452: 名前:浅葱☆04/23(土) 19:21:12
The past
気付けば恋をしていた。
知らぬ間に好きになっていた。
いつの間にか、惹かれている自分が居たんだ。
周りの人間たちなんて皆同じ。当たり障りのない関係を保ち続けてれば誰も傷付かなくて済むし、俺もむやみやたらに干渉されることもない。だから一定距離を保ってみるけど、それだけでは退屈。
矛盾した感情。退屈な日々を送る俺は、一体どうしたいのだろう。
放課後、クラスメートたちがざわめく中、毎日お決まりのこの言葉。
「おい、文弥! お前も今日柳瀬ん家行くよな?」
周りの友人たちは、餓鬼だと思う。と言うか馬鹿だと思う。将来のことなんか何にも考えてなくて、ただ遊ぶこと、今を楽しく生きることしか考えてない。中学校一年生の分際でそんなことを考えている俺の方がおかしいのかもしれないが、俺はそんな自分が“普通”で“当たり前”なのだと信じていた。
「……ああ、行くよ!」
――でも、自分を偽ってキャラを作る俺も相当馬鹿だと思う。だって仕方ないだろ? この小さな“学校”という社会で俺たちが生きて行くのはそれなりの努力が必要で。
逆らった奴が居るだけでそいつは異端者として除け者にされる。仮令自分の言い分が正しいと自信を持っていても、それは全てに共通するわけではない。自分を偽りでもしなきゃ生きていけないんだ、俺たちは。
「……なぁ」
「うわ!」
突如目の前の現れた俺より少し背の小さい男に肩をビクつかせた。整った顔。つーかすげぇ美形。あれ、こいつどっかで見たことあるような。
「び、吃驚した。誰?」
「ははっ、悪い悪い。俺、津田千昭。お前の隣のクラス」
「隣のクラス」
津田の言葉を反復し、成程自分のクラスならまだしも隣のクラスなら知らないなと納得する。「あんたは?」と訊かれ、答える。
「立岡文弥」
「ふーん、文弥か」
……初っ端から呼び捨てかよ、オイ。「なぁ、一つ訊いて良い?」と再び津田が問うてきた。「何?」と訊き返す。
「なんで周りに壁作ってんの?」
驚きで、目を数回瞬かせた。どうしてこいつは気付いた?俺の周りの奴らなんて一分として気付かなかったというのに。
「なぁ、なんで?」
どうしても知りたいらしい。頬杖を付き、少し首を傾げる。そんな仕草も不思議と津田には似合っていた。
「……別に、誰にだって色んな事情はあるだろ」
「ふーん、事情か」
満足したのかしてないのか定かではないが津田は数度頷いただけでそれ以上何も訊いて来なかった。
「文弥ーっ行くぞ!」
先程俺を誘って来た友人がざわめく教室内で大声で俺を呼ぶ。声量の大きさに一気に意識を戻されて、ハッとする。
「あ、わり、今行く……」
返事の最中に不意に津田と目が合った。そう言えばどうしてこいつは俺が周りに壁を作っていると分かったのだろう。
……きっとこいつは俺の周りに居る奴らとは違って、馬鹿じゃないのだと理解した。惹かれる興味。面白いかもしれない。このままこいつと別れて下らないゲームで時間を潰すより。こいつと居る方が。
「おいっふーみーや! 早くしろよお! 置いてくぞぉ!」
ふ、と口角を上げ、俺は決断した。入口付近で教室を覗く友人に視線を向けて、言った。
「わりっ俺今日やっぱパス!」
津田の方に目線を向けて「なぁ、この後暇?」と問う。
津田も笑顔を綻ばせ、「勿論」と返事をしてきた。
「はぁ!? 文弥ふざけんなよーっ」と遠巻きで友人の不満の声が聞こえるが、知らないフリ。
学校指定の鞄を持ち上げ、俺たちは教室を後にした。廊下の窓から外を見ると桜が殆ど青くなり、季節は初夏に差し掛かっていた。夏が来るのだ、と至極当然のことを思った。
「そっれにしても意外だったなー」
校門を出て少し歩いた所で隣に居る美男子が突然言った。“意外”? 良く分からないその言葉に、津田の方をちらりと見た。
「お前、意外とはっきりしたタイプだったんだなーって思って」
にかっと笑う津田。俺に言わせればお前の方が十分はっきりしてっけどな。
「あ、悪い意味じゃねぇよ?」
悪い意味だったら今頃お前のことぶん殴ってるところだ。
それにしてもなんで俺はこいつと一緒に居たいと思ったのだろう。考えるよりも先に出た言動。本当に、謎だ。自分でも理解できない。
「津田は「おいっ、下の名前で呼べよっ」
見事な横入り。訂正し、再び口を開く。
「……千昭は、なんで俺に話しかけてきたわけ?」
「あ? そりゃーお前に興味が湧いたから」
「なんで? ってかいつ? てか何処で?」
「うおっ、んな一度に訊いてくんなよ」
だって気になるだろ。
「本当は入学式のときから見てたんだよ、文弥のこと」
千昭の予想だにしない言葉に目を丸くした俺。え、そんな一目惚れした女子みたいなこと言うの?
