ブレトランド外伝「テイタニアに愛を込めて」
テイタニア領主、ユーフィー・リルクロートは夢を見ていた。
目の前には、1人の女性がいる。長い黒髪で、東洋風の衣服を着ている。
確か、2つ隣の村の魔法師があのような衣服を着ていたと思う。
「…、……、…」
「えっと、何と言っているのでしょうか…?」
女性は何事かをつぶやいているが、その内容ははっきりと聞き取れない。
ユーフィーの疑問に答える素振りも無いまま、女性はゆっくりと近づいて…
その距離が詰まりきった時、ユーフィーの胸を、女性が突き出した金属片のようなものが貫いた。
ユーフィーは、領主館の自室で目を覚ました。
何の事は無い、いつも通りの目覚めだ。
「今のは、夢、でしたか…」
「にしても、マルカート様のこともありますし、夢は夢、と一蹴はできません…」
Opening.2. 特大のブーメラン
ユーフィーは、契約魔法師であるインディゴ・クレセントのもとを訪れた。
今朝の夢について相談するためだ。
だが、そこで、インディゴから別の問題が発生していることを知らされる。
「オーハイネに向かう道中に新たに魔境が発生しているようです。」
オーハイネとは、先日、大毒龍復活の危機に備えて、砦として再整備することを決めた古代遺跡のことである。
オーハイネは当然ボルドヴァルド大森林のただ中にあるのだが、そこに向かう道中に、森林の中でも特に混沌濃度の高い「魔境内魔境」とでもいうべき個所が発生しているらしい。
このままでは、オーハイネの再整備に差し支える。
「そこでですが、魔境討伐のために在野から戦力を募集するのはどうでしょう?」
インディゴのそうした提案に、ユーフィーは少し首を傾げた。
確かにテイタニアには多くの冒険者がいるが、領主から公式にそうやって人を募集することは珍しい。
インディゴは、さらに話を続ける。
「それでですね、もう1つの狙いは…」
曰く、ユーフィーの結婚相手候補を見つける機会にしたい、というのが、彼の語った内容だった。
これには、ユーフィーも面食らった。
確かに、そろそろ自身は結婚を真剣に考えなくてはならない年齢であるし、リルクロートの血統というのは、諸事情あって絶やす訳にはいかない。
だが、何よりそういう話には無縁だと思っていたインディゴから提案されたことが意外だった。
「まあ、ある意味、理に適ってはいますが…」
ともあれ、ユーフィーとしても、魔境探索に冒険者の手を借りること自体には反対ではない。
そもそも、「そんな簡単に素敵な出会いなんてある訳ないよね」という思いもあった。
そのあたりを考えて、ユーフィーは近隣に募集をかける許可を出すことにした。
Opening.3. エーラムの後輩
魔法師キルスは、エーラム静動魔法科に所属しており、インディゴの後輩にあたる。
実力自体は、エーラムを卒業し、君主との契約に足るものだが、彼はエーラムにとどまり続けて、いまだ研究の日々を送っていた。
特に彼が情熱を傾けているのは、特殊なスペルブックの開発である。
スペルブック自体は、魔法師の間では特に珍しくも無い代物だが、単に魔法のカンペとして書かれた本ではなく、異界の「飛びでる絵本」にインスピレーションを受けた特製スペルブックは魔法儀式を簡易に代用させる、という新たなアプローチからの試みである。
そんな彼に、先輩であるインディゴ・クレセントから通信が届く。
インディゴは(領主の結婚相手を探す、という)裏事情も含めて説明したうえで、事情があって街に留まらなくてはならない自身の代わりに、魔境討伐に向かってもらうことを依頼する。
キルスとしては、最初は渋ったものの、よくよく考えれば利が無い訳でもない。
領主のバックアップを受けてアトラタン世界有数の魔境に入れる機会はあまり無いし、それで異界の変わったものが見つかる可能性もある。
それから、そろそろエーラムからも「せめて実地研修ぐらいには行って来い」という圧力を感じ始めていた。
(実際、ユーフィーのカウント量なら2人目の魔法師を雇うことも可能であるし、ユーフィーの妹のサーシャは未だ契約魔法師がいない状態である。)
そのあたりを勘定に入れた結果、彼は先輩の申し出を受け、ブレトランドに向かったのであった。
Opening.4. 隣村の話
テイタニアで計画されている魔境討伐作戦の話は、隣村ヴィルマ村にも伝わっていた。
領主のグラン・マイアは、先日の一件にも居合わせていたゆえ、オーハイネへの経路の確保の重要性は理解している。
そこで、村の冒険者の店に向かい、とある旧友にその話を紹介することにした。
彼の名は、ラフェール・ラニエリ。
傭兵時代からのグランの友人であり、影の邪紋使いである。
最近になって、グランがこの村の領主となったということを聞いて、ヴィルマ村にやってきた。
グランは、彼に事情を説明し、加えて、もう1つ頼みごとをする。
それは、「テイタニアのパンドラ事情について探って来てほしい」ということであった。
グランの仇敵であったパンドラの魔法師クライン。
クラインは以前この森で起こったとある事件の解決後に、グランによって倒されているのだが、その直前、ユーフィーと行動を共にしていることが分かっている。
グランとしては、その件もあって、テイタニアの領主ユーフィーには、疑念の目を向けているのだ。
ラフェールは、グランの申し出を承諾する。
一方、もう1人、その話を聞いている人物がいた。
ノエルという、最近になって聖印の力に目覚めた青年だ。
ブレトランドにて復活が差し迫っている大毒龍ヴァレフスに対して、それに対抗するために108の星の生まれ変わりとされる人物を探す、という使命を負った者である。
彼もまた、グランにその話を聞き、再びテイタニアに向かうことにする。
先日、パルトーク湖近辺で発生した汚染怪獣事件にあたっては、彼も同行し、その討伐に協力したが、その手に入れたばかりの聖印の扱いはいまだもう一歩、と評されるところであった。
これからの大きな使命を果たす旅を始めるにあたって、今一度、最初の協力者であるユーフィーやグランに実力を示す機会を与えられる、というのは彼にとっても悪い話ではなかった。
こうして、ヴィルマ村から2人、魔境討伐に参加するべく、テイタニアに向かったのであった。
Opening.5. 恋する者たち
インディゴからの通達は、テイタニアの冒険者の店にも伝わっていた。
テイタニアは、ボルドヴァルド大森林のすぐ近くに位置するだけあって、冒険者の集まる地として知られている。
だが、この通達は、冒険者たちの話題にはなったが、積極的に参加しようという者はそれほど多くはなかった。
理由は当然で、領主が自ら討伐に動かなければならないほどの魔境に同行できる実力者、というのはそもそも珍しいのだ。
