第7話(BS40)「邪紋使い(アーティスト)の本懐」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 荒ぶる邪紋

 ゴーバンの旅立ちから数ヶ月。トオヤ達は本拠地タイフォンにしばらく根を下ろした上で、それまでウォルターとガフに任せていた政務の処理に従事していた。「レア」もまた成り行きでこの村に残っていたこともあり、周辺諸侯から彼女に挨拶のために訪問する者達も多い。そして、「レア姫がトオヤの本拠地に滞在し続けている」という事実は(もう一人の夫候補だったゴーバンが不在となったこともあり)必然的に、二人がこのまま結ばれることが規定路線であるような、そんな噂が国中に広がることになり、ヴァレフールの民の間でも、それまで対立していた両勢力の次世代を担う二人の縁談を歓迎する空気が浸透しつつあった。
 そんな中、タイフォンの北西に位置する交易村マキシハルトにおいて、一つの事件が発生した。この地を治めていたケネス派の領主フォラス・デストニアスが殺されたのである。ヴァレフールの内乱の危機が去ろうとする中、それまで彼が雇っていた傭兵集団「オブリビヨン」の部隊長ランディとの契約を打ち切ろうとする交渉の過程において、そのランディの手で殺害されたらしい。その後、ランディ達は野盗と化し、マキシハルトの北西の村オーバーハイムを襲撃して、領主や兵士達を虐殺した上で、オーバーハイムを占領下に置いているという。
 「オブリビヨン」とは、アトラタンおよびその周辺地域全土で活動する神出鬼没の傭兵部隊であり、「暁の牙」と並び称される世界屈指の実力者を揃えた邪紋使いを中心とする戦闘集団であるが、その素行は荒く、戦争の混乱に紛れた略奪・虐殺の常習犯でもあるため、評判は極めて悪い。ただ、その実力の割に契約料は格安のため、経済的に追い詰められた陣営が、藁にもすがる気持ちで彼等を頼るという事例が多い。
 そしてこのヴァレフールにおいても、つい数ヶ月前まで破綻寸前にまで追い込まれていたケネス派の元に自ら現れて「売り込み」をおこなった結果、対ワトホート派(グレン派)の最前線の一つであるオーバーハイムに、ランディ率いる部隊が配置されていたのである。
 なお、それ以前にも対パンドラ対策でアキレスの警備に雇われていた者達もいるが(ブレトランドの光と闇3参照)、その一方で、おそらく全く別の雇い主に雇われてアキレスからオーキッドへと向かうトオヤ達を襲撃したオブリビヨンの別働隊もいるので(ブレトランド風雲録2参照)、ケネス派とオブリビヨンの繋がりはそこまで密接という訳でもない。あくまでも「一時的な契約」以上でも以下でもない関係であった。
 それ故に、ケネス派の経済状況が改善し、そしてワトホート派(グレン派)との和睦が進みつつある中、もはやこれ以上、そんな危険人物達との契約を続ける必要はない。フォラスがそう判断して契約を打ち切ろうとしたのも、至極まっとうな判断である。だが、それはあくまでも「政治屋」の理屈であり、「戦争屋」にはその理屈が通るとは限らない。今のところ真相は不明であるが、おそらくランディは、契約破棄を不服に思ってフォラスを殺して、純粋に彼等自身の破壊衝動を満たすために、ただ闇雲に暴れているのだろう、というのが周辺諸侯の判断であった。

1.2. 副団長と孫

 そんな中、不運にも(?)この騒動に巻き込まれてしまった少女がいた。彼女の名は、ロザンヌ・アルティナス(下図左)。数ヶ月前に帰国したばかりの騎士レヴィアン・アトワイト(下図右)の契約魔法師である。彼女は血統的にはヴァレフールの七男爵の一人であるイアンの実妹であり、15歳にして複数の魔法学科を修了したエリート中のエリート魔法師であった。


 彼女の契約相手であるレヴィアンは、(トオヤやチシャの家系図上の祖父である)ケネスの最大の政敵グレンの孫である。グレンはヴァレフール内の聖印教会の信徒達の代表格であり、本来ならばレヴィアンはグレンの後継者となることを期待されていた人物であったが、月光修道会が主催する「神聖学術院」への留学から帰国すると同時に、なぜか(その経緯はブレトランドの光と闇4参照)ロザンヌと魔法師契約を交わしたことで、(エーラムと対立する聖印教会派の筆頭的立場でもある)グレンの後継者候補からは外されてしまった。
 だが、その後、ヴァレフール南西部のボルフヴァルド大森林の混沌浄化に尽力したことで実力と名声を得たこともあり、現在はグレンの本拠地であるイカロスの客将扱いで、グレン派の一翼を担う存在にまで成長していた。
 そんなレヴィアンの名代として、先日、ロザンヌが(両派の和睦交渉の一環として)公務でアキレスに向かおうとした際に、たまたま立ち寄ったオーバーハイムがランディ達による襲撃の対象となってしまったのである。同地から逃げてきた難民達の話によると、彼女は村人達を助けるために、今も村内に潜伏している状態らしい。
 その間に別の公務でイカロスを離れていたレヴィアンは、イカロスへ帰還したところでグレン(下図)からその話を聞かされて、愕然とする。そんな彼に対して、グレンは端的に問いかけた。


「お前は、これが本当にただの『傭兵団の暴走』だと思うか?」

 今すぐにでもロザンヌを助けに行きたい衝動に駆られているレヴィアンであったが、祖父があえてこのような質問を投げかけてくるということは、何か裏があると彼が考えているであろうことを理解し、ひとまず冷静に状況を分析しようとする。そんな彼に対して、グレンは「ヒント」を提示した。

「なぜ奴等はマキシハルトを放置して、オーバーハイムを攻めた?」

 ランディ達はマキシハルトの領主を殺した後、その地では殆ど略奪などをおこなわず、対立していたワトホート派(グレン派)の村であるオーバーハイムへと攻め込んできた。彼等が金銭問題で領主と揉めていたのであれば、まずマキシハルトで散々略奪の限りを尽くしてから、他の村を襲うのが自然であろう。

「確かに、不可解ですね」
「理由は何だと思う? 我々が、舐められているからか? それとも、彼等の中に、我々を倒したい理由があるからか?」

 彼等が完全にただの野盗と化しているのであれば、前者の解釈、すなわち「ケネス派よりもワトホート派の方が弱いから奪いやすい」という判断に至ったということになるであろう。だが、贔屓目抜きに考えても、まだ今のヴァレフールにおいて本格的に「敵に回したら危険」と思われるのは、ワトホート派の方の筈である(もっとも、彼等にそのような理性的判断が可能なのか、という問題もあるのだが)。
 一方で、後者に関しては、確かに潜在的には聖印教会とオブリビヨン達邪紋使いは宿敵であるものの、それはあくまで聖印教会側が敵視していたからであって、これまでにオブリビヨン側から聖印教会派に対して積極的に襲撃を試みたことはなく、状況によっては聖印教会に近い勢力に対して彼等が勝手に助力したこともあるため、あえて彼等の方からグレン派を思想的な理由で目の敵にするとは考えにくい(そもそも彼等は思想的に行動する者達ではない)。また、彼等にとって魅力的な(強奪したい)何かがあるとも思えない。だが、グレンの中ではここで、ある一つの仮説が思い浮かんでいたのである。

「もし後者だとしたら、その背後で誰かが糸を引いているとは思わないか?」
「確かに邪紋使いを暴走させるとなると、色々な可能性が考えられますね」

 単純に考えれば、最初に思い浮かぶのは、オブリビヨンと関係の深いと言われるパンドラなどの反社会組織であろう。だが、ここでパッと「具体的な名前」がレヴィアンから出てこないことに、グレンは失望する。

「お前は、バランシェで様々な『異界の戦術』について学んできたようだが、『戦略』まではまだ分かってはいないようだな」

 実際のところ、それについては机上の理論しか学んでいないレヴィアンに求めるのは酷である。しかも、ここで必要とされているのは「異界では通用しない、アトラタン独自の理屈」を前提とした特殊な国際ルールに基づく戦略であった。

「いいか? 今、ケネス達は自力でこの暴走した傭兵団を討伐しようとしているらしい。もし、ケネス達が奴等の討伐に成功した場合、その傭兵団を率いていた邪紋使い達からは、おそらくマキシハルトとオーバーハイムの領主達の聖印を吸収した混沌核が発生するだろう。それを奴等が手にした場合、この二つの村の領有権はどうなると思う?」

 村を治めるには相応の聖印が必要になる。領主が聖印を奪われ、それが混沌核の一部へと書き換わり、その混沌核の持ち主を別の君主が倒して浄化・吸収に成功した場合、その君主にその地の支配権が与えられるのが、この世界における一般的な原則である(くしくも、それはつい数ヶ月前にレヴィアンの目の前で、彼の学友の手によって引き起こされた状況だったのだが、彼は完全にそのことを失念していた)。

「なるほど、そういうことですか……」

 つまり、ランディ達をオーバーハイムへと誘導したのは、同地への勢力拡大を狙うケネスではないか、とグレンは考えていたのである。あるいは、暴走そのものが狂言で、全てケネスの命令通りにランディ達がワトホート派の領土を可能な限り切り取ろうとしているのではないか、という可能性までグレンは想定していた。

「今のところ真実は分からない。だが、そういうことを平気でやりかねない奴なのだ、ケネスという男は」

 それが、これまで彼の中で長年の対立の中で培われてきた経験則である。

「だから、そうなる前にお前がランディを倒し、混沌核はお前が浄化して、その聖印に取り込め。もし、オーバーハイムの領有権を巡って争いが起きて、そこでエーラムが間に入って裁定することになった場合、どう考えてもエーラムとは不仲なこちらが不利だ。だから、早急に我々の手でオーバーハイムを解放しなければならん。無論、それはお前でなくても構わんのだが、お前としても、今ここで黙っている訳にはいかないだろう?」
「言わずもがなですよ、爺様」

 今のレヴィアンにとっては、ヴァレフール内における勢力争いにはさほど興味はない。だが、自らの契約魔法師(にして最愛の女性)であるロザンヌが行方不明となってしまっている状態で、黙っていられる筈がなかった。

「ならば、我が精鋭部隊を連れていけ」

 そう言って、グレンは彼に、この討伐軍に参加させるために編成済みのイカロスの兵士達の一覧表を手渡す。それは(まだ騎士と呼ぶには至らぬ従騎士級ながらも)聖印を手にする騎士見習い達によって編成された、まさにイカロス軍内の少数精鋭の最強部隊であった。

「……よろしいのですか?」
「それくらい連れていかんと、どうにもならんだろう。何度も言うが、お前でなくてもいい。だが、お前がここで奴等をどうにかしないことには、お前自身も立つ瀬がないだろう」
「分かりました。ありがとうございます」
「ただ、そもそも我が傘下にはお前の契約魔法師のことを快く思っていない者もいるからな。その点は覚悟しておけ」
「やむをえませんね」

 レヴィアンはそう答えつつ、心の中でロザンヌの無事を祈りながら、急ぎ出立の準備を進めるのであった。

1.3. 隣村との因縁

 同じ頃、グレンから名指しで「黒幕」扱いされていたケネスから、タイフォンのトオヤに手紙が届いていた。内容は、まさにそのランディ率いるオブリビヨンの暴走についてである。

「今回の件は完全にこちらの失態だ。今後の新体制構築において、今ここでグレンに借りを作る訳にもいかないから、奴等はお前の手で討伐しろ。ようやくヴァレフールにも平和が戻りつつあるのだ。傭兵ごときにそれを邪魔されてはならん」

 その手紙を受け取ったトオヤは、すぐにチシャ、カーラ、ドルチェを集めて通達する。

「……という訳で、俺達はマキシハルトに向かわなければならなくなった」

 彼が一通りの説明を終えた上でそう告げると、カーラは露骨に憂鬱そうな顔をしながら、死んだような目でため息をつく。

「どうした、カーラ?」
「いや、あの、実は一度、そのランディって人に『勧誘』されたことがあるんだけどね……」

 数ヶ月前、ランディ率いるオブリビヨンの一部隊がマキシハルトへと配備される途中でタイフォンに立ち寄った際に、ランディは「カーラの本体」を一目見て気に入り、彼女がオルガノンであることを知ると、「オブリビヨンに入って、俺の剣になれ」と執拗に勧誘してきたのである。これまでにも、ゴーバン、ガフ、ゲンドルフなど、カーラの「本体」を欲した者達は幾人もいたが、その中でも彼のカーラを見る目は特に異常で、どこか狂気を帯びたような雰囲気で彼女に秘められた「破壊力」を求めていたようで、今思い出してみても心地が悪い。

「あの性格だと、むしろ討伐部隊が来るのを楽しみにしてるのかもしれない……。『戦争が無くなったら、戦争を起こそう』とか考えかねない奴だったと思うんだよね……」

 戦いに魅入られた邪紋使い達の中には、倫理観や損得勘定抜きに、ただひたすら強敵と戦うことにのみ生き甲斐を感じる者もいる。カーラの記憶の中のランディはまさにそのような戦闘狂の顔をしていたし、昔からオブリビヨンとはそのような狂戦士達の集団であるとも言われている。

「だとしたら、なおさら早く奴等を討伐しないとな。これ以上、ヴァレフールをかき乱されては困る」
「ま、道理だね」

 トオヤの発言に対して、ドルチェがそう言って頷く。そして実際、カーラとしても、このまま放置する訳にはいかないことも分かっていたので、どうにか自分の中の闘志を奮い立たせる。

「とりあえず、部隊長であるランディを倒せばどうにかなるだろうし、頑張るよ」
「よろしく頼む。チシャも、問題はないか?」
「そうですね。マキシハルトは私の義弟がいる街でもありますし……」

 チシャは心配そうな顔で呟く。マキシハルトには、エーラム時代の彼女の後輩であるサルファ・ロートが、研修魔法師として派遣されていたのである。領主フォラスの死に伴い、村に赴任していた正規の契約魔法師は早々にエーラムに帰国したが、サルファはまだ村に残っているらしい。サルファはまだ14歳だが、教師達からも将来を嘱望される俊英であり、チシャ同様に真面目で実直な性格のため、おそらく村に残って不安に怯える人々を助けているのではないかと予想される。