「……別に変な感情とか持ってねぇからな。気色悪い」
……見事に釘を指された。って言うか見透かされた。取り敢えず千昭の言葉にホッとし、胸を撫で下ろす。
「お前、すげー退屈そうだったじゃん。皆中学生になってさ、浮足立ってるっつーか、浮かれてるっつーか。
そんな中でお前だけすげーつまんなそうで。それが、最初」
正面を向きながら千昭の言葉を聞く。その頃からもう気付いていたのか、俺の小さな叫びに。“退屈”だと。“誰か助けてくれ”と。
「そのくせ、周りにはへらへら笑って。あぁ、こいつ多分無理矢理笑顔作って生きてんだなって思って。毎日毎日息苦しくないのかなって。そう考えればなんか、居ても経っても居られなくなって……現在に至る」
……こいつ、馬鹿じゃない。俺はそう確信した。此処まで俺のことを理解してくれた奴は初めてだったし、それを嬉しく感じている自分も居た。
こいつとは――千昭とは上手くやっていける。
心からそう思った。
453: 名前:浅葱☆04/23(土) 19:51:23
――それから俺と千昭はいつも一緒に居るようになった。いつも、と言ってもクラスが違う為、朝と放課後を一緒に過ごす位だが。
俺たちは気が合った。食べ物の好みとか、趣味とか、兎に角色んな類のもので。今にして思えば俺たちは良く似ていたのだと思う。似てるから惹かれ合った。俺たちも、そして“優奈”も――。
季節は巡り、再び春が巡ってきた。
クラス替えが行われ、俺たちは念願の同じクラスになれた。
“立岡”と“津田”なため、名簿で俺たちは前後の席になった。良いことが続く、きっとそれはこれからもずっとだと信じていた。俺たちの前に塞がる障害など何もないと。
――そして“優奈”が俺たちの前に現れることになる。
「ね、優奈と友達になろうよ」
どっかのナンパかと思うほどのその言葉に一瞬耳を疑った。声の方を向くと小さい、少女のような女が此方を見て微笑んでいた。さっきの声はこいつか。今年同じクラスになった“大石優奈”だったか? 確か入学時から美少女だって有名な――……てか一人称が名前って。
「友達? 女が?」
はっ、と鼻で嘲笑うようにそう言った。だが少女は動じることなく「うん。駄目?」と甘えた声で言って来た。この声を無意識に出してるんならすげぇなぁと、一人別のことに感心していた。
「優奈、こんなだから同性の友達出来ないの。男子も男子で一々告白してくるの面倒臭いし」
“こんなだから”。自分の目立つ容姿を自覚しているのか。
それにしても随分バッサリ言う子だな。
男子が聞いたら泣くぞ、きっと。
「二人とも目立つから、一緒に居たら男子よけになるかなって。ついでに女子に羨ましがられてみようかなって」
“羨ましがられてみようかな”? ……ああ、そう言うことか。優奈と同じかそれ以上目立つ千昭の傍に居れば女子が羨む……っていうか女子が妬むのは当然か。今でさえ嫌われてるのにそれ以上嫌われる意味があるのか?
「ね、駄目?」
上目遣いで俺たちを見てくる優奈。そんな仕草も優奈がやると嫌味っぽくならず、寧ろ良く似合っていた。
「俺は別に良いよ」
千昭が言った。いつでも女子に囲まれる千昭が了承することに俺は驚いた。
「女よけになるかもしんねぇし」
歯を見せ、嬉しそうに言う。……そういうことかよ。
はぁ、と溜息を吐き「千昭が良いなら良いよ」と俺も首を縦に振った。優奈は胸の前で両手を合わせ「良かったぁ」と安堵の表情を浮かべた。その笑顔が酷く可愛らしくて、成程、そこらへんの男子にモテる理由が良く分かった。
千昭と一緒に居るだけで目立っていた俺たち――まぁ、千昭だけだったのかもしれないが――に優奈が加わり、俺たちは更に目立つようになってしまった。俺など普通かそれ以下の見た目だというのに、……こいつらと一緒に居て良いのだろうか?