聖印も邪紋もない一般人でも冒険者として活動しているケースはある、というか、冒険者の多数はそのようなケースなのだが、そういった者たちには今回の一件は手に余る。
そのような状況で、この通達に興味を示していたのは2名。
1人はシャルル・コンドルセという名の君主である。
聖印の光を用いて東洋の芸術『ハナビ』を再現しようと試みている舞台芸術家である。
同じく君主でありながら手品師として舞台に立つユーフィーであれば、自身の芸術を理解してくれるかもしれない、と考え、最近になってこの街にやってきた。
が、彼の相棒であった万華鏡の投影体、ミロワールが、冒険者連続殺人事件を起こしてしまう。ミロワールはその一件の中で消滅し、シャルルは特段罪に問われることは無かったが、大切な相棒を失ったことは彼の心に少なからぬ影を落としていた。
そんな中、彼の芸術に理解を示し、ミロワールが消滅した後の彼を気遣うユーフィーに、彼は少しずつ惹かれていった。
このタイミングでの、インディゴからの通達である。シャルルは、自身が戦闘には不向きなことを承知の上で、この魔境討伐に参加することを決意した。
もう1人は、アンジェという邪紋使いである。
かつて、左右の眼の色が異なる魔法師に、邪紋移植を受け、その施術の失敗によって死亡していたと思われていたが、(埋め込まれていたのが不死者の邪紋だったためか)蘇生し、それ以前の記憶を失った、という経歴を持つテイタニアの冒険者である。
彼がこの街にとどまり、冒険者をしている最大の理由は、この街の領主ユーフィーにある。
ユーフィーは時折街に出て、冒険者の店で手品を披露したりするような「冒険者との距離が近い」君主である。
何回かその姿を見かけるうちに、アンジェは彼女に少しずつ懸想するようになっていった。
とはいえ、ヴァレフールの七男爵(しかも、割とアイドル的立ち位置)の彼女と、自分では釣り合わない。
そう思っていた彼にとって、今回の通達は、仄かな期待と戸惑いをもって受け取られた。
こうして、魔境討伐のため(あるいは、それ以外の目的をもって)、皆がテイタニアに集まった。
「ノエルくん、それからアンジェさん! 来てくれたんだ、ありがとう!」
「えっと、そちらの方は…? ヴィルマ村の方から?」
「グランさんの知り合いなんだ! よろしく!」
「シャルルくんも手伝ってくれるんだって!」
「あと、インディゴの後輩さんも来てくれてるんだよ。」
そんな会話をしつつ、領主館の会議室に通される。
そこに集まっていた6名。ユーフィー、シャルル、キルス、アンジェ、ラフェール、ノエルが今回の魔境討伐作戦のメンバーだ。
インディゴから、魔境のについて今分かっていることを説明され、作戦の決行は2日後と決める。それまでは、準備の時間とすることが伝えられる。
こうして、最初の顔合わせは解散となった。
部屋から出て行こうとする間際、ユーフィーが思い出したように皆に呼びかける。
「あ、そうだ!」
「今日の夜、また手品のステージに立つんだ。よかったら見に来てよ!」
Mid.2. On The Stage
その夜、テイタニアの街にある冒険者の店。
この店の一角には小規模なステージが設えられている。
街から街へ渡り歩く吟遊詩人が利用したり、冒険者の中にも一部、音楽を趣味とする者、単に目立ちたがりの者がそれなりにいて、意外と賑わっている。
そして、今宵もステージの周囲には観客たちが集まっていた。
ステージに立つのは領主にして手品師、ユーフィー・リルクロート。
歓声に包まれて登場した彼女は、きらびやかに手品を披露していく。
観客の最前列では、シャルルとアンジェが手品(というより、ユーフィーを)見つめていた。
少し離れたカウンター席では、この地特有の果実酒を楽しみながら、ラフェールとノエルが、ステージを眺めていた。
いつも通り、手慣れた様子でステージを進めていく。
ある演目では、手品の演出に、ぱっと自分の聖印で光のエフェクトを掛けた。
シャルルの使う『ハナビ』の技術の応用だ。
この技術をずっと使ってきたシャルルには、その扱いは及ばないものの、要所要所に取り入れ、ステージに彩りを添えていく。
一際綺麗にその技が決まった時、ユーフィーは観客席のシャルルにウィンクする。
ステージも佳境に差し掛かった時、次の演目に移ろうとするユーフィーが、観客席に向かって呼びかけた。
「次の魔法(マジック)は、誰かにお手伝いしてほしいと思いまーす!」
「どなたか、私と一緒に、ステージに立っていただけませんか?」
その呼びかけに、シャルルとアンジェはすぐに手を挙げた。
ノエルと、ラフェールも、面白そうだし、ユーフィーの手品には興味がある、ということで手を挙げる。
他にも、ちらほらと観客から手が挙がっているようだ。
「みんな、ありがとー!」
「でもごめんね。全員と一緒に、って訳にはいかないから…」
そう言って、いかなる手品か、ぱっと手の中に花束を出現させると、後ろを向いて、高い軌道で観客席に投げ入れる。
どうやら、この花束を受け取った人にステージに登ってもらう、ということらしい。
くるくると回りながら、花束は観客席に落ちていき…
…綺麗に、アンジェの手の中に収まった。
「じゃあ、キミ。よろしくおねがいしますっ!」
そう言って、アンジェの手を引いてステージに案内すると、彼と共に、また幾つかの手品を披露していく。
アンジェは、憧れの人の間近で、いっしょにステージに立てる喜びでどこかたどたどしかったが、ユーフィーが手を引いて上手くステージを進めていく。
やがて、全ての演目が終わり、店はステージへの注目を失う。
舞台袖に降りたユーフィーは、今日のステージを一緒に盛り上げてくれたアンジェに一際に輝く笑顔を向ける。
「今日はありがとう!アンジェさん!」
「とっても、楽しかったです!」
Mid.3. 聖光の君主たち
おのおの冒険者の店からの帰途に就いた翌日、魔境討伐を翌日に控えた準備日である。
ユーフィー、そしてノエルは領主館の裏庭にいた。
魔境討伐を前に、聖印を得たばかりのノエルと、同系統の聖印の使い手であるユーフィーで鍛錬をしよう、という試みである。
「さて、じゃあ、行くよ。ノエルくん!」
言うと、聖印の力を掌に集め、そこから2本の光のバトンを作り出す。
対して、ノエルも光の武器を構える。
パニッシャー、と言われる分類の君主たちにとっては、基本的な技術である。
互いに間合いを測った次の一瞬、くるりと身を翻し、ユーフィーが光のバトンでの攻撃を横薙ぎに仕掛ける。
武勇で語られることは少ないものの、それでもヴァレフール有数の君主である。