「なるほど、それは心配だな。では、早く準備を整えよう」

 トオヤがそう言ったところで、ドルチェが問いかけた。

「ところで、『レア姫』はどうしていることにしようか?」
「そうだな……。今回は『ここに残ってもらっている』ということにしよう」

 実際、ただの野盗討伐である以上、あえて彼女を連れて行く必然性はない。よって、今回はひとまず「彼女は領主の館の一角に留めているが、防犯の都合上、その場所は明かさない」という建前で、身の回りの世話をする使用人達には「今回は彼女の世話は別の者達に委ねているから」と伝えてごまかすことにした。最悪、それで不在が発覚したとしてもその時はその時でドルチェが変身して姿を現した上で「実は皆に黙ってこっそりトオヤ達に同行していた」と言ってごまかせば良い。相手を魅了する能力に長けた「幻影の邪紋使い」のドルチェにとっては、その程度の「言いくるめ工作」はお手の物である。
 こうして、トオヤ、チシャ、カーラ、ドルチェの四人は、それぞれの部隊に出撃の命令を下す。それと同時に、(なりゆきで、まだこの地に逗留していた)ガフ・アイアンサイド率いる傭兵団も、彼等と共に随行することになった。

2.1. 姉と弟

 翌日、レヴィアン・アトワイトに率いられたイカロスの精鋭騎士団は、イカロスとオーバーハイムの間に位置するダイオード村に到着する。この地の領主はレヴィアンの実姉のマルチナである(下図)。レヴィアンが半勘当状態となった今、いずれグレンに代わってイカロス領主の座を引き継ぐ後継者となるのは彼女であるとみなされていた。彼女は村の南方に設置された簡易砦にて、レヴィアンを出迎える。


「お爺様から話は聞いているわ。オーバーハイムを攻めるなら、ひとまずこの村を拠点にするのが良いでしょう」

 彼女は19歳。レヴィアンとは対照的に聖印教会の敬虔な信者であり、トオヤやファルクなどと同じ「仲間を守る力」に特化した聖印の持ち主である。その聖印の性質上、これまでに大将首を取るような華々しい戦果には恵まれてこなかったが、堅実かつ冷静な戦場での働きぶりには定評があった。

「ところで、今回の討伐隊、どうして私ではなくあなたに討伐命令が下ったと思う?」

 マルチナは弟に対してそう問いかける。今の状況を考えれば、本来の最前線指揮官はマルチナである。以前からマキシハルトにオブリビヨンが駐屯していることは当然彼女も知っていたし、内戦発生時にオーバーハイムが突破された時のことを想定して、対邪紋兵団用の準備も入念に整えていた。にも関わらず、帰国してまだ間も無く、対人戦闘の経験も乏しいレヴィアンをあえて彼女に代わって討伐隊の指揮官に命じたことには、何か理由がある筈である。

「エーラムが絡んでくる可能性があるから、でしょうか?」

 レヴィアンはそう答えた。確かに、エーラムの魔法師であるロザンヌが行方不明となっている状態であれば、君主達との思惑とは別次元で、エーラムが独自に救出活動をおこなう可能性はある。まして彼女はエーラムの名門アルティナス家の一員である。当代随一の実力者とも言われる義兄グライフあたりが密かにオーバーハイムに潜伏している可能性も十分にありうるだろう。そう考えると、エーラムとの関係が微妙なマルチナよりもレヴィアンの方が、彼等と遭遇した時に対応が取りやすい(なお、当然のことながら、マルチナには契約魔法師はいない)。

「それもあるわね。他にも色々理由はあると思うわ。純粋にあなたに期待している気持ちもあるでしょうし、万が一、後継ぎである私が戦死してしまったら困るという思惑もあるでしょう。それに、お爺様としては本音ではエーラムの魔法師が死んでもどうでもいいと思ってるでしょうけど、『イアン様の妹君』を見殺しにする訳にもいかない。だから、少なくとも『あなたが命がけで助けに行った』という建前は必要なのよ」

 無論、レヴィアンにとってはそれは決して「建前」ではない。彼女はそのことを察した上で、あえてそのまま話を続ける。

「少なくとも、今のあなたがいなくなっても、代わりは『ここ』にいる。だから、あなたは安心して、死ぬ気で助けに行って来なさい」
「お言葉感謝します、姉様」
「魔法師を助けるために死ぬことは、教会としては褒められた生き様ではないけれど、愛する者を助けるために死ぬことは、唯一神様も咎めはしないわ」

 「全て」を察しているかのような姉のその言葉に対しては、レヴィアンはあえて言葉では何も言わぬまま、黙って微笑みで返す。

「今のところ、彼等はダイオードに攻め込む気配はない。だから、彼等の目的はまだ分からないわ。あの地に留まり続けることに意味があるのか、どこかからか援軍が来るのを待っているのか、その援軍がどこから来るのかも分からないけど……」

 もし、グレンの憶測が正しければ、ケネス側から更なる援軍が到着する可能性は否定出来ない。仮にそうではなかったとしても、もし彼等の背後にパンドラがいた場合、時空を捻じ曲げて援軍をあの地に出現させる可能性もありうる。

「とはいえ、あなた一人で行かせるのも不安だし、ウチのベルカイルを連れて行きなさい」

 彼女はそう言うと、傍らにいた青年騎士を呼び寄せる。彼の名はベルカイル・ストーンウォール。マルチナの副官であり、彼女と同じ「守備特化型聖印」の持ち主である。これまでのマルチナ隊が経験してきた戦場において隊員達の犠牲がほぼゼロだったのは、マルチナと同等以上に彼の功績が大きいと言われている


「マルチナ様のご命令とあらば、謹んで拝領致します」

 レヴィアンにとっては、この上なく頼もしい助っ人である。ただ、それでも戦力的にはまだ十分とは言えない。時間をかけて着実に撃退するのであれば十分に勝機はあるが、レヴィアンとしては一刻も早くオーバーハイムに乗り込んで、ロザンヌを救い出したい。オーバーハイムの北側にはそれほど堅牢な防壁が築かれている訳ではないが、それでも村を占領した状態の彼等に対して外から攻め込むなら、出来ればもう少し戦力がほしいところではある。

「もちろん、あなたが望むのであれば、私もあなたに同行することは出来る。自分一人でどうにかしたいのなら、そう言ってカッコつけてくれてもいいし、お姉様の力が必要だというなら、素直にそう言ってくれてもいいのよ」

 あえて挑発するようにそう言ったマルチナだが、レヴィアンは冷静に答える。

「とりあえず、まずは状況を確認させて下さい。爺様は、ケネス団長がオーバーハイムの解放を謳いつつ、その占有を目論んでいるのではないかと疑っていますが……」
「十分にあり得る話ね」
「ひとまず、騎士団長派の動きを確認するために、偵察を出しましょう」

 もし、オーバーハイムの後方に更なる援軍が控えているのだとすれば、それはマルチナだけでなく、周辺のグレン派の諸侯にも協力を仰ぐ必要がある。逆に、騎士団長側が早急に討伐を敢行しようとしているのなら、彼等と連携した上で討ち果たす方が効率が良いだろう。無論、それは彼等の側に「協力する意思」があればの話であるが、その点を確認するためにも、まずは偵察が必要だと考えていた。

「分かったわ。それならちょうど今、適任の人材が中央から派遣されてきたところだから、彼に任せましょう」

 マルチナはそう言って、一人の男を呼び寄せる。それは、君主でも魔法師でも邪紋使いでも投影体でもないにもかかわらず、ヴァレフール随一の諜報能力を誇り、そしてケネス派(更に言えばトオヤ達)との間にも人脈を有する「あの男」であった。

2.2. 義姉と義弟

 一方、ほぼ時を同じくして、トオヤ達もまた無事にマキシハルトに到着していた。領主が不在となったことで、村にはどことなく荒廃した雰囲気が漂ってはいるが、思ったほど混乱はしていない。村の人々から話を聞いたところ、オブリビヨンの面々はオーバーハイムへと向かう直前に若干の武器や食料を村人達から強奪したものの、本格的な略奪には至る前に出撃し、そのまま戻って来ていないという。
 そしてトオヤ達が村に異変が起きていないかを確認するために住宅地を一軒一軒確認しているところで、この状況で秩序を保とうと奔走しているサルファ(下図)の姿を発見した。それと同時に、チシャが駆け寄る。


「無事なようで良かったです」
「姉さん、お久しぶりです!」
「お久しぶりです。今の状況はどうなってますか?」
「既に話は聞いているとは思いますが、オブリビヨンの暴走で、君主のフォラス様が殺されてしまい、フォラス様の契約魔法師様もあっさりと帰国されてしまいまして……」
「まったく、無責任な……」

 チシャは呆れた顔でため息をつくが、実際のところ、それはエーラムの魔法師の行動原理としては間違っていない。彼等はあくまで「君主との契約」に基づいて村を守っているのであり、君主の死によってその契約が無効になった時点で、魔法師には村の人々のために尽くす義務はない。その点に関して言えば、実はサルファも(彼を研修生として雇用していたのは領主のフォラスであったため)残る義理はないのだが、それでも彼はあえてこの地に留まり続けた。

「領内に誰もいなくなってしまったからこそ、今、僕がこの村を見捨てる訳にはいきません。それに……」

 彼はそう言いながら、チシャをチラッと見て、頬を紅潮させながら目をそらす。

「な、なんでもありません!」

 その様子から、カーラとドルチェは概ね事情を察したが、当のチシャは怪訝な表情を浮かべながら首をかしげる。そして、彼女と同様に鈍感さには定評があるトオヤもまた何も気付かないままサルファに問いかけた。

「ところで、ちょっと事情を確認させてほしいんだが、その前に、混沌の具合はどうだ?」
「混沌濃度は、君主が不在となったことで少し上がってはいます。それほど支障が出るほどではないですが」

 一応、サルファの力で一時的に濃度を下げることは出来るが、やはり長期的には君主不在の状態のまま放置しておくには限界がある。

「では、あとで村を案内してくれ。俺の聖印で、村の混沌を鎮める必要があるからな」
「分かりました」

 一方、カーラは、そんなサルファの周辺を護衛していた衛兵達に、オブリビヨン達がどのような様子だったのかを問いかける。すると、意外な答えが返ってきた。

「いやー、なにせ突然だったからねぇ。俺達もびっくりしちゃってさぁ。大体あいつら、なんで急にブチ切れたんだか、訳分かんないんだよ。あの日の数日前までは、あいつらは普通に『次の任地はどこだろうな』とか、笑いながら話してたんだ。自分達が解約されることはもう分かってて、それを受け入れてたっぽかったのに、なぜか突然、契約更改の席でブチ切れて領主様をぶっ殺した、ということらしいんだけど……」

 当初、トオヤ達は(そしておそらくケネス達も)オブリビヨンは突然の契約解除に反発して雇い主を殺したのだと考えていた。だが、この兵士の話が本当なら、その仮説の前提が覆る。横で話を聞いていたドルチェは、首を捻りながら思案を巡らせる。

「それは妙だね……。だとすると、一つの考えられる可能性として、あくまで契約解除のことは建前で、他に何か領主を殺したい理由があったのか……。もう一つ質問しよう。彼等は事件を起こした後、すぐにオーバーハイムへ向かったのかい?」
「そうだな。そりゃあ、俺達も君主を殺されて黙ってる訳にはいかないから、仇を討とうとはしたけど、あっさり蹴散らされて、そのまま奴等はすぐにオーバーハイムに向かった」
「あっさり蹴散らされて、か。仮にそのまま戦い続けたとして、君達に勝算はあったかい?」
「まぁ、ないだろうな。しかもあの時、ランディはこれまで俺達に見せたことがない『黒い巨大な剣』を持ってた。あいつは村の中で演習をしていた時は『邪紋から取り出した小さな片手剣』で戦ってたんだが、その大剣を振るっていた時の奴は、前よりも更に強くなっていた」

 ケネスの手紙に書いてあった内容によれば、ランディは「悪魔の力を模倣して戦う邪紋使い」である。その邪紋の持ち主達は(ゴーバンが聖印から大剣を生み出すのと同様に)邪紋から武器を作り出すことが出来るが、複種類の武器を作り出す者の存在は(少なくともドルチェは)聞いたことがない。いつもとは異なる武器を持っていたのだとすれば、その武器の存在が鍵なのかもしれない。彼がカーラをオルガノンと知った上で執拗に勧誘していたことを思えば、その大剣もオルガノンである可能性は十分にあるだろう。もしかしたら、そのオルガノンこそが黒幕なのかもしれない。

2.3. もう一人の邪紋使い

 村の様子を一通り確認した上で、サルファは空き家となった領主の館にトオヤ達を案内する。サルファは混乱した村人の支援を優先していたため、館の中は彼等が暴れた当時のままで、壁や床には血糊がこびりついている。さすがに死体は片付けられ、裏庭の墓地に埋葬されたらしい。そこには、領主のフォラスだけでなく、共に殺された彼の家族達の簡易墓標も立っていた。
 ただ、その中で一人、トオヤが知っている筈の人物の名前だけが欠けていた。領主の長男のビートの墓標だけが、そこには立っていなかったのである。ビートはトオヤより2歳年上の19歳で、本来ならばフォラスの後継者候補とされていた騎士だったが、酒色に溺れ、乱行を積み重ねた結果、数年前に懲罰として聖印を剥奪されて出奔した後、諸々の経緯の末に「武器と自分の身体を一体化させる邪紋使い」として再起することになった人物である。
 人格には難があるものの、剣の腕は一流だったこともあり、人材不足のケネス派は彼の才能を高く評価し、対ワトホート派の最前線である彼の実家のマキシハルトに武官として復帰することになった。サルファの説明によれば、今回の騒動の中で、館の中に住んでいたフォラスの家族が軒並み殺されている中で、そのビートの遺体だけが見つかっていないらしい。
 このことに関して、サルファはこう語る。

「ビート様は日頃は無口ですが、酒が入ると饒舌になる人です。ランディとビート様は、仲が良いのか悪いのかよく分からない関係でした。酒の席で喧嘩することもあれば、意気投合することもある、悪友のような関係といいますか……、その前日の夜も、ランディとビート様は酒を飲みながら言い争っていたようですが、何が原因で、どこまで本気の争いだったのかは分かりません」

 この状況でビートの遺体だけが見つからないということは、当然、ビートがランディの反乱に協力している可能性は考慮すべきだろうが、少なくともサルファや兵士達が見た限りでは、彼等の中にビートの姿は見当たらなかったという。
 ちなみに、ビートの武器は大剣である。兵士達の話によれば、ランディが持っていた大剣はビートの大剣よりも更に巨大な形状であったらしいが、この世界では混沌の力で武具の形状が変化することも珍しくない以上、それがビートから引き継いだ大剣である可能性も十分に考えられるだろう。

「そういえば、ビート様は一度勘当されるような形で家を出ていることもあって、ご家族との仲は良好とは言えないものの、御自身の立場も考えた上でのことなのか、あまり為政の方針に口出しすることはありませんでした。ところが、そのビート様が1ヶ月ほど前から、なぜか急にワトホート派との和平成立に対して反対するようになったのです」