「はぁ? 良いに決まってんだろ」
「当たり前じゃん」
二人に問うと、ほぼ同時に返事が返ってきた。似てるなぁ、こいつら。それにしても随分きっぱり言いましたね、っていうか言い切りましたね。
「俺が一方的に文弥に興味持って、お前と居ると楽しいから今こうして一緒に居るんだろ」
「そりゃそうだけど、優奈なんか最初千昭目的だったじゃん」
「えーっ、優奈最初“二人とも”って言ったよ!」
「そんなん効率良く俺たちの仲間に加わるための嘘だろ」
「嘘じゃないッ」
ムキになって反論してくる優奈。
「……フミヤ、目立ってるのはチアキと優奈だけで、自分なんて影の存在だって思ってる?」優奈が問う。
「思ってない」
「居ても居なくても同じだって思ってる?」机から身を乗り出し、千昭が問う。
「思ってないって」
「嘘」と優奈と千昭は俺の演技を見破った。こいつらすげぇな。
優奈が大袈裟な程の溜息を吐いた。
「あのね」と続ける。
「フミヤ結構モテるよ? 気付いてない?」
モテるって、お前らに言われても説得力ねぇよ。
「見た目なんかどうってことねぇの。俺たちが文弥と一緒に居たいって思ってんだから」
千昭の言葉にツッコむタイミングさえ失ってしまった。――でも、その言葉たちは俺を納得させるには十分すぎる言葉たちだった。
「ああ、そーだな」
俺がこんなにもこいつらの言葉を信じたくなるのは、こいつらが真っ直ぐで、純粋で、素直だから? 理由なんか分かんねぇけど、取り敢えず今言えることは、この関係を決して崩したくないってことだけだった。
そしてある日の放課後。その日は珍しく優奈が居ない、千昭と俺、二人だけの帰り道だった。
「なぁ、文弥って優奈のことどう思ってんの?」
突然の千昭の言葉に飲んでいた炭酸を吹き出しそうになり、少しムセた。
「いきなり何言ってんの?」
「や、だからどう思ってんのって」
「どうも思ってねぇよ」
きっぱりと言い切り、歩幅を大きくする。
「怪しー。好きなんじゃねぇの?」
「……それを言うならお前はどうなんだよ」
このまま千昭のペースに嵌るのは不味いと思い、逆に千昭に問う。千昭は表情を崩さず「さぁ? どうだろーね」と言葉を濁しただけだった。
「ま、付き合ったらちゃんと報告しろよ」
そんな会話から数週間後。放課後の教室で“小柄な少女”に「告白した」と告げられた。誰に、なんて訊かなくても分かった。俺にわざわざ言ってくるその真意。
「オーケーしたんだ」
「うん」
「そっか」と言って目を僅かに細めた。何れ、こうなることなど分かっていた。千昭が俺に訊いて来たあれは“予防線”だったのだと。
どっちが優奈に告られても良いように。そのときどちらも妬まないように。
それなのにどうして俺はこんなに“傷付いているんだろう”?
……でも俺は分かってた。
優奈が千昭に告白することも
“これから俺に付き合ってと言ってくること”も。
「ねぇフミヤ。優奈と付き合って?」
「俺たち付き合うことになった」
翌日、千昭が予想通りの言葉を口にした。その隣には優奈が居る。視線がバチッと合うと、優奈が軽く微笑んだ。
「そっか。やっぱりな、お似合いだもんな、お前ら」
用意していた祝福の言葉を述べる。嘘偽りの仮面を顔に纏って。千昭は拍子抜けしたような表情をありありと浮かべていた。
もう一度優奈の方を見る。
嘘だって吐く。親友だって騙す。
“好きな女”を手に入れるためなら。
容易に想像できる未来など欠片も興味はないけれど、予測の出来ない未来には足を踏み入れてみたいだろう? 退屈な毎日など、つまらないだけだろう?
