。
 広大な青空の下に大平原が広がり、その大平原の上に、虫がポツンと有るのかと思う位小さな人影が在った。
 大平原の中ではギルル族の時期里長『だった』黄桜も、そこら辺の木より存在感の薄いチッポケな存在に過ぎない。
 さて、精霊の加護の能力と言うのは、実は前例があるのが当たり前で、ギルル族はそれを長い歴史の中で記してきた。だから名前も使用法も解る。
 『煉獄桜花』。それが黄桜の精霊の加護の名前で、能力は記憶破壊。黒い炎で相手に火傷させると、相手の記憶を燃やす(火の粉でも可)大変優秀な能力だ。
 が、それは周りも巻き込んでしまうと言う事だ。確かに火力が僅かなら申し分無い。
 しかし里長たるものが、僅かな火力でやっていけるものか。
 何より黄桜は神に愛され過ぎた。その潜在能力の高さから、もし全力を出して戦うなら全てを破壊するだろう。
 戦いが生業の職業だ、人生に全力を出さない事なんて無い。あのまま『里に残っていれば』、何時か黄桜は全てを破壊する。
 それは突然の事で、黄桜は海賊討伐を境にギルルの里に戻る事は無かった。利休に、里から追放されたから。
 さて、これからどうしようか。ふと上を見上げれば鳥が空を飛んでいた。ついこないだの様に、それを自由だとも羨ましいとも思わないが。
24: 名前:サスライ☆09/23(木) 18:50:40
 港町で仕入れた旅のマントをなびかせて歩くと、かなり遠くだが、前に誰か居た。
 気が付かなかったのは、遠かったからなのか自分の事ばかり考えて上を見ていたからなのか。
 もう少し近付くと、それが見慣れた姿だと解る。赤みがかった黒髪に赤い神官服。焔だ。
 彼女は腕を組み、肩幅程に足を広げて実に威風堂々としている。その表情たるや剣山の様に険しいものだ。
「ん、焔じゃねえか。おはようさん」
「……バカ、そんな事言ってる場合じゃないじゃん、黄桜様」
 黄桜の作り笑いを見ておられず、焔は顔に影を落とす。それを見たら黄桜は苦いを浮かべるしか考え付かなかった。
「もう様は付けなくても良いんだぜ?今の俺は時期里長どころか、どっかでのたれ死ぬのがお似合いの只の旅烏だ」
「いや、黄桜様は海賊との戦いで敵のボスを道連れに勇敢に散ったと伝えられているんだ。
だから、黄桜様は何時までも黄桜様だ」
 そうか、と、サッと利休に純粋に感謝の微笑みを浮かべる。それを見たら、焔が口を楕円に、目を丸く開けた。感情に流された顔だ。
「ねえ、悔しく無いの?
人生を費やして尽くしてきた物に裏切られたんだよ、少しは怒ろうよ!」
 しかし黄桜は相変わらず微笑んでいて、寧ろ目を弓にして微笑みを深くしている。
「お前は、誰かに言われて此処に来たのか?」
「独断だよ。黄桜様が海賊なんかにやられる筈無い、だから利休様に粘着して聞き出た」
「……そうか、そんなにお前は俺の事を想ってくれていたんだな。嬉しいな、有り難う」
 その壮大な器の人格は、まるで里長の様だった。
25: 名前:サスライ☆09/23(木) 19:43:26
 暫く無言、しかし張り詰めた物では無くて寧ろ心地好い空気が続き、それを崩したのは焔だった。
 彼女は黄桜に歩み寄り、優しく抱いた。え。と、黄桜は目を見開く。
 良い臭いの髪の毛、温かい掌、華奢で柔らかい腕を感じる。
 黄桜は思わず抱き寄せてしまった。そこに感じるのは花の様に細い腰があり、しかし身体の体温から生を感じる。
「……黄桜様、ちょっとこっち見て」
 再び、え。と、無意識に焔を見るとそこには長い睫毛の整った顔があり、目を奪われる。
 その隙に、唇に柔らかい感触を浴びせられた。口内に入る熱い気体と、続くヌメリから唇と唇をくっ付けているのだと気付く。
 永遠とも感じる約3秒後に、焔は唇をヌラリ離して抱き締める腕を解く。黄桜も同様にした。
 頬を赤く染め上げる焔は、何時もと裏腹に艶やかな声を出す。
「そ、その……、望むならこれ以上も……」
 肩を萎めて、指をモジモジ絡めるその様はまるで小動物の様で、全てを奪いたいと官能的な気分になる。
 しかし黄桜は、下腹に痛みを感じるのに何故だかそれを抑えた。