 その話を聞いたところで、カーラの脳裏に一つの仮説が思い浮かぶ。

「だとすると、契約解除を言い渡されたことで、ランディがビートさんに乗り換えたのかもしれない。領主を殺したのもその一環かも」

 ランディ達は表向きでは契約解除に納得していたようなフリをしていても、本心がどうだったかは分からない。また、仮に一旦は納得していたとしても、ビートから反乱を提案されれば、その場の勢いで彼に協力することはあり得るだろう。オブリビヨンとはそのような集団である。

「ただ、ビート様は確かに武人として戦いの場を求めようとする傾向はありましたが、オブリビヨンほどの戦闘狂ではなかったです。後先考えずい暴れまわるだけの暴乱を自ら率先して引き起こすとは考えにくいかと」

 今の状況のままでは、一時的に一つや二つの村を占領したところで、いずれは本腰を入れた討伐軍によって殲滅されることは目に見えている。無論、彼等の背後で協力を約束している外患が存在するならば話は別だが。

「もしかしたら、ビートさんの考えが分かったかも知れない」

 唐突にトオヤがそう呟いた。

「ほう?」

 ドルチェが興味深そうな顔で視線を向ける。

「ここで和平が成立することで、ヴァレフール国内で聖印教会の力が強まることを警戒したのかもしれない。喧嘩友達だったオブリビヨンが、和平の成立によって排斥されることが、彼の中では納得出来なかったのかも……」

 あくまでビートとランディがそこまで深い友好関係であれば、という前提の話であるが、これに対して、カーラとチシャも付言する。

「加えて言うなら、今の彼も『排斥される側』だよね」
「邪紋使い、ですからね」

 更に言えば、本来ならば君主となる筈だったにもかかわらず「君主失格」の烙印を押された後に自ら望んで(?)邪紋を刻んだビートという人物は、聖印教会の教義に照らし合わせて考えても、相当に罪深い存在である。聖印教会の信者達の中でも、混沌災害の結果として、本人の意思と関係なく邪紋使いとなってしまった者に対しては同情する者も少なくないが、戦いを求めて自ら邪紋に手を染める者達への嫌悪感は極めて高い。つまり、聖印教会派が国政の主導権を握るようになれば、ビートは真っ先に宗教的粛清の対象となりかねない存在なのである。

「まぁ、あくまで僕が勝手に推測していることだから、何とも言えないんだけどね。この考えが正しければ、聖印教会側のオーバーハイムに殴り込むことも納得出来る。でも、オーバーハイムに留まっている理由にはならないんだけどね。もしかしたら、まだ僕らが知らない事情があるのかもしれない」

 だが、この仮説に対して、カーラは微妙な違和感を感じる。

「だとしたら、マキシハルトの領主を殺さずに、まだ契約が残っている状態で攻め込んだ方が、より大きな火種になったと思うんだけど」

 確かに、両派の和平を邪魔したいのであれば、むしろ堂々と「ケネス派」を名乗って勝手に攻め込む方が効果的だろう。ケネスがそれをいくら否定したところで、攻め込まれた方としては不信感は拭えなくなる。

「そうだな。だから、あくまで推測だよ。そう思ったのには、僕の感傷もあるんだけどね」

 自分に置き換えて考えてみた場合、邪紋使いとの関係という意味においては、確かにトオヤも他人事ではない。彼はヴァレフールの内乱は一刻も早く終わらせるべきだと思っていたが、聖印教会の勢力が強くなりすぎて、邪紋使い全般を排斥すべきという考えが広がることには(一人の邪紋使いを本気で愛してしまっている身として)絶対に賛同出来ない。グレンに関してはパペット(ドルチェ)を影武者として活用することを容認している以上、そこまで極端な考えを主張することはないだろうが、彼の周囲には過激な信徒も少なくない。長期的に見て、聖印教会の過度の勢力拡大に対しては、一定の警戒心を抱かざるを得ないのである。
 とはいえ、今の時点では憶測にすぎないことをこれ以上議論しても仕方がない。そう考えたトオヤは、話題を切り替えた。

「それと、サルファ殿、お勤めご苦労様でした」
「は、はい!」
「もうしばらく、君にこの地を任せることになるかもしれません」
「それはもちろん! まだ研修中の身ですが、出来る限りのことはしたいと思います」
「すまない、よろしく頼む」

 トオヤがそう言ったところで、チシャも軽く頭を下げる。

「私からもよろしくお願いします」
「はい! あの、これ、僕が調合した魔法薬です。もしよろしかったら、持って行って下さい」

 そう言って彼は、手製の魔法薬を渡す。彼の専門は錬成魔法であり、戦場でも自力で魔法薬を作り出すことが出来る。それが、まだ未熟ながらも実質的な最前線であるこの地に派遣された理由でもあった。もっとも、サルファの側にしてみれば、彼は彼で、赴任先としてマキシハルトを選んだことには別の理由もあったのだが、その理由の原因となった張本人は全く気付かぬまま、義弟の作り出した魔法薬の精度に素直に感心していたのであった。

2.4. もう一人の諜報要員

「ところで、人員を他の村からも派遣するように要請することは出来ないのかい?」

 カーラが全体に対してそう問いかけたのに対し、ドルチェがサルファに改めて確認する。

「そうだね。イカロス側からの動きはないのかい? まさに今、彼等は襲われている側だよ」
「おそらく、向こうからも討伐隊は出ていると思います。ただ、情報が入って来ません。彼等の陣営には魔法師がいなくて、魔法杖による通信が出来ないので」

 この点は、やはり聖印教会派の弱点である。聖印教会の信者でありながら魔法師を雇っている君主もいない訳ではないが、残念ながらイカロスの近辺には不在らしい。
 トオヤは厳しい顔を浮かべながら、今のこの状況を分析する。

「仮に彼等が討伐しようとしているにしても、ここは彼等だけに任せる訳にはいかない。ここで彼等だけに解決されてしまうと、和平交渉の時に難癖をつけられるかもしれないからな」

 前述の通り、聖印教会派に過度の妥協を許さないためにも、自分達の不始末の処理を彼等だけに押し付ける訳にはいかないのである。それについては(トオヤにそう思わせている最大の原因でもある)ドルチェも同意する。

「そうそう。どちらか片方だけで解決してしまうのは良くない。僕としては、両陣営が協力して解決するのが理想だと思っているんだ」
「まぁ、そうだな」
「せっかくだから、この事件を解決するついでに、両陣営をちょっとでも仲良くさせよう、くらいのことを考えてもいいんじゃないかい?」
「確かに。とはいえ、少々時間の問題もあってな。オーバーハイムに留まっている連中に時間を与えすぎる訳にもいかない」

 そのためには、ここで彼等と連携を取るために時間を費やす訳にもいかない、トオヤがそう考えていたところで、改めてサルファが口を開いた。

「せめて、最近アントリアから帰ってきたレヴィアン様の契約魔法師と連絡が取れれば良かったんですが……」

 魔法師同士といえども、面識のない人物と通信は出来ない。「レヴィアンの契約魔法師」はこの地に赴任して間もないため、反体制派の諸侯の魔法師とは殆ど接点がないのである(むしろ、その接点を作ることもまた今回の彼女の公務の一つの目的だった)。彼女と同じヴァレフール貴族家出身のチシャは、留学前の時点では何度か面識はあるが、エーラム時代にはほぼ交流がなかったため、魔法師としての彼女の魔法杖と連絡をとるための登録を互いに交わしていないのである(ロザンヌが召喚魔法科の講義を受講するようになったのはチシャの就職後であった。ちなみに、錬成魔法だけは彼女はまだ習得していないため、サルファとはそもそも接点がない)。
 だが、ここで一つカーラが機転を思いつく。

「チシャお嬢、イアン様の契約魔法師経由で連絡取れないかな?」

 確かに、イアンの契約魔法師とはクーンの騒動の時に会っているため、チシャから連絡は可能である。そして、実妹であるロザンヌがイアンの契約魔法師との間で通信登録をしていないとは考えにくい。直接連絡が取れなくても彼を経由して状況を確認することは出来るかもしれない。

「分かりました。やってみます」

 チシャはそう言って、イアンの契約魔法師への連絡を試みる。

 ******

 だが、数刻後に帰ってきた連絡は、期待に反する内容であった。

「ロザンヌ様との通信が繋がりませんでした」

 それがイアンの契約魔法師からの返答である。魔法杖通信が通じない理由としては、色々な可能性が考えられる。彼女が現時点で魔法杖を持っていない(奪われている?)か、通信が傍受される可能性を考慮して切っているか、魔境などの混沌の力で通信が遮断されているのか、あるいは純粋に多忙すぎて出られない状態なのか。ただ、イアンの契約魔法師から、最近のロザンヌは公務として単身で各地の諸侯を回っていることが多いという話を聞かされたトオヤ達は、彼女が今のオーバーハイムにいるのではないか、という仮説に辿り着く(現時点で他に非常事態が発生していそうな地域は、トオヤ達が知る限りは存在しない)。
 その上で、カーラは最悪の事態も想定する。

「もしかして、オーバーハイムが魔境化している可能性もあるのかな……」

 邪紋使い達の暴走が混沌の暴走によるものだとすれば、それも十分に考えられる話である。その可能性も踏まえた上で、ドルチェがあえて提案した。

「一つ提案なんだけど、『向こう側』の兵の動きを知りたいから、僕が先行してオーバーハイムに行きたい。互いに相手が分からない状態で挟撃した場合、一番危惧すべきは同士討ちだからね」

 この場合の「向こう側」とは、グレン派のことであろう。あっさりとそう言った彼女に対して、トオヤは表情を歪め、その横でチシャも困った様子で呟いた。

「適任ではあるんですけどね……」

 確かに、トオヤ軍の中で諜報に関しては彼女の右に出る者はいない。そして、彼女のその能力を活かすには、彼女一人で行かせるのが一番成功率が高い(部下や仲間を連れて行っても、おそらく足手まといにしかならない)。だが、それでも魔境化しているかもしれない村に彼女を一人で送り出すというのは、どうしても躊躇してしまう。
 苦渋の表情を浮かべながら、トオヤは釘を刺す。

「君の力を信用していない訳ではないんだが、それは必ず帰って来れるんだな?」
「もちろんさ。僕を誰だと思っている?」

 確かに、彼女は今まで無事に帰って来なかったことはない。しかし、だからと言ってそれが、絶対の安全を保障出来る訳でもない。トオヤは深いため息をついた上で、改めて念を押す。

「分かった。じゃあ、任せる。その代わり、一つ誓いを立ててほしい」
「ほう? なんだい?」
「必ず帰って来てくれ」
「あぁ、ここに誓おう。必ず、『大切な君』の元に帰ってくるよ」

 他の仲間がいる前で堂々とそう言われたトオヤの表情は、明らかに動揺していた。

「あ、は、はい、ありがとうございます」
「どうしたんだい、トオヤ? 顔が強張っているよ」
「あ、いや、なんでもないです」

 そんな二人の様子を見ながら、チシャは「あー……」という声が溢れそうな顔を浮かべ、カーラはいたたまれない表情で視線をそらす。
 こうして、ドルチェはひとまずオーバーハイムの様子を確認しつつ、状況によってはそのままダイオードまで行くことまで想定した上で、3日以内に彼女が帰って来なかった場合はトオヤ軍は単体でオーバーハイムに攻め込む、という段取りで合意に至る。そして、トオヤ達も少しでも早く突入出来るように、マキシハルトの防衛のためにガフの傭兵団を配置した上で、自分達は軍を率いてマキシハルトとオーバーハイムの中間地点あたりまで進軍して陣を構えることにした。

2.5. 百面相と無面相

 ドルチェが単身オーバーハイムに潜入すると、そこは明らかに荒廃した様子であった。露店は荒らされ、住民達は暴行を恐れて家に閉じこもり、広場ではオブリビヨンと思しき者達が酒瓶を片手にフラつき回っている。元来は聖印教会の影響力の強いこの村だが、礼拝堂は破壊され、修道院と思しき建物はその扉が固く閉ざされている。
 ひとまず近くにいたオブリビヨンの兵士の一人とそっくりな姿へと変身した彼女は、村を占領している彼等の様子を確認する。

(そこそこの数がいるな……)

 ざっと見た限りでは、トオヤが連れているタイフォン軍とおそらく同数程度に思えるが、彼等は兵士の大半が多かれ少なかれその身に邪紋を刻んでいる精鋭揃いであり、邪紋も聖印も持っていない一般兵を率いて同数で正面から戦うには、かなり厳しい相手である。
 そんな中、彼女は村の中を歩いていた一人の男と、ばったりと目が合う。それは何の変哲もない、どこにでもいそうな極普通の一般人にしか見えない風貌であったが、彼はなぜか(オブリビヨン兵の姿をした状態の)ドルチェをじっと凝視しているように見えた。すると、ドルチェは睨みつけながらその男に迫って行く。

「あぁ? なんだそこのお前! 何こっち見てんだよ!?」
「いえ、あなたの物腰から、懐かしい何かを感じたので。私の記憶違いならばいいんですが」
「何ふざけたこと言ってんだ!? この天下のオブリビヨン様によぉ! てめぇ、ちょっと気に入らねえな! ツラ貸せや!」
「あー、お手柔らかにお願いします」

 そう言って、「オブリビヨンの兵士」はその男を路地裏に引きずり込み、そして「ドルチェ」の状態へと戻る。

「で、こんなところで何をしていたんだい?」

 ドルチェにそう問われたその男は「やはり」と言いたそうな顔を浮かべながら答える。

「それはこちらが聞きたいところなのですが、まぁ、大体予想はつきます。『私の方』ではあなたがここに派遣されるとは聞いていない。つまり、あなたは『向こう側』から来たのですか?」

 そう言いながら、彼は南西方面を指差した。

「ま、そういうことさ。同じ台詞を返すよ。君は向こう側からだね」

 ドルチェは北を指す。

「えぇ。あの人達は、立場上、『あなたのような方』を使う訳にはいきませんから」
「それもそうか。それならば『君のような人』が派遣されるのも理にかなっているね」

 一般市民のような風貌のその男は、特徴のないその顔でにっこりと微笑む。彼の正体はリチャード・ロウ。以前、クーンの城下町でドルチェとは一度遭遇済みの「顔のない男」である。彼はあの時点では騎士団長派の一員として諜報活動に従事していたが、本来はどちらの派閥に属している訳でもないようで、今回はグレン側の諜報要員として、レヴィアンの密命を受けてこの地の調査に潜伏していたのである(魔法や邪紋が使えるわけでもない彼がドルチェの変装を見破れたのは、純粋に「同業者」としての類稀なる直観力の賜物だろう)。