454: 名前:浅葱☆04/23(土) 20:43:08
「……っ」
声を押し殺し、ゴムの中に白い欲望を吐き出した。目の前の優奈も同じタイミングで果てたようだ。服を着ながら俺の部屋の窓から外を見るとちらほらと雪が地上に舞い降りていた。もう直ぐ三年生。“進路”という重い選択肢が俺たちに圧し掛かってくる。
「……フミヤ、ちょっと良い?」
優奈の声に振り向くと、ベッドに包まる優奈と目が合った。「何?」と問う。
「優奈、千昭と別れた」
淡々とした口調で俺にそう告げた。驚いて声を失う。“別れた”? 何故? どうして? そんな言葉ばかりが頭を右往左往する。
「振られちゃった。“別れよう”って。もう友達にも戻れないって」
「バレたのか? 俺たちのこと」
俺の問い掛けに優奈は首を僅かに横に振るわけだった。「分からない」そう言って。
「……そっか、分かった」
今日は日曜日、明日学校に行けば自ずと分かることだろう。ベッドに座ると軽く軋んだ。最近は頻繁に身体を重ねているものだからスプリングが音を立てるようになってしまった。片手を付き、横たわる優奈に覆い被さるように屈み、唇を触れ合わせた。
この関係を終わらせるときが来たのだろうか。
だけど“別れた”と聞いて尚、別れたくないと思っている俺が居る。何故俺は、こんなに優奈に執着するのだろう。
翌日会った千昭は至っていつも通りだった……が、優奈とは一切喋らず、目を合わすことさえしなかった。それに対しての優奈も特にへこんだ様子も傷付いた様子もなく、ただ“いつも通り”だった。千昭に理由を訊いても「なんでもねぇよ」だけ。
俺には普通だから“俺と優奈の関係”はバレていないのだと安堵する。
――でもそれから千昭は豹変した。優奈が居なくなったことによって最初の頃のように千昭に寄ってくる女子たちが増え、告られることも数段に増えた。そして、そんな女子たち全てと関係を持ち、いつも違う女子が隣に居るような状態だった。
俺はそんな千昭に何も言えなくなった。親友、として一緒に居るけど、アイツのすることに干渉はしない。俺だったらそうして欲しいから。
「優奈、フミヤと別の高校に行く」
優奈が珍しく真剣そうな顔をしてそう言って来たのは俺たちが中学校三年生になり、本格的に進路を考えなければいけない時期になった時だった。俺と千昭は地元のよっぽどの馬鹿か不良じゃなければ簡単に入れそうな高校。優奈はどうするのか、訊きたいけど訊いて良いのか分からなかった。
別の高校。具体的に何処へ行くとは断言しなかったが、――優奈なりに考えていたんだ。「分かった」千昭にこのことは言うべきではないと心の中に留めておいた。
だが、最近の千昭は何処か変わってきたように思う。誰かれ構わず女子をひっかけることは減ってきたし、表情も柔らかくなった。いつから、と訊かれればはっきりと答えられないが。
……好きな人でも出来たのだろうか?
どちらにしても嬉しいことにかわりはない。千昭には幸せになって貰いたいと、切実にそう願っていたから。それは千昭に対する罪悪感からか、優奈と別れられないことへの償いからか。
「……アイツにも“一番”想える人が出来ればいいのになぁ」
「? フミヤ、何か言った?」
「いーや、何でもない」
“この関係を決して崩したくない”という俺自身の言葉を終わりにする時が近付いている。俺はこれから起こる未来を確信していた。
今日の為にひたすら暗記した曲を皆が合唱する。歌う曲は卒業式の定番曲。少し周りを見渡せば涙を堪えながらも唄おうとする者、面倒そうに口を僅かに開く者、別れに悲しみ唄うことすら出来ぬ者。
これが終わればお別れか。千昭とは高校でも同じだけど……高校が別れてしまった優奈と関係を続けるのは難しいかもしれない。
過ぎて行く変わり映えのしない毎日の中で千昭と出会って、優奈が俺たちの前に現れて、付き合うようになって。少なくとも退屈はしなかったし、毎日楽しかった。もう三年が過ぎたのか、と思うと早くも長くも感じた。
右が男子、左が女子で別れている――その中で優奈を見つけ、横目で見る。俺にとって優奈は何だったのだろう。どんな存在だったのだろう。考えても上手く言葉には出来ず、代わりに込み上げるのは激しい悲哀の感情。俺は優奈を失えば――どうなってしまうのだろう。
それでも避けて通れない未来、何れ言われるであろう容易に予想出来る言葉。逃げる? ……それが楽なら。
体育館に響く歌声の中で、俺は一人小さな声で、誰にも聞こえない、隣にも聞こえない声で呟く。
「Au rovoir,mon amour.」
別れの日だ。嬉しいわけなどない、のに、どうして笑みが零れるのだろう。さよならを言う勇気など、俺にはないというのに。