だが、ノエルはその一撃を軽やかに回避する。もとより、ノエルの戦い方は騎乗戦闘を前提とした回避重視のものだ。
「いいね、ノエルくん!」
「じゃあ、これならどうかな?」
空振ったバトンを翻し、今度は聖印の力をバトンに纏わせて精度を補助する。
避けようとするものの、ノエルの動きは間に合わない。
次の瞬間、バトンは命中の直前でピタリと止められていた。
その時、バトンの動きには《キネティックバリア》の魔法で勢いを減殺されているのを見たユーフィーは、ふと後ろを振り返る。
魔法の主であるキルス、それからシャルルとラフェール、アンジェもいつの間にか裏庭に出て来ていたようだ。
「ノエルくん、この前よりずっと良くなってるよ。」
「やっぱり聖印の扱いだけだね。ちょっとアドバイスをするなら…」
そう言って、皆でわいのわいのと議論が始まる。
折角なら、皆のできることを把握しておいた方が魔境探索にもプラスに働くだろう、ということで、そのまま裏庭で他の人も交えて訓練が続く。
こうして、テイタニア領主館の午前は、過ぎて行った…
Mid.4. 手品教室
昼食後は、ラフェールの希望で、ユーフィーから手品を習いたいということになった。
幸いにして、テイタニアで食事に問題を起こす人物はいなかったので、昼食の時間は穏やかに過ぎてゆく。
「そうそう、そんな感じ。 ラフェールさん、器用なんだね!」
ラフェールはもともと余興程度には手品をたしなんでいたこともあり、すぐにそれなりの演目は出来るようになっていた。
あるいは、暗殺者としての技術を多く含む影の邪紋使い故かもしれない。
そういえば、テイタニアの武官であるアレスも、同じ系統の邪紋使いであり、ユーフィーの手品教室に通っていた。
「ねえ、シャルルくん。」
「シャルルくんの『ハナビ』、だっけ? アレのやり方、教えてよ!」
昨日のステージでも、見様見真似のちょっとした技は取り入れていたが、ユーフィーはそれでは満足していないらしい。
同じように舞台に立つ君主に出会ったからだろう、ユーフィーは一際楽しそうに、シャルルに教わりながら、光の芸術を試していく。
夢中になっているうちに、日も傾いてきた。
終始楽しげに、この手品教室はの時間は過ぎて行った…
Mid.5. 冒険の前夜、気付いた想いと
テイタニア領主館に夜の帳がおりてゆく…
アンジェは、少し焦っていた。
明日は魔境探索だ。
この魔境探索チームに入って、準備日と称して、皆で一緒に過ごして。
その時間は、彼の内に宿る懸想の念を、より強く意識させるに充分だった。
この魔境探索が終わったら、こんなにユーフィーの近くに居れる機会は無いかもしれない。
どうしても、この機会に、想いを伝えたい!
「あれ? どうされました、アンジェさん?」
出会ったアンジェにユーフィーが聞く。
この言葉を聞いても、アンジェの中には「自分だけ「さん付け」で呼ばれてるじゃないか!」と、余計なネガティブが渦巻く。
(実際のところ、単にユーフィーは年下のシャルルやノエルは「くん付け」で呼んでいるだけなのだが。)
でも、もう、引けない。
「あの、ユーフィーさん。」
「僕は、あなたのことが、好きです!」
「え…?」
ユーフィーは、アンジェの言葉を聞いて固まる。
もちろん、事前にインディゴからこの企画の趣旨を聞いていた以上、参加者が自分に好意を向けている可能性は知っていた。
だけど、知っていただけだった。
本当に、誰かがこうやって、想いを伝えてくるなんて、思っていなかった。
想いを告げられた瞬間、嬉しさが込み上げてきた気がしたが、その意味を理解する前に、ユーフィーの胸中は申し訳なさに塗りつぶされる。
この企画で、本気で想いを告げてくれる人なんて、どうせいない。
そう思っていた自分が、とても酷いことをしてしまったようで…
「ご、ごめんなさい!」
ユーフィーは反射的にそう叫んで、アンジェの前から逃げ去っていく。
少し冷静に考えれば、誤解を生むことも分かるだろうが、頭の中にそんな余裕は無かった。
その場にはアンジェが残される。
もともと、上手くいくなんて思ってはいなかった。
でも、やはり、こうやって現実として突きつけられると、胸が痛む…
領主館の廊下を走り抜ける。
曲がり角を曲がったところで、不意に現れた人影に驚き、咄嗟に避ける。
「ああっ! ご、ごめんなさい!」
ぶつかりそうになった相手は、シャルルだった。
シャルルは、ユーフィーのあまりに慌てた様子を見て、何が起こったのか、なんとなく察する。
「誰かに、何か言われましたか?」
はっとして、「とにかく逃げなきゃ」と思っていた思考に少し隙間が生まれる。
こくリ、と軽く無言で頷く。
「もしかして…」
「兄がそういう人でしたので、少しは敏くなったんですよ。」
あるいは、ユーフィーの姿は実際のところ、何が起こったのかは分かりやすかったのだが、シャルルは「自分が敏いから気付いた」ということにしておいてくれたのかもしれない。
「私は! 酷いことをしてしまったかもしれない!」
「真剣な想いに、「どうせそんな訳はない」って思ってた!」
ユーフィーは、アンジェに、とは言わなかった。
シャルルや、ノエルの気持ちにも気付きつつあった。
一方のシャルルは、ようやくそれで1つ、得心がいった。
ユーフィーは、このような企画を立ち上げられているにも関わらず、あまりにも自然体だった。
自分がその立場なら、いつも通りに振る舞うことなどできない。
「ああ、なるほど」と前置きして語りだす。
「あなたは今回の件について、本気で向き合っていなかったのでは?」
「出来れば、あなたにそんな顔をさせるのは、私でありたかった。」
ユーフィーも、その話の中で、予感は確信に変わる。
そう、アンジェさんだけじゃない、私は、みんなの想いを…
ようやく、自室に戻ってきた。
とても、長い時間だった、ような気がする。
1人になると、輪をかけて自分のした事が巡り、自身を締め付ける。
アンジェさんと、シャルルくんに言われたことが頭を駆け巡る。
ぐちゃぐちゃ頭の中を少しずつ眺めても、答えなんか出てこない。
だから、1つだけ、今、答えを出した。
「私は、皆の想いを受けて、決めなきゃいけない。」
「私の想いを、大切な何かを見つけなきゃいけない。 いや、見つけたい!」
少しだけ、頭はクリアになった。
明日は、魔境探索だ。
朝、領主館の部屋に集まった魔境探索チームは、やはりどこかぎこちない。
魂が抜けたような様子のアンジェ、どこか心配そうな目線を向けるシャルル。
最後にこの部屋にやってきたユーフィーは、しっかりした足取りながらも、やはりどこかに無理が見てとれる。
様子を見たキルスは内心思った。
(誰だよっ! 今、やりやがったヤツ! なぜ、今やった! 言えっ!!)