「では、単刀直入にお聞きしますが、そちらの指揮官は?」
「トオヤ・E・レクナ。知ってるかい?」

 知ってるも何も、クーンで直接会っている身としては、言わずもがなである。また、仮に面識がなかったとしても、今このヴァレフールの中でトオヤの名を知らない者などほぼ皆無なほど、彼の名は人々の間に浸透していた。

「なるほど。概ね予想通りです。こちらは、アトワイト家のレヴィアン様が、この街を解放するために兵を率いてダイオードで待機している状態です。レヴィアン様としては、今現在、あの方の契約魔法師のロザンヌ様がそちらに向かう途中のこの村で消息を絶ってしまったようで、それについても何か情報を得たいと考えているようですが」
「なるほどね。彼女については、こちらも持っている情報は多くない。ただ、こちらの魔法師が彼女と魔法杖通信を試みたけれど、通じなかったらしい。理由は分からないけど」
「そうですか。この街の人々から聞いた話によると、どうやら彼女は、一般の村人の方々を北に逃すために、自ら囮になってオブリビヨンの傭兵達の目を引きつけていたらしいのですが、彼女の姿を見た途端、傭兵達の指揮官が目の色を変えたと言ってました。それ以降、彼女がどこにいるのかを村の中で躍起になって探し回っているらしいです」

 「傭兵達の指揮官」が誰を指しているのかは不明だが、おそらくはランディのことであろう。あるいは、彼と行動を共にしている(可能性がある)ビートなのかもしれないが。

「それが、彼等がこの村から動かない理由かい?」
「どうやら、そうみたいですね。個人的な恨みでもあるのか、あるいは、彼等にとって彼女が何か重要な人物なのか、そのあたりはまだよく分かりませんが」
「貴重な情報ありがとう。とはいえ、自分は諸般の事情から、この場から生きて戻ることが最優先なんで。残念ながら、危険を冒してまで彼女をここで探してやる義理はない」
「そうでしょうね。で、あなたとしては、この街の情報を調べに来た、ということでよろしいですか?」
「あぁ。こうして君と話が出来た時点で、もう十分及第点だけどね。君達の方からも部隊が来ているだろうと思って、そちらと連携が取れたらいいな、と思っていたんだ」
「なるほど」
「ここで君と何か一つ合図でも決めてトオヤ達の元へ戻れば、僕の仕事としては合格だろうさ」
「つまり、そちらとしては、ダイオード側と連携してこの問題を解決したい、というのがそちらの意思だと?」
「あぁ」
「それに対して私がどうこう言うべき立場ではありませんが、私がそのことを向こうに伝えたとしても、それを向こうが信用するかは分かりません」

 リチャードは本能的に、ドルチェが言っていることが本当であることを見抜いていた。また、トオヤと実際に面識があり、その背後にいるケネスのこともよく知っている彼の視点から見れば、ここでケネス達がレヴィアン達を罠に嵌めようとしているとは(リスクとリターンのバランスを考えた上で)ありえないと考えていたが、彼の今の雇い主達が同じように考えるとは限らないし、そのような(あくまでも感覚的な予想でしかない程度の)助言を伝えるべき立場でもない。

「ふむ、それなら、予定通りにこのままオーバーハイムを抜けて、君達の陣地まで足を伸ばさせてもらうことにしようかな」
「ほう? しかし、それはそれで向こうがあなたを信用するかどうか、という問題はありますね」

 聖印教会の人々相手では、邪紋使いというだけで、胡散臭い目で見られることは間違いない。もっとも、グレンは彼女の存在を容認している立場なので、彼を介すればドルチェ自身に悪意が無いことは証明出来るだろうが、今回の交渉相手はあくまでもレヴィアンとマルチナであるし、そもそもリチャードはそこまでの関係性を知らない。

「レヴィアン様に関しては、グレン様の孫でありながら、聖印教会とはあまり仲が良く無さそうなので、あの方は邪紋使いであっても受け入れるかもしれませんが……、とりあえず、私が一筆書きましょうか?」
「まぁ、それで信じてもらえるかどうかは分からないけど、それでも最善は尽くすべきだね。お願いするよ」
「であるならば、私もそちらの陣地に行った方がいいかもしれませんね。一応、私もトオヤ様とは面識はありますので。まぁ、私のような『百回見ても忘れそうな顔』の者のことを覚えているかは分かりませんが」

 それこそが彼にとっての強みでもあるのだが、味方相手にもその「特異能力」が通用してしまうのは、いささか困りものでもある。

「じゃあ、こちらからも、彼に信用してもらえるように、これを持って行ってよ」

 そう言って、ドルチェはいつもつけているネクタイを彼に渡す。リチャードはそれを受け取った上で、懐から取り出した紙片に「この者は間違いなくトオヤ・E・レクナの部下の者です」と書き記して渡した上で、互いに「対立陣営」の本陣へと向かうのであった。

2.6. 副団長の孫と百面相

 先に到着したのはドルチェであった。さすがに、身体能力に関しては一般人のリチャードでは勝負にならない。

「何者だ!?」

 当然のごとく兵士達にそう問われたドルチェは、単刀直入に答える。

「タイフォン領主トオヤ・E・レクナの使いの者だ。オブリビヨンによるオーバーハイム占領事件について、そちらの指揮官殿にお話がある」

 その申し出に対し、兵士達は戸惑いながらも、ひとまず指揮官であるレヴィアンを呼ぶ。彼は半信半疑ながらもドルチェを簡易砦の内側に入構させ、マルチナも同席した上での対談の場を設けることになった。

「お初にお目にかかります。指揮官のレヴィアン・アトワイト様とお見受けしますが」
「いかにも。私が副団長からオーバーハイム解放を任されたレヴィアン・アトワイトである」

 慣れないながらも堂々とした口調でレヴィアンがそう返すと、ドルチェは「オーバーハイム解放」という言葉に反応して微笑を浮かべながら、こう告げる。

「なるほど。こちらの指揮官のトオヤも同じ考えだ。オブリビヨンによるオーバーハイム占領を重く受け止め、軍を出している。その点に関して、互いに思うところは同じだろうと思って、私が派遣されてきたという訳だ」

 それに対して、横からマルチナが口を挟む。

「トオヤ殿の使いということだが、そもそもどうやって突破してきた? オブリビヨンが占領している中、そう易々と突破出来るとは思えんが」

 当然、彼女のことを知らない者達から見れば、トオヤからの使者を装った「オブリビヨンによる罠」という可能性も考えられる。

「君達の前でこの技を使うと怒られるかもしれないが、私はこういう者でね」

 そう言って、彼女はその身を、傍らにいたマルチナ配下の「一般兵士」の姿に変身させる。その場にいる者達が戸惑う中、レヴィアンは淡々と状況を理解する。

「なるほど。幻影の邪紋使いか」
「おぉ、よくご存知で」

 邪紋使いの中でも、彼女のように姿を変える者は珍しい。聖印教会の信徒でそのことを知っているのは、さすがに学術機関への留学経験のあるレヴィアンくらいだろう。
 これに対して、マルチナはドルチェに背を向ける。

「そういうことなら、私は見なかったことにしよう」

 そう言って、彼女はそのままその場から退席して行った。グレンの後継者となる身としては、邪紋使いを相手に公的な交渉を続行するのは望ましくない以上、この場は「黙認」が最善手であると判断したのである(それは、彼女の祖父のドルチェやパロットへの対応と同様であった)。

「賢明な判断だね。あ、そうそう、幸運にもオーバーハイムで君達から派遣された者と出会って、こんなものを預かった」

 そう言って、ドルチェはリチャードから預かった「一筆」をレヴィアンに見せる。

「なるほど。それなら信用して良さそうだな」
「リチャード殿も今、我が主トオヤの元へ向かっている。そろそろ向こうにも話が伝わっているんじゃないかな。さて、ここまでの事情を説明した上で、改めて問いたい。この度の討伐、我々と共同戦線を張ってくれる気はないかね?」

 このドルチェの提案は、今の自分達の戦力だけでは心許ないと考えていたレヴィアンの本音としては願ったり叶ったりなのだが、彼はここでどう返答すべきか、しばし熟考する。
 グレンからは「ケネス派にオーバーハイムを占領されないよう、お前の手で倒せ」と言われてはいるが、レヴィアンの聖印は本来その特性的に「大軍を指揮するための能力」であって、精鋭揃いとはいえ一部隊だけで敵軍と戦うには向いていないことは、グレンも分かっている筈である。にもかかわらず、少数精鋭部隊のみでレヴィアンを出撃させたのは(立場上、おおっぴらにケネス達に協力しろとは言えないものの)このような形での共闘を想定した上での人選だったのであろう、という結論にレヴィアンは到達した上で、彼は答える。

「確かに、その提案はこちらとしてもありがたい。で、そちらからの要求は?」
「オーバーハイムの傭兵部隊を何とかしたい、というのが第一目標だな。もともと我々の管轄の傭兵部隊だったのだから、その討伐に協力してくれるのであれば、感謝するのはこちらの方だ。お互いに助け合ったということで、そちらから余計な要求をしてくれなければ、それくらいで御の字なんじゃないかい?」

 つまりは、特に見返りを求める気はない、ということである。口先でそう言っているだけで、実際の戦場で何か抜け駆けをする可能性も無いとは言えないが、ひとまずレヴィアンはその申し出を信じることにした。

「そちらの派閥としても、こちらのみの力で達成されると困るという事情がある訳か。ならば、手を組もうじゃないか」
「ま、それを伝えなければならないのは、ウチの主人に対してだけどね。同意が取り付けられたなら、それは嬉しいことだ。さて、僕はこの知らせと共に向こうの陣地に戻るとしよう」
「では、攻め込む時『こちら』と『そちら』による挟撃が望ましいな」
「そういうこと。その件に関しては一筆書いてくれれば、僕が届けるよ」
「合図はどうする?」
「一応、こちらには魔法師はいるから、信号弾のようなものを打ち上げることは出来るので、それに合わせて両部隊が突入する。それが一番シンプルじゃないかい?」
「シンプルでいて、それが一番成功する可能性の高い作戦だろうな」
「他にも色々考えるべきことはあるだろうが、ここにいるのは僕で、こちらの指揮官ではないから、あまり込み入った話が出来る訳でもない以上、これくらいの単純な策がせいぜいかな」

 実際のところ、あまり複雑な策を取ると、かえって互いに功績争いで疑心暗鬼になる可能性もあるから、これくらいの単純な策の方が適切だろう。もっとも、実際には信号弾を打ち出すトオヤ側が主導権を握ることになるが、それに対してはレヴィアンからはあえて異論を挟まず、その場で共闘に賛同する旨を伝える手紙を書き記し、それを受け取ったドルチェはそのままトオヤの本陣へと帰還することになった。

2.7. 騎士団長の孫と無面相

 それから数刻後、トオヤの本陣にもリチャードが到着する。

「お久しぶりです、トオヤ殿」

 そう言って現れた彼に対して、トオヤ達は彼のことをすぐには思い出せなかったが、最初に反応したのはカーラであった。

「あぁ、スリモドキの」

 厳密に言えば「スリ入れ」だったのであるが、ともあれ、それでトオヤとチシャもどうにか思い出した。その上で、リチャードは途中でドルチェと会った証拠として彼女のネクタイを提示しつつ、彼女と話した内容をそのままトオヤ達に告げつつ、ふと思ったことをそのまま口にする。

「ところで、あの方は随分あなたとは親しい関係のようですね」

 クーンで出会った時から彼女がトオヤのことを呼び捨てにしていたことを思い出しながらの発言であったが、それに対してトオヤは思わず咳き込む。別に隠している訳ではないのだが、身内以外からの指摘に対しては、まだ免疫がないらしい。

「まぁ、部下からの呼び捨てを認めるのも、あなたの御人徳なのかもしれませんが」
「あぁ、はい」
「それはそれとして、おそらくあの方も今頃は副団長派の陣地に到達していると思われます。私は一旦戻った方がいいですか? それとも、ドルチェ殿が戻ってからの方がいいですか?」
「そうだな。君はこのまま帰ってくれて構わない。交渉がどうなるかはまだ不明瞭だが」

 トオヤがそう言ったところで、カーラが横から口を挟む。 

「とりあえず、オーバーハイムの中の状況を教えてもらえますか?」

 彼は自分が見聞きした一通りの情報を伝えた上で、ロザンヌが村に残って人々を助けていることや、オブリビヨンの指揮官がロザンヌにこだわってるらしい、ということも伝える。当然、それに対してはトオヤ達も首をかしげる。

「チシャは何か心当たりはあるか? 邪紋使いが魔法師にこだわる理由に」
「うーん……」

 トオヤに言われて困惑するチシャが頭を悩ませているところで、トオヤはふと思いついたことをリチャードに聞く。

「そういえば、敵の指揮官は『おかしな剣』を持っていたと聞くが、魔法でそういったものを召喚することは出来るのか?」
「確かに、そのような魔法を使う者もこの世界にはいます。見た限りではオブリビヨンの中に魔法師はいなかったようですが、時空魔法などで姿を消していれば分かりませんし、ドルチェ殿のように姿を変えられる魔法師もいる以上、いないと断言することは出来ない」

 その話を聞いたところで、トオヤの中でまた別の疑問が思い浮かんだ。

「しかし、ロザンヌ殿は、魔法を使ってその街から脱出することは出来ないのだろうか」

 トオヤは、ロザンヌが「姿を消す時空魔法」が使えることまでは知らなかったが、オブリビヨンを翻弄出来るほどの実力なら、何らの魔法で脱出することは可能なようにも思えた。

「それは分かりません。今頃はもうレヴィアン殿のところに戻られているかもしれませんが、あるいは、あえて街の中に残って何かを成そうとしているのかもしれません。もしくは、戻らない方が都合が良いことがあるのかも」
「なるほど」
「ところで、こちらとしてもそちらの状況を確認したいのですが」

 そう言われたトオヤは、素直に今の自分達の状況をそのまま伝える。ここで下手に何かを隠し立てすることは事態の悪化を招く可能性があり、そもそも隠さなければならないようなことも(少なくともトオヤの知る限りにおいては)特になかった。

「なるほど。こちらとしても、共同戦線を張るのであれば、レヴィアン殿は賛同されると思われます。マルチナ殿がどう言うかは分かりませんが」
「まぁ、あの方々は聖印教会の方とはいえども、教義にこだわるあまりに大局を見誤ることはないでしょう」
「そうですね。とはいえ、これ以上は私が立ち入るべき問題ではない。では、私はひとまず戻ります」