「フミヤ!」
未だざわつくクラスメートたちの波に揉まれながら、騒音のような声たちの中でその声だけがやけに通って聞こえた。振り向いて――も、頭に浮かんだ女は居ない。……良く目を凝らすと見慣れた栗色の頭が見える。
「優奈」
近寄って名を呼ぶと、優奈はパッと顔を上げた。三年間一緒に居て、こいつは背が伸びたのだろうか? とふと思う。そんなことを言葉にすればきっとぶん殴られるに決まっているが。
「フミヤ! ……千昭は?」
辺りをきょろきょろと見回す。気を遣ってる顔だった。
「もう帰った。第二ボタン争奪戦が面倒なんだと」
「あー成程。……一緒に帰れる?」
恐る恐る訊いてくる優奈に目を細める。ふっと笑って「当たり前だろ」と返した。……これで最後だと思うから。
「じゃあ帰ろーぜ、人多くてうざい」
「あ、うん」
未だざわめく教室を出ると、男が数人廊下に屯っていた。何だこいつら、と軽く睨みピンと閃く。ああ、“優奈目当て”か。
「大石さん」「優奈ちゃん」
そんな声がほぼ同時に飛び出す。てか名前馴れ馴れしいな、オイ。名字で呼べ、名字で。無意識に苛々。あれ、何妬きもちなんか妬いてんだろ、俺。
「……先、行ってれば良い?」
優奈に選択権を与えようと問う。優奈は一切考えずに「いいっ、行こ」と言って来た。“いい”の意味が肯定の意味なのか否定の意味なのか迷ったが、“行こ”の言葉で確信する。
「そ、じゃあ帰ろ」
男どもに聞こえるように大きめの声で言う。「うん」と言った優奈の声を受けて、男たちは愕然とした顔、悔しそうな顔をそれぞれに浮かべていた。
「ねぇ、フミヤ」
優奈の家までの道のりで途切れた会話の数分後に後ろから聞こえた声。真剣身を帯びたその声に心臓がドクンと高鳴る。「あ、何?」と平静を装ってみても、声自体は僅かに震えていた。
「今日で最後なんだね」
三年間を懐かしむようにそう言う優奈。「そうだな」とだけ返す。
「高校、別々になっちゃったんだもんね」
まるで今思い出したかのように言った。歩みを留めず歩く。前方からの風が冷たくて身体に沁みる。
「……別れる?」
ドキッと胸が跳ね、思わず歩みを止めてしまった。やっぱり、と眉を寄せ、拳を強く握る。疑問形で訊いて俺に判断を委ねようとするその性格の悪さに悪魔を思い浮かべた。
「……とか言わないでね」
優奈が続けたその言葉に「は?」と思わず声が出て、口をあんぐりと開けたまま優奈の方を振り向いた。
「ちょっと、何その顔面白い」
笑いながら言う優奈に軽く苛立つ。笑い事じゃねぇよ馬鹿。真面目な話をしろ、真面目な話を。
「……巫山戯てる? 馬鹿にしてる?」
「どっちでもないよ」
「じゃあ何」
優奈の心が見えない。何を考えているのか分からない、掴めない。
「優奈、高校が別々になったからって、別れたりしないからね。会えない距離じゃないし」
“別れたりしない”その言葉がじんと心に沁みてくる。
優奈は決して“好き”とは言わなかった。後にも先にも、俺は優奈にその言葉を言われたことはないと気付く。でも良かった。付き合っているというその事実と関係さえあれば。優奈に会って、傍に居られる。それだけで良かった。
“Au revoir”はもう言わない。いつか言うから、絶対、言うから。
お前を抱き締めて“Je l'aime”って。
Fin.
459: 名前:浅葱☆04/24(日) 22:33:06
Confession
「あ、MINTだ」
街中で流れている聴き慣れた声に思い出したかのように立ち止まる。繋がれた右手が引っ張られてよろめいた。
「おい憂。いきなり立ち止まるなっての」
「ご、ごめん。だってMINTが」
「MINT? あぁ」
千昭も気付いたよう。澄んだ透明な女性の声が街中に響いていた。
「これ新曲だよね、相変わらず良い曲」
語尾にハートマークでも付きそうな弾んだ声の憂が笑顔を浮かべて千昭を見る。その笑顔に釣られた千昭も顔が綻ぶ。
「……まぁ作詞したのは俺だけどな」
「ちょっと、それ言わないでよ」
「なんで」
「千昭が作詞って……何回考えても合わない」
「おいコラ」
そう、実はMINTの作詞者は何と憂の今目の前に居る津田千昭なのだ。
まぁ憂自身もそれを知ったのは約一年前の蓮へのお墓参りの時なのだが。
*
「行こっ…………千昭!」
勇気を振り絞って呼んだ名前。千昭の顔がみるみる赤くなったことに憂は忽ち嬉しくなり、はにかんだ笑顔を見せた。すると悔しさに顔を滲ませた千昭が憂に耳を近付け、小さな声でそっと言葉を発する。
「MINTの“
leave”。あれ、作詞したの俺だから」
MINTの“leave”? 作詞者が、千昭?
