Lost Phantasm
日時:2020年3月14日(土)
場所:学生会館
GM:にーてん
レギュレーション
- PC使用経験点:60
- このセッションは、変則オンライン形式にて、現在実施中です。おのれコロナ。
トレーラー
魔法の鏡は砕け散った。
13人の英雄たち、そして彼らを助けた多くの人々の手によって。
まずは、称賛を贈ろう。
キミたちの想いは、キミたちの絆は、ここに示された!
しかし、まだ、キミたちの戦いは終わらない。
キミたちに鏡との戦いを託した燐寸の医者は、この先も、見据えていたはずだ。
だから、消えた幻想を取り戻す術もまた、託したのだ。
これは、鏡との戦いの後片付けにして、最後の戦いへの下準備。
紡がれるは、過去を見据え、未来へ繋ぐ外典(アポクリファ)。
英雄武装RPG「コード:レイヤード」
Walking With Heroes 外伝 「Lost Phantasm」
その力で、幻想を取り戻せ!
ハンドアウト
【注意】裏ハンドアウトがあります。PC①のみ、「本人も閲覧禁止」。それ以外は「本人以外閲覧禁止」
PC① 結月 終夜 (PL:ユウネコ)
スタイルクラス:ブレイカー
レイヤークラス:ミスト
コード名:マッチ売りの少女
ワークス:フリーランス
キミは、魅夜・レイジングムーンから1箱の燐寸を託された。
「再起の灯火」。彼女は、その燐寸をそう呼んでいた。
いわく、ミロワールの眼からも完全に逃れるほどの手段を講じた彼女が、再び戻ってくるのに必要なもの、と話していた。
その燐寸を託されたキミにしか、彼女を取り戻すことは出来ない。
コネクション: 魅夜・レイジングムーン
関係:任意 感情:任意 分野:医療
流れの医者にして、フリーランスのレイヤード。幻覚を見せる燐寸を操る。
対ミロワール戦の直前に姿を消し、現在行方不明。
裏ハンドアウト
※ このハンドアウトの内容は、セッション中で指示あるまで(PC①本人も)閲覧不可
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魅夜・レイジングムーンに託された燐寸。
同じマッチ売りのコードを持つ者として、キミにはこの燐寸に秘められた力が分かる。
この燐寸は、魅夜・レイジングムーンの力を取り戻すための燐寸であるが、その作用は彼女がコードの力を限界まで消耗した状態でなければ発揮されない。
つまり、どういうことか…?
これを渡した魅夜・レイジングムーンは、おそらく、マッチ売りのコードを持つ者、すなわち魅夜・レイジングムーン本人との戦闘が起こることを想定しているのだ。
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PC② ユグドラシル (PL:林堂雪那)
スタイルクラス:サポーター
レイヤークラス:センチネル
コード名:ナーサリー・ライム(データ:名もなき語り手)
ワークス:天秤機関
キミは常に、ナーサリー・ライムに語らせるに値する物語を求めている。
そんな中、クレイドルを流れる、1つの噂話が耳に入る。
クレイドルの裏路地で「あなたは良い人?」と通りがかる人に尋ねる黒いドレス姿の少女が出没するという。そして、その返答によっては敵対的になるとか。
これは、キミにとって、ナーサリーにとって、面白い物語となるだろうか?
コネクション: 小さな正義(ジャスティス・リトル)
関係:任意 感情:任意 分野:噂話
ムサシ・クレイドルで少し噂になりつつある都市伝説。
裏路地に出没しては、「あなたは良い人?」と尋ねてくる黒服の少女。
裏ハンドアウト
※ このハンドアウトの内容は、PC②本人以外閲覧不可
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キミは、魅夜・レイジングムーンから行方不明となる自身の捜索を託された。
その時、彼女は前髪を掻き上げ、キミに隠されたその瞳を見せた。
(本編14話エンディングより)
パステルの前髪に隠れたその瞳は、深い琥珀色だったことを、よく覚えている。
キミの観察眼であれば、その印象的な瞳を見れば、まず彼女本人の識別を間違えることは無いだろう。
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PC③ 橋喰大輔 (PL:田中山)
スタイルクラス:チェッカー
レイヤークラス:ミスト
コード名:グレゴリー・ラスプーチン
ワークス:六道会
キミはある日、六道会の事務所の物置で、見覚えのある小さな箱を見つける。
それは、今となって遠く以前にも思えるが、父の書斎に置いてあった箱のはずだ。
聞くところによると、キミがかつていた組織を襲撃した時に拾ったものの、存外に鍵が頑丈で、放置されていたものらしい。
となれば、この箱は父親が持っていたものなのだろうか…
コネクション: 鶴橋○○(大輔の父、故人)
関係:任意 感情:任意 分野:クレイドル
ムサシ・クレイドルにおける有力な家系である鶴橋家の当主、だった。
3年前に自宅を武装集団に襲撃され、死亡する。
裏ハンドアウト
※ このハンドアウトの内容は、PC③本人以外閲覧不可
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キミには1つ、ささやかな目標がある。
魅夜・レイジングムーンに対して、知略で一矢報いること。
だから、具体的な目標を1つ立てた。
誰に聞いても分からない、もしかすると彼女自身すら知らないかもしれない、彼女の「本当の名前」を的中させる。
自己満足ではある。でも、もしそれが出来たなら、間違いなく彼女に一矢報いたことにはなるのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
以降、GMからプレイヤーへ
魅夜・レイジングムーンの本名は、シナリオ中で手に入る情報から、勘の良いプレイヤーなら推測できるかもしれない。が、それだけでは少々難しい。
そこで、セッション開始時に「ヒント」が収められた封筒を幾つか、お渡しする。これの内容を全部読んだなら、答えにたどり着くことは難しくないだろう。
キミの目標は「できるだけ少ないヒントで、彼女の本名を当てること」である。
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PC④ 遠竹焠柯 (PL:くずもち)
スタイルクラス:チェッカー
レイヤークラス:シャドウ
コード名:ヒュドラ
ワークス:フリーランス
キミがマカーオーンのアジトで事務仕事をしていると、1人の少女がアジトを訪れた。
マカーオーンと共に応対すると、ユミネと名乗る彼女は、魅夜・レイジングムーンから金を借り、「期日になったらこの場所に、指定した封筒に入れて返済するように」と言い含められていたらしい。
彼女の持っている封筒には、割れた鏡の意匠があしらわれている。
つまり、これは魅夜・レイジングムーンからのメッセージなのだろうか…
コネクション: ユミネ
関係:任意 感情:任意 分野:居住区域
ムサシ・クレイドル内で暮らしている少女。
魅夜から金を借り、それを元手にレイヤード向けの各種物品を取り扱う商売をしているようだ。
(彼女については、魅夜のPC紹介ページ「Fragment #02 夢を見る方法」を参照)
裏ハンドアウト
※ このハンドアウトの内容は、PC④本人以外閲覧不可
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ユミネはレイヤードではない。
が、アジトを訪れた彼女を、キミと一緒に応対したマカーオーンは、キミにこっそりと伝えた。
「たぶん、彼女はレイヤードの適性がある。」
「適するコードさえ見つけることが出来れば、彼女はレイヤードに覚醒するかもしれない。」
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PC⑤ 若草晴 (PL:くうき)
スタイルクラス:チェッカー
レイヤークラス:ヴェール
コード名:ジャンヌ・ダルク
ワークス:ガーディアン
護衛派遣会社ガーディアンに所属するキミは、ある人物の護衛を依頼された。
その人物の名は、十津河和久。ムサシ・クレイドルの有力な議員である。もしかすると、地位のある人物からの護衛依頼ゆえ、場にそぐうことを重視して、普段から執事服姿のキミが起用されたのかもしれない。
何にせよ、重要な仕事だ。頑張ろう。
コネクション: 十津河和久(とつがわ・かずひさ)
関係:任意 感情:任意 分野:クレイドル
ムサシ・クレイドルの有力議員。
いわく、最近はクレイドル近辺の戦況も不安定なのに加え、ここ数日何者かに狙われている気配がする、とのことでガーディアンに護衛を依頼した。
裏ハンドアウト
※ このハンドアウトの内容は、PC⑤本人以外閲覧不可
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ガーディアンは民間の護衛会社。とはいえ、レイヤードの組織である以上、レギオンからの協力要請を受けることもある。
今回のキミの依頼人である十津河和久には、クレイドルから多数の不正行為の嫌疑が掛けられている。もし、それが事実なら、彼の無事は守った上で、身柄をレギオンに引き渡すように。キミはそう命じられている。
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セッションログ
プレイヤーから届いた行動宣言を元に、GMが書き起こしたログを、順次掲載していきます。
目次
オープニング
Case1 遠竹焠柯の場合
ここは、秘密結社ブリゲイドの闇医者、マカーオーンのアジト。(最近はやたらと来客が多い気もするが、)本来、秘密のアジトであることに訪ねてくる物など多くはない。しかし、また今日もこの建物の呼び鈴が鳴った。来客の予定は無いはずだ。
事務員である遠竹焠柯が扉を開けると、そこにいたのは同じくらいの年の少女だった。ここにわざわざ訪ねてくる、ということはレイヤードだろうか。このアジトの主であるマカーオーンに取り次ぎ、応接室へと招き入れる。
いちど奥に下がり、お茶とお菓子を用意して戻って来ると、マカーオーンが焠柯に声を掛ける。
「ちょっといいかな。キミも話を聞いてくれないかな?」
どうして?、と疑問を浮かべた表情を察したか、彼は焠柯に、目の前の少女には聞こえぬよう、何ごとか伝える。それを聞くと、少し不機嫌になりながらも、焠柯は彼の隣の椅子に着く。ちょっとした抗議のつもりで、お菓子は自分のところに多めに持って行く。
少女はユミネ、と名乗った。いわく、魅夜・レイジングムーンから金を借り、「期日になったらこの場所に、指定した封筒に入れて返済するように」と言い含められていたらしい。そうして、彼女の差し出した封筒を見ると、割れた鏡の意匠があしらわれている。つまり、どう見てもこれは、魅夜がこのタイミングで届くように仕込んだメッセージなのだろう…
マカーオーンはそれを見て、「なるほど…」とでも言いたげな表情を浮かべているが、焠柯にとっては、魅夜が姿を見せなかったこの期間、何をしていたかは何も聞いていない。ミロワール戦で使った燐寸のこともある。できるなら、お礼を言いに行きたいのはやまやまである。
「そういえば、ミロワール倒したのに魅夜さん、まだこっちに来てないよね」
「ああ、そうだね。そろそろ、キミにも説明しなきゃいけない頃合いだろうね。」
「でも、キミとあの子が会うのかぁ…」
(…頃合いって、…やっぱりなんか知ってるじゃ)
マカーオーンの言葉に、焠柯は頬を膨らませるが、彼はそれには構わず、どこかへと電話をかけた。頬を膨らませたまま隣に座る彼を見る焠柯は、同時に少し、首を傾げた。彼の言う「あの子」とは…?