 そう言い残して、リチャードは北へと帰還する。その後、オーバーハイムにて再び遭遇した二人の諜報要員は、互いに状況を確認した上で、改めてそれぞれの本陣に戻るのであった。

2.8. 最終確認

「トオヤ、ただいま」

 突然、トオヤは背後からその声が聞こえてきたことに驚き、思わず咳き込む。その声の主は、言うまでもなくドルチェである。

「あ、あぁ、おかえり」
「やぁ、『君のドルチェ』が帰ってきたよ」
「ご苦労様。ところで、なんで背後から?」
「なんとなく、驚かせたかったから」
「あ、そ、そうか」
「後ろから抱きつこうかとも思ったんだけど、さすがに僕のキャラじゃないから、やめた」
「うん、まぁ、その、色々言いたいことはあるんだけど、まぁ、そうだな」

 そんな二人の様子を黙って見ていたカーラとチシャがどんな心境だったは定かではない。

「じゃあ、ここからはお仕事のお話ね。レヴィアン殿からの承諾は、問題なく取り付けてきたよ。はい、彼からのお手紙」

 そう言って渡された手紙をトオヤは熟読する。

「これで上手く連携は取れそうだな」
「そっちにはリチャードさんが来てたと思うけど」
「あぁ、彼から報告は受けている」
「ならいいや。あ、そうだ、僕のネクタイ返してもらえるかな?」
「あぁ、預かってる」

 そう言って、トオヤは懐から取り出した彼女のネクタイを手渡し、微妙に彼の温もりが籠もったそのネクタイを、ドルチェは嬉しそうな顔で首に巻きつける。

「さて、あとは何か出撃前に確認しておくべきことはないかな?」

 トオヤが皆にそう問いかけるが、直前の二人の雰囲気を目の当たりにして、なんとも言えない気分になっているカーラは、もはや頭がまともに働く状況ではない。その隣で、ふとチシャは、この村に来た直後の状況を思い出す。

「そういえば、サルファ君が何かを隠してるような様子がありましたけど、あれは何だったんでしょう?」

 カーラは「それを今聞く?」と言いたそうな顔をしていたが、チシャは大真面目に何か今回の事件に関わる重大な情報を彼が持っているのではないか、と考えていた。

「あー、まぁ、それは大したことじゃないと思うよ、チシャお嬢。重要なことだったら、もう言ってるだろうし」
「そうですね。サルファ君が、私達を困らせるような隠し事をするとは思えませんし」

 とりあえず、カーラの中では色々な意味で気苦労が増えそうな心境であった。

3.1. 同時突撃

 その日の夕刻、陽が落ちたタイミングで、チシャが空中に魔法を放つと同時に、オーバーハイムの南門からトオヤ軍が、北門からレヴィアン軍が突入を開始する。
 レヴィアン軍は、まず村の北西部の礼拝堂(の跡地)にロザンヌが隠れているのではないかと考えてそこへと向かうが、残念ながら彼女は見つからず、その南方に位置する修道院へと軍を進めるが、そこでも彼女の姿を発見することは出来なかった。一方で、その修道院から見て東側に位置する露店街の近辺に、敵軍が集結しているのを発見する。どうやら彼等は、まずレヴィアン隊を攻撃しようと北門へ向かおうとしたが、結果的にそれよりも早くレヴィアンが彼等の側面に回り込むことになったらしい。

(とはいえ、今のこの戦力だけで彼等を殲滅するのは難しい……。それに、まずはロザンヌの安全を確保しなければ……)

 一方、南門を突破したトオヤ軍は村の中南部の大聖堂に来たところで、その先に位置する領主の館の近辺に「敵の一団」がいるのを確認する。だが、その数は少なく、おそらく本隊ではないと予想出来た(当然、この時点で本隊が北部に向かっていることに彼等は気付いていない)。

「これは、本隊と合流する間に各個撃破した方がいいか?」

 トオヤがそう提案したところで、ドルチェは大聖堂の近辺で怯えている子供を見つけた。

「ここはじきに戦場になる。危ないよ」

 彼女はそう言いつつ、その子を改めて見ると、奇妙な様子に気付く。その子は服が破れており、その敗れた周囲の服の生地に血がついているにもかかわらず、その破れた服の隙間から見える肌には傷跡がない。まだ服から血の匂いがするあたり、 これは少し前に怪我をして、それを誰かに治してもらった状況だと推測出来る。

「君、その怪我は誰に治してもらったんだい?」
「あのおねーちゃん」

 そう言って彼は、大聖堂の壁に貼られた「手配書」を指す。そこには、絵心のない傭兵が殴り書きしたような女魔法師の姿が描かれており、その下には「ロザンヌ・アルティナス DEAD or ALIVE」と記されている。

「その人はどこへ行った?」

 その子は、東側の方角を指差した。事前に調べた村の地図によれば、その先には貧民街がある筈である。

「ありがとう。情報提供、感謝する。出来る限り、安全なところに逃げておきな」

 ドルチェはそう告げた上で、トオヤ達にそのことを伝える。トオヤとしては、敵が合流する前に目の前の分隊を先に叩きたいところだったが、ここは一刻も早くロザンヌの身柄も確保しておきたいという思惑もある。少し考えた上で、彼はチシャに視線を移した。

「チシャ、君はロザンヌと面識があったね?」
「はい」
「申し訳ないが、彼女を探しに行ってくれないか? 彼女がここに止まっている理由は分からないが、こちらの味方になるなら、ここで合流しておいて損はない」
「分かりました」

 とはいえ、さすがに魔法師隊に単独行動を取らせる訳にもいかない。すぐに横からドルチェが割って入る。

「人探しなら、多分、僕も同行した方がいいだろうな」
「そうだな。魔法師に本気で隠れられたら、見つけ出すのは難しい」
「まぁ、『魔法師の本気』を見破るのは難しそうだけどね」

 とはいえ、先刻、「邪紋使いの本気」を一般人に見破られた身としては、ここは負ける訳にもいかないだろう。
 こうして、トオヤ・カーラ隊が村の中央に位置する領主の館に逗留していたオブリビヨンの分隊への奇襲に向かう一方で、チシャ・ドルチェ隊(およびチシャが呼び出したトロール)は貧民街に潜伏していると思しきロザンヌの捜索へと向かった。

3.2. 令嬢魔法師の仮説

 先に目的を達成したのは、チシャとドルチェであった。貧民街の一角で、肩で息をするほど疲労した様子のロザンヌを、彼女達はあっさりと発見したのである。見覚えのない軍隊が突如現れたことで、ロザンヌは一瞬身構えるが、チシャと目が合った直後に安堵した表情を浮かべつつ、平静を装いながら答える。

「チシャ様、ですよね? お久しぶりです」
「お久しぶりです」

 一応、エーラムでもこの二人は何度か顔を合わせたことがない訳ではない。ただ、エーラムでは建前上、「実家との関係」は断ち切ることが原則となっている以上、学徒として直接的に接点がない二人が、あえて言葉を交わす理由がなかった。

「あなたがここに来ているということは、トオヤ様がここに?」
「はい、討伐のために来ております」
「そうですか。出来れば、我が主人に先に来て頂きたかったのですが……」
「彼も来ている筈ですので、そのうち合流出来る筈です」

 それを聞いたロザンヌは、素直に満面の笑みを浮かべる。

「そうでしたか。それは何よりです。ただ、申し訳ありません。わたくしはここ数日魔法を使い続けて、ろくに休眠も取れる状態ではなかったので、あまり戦力としてはお役に立てそうにありません」

 どうやら、彼女が魔法杖の通信に出られなかったのは、少しでも魔力を温存するためだったらしい。あるいは、声を出すことで敵に気付かれるのを避けようとしていたのかもしれない。

「とはいえ、一人でいては危険ですし、一緒に来て頂けますか?」
「はい、お願いします」

 ロザンヌとしても、ここでトオヤ側に借りを作ることは後々のことを考えるとあまり望ましくないことは分かっていたが、それ以上に、今は意地を張っていられる状況でないことも十分すぎるほど実感していた。

「ところで、オブリビヨンから追われているようですが……」
「そのようですわね」
「何か心当たりはありますか?」
「まったくございませんわ、オブリビヨンの方々に恨まれる覚えは。どちらかというと、今のわたくしは聖印教会の方に恨まれている立場ですし」

 さすがにロザンヌとしても、その理由の詳細についてはこの場では言えないので割愛した上で、話を本筋に戻す。

「ただ、理由は分かりませんが、彼等がわたくしを狙っているということは、わたくしがここにいる限り、彼等がこの地に留まり続けることで、被害が拡大することはないのだろうと考えたのです。そこで、時々表に出て、住民の方々を助けつつ、彼等の目を引いていたりもしていました」
「ここが、ここに残っていた理由なのですね」
「えぇ。ところで、こちらからも確認したいのですが、あの傭兵団の方々は、そちらの騎士団長派の方で雇われていた方なのですね?」
「そうなりますね……」

 チシャとしてはそのことを指摘されると辛い立場だが、ロザンヌは別にここで彼女を糾弾しようとしていた訳ではない。

「そもそも、どういう経緯でこうなったのですか?」

 ロザンヌが真剣な表情でそう問うが、実際のところ、チシャとしても正確なところは分からないので、ひとまず知っていることをそのまま伝える。

「なるほど、暴走ですか。あの方々は、マキシハルトから来られたと?」
「そういうことになりますね」
「あそこの領主の息子でビート様という方がいたと思うのですが、あの方は今回の件に関わっていますか?」
「……なんとも言えないのが現状ですね」

 そろそろチシャが辛そうに見えたのか、ここでドルチェが彼女に代わって答える。

「今回の事件と前後して、彼は行方不明になっている。タイミングがタイミングだけに、何か関係があるのではないかと睨んではいるが、今のところ分かっているのはそれだけだ」

 ロザンヌはそれを聞いた瞬間、突如、合点がいったような顔を浮かべる。

「な、る、ほ、ど〜、なるほど〜、そういうことですか」

 彼女はそう呟きながら、ウンウンと一人で頷いている。そこでチシャが思い出したように付言する。

「彼は前日にランディといつものように酒を飲み交わしていた、という話は聞いています」
「つまり、あの方が関わっている可能性は十分にある、と?」
「ありますね」

 その回答を確認した上でロザンヌが改めて頷いたのに対して、ドルチェが問いかける。

「何か心当たりがあるとでも言いたげだね」
「いえ、あくまでただの推論ですので。ただ、わたくしの推論が合っていたとするならば、結果的にわたくしがここに残っていたのはやはり正解だったと思います」
「ほう?」
「ともあれ、My Lordは今、ここに来ているのですよね? ならば、一刻も早く合流しましょう」

 彼女にそう言われると、チシャとドルチェも同意しつつ、まずはトオヤ達と合流するために、村の領主の館の方面へと向かうのであった。

3.3. 共同戦線

 その間に、トオヤとカーラはそれぞれの部下を率いて領主の館へと向かい、突入前に全力で聖印と混沌の力をそれぞれの身体に纏わせた上で、その場に残っていたオブリビヨンの分隊を速攻で殲滅しようとするが、この両軍はいずれも機動力に欠ける編成だったこともあり、奇襲をかけた筈の彼等が斬りかかるよりも先に、邪紋兵団がカーラ隊に向かって特攻する。
 だが、すぐにトオヤが間に入り、光の盾を発動させることで、その攻撃を全て受け止めた。

「そっちから来てくれて、助かったな」

 カーラはそう叫びつつ、短期決戦で終わらせるために、内なる混沌を爆発させてその本体を巨大化させて、全力の一撃を叩き込む。

「我が姿は変幻にして、敵を撃つ!」

 彼女がそう叫んだ長後にトオヤが聖印の力で威力を強化することで大打撃を与えるが、それでも彼等はまだかろうじて全滅を免れて踏みとどまっていた。
 その次の瞬間、西方から別の一団が現れた。レヴィアン率いるイカロスの精鋭騎士団である。彼は目の前に広がる戦場から状況を瞬時に把握し、トオヤ軍に対して大声で呼びかける。

「そちらは騎士団長派のトオヤ殿でよろしいか!?」
「あぁ、相違ない! そちらは!?」
「こちらはレヴィアン・アトワイト! あなた達への加勢に来た! 全力で支援しよう!」

 そう言って、レヴィアンは手持ちの弓に全ての聖印の力を込めて、既に満身創痍だった邪紋兵団に向けて、光の祝福を激増させた一撃を叩き込む。その一撃で彼等は跡形もなく消え去り、その場には彼等の邪紋を形作っていた幾多の混沌核だけが浮き上がっていた。
 それを目の当たりにしたトオヤは、少し逡巡する。混沌を浄化吸収することは君主にしか出来ないことであると同時に、それは自身の聖印を成長させることで君主としての「格」を上げることにも繋がる。今まで目の前に混沌核が現れた時は、大半がその場にトオヤしか君主がいない状態だったので、迷わずそれを自分で浄化吸収してきた。だが、今回は自分と異なる陣営に属する、自分と似たような立場の君主がもう一人、少し離れた場所にいる。
 現状、すぐ目の前で混沌を浄化出来る距離にいるのはトオヤだけだが、今の戦場での状況を思い返すと、ここで自分一人で功績を独占するのはカドが立つ可能性がある。とはいえ、混沌核はいつまた新たな混沌災害を生み出すか分からない危険な存在である以上、このまま放置しておく訳にもいかないない。
 ひとまずトオヤは聖印を掲げ、その場にあった混沌核の半分くらいを吸収したとろで、近付いてきたレヴィアンに告げる。

「とどめは、あなたでしょう?」
「そう言って頂けるなら」

 レヴィアンはそう答えて、残りの混沌核を吸収する。トオヤとは異なり、祖父から後継者失格の烙印を押されているレヴィアンとしては、少しでも多くの功績を稼いで聖印を成長させる必要があるため、この申し出には素直に感謝しつつ、自身の聖印の力を発動させ、今の戦いで気力を大きく消耗させたトオヤやカーラ、そして両軍の兵士達の闘志を奮い立たせる。
 そして一通りの吸収を終えたところで、トオヤがレヴィアンに語りかけた。

「無事に合流出来ましたね」
「そうだな。挟撃という形にはならなかったが、合流出来たら出来たで、戦い方は変わるが、心強い」

 今回の事件の発端を生み出した側として、トオヤがやや下手に出るような口調であるのに対し、レヴィアンの側はあえて堂々とした態度で応じつつも、高圧的な印象を持たれない程度に淡々とした口調を保ちつつ、あくまで友好的な姿勢を示す。