「……えぇえぇぇええーッ!!」
墓場に相応しくない叫び声がこだまする。千昭はしてやったり、という表情。当の憂はというと口をあんぐりと開き、何度も瞬きをしていた。
「な、なななななんで……っ」
「ふはっ、どもり過ぎだろ」
口元を押さえて腹を抱えるように笑う。笑う所じゃないでしょと憂は千昭を軽く睨みつけながら思った。そして唐突に気付く。
「……あれ? でもおかしくない?」
何度考えても、やはりおかしい。
「千昭が記憶失くしたのって一か月前だよね」
「まぁ、そーだな」
「一か月でレコーディングして直ぐリリースなんて有り得ないよね?」
まるで自分に言い聞かせるように呟きながら何度も頷き、憂は確信する。自分の言い分は正しいと。
「あぁ、誰が“今”の俺なんて言ったよ?」
「じゃあ……」
憂が千昭を見上げると、千昭は口角を浮かべて誇らしげに言った。
「記憶を失くす前の俺だよ」と。
「え、ででもなんで千昭が憶えてるの。……もしかして記憶「戻ってません」
憂が言おうとしたことを先回りして千昭が告げる。何度聞いても酷な言葉だと憂は少しいじけながら思った。
「兄貴に聞いた。“leave”流しながら、この曲を俺が作詞したって。最初は吃驚した、俺が女の気持ちを書いてるなんて有り得ないって思ったし、正直、今でも信じられない」
「でも」と千昭が続けた。
「聴いてたらなんか分かるんだ、“俺”の気持ちが。憂のことをどんだけ大切に想ってて、どれだけ愛してたのかって。あれは“俺”が憂に贈った唄だ」
千昭が真剣な顔で憂を見据える。憂は頬を朱に染め、胸元に手を置いていた。高鳴る鼓動を抑えるように。
「……有難う」
今の千昭に言っても意味のないことかと憂は思ったが、それでも言いたかった。言わなければいけないと思ったからだ。
記憶を失くしても“千昭”は“千昭”だから。
*
〈失った記憶 貴方を傷付けた〉
〈アタシが護ったものって何?〉
〈笑顔?〉
〈生命?〉
〈罪悪感〉
〈思い出しても浮かぶのは泣き顔ばかりで〉
〈アタシは貴方の何を護ったのだろう〉
「んー、泣ける!」
「泣いてねぇじゃねぇか」
的確なツッコミをかました千昭を顰め面で睨み付け、そう言うことじゃなくて、と真っ向から否定する。直接涙は出ていないが、内面的な、精神的な感じ方なのだ。それを何故分かってくれない。
「じゃあどういうことだよ」
「……もう良い」
きっと分かって貰えないだろうと先読みし、諦めることにした。
「あ、そーだ、今から家来る?」
「えっ」
予想外の言葉に憂は声を荒げ驚いた風を見せた。そんな憂の反応に千昭は目をぱちくりとさせ、次ににたりとした厭らしい顔を浮かべた。
「……憂ってば変なこと考えたでしょ、やらしー」
憂の顔が徐々に赤くなって行く。千昭はやっぱり、と口元に手を当て笑いを堪えた。
「ちちち違っ」
千昭が想定していた通り、案の定否定する憂。可愛いなと思いながら尚も憂を追い詰める。
「へー、じゃあ何? どういうこと? 言ってみて」
千昭の言葉に泣きそうな顔を浮かべ、顔を俯かせる。「えっと、違うの。そうじゃなくて、だから……」と小さな声で呟く。この期に及んで未だ否定するか。
でも、流石に泣くかな。そう思い、そろそろ観念することにした。
「兄貴が来てんの」
「へ?」
間抜けな声を発し、千昭の言葉の意味が未だはっきりと分かっていない憂は頭上に数個疑問符を浮かべた。
「兄貴と、彼女が家に居んの。で、憂に会わせたいんだと」
千昭が詳しく説明すると憂は「そっか」と呟き、ホッとした表情を見せた。安心したのはムカつくけど、まぁ可愛いから良いか、と千昭は一人溜息を吐いた。
460: 名前:浅葱☆04/25(月) 07:59:15
「あ、憂ちゃんいらっしゃい」
津田先生がリビングのドアからひょっこり顔を出す。相変わらず気の抜けた声。憂は少しドキドキしながら千昭の家へ一歩足を踏み入れた。