Case2 橋喰大輔の場合
鶴橋密(つるはし・みつる)は奇怪な人間だった。
むろん、自分を齢13まで育ててくれた父親をここで貶めるつもりはない。ただ、名家の当主という仮面を常に被り続け、決して一人の男としての顔を見せなかった彼は、息子にとっては少し不気味に映っていた。徹底した秘密主義。密という名はまさに体を表していて、今や苗字すら忘れてしまった俺の脳内にも強く刻まれている。
そんな父の抱えていた秘密の中に、存在だけは把握しているものが一つある。『箱』だ。初めて見たのは、俺が十二歳を迎えようかという頃のとある朝のことだった。
父の書斎の窓際、差し込む日光に照らされて、それは金属的な黒い光沢を放っていた。片手で持てるサイズにも関わらず、ずしりと重く、ただならぬ物であることは容易に想像がついた。
好奇心のままに中身を見ようと四苦八苦すること数時間。分かったのは、それは開けられると余程困るものであるということだけだった。鍵は頑丈で、温室育ちの非力にはこじ開けられそうもない。そして重量からして、おそらく材質には鉛が使われている。つまり、X線による透過も不可能だ。
一体ここまでして、なにを守る必要があるのだろうか。最高品質の宝石? 財産のデータを納めた記録媒体? あるいは——。想像は可能性の域を出ない。躍起になっている自分が次第に馬鹿馬鹿しくなってきて、かつての俺はそれ以上の追求を諦めた。
◆ ◆ ◆ ◆
さて。
なぜ今更になってそんなことを思い出したかといえば、今更になって『それ』と再会したからだ。ミロワール戦の後遺症は依然としてあって(まだ腹部も疼く)、次の戦いに向かうには療養を取る必要があった。そんな準備期間に出来るのはせいぜい雑用くらいだろう、ということで、俺は事務所の物置の掃除を頼まれていた。
中は相当散らかっていたけれど、今の俺にとっては丁度いいリハビリだった。ホコリを落としたり、物品を大きさに合わせて整理したり......適当な清掃の最中に、俺はあの黒箱と久しぶりに相見えることとなったのだ。
もちろん、類似品という可能性もある。量産型の物入れであって、鶴橋家も六道会も偶さか同じものを使っていただけかも知れない。この手のことは、あれこれ考えても甲斐はない。事情に明るそうな人に訊く方が賢明だろう。箱の経緯は、あの人なら知っていてもおかしくない。
志村拓巳(しむら・たくみ)。六道会幹部の一角を担う、俺の上司に当たる人物だ。
「それか」
志村さんは気のない声で、俺の手元に目を遣りつつ答えた。
「別に持ってってもいいぜ。鍵が見当たらない以上、そんなのただのガラクタだからな」
「つまり、六道会のものじゃないってこと?」
「ああ。お前が元々いた犯罪組織、あったろ。あれを襲撃したときに拾ってきたんだよ」
ひょい、と俺から箱を取り上げると、志村さんは右手と左手でキャッチボールを始める。
「俺たちも開ける努力はした。ピッキングしようってなればツールも人材も揃ってる。腕利きの“マスターキー”も何人か呼んできたんだがな。生憎、こいつは難攻不落だった」
「......壊そうとしたりは?」
「やったやった。そういう専門家だってゴマンといる。だがどうしようも無かった。連中いわく、『外身を壊す方法はある。ただし中身が無事である保証はない』。俺たちにとっての冴えたやり方は、いつでも通用するわけじゃないんだ......よっ」
アンダースローで投げられた箱を、両手で受け取る。
「ありがとう」
「礼はいらねぇよ。産廃処理に一役買ってくれるってんなら、こっちとしても遺存はない」
「それもだけど、箱がどこから来たのか知りたかったから。さっき志村さんが言ったことが本当なら、これは俺にとって産廃じゃなくなる」
「......?」
首を傾げる志村さんを背に、俺は自室へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
さすがにこの質量をパーカーのポケットに入れておくわけにはいかない。長らく使っていなかったメッセンジャーバッグをクローゼットから取り出して、まずは箱を一番底に仕舞い込んだ。それから、入用になりそうなものを順に詰めていく。携帯食料、簡易調理キット、マインドリーバー、『アンデルセン童話集』。
療養と休憩は似て非なるものだ。むしろ、大仕事を背負ってない今にこそ私的な事情は片付けておかなければならない。タスクを二つに増やしたのは愚策だろうけれど、意図せずしてそうなってしまった以上はやむを得ない。さて、どちらから先に取り掛かろうか。
少し考えて、箱の方を選んだ。こっちはまだ初手が分かりやすい。まずは、箱の元いた場所から探れば良い。目的地へ向かおうとバッグを担いだところで、俺の足は止まった。
......あれ。
「家、何処だったっけな」
Case3 ユグドラシルの場合
荒野を舐める、ひとしずくの紅蓮。モノクルは右手の甲に握られている。吹きすさぶ風が、無造作に一本結びされた白銀の髪を攫った。
「魅夜・レイジングムーンか…」
男、ユグドラシルは小さく言葉を紡いだ。それは、知に優れた医者の名。喪失と忘却に彩られた生を謳歌する、一人の女の名。
―胸騒ぎがする。
何か、呼ばれている様な。
「果たすべき誓い」
ユグドラシルは目を閉じた。なびく彼女の亜麻色は、そして勇ましくも悲しい彼女の瞳は、この瞼の裏に焼き付いている。モノクルをかけ、世界を鮮やかな靄で包んだ。そうして、彼は女と別れたその地を離れていく。
「彼女は面白い。観察するに値する人物だ。」
口許に浮かぶ僅かな笑みは、何への期待を示すか。…ただ、素晴らしい物語を。
ユグドラシルはその観察力と思考力を十全に発揮する為に、任務中は余程の事が無い限り通信の電源を切る事を義務づけられている。かなり例外的な措置だが、そもそも彼が天秤機関に所属している事自体が強い違和感を醸し出す上に、その能力は実際に数多の功績を残してきたものである。よって、ユーリ・アリサカのこの決定に文句を言う者はいなかった。
今は特に任務は無い。しかし、彼は興味のない事には全く注意を払わない。何が言いたいか。通信機が自室の机の上にあるにもかかわらず、彼はクレイドル内を意味も無く闊歩している。つまりは、そういう事だ。
モノクルを外すまでも無く、周囲の人々が彼には視えていた。加えて聞き耳を立てれば、噂集めなど連作もない事。無論、彼とて『魅夜・レイジングムーン』が噂などという形でその足跡を残す様な迂闊な人間だとは思ってはいない。思ってはいないが、ついでに物語集めをすると考えれば、噂の収集は効率の良い手段ではあった。
そして世界樹は、とある若者二人組に根を伸ばす。
「『小さな正義(リトル・ジャスティス』って知ってる?」
「え、知らない。何それ?」
「この辺りの路地に出る。真っ黒のドレスを着た小さな女の子の話だよ。なんか、急に出てきては『貴方は良い人?』とか聞いてきて、それで…」
「それで?」
「答え方が気に入らないと、何か攻撃してくるんだって!」
「へえ......。で?」
「え、怖くない? 急に出てきて襲ってくるんだよ?」
「ただの怪談でしょ。現実の方が怖くない? また、小さなシェルターが潰されたって聞いたよ。」
「そうなんだ…」
その作業を、幾度も繰り返す。多く聞こえたのは、やはり最初に注意を向けた『小さな正義』について、だ。噂らしく内容には僅かな齟齬が見られるも、おおよそは同一。
「へえ、面白そうだな…」
ユグドラシルは、知らず舌なめずりをする。この時彼の中では、『魅夜・レイジングムーン』への期待を、『小さな正義』への興味が上回っていた。
「良い予感がするよ…。ね、ナーサリー?」
彼の心に、清水の如き歌声が滴った。跳ねる様な旋律は、 どこか歓喜を帯びている。
「そうだね、一度戻ろうか。その後で、今度は裏路地に入ってみよう。」
また一つ、奏でられるべき物語が幕を開けた。
Case4 若草晴の場合
若草晴は、護衛派遣会社ガーディアンに所属する年若いレイヤードである。
普段から執事服を着こんでいるものの、その可愛らしい顔立ちは少女にしか見えない。そして、宿すコードは聖女「ジャンヌ・ダルク」。しかし、れっきとした少年である。
そんな彼の元に、一通の依頼が舞い込んだ。
ガーディアン・ムサシ支局に呼び出され、彼は事務員の佐藤華を訪ねる。いつも気だるそうなこの事務員は、晴の姿を認めると、適当にまとめた資料を渡し、説明をする。今回の依頼主は、十津河和久。ムサシ・クレイドルの有力な議員である。確かに、もしかすると、地位のある人物からの護衛依頼ゆえ、場にそぐうことを重視して、普段から執事服姿の晴が起用されたのかもしれない。
「ま、偉くもなると、キミみたいな可愛い子を側に置いときたくなるよね~」
と、からかう割には気だるげな声の華に、晴は苦笑いを浮かべて返す。
「わかりました。それでは、行ってきます。」
◆ ◆ ◆ ◆
指定された場所に向かうと、仕立ての良いスーツに身を包んだ男性が晴を出迎えた。華から受け取った資料に写真が載っていた。彼が依頼人の十津河だ。丁寧にお辞儀をして、依頼人に挨拶をする。さながら、所作は本物の執事のようだ。
「ご依頼いただきありがとうございます。ガーディアンの若草晴と申します。よろしくお願いします。」
「うむ、よろしく頼むよ。」
「華さんから聞かれているかもしれないが、今回わざわざレイヤードを雇ったのには理由があってね。最近、黒服の少女に狙われているんだ。護衛、と言うよりは、その不埒者について調べて欲しい。と言うのが本音だな。」
「黒服の少女に狙われている…ですか?」
聞き返す晴に、十津河があらためて説明をする。数日前、黒いドレス姿の少女に夜道で襲われた、とのことだ。その時は何とか逃げおおせたものの、また遭遇する可能性は十分にあるそこで、ガーディアンに依頼を出したとのことだ。
話を聞いて、晴は最近クレイドル周辺の一部で話題になっている噂話を思い出す。その名前は「小さな正義(ジャスティス・リトル)」。噂は噂だから、まったく詳しくは知らないが、夜道で遭遇する黒いドレス姿の少女、ということは、十津河が遭遇したというのは、それできっと間違いないだろう。
もしかしたら、この依頼、ただの護衛依頼では終わらないかもしれない…
Case5 結月終夜の場合
結月終夜はフリーランスのレイヤードだ。マザー・テレサの一件以降、ブリゲイドの闇医者であるマカーオーンの元に居候している。
が、いつもアジトにいるかと言われると、そういう訳でもない。今日は孤児院の子達と遊ぶ約束があったから、いつもより早めにアジトを出て、クレイドルの街中を歩いていた。医者(マカーオーン)には「用事があったら連絡しろ」とは言ったし、多分大丈夫。
「あれ、お財布…?」
ふと、いつもより軽いポケットに違和感を感じて漁ってみると、持ってきたはずのお財布がない。落とした?それともアジトに忘れてきたかな…
遊びに行くだけだからお金がいる訳じゃないけど、せっかくだからみんなに何か買っていってあげようと思ってたのに…
「ほんと僕って運無いな…」
この前医者にもそんな様なこと言われた気がする。コードの特性はある程度本人にも影響するから不運なエピソードの付きまとうコードの持ち主は云々、とか。
まぁ、僕に運があったら今頃もっとまともなところで平和に暮らしてるに決まってる。運が無いのは今更なんだから、嘆いたって仕方ないし…
とりあえず何も持って行けない分は早めに着いて取り返そう!
◆ ◆ ◆ ◆
孤児院についてしばらく経ったころ、ポケットに入っている端末が着信を知らせる。電話の主は、あの医者だ。財布と一緒に無くしてなくて良かった…
「終夜くん、例の件について進展があった。」
「今から、僕のアジトに戻って来られるかな?」
電話で言われた「例の件…?」って、ちょっと考え込んで、思い当たる。何となく手元に魅夜さんのマッチを取り出しながら、答える。
「ええと、分かりました。なるべく急いで帰りますね。」
電話を切って孤児院の子達に「また来るね」と手を振ると、結月終夜はマカーオーンのアジトへと向かった。
幕間 結月終夜&遠竹焠柯
「ただいま〜! なぁ医者〜! 僕のお財布見ませんでしたかー!」
マカーオーンが電話をかけてからしばらく、少年の声がアジトに響く。マカーオーンと、それからユミネと一緒に応接室で待っていた焠柯は、我が家のような気楽さで入ってきた見知らぬ少年に驚く。この2人が出会わないように今までマカーオーンがどれほどの苦労をしていたかを、2人は知らない。
「ひゃっ!」
「こんにちは…。えっと、ここで事務員をしている遠竹焠柯です。」
「こ、こんにちは…?はじめまして結月終夜です…?」
終夜が、応接室を覗くと、見知らぬ少女が2人、そこにいるのに首をかしげる。部屋に入ると、2人の少女からの視線が向いて、ちょっと居心地悪い。
「え、えっと…例の件の話ですよね…?遠竹さんも関係者、だったりしますか?」
「ああ、そういうことだね。彼女も、魅夜さんには世話になっていてね。」
そうして、マカーオーンは改めて知っている部分までの状況を話す。魅夜・レイジングムーンは何らかの手段で姿を消していること。その方法は不明であるが、ユミナがこういうメッセージを届けに来た、と言うことは探すべき時期なのだろう、ということ。話を聞いて、焠柯の頭上に疑問符が浮かぶ。
「『探す』って・・・、自分で戻ってこられない場所ってこと?」
「ええと、多分、きっとそうかと…」
「僕もどうなってるかは分からないですが…これも渡されましたし。」
終夜が魅夜から預かった燐寸を見せると、焠柯は興味深そうに顔を近づけ、覗き込む。
「マッチ・・・、何に使うん、ですかね?」
「ほっ、ほんと何に使うんでしょうね?僕ごときにはちょっと分かんないですけど…魅夜さんの事ですからその辺はいずれ分かるように…なるかと…」
「でもでも、医者もいますし遠竹さんも手伝ってくれるならきっとなんとかなります!」
「ん、頼りにしてます!」
やる気に満ちた表情を浮かべる終夜に、焠柯も笑顔で答える。マカーオーンや魅夜がわざわざ託した、ということはきっと優秀なレイヤードなのだろう。
「あとはゆぐ…ゆぐどらしる?さんだっけ?その人もここに来るの?」
「あっ、アイツは多分ここには来ないって言うか来させないです。どこで合流するかは分からないですが…まぁ多分医者がなんとかしてくれるかそのうち会う事になると思います。」「と、遠竹さんの事は責任持って僕が守るので!大丈夫ですよ!」
「どうだろうね、ここ秘密基地とは思えないぐらいみんなに知られてるし…」
「私も、簡単にやられるつもりはないから。魅夜さんにお礼も言わなくちゃいけないし、一緒にがんばろうね!…じゃなかった、がんばりましょう」
「こ、こちらこそよろしくお願いします、頑張りましょうね!」
ちょっとずつ敬語が崩れながらも、それゆえに自然な焠柯の笑顔が終夜に向けられる。そうして、すっ、と右手を差し出す。同じミッションに挑むレイヤードに握手を求める。終夜もちょっと戸惑いつつも焠柯の手を取って握手する。
「でも、探すって言っても当てはあるんだよね?」
「僕は見当もつかないですけど…ユグドラシルとか言う奴は多分その辺を頼まれてる奴だと思うのでなんとかする…はず…」
「ゆぐどらしるさんってどんな人なんですか? 怒る人じゃないといいんだけどなぁ」
「どんな人…ええと、そうですね…天秤機関に所属している…変な奴です。怒るような奴では無いはずですから、そこは安心しても大丈夫。天秤機関や魅夜さんが信頼するくらいですから、能力に関しても安心して良いかと思います。頭はおかしいと思いますけどね。」
ユグドラシルの名が出て、終夜は不機嫌そうな顔を浮かべながら焠柯に語る。このままだと、終夜、焠柯にユグドラシルを加えた3人で探すことになるのだろうか…?