「えぇ、あなたのような強力な聖印の持ち主の方と合流出来て、こちらも心強いです。ところで、敵の本隊は見かけませんでしたか?」
「数刻前にだが、ここから北に位置する商店街の方に集まっていたのを感じた」
「ならば、ここで合流したまま迎え撃った方が良いでしょうね」
「そうだな。ここなら陣形も整えやすいし、奇襲も受けにくいだろう」
「じきにロザンヌさんも連れて合流してくれる筈です」
「本当か!?」

 それまで冷静な口調で淡々と対応していたレヴィアンが、ここで突然声を荒げた。

「いえ、まだ分かりません。あくまでこちらの別働隊が無事に発見出来ていたら、の話なので」

 トオヤがそう付言したところで、彼等の後方から、その別働隊が到着した。

「やぁ、呼ばれた気がしてね」

 先頭に立つドルチェがそう言うと、トオヤも安堵した表情で出迎える。

「あぁ。お疲れ。で、首尾は?」
「ご覧の通りです」

 横からチシャがそう答えると、その傍らから満身創痍のロザンヌが現れ、彼女は息を荒げながらレヴィアンの方へと駆け寄る。

「My Lord、ご無事で何よりです」
「ロザンヌ! 無事か!?」

 レヴィアンも彼女に向かって駆け寄り、その両手で彼女の肩をしっかりと掴む。

「申し訳ございません。心配をおかけしました」
「大丈夫だ。お前はよくやってくれた」
「わたくしは、レヴィアン様の名代としての任務の途中で巻き込まれて、この地に逗留することになりました。レヴィアン様が同じ立場ならばどう行動するか、ということを考えた上で、この地で人々を助ける道を選んだ次第です。ただ……、結果的に言うならば、今回の一件は、私が招いた種かもしれません……」
「どういうことだ?」

 唐突に想定外の話を聞かされたレヴィアンが混乱したその直後、館の北方から、禍々しい気配をまとった集団が近付きつつあることに、彼等は気付いた。

3.4. 黒大剣の正体

 彼等の目の前に現れたのは、オブリビヨンの本隊である。邪紋兵達を率いているランディは、もともと悪魔を模倣した力の持ち主であるため、以前から不気味な風貌の持ち主ではあったが、今の彼の姿は、もはや「悪魔の模倣者」というよりは「悪魔そのもの」と言った方が適切に思えるほど人間離れした身体と化していた。そして、その手には確かに、黒い大剣が握られている。その大剣もまた、この世の物とは思えぬほど不気味なオーラに包まれていた。
 彼はロザンヌとレヴィアンを見て、満足そうな笑みを浮かべる。

「ようやく見つけたぞ。そして、ちょうど都合良く二人揃っているな。これでやっとコイツも浮かばれるというものだ」

 彼はそう言いながら、その手に握られた黒い大剣を見つめる。一方、レヴィアンは全く彼にも彼の大剣にも見覚えがない。その傍らのロザンヌも、彼女の中の「心当たり」とは少々異なる展開に戸惑った様子を見せる。
 一方、そんなランディの姿を嫌悪感に包まれた表情で見つめるカーラに対して、ランディは勝ち誇った表情で言い放つ。

「お前があの時、俺の誘いを断ったこと、今更後悔しても遅いぞ。俺はもう、お前以上の力を手に入れたからな」

 あくまでも自分の尺度で語り続けるランディに対してカーラは呆れた表情を浮かべるが、そんな彼女の反応など気にせず、ランディは再びレヴィアンに視線を戻す。

「お前達がここにいるのは、俺を討ちに来たのか? それとも、『こいつら』とまた殺り合うために来たのか?」

 トオヤ達を指差しながらランディはそう問うが、レヴィアンがそれに対して答える前に、彼は勝手に話を続ける。

「まぁ、どちらでもいいがな。俺達は俺達で勝手に……」

 ランディはそう言いながら、その手の大剣を見つめる。

「……こいつの宿願を果たさせてもらう。なぁ、それでいいだろ? ビート?」

 大剣に対して語りかけるようにそう言ったランディに対して、トオヤが叫んだ。

「待て! それはどういうことだ!?」

 ランディはしたり顔で問い返す。

「俺達『邪紋使い』は混沌をその身に宿すことが出来る。そのことの意味は何だか分かるか?」

 それに対して答えたのは、トオヤではなく、その傍らに立つ邪紋使いであった。

「そう、僕達はだんだん混沌に近付いていく……。つまりは、そういうことなんだね、そこに『いる』剣は」
「あぁ、コイツは邪紋使いとしての本懐を遂げたビートだ」

 そういうこともある、という話は、ドルチェも聞いたことがあった。それは邪紋使いがいずれ必ず到達する末路である、とも言われている。

「俺達はな、混沌の中で生きることを認められた、選ばれた存在なんだよ。人はいずれ消えゆく定め。それまでに何を成し遂げるか、そこに人としての価値がある。混沌に選ばれた我等は、秩序を破壊し、己が欲望のために生き、己が欲望のために死ぬ、それこそが邪紋使いの本懐、邪紋使いとして選ばれた者の特権なのだ。そのためには、人としての器は不要。究極的にその身を混沌と同化させれば、もはや『人という器』に縛られる必要もない」

 つまり、「武器と自身を一体化する邪紋」の持ち主であるビートは、過度の混沌を吸収し続けた結果、その「人としての身体」を捨て、完全に武器そのものと化したらしい。どの段階でそうなったのかは不明だが、これまでの諸々の目撃証言から状況から察するに、ランディと共に父親であるフォラスを殺し、その聖印から生まれた混沌核を吸収したことで、その「境地」に至ったと考えるのが妥当だろう。

「今のコイツは口を利くことは出来ないが、俺には分かる。そこのアトワイトの若造に対して、強い嫉妬と怨念の情を抱いていることがな。その波動が、今の俺には実に心地良い」

 恍惚とした表情を浮かべながらそう語るランディに対して、レヴィアンがまだ事態を把握出来ずに困惑する中、ロザンヌは心底呆れたような口調で言い放つ。

「やはり、まだ根に持っていたのですね。わたくしがあなたとの契約を断ったことを」
「そうだ。コイツはまだ君主だった頃、幼かったお前の才能を見出し、なんとしてもお前と契約を交わしたいと思っていた。だが、お前はそれを断り、こともあろうに、コイツにとっては宿敵の、本来ならば魔法師と契約する筈のない聖印教会の一族の若造と契約を結んだ。そのことが、どれだけコイツの心を乱したか」
「まったく、本っ当に小さい男ですわね。やはり、断って正解でしたわ」
「だが、その嫉妬の情こそが、コイツの混沌を高めた。それでコイツは邪紋使いとして辿り着くところに辿り着いたのだ」

 嫉妬の炎が混沌災害を呼び起こすこともあるということは、実は数ヶ月前にレヴィアンの学友が実感していたのだが、彼がそのことを知る由も無いし、知る必要もなかった(また、実は四百年前にもこの小大陸の未来を変えるほどの大事件を「ある一人の女性の嫉妬」が引き起こしたこともあるのだが、そのことを知る者など、この場にいる筈もない)。

「己を振るう腕がないというのは不便そうな気がするんですが……」

 カーラは、妙に淡々とした口調で、呟くようにそう語る。一般的には、オルガノンは「誰かに道具として使ってもらうこと」にこそ本懐を見出すものだが、カーラは自身の「あるじ」の聖印の適性との相性の問題もあって、自らの擬人化体を作り出して、自らの手で自分自身を振るうことでここまで戦ってきた。剣であるにもかかわらず、誰かの手に握ってもらうことに対してそこまで強いこだわりがないのは、もしかしたら、彼女が「人間との混血」であるが故に、オルガノン特有の「道具としての本能」が弱いからなのかもしれない。
 そんな彼女にとっては、今のビートの姿は「退化」としか思えなかったようだが、ランディは相変わらずのしたり顔で答える。

「大丈夫だ。コイツほどの力があれば、俺が死んでも誰かがその身を振るうことになるだろう。力のある者は捨てられることはない。完全に混沌そのものと化して消え去る時まで、コイツは力を振るい続けることが出来る。羨ましい話だな」

 ランディとしては「異界で誰かに捨てられた存在」としてのオルガノンに対する皮肉のつもりで言ったのだが、厳密に言えばオルガノンではないカーラには「誰かに捨てられた記憶」などある筈もないので、その含意に気付ける筈もない。
 そしてランディは改めてレヴィアンに向かって言い放つ。

「オーバーハイムを攻めたのも、貴様をおびき出すためだ。もっとも、お前以上に復讐したい相手が、先にそっちから来てくれた訳だがな」

 そう言いながら、ランディはロザンヌを視線を移す。嫌悪感が溢れ出そうなほど侮蔑を込めた表情で睨み返すロザンヌの横で、レヴィアンが冷静な口調で問いかける。

「つまり、お前は『私の魔法師』の命を狙っているということか?」
「お前もな。コイツの本音として、どちらがより憎いのかは分からん。いずれにせよ、お前達二人を斬れば、コイツは満足する。コイツが満足すれば、俺も満足する」

 あえて言うなら、ロザンヌへのビートの感情は「愛憎」であるのに対し、レヴィアンに対して抱いているのは純粋な「憎悪」なのだろう。それは確かに、どちらが強いとも言い難い。

「まぁ、そんなことはどうでもいい。嫉妬だ情念だと何だかんだ言ったところで、最も重要なのは、闘争本能だ。お前達はまだ『秩序の鎖』に魂を縛られた奴隷のままなのだろう。これはそんなお前達と、自由の翼を手にいれた俺達との間の、生存競争だ」

 ランディはまだギリギリ「人間」としての形を保ってはいるが、既にその心は理性的判断を一切放棄し、本能のままに生きる「悪魔」と化しているようである。こうなると、もはや損得勘定や未来展望は全く意味が無くなる。オブリビヨンとしての契約や任務などを度外視して、ただ「求めるべき境地に達した友人」の嫉妬と憎悪に自分の感情を一体化させ、彼の怨念を晴らすことによる快感を求めるだけの「衝動的存在」と化していた。
 そんなランディに対し、レヴィアンは吐き捨てるように言い放つ。

「くだらない。邪紋使いの本懐とやらに至った結果がその剣の形なのか。そこまでの境地に至った割には、醜いものだな」
「まだお前の曇った目にはそのようにしか映らぬのだな。哀れな奴だ」
「そうは言うが、私のこの目には『その姿に至った』というよりは『その姿に逃げた』ように見えるぞ。そのように逃げた者に、私の道を途絶えさせることは出来ない」

 レヴィアンはそう言い切った上で、部下達に戦闘態勢に入るように命じる。一方、この場にいる者達の中で唯一、彼等に対して同調とも嫌悪とも言い切れぬ複雑な感情を抱いていたドルチェは、あえて自身の邪紋を露わにしながら、淡々と呟く。

「そっか……、邪紋使いの本懐、ねぇ」

 その様子を見て、彼女が邪紋使いであることにランディも気付く。

「お前はまだその境地に達していないから、分からんかもしれんがな」
「それを僕に言うのかい? まぁ、君達みたいな剣だの悪魔だのといった邪紋使いならともかく、僕は一体何になるというんだい?」

 そう言って、彼女はくるりと姿を変える。それは彼女の以前に「(名目上の)本来の姿」として用いていた「パペット」の姿であった。

「こうやって、人になり、人の中で生きていく。そういう邪紋使いだっているんだよ。そのこともどうか忘れずに」
「なるほど……、俺達の仲間の中には『その類いの邪紋』の持ち主はいないからな。その邪紋を持つお前がどのような末路を辿るのか、それはそれで見てみたい気はする。だが、お前がそいつらと共に生きるつもりなのであれば、悪いが、コイツの錆になってもらおう」

 大剣を構えてそう言ったランディに対し、「パペット」は達観した面持ちで答える。

「僕の行き着く先は、花か、それとも蜃気楼か……、何かは分からないけど、どちらにせよ、今の僕だろうと、そうなった僕だろうと、人に見てもらえなければ意味がないのさ。だから、君達とは分かり合えないよ」

 彼女はそう言って、再び「ドルチェ」の姿に戻り、そして戦う覚悟を決める。愛すべき人と共に生き、愛すべき人を守るために戦う、そんな道を選んだ、一人の邪紋使いとして。

3.5. 愛と憎しみの果てに

 開戦と同時にドルチェが邪紋の力で全敵兵士達の視線を自らに集める一方で、カーラは再び自らの混沌の力を限界まで解放し、トオヤもまた「変身」した上で防御陣形を整える。そしてチシャは、自軍よりも先にレヴィアン達の方が先に動けるであろうと察知し、魔法で彼の弓を強化すると、レヴィアンもまた聖印の力で自軍とトオヤ軍全体を強化しつつ、そしてチシャによって強化された弓の威力を更に増幅させ、彼はそのままランディ軍に向かって無数の光の矢を放った。
 その一斉掃射は並の兵士達が相手ならば一瞬で壊滅させるほどの猛威であったが、一人一人が邪紋で強化されたオブリビヨンの兵士達はそれでも倒れない。そして、ランディは余裕の表情を浮かべながら、敵軍全体を見渡す。

「その程度か。ならば、貴様は後でいい。まずは、邪魔なお前らから先に始末する!」

 ランディはそう言い放つと、自身の頭上に巨大な禍々しい闇の力を結集させた何かを浮かべ、それをレヴィアン軍の後方にいたトオヤ軍全体に向かって投げ込んだ。ドルチェ隊はその動きを見切ってどうにか避けるものの、チシャ隊とカーラ隊は避けきれずに直撃しそうになる。そこで最も脆弱なチシャ隊をトオヤ隊が庇い、そのチシャがオルトロスを瞬間召喚して威力を抑え込むことで、どうにか壊滅は免れるが、トオヤ隊とカーラ隊の兵士達の心身はその魔力に絡みとられて、まともに動けない状態に陥ってしまう。
 そんな彼等に対して、ランディ率いる本隊の両翼に控えていた邪紋兵団の分隊が襲いかかろうとするが、それよりも一瞬早くチシャの魔法が炸裂し、そこに更にレヴィアンが聖印の力で威力を増幅させたことで、かろうじて先に彼等を殲滅させることに成功する。その上で、レヴィアンはチシャに対して、目線と手振りで「ランディ本隊に向かって突撃するように」と訴える。
 常識的に考えれば、魔法師隊をあえて前線に立たせるなど、ありえない。だが、チシャはこの時、レヴィアンの意図を瞬時に察した。レヴィアンやケネスのような「支配者の聖印」の持ち主には、このような局面において発動可能な「特殊な秘技」が存在する。ケネスの孫として育った彼女は、そのことに気付いていた。それは、一歩間違えれば部隊が一瞬で壊滅しかねない危険な「賭け」であったが、チシャは彼の判断力を信じて、そのままランディ本隊に向かって突撃する。
 その直後、彼女に呼応するようにドルチェ隊もまたランディ本隊に向かって特攻する。彼女にはチシャの動きの意図は理解出来なかったが、何らかの思惑があることは推察していた。とはいえ、それでもチシャが自ら危険な最前線に向かった以上、チシャが標的となることは可能な限り防がなければならない。彼女は全力でその邪紋の力を解放してランディの身体に短剣を突き刺し、そこに混沌の力を流し込むことで彼の内臓を内側から貪りつつ、彼等を挑発するような視線で翻弄する動きを見せる。
 そして次の瞬間、そんなランディ隊とドルチェ隊の目の前から、チシャ隊の姿が消滅し、代わりにその場には、後方にいた筈の(先刻のランディの攻撃を受けてまともに走れない状態になっていた)カーラ隊が現れる。