事情を知っている彼にとってはこうなることも想定には入っていた。
だが、彼が想定したのは魔境探索の後での告白劇。
前日に、しかも複数人が告白するとは考えていなかったのだ。
(クソがっ!恋愛というのはここまで人を荒らすのかっ!)
彼の心の叫びは誰にも届かなかった。
とはいえ、そこはヴァレフール有数の君主や実力ある冒険者たち。
魔境探索自体は、つつがなくこなしていく。
魔境は、森林をベースに、そこかしこに操り人形の物と思われる糸が張り巡らされたものだった。
途中、戻り路を糸に塞がれ立ち往生する場面もあったが、金髪の魔法使いらしき人物の助けで、何とかその部屋を脱する。
その人物のヒントを頼りに、この糸は炎熱系の攻撃であれば焼き切れるということに気付き、魔境の最奥部に繋がる通路をふさぐ糸をシャルルの光弾で焼き切る。
こうして、皆は、魔境の最奥部に踏み入れる…
Adventure.2. 豹変のメガミ
魔境の最奥部と思しき場所にたどり着くと、そこには、東洋風の衣服を着た女性が佇んでいた。
その手には、これもまた東洋風の傘が握られている。
「…、……、……」
何かを喋っているようだが、その言葉は途切れ途切れでよく聞こえない。
つい最近、同じような人物を見かけていたユーフィーは気付く。
「アナタは、夢に出てきた…?」
だが、女性は、ユーフィーの言葉に反応を示さない。
まったくもって、夢のことなど知らないかのようである。
「違う、のでしょうか…?」
この女性からは強い混沌の気配を感じる以上、この魔境と深い関係があるようには思える。
だが、どうにも話が通じない。
そこで、キルスが1つの可能性に思い当たった。
「もしかして、この女性のような投影体は複数いるのでは?」
その時、背後からもう1人の人影が現れた。
咄嗟に気付いて避けるが、新たに現れた女性が発していたのは紛れもなく敵意。
女性の手には見慣れぬアクセサリーと思しき金属片が握られている。
こちらが、ユーフィーの夢に現れていた人物には近い。
だが、そこで、もう1人、傘の女性も動いた。
傘を構え、戦いの態勢を取る。
ユーフィーたちは知らないが、この女性の正体は、アトラタンに投影された異世界のメガミの一柱。
その名前はユキヒ。縁や人間関係を象徴するメガミであり、2つの心を持つとされている。
ここに、異界のメガミとの戦いが幕を開けた。
戦いは一筋縄にはいかなかった。
縁や人間関係をつかさどるメガミらしく、ユーフィーたちの行動1つ1つに干渉しては心を揺さぶり、誘惑に陥れる。
加えて、誘惑した者、された者にさまざまに働く魔境の理が翻弄する。
だが、皆の攻撃は的確に、少しずつ戦況を塗り替えていき…、やがて、傘の使い手の方の女性は倒れる。
「これで、決めます!」
最後は、ユーフィーの光のバトンによる一撃で、簪の方の女性も倒れ、混沌核へと還っていったのであった。
発生した混沌核を、ユーフィー、シャルル、ノエルが浄化すると、少しずつ、この魔境が崩れ、元の森林へと戻っていった(元の森林、といってもまだ魔境なのだが)。
「やったね!みんな!」
「じゃあ、テイタニアに帰ろうか!」
伝えなきゃいけない。その想いは確信に変わった。
だから、テイタニアに戻る道すがら、ユーフィーさんに言った。
「この魔境から帰ったら、伝えたいことがあります」
ユーフィーさんは、軽く頷いた。
もう後には引けない、という事実に心が早鐘を打った。
その言葉の真意を知っていたかどうかは定かではないが、ユーフィーさんは約束の時間、約束の場所にちゃんとやって来てくれた。
ならばこちらも、言ったことを覆してはいけない。
今回の冒険を通じて気づいたことを、ずっと抱いていたモヤモヤに名前がついたことを、隠さず伝えなければいけない。
いや、義務感じゃなく、伝えたいんだ。
「ユーフィーさん、好きです」
「......うん」
自分の聖印に対する思いや、今までのことを話して無駄に時間を稼いでしまったが、結局のところ言いたいのはそれだけだった。
あの魔境の主との戦いの前、襲われたユーフィーさんを庇うアンジェを見て、言いようのない悔しさを覚えた。
瞬間、好きだということにようやく気づいた。その感情にこそ、俺の左手の印は強く共鳴した。
もっと上手くアプローチ出来ていただろう。
より魅力的な告白の仕方があっただろう。でも無理だった。
恋愛どころか恋さえ今まで知らなかった俺は、そんな器用な手段を持ち合わせていない。『正直に伝えれば全部上手くいく』という、お伽話で学んだような教訓に頼る他なかったんだ。
それに——。俺には一つ、あまりに大きな負い目があった。
「自分勝手だとは分かっています。もし万が一俺を受け入れてくれたとして、俺はあなたを置き去りにしなければいけない」
「でも、自分に嘘は付けません」
これからのブレトランド巡りは、おそらく最も危険な旅になる。
帰ってこられないかも知れない。
今の俺のままではいられないかも知れない。
少なくともユーフィーさんを幸せにできる公算は、二人に比べてずっと低い。
彼女のためを思うのであれば、そもそもこの感情は心の中にしまっておくべきだ。
それでも、愛されたいと思ってしまった。
いつも全てに向く彼女の優しさや笑顔が、自分だけに向く瞬間があって欲しい。
それが、散々遠回りしてたどり着いた俺の願いだった。
「伝えてくれて、ありがとう」
「いえ。こちらこそ聞いて下さってありがとうございました」
聞き流されなかっただけで、胸がいっぱいになるほどに嬉しい。
ユーフィーさんの選択肢に入ることさえ出来ればそれでいい——というのは自己欺瞞になるけど、実際少しだけ不安は溶けた。
「まずは、これからの君の旅路に、幸多からんことを。」
差し出してくれた手を、今度はしっかりと握る。手のひらから伝わる柔らかさと冷たさに思わずどきりとした。
ああ、やっぱり好きだな。
俺にパニッシャーの力の使い方を教えてくれるほどに強くて、一国を治められるほどにたくましくて——それなのに、ずるいくらい女の子なんだもんなあ。
「そして、今は少し、私に時間を下さい。」
「私は、初めて、誰かが真剣に、私の事を思ってくださっていると知りました。」
「その重さを知ってしまった以上、その想いは受け止めねばなりません。」
「だから、少し、時間を下さい。」
その意味するところは分かった。
知ってしまったからこそ、ユーフィーさんは努めて公平であろうとしている。