ちらっとマカーオーンの方に視線を投げる。(僕が雑魚なのは知ってるだろ~~~人を呼べ~~〜)と言わんばかりに。
が、答えたのは別の方向からだった。それまで黙って話を聞いていたユミネだ。
「あ、あの、出来れば、私もお手伝いしたいです!」
実際、今のところ具体的な危険が想定されるわけでもないし、彼女自身も魅夜を探したがっている、と言うのは分からなくもない。こうして、終夜、焠柯、それからユミネの3人が、魅夜・レイジングムーンの捜索に動き出すこととなった。
リサーチ
情報収集:十津河和久について
若草晴は、ムサシ・クレイドル中央庁舎近くの喫茶店にいた。大通りから少し外れたところの、静かな雰囲気の漂う店だ。依頼人である十津河は、中央庁舎で会議中であり、その時間つぶしだ。
護衛の依頼と言っても、常に側に控えている訳でもない。特に、こうした地位のある依頼人の場合は、護衛とはいえ同席出来ない仕事と言うのもままあるものだ。そして、そういう時は、えてして護衛が同席しておらずとも、十分なセキュリティが確保されているのである。
コーヒーを飲みながら、端末でレギオンやガーディアンのデータベースを見て回る。流れる情報の中、幾つかの気になる情報が目に留まる。現在の依頼人、十津河に関する情報があるようだ。
十津河和久、現在42歳。ムサシ・クレイドルの有力な議員。
十津河家は、以前からムサシ・クレイドルの有力者であったが、親交のあった有力者が十数年前から現在にかけて、次々と失脚、事故死などしており、その度に勢力を拡大してきた。かつて親交のあった有力家としては、一宮(いちのみや)家、銀百谷(ぎんももがや)家、鶴橋家などが挙げられる。
ここまでは、あくまで事実だ。そこに間違いはないだろう。しかし、「不確かな情報」と付記されて、出どころの怪しい情報も目に留まる。
十津河家を含めた上記の4家については、詳しく調べようとすると謎も多く(もっとも、既に断絶した家だからかもしれないが)、その中で唯一存続している十津河家には、出どころの怪しい噂が様々に付きまとっている。
「これは…もっと詳しく調べた方がよさそうですね…」
噂は噂だ、と思い眉をひそめつつも、続けてデータベースの頁をめくる。時計を見ると、十津河の会議が終わるまでにはまだ時間がある。
少し冷めたコーヒーを飲み、再び端末の画面に目を落とした。
情報収集:『小さな正義』について
クレイドル内の裏路地という裏路地を悠々と闊歩する人影。
当然、それはユグドラシルであったわけだが、それはそれでまた一つの噂となっていた。
「ねえねえ、最近また裏路地関連の話があるんだけど!」
「また噂話? 今度は何?」
「なんかね、ずっごい美人が出るんだって! 背が高くて、真っ白い髪の!」
「…? えーと、で、どうなるの?」
「それだけ。」
「…そ、そう、なんだ。今度は平和な噂みたいで良かったね。」
「うん!」
「う、うん…?」
髪の情報が『亜麻色』であればまた話は変わったかもしれないが、まあ、こんな噂が彼の興味を引くわけもなく。
数日をかけてあらゆる裏路地を回ったにも関わらず、ただの一度もそれらしい存在に遭遇出来なかった為、今度は再び噂集めに興じていた。『小さな正義』に纏わる、新たな情報はないか。彼は『目』を、そして足を酷使する。
「…見付けた」
思わず類を結ばせるユグドラシル。しかし、その程度で気を抜く彼ではない。勘付かれない程度に対象を観察し、 前回同様、唇の動きを丁寧に読み取っていく。
「最近、やっぱり物騒よね。『小さな正装』だかなんだか知らないけれど、具体的に被害者が出るってなると怖いわね…」
「被害者って…誰? というかその人は大丈夫なの?」
「一応、ケガくらいで済んだみたいよ。えーと、誰だっけ、 あの議員さん......。ああ、『十津河和久』さん!」
「え、あの人!? 有名人じゃない!」
「そうよねえ… 結局、『小さな正義』ってなんなのかしら。 真っ黒な髪に真っ黒な服。それに真っ白な肌! なんか不気味だし…」
「私、瞳は『琥珀色』って聞いたわ。珍しい色よね」
そこで、ユグドラシルの注意の対象は完全に変わってしまった。
彼女の色。
忘れもしない、忘れる筈もない。
『魅夜・レイングムーン』のあの瞳。
深い悲哀と忘却の中でなおも立ち続ける、孤独にして勇敢なる『琥珀』。
予感。
やはり、呼ばれている?
そうしている間に対象の話題は逸れてしまっていた。仕方なく次のターゲットを探す。
「お前、知ってるか? 議員の『十津河』って奴が、なんかに襲われてガーディアンの護衛を雇ったってさ。」
「はー、いいねえ、金持ちは。危険があってもなんとか出来る、ってか?」
…繋がった。
議員『十津河和久』は『小さな正義』によって質問を受け、その回答に失敗し、結果として襲撃された。そして対策として護衛を雇った、といったところだろうか。無論、ただの噂だ。断定は出来ない。
しかし、噂が馬鹿にならないものだという事を、語り手の守護者を自認する彼はよく知っていた。
さて、きっかけの尻尾は掴んだ。あとは天秤機関としての立場を最大限に有効利用し、情報の正確さを確かめるのみ。情報の収集段階において天秤機関を利用するのは困難だが、正確性の向上には最良の手段だ。
問題は、『小さな正義』の出現場所に関する情報は結局得られなかった事か。
一度、件の護衛をあたってみるのも良いかもしれない。少なくとも雇い主の襲われた場所は知っているだろうし、ともすれば過去の事件のデータまで調査済みである可能性もある。ならば一度『十津河』を尾行し、護衛が誰であるかを洗い出すべきか。ガーディアンに所属する人間が自分の尾行に気付けないとは思わないが、寧ろ気付いてもらえれば好都合。そこから接触出来る。
こうして、彼の中で方針は固まった。と、同時に、今回の件に対する期待も膨れ上がっていく。
「断定にはまだ早い…」
しかし、確実に。
あの医者は、なんらかの形で関わっている。
――近くにいる。
情報収集:謎の小箱について
旧鶴橋家を探し始めて数日、果たしてそれらしい場所に行き当たることも思い当たることもなかった。徒足徒労の失望感に苛まれながら、ひとまず六道会へ帰還した。
——といった結果になることは目に見えていた。だから、当てもなく彷徨うという選択肢は早々に切り捨てた。取れる手段は他にもあるのだ。バッグに追加の荷物を押し込んで、俺は“彼女”の元へ向かった。
ムサシ・クレイドルの一角。街の喧騒も日の光も途絶えるとある暗がりに、二つのゴミ箱がある。側面の上部が開くようになっている、コンビニでよく使われている型だ。その内の片方、『燃えるゴミ』と印字されたものに金を投げ入れるのが、彼女との取引開始の合図になる。
「いらっしゃーい。お、結構入ったね」
『燃えないゴミ』の方からくぐもった声が聞こえたかと思えば、フタが開き、何かがずい、と現れる。全身が黒に包まれたそれは異形の怪物のようにも見えるが、わずかに覗く藤色の髪でどうにか人間だと判断できる。黒い何かはゴミ箱から這い出て、鈍い音を立てて地面に転がり落ちた。仰向けに寝たまま、それは言葉を発する。
「はしばみラスプーチンだ。久しぶり」
身を起こすと同時にフードが脱げて、あどけない少女の顔が露わになった。『赤ずきん』のコードを宿すレイヤード。金額の分だけ働く情報屋。彼女がそう望むので、俺は『自販機さん』と呼んでいる。
◆ ◆ ◆ ◆
「はー......」
箱を矯めつ眇めつしながら、自販機さんはため息を吐いた。困窮というよりかは、感嘆のそれだった。
「製作者の意地が透けるなぁ、そこら中に開けさせないための趣向が施されてる。この分だと、既知のピッキングツールは全部弾くだろうね」
「ああ。実際、六道会のは駄目だったよ」
「でしょでしょ。既知で破れないんだったら、未知を使うしかないよ。作った人も想定してないような別口を使うのだ」
自販機さんの口調が上機嫌を帯びる。彼女がこように話題を展開するのはいつものことだった。
「安心して、自販機さんはその未知を知ってる。——ユミネって人が、文字通りカギを握ってるよ」
名前は聞いたことがある。ムサシ・クレイドル近辺で活動している商人で、レイヤード向けの物品を取り扱っているとか。
「最上級のセキュリティすら突破できる、やばい解錠ツールがあるんだ。感覚のすごいレイヤードにしか使えないらしいから、世に全然出回ってないのは推して知るべし」
「けれどユミネさんなら、それを仕入れているかも知れない、と」
「うん。というか、もし手に入れる方法があるんだとすればユミネ以外考えられないねー。あの子の品揃えは行商人の中でも随一だよ」
「話せるのはそれだけかな、がんばってねはしばみ。」
そう言うと彼女は『燃えるゴミ』からいくらかお金を取り出して、俺に差し出した。お釣り、ということだろうか。
「あと、これは無償であげるよ。ユミナの連絡先ね......今でも使えるかは分かんないけど。」
「サービスがいいね、助かるよ。」
「いいよいいよ、久々に来てくれて嬉しかったし。それに、自販機には当たりってのがあるからね。今回は7が4つ揃ったってことにしたげる。」
改めて礼を告げ、路地裏を——去ろうとした所で、後ろから声がかかる。
「にしても、天下の回り物をずいぶん沢山持ってんね。はしばみってそんなに羽振り良かったっけ?」
気になることがあると突き詰めずにはいられない。情報屋の性なのだろう。わざわざ隠し立てする必要はない。今後のことも考えて、彼女には教えておくことにした。
「鏡を割った賞金だよ。もうほとんど他に回したけれど、残り一割くらいは趣味に使うと決めていた。」
さほど残数のある訳でもない有限の資源だ。使い道は、慎重に考えなければいけない。
インタールード
結月終夜&遠竹焠柯&橋喰大輔&ユミネ
若草晴、ユグドラシルがそれぞれ自身の目的に向かって情報を集めていた頃。
魅夜・レイジングムーンの行方の捜索に動き出した3人、結月終夜、遠竹焠柯、ユミネはマカーオーンのアジトで集めた情報の整理をしていた。が、どうにも有力そうな情報は見えてこない。そのうちに、やがて話は魅夜の捜索から逸れていく。
ユミネはレイヤード向けのアイテムを取り扱う商人である。話の中で終夜と焠柯がレイヤードであることを知ると、さっそく営業トークを始める。
「終夜さんもレイヤードなんですね!」
「ミスト型ってことは、消耗激しいですよね! 回復薬とかはご入り用じゃないですか?」
「あっ、いえっ、あの、ええと…お財布無くしちゃったのでぜひ今度買わせてください。」
「はい!この一件が無事終わっても、ユミネをご贔屓にー」
実際問題、戦闘となれば体力を急速に消費してしまう終夜としては、需要はあると言えばある。が、財布を落として金が無いことにはどうしようもないのだ。ユミネから連絡先の書かれたカードを受け取ったはいいが、これが役に立つのは、何か収入があってからだろう。
一方の焠柯は、受け取ったカードをチラッと見ると、無造作にポケットに突っ込む、そして再び資料に目を落としながら、興味なさげに言う。
「んー、もっと品質の安定したマインドリーバーとかないの?」
「レイヤード用の回復剤はどうしてもちょっとした環境とかに左右されちゃうんですよねー」
「これでも、精一杯品質の良いのをお届けできるように頑張ってるんですけど…」
「あ、オレンジジュースなんか混ぜてませんからね!」
レイヤード用に出回っている回復薬は、有効ではあるのだがいまいち効果が安定せず、レイヤードたちの悩みの種となっていた。最近では、どうした経緯か知らないが、たまたま効きの悪かった薬剤を揶揄って「オレンジジュース」と俗に言うレイヤードもいるという。ユミネが言っているのはそのことだ。
そんな話をしていると、部屋の外でくしゃみの音が聞こえる、少ししてドアが開かれると、1人の少年が部屋に入ってきた。橋喰大輔だ。
見知らぬ相手が入ってきたのを見て、咄嗟に隠れようとするが、周囲に女の子しかいないことに気付いて固まる終夜。その姿を見て、大輔が言う。
「......えーと」
「あぁ、別に、危害を加えるつもりはないよ」
「エッあっ、えと、い、医者の知り合いですか?」
「知り合い——まぁ、知り合いだね。橋喰大輔。よろしく」
「は、橋喰さん…よろしくお願いします。」