「何!?」

 当然のごとく、ランディ達は混乱する。これが、レヴィアンの聖印の力による秘技である。彼は戦場における二つの部隊の位置を、瞬時に「入れ替える」ことが可能なのである(それは長城線上空の戦いにおいて、あの小妖精が用いていた異能力に近い)。彼は、カーラ隊の兵士達が全力で走ることが出来ない状態になっていることを察して、彼女達を少しでも早く接敵させるために、この秘技を使うことを前提として、あえてチシャ達に特攻させたのである。
 そして、よく分からないうちに敵の本隊との距離を一気に縮めることがカーラ隊も一瞬困惑するが、カーラはすぐにその本体を巨大化させて振りかぶり、目の前の敵に対して一気に薙ぎ払う。その一撃はドルチェ隊をも巻き込むほどの巨大な一閃であったが、ここでドルチェは、既に自らの視線の「虜」となっているランディに、妖しげな言葉で訴える。

「僕の未来を見たいんだろう? だったら、君が僕を庇いたまえ」
「そうだな……、まだお前はここで散るには早い……」

 半催眠状態となったランディが、カーラの一撃に背を向けるような無防備な姿勢でドルチェに覆いかぶさると、その身体がカーラの巨大な刃によって真っ二つに裂け、敵兵士達も一瞬にして全滅する。だが、それと同時にランディは、自身の大剣に向かって断末魔の叫びを浴びせた。

「ビート! 俺を喰らえ!」

 そう叫んだ次の瞬間、彼は二つに割れた自分の身体から出現する混沌核に対してその大剣を突き刺し、その直後、大量の混沌を更に吸収した黒い大剣は、もはや「物質」としての形を維持することすら限界に達し、そこからトオヤ軍全体に向かって一直線に「最後の斬撃」が放たれる(皮肉なことに、衝動に任せて放たれたその軌道の先にはレヴィアン軍は不在であった)。
 信じられないほどの神速でドルチェがその斬撃を避ける一方で、トオヤはチシャを庇い、避けられないと判断したカーラもまたその身で受け止めることを覚悟するが、レヴィアンが彼女達を庇うように「光の盾」を発生させたこともあり、どうにか全員無事にその斬撃を耐え切った。
 そして「ビート」が「大剣」としての形すらも失って混沌核へと戻っていく様子を目の当たりにしながら、カーラは問いかける。

「『振るう喜び』を手放すだけのものが、そこにあったのかい?」

 当然、その問いに答える者はいない。ただ、その消滅寸前のビートの最後の残留思念は、カーラに対してではなく、ドルチェに対して、彼女だけが聞き取れる「声」を残していた。

「さぁ……、この混沌の力を受け取れ……」

 目の前でうごめくその混沌核を彼女が黙って見つめていると、その混沌核を浄化吸収すべく、両脇に二人の君主が駆け寄る。ドルチェはその二人に向かって訥々と語り始めた。

「さっきの彼の話には、僕も思うところが無かった訳じゃない。だが、僕は彼等とは相入れない。それを証明するために『これ』に手を伸ばしてみたくはあるが……、君達の功績を横取りする気もない。これを聖印で吸収したいのであれば、譲るのもやぶさかではないが?」

 当然のごとく君主二人の手で浄化・吸収するものだと思っていたレヴィアンは、「別の選択肢」があることを前提としたこのドルチェの発言に面食らう。彼は聖印教会からは実質足抜けした身だが、それでも「邪紋使いが混沌を吸収すること」の危険性は多くの人々が共有していると考えていたため、トオヤ側の邪紋使いが自らこのような発言が出ること自体が想定外だったのである。
 そんなレヴィアンの困惑した様子を気にせず、トオヤは彼女の言葉に真正面から応える。

「邪紋使いの本懐というものが、彼等なりの生き様なんだろうと俺は思った。けれども、彼等には彼等なりに通したい意地があるように、俺にも通したいものはある」

 トオヤはそう言いながら、片腕でドルチェを抱き締め、もう片方の手で、混沌核の浄化・吸収を始める。そしてドルチェの耳元でこう囁いた。

「君が何と言おうと、俺は君のことを離さないよ」

 ドルチェは彼の腕の中で問いかける。

「僕があの混沌核に手を伸ばしたら、僕が帰ってこないとでも思ったかい?」
「その可能性が少しでもあるのなら、俺は嫌だな」
「そっか。あの時、どうしても君の元に帰ってくると誓ったから、触れてもいいかと思ったけど、そういうことでもないらしい」
「あんまり、危ないことはしてくれるなよ」
「今の言葉は感謝をもって受け止めよう」

 両軍の兵士達の面前で、そんな「二人の世界」を勝手に繰り広げ始めてしまったトオヤに対して、先刻と同じような形での分割吸収を要求しようとしていたレヴィアンは、唖然とした表情を浮かべながら更に困惑する。
 その直後、トオヤの背後でカーラとチシャが申し訳なさそうな顔で頭を下げつつ、「どうぞ、一緒に吸収して下さい」と身振りで訴えているのに気付くが、それでも、こちらに何も言わずに勝手に浄化・吸収を始めてしまったトオヤに対しては、一言文句を言おうと詰め寄ろうとする。だが、ここでロザンヌが後ろから彼の手を引き止めた。

「さすがに、ここであの二人に水を差すのは『ない』と思いますわよ、My Lord」

 ロザンヌにそう言われたレヴィアンは、逡巡しながら立ち止まる。そしてロザンヌは仲睦まじい二人を見つめながら呟いた。

「まったく、羨ましいですわね……」

 この二人は、まだ男女としては「微妙な関係」のままである。レヴィアンはバランシェにいた頃から、ずっと彼女に惹かれていた。そして彼女も自分の気持ちには気付いていると思っていた。彼女が自分と契約を結んでくれた時には、天にも登る心地だった。だが、二人の関係をはっきりさせる機会は、実はまだ訪れていなかった。

「あぁ、そうか、そうだな、うん」

 そう言って、レヴィアンもまた片手でギュッとロザンヌを抱き締めつつ、トオヤと同じようにもう片方の手を掲げて聖印を出現させ、浄化吸収を始める。

「無事で良かった……」

 レヴィアンがそう呟いた時、彼の視点からは見えなかったが、他の者達の目には、ロザンヌが満面の笑みを浮かべている様子がはっきりと映ってた。
 そんな二組の様子を、カーラも、チシャも、両軍の兵士達も、どんな顔をすれば良いのか分からない様子で呆然と眺めている。

(レヴィアン様……、魔法師と契約を結ぶだけではなく、そのような関係になっておられたとは……。これは、マルチナ様になんと御報告すれば良いか……)

 レヴィアンの護衛として従軍していたマルチナの副官ベルカイルは当惑する。彼もマルチナも魔法師に対してそこまで強い嫌悪感を抱いている訳ではないが、さすがに「そこまでの関係」を結ぶとなると、(ロザンヌの実兄イアンとの関係は強化されるだろうが)これは今以上にレヴィアンと実家の関係が険悪になってしまう可能性がある。
 一方、それ以上の困惑が広がっていたのは、トオヤ陣営である。今まで彼等は、トオヤの恋人は「レア」だと思っていた。その彼が、公衆の面前で「レア以外の女子」と抱き合っている。自分達の隊長が新伯爵の夫となることを想定していた彼等が、目の前で「公然の浮気現場」を見せつけられて、動揺しない筈がない。
 ちなみに、この時、少し離れた場所から「カシャッ!」という耳慣れない音が鳴り響いていたのだが、その音に気付けた者は、この場に居合わせた者達の中には誰もいなかった。

4.1. 二人の新領主

 それから数日後、ケネスとグレンの協議によって、従来通り、マキシハルトの新領主はケネスが、オーバーハイムの新領主はグレンが指名する、という形で決着することになった。
 グレンにしてみれば、騒動を起こした原因であるケネスに対して一定の賠償を要求するという選択肢もあったが、兵士達の証言から、彼等の暴走の原因が(逆恨みとはいえ)ロザンヌとレヴィアンにあったという話も聞かされたことで、あまり話をややこしくしない方が得策だと考えて、ここは「水に流す」という形で決着させるに至ったようである。
 そしてグレンは、オーバーハイムの次の領主としてレヴィアンを任命した。聖印教会の信徒達に示しがつかないという判断から実質勘当状態にされたレヴィアンだが、長年期待していた優秀な孫をこのまま埋もれさせる訳にもいかないと考えていたグレンとしては、自力で今回の討伐作戦を解決してくれたことで、ようやく堂々と彼を領主として自立させる契機を与えることが出来て安堵していた。
 一方、マキシハルトの新領主には、今回の討伐作戦とは直接的には無関係な、意外な人物が抜擢された。トオヤの実弟のロジャーである。最前線の長城線で修行を積んでいた彼にも、この機に本格的な領主としての第一歩を踏ませようと祖父ケネスが考えて、急遽呼び戻したのである。副官としての彼を重宝していたリューベンはあまり手放したくなかったようだが、その見返りとしてジゼルの軍備増強を約束させることで、ひとまず受け入れることにしたらしい。
 こうしてマキシハルトへと派遣されたロジャーは、ガフと共に暫定的にこの地の治安維持に協力するために逗留していたトオヤに対して、開口一番こう言った。

「兄上、私をあなたの従属君主にして下さい」

 そう言ってロジャーは、自らの聖印をトオヤに捧げる。本来のヴァレフールにおいては、国内の「七男爵およびその直属の君主」以外はヴァレフール伯爵の従属君主なのだが、ブラギスの死によってほぼ全員が自動的に独立君主となって以来、伯爵位の継承権を巡って国内が分裂したことで、「誰が誰に従属すべきなのか」という倫理観が曖昧化している。
 したがって、この状況でロジャーがトオヤに従属する必然性はない。ただ、ロジャーの現在の聖印はまだ従騎士級なので、村を治める領主としては「格」が足りない。それを補うための聖印を借りるのであれば、指名者である祖父ケネスから借りた上でケネスの従属騎士となる方が本来の筋なのだが、ケネスはあえて、ロジャーに「トオヤの従属騎士」となるように促したらしい。おそらくこれは、近いうちにトオヤを自身の後継者とすることを前提とした上での先行人事なのだろう。
 これに対して、トオヤは少し迷いながらも、ロジャーの聖印を受け取った上で、それを融合させた自分の聖印から「騎士級」に相当する規模の聖印を切り渡し、そしてこう言った。

「これからお前は、このマキシハルトの領主となる。前線でいろいろ勉強してきたとはいえ、初めての領主経営で失敗することもあるだろう。そうなった場合、それは大元の聖印を持つ俺の責任だ。だから、しばらくの間は従属は切らない。だが、お前が一人前になったと思ったら、この従属関係は切るから、そしたらお前は独り立ちしてくれ。いつかお前が立派な君主となることを心待ちにしている」
「分かりました」

 ロジャーはそう言いながら恭しく頭を下げ、そして頭を上げると同時に、トオヤの隣でその様子を見ていたドルチェに向かってニコッと笑う。ドルチェはその微笑みの意味に気付きつつも、あえて気付かないふりをしていた。
 そして、これまでこの村を守ってきたサルファも、その場に現れる。

「新領主様、私はまだ正式に魔法大学も卒業していない身ではありますが、私と契約しては頂けないでしょうか?」

 彼はロジャーと同じ14歳だが、当然、互いにまだ面識もないため、ロジャーはトオヤに問いかける。

「こちらの方は?」
「彼は、チシャの義弟のサルファ君だ」
「なるほど。チシャ殿のご同門ということであれば、その実力も指折りでしょう。こちらこそよろしくお願いします。お互いまだ若輩ですが、共に頑張りましょう」

 そう言った彼に対して、サルファは跪いて臣下の礼を取り、そしてその頭を上げると同時に、トオヤの横にいるチシャに向かってニコッと笑う。チシャはその笑顔の意味に気付かないまま「頑張ってね」と微笑み返すのであった。

4.2. 言葉にすることの意味

「ようやく、ここからですわね」
「あぁ、ここからだ」

 新領主に就任したレヴィアンとロザンヌは、復興しつつある村の様子を領主の館の窓の奥から眺めながら、そう呟く。

「それにしても、トオヤ様に関しては驚きましたわ、わたくし。てっきり、あの方はレア様とご婚約なさるものと思っていたのですが」
「確かに、トオヤは子供の頃からレアと仲が良かったからな」
「もしかしたら、チシャ様というセンもあると思ったんですけどね。むしろわたくしとしては、その方がどちらかというと望ましかった訳ですが。君主と魔法師が『そうなる』ことに関して、前例がいてくれた方が、後ろめたさは感じないでしょう?」

 本来、それはさほど珍しい事例ではないのだが、今のヴァレフールにおいては、30年前にブラギスが(正妻レオリアがいたにもかかわらず)契約魔法師のパリスに手を出してヴェラを産ませたという過去があったため、君主と魔法師が「男女の関係」に発展することに対して(たとえそれが不倫や略奪愛ではなかったとしても)冷ややかな視線を送る者も少なくない。ましてや、聖印教会の家系においては尚更である。

「まぁ、トオヤ様も意外と気が多い方なのかもしれませんね。あ、そうそう、先程お兄様から届いた手紙に書かれていたのですが、ヴェラ様、御懐妊されたそうですよ」

 ロザンヌはヴェラの夫イアンの実妹ということもあり、いち早くその知らせが届いたらしい。

「わたくしもこの歳で『伯母さん』ですよ、まったく」
「とはいえ、幸せな知らせを聞くのは、嬉しいものだな」
「わたくしの幸せは、いつ来るのですかねぇ」

 何かを言いたそうなロザンヌに対して、レヴィアンはその意図を察しつつ、今の自分の感情をどう言葉にすべきかで迷いながら、ボソボソと語り始める。

「あーっと、だな、ロザンヌ、こうして私達は領地を持てたことだし、だな、その、先程のことだが……、『前例』、必要か?」

 そんな彼に対して、ロザンヌは少し小悪魔的に微笑みつつ、問いかける。

「あなたに、その覚悟はありますか?」
「……あの爺様の孫でありながら、こんな道を選んだんだ。今更だろう」
「どちらにしても、今は子育てする暇はないですけどね」
「まぁ、それはそうだが……、あ、いや、やっぱり、言葉にしないと意味はないな」