海千山千の恋愛上手なら、もうちょっと上手く言い繕うのかもしれないけど、それが彼女ゆえの誠実さなんだろう。
それでいいんだ、伝えたいことは伝えた。
二人を待たせるのは良くないし、なによりこれ以上ここにいることに俺自身が耐えきれない。
それでは、と踵を返し、早足で扉に向かう。
胸の辺りを左手で強く握りしめ、部屋を出たあとでも、果たして心臓の早鐘は収まりそうになかった。
選ばれる公算なんてない。けど、期待ぐらい、したっていいだろう。
Ending.2. シャルルの想い
コンドルセの家を飛び出した背景には、様々な事情があった。
聖印を「見世物の道具」として使うことは両親から批判されたし、戦いが苦手な自分を見て家臣たちは笑った、そして何より、自分の結婚相手を勝手に決められそうになったことへの反発が、最終的な家出の引金となっていたと思う。
だから、「自分が生涯愛し続けることが出来ると確信した相手にしか愛は語らない」と思うようになった。
それは、色欲に正直に生きる長兄への反発であると同時に、子供の頃に「気になる女の子に近付きたい一心で静動魔法師を志した」という自分の愚行を正当化するための(あの時の自分はそれだけ本気だった、と自分に言い聞かせるための)誓いでもある。
だからこそ、そんな自分の信念を無視して「生涯の伴侶」を勝手に決められることが、どうしても許せなかった。
男女関係に対して重い枷を自分自身に課し続けてきたからこそ、自分の伴侶は自分で決める。
そこだけは、私にとっては絶対に譲れない一線。
今、自分の過去を冷静に思い返してみると、そういうことなんだろう。
だが、大陸各地を放浪し続けた私の前に、その枷を超えられるだけの相手はなかなか現れなかった。
私の中では「子供の頃の初恋を忘れられる相手」というのが最低ラインに設定されていたのだが、そのハードルは存外高かったようである。
そんな私が「いつまでも理想を追い求めても仕方がないか……」と諦めかけていたところで出会ったのが、ユーフィーであった。
領主としての責務を果たしながら、貴重な時間を割いて人々の前で「趣味」として手品を披露し続ける彼女の笑顔は、シャルルにとってはあまりにも眩しかった。
そしてそんな彼女との出会いによって、彼は「聖印の光を使って人々を楽しませること」に自信を持てるようになり、彼女と共に挑んだ今回の魔境浄化作戦を通じて、中途半端な聖印の力しか扱えない自分でも「後方支援」という形で役に立てることを実感した。
自分が長年探し求めた「理想」の体現者である上に、自分の劣等感を克服させてくれたユーフィーへの想いは、シャルルの中で嫌が応にも高まっていた。
彼女であればきっと、共に歩んで行ける。
彼女であればきっと、過去の想いも断ち切れる。
私がそんな想いを抱きつつ、ユーフィーの私室へと向かうと、ちょうどそのタイミングで、ノエルが彼女の部屋から出てきた。
どうやら、彼も私と同じ想いを抱いているらしい、ということを察しつつ、彼と入れ替わりにユーフィーの部屋の扉を叩くと、ユーフィーは彼を招き入れた。
私はユーフィーに、自分の全てを打ち明けた。自分が「不純な動機」で練成魔法師を目指していたことや、当時の初恋を引きずり続けていたこともあえて告げた上で、改めて今の自分の想いを打ち明けた。
「私、理想が高いんですよ。だからこそ実家を飛び出して、大陸各地でその理想を追い求め続けて、そしてようやく、あなたに巡り合うことが出来た。私が生涯をかけて愛することが出来る相手に。」
「ここであなたを逃したら、今度はいつ『あなたを忘れられる人』に出会えるか、全く見当もつかない。だからこそ、譲りたくはない。」
「私をあなたの婿にしてほしい。あなたの隣であなたを支え続ける権利が欲しい。それが今の私の願いです。」
正直なところ、「生涯の伴侶を見つけたら、その相手を連れて実家に帰る」という選択肢も考えていた。
しかし、ユーフィーとこの街の人々との繋がりの深さを目の当たりにしたら、彼女をこの街から引き剥がすべきではないと確信した。
私がリルクロート家の婿となることを父が認めないのなら、(父から譲り受けた)従属聖印を奪われても構わない、ということまで覚悟した上での入婿宣言。
ユーフィーはその言葉に、ゆっくりと「ありがとう」とだけ答えた。
分かっている。私以外にも、この想いを伝えたがっている人がいる。
きっと、自分に向けられた想いを、全部聞くのだろう。
その上で、私を、シャルル・コンドルセを。選んでほしい。
Ending.3. アンジェの想い
僕は、邪紋使いだ。
それも、そうなるまで僕がどこでどうしていたのか、一体どこの誰だったのかも、さっぱり分からない。
つまりは、いわゆる「どこの馬の骨」の極め付きみたいなものなんだ。
しかも、不死者の邪紋使いだよ。化粧の下の肌は蒼白い。
けれど、胸の内に灯る想いだけは、アンジェという者の掴んだ本物なんだ。
だから、伝えなきゃいけない。たとえ、そこに望みが無くても。
不死者のくせに緊張で震える手で、その扉をノックした。
「どうぞ、入ってください。アンジェさん」
ノックに応える声に名指しされ、はっと察する。
僕が来ることを予感していた、ということは…
「大事な魔境討伐の前夜に、あなたを動揺させるようなことを言って、本当にすみませんでした」
「あなたのあの反応から、望みは薄いと分かってはいるのですが…最後にもう一度だけ、伝えておきたくて」
ユーフィー様は静かに聞いている。
やはり、望みは薄いのだろうか。
でも、続ける。
「ユーフィー様、貴女は昨日、『聖印にも邪紋にも、持ち主の願いや思いがつまっている』…と、そうおっしゃいましたね。…でも、俺にはそれがないんです」
「ええ、実は僕には…。『どうして邪紋を刻もうと思ったのか、どうやって刻んだのか』という記憶が、すっぽり抜け落ちてるんです」
そう、ならば、この邪紋は何のためにあるのか。
アンジェという人物はどうしてここにいるのか。
答えを見つけたからだろう、想いは存外に容易く、言葉という形になった。
「この邪紋も、せっかくなら人のために使おうと今まで生きてきましたが…。この街に来て、貴女に恋をして、1年経って…少し、その考えというか…願いが変わりました」
「「俺」は、この力を…この邪紋を、貴女を守るために使いたい!あなたの隣で、あなたの笑顔を守りたい…!」
伝えた。
もう、これ以上でもこれ以下でもない、これしかない俺の気持ちを!