何度と来たこの家に入ることにドキドキしているわけではなく、津田先生の彼女に会うことにこんなに胸が高鳴っているのだ。
「お、お久し振りです」
「ふっ何? 緊張してんの? まぁいいや、早く来て!」
津田先生は越前先生の産休の代わりだったため、越前先生が復帰した時学校を去ってしまった。絶大な人気を誇っていた津田先生が居なくなるということでかなりの数の女子たちが泣き叫び、本気で告白した者も居たそうだ。
だが津田先生はさらりとかわし、“立つ鳥後を濁さず”の如し、学校を去って行った。
「だってよ、行こうぜ」
未だ心の準備が、などと言えず、仕方なく千昭について行く。津田先生が顔を出した僅かな隙間から手を滑り込ませ、ドアを開く。そこで憂は驚愕した。
「憂ちゃん、こいつ、俺の彼女」
「初めまして、青池緑です」
サラサラの黒髪ストレート。柔らかい雰囲気、物腰。良く通った鼻立ち。
「MINT?」
「はい」
目の前の美女がにっこりと笑って答える。憂は大きく開いた口を閉じることも出来ず、ただ茫然とそこに立っていた。「座って」と勧められソファに静かに腰を下ろす。
「吃驚した?」
憂を見事驚かすことが出来たことに嬉しさを感じ、直昭は笑顔になる。
「な、なな、なんで」
意識を取り戻し震える声で憂が問う。なんでMINTが此処に。
「俺が教えたんだ。憂がMINTのファンだって」
隣に居た千昭が言う。いや、そこに至るまでの経緯を教えて欲しい。憂はこんがらがる頭をフル活用して考えていた。そんな憂を見て呆れた顔の千昭が説明し出した。
「俺、MINTの作詞したって言ってたろ? MINTが事務所から作詞を頼まれて、此処で詞を書いてたときに俺に頼んだらしい」
「私去年の春にこっちに越して来たんです。妹と一緒に」
「……妹?」
思い出したように憂が訊ねる。そこでハッとした。“青池”という聞き覚えのある名。
「青池さんのお姉さん!?」
気付けば大声でそう訊いていた。予想通りの憂の反応に憂を除く三人が笑いだす。
「そうです。妹が色々ご迷惑をお掛けしたみたいで、御免なさい」
ぺこりと頭を下げられ、慌てふためく。ついでに敬語も止めて下さいと懇願してみたものの、癖なんですとやんわり断られてしまった。「話を戻しますね」そう言ってMINTは再び話し始めた。
「私、唄うのが大好きで。前居た処でも良く路上で唄ってたんです。そこで今の事務所にスカウトされまして、現在に至ります」
憂を真っ直ぐ見つめ、微笑む。本物のMINTなのだと憂は胸を躍らせた。
「津田先生とは……」
どういう経緯でお会いしたんですか、とみなまで言わずとも分かって貰えたらしく「あぁ」とお互い顔を見合わせた。津田先生が口元に人差し指を立て、妖しく笑う。「内緒」そう言って。
「あの、私、好きです。MINTさんの声とか曲とか。千昭が作詞したから、曲に共感するのは当たり前なんですけどっ、でも、MINTさんの唄……凄く、好きです」
憂の拙い言葉にMINT――否、緑は嬉しくなり忽ち笑顔になった。
「有難う。そんな風に言って貰えて良かった。私、自分の唄に自信が持てなくて」
「自信、ないんですか。あんなに上手で、人気なのに」
「周りに認めて貰えたからって、曲が売れたからって、それが自信に繋がるとは限らないわ」
諭すようにそう言って、緑は顔を僅かに俯かせた。傷付けてしまっただろうか。憂は不安になり、声を掛けようとした――瞬間、緑がバッと勢い良く顔を上げた。
「ね、MINTじゃなくて緑って呼んで欲しいな。私のこと」
「え……」
拍子抜けした顔で緑を見る。謝ろうとしたことと、突然“名前を呼んで”と言われたことで、どちらを優先すべきか頭が軽くパニックになっていた。
「出過ぎたこと言って、すみませんでした。……緑さん」
「ふふ、有難う。それと謝らないで。褒めて貰えて喜んでるの、私」
まるで緑の周りだけ花が咲いたように、緑が笑顔になる。憂もそれに釣られて笑う。
「さて、じゃあ会えたわけだし、帰るか。憂」
「え、もう?」