 今まで、なんとなく、言葉にしなくても空気で伝わっていたような気はしたが、やはりそのままではダメだと、彼は今、はっきりと認識した。

「ロザンヌ、あの学術院にいる時からずっと、君のことを愛していた。この気持ちを、受け取ってくれるか?」

 心の底からふり絞られたその言葉に対して、ロザンヌは表情を変えないまま、レヴィアンとの距離を詰めていく。

「少しだけ、不服な点はありますが……」

 彼女はレヴィアンに顔を近付けながら、こう言った。

「……わたくしは、エーラムに行く前からですわよ」

 そのまま、二人の影は完全に一つとなった。

4.3. 平和な日常

 やがて「ヴェラ懐妊」の話は、タイフォンのトオヤ達の元にも届き、チシャとカーラは胸を撫で下ろす。

「なんとか、丸く収まったようで」
「いやー、本当に良かった」

 二人が笑顔でそう語らう横で、何も言わずに話を聞いていたドルチェも(下手したら自分の気まぐれ行動が原因で仲が険悪化した可能性もあっただけに)内心で密かに安堵していた。

 ******

 一方、隣村であるマキシハルトのサルファからは、毎日のようにチシャに手紙が届いていた。その内容は「今日は村のはずれに出てきた巨大鼠を三体ほど倒しました」などの定時報告や「マイロードがドルチェ様と今度お食事に行きたいと仰っていました」などという、他愛もない雑談である(なお、この時点ではまだロジャーの耳には、トオヤとドルチェの「浮気現場」に関する情報は届いてはいないらしい)。チシャも一応、その報告の概要はトオヤに伝えている。

「なんとか上手くやっているようですよ」
「そうか、それは良かった」
「まぁ、エーラムにいた頃から優秀な子でしたから、多分心配はないと思います」
「その様子なら、あいつが独立した君主となるのも、そう遠い話ではないな。というか、俺も負けていられないな」

 なお、何かあった時に若すぎる二人では心配という配慮から、今はガフが現地に逗留することで彼等を補佐している。マキシハルトは交易の要所でもあるので、商人としての顔を持つ彼にとっても、かの地に滞在し続けることの利点は少なくない。

 ******

 そんな中、最近、トオヤが真面目に仕事に専念して、あまり甘いものを欲していない様子を目の当たりにしたカーラは、なんとなく不安に思い、トオヤのお気に入りの村のケーキ屋に行って、「差し入れ」と称して彼の前位に提示する。

「あ、いや、実は今、願掛けのために『甘い物断ち』をしてるんだ」

 それが何の願掛けなのかは、彼はあえて語らなかった。そんなあるじの想定外の反応にカーラは困惑しつつ、彼の傍にいたチシャに問いかける。

「チシャお嬢、これ、どうします? 一緒に食べましょうか?」
「そうですね。たまにはいいかな」
「では、私もご同席してよろしいですか?」

 そう言って割って入って来たのは、執政官のウォルターである。実は彼もまたトオヤと同等以上の甘党であった。

「どうぞどうぞ。いつも村を空けることが多くて、すみません」

 カーラはそう言ってお茶を淹れようとするが、やがて部屋の中に充満する砂糖の匂いに耐えられなくなったトオヤは、黙って自分の執務室を後にする。そして、気持ちを落ち着かせるために外の空気を吸いに行こうとして彼が領主の館を出たところで、館の裏庭で一人たたずむドルチェの後ろ姿を発見した。

4.4. 彼と彼女と彼女の事情

「あれ? なんでここに?」

 そう言われたドルチェが振り向くと、彼女の手には、オーバーハイムの戦場で拾った「砕けた黒大剣の欠片」が握られていた。

「それは……」
「あそこで、ちょっと拾ってきちゃった」
「なんで?」
「混沌核に手を出すのは、君に止められちゃったからね。いやー、こんなものが僕らの成れの果てなのかな、って思って……」

 彼女は手でその欠片を弄びながら、どこか達観したような表情でそう呟く。そんな彼女に対して、トオヤもまた率直に自分の思いを語る。

「そうは思いたくはないな。あの二人にとって『行き着きたい先』はあれだったのかもしれないけど、あれはあくまで『彼等二人の世界』だ」
「ふーん。じゃあ、僕は、いずれああなったりはしない?」
「少なくとも俺はそう思う。保証は出来ないけど」

 実際のところ、トオヤは邪紋に関する知識は乏しい。そしてドルチェもまた、邪紋の構造そのものについて、はっきりと分かっている訳ではない。というよりも、邪紋については今でもまだ解明されていない謎が多く、混沌を吸収し続けた邪紋使いが最終的にどうなるのかについては、明確な法則性が見出されている訳ではない(というよりも、法則性が見出せないからこそ「混沌」なのかもしれない)。ただ、一般的な認識として、邪紋使いが「人」の姿のまま天寿をまっとうしたという話は、誰も聞いたことがないらしい。戦場で死ぬか、暴走するか、もしくは自然に溶け込んで消えて行くか、のいずれかであると言われている。

「邪紋使いが、なんでああなっちゃうのかはよく分からないけど、あの『剣の人』の場合は、『この世界の人間であること』を諦めちゃったんじゃないかな……。逆に言えば、それを諦めていないから、僕はまだ『この姿』を保っていられる……、それでいいのかな……。君がずっと、繋ぎ止めていてくれるんだろう?」

 訥々とそう語るドルチェに対して、トオヤは衝動的に今の自分の心境を口にする。

「あぁ。というか、前から言おうと思ってて、突然で、ちょっと引くかもしれないんだけど」
「なんだい?」
「結婚しない?」
「おや、本当に随分唐突だね」
「いや、あの、今、口が勝手に動いたんだけど、なんて言ったっけ?」
「『結婚しない?』って」
「あぁ、やっぱりそう言ったか」
「うん、言ったともさ」
「今すぐは無理かもしれないけど、いつか必ず、さ。別に結婚という形でなくてもいいんだけど、一緒にいたいというか、そばにいてほしいというか……」

 そんな彼に対して、彼女は湧き上がる歓喜の気持ちをひとまず抑えつつ、あえてこの場において、まずは「確認すべきこと」を訪ねる。

「姫様はいいのかい?」
「姫様は、ちゃんと守る」

 それは二人の大前提である。だが、それだけで姫様が満足するかどうかは、また別の問題である。そして、それで彼等の周囲の人々が納得するかどうかもまた、大きな問題であった。

「君のお爺様の理想は、そうじゃないだろう?」
「あぁ、それは知ってる。でも、今、姫様の横にすぐに誰かが立つというのは、良くないんじゃないかと思うんだ。結婚によって七男爵の勢力図が変わるのはその通りだ。それによって安定化もするだろう。でも、こうやってヴァレフールが割れた理由は、『二人の王子』とそれぞれ結婚したドロップスとアトワイトの争いが原因だった。それに立ち返るならば、姫の結婚の件については、少し様子を見た方がいいのかもしれない」
「ほう、それはまた、これまでの話を前提から大きく覆すような話だね」
「それに、お爺様は姫様の結婚相手をグリースのゲオルグ殿や、他の国の代表も考えてたみたいだけど、正直、それは問題を大きくするだけのような気がする。今、このブレトランドは連合と同盟の争いの場になりつつある。ここで外の国の人との縁談を進めるのは、その流れを助長させるだけなんじゃないかな。一旦冷静に落ち着いて考えてみるべきだと思う。誰が姫様の横にいるべきかは、すぐに決めるべきことじゃないと思うんだ」

 確かに、それもそれで筋の通った考えである。姫の結婚はこの国の命運を左右する大問題だからこそ、そのカードを今の内乱終結のために用いようとするのは一つの戦略ではあるが、重要な問題だからこそ、早急に決めるべきではないという考えもまた道理である。ましてや「本人」が不在のこの状況では尚更であろう。もっとも、そのことを知ってるのは彼等だけであるし、そのことを隠し通した上で、その「姫の結婚」というカードを残した状態で今のこの状況を解決することもまた、相当に難しい話ではあるのだが。

「そっか。僕は戦略の専門家とかじゃないから、それが理屈的に正しいかどうかは分からない。けど、誰もが正しいと分かってやっている訳じゃない。君がそう動くのが正しいと決めたのなら、それが正しいんだろう。あの時、僕がブレトランドに帰ってきた時から数ヶ月。そろそろ折り返し地点だ。その道を選ぶのだとすると、今より更に困難な道になるだろう。いつかひょっこり本物の姫様が帰ってくるかもしれないしね」
「そう、そうだな……。あのさ、ドルチェに聞きたいと思ってたんだけど……」
「ん?」
「姫様が帰ってきた時は、どうなると思う?」
「どうしようね?」
「だよね」

 二人共、一刻も早く彼女には帰って来てほしい。だが、帰って来た時に「今のこの二人の関係」をどう説明すべきかについては、今のところ全く方策を考えていなかった。

「僕もね、目の前のことで手一杯なんだ。具体的に言うと君のことでね。だから、なかなか頭が回りきらないことも多い。そして、さすがに僕といえども、姫様の代わりに伯爵位を継いで、それで騙しきれる自信はない」
「それは重々承知してる」
「となれば、このまま姫様が帰って来なければ、姫様が伯爵位を継ぐというのはあまり望ましくない」
「その通りだ」
「そういう意味で、今の君の提案は僕としても都合がいい。姫様が帰って来るまで結論を先延ばした方がいいだろうしね」

 とはいえ、ドルチェとしても今のままでいいと思っている訳ではない。彼女はトオヤの提案には同意しつつ、根本的な解決の必要性も改めて強く実感した上で、改めてトオヤにこう言った。

「それはそれとして、そろそろ、本物の姫様をもっと本格的に探してみないか? 上手くいく保証はない。とはいえ、どこかで生きていることは確実なんだ」
「あぁ、それは間違いない」

 もし彼女が命を落とせば、彼女が持ってる聖印は消滅し、その瞬間、彼女の従属聖印の本来の持ち主であるワトホートはそのことを察知出来る筈である。今の時点でワトホート側から何の音沙汰もないことから察するに、彼女の聖印の気配はまだ消えてはいないのだろう。
 そのことを踏まえた上で、トオヤはここで、あえて今まで選ばなかった道を提示してみる。

「それなら、お爺様にそのことを話してみるか」
「団長殿に、か?」
「あの人の持ってる情報網なら、どこかで引っかかる可能性がある」
「そうかもね。そろそろ、隠し続けるのも限界かもしれない」

 無論、それは彼がこちらの思惑に協力してくれるならば、という前提の上での話である。ケネスの立場からすれば、本物のレアが行方不明だという情報を握った時点で、むしろこのまま彼女が帰って来ない方がワトホート派に対して強気に出られる、と考える可能性もある。実際、その可能性を危惧したからこそ、今まで彼等はこのことをケネスに対して隠し続けていた。
 だが、ゴーバンの実質的な「家出」によって、状況は変わりつつある。彼に代わって「ドギ」が後継者候補として浮上したとはいえ、さすがに年齢的にもこの難局を任せるには無理があるし、何よりもその「正体」が問題である。その真相が暴かれればヴァレフールという国家そのものが崩壊しかねない以上、ケネスにとってもドギによる戴冠はあくまで「最後の手段」であり、今のところはワトホート派に対して「こちらにはレア姫以外にも選択肢はある」と牽制するための「はったり要員」にすぎない。
 その他の選択肢として、継承権放棄を宣言したヴェラを説得する、ハルーシアの貴族に嫁いだサラ(ゴーバンの姉)を呼び戻す、行方不明のフィーナ(レアの姉)を探し出す、あるいは血筋と関係なく実力者による継承を宣言する、などといった道も無くは無いが、今まで実質「レアかゴーバン、あるいはドギ」という文脈で語られてきた継承権問題に、それ以外の選択肢を突如として提示したところで、皆がまとまるとも思えない。
 つまりは、ここで「レア」という実質的な「最後の正統後継者」の芽を摘むことは(ヴァレフール全体の安定を考えれば)得策ではない、という認識は、今のケネスとの間であれば共有出来るのではないか、とトオヤは考えていた。無論、老獪なケネスがそれ以外の解決策を視野に入れている可能性もあるが、いずれにしても、今はトオヤ達自身がこの地を離れる訳にはいかない身である以上、このままでは自分達の手でレアを探しに行く見通しは立たないし、探しに行こうにも何の手がかりもない状態である。多少危険な橋を渡ってでも、ケネスの力を借りるという道は、確かに考慮すべき選択肢であった。
 幸い、今のトオヤは「ドギの真実」という機密情報を握っている以上、ケネスに対してもある程度強気での交渉が可能である。そして、ヴァレフール諸侯との交流と連戦を通じて人脈と名声を築きつつある今のトオヤを、ケネスは本格的に自身の後継者として認めつつある。数ヶ月前まではケネスにとってただの「手駒の一つ」でしかなかったトオヤが、多くの仲間達に支えられながら、いつの間にか「ケネスと対等な立場で腹を割った交渉を切り出せるだけの立場」を手に入れていたのである。
 彼等がそのことをどこまで自覚していたかは分からない。ただ、トオヤがこのような重大な決意を固めている傍らで、ドルチェはもう一つの「重大な決意」のことを思い出す。

「そうそう、そんな話をしていたから、大事なことが抜けてしまったよ。ということで、もう一度、言ってくれないかな?」
「え? あ、うん。えっと、その、はい、分かりました、うん、その、言う」

 トオヤは呼吸を整えた上で、改めて真剣な表情で、今の自分の正直な気持ちを伝える。

「ドルチェ、いつになるかは分からないけど、結婚しよう。君がたとえどんな姿でも、俺はずっと傍にいる」
「あんな姿になる気はないけどね」

 そう言って、彼女は持っていた剣の欠片をポイと投げ捨て、そして彼女もまた自分の「想い」と「決意」をそのまま彼に伝える。

「僕がどんな姿になろうと、僕が僕でいる限り、君のそばにいよう。トオヤ、いつかきっと果たしてくれ。その約束を」
「分かった。ちょっと待たせるかもしれないけど、待ってて」