だから、「少し、時間を下さい」と答える彼女に掛ける言葉だけは、少し、自信をもっていた。
「はい、もちろん。ずっと待ってます」
Ending.4. 想い、応える時
アンジェが部屋から退室した後、1人残された部屋で、ユーフィーは想っていた。
結論は出ている。けれど、それを伝えるために部屋から出られない。
脚がとても重い。みんなを選ぶことなんて、出来ないから。
みんなに優しいステージのアイドル、そのままでいれたら、どんなに楽だっただろう。
いつか、政略の都合で誰かと結ばれるなら、想い悩むことも無かったのだろう。
だけど、胸の中に灯る、こんな想いを知ることも無かったのだろう。
ああ、伝えなきゃ。
誰かを選ばなきゃいけないからじゃない。
リルクロートの血統を残さなきゃいけないからじゃない。
私が、ユーフィー・リルクロートは、”あの人”と共に歩みたいから…!
ドアに手を掛ける。
驚くほど、ドアノブは軽く回った。
ノエルくんが滞在している部屋をノックする。
「ノエルくん、私の想いを伝えに来ました!」
勢いで言ってから、誤解を招く表現だったと気付く。
申し訳なさで、動揺が顔に出てたと思う。だって、私が今から伝えることは…
「ごめんなさい!ノエルくん!」
「私は、キミの想いには、応えられません!」
訂正しなきゃ、と思って動揺のゆえか、そのまま、言い切ってしまった。
何かが、胸に刺さったように痛い。
ノエルくんが聞いてくる。
「聞いてもいいですか?」
「誰を選んだんです?」
恋の駆け引き何とかで相手の真意を見抜けるほど、私は器用じゃないけど。
でも、なんとなく、ノエルくんに告げる言葉は、意外とすんなり出てきた。
「うん、私は…選びました。……さんを。」
その名前を聞くと、ノエルくんは笑って言った。
「まあ、しょうがないっすね。アイツ、良いヤツだからな。」
その笑顔の中に、確かな口惜しさと、”その人”に託す信頼を見た、気がした。
いや、私はそんなに、恋に器用じゃない。けどね。
だから、私は、どこか安心して、次の言葉を紡いだ。
「キミがいつかこの地に帰ってくる時まで、私は、キミの旅を、」
「この、テイタニアの地から、良き旅を、祈っています。」
次に、シャルルくんの部屋に向かった。
シャルルくんは鋭いから、きっと私が来ることに気付いているのかもしれない。
ノックに対して帰ってきた声は、とても穏やかだった、と思う。
勧められた椅子に座り、話し始める。
「シャルルくん、まずは、ありがとう。」
「私の中にも、ずっと迷いがあった。」
「君主として、強くなれなくて、中途半端で、ステージに立ちながらも、これでいいのかな?ってずっと思ってた。」
「だけど、シャルルくんの言葉は、私に勇気をくれた!」
「私は、もう迷わない!」
一息に喋る。
息が苦しいのは、喋り過ぎたからだろうか。多分そうじゃない。
「でも、ごめんなさい!」
「私は、アナタの想いに応えられなかった。」
「私には、今、そしてこれからも、共に歩みたいと思う人がいます!」
シャルルくんは静かに聞いていた。
私がシャルルくんの立場だったら、正直、選ばれるのは自分だ、って思っちゃうと思う。
でも、彼は、自分も精一杯伝えて、他の誰かも精一杯伝えて、その結末を聞いていた。
それから、ちょっとシャルルくんとお話をした。
「出来れば、どんな形であれ、あなたと一緒にステージに立ちたかった。たとえ私が選ばれなくても、一人の助手として、あなたの舞台を演出したい、そう思っていました。」
「でも、自分で思っていたよりも、私は心が狭いらしい。ステージを降りた時、あなたの隣に他の誰かが立っている姿を見ることに、今の私では耐えられそうにない。」
「だから、今は、私はあなたから逃げます。幸か不幸か、今の私には『ミロを探す』という『逃げ場』がある。でも、いつか、気持ちに整理がついた時、またあなたと同じステージ立ちたい、そう思っています。その時まで、どうかお元気で。」
これから、ミロワールくんがまたこの世界に現れることを信じて、旅に出るらしい。
もしかしたら、もうテイタニアに帰ってくることは無いのかもしれない。
部屋を出る時、私はシャルルくんに言った。
「よかったら、また、シャルルくんの光の舞台を、見せてください。」
「シャルルくんが、どこかのステージに立ち続けるなら、私もここで、ステージから誰かに笑顔を届けています。」
「だから、私たちは、同じ目標に向かう”盟友”です!」
私は、想いを伝えに来た。
これからもずっと、この人の隣で歩みたい!
私の中の、このキラキラした想いの真ん中には、アナタがいるんです!