不服そうな顔で千昭を見る憂。その顔には“もっと話したい。もっと一緒に居たい。というか唄って欲しい”という憂の欲望の塊が滲み出ていた。そんな憂に耳打ちをする。「邪魔しちゃ悪いだろ」と。
461: 名前:浅葱☆04/25(月) 08:12:06
憂ははたと気付いた。人気のあるアーティストなわけだし、休みもきっと少ない。今日はその少ない休みの中で津田先生に会いに来て、私にまで会ってくれたのだ。緑さんにも、津田先生にも申し訳ない。
すくっと立ち上がった。
「あの、じゃあ帰りますね」
空気を読んだにしても、その言葉からは憂の悲しみが溢れていた。見兼ねた緑が言う。
「唄を、一曲聴いて行かない?」
立ち去ろうとしていた憂が勢い良く振り向いた。
「良いんですかっ?」
ソファの背凭れから身を乗り出し、先程と打って変わった声と顔で緑を見る。その単純さにクスと緑が笑った。
「これ、未発表の新曲なの。内緒だよ?」
いつの間にか緑の口調が敬語からタメ口に変わっていたが、……夢中な憂は到底気付いていないのだろうと津田兄妹が呆れ顔で二人を見ていた。とはいえ、実はこの曲は二人も聴いたことが無いため、内心気になっていたりもする。
緑が立ち上がり、少しスペースのある場所に凛と立つ。すう、と息を吸い、目を閉じて、緑が唄い始めた。透明感のある、緑の性格をそのまま表したような優しい声が家中に響く。
〈憶えていますか〉
〈二人が交わした誓いを〉
〈守ると言った約束を〉
〈「約束は破るものじゃない」〉
〈貴方の言葉 何故言われなければ気付かなかったの〉
〈貴方の言葉 いつも私の道標〉
唄を聴いている途中、憂は自分が感じた僅かな違和感に首を傾げた。今までの曲は千昭が自分で体験したことを詞にしていた。でもこれは違う。何故だかはっきりそう思えた。
〈自分を変えれば自ずと未来は変わるって 信じてた〉
〈アタシはまだまだ子供で〉
〈貴方に近付けるのはまだまだ先で〉
〈でも〉
〈現実に迷いながらも アタシは 見えない途を歩いてる〉
この曲は、もしかして――……。
「あぁ。あれは緑さんが作詞したんだ」
やっぱり、と一人満足げに頷く憂。家までの道を二人並んで歩く。
憂の読みはやはり当たっていたようだ。
「幸せそうだろ、あいつら」
「どっちかっていうと津田先生の方が幸せそうに見えたけどなぁ」
「ははっ、だろ?」
兄の幸せが嬉しいのだろう、千昭も顔を緩め、まるで自分のことのように喜んでいた。そんな千昭を見て、憂も暖かいものが胸に込み上げる。
「……私も幸せだよ、千昭と一緒に居られて」
二人に触発され、憂も自分の想いを口にする。千昭が予想だにしていなかった憂の言葉に呆気にとられる。「反則」と目を細め、夕陽の下で口付けを交わした。
一方の某カップルもまた然り。
「あー楽しかった。憂ちゃん、可愛かったわね」
両手を上に掲げ大きく伸びをする緑。直昭は「当たり前だろ。俺の好きになった子だからな」と、当然のように言った。
「へぇ、あんな子が好みなの」
少し口を尖らせ、緑が憂に妬く。
「今はお前だけだよ、好きなのは。――いや、これからもずっと」
憂や千昭は見たことがないであろう、直昭の優しい笑顔。いつものからかった、作った笑顔ではない。緑を心から信頼し、愛しているという証だった。
「約束は守る。誓いも忘れない。だから俺の傍に居て」
「うん」
直昭が肘を背凭れに引っ掛け顔を近付ける。緑の影に直昭の影が重なった瞬間、二人の唇が繋がった。
〈“辛い”こと 乗り越えたから “幸せ”なの〉
Fin.
*
えーっと、突然すみません。
憂と千昭の絵を描いてみたの、で。
恥覚悟で載せてみたいなと思います←
イメージ崩れるかもしれませんし、画質も悪いし、本当下手くそですが、それでも良いぜ! という方は見てやって下さい><
憂*
千昭*
初めて貼るのでドキドキですw
ちゃんと見れますかね?←
最終更新:2011年07月15日 15:38