「えと、そう、僕は結月です、結月終夜です。よろしくお願いします…!」
大輔は、自販機さんと言われる情報屋から仕入れた情報を元に、ここにユミネと言う商人が来ている、と聞いてやってきたのだ。ここにいる少女2人のうち、1人は何回か会っているので知っている。マカーオーンの事務員、遠竹焠柯だ。となると、
「…で、てことは、君がユミネさん」
「えっと、この方はお2人のお知り合いですか?」
「はい、私がユミネです。レイヤード向けの各種アイテムを取り扱う商売してます。」
「マカーオーンさんもつくづく縁が多いな」
「結月さんとは今日初めて会ったばかり。けれど、そこの遠竹さんとは何度か顔を合わせてるよ。アサルトを共にしたこともある」
「それで、橋喰さん。私の名前をご存じ、ということは、私に何かご用ですか?」
「そうだね。そろそろ本題に入ろう。」
「…出来れば、二人きりで話をしたいんだけど」
その様子に、終夜は「あ、こっちは大丈夫ですから、どうぞごゆっくり!」と声を掛ける。どちらにせよ、資料漁りはそろそろ底が見えかけていた。が、そこで焠柯が声を掛ける。
「待って、その本題を当ててあげる!」
一拍おいて、自信ありげに
「魅夜さんの手がかりを探しに来た!」
「どう?(ドヤ!」
「なるほど!まさか橋喰さんもそうだったとは!」
焠柯の予想と、終夜の反応とを見て、大輔は一瞬固まったあと、頬を掻く。
「レイジングムーンさんの足取りを追っているっていうのは正しいよ。」
「実際、そのことも後で聞こうとは思ってた。」
「だけど、ユミネさん一人だけに聞きたいことじゃない。俺の用件は、もっと私的なことだよ」
「あ、それは勘違いしてしまってすみません。」
「その、それでなんですけど、その本題が終わったら、こちらを手伝って貰えたりしませんか…?」
終夜としては、現に情報収集に限界が見えているのもあって、手伝える人は確保しておきたい。大輔としても、もともとそれには協力するつもりでもあった。
「別に、謝らなくても。......ああ、それはむしろ、手伝わせて欲しい。後でお互いの持ってる情報を共有しよう。」
「はい!ではまずはそちらの本題ですよね、僕らは待ってるので!」
大輔の答えを聞いて、終夜が嬉しそうに、彼とユミネを別室に送り出す。ひとまず、頼もしい味方の確保には成功した、ようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
大輔は、ユミネを応接室の外に連れ出して、箱と、その解錠ツールについて尋ねる。
「——っていう話を聞いたんだけど」
「うん、確かにそういうツールは扱ってるよ。」
「けど、レイヤードの中でも特に感覚の鋭い方じゃないと扱えない、癖の強い道具なんだけど、それでもよければ、だね。」
そう言って、ユミネが商品の説明を始める。なるほど確かに聞いた通り、使いこなすのは非常に難しそうな道具である。が、だからといってこの手段を抑えておかない理由はない。
「構わないよ。使えるかどうかはともかくとして、まずは道具だ。」
「その注意点さえ分かって頂けるなら、もちろん売りますよ。そもそも商品ですし!」
一方のユミネは、内心で「私に用があるって聞いたから、場合によっては代わりに私たちを手伝ってくれないか交渉するつもりだったけど、必要なくなったし…」と思っていたのだが、そこは商売人ゆえ顔には出さなかった。
こうして、まず一歩の手がかりをつかんだ大輔は、購入したそのツールを箱と一緒にメッセンジャーバックに仕舞って、応接室に戻った。
◆ ◆ ◆ ◆
ちなみに、もちろん解錠には挑戦したのだが、結論から言うと特に感覚に優れている訳でもない大輔には荷が重かった。
レイヤードの中でも、本当に突き抜けた能力をもつ者のために作られたアイテムなのだろう。
となれば、次はこれを使いこなせる人物を探さなくてはならない…
ユグドラシル&若草晴
若草晴は、優秀な護衛だ。
依頼人の次の予定は、議員同士の会食。その地への移動中、背後から視線を感じる。が、少しばかり妙だ。確かに強い視線は感じるのだが、敵意がこもっている感じではない。それに、どちらかというなら依頼人ではなくて自分自身を見ているかのような気配だ。
「少し周りを見てきます。誰かがつけてきているので。」
何にせよ、このままにしておくわけにもいかない。依頼人を料亭まで送り届けると、近くの付き人に一言断って、その視線の正体を探りに表に出る。
探すべき相手はすぐに見つかった。と言うより、相手も隠すつもりが無かったような風すらある。モノクルを掛けた、長身の男だ。晴は、すぐにでもコードを起動できるように警戒しながら、その男に問う。
「先ほどからこちらをつけているようですが、何かご用でしょうか?」
「あぁ、やはり気付いてくれた。十津河氏の護衛殿は、やはり優秀だね。」
「…そう、君と話がしたかった」
その男、ユグドラシルは敢えて見つかるように尾行ていた。その目論見通り、向こうから見つけてくれたことに、少し笑みを浮かべて答える。
「僕とですか?」
「そう。『小さな正義』は、知っているね?」
「それについて調べる内に、君と十津河氏に辿り着いた。」
つづけて、両手を上げて危害を加える意図がないことを示しながら、所属を明かす。
「怪しい者ではないよ、私はユグドラシル。天秤機関所属。ただ、物語と、ある女性を探しているだけだ」
「なるほど…」
「僕からお話できることはほとんどありませんが、それでも構わないのでしたら…」
小さな正義については、晴としても気になっていたところだ。ここでちょうど話を聞けそうな相手がいるのなら、乗っておくことは悪くない。
◆ ◆ ◆ ◆
近くの店にて腰を落ち着けて、さっそくユグドラシルは端的に本題を切り出した。
「『小さな正義』に纏わる噂を集めて回った。」
「さて、『小さな正義』に会いたい。居場所に心当たりは?」
「彼の護衛をするにあたって、君ならそういった事も調べられるだろう?」
「少なくとも、十津河氏の襲われた場所くらいは分かる筈だ。」
襲撃を受けた場所については、晴は十津河議員に聞いている。クレイドルの外れの裏路地のとある地点だったはずだ。しかし、その地点に特に特別なところはないように見える。
一方で、この情報には、晴自身も不審に思っている点はある。なぜ議員である十津河氏がそのようなところにいたのか、議員本人に聞いても適当にごまかされていた。
「へぇ、そうか……」
ユグドラシルはモノクルを外し、晴の顎を持ち上げると、正面から目を合わせる。
目を通して、その動きなどから相手が嘘を吐いているか、どういう人間か、などを見ているのだ。
突然の行動に驚く晴の表情の中から、必要な情報を拾い上げる。たどり着いた結論は、「恐らく嘘は無かろう」と言うことだ。
「本当、みたいだね。ありがとう」
「こちらからもまた調査を進めるとしよう」
「あぁ、ここのお代はこちらでもつよ。さて、そろそろ彼が出て来るんじゃないか?」
「……また会おう、『若草晴』」
名乗ってないのになぜ名前を知っているのだろうか、と疑問を浮かべつつ答える。
「いえ、いきなり今日会ったばかりの人にそこまでは…」
と、自分の分のお代と連絡先を書いた紙を机の上におく。
「連絡先です。もし情報提供してくださるのであればここに連絡してください。」
こうして、晴はユグドラシルとの邂逅を経て、再び十津河議員の護衛任務へと戻った。
◆ ◆ ◆ ◆
店に残ったユグドラシルは、今聞いた内容を加えて新たな推測を組み立てながら、自身の肩に経つ「彼女」に語り掛けた。
「ふっ……、また面白い事が起こりそうだ。ね、ナーサリー……?」
リサーチ2
情報収集:断絶した旧家について
ユグドラシル、と名乗る男と別れてからも、黒服の少女の噂が気にかかる。いや、むしろ、自分以外にもこの噂を気にしている人物がいる、ということを知って疑念がより強まったから、と言うべきか。
若草晴が、次に少しばかりの空き時間を見つけて足を延ばした先は、ムサシ・クレイドル内の図書館。大侵攻以前の書物はかなりの割合が失われてしまっている現在だが、クレイドル成立以後の歴史なら、かなり詳しい情報まで残っているはずだ。ニュースや雑誌記事のアーカイブを、細かく調べていく。
「やっぱり、何か関わりがあったみたいだけど…」
確かに、依頼人の家系である十津河家は、今は無い幾つかの家系と何らかの関わりがあったようだ。一宮、銀百谷、そして鶴橋。
何らかの物品のやり取りをしていた形跡があるものの、その中身については調べても調べても出てこない。しかし、だからこそ怪しさが募る。そうまでして隠さなくてはいけない取引とは何だったのか…?
図書館は、膨大な情報から目星をつけるにはいい場所だけれども、裏の裏を探るような調べものには向いてない。適当なところで見切りを付け、再びガーディアンから支給されている端末を開く。今の情報に的を絞って、レギオンやガーディアンのデータベースを見直せば、また見えてくるものがあるはずだ。
「あれ…?」
「この動き、今も…」
何気なく見ていたら見逃してしまうだろう。だが、ここまでの疑いを持ったうえで細かく情報の流れを吟味すれば見えてくる。十津河家近辺で、今も詳細不明の資金の流れがある、ような気がする。
他の3家はもう無いのだ。まさか以前と同じ類の取引が続いていることは無いだろうが…
「『小さな正義』は十津河家が関わるこのことを知っていて襲ってきたのでしょうか…?」
「だとすると『小さな正義』は何者なのでしょうか…?」
「そして、この『非常に貴重な物品』はいったい何なのでしょうか…?」
考え込むほどに、疑問が頭の中をぐるぐると渦巻く。あのユグドラシルという男性もこの少女を気にしていたのだ。何もないことは無いだろうが、しかし、小さな正義に関する情報はまだ足りない。
「また何か連絡があるといいのですけれど…」
「とはいえ、人任せにもしていられないですね。また調べて…」
そう思ったところで、ふと時計を見ると、そろそろまた依頼人のところに行く時間だ。調べものの為に広げた端末を手早く片付け、晴は図書館を後にした。
情報収集:ユミネについて
調べ事も一区切りついた昼下がり。
結月終夜、遠竹焠柯、そしてユミネはしばしの休憩をとっていた。少し離れたところで端末をいじるユミネをぼーっと見ながら、焠柯が終夜に話しかける。
「終夜さんは、なんでレイヤードになったの?」
「え? ええと…僕は、なりたいと思ってそうなった訳じゃなくて…」
「死ぬ前に、手を伸ばしたのがたまたまコードフォルダだっただけなんです。だから、みんなみたいに人を助けたいとか…そういう訳では無いんです。」
「あ! ごめん、踏み込むようなこと聞いちゃって…」
突然意外なことを聞かれて、目を白黒させながら答える終夜に、聞いた焠柯も少し慌てた風に言う。が、すぐに互いに落ち着きを取り戻す。
「あぁ、いえ。大丈夫です。その、おあいこという事で、僕も教えてもらっても構いませんか?」
「私は・・・みんなを助けようとして、手を伸ばした。」
「私なんかじゃ、だめだったけどね。」
ふぅ、と一息つきながら語る焠柯の言い方は、彼女にも深い事情と、悲しい過去があったことをうかがわせる。
「でも、でも! その心は素敵です。」
「ダメだったとしても、焠柯さんが人を助けたいと思った気持ちは間違ってなんて無いはずです!」
そして、少し間をおいて終夜が続ける。
「す、すみません。」
「ただ、えっと…僕は、そう思います。そうやって人を助けたいと思う気持ちはなによりも、素敵だと、僕は思います。」
「終夜さんは優しいんだね。」
「じゃあさ、もう一つ聞いていい?」
「もし、コードとの出会いがそうじゃなかったら。例えば、レイヤード適性はあるけど適合するコードが見つかってなかったら、終夜さんだったらどうする?」
「普段の僕なら、何もしなかったかもしれないです。弱いままで良いなら、ヒーローが来てくれるならそれで良いと思えたかもしれないです。」
「だけど、ええと… これは今の僕がそうだからなんですけど。助けたいものがあるなら、多少無理をしてでも手を伸ばすべきだと、僕はそう思います。」
「もちろん、他の人にはオススメ出来ないですけどね…!」