「アンジェさん!!」
呼びかけた彼は、私に笑顔を返してくれる。
けど、その中にどこか沈んだ表情が隠れているように見えた。
心当たりがある。申し訳なさが胸に刺さる。
「えっと…ごめんなさい!」
「逃げたんじゃなくて、えっと、いや、逃げたんだけど!」
言おうとすると余計に混乱する。
ああ、もう頭の中が分かんない!
靄のような頭をさらって、何とか私の想いの内に沸いたそれを掴んだ、ような気がした。
「アンジェさん! 私は、アナタのことが好きです!大好きです!」
「他の誰よりも、アンジェさんと一緒に”これから”を歩みたい!」
「そう、思うんです。私は!」
言い切って顔を上げると、アンジェさんが、信じられないような顔を浮かべていた。
けど、ゆっくりとその顔に喜びが満ちる。
「はい、喜んで!」
きっと、私もこれ以上ない笑顔を浮かべていたのだろう。
「ねぇ、お願いがあるんです。」
「私の名前を呼んでみてください、アンジェ。」
愛しい人から聞く呼びかけは、何よりも強く、私の心に響いた。
Ending.5. キルスの憂鬱、あるいは蛇足な後日談
魔境討伐から数か月後。
キルスはエーラムで以前と変わらない生活を送っていた。
いや、正確には違うか。
「キルスさん、いますか?」
研究室の扉の外から聞こえてくる声。
最近増えた『聞き覚えのない声』に辟易としながら彼は返す。
「キルスは俺だが、何の用だ?」
その声で開いた扉の外にはキルスにとっては面識のない少女。
彼女はキルスの顔を見るなり花が咲いたような笑顔で話す。
「キルスさん!私の初恋、手伝ってください!」
どうやらテイタニアでの話を吹聴したやつがいるらしく、最近キルスにはこのように恋愛依頼が舞い込んでくるようになったのだ。
「・・・わかった。詳しい話は聞こう」
普通なら断るところだと思われるが、彼の口から出てきたのは承諾の言葉。残念なことに彼は他者の感情を察知しやすい性質なため、断り切れないのであった。
それが新たな依頼を呼び込むことになることになるとは分かっていても、承諾するのがキルスという人間なのだ。
はたして彼が他者に恋をするのはいつになることやら。それは誰にも――縁をつかさどる女神にもわからない。
Ending.EX 壁の向こうには届かない
ばっ、と乱暴にドアが開かれると同時に、二つの足音が聞こえてきた。大股のものと、細かいものが一つずつ。誰が入ってきたかは予想がついたが、少し意外ではあった。彼らがこの時間に二人で、というのは滅多にないことだからだ。
「一番高い酒持ってこい」
入り口近くの席に近づきながら、大股の方——ノエルはこちらに注文を投げた。ほう、仕事で余程実入りが良かったんだろうか。訝しみながら酒棚の鍵を取ったところで、彼は付け足す。
「......値段じゃねぇ。アルコール度数だっ」
「ノ、ノエル......」
いつもより相当語調の荒いノエルに、その後ろから付いてきた細身の青年、アンジェが怯えたように呟きかける。
事情はある程度察せられた。この二人には何らかの決着が必要であり、それにあまり乗り気でないアンジェを、ノエルが無理矢理引っ張ってきた形だろう。酒の勢いが必要らしいことを考えると、おそらくは恋愛沙汰。さらに言うなら、この前ここで噂になっていた、「テイタニア領主の婿探しを兼ねた」とかいう魔境調査依頼の案件が絡んでいる可能性が高い。こういった直感は、酒場の店主として客の様々な愚痴を聞いてきた経験の賜物だった。
席に着いた彼らに、私は二つのジョッキを持っていくことにした。一つは注文通り高度数の“酔える”酒であり、もう一つはただの冷水だ。おそらくアンジェの側にアルコールを入れる余裕はないだろうと思った。
そのままそそくさと持ち場に戻り、並べられたグラスの一つと手拭いを手に取る。グラスの手入れには目視も注意も必要ない。盗み聞きをするには絶好の作業なのだ。既に三分の一を空けたノエルのジョッキを見て、面白いことになりそうだ、と私は笑みを隠した。
「一つ目」
だん、とジョッキを置き、青年は長く息を吸う。大声を出そうとしているようには見えなかった。あれは、ふと出てしまいそうになる本音を押し殺すための時間稼ぎをしているだけだ。
「おめでとう。ユーフィーさんはお前を選んだ。正直悔しいっちゃ悔しいけど、お前になら安心して任せられる。だから、候補者にお前がいて良かった」
良かった訳がない。自分に言い聞かせているのは明白だ。もっとも、彼自身はそのことに気づいていないだろうが。
私は先の自分の予想が当たっていたことに内心ほくそ笑みながら、同時に、あーあ、とも思った。抑えたつもりなんだろうが、ノエルの声は少し大きすぎた。入店の際の声で多少注目を集めていたこともあって、今の彼の発言は多くの客の耳に入ったはずだ。無遠慮で野暮な連中がそれに対してどう反応するかなど、想像するまでもない。
「マジで⁉︎」
「おめでとう、アンジェおめでとう!」
「あの噂本当だったのかよ⁉︎」
二人のテーブルには次々と酒酔い客が押し寄せて、アンジェに怒涛の質問責めを仕掛ける。円状に出来た群衆を遠巻きに眺めながら、私はグラスを置いた。残念だ。これでは話の続きは聞けそうもな——
「うるせえっ‼︎」
怒号とともに、だん! と一際大きな音が鳴る。念の為、ノエル側のジョッキを頑丈なものにしておいたのは正解だったようだ。
「今は俺とこいつが話してんだよ。邪魔すんな」
ドスの効いたその一言で、蜘蛛を散らすように、とは言わないまでも、群衆の輪の直径はだいぶ大きくなったし、声も止んだ。
今のうちとばかりに私は輪を潜り抜け、ノエルに二杯目を注ぐ。出来るだけ平静を装いつつ元の位置に戻り、グラス拭きを再開した。同じ場所からの観察を続けられるかは不安だったが、幸いにもちょうど良く開いた隙間から二人の姿が確認出来た。
青年が二杯目をぐびぐびと飲む対面で、赤目のアンデッドは微動だにせず、ただ息を飲んでいた。見れば、彼に注がれた水は少しも減っていない。喉は渇いているだろうが、飲む気になれないらしい。
「二つ目!」
直前の叫びの荒々しさを残したまま、ノエルはもう一度喋り出した。
「お前になら任せられるとは言ったが! ユーフィーさん泣かせたら承知しねーからな! そんときは俺が取りに行くから覚悟しておけよ」