「スマンな、もう俺は行かなきゃいけないんだ」
 そして焔の隣をサラリ歩いて横切る。焔は敢えて向きを変えず、故に黄桜は背中と言う近所に居るのに見えるのは何も無い大平原だ。
「もう二度と言わないんだからね、このバカ!バカ!オタンコナス!」
 そう、地面に向かって叫ぶと地面に向かって涙を落とした。
「……頑張ってね」
 聞こえない様に小さな声で最後の一声を落とすと同時に両膝も地面に落とす。それでも黄桜は振り向かない。
 黄桜、焔。それぞれ15歳と14歳の時だった。
26: 名前:サスライ☆09/24(金) 09:27:55
 町があったので宿を取る事にした。幸い路銀は、利休からたんまり貰っているので、食事付きと言う割とまともな宿に泊まる事が出来た。
 決して多くは無い量の夕飯を食べて、ベッドに仰向けになると空一面の星が見える。
 昔、焔と七海とで星を見に行って七海がはぐれて大泣きして発見されたのを思い出して、少し涙腺が緩んだ。
 そうして思い出にふけっている時だ。扉のノック音が聞こえて中からホテルマンが入って来た。どうやら、客らしい。
「どんな客だ?」
「ハイ。青っぽい黒髪で片眼を隠した14程の女性で、七海さんと仰ってます」
「……通せ」
「畏まりました」
 焔は予想内だが、七海が来るのは予想外だった。
 焔と七海は一卵性双生児で、遠目の一見ではヒヨコの雌雄宜しく見分けはつかない。
 それでも呼べば、慌てて来るのが七海で理由を声を上げて聞きながらやって来るのが焔と、対称的とも言える程の大した差がある。
 七海は自分から行動を起こす事が滅多に無い。大抵は指示があるまでジッとしている、それ故にいざ行動となると心に余計な力が入って空回りしたりする。
 ドアノブが回り、そう頑丈そうでない木の扉の向こうから、ビクビクと不安の眼を浮かべて見慣れた青い神官服が入って来た。
27: 名前:サスライ☆09/24(金) 10:16:28
 予想外だが、今の黄桜に取って、タダソレだけの事に過ぎない。仰向けから一転してベッドに胡座をかくと前のめりで七海に笑いかける。
「おぉ、七海じゃん。七海だってのは聞かされていたけどさ。
まあ座れ、丁度明日飲もうとしていた酒があるんだ」
「いや、この歳でお酒はちょっと……」
「まあ言ってくれるなよ。水よりも酒の方が長持ちするんだ、元々腐ってるからな」
 液体の入った瓢箪を片手に持ち、自虐と言うよりは、キザな苦笑いを、椅子に座った七海に向ける。
「んで、何しに来たんだ?俺にお別れを言いに来たのか」
 途端に背筋をシャンと伸ばした七海の顔が険しくなる。その瞳には深淵さが、しかしダイヤモンドの様な輝きがある。強い意志の表れだ。
「いいえ、私は貴方を連れ戻しに来たのです。貴方は次期里長で無ければ十分過ぎる戦力になる」
「嬉しいね。しかし無理だな。お前は俺の今の立場をよく解っていない」
 黄桜は片膝を立てる、肘をそこに乗せて腕を真っ直ぐ前に伸ばした。すると正面から見ると遠近法で七海に取って黄桜の身体が妙に遠く感じた。
「こないだジジイの書斎に潜り込んだ時に知ったんだがよ。
俺みたいなのはな、実は里の掟では殺される事になってるんだ。外に害が漏れない様にな。
でも、クソジジイは敢えて逃がしたんだ。自分の身も危なくなるのを承知でな」
 前に向けていない、下ろしている腕が震えて黄桜は影を落とす。それでも、下を向く事は無かった。
「俺はそんな里を誇りに思っている。次期里長だった者として、そして何より一人の人間として。
だからこそ、戻れないんだ」
 だから七海は開口一番、意見を反した。しかし本音は、いっそう深く。
28: 名前:サスライ☆09/24(金) 18:57:25
 七海は椅子から脳天を糸に突然引かれた様にピンと立ち上がると、相変わらず意志の強い瞳で言う。
「じゃあ、私も貴方の旅に付いて行きます」
「へ……?」
 こんなにも唖然としたのは太くて短い、今日に至るまでの黄桜の生涯で初めてではないかと、黄桜本人が思った。
 あんぐり口を開いているのが容易に想像出来るし、事実その通りだ。