ちょっと早口に強い口調になったり、言葉を考えるようにゆっくりになったりしながら、そう語る。あるいは、ここ最近あまりにも色々なことがあった彼は、その中で多少なりとも考えが変わってきたゆえかもしれない。
「私にはよくわかんないけど、何もしない子も多いのかな。」
「クレイドルに居て診断を続けていればいつの日か、死ぬまでコードに出合えればレイヤードにはなれるんだろうけど。」
「コードを探すのを手伝ってあげるっていったら、おせっかいなのかな。」
「それは…僕には分からないですけど、ええと、でも、その。貴方の気持ちは間違ってない、と僕は思います。貴方の心はあなたにしか分からないですから、どうするかはあなたの自由だと思いますよ。」
「…これは…回答にはなってない、ですかね…?」
「ううん、そっか、そうだよね。こんなこと考え込んでもしょうがないか。結局本人次第だし。」
「ごめんね、変なこと聞いちゃって」
そう言って、焠柯は静かに笑いかけ、今度はユミネの方に歩いてく。
◆ ◆ ◆ ◆
焠柯としても、ユミネのことは少し気にかかってはいた。レイヤードでない一般人だけど、商売という形でレイヤードを助けている少女。それに…
ユミネとしばし話をすると、ユミネがレイヤード向けの商品を扱っていると語った時に問いかけを差し挟む。
「でも、この商品、ユミネは使えないんだよね?不便じゃない?」
「あなたは、レイヤードにならないの?」
「レイヤードになる…?」
「その日を生きるだけで精一杯だったから、思いもしなかった。」
「その、こんな商売してるからレイヤードさんにはよく会うんだ。何かを守り力とか、戦うための力とかがあるのは素敵だなって思うけど、素質を持つ人はごく少ないって話だしね。」
「クレイドルの検査を受けたことないの?」
「受けたことは無いかなー。」
「でも、焠柯ちゃんや、終夜くんを見てると、ちょっと気になってきたかも。」
実際、適性検査を受けたところで、レイヤードの素質がある可能性は低い。だから、特に理由も無ければ受けに行ったことも無い、というのもままある話である。焠柯には少々理解しがたいが。
「とりあえず、検査してみよ♪」
端末でレギオンの案内ページを見せながら言う。そのままレギオンのレイヤード募集ポスターにでも使えそうな絵面だ。
「そうだね。確かに、可能性があるかもしれないのに、知らないのは勿体ないかな…?」
答えるユミネと、「大丈夫かな…」と2人を見て少しおろおろしている終夜と連れ立って、焠柯はレギオン・ムサシ支部の建物へと歩き始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
レイヤード適性検査はそれほど時間はかからない。が、待たされる時間が無いでもない。待合室で、終夜は焠柯に、さっきから気になっていることを尋ねる。
「あの、遠竹さんはどうしてそんなにレイヤードになる事を勧めるんですか?」
「その、レイヤードって危ないお仕事も多いですし… どうしてそんなにこだわりがあるのかなって思って。」
「どうしてって… なれるのにならないなんておかしいじゃない?」
「そりゃあ、命がけでって言えば迷う子がいるのはわかるけど、適合するコードを調律してもらえば危険はまずないんだしさ。」
「危険な仕事は断ればいいし、仕事以外も危険なことだらけだよ。ベクター・・・は私も怖いけど、こんなのにまでビクビクしながらは嫌でしょ?」
SNSで流れてきた殺傷事件のニュースや、ベクターの情報、「小さな正義」なるものの噂などなどを端末で見せる。大侵攻の頃より幾分かよくなったとはいえ、まだこの世界は危険に満ちている。
「それは、そうですけど。僕は、そういう事から人を守れるように…なりたいです。」
「みんながレイヤードになったって、どうしたってレイヤードになれない人はいますし…レイヤードになりたくない人だっていると思いますから。僕はそういう人を…ええと…」
「なんというか、つまり…難しい、ですね。僕は、レイヤードになるのはそれなりにリスクがあると、思っています。僕ごときの二の舞になるかもしれないですし…」
うぅ〜〜……と、何とも言い難い表情を浮かべる。
そうしたところで2人の元にユミネが戻ってくる。手には検査結果が入っていると思しき、レギオンの紋章の入った封筒を持っている。
「ごめんね。待たせちゃった…?」
「あ、いえ! 僕らは全然! 休憩の時間としてちょうど良かったですよ!」
「どうだって?」
戻ってきたユミネに、焠柯が聞く。その直前に「・・・全部を守るなんて、誰にもできないよ。」とぼそっと呟いたのは、聞こえなかったかもしれない。
そのまま顔を出して、封筒を開けるユミネを見守る。取り出した紙には、簡潔に結果だけが書いてある。
[レイヤード適性検査 結果通知]
氏名:ユミネ
結果:レイヤードへの適性あり。ただし、現在レギオンが所有しているコードに該当なし。
「…え? これって…」
要は、レイヤード適性はあるが、レギオンの在庫のコードフォルダは合わなかった。もし今後合うコードが見つかったらレイヤードになれる。ということだ。
「う~む、適合コードなしかぁ」
「…レイヤード適性が、ある…?」
「でも、すぐにどうこうなる、って話じゃないのかな。」
「残念なような、ちょっとホッとしたような…」
「まぁ、すぐ覚悟するなんて難しいですからね。僕はそれでいいと思いますよ。」
「なりたいと思ったなら、あなたにその道があると…そう示されたのは良い事だと思います。」
「合うコードを探すか、ワンチャン適当なコードに挑戦するか・・・?」
「そ、それは危ないですよ!そんなに急いでコードを探す必要は無いと思いませんか?」
レギオンが把握しているコードは一通りチェックされたはずなので、適当なコードでうまくいく確率はごく低い、よほどその低い確率にでも賭けなければならない事情でもなければ(あったとしても)到底お勧めできる手段ではない。言った焠柯も、ユミネがさすがにそこまでする気は無さそうなのを見ると、改めて言う。
「ま、そうだよね。私もやめたほうがいいと思う。絶対苦しいし。」
「うん。でも、いつか、私に合うコードが見つかったら、その時は、終夜くんや、焠柯ちゃんの隣に立てるかな…?」
「…その、その時があれば、あなたがレイヤードになる日がきたら、僕はあなたを歓迎しますよ!」
「私は弱っちいから、すぐにおいつけるって。そしたら仲間としてアサルトにいこうね。」
大侵攻以降、新しいコードは時々刻々と見つかっている(それを使える適性持ちが居るかは別にして)。もしかすると、そんな日も、意外とすぐ近くにやってくるのかもしれない…
情報収集:魅夜・レイジングムーンについて
何回も使える手段ではない。出来るなら戦闘時まで取っておきたいものではある。だとしても、幻のような彼女の輪郭を多少なりとも捉えられるのであれば、そのカードは切っていいと思った。
遠竹さんたちが集めてきた資料には雑音が多い。嘘ばかりという訳ではないけれど、真実だけを抽出するにはかなりの精査が必要だろう。そして俺の能力は、そういった調律には打ってつけだ。
ミストタイプのレイヤードは、自身の体のすべてをアルケオンによって構成している。思考も行動も代謝も、なべて人間の模倣によって行われるものだ。それゆえ、その材料(アルケオン)を操作すれば、『処理能力の著しく高い擬似頭脳』を作り出すことも出来る。
増して、俺の首元に宿るのはグレゴリー・ラスプーチン、長年に渡り皇室を拐かした天才だ。理想的な思考回路の設計図が、そこにはある。
頭部の要素を分解して、コードを元型に再構築。稼働させるためのエネルギーとしては、やはりアルケオンが必要になる。
長くは持たない。手当たり次第に資料を読み、情報の統合と排除を繰り返しながら真相を組み立てていく。
——数十分の格闘ののちに、“手に入れた”情報は二つ。
一つ。鏡の割れる少し前に、彼女は完全に消息を絶っている。あの目立つ容姿で見つからないとは思えない。変装などにより、姿を変えている可能性が高い。
二つ。彼女はやはり、帰ってくるための布石を打っていた。『結月終夜』と『ユグドラシル』、この二人だ。失踪前、結月さんには帰還の手段として1箱の燐寸を預け、ユグドラシルさんには自身の捜索を依頼していたという。
天を仰いで一息つく。やった甲斐はあった。
結月さんとは既に協力を取り付けている、燐寸に関しては早々に続報を得られるだろう。そして彼なら、もう一人のキーパーソンであるユグドラシルさんについても知っているかもしれない。天秤機関所属、だけでは少し覚束ない、詳しく伺う必要がありそうだ。
そして。調べていく中で“手に入らなかった”情報がある。相当数の資料に目を通し、なおも埋まらなかった空白がある。
マッチ売りの少女。そのコードを彼女は、何処で手に入れたのか。レギオン含む様々な組織のデータベースを漁ったけど、それに関する見識は全く当たらなかった。いくらフリーランスとはいえ、由来の一切分からないコードというのは流石に不自然だ。その気がかりは放置するわけにもいかないだろう。
次の方針は固まった。今しがた得た情報と箱について、あの二人と共有すれば良い。その後なにをすべきかは、自ずと見えてくるはずだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ここまでの情報にたどり着いた頃。
ユミネさんと共にレギオンに向かっていた2人も帰ってきたようだ。
戻ってきた顔色を見るに、何も収穫が無かった、という訳ではなさそうだ。
ならば、互いに伝えられる情報は伝えておくべきだろう。
ユミネさんからは、レギオンで受けたレイヤード適性検査の結果を聞いた。
まあ、すぐに重要な情報ではないけれど、そういう可能性がある、ということは決して悪くはない。
そして、こちらからも、レイジングムーンさんに対する情報を…
情報を聞いた瞬間、結月さんの顔色が変わった。
彼はレイジングムーンさんと同じコードを持っている。恐らく、他の人にはわからないことに何やら気付いたのだろう。
必要な時が来れば、話してくれる、とは思うけれど…
情報収集:『小さな正義』の居所について
『若草晴』との接触により、『十津河和久』への調査が直接、『小さな正義』関連の情報につながる可能性が見えてきた。いち議員についてくらいであれば、特別に制限される事もないだろう。また、こちらには本人の護衛による調査の結果もある。
ユグドラシルは、天秤機関の適任者を探した。
「ふむ、彼も暇そうだ。」
『神崎誠一郎(かんざきせいいちろう)』。ユグドラシルの同僚である。ただし、年はかなり若い。真面目で真摯に仕事をこなす。正義感に溢れ、間違った事を嫌い、それ故に気になった事を放置しない。また、抜群の記憶力を持つ。この天秤機関においても、かなり有能な人材である。
…ただ一つ、極めて気が弱く、引っ込み思案である点を除けば。ユグドラシルにとっては幸運な事に、誠一郎にとっては不運な事に、今日の彼は非番であった。
「やあ、神崎誠一郎。今日も元気そうで何よりだ。」
誠一郎は、歩み寄るユグドラシルに対してあからさまな怯えを向ける。
「ひいっ…!? い、一体なんですか…?」
だが、やはりユグドラシルはその程度の事では動じない。寧ろ意地悪く口角を吊り上げ、目を細める。誠一郎の一番恐れる表情だ。
「『十津河和久』、及び『小さな正義』の居場所について、 話を聞きたい。君なら、何か知っている筈だ。そうだろう?」
的確に、彼の弱点を突いていく。 初対面で見抜き、本人の確認も(半ば強引に)とり、今、 利用させてもらっている事だが、誠一郎は家族から虐待を受けていた。その時の恐怖を再現してやれば、彼は逆らえない。
悔しそうな表情を作ってはいるが、その瞳の奥には、仄暗い過去のトラウマが揺れている。 さて、あと少し。猫撫で声を作り、彼の頬に触れる。彼は一瞬だけ身体を強張らせるものの、逃げる事はしない。
「君を傷付けたいわけじゃない。ただ少し、力を借りたいだけだ。」
誠一郎は、ゆっくりと視線を上げる。
「僕の力、必要、ですか…?」
頷く。恐怖を与えてから、承認欲求を満たしてやる。たったこれだけで、この手の人間はユグドラシルの掌の上で踊りだすのだ。人間とは、なんと愚かで、なんと面白い!