「も、もちろん、泣かせるつもりはないよ」
「“つもり”じゃねえだろ、“泣かせません”だろうがあぁっっ‼︎」
「ひいいぃぃ」
アンジェはおっかなびっくり答えようとしたが、どうやら言葉選びを間違えてしまったようだ。こうなるともう彼に弁論の余地はない。以降はノエルに言われたい放題だろう。喧嘩に発展した方が面白かっただろうが、普段怒りを撒き散らしたりはしないノエルのリミッターが外れた姿は、まあ次点で眺め続けたいものではあった。
「三つ目ぇっ!」
ところが、そうもいかないようだった。もはや絶叫に近い強さで発声されたその言葉は、暗に「それが最後」だということを示唆しているような気がした。
案の定、そう言った後、彼はテーブルに食いかかろうかというような今までの姿勢をやめ、椅子の背もたれに重心を移した。それからアンジェには視線を向けず、惜しむようにゆっくりと口を開く。
「ごめん。自分勝手過ぎた。そもそも、その気がないって言っておきながら、あの後ユーフィーさんに惹かれて、お前に相談もせずに告白したのは俺だ。
今の俺は、お前に八つ当たりしてるだけだ。俺が間違ってるのは分かってる。だけど......」
ノエルは顔を上げ、今一度彼に向き合った。
「頼む、アンジェ——一発だけ殴らせろ」
「————」
歯痒いことに、そのアンジェの返答だけは聞き取ることができなかった。ただ、内容は表情から想像することができる。両者が立ち上がったあたりで、群衆は更に後ろへ退いた。
静かに立つアンデッドに、聖印を宿した青年はおもむろに近づいていく。物音一つ立てられないような緊張感が場を支配していた。やがてその中で唯一響いていた足音も止まった。足を一歩踏み切れば、拳が届く距離だ。
ノエルはそこで、一瞬たじろいだ様子だった。彼に何があったのかは分からないが、その後わずかに見せた微笑みは、こう言っているようにも見えた。「敵わないな」。
——数秒後聞こえたのは、喧嘩でよく聞くようなそれとはまるで違い、壁でも殴ったかのような無機質な音だった。
当たり前だ。そう思った。アンジェはアンデッドだ、なんの準備もなしに徒手空拳で、その堅牢な身体にダメージを与えられる由はない。それはノエルも分かっていたはずだ。激情のあまり忘れていたのか、それとも。
「いって。硬過ぎんだろ」
殴った側は、しかしそれに見合わない苦々しい顔をしながら、右手を広げてひらひらさせた。
「......その強さで、ユーフィーさんも守ってやれよ」
無言で頷いたアンジェに、ノエルは背を向ける。いくら野暮とは言えども、とぼとぼと出口へ向かう彼を止めるような者は一人もいなかった。
残された男は彼が出て行ったドアの方を見つめながら、ただ立ち尽くしていた。表にこそ出さないが、アンジェの中では数多の感情が渦巻いているに違いない。
周りの客たちはいつ彼に祝福の言葉を浴びせかけようか、機会を伺っているようだ。私としても、彼の恋の成就を祝うべく何かしてやりたかった。酒場の店主という立場からそれを考えるなら、それこそ高級な酒でも奢ってみようか。
彼に似合う酒はなんだろうか。候補だけならいくつでも挙がるが、いまいち決めきれない。それに、アンジェの今の心象を酔いでぼかしてしまうのはどうにも違う気がして、私は酒棚に伸ばしかけた手を降ろした。
Ending.EX2 見守る者達、そして……
ボルドヴァルド大森林のとある場所には、樹を模した構造物の残骸のようなものがある。それが持っていた意味を知る者は数少ないが、意味を知らずとも目印にはなるようだ。
魔境調査の翌日、その残骸の傍らに、2人の人物は居た。彼ら以外に、そこに人影は見当たらない。
一人は黒い短髪の、人並みの背丈の男性で、きっちり揃えたアカデミー制服の上からマントを羽織っている。大森林に隣合うテイタニアの街の契約魔法師、インディゴである。
その彼が、もう一人の金色の髪のやや小柄な女性に語りかける。
「一時はどうなるかと思ったけれど、何とかなった。ユーフィー様はちゃんと心を決めたみたいだ。相手も悪くはない」
話しかけられた女性は、白を基調とした、ローブともスーツとも言えない不可思議な、しかしどこか神聖な雰囲気のある衣服を着ている。彼女は投影体で、名前をサイアという。服装から受ける印象と違い、口調はフランクだ。
「な? 言っただろう、やってみなければ分からないって。もし失敗しても次に繋がる何かは残るだろうと思って勧めたけど、うむ、上手くいったのなら何よりだ」
インディゴの語りかけにそう答えるサイアは得意げに腕を組み、頷く。
実は、今回の魔境討伐がユーフィーの婿探しを兼ねることになったのは、この二人の意図によるものであるのだが……
「私はあれで上手くいくとは思ってなかったが、今回の縁談を成功させた要因として魔法師殿の手腕もあったのではないか、なあ?」
「いえ、きっかけを作った程度ですよ。時空魔法師の端くれとして、いい結果になると予想を立てて行動したというのはありますが、私もここまで上手く事が運ぶとは。
それに、あなたの手助けもあったのでしょう?」
「力は貸したさ。見守りもしてた。でも魔境に来た時点で恋愛に口を出す必要はもはや無かったね」
謙遜し合っているようで、違う場所でそれぞれ恋模様を見守っていた二人にとっては、これが事実であった。
きっかけを与えただけで、恋は各々が自分の意志でしたもの。
予想を超えて本気で恋愛をしてくれた面々には、感謝してもしきれない。
それからしばらく二人は恋愛模様に参加してくれた面々への個人的な心象を語り合い、ふと、テイタニアの街があるであろう
方に目を向ける。直接見えていなくとも、その目には新たな新郎新婦の姿が映っている。
「これからあの二人、ユーフィー様とアンジェ君が上手くやっていけるかどうかは、祈るしかないのかな」
「そうだな、やたらと気を回し過ぎるのは良くないかもしれない。だが、時には背中を後押ししてやれよ」
違う立場からそれぞれ、ユーフィーとアンジェの行く末を見守っていく決意を固める二人。
この二人もまた恋模様を見守られる側となるのだが、それはもう少し先の話である。
(Ending.EX 終わり)
最終更新:2019年05月04日 00:44