「いやいやいや、何でそーなる。新手の冗談か?」
「私は本気ですよ、本気と書いてパネェと読むくらいマジです」
 何時もの七海と違うものを感じる。しかし、七海とはそう言う人間なのだ。
 普段は何もしなくても状況は流れると知っているから何もしないが、反面、自分の意見を持った時は絶対に譲らない。感情を溜めて放つタイプなのだ。
 黄桜は根気強く説得してみるが、決して首を縦に振ろうとせずに筋が通って無くとも勢いで踏み倒されそうだ。
「何でお前、そんな俺に固執すんの。恋愛感情か?」
「いいえ、そんな物ではありません。
情熱思想気高さ幸福感……
貴方は私の全てだ、貴方が居ない人生なんて、私は死んだも同様なんです。
連れていって下さい、何でもやります。何でも差し上げますから!」
 それは遠回しに連れて行かなければ死んでやるとの無茶振りだ、黄桜は困った顔で立ち上がると、掌を七海のうなじに回した。
 頬を赤らめ顔を明らめ、感激に瞳を潤ませる七海に黄桜はキスの体勢でこう言った。
「……ごめん」
29: 名前:サスライ☆09/25(土) 15:01:39
 カーテン越しに降り注ぐ日光の光を肌に感じて、七海は目が覚めた。
 長い睫毛の目立つ目を緩やかに開き、まだガサガサする目を手の甲で擦って目を覚まそうとする。
 が、未だにアクビすら出ないので酸素が頭に回らず中々すっきりしない。
「ええと、何でこんな所に居るんでしたっけ……」
 取り敢えず掌を開いたり閉じたりを繰り返して強制的に血を全身に巡らせて、アクビ一つ身体を起こせば昨日やって来たホテルのベッドの上だと解る。
 ああ段々思い出してきた。昨日私は彼が来うるこの町を調べて、先回りする為に早馬を借りてやって来たんだ。
「でも、誰を?」
 部屋を見渡せば誰もおらず、しかし所々についさっきまで誰かが居た痕跡はある。が、それが誰かはどんなに考えても休むに似て思い出せないのだ。
 少し怖くなって、ホテルマンに聞いてみるとやはり七海は誰かと一緒に泊まったらしい。しかし、肝心の彼は既に部屋を発ったと言う。
 それを知ろうとしてもどうしようも無い事は、思い出そうとした時に解った。しかし、どうしてもそれが、自分自身の様に大切な何かだった気がする。
 チェックアウトまで時間がある。その間、誰かが居た空間がポカリ空いた、この部屋の様に何かがポカリと空いた心で沢山泣いた。
 ウナジに桜の形をした火傷跡を一つ残して。
30: 名前:サスライ☆09/27(月) 11:11:23
 町を出てから数日経ったある場所。もしかしたら道の中かも知れない、もしかしたら町の中かも知れない、もしかしたら戦場の中かも知れない。兎に角、黄桜が存在している場所。
 黄桜はふと七海の事を思い出す、本当にアレで良かったのか。もう少し良い手段は無かったのか。
 人への思いやりを建前とした、今後の自分への不安を考えていた。
 固まりきっていないゼラチンの様な、何となくの想い。何となくだが、あのままでは自分は何時か取り返しのつかない何かをしてしまうのでは無いかと感じる。
 しかしそれが何故か、未だ若さ故に己を理解していない彼には悩むだけ無駄であり、しかし悩まざるを得ない事でもあった。
 故にもっと良い手段を探そうとすればする程思想の泥沼に沈み込む。
 結局自分は、誰かを護りながら自分を守り切る位強く無い。それでも一緒に居たいと言うのはエゴだ。
 黄桜は、そんな何時も通りの回答を出して、尚歩を進める。
 それは道を歩くだけかも知れないし、沈黙から動き出すからかも知れないし、戦いを続けるからかも知れない。
 只、黄桜はソコで納得してしまっている。本当にその解答で正しいなら、何度も悩む事では無いと言うのに。
 だから、また悩むのだろう。答えが出るその日まで。

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最終更新:2010年11月22日 09:41
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