誠一郎は、ユグドラシルの手を振り払うと、唐突に表情を変えて語り始めた。
「『小さな正義』は基本、一度逃げた者を通う事はない。しかし、『十津河和久』には謎の執着を見せており、 複数回襲撃を試みている。裏路地以外ではこのムサシ・クレイドルのとある廃墟付近で目撃情報あり。元は有力な家の持ち物であった屋敷が放置されたものである模様。約十年前にその家は断絶。」
そう言って、彼は一枚の紙に何かを書き付け、ユグドラシルに手渡した。
「その周辺の地図です。 …これで良いですか?」
「期待以上だよ。ありがとう。」
頭を撫でてやれば、年相応の満足気な笑みを零した。 颯爽と去り行くユグドラシルの頭に浮かぶのは、対照的 に、歪み切った笑み。最早、嘲笑と呼んでも差し支えないかもしれない。
…良い駒だ。
「待っていろ、すぐに迎えに行く。」
予感は、最早確信へと変わっていた。
インタールード2
合流:ユグドラシル
結月終夜の端末が着信を告げる。表示されている名は「ユグドラシル」。そろそろ彼と合流するのも必要だと思っていたが、やはりこの名前を見て良い気はしない。嫌そうな顔で電話に出る。
「やぁ、久し振りだね、結月終夜君」
「……誰から聞いた?」
「……知りたいかな?」
「興味はない、お前とあまり長く話したくはない」
「そう言うと思ったよ。」
「じゃあ、手短に。『マッチ売り』の君に話を聞きたい、と言えば分かるかい?」
「魅夜さんの頼みか?」
「あぁ、やはり君も、か」
「……あぁそうだよ。」
「めちゃくちゃ最悪な気分だけど、アンタと会わなきゃいけない理由が他にもある。今から会えるか」
「問題ない。最高のお土産を持っていこう」
「……。じゃあ今から言うとこ来いよ、じゃあな。」
つっけんどんに言って、電話を切る。最低限の内容しか話さなかったが、それでも嫌なものは嫌だ。
一方で、電話を切られたユグドラシルは、これから見られるであろう彼の様子に、思わず笑みを浮かべていた。
「ふふふっ……、今度はどんな彼が見られるかな」
◆ ◆ ◆ ◆
電話中の終夜があまりにも嫌そうな顔をしているのを見て、大輔が声を掛ける。これほどまでに彼の態度を変えさせる人間とは一体…
「今のが?」
「…え、あぁ。そうです、アイツなら多分開けられます。」
「だけど…正直皆さんに会わせたくはありません。嫌な奴ですし。」
「それは......ああ、なんとなく分かる」
「とはいえ、レイジングムーンさんが帰ってくるためには不可欠のピースであれば、関わらないというわけにもいかない。」
「……3人のことは全力でお守りします。せっかく手伝ってくださった皆さんに不愉快な思いはさせたくありません。」
「......君一人だけ不愉快な思いをするのも、少し気の毒ではあるけど。」
「とりあえず、集合場所とやらに行こうか。」
ユグドラシルが危害を加えてくるのが前提のような言い草に答えつつ、終夜、大輔、焠柯、そしてユミナは、電話で指定した集合の場所へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
その場所で待っていると、はたして目的の人物はやってきた。
終夜からあらかじめ「顔だけはいい」とは聞いていたが、まさかその言葉だけでこちらへ向かってくる人物を確信できようとは。終夜の目線がにわかに警戒の色を帯びる。その終夜に悪評をさんざんに聞いたのもあってか、焠柯は大輔の後ろに半ば隠れるようにしている。彼女を隠しつつ、大輔が声を掛ける。
「はじめまして、ユグドラシルさん」
当のユグドラシルは、久々に会う終夜に向けて軽く挨拶をすると、後ろの3人に目を向ける。
「やぁ、久し振りだね、結月終夜君」
「…どーも。俺は会いたく無かったけどな」
「後ろにいるのは、『橋喰大輔』、『遠竹焠柯』、『ユミネ』、かな?」
少々の沈黙が流れた後、大輔が冷静に返す。
「まあ、俺たちがあなたを知っている以上、その逆があってもおかしくはないか。」
「ああ、正しいよ。俺が橋喰大輔。」
「そういうあなたがユグドラシル…!…さん?」
言葉を引き継いだ焠柯の問いに、笑みを返して大輔につかつかと歩み寄る。「お前の遊びに付き合ってる暇はない」と言って割り込もうとする終夜も無視して距離を詰める。
「あぁ、そうだね。宜しく頼むよ」
「そして、橋喰大輔君。……聡い人間は嫌いじゃない」
「......えーと」
「君はレイジングムーンさんに、彼女を見つけ出す役割を頼まれている。間違いない?」
「そうだな、『見つけ出す』ところは」
「それで、結月終夜君?」
「…なんだよ。」
「残念だけど、人を『観る』方法はただ瞳を覗き込むだけじゃない」
そう言うと、モノクルを外して再び大輔の方を見る。彼がモノクルを外すのは、誰かの本質を見抜こうとする時の仕草だ。それを見た終夜はさらに不機嫌になる。
「…ッ!だから、お前の趣味に付き合ってる暇は無いって言ってるだろ!」
「ハハハッ、今感想を述べるのは控えるとするか。……少年がお怒りだ」
「…お前が遊ばなきゃここまで怒ってない!」
「遊んでなどいない。私はいつでも『彼女』の為に必死なだけさ」
「改めて、例の医者の話をしようか?」
そう言って、話はようやく本題に移るかと思われた。が、あいにく本題はそれだけではない。
箱の中身
長引きそうなそちらの話が始まる前に、例の箱と解錠ツールを取り出す。
「あ、その前に。お前に開けて欲しい箱がある。」
「多分お前なら開けられるから、開けて欲しい。俺のでは無いけど」
「箱……?」
「わざわざ私に頼み事、ね。君達では無理だった、というわけか」
嫌味な言い方だが、実際に挑戦して開けられなかったのだから言い返せもしない。黙った終夜に代わって大輔が説明を引き継ぐ。
「ああ。いわく、この解錠ツールは『極めて感覚の鋭いレイヤード』だけが使用出来るらしい。」
「幻惑使いのあの医者を『探せ』と頼まれるほどのセンスの持ち主なら、可能性は十分にあると思う。」
「へぇ……。まぁ、やってみる価値はあるか」
暇つぶし程度にはなりそうだ、とでも思ったか、存外素直に引き受け、彼は器用に解錠ツールを操っていく。まもなくして、カチリ、という小さな音と共に、その固く閉ざされていたはずの蓋が開けられた。
「……ふぅん、思ったより手応え無いな」
「開いた~。」
「......凄いね。ここまで呆気なくとは思わなかった。」
喜ぶ焠柯と感心する大輔が箱をのぞき込む。
箱の中には、幾つかのUSBメモリのような記憶媒体や小さなアクセサリ、鍵などが入っている。それらの下、箱の底には1冊の帳面が収められている。一見こんな頑丈な箱に入れてまで保存しておくものではない。が、レイヤードである彼らには、その物品たちの価値はすぐに分かる。
それらはすべて、コードフォルダだ…
そこに入っていた帳面をめくると、どうやら取引記録のようだ。先刻から話題に出ていた4家、一宮、銀百谷、鶴橋、十津河の人脈を通じて、レギオン以外の様々にコードが流通していた様が記されている。
隣から顔を出したユミネと終夜も感嘆の声を上げる。そして、少し期待を込めて。
「それは、もしかして、コードフォルダ…?」
「そんなにたくさん…?」
「そうみたいですね、本当にこんな沢山…」
「もしかしたら、この中には私に合うコードも…」
と言うと、ユミネは周囲の皆を見回す。それは、「分かる…?」とでも言いたげに。その言葉を聞いて、彼女をレイヤードにすることに最も積極的だった焠柯がコードフォルダを1つずつ確認する。しばらくして、1つの鍵型のフォルダを取り出した。
「むむむ…、ありそう!なきが…」
「…これかな。」
そのコードを見て、帳簿をめくる。中身の元となった人物が分かるはずだ。
あるページで帳簿をめくる手を止め、ユミネが読み上げる。
「…茶屋清延?」
それは、戦国時代から江戸時代初期にかけて、徳川家の御用商人を務めた人物のコードであった。本能寺の変の際には、いち早く家康に異変を伝え、本国への帰還を支援したと言われている、機を見るに長けた商人だ。なるほど、ユミネのコードとしては相応しいのもうなずける。
そのコードフォルダをしばし眺めて、ユミネは改めて大輔の方に向き直る。
「この箱から出てきたということは、今、このコードフォルダの所有権は大輔さんにあるはずです。」
「その上でお願いします。私に、そのコードフォルダを売ってください!」
「それは——別に構わないけれど。」
「これらのコードフォルダの来歴は、俺もちゃんと把握している訳じゃない。」
「だから、安全なものであることは保証できない。それでも良い?」
「はい、もちろん。どんな道を選ぶにせよ、100%安全なんてありませんし。」
「それに、皆さんの話を聞いていて、思ったんです。」
「私は、ユミネは、目の前にある可能性を掴める自分でありたい!」
「それなら」
「代金は解錠ツールと同じで良い? 後腐れのないように」
「うん、いいよ。」
「ありがとう、大輔くん。」
ユミネが笑顔を向ける。
向けられた方の彼はすこし照れ臭そうに頬を掻きながら、「上手くいくといいな。」と小声で呟いた。
合流:若草晴
ユミネが焠柯の手助けを受けながら、受け取ったコードフォルダの準備をしている間。
さて、無事に箱を開けられたところで、もう一つの本題が待っている。改めて、ユグドラシルの方に向き直って、大輔と終夜が聞く。
「で、レイジングムーンさんのことだけど」
「単刀直入に聞くよ。君は、彼女にどこまで肉薄した?」
「あ、そうですよ。お前は魅夜さんの件について連絡を入れてきた訳ですよね?」
「何を知ってるか吐いてもらいましょうか」
箱が空いてから、ずっと腕組みをしながら彼らを眺めていた彼は、ようやく自身に話が向くと、ゆっくりと返答を返す。
「そうだね、まず、私が今回の件に関して使った情報収集ルートは三つ」
「『噂』『若草晴』『神崎誠一郎』」
「『若草晴』は議員『十津河』の護衛、派遣元はガーディアン。『神崎誠一郎』は天秤機関の同僚だ」
「全ての情報は、天秤機関の権利でもって裏をとっている。さぁ、そして肝心の情報だが……」
集めてきた情報を並べ、そうして彼は推論を語る。探している魅夜・レイジングムーンは”小さな正義”と同一人物である可能性が高い、と。
「具体的に私が彼女と『小さな正義』を結び付けた理由は、瞳の色と、勘だ。」
「因みに結月終夜君、君を訪れた理由も、勘」
彼は、以前魅夜に自身の捜索を依頼された時、彼女の長い前髪に隠された瞳を見せられている。その色は、”小さな正義”と同じく琥珀色。
それから、大輔の方を見て、底意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「あぁ、そうだ。『鶴橋』君?」
「『識りたい』なら、『若草晴』、呼ぼうか?」
「......その、若草さんという人物は『鶴橋』を知ってるんだね。」
途切れ途切れに大輔が返す。目の前にいるこの男、確かに『鶴橋』と言った。どうしてこの過去が今出てくるのか…
「なんだ、お仲間にも話していないのか。残念だったね、『過去は、消えない』」
「まぁ、私よりは知っているだろう」
「無駄話は良いですよ、お前の興味なんて関係ないです。」
「なので橋喰さんをいじめるのはやめてください。」
「へぇ、止めるかい?興味はないかな、橋喰大輔?」
「ハハッ、いくらでも悩んでいいんだよ? 残念ながら、君のお友達は妨害するつもりらしいけどね」
「お前のその、腹立つ口調が嫌いだって言ってるんですよ!」
「もっと人に優しくしようと思えないんですか?」
大輔との距離をさらに一歩詰めて語るユグドラシルに、横から終夜が噛み付く。が、なおも意に介さずに彼は続ける。
「言っただろう?絶望やそれに抗う勇気がメインディッシュなら、嫌悪はスパイス」
「……期待しているよ」
その言葉に、再び終夜が抗議の声を上げようとしたところで、大輔が手で制止する。そのまま静かに瞑目して、深呼吸してから、ゆっくりと語る。
「......大丈夫だよ、結月さん。」
「一度は捨てた過去だった。橋喰を生きるに当たっては、それは要らなかったから。」
「だけど、今は必要なんだと思う。これは君と同じく“勘”だけれど、俺の過去とレイジングムーンさんの消息は、きっと無関係じゃない。」
「……ふふ、ならばその覚悟、『観せて』もらおうか」
「彼女に辿り着ける可能性を、僅かでも上げることが出来るというのなら——」
「俺はもう一度、鏡と向き合うよ。」
ユグドラシルというこの男は、自分を試しているのだろうか。その瞳は自分のすべてを見透かされているようで、うすら寒く感じる。いや、実際に見透かされているのだろう。現に、これまでずっと触れてこなかったあの名を、彼は口にした。
しかし、また距離を一歩詰める彼からは逃げない。自分より二回り以上は身長の高い彼をきっ、と見つめる。その表情の変化にニヤリと笑い、ユグドラシルは手を伸ばして大輔の顎を持ち上げる。
彼から至近距離で瞳を覗き込まれていると、数秒にも数分にも数時間にも感じられる。自分の中を探られる不安感と焦燥感、不快感が湧き上がってくる。が、冷や汗を背中にかきつつも、瞳を覗き込み返す。その瞳孔に映っている“鶴橋大輔”を見つめるように。
幾ばくかの時が経った後、ふっ、と、ユグドラシルは思わず笑みを溢して大輔の顎を離す。
「合格だ」
そのまま端末を取り出して、晴の番号をコールし、ただ『来て欲しい場所』だけ確認して切る。
◆ ◆ ◆ ◆
しばらくして、若草晴がその場を訪れる。突然ユグドラシルから連絡が来て、”小さな正義”について新しく何かわかったのかと思って行って見たなら、知らない人が4人もいたのだ。少しきょとん、と首をかしげる。
「若草晴と申します。」
「あの・・・僕は”小さな正義”についておっているのですが・・・、そのレイジングムーンさんという方と何か関係あるのでしょうか・・・?」
ここに至るまで、ユグドラシルは彼を呼び出しただけで、全くもって状況の説明などはしていない。
戸惑っている晴に、各自の自己紹介から始めて、状況を確認する。総合して考えるに、”小さな正義”は魅夜・レイジングムーンである可能性が高いこと。そして、”小さな正義”を晴が追っているなら、共闘できるだろう、と言うこと。最後に、結論を大輔と焠柯が口に出す。
「ユグドラシルさん。」
「君の直感が言う通り、『小さな正義』がレイジングムーンさんなのであれば、彼女の居場所は——」
「廃、墟・・・?」
十津河議員の周辺で待ち受けるよりは、こちらから相手の居場所に向かった方が確実だし、人を巻き込む危険も無いだろう。そう意見がまとまったところで、ちょうど、晴の端末が着信を告げる。
◆ ◆ ◆ ◆
掛けてきたのは依頼人の十津河議員だった。少し、場を離れて電話に出る。
「若草くん、今少し良いかね?」
「"小さな正義"については何か進展があっただろうか?」
「はい。」
「”小さな正義”は自身が悪と判断した者に襲い掛かっているようで、十津河議員に非常に強い執着を見いせているようです。」
「居所について把握できています。」
「なるほど。居場所が把握できているのなら、改めて、その排除を頼みたい。出来るかね?」
本来、ガーディアンの業務としては、襲撃相手をこちらから出向いて対処するのは珍しい。だが、この場合のように相手に明確な敵意があり、出向いて対処した方が良い合理的な理由があるなら、そのかぎりではない。
「承知しました。」
◆ ◆ ◆ ◆
電話を切って、皆のところに戻った晴に、意外な人物が話しかけてくる。ようやくコードの準備作業を終えたらしいユミネだ。
「もしかして、今の電話って十津河議員から…?」
「…はい。そうです。」
「その、あなたに伝えてもどうしようも無いかもしれないけど、彼はたぶん、隠れた取り引きを、悪いことには使ってない。」
「この商人のコードを得たせいかな? 帳簿からいつも以上に物事が分かるんだ。それで、何となくそう思ったんだ。」
確かに、大商人茶屋清延のコードを持って帳簿を見たならば、通常では読み取れない深い機微まで分かっても不思議ではない。
「そうなのですか…? 悪いことでないとしたら一体何に…?」
「いや、悪いことではない。というと語弊があるかも。そもそも裏取引だし。」
「でも、特にこういうもの(コードフォルダ)は、必要なところに正規のルートだけじゃ届かなかったりするから…」
「それを知ってどうするかは、私には口出しする権利はないけど、知ってもらいたかったな、って思って」
「なるほど…、そうなのですね…。」
ユミネの話を聞いて、少し考えこむ。依頼人の十津河議員については、先ほど聞いた話からすれば、コードフォルダの裏流通には関わっていたようだった。だが、問題は、その取引は必要なものだった可能性もある…
幕間:ユミネ&橋喰大輔
晴に話しかけた後、ユミネは適当に縁石に腰掛けて改めて自身の体を見る。コードを使ってみたところの副作用みたいなものもない。少し安心する。
さっき、焠柯からは「お祝いしなきゃね!」とか「わからないことがあれば聞いてね!」みたいなことをいろいろと親身に言ってもらった。「同年代の子って、ほとんど見なかったから…。これからよろしくね!」とも。それまでユミネにはちょっと冷めて高圧的な態度だったような気がするのだが、気のせいだろうか…?
そんなことをぼんやり思っていると、今度は大輔に声を掛けられる。何やら少し話をしたいことがあるらしい。縁石から腰をあげ、彼に付いて裏路地に入って行く。
「聞きたいことがあるんだけど」
「私に…? 何かな?」
「俺と遠竹さんは、レイジングムーンさんとアサルトを共にしたことがある。これからの戦いに彼女が必要だと知ってる。」
「結月さんとユグドラシルさんは直接頼まれてるから、それも分かる。」
「君は? どうして彼女を探してる?」
「私は、今でこそ商人をしているけど、元はクレイドルの片隅に転がるだけの孤児だった。」
「何をするにも、動き出せる元手もない、その状態から抜け出すきっかけをくれたのが魅夜さんなんだけど。」
なるほど、確かに彼が訝しむのも分からなくはない。だから、もう一歩踏み込んで答えることにした。あんまり、外に見せてる私っぽくはないけれど。
「その時、お話した時に聞いたのが『私は、理詰めで動けるが故に、人の想い、人の覚悟というものには期待している。こういうことをしているのは、それを見たいからだ。』って。」
「だから、ただこのお金を返すだけじゃなくて、今の私に何ができるか、直接見てもらいたい。そう思うんです!」
「これじゃダメかな…?」
言ってみると、存外彼は少々いたような顔をして答えた。
「......ごめん、少し色眼鏡で見過ぎたな。
君の理由は、もっと実利的なそれだと思っていた」
「例えば、レイジングムーンさんが一切の保証なしに元手を貸すとは思えない。君の何かと引き換えに貸し出していて、君はまだそれを返してもらっていない、とか。」
「あー、それに関しては、別の担保を取られてるからね…」
「『もし返せなくなったら、その程度の金額、君の体を死なない程度に売れば取り戻せる』ってさ。あの人、闇医者だし…」
「ま、でも、それを差し引いても、私なんかに実利で手を貸したんじゃ無いと思うからさ。」
「人の想いで助けられたんなら、それを見せて返すのが筋でしょう。そこは商人だって同じだと、私は思うんだ。」
「なるほど、それを聞けて安心したよ。ありがとう。」
「改めて、彼女を見つけるにあたって君と協力したい。よろしく。」
どうやら、彼の眼鏡にかなう答えは出来たらしい。良かった。
でも、あんまり素直に安堵を顔に出してやるつもりはない。じとっとした目線を向けて、つとめて悪戯っぽく言う。
「うん。よろしく。大輔くん。」
「というか、私のこと、そんなに実利一辺倒の人間だって見てたの…?」
「それは、その。」
「ごめん。私利のことばかりを考えてたのは、俺の方だった。」
「ふふっ、冗談だよっ。」
「そもそも、そう見えるように振舞ってたのは私だしね。」
すこし、意趣返しして満足したな。さて、あまり席を外していても皆が心配する。すこし急ぎ足に大輔の横を抜けて行きながら、声を届ける。
「あと、個人的には、利で動ける人も好きだよっ!」
「......どうも。」
クライマックス
Before Combat
かくして、”小さな正義”が居るという、廃墟へと一行は歩を進めた。
廃墟に向かうと、聞いていた通り、そこはかなり昔に焼け落ちた屋敷のようだ。ボロボロになった扉をくぐり、中に踏み込むと、その少女は現れる。黒いドレス、琥珀色の瞳、聞いていた通りの容姿の"小さな正義"だ。無表情のまま、彼女は問いかける。
「あなたたちは、誰? …良い人? …悪い人?」
「いえ、知っているわ。 そこにいるのは、十津河の護衛と、鶴橋の息子ね。」
「私が、許してはならない相手…」
少女の眼は、明らかに焦点が定まっていない。その姿は、ここに居るレイヤードたちの知る魅夜・レイジングムーンとは大きく異なる、が、ここまでに集めた情報から推測できる。
彼女は、魅夜・レイジングムーンが、「魅夜・レイジングムーン」となってからの記憶を封じ、幻覚によって当時の姿を纏わせた存在。それ以降にあったはずの記憶を封じた結果、彼女の精神年齢もそのぐらいになったのではないか。急に精神年齢を逆戻りさせされ、1人で放りだされれば、このように錯乱するのも有りうるだろう。
ですが、それはきっと、この目の前の少女ではなく、魅夜・レイジングムーンには予想の範疇なのだろう。その状態から取り戻すための手段として、結月終夜に、燐寸を託したのだから。
◆ ◆ ◆ ◆
「魅夜さん、私のこと覚えてない?」
焠柯が、「鶴橋の、息子?」と首を傾げつつ、少女に聞く。が返答はない。
その焠柯の隣から、終夜が一歩前に出る。同じ燐寸使いであることを悟ったからだろうか、少女が終夜の方を見てぼそぼそとつぶやく。
「邪魔をするなら、きっと、悪い人なのね。」
「わたしは、……を……した。」
「悪い人は、いなくならなきゃいけないわ。」
「邪魔をしに来たんじゃない。迎えに来たんだよ。」
「俺は結月終夜、君のお名前は?」
そう言って、終夜が手を差し出そうとする。
が、その動きは予想外のところから遮られた。
「いや」
「名前を聞く必要はないよ。既にそれは分かってる」
大輔の言葉に、周囲の面々は驚いた顔を浮かべ、眼前の少女は相変わらず無表情のまま、言葉を返す。
「わたしの…なまえ?」
「わたしには、悪い人をいなくなくするっていう使命だけあればいいの。」
「だから、なまえは無いの。」
「あるよ。それは君に取って“必要なもの”だ。決して、捨てていいものじゃない」
大輔は、自身を持って言い切った。
「『君』と会うのは初めてだと思う。だから、こう言おう。」
「初めまして、銀百谷燐(ぎんももがや・りん)さん、」
初めて聞く名前だ。いや、銀百谷という名前は、見覚えがある。コードの裏取引に関わっていた4家のひとつだ。だが、本当にそれは魅夜の本名なのか…?
答えは、その少女自身が示していた。その名前を聞くと、さっきまで無表情だった少女が一瞬硬直したかと思うと、怯えるような表情を浮かべる。明らかに動揺している。
「ちがう、ちがう、私は燐じゃない。」
「銀百谷の家を壊した、燐じゃない。ちがう。別の存在にならなきゃ。私は何者?」
「......そうか。」
「君が魅夜レイジングムーンになったのは、それが理由なんだね。」
「事情をすべて分かっている訳じゃない。」
「だけど、銀百谷家は既に断絶しているという現実がここにある。君も、その崩壊に無関係ではなかったかもしれない。」
「銀百谷を名乗ることなど出来ない、そんな自責の念で、君は自らの姓名を封じたんだろう。」
落ち着いて語る大輔に、少女がはじめて感情をあらわに叫ぶ。
「うるさい! お前には分からない!」
「わたしが、どんな思いで、おとうさまを殺してまで、この胸に宿る正義を貫いたか!」
彼女の過去にあったのは、小さな胸に宿る正義と、自らを護り育ててくれた父親との天秤。幼い少女にはあまりにも過酷な運命を通ってきた悲しみを、叫びに乗せる。
が、あいにくと言うべきか、その叫びの先にいたのは、『鶴橋大輔』だった。
「ああ、俺には分からない! 俺は君自身じゃないし、君と長く話してきたわけでもない。」
「だけど、その感情は俺も知ってる。自らが信じる正しさのために、父親に手を下したときの気持ちなら
——生憎様、ついさっき想起させられたばかりだよ!」
大輔の言葉が切れると、場に静寂が通り抜ける。
結月終夜は、家系の話なんかは分からないなりに、頭を悩ませた。
ユグドラシルは、興味深げに、感情をぶつける少年少女を眺めた。
遠竹焠柯は、なぜか自分にも当てはまるような感覚がして、怯えて震えた。
若草晴は、感心と驚きのこもった目で、大輔を見た。
そして、銀百谷燐は、いや、その内に宿る魅夜・レイジングムーンは、一瞬だけ、理性的な光を瞳に取り戻し、か細く呟いた。
「…そう、私は知っているはずだ。その痛みに向き合う術を。覚悟を持って歩む価値を。」
「私を、取り戻してくれ。そうか、君はそのために来たのだろう。結月終夜。」
そうだ、その通りだ。燐寸を取り出し、終夜が戦闘の構えを取る。
が、またしても、大輔が口を挟んだ。
「一つ、確認したい。」
「その燐寸は、魅夜レイジングムーンを取り戻させるためのものではあると思う。だけど同時に、銀百谷燐を失わせるものではない?」
「それを決めるのは、魅夜さん自身だ。俺じゃない。」
「…でも、ここで道を示すくらいは出来るはずだ。そうだと思わない?」
「...そうだね。」
安堵したように言うのを聞いて、再び終夜が燐寸を構え、大輔の隣に立つ。
そして告げるのは、目の前の少女を倒す為ではなく、その灯火をもって導くための戦いの始まり。レイヤードたちが、戦いに向かう決意を紡ぐ。
「待たせてごめんね。魅夜さん、燐ちゃん。」
「俺は今から君たちに道を示す。君たちという真実を取り戻す。」
「魅夜・レイジングムーン……。見え隠れしていた『孤独』『悲哀』その正体、漸く露にしたか」
「だが、君の本質はそこには無い」
「『折れぬ意志』、貫いた君なりの正義は、消せないよ」
「だから、私が全てを『観る』。君が否定した君ごと、私が全てを『観て』、語ろう」
「私は君の正体になど、興味は無い。だが、報酬は『物語』だった筈だ。」
「私が満足する、『物語』。だから、踊れ。……そうでなければ面白くない。そうだろう?」
「君はきっと、心の底では銀百谷燐を捨て切ることが出来なかった。燻る煙でぼかして、曖昧にしながらも、消し去りはしなかった。」
「俺が橋喰という名を与えられてからも、鶴橋大輔を忘れきれなかったように。君も、その面影を魅夜レイジングムーンという名に残していた!」
一瞬だけ、少女の瞳の奥で、光が揺らいだ気がした。
そうGinmomogaya RinはMiya Ragingmoonであり、Miya RagingmoonはGinmomogaya Rinである。
その重なり合った幻想を、取り戻せ!
After Combat
戦いの詳細は、ここでは詳しくは語らない。
だが、一歩間違えればここまで繋がれた灯火は途切れてしまうような、激戦であったことは間違いない。
幼い正義のままに、幻想の燐寸を振るい立ちふさがった少女は、その力は、まぎれもなく、彼らも知る魅夜・レイジングムーンだったのだ。そういえば、戦いの様子は理解してもらえるだろう。
一つ付け加えるのなら、グレゴリー・ラスプーチンのコードを起動するときに橋喰大輔が残す呪いの言葉が、「いまひとときばかりは、死に方を問うことはない。両方とも、生きて帰ってきてもらうよ」と、この時ばかりは優しく響いたことか。
そして、戦いの最後は、燐寸を燃やし、その身をも炎として放った、結月終夜の一撃であった。
「俺が出来るのはここまでだ、あなたがどうしてその道を選んだのか、それは俺には分からない。」
「だけど、俺は君の正義を素敵だと思った。だから、もし良ければ、また会いたいな。」
「…ありがとう」
少女は全ての力を使い果たし、最後に終夜が灯した、かつての自分が作った「幻想を取り戻す燐寸」の煙の中、静かに目を閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆
しばらくして、皆に囲まれた少女が目を覚ます。
戦いのさなかで倒れていた大輔も、この少女よりは意識を取り戻すのが早かった。
そして、ゆっくりと口を開いた第一声は、まぎれもなく、皆が知っている、魅夜・レイジングムーンのそれであった。
「ようやく、迎えに来たようだな、結月終夜。」
「魅夜さん、なんだよね。」
「ああ、キミたちの知る、正真正銘元通りの魅夜・レイジングムーンだ。」
「いや、正確には少し違うな。以前は隠されていた過去が、隠すしかなかった過去が今の私にはある。」
幻想はここに取り戻された。
鏡との戦いは、ここに、また一つの、決着をみた。
◆ ◆ ◆ ◆
思い出したように、大輔が言う。
「そうだ。本当は、燐の時に言いたいことがあったんだ…」
「ほう、何かね? 言ってみると良い。」
「何せ今、銀百谷燐もまた、ここにいる」
「お迎えに上がりました。女公爵様。」
「…まったく、呼んでもいないのに来るとはね。」
「それがキミのノブレス・オブリージュというやつか? 公爵様。」
エンディング
Case1 遠竹焠柯&橋喰大輔&魅夜・レイジングムーン
戦いを終えて、時間が流れていく。
もちろん命に別状はないだろうが、互いに全力の戦いではあった。しばらく座り込んで調子を整えたところで、ばちは当たるまい。
ふと、焠柯が大輔と魅夜に顔を向けて聞いた。
「あの・・・、大輔君、魅夜さん。こんなこと聞いていいのかわかんないけど、辛い過去と、向き合うって、どんな感じ?」
焠柯にも、この戦いの中で、何か近しいものを感じることがあったのかもしれない。しばらく考えて、まず大輔が答える。
「...俺は、水の中に潜るような感じだった。深く、深くまでいくほど、息苦しくなって、身体が圧迫されて。」
「それでも、水底まで届けば、そこに掴めるものがある。取り戻したかったものがある。」
「それに、溺れても救い出してくれる人がいる。そう分かっていたから——俺は、安心して手を伸ばせたよ。」
そしてまた違う答えを、魅夜は返す。
「認めたくない過去を認めることは、現在の私を不完全な過去の産物と認めることだと、私は考える。」
「それは心に深く突き刺さる。」
「けれども、今の私があるのは、紛れもなく過去の延長線なのだ。」
「今自分が照らし、歩む道に誇りを持てるのならば、きっと過去を認められるのだろう。」
「私は、魅夜・レイジングムーンであり、魅夜・レイジングムーンを作り上げたのは銀百谷燐だ。」
どちらも、質問に対する唯一絶対の正解ではなかろう。だが、焠柯の期待に沿える答え、ではあっただろうか。
「・・・二人とも、強い、もんね。私もね、昔の記憶がポッカリ空いてるところがあって。何か、重要なことが、あったような・・・。背けちゃいけない何かが、あった、ような。」
焠柯は床に目を落とす。
「私も、自分の過去と、向き合わなきゃいけないのかな。」
影に潜む蛇と目があった。見慣れた影なのに、なぜか寒気が走る。
「でも、でも、でも、怖い。思い出そうとすると、苦しくなる。これ以上深く潜ったら、きっと、もう、戻ってこれない・・・!」
「今すぐである必要は無いよ」
「ここに至るまで、随分とかかった。前に進もうとする衝動が、ようやく不安を追い越したんだ。遠竹さんにも、いずれそういうときが来る......と思う。そう願ってる。」
「そのときには、君が沈まないようにする手伝いを、俺もさせてもらえたら。」
そう言って、大輔が声を掛ける。その言葉は、戦いを終えた静寂が流れる中に、優しく響いた。
「・・・そっか、二人とも、最初から強いんじゃなくて"強くなった"んだよね。」
「今はまだだけど。一生来ないかもだけど。自分の道に誇りを持てたらさ。不安を追い越せたらさ。過去に向き合う。」
大輔の方を向いて、「その時はお願いね」とちょっと無理してでも笑顔を作る。そして、魅夜の方を向いて改めて、声を掛ける。
「魅夜さん、いつになるかんないけど、え〜と、例えば私がヒーローになったら。過去と向き合うマッチ一本予約ね!」
「予約は承ったが、私の治療代は高いと評判だぞ。」
「しかも、時に払い方が金じゃないあたり、たちが悪いときている。覚えておくんだな。」
「じゃ、今のうちに貸を作っとかなきゃ。マカーオーンに今回のお代として秘蔵のお菓子を拠出させるね。」
Case2 若草晴
「すいません。あなたにお聞きしたいことが…」
若草晴は、魅夜・レイジングムーンに声を掛けた。そう、この少年は特に魅夜と因縁もある訳ではなかった。が、ここまで協力し、その代わり、確かめたいことがある。
彼女の依頼人である十津河議員、彼は結局、裏で何をしていたのか。そして、”小さな正義”が執拗に彼を狙っていたのはなぜだったのか?
「なるほど…」
「もともと、裏コードの売買に関わっていた4家は、それぞれレギオンの手では回りきらない所にコードを供給する役割を担っていた。」
「もちろん密売ではあるんだが、世の中には必要悪というものはやはりある。」
魅夜が一つずつ順を追って、この事件につながる、以前からの流れを語る。
「が、その中でも、余計な欲をかいたのが私の父だ。」
「反社会的組織にコードを流したり、果てはその対価として別の悪事に協力させていた。」
それを知った娘、燐は父親の悪事を止めるため、彼を亡き者にした、というわけだ。
「その後。銀百谷、一宮、鶴橋の家が途絶えても、十津河は愚直に使命を果たし続けたんだろうな。」
「裏取引であることに違いはないし、レギオンとしては十津河を摘発したいだろうな。」
「そのあたりをどうするかは、君しだいだ。」
“小さな正義”と戦う前にユミネが言っていたことにも一致し、合点がいく。
「話してくださりありがとうございます…。」
「それから、十津河議員は、これ以降は襲われることは無い、と言うことで良いのでしょうか?」
「そうだな。もう"小さな正義"が十津河議員を襲うことは無い。」
「"小さな正義"であった時の私は、急激に変化した認識の齟齬によって、強い錯乱状態にあった。」
「加えて、自身の父親に対してのことだ。その経験から、実情を吟味できぬまま、当時の関係者に敵意を持っていたのだろう。」
その答えを聞いて、しばし考えこむ。
そして、もう聞きたいことは聞けた、と判断して礼を述べる。
「話しにくいことなのにいろいろ聞いてしまってすみません。いろいろありがとうございました。魅夜さんに話を聞けて良かったです。」
「なに、キミにこそ迷惑をかけたからね。このぐらいは当然知る権利ぐらいあるさ。」
「では、縁があればまたどこかで会おう、若草晴。」
「はい、またどこかで。魅夜・レイジングムーンさん。」
◆ ◆ ◆ ◆
議員の元に戻ると、彼は晴を出迎え、ねぎらいの言葉をかける・
「無事に帰ってきてくれたようで良かった。」
「ご苦労だったな。若草くん。」
「遅くなって申し訳ありません。」
「小さな正義の排除に成功しました。もう襲われることはないでしょう。」
「うむ、感謝する。」
「護衛任務の期間はまだ残っていたが、それならばもう護衛の必要は無いだろう。ここまで、世話になったな。」
「むろん、報酬は予定の期日までの分をガーディアンに振り込んでおくから、安心してくれ。」
「ありがとうございました。」
「また何かございましたらご連絡ください。」
◆ ◆ ◆ ◆
が、若草晴の依頼は、まだ終わっていない。
端末を取り出し、報告のための電話をコールする。かけた先はガーディアンと、そのガーディアンを通して依頼をしてきたレギオン。
十津河家で行われていた裏取引の内容、それに4家が関わっていたこと。
それが行われていた理由が、レギオンでは回らないところにコードを回すためであったこと。
このような事が再び起こらないようにするために、レギオンは対策(コードが回らない場所を減らしていく)が必要であるでしょう、という私見も添えて。
後日、ムサシ・クレイドルの有力議員で会った十津河和久は、レギオンによって逮捕されることになる。コードの密売がその罪科だが、彼についてその後、どのような判断が判断が下されたかはここでは語らない。
◆ ◆ ◆ ◆
いつも通りのガーディアンの任務に戻った晴は、この一連の事件を思い出して、ふと思う。
(…彼の行動は必要悪ではあっただろうけど。)
(…でも、コードフォルダーの売買これから先も必要な人だけに行き渡るとは限らない。)
(…それに…もし反社会的組織に渡るのでしたらそれこそ危険です。)
(…何より、また燐さんのように苦しむ人が出てきて欲しくないから…)
Case3 魅夜・レイジングムーン
さて、時間はまたしばし遡る。
“小さな正義”戦の直後、取り戻された魅夜・レイジングムーンと、それに結月終夜、遠竹焠柯、橋喰大輔との話はひと段落した頃合い。
1つの重大なメッセージが、彼らの元に届いた。
魅夜がふと端末を取り出し、メッセージを確認する。
「まったく、仕方ないとはいえ、幼い私は見知らぬ相手からのメッセージに、興味などなかったと見える。」
「随分と連絡が溜まって…」
そこで、言葉が途切れる。
つい今届いた1通のメッセージを読み、取り戻されたパステルの髪で隠れていても分かるほどに、表情が険しくなる…
「…差出人、巡千歳、だと…」
そして、メッセージを読む。
「なるほど、最善には一手遅かったか…」
「しくじったな…マカーオーン…!」
何ごとかという顔をする終夜、焠柯、大輔に、画面を見せる。
◆ ◆ ◆ ◆
リベレーター・マカーオーンと縁を持つ皆様へ
初めまして、あるいはお久しぶりです。レギオン所属レイヤードの巡千歳と申します。
今私は皆様へ伝えなければならない事、そしてお願いしたい事があり、この連絡を書いています。
本日、マカーオーンさん、並びに彼の妹のパナケイアさんが、ヒポクラテス達の手に落ちました。マカーオーンさんは妹のパナケイアさんを衰弱状態から救うために彼の妹と共に、私がリーダーを勤めたアサルトチームに同行しました。
これはヒポクラテス配下のエンフォーサーの討伐であり、この時倒したエンフォーサーが、最後の力でマカーオーンさんに何らかの細工を行いました。そしてマカーオーンさんのアイソレイトコアは赤くなり、エンフォーサーの拠点で見つかった添付図の装置で起こしたパナケイアさんと共に、何処かに消えてしまいました。
(アイソレイトコアを覆う形の、赤く光る五角形の装置のイラストが添付してある)
これにエンフォーサーの完全沈黙の確認に失敗した私の責任がないとは言えません。でも私は、マカーオーンさんが敵の手に落ちたまま、諦めたくはないです。だからマカーオーンさんに、かの偉大な軍医のリベレーターに縁のある方にお願いがあります。
どうかマカーオーンさんの捜索及び奪還に力を貸してください。そしてもし良ければ、この連絡を、私の知らないマカーオーンさんに縁のある人々に伝えてください。
どうか、どうかよろしくお願い致します。
Case4 結月終夜&遠竹焠柯
この”小さな正義”にまつわる事件を通して、魅夜・レイジングムーンは取り戻された。が、その裏で、彼らの陣営は大きな痛手を被っていた。リベレーター、マカーオーンはヒポクラテスの陣営に奪われてしまっていた。
重い空気が流れる中、焠柯と終夜、特にマカーオーンに世話になっていた2人は、彼のアジトに帰ってきていた。が、そこに主はもういない・
「あの、遠竹さん。少し、お話、良いですか…?」
「うん、とりあえず落ち着いたほうがよさそうだね。」
「さっきの戦いの怪我とか、大丈夫?」
「あ、僕は平気です。魅夜さんの方が心配ですね…無理とかしてないでしょうか…?」
「魅夜さんならしばらく痛みを感じなくなるマッチがあるから大丈夫って言ってたけど...。」
「…そうですか。まぁ魅夜さんの心配を僕がしても仕方ないですよね」
「ユミネがコードの力でだいぶ
サポートしてくれてるし、あそこに連れてこれてよかったよね」
あの場で覚醒したレイヤード、ユミネのコードはアイテム、特に回復剤を有効に使うことに特化したものだ。戦闘後の後処理では、少々世話になった。
彼女の名前が出たところで、終夜は少し、何かを思い出したような顔をする。
「…あ、ユミネさんで思い出しました。僕の本題です。」
「?」
「…その、遠竹さん。僕と、お友達になっては、くれませんか…?」
「っ!」
驚いて言葉に詰まる焠柯。
「え、えと…きゅ、急にこんな話で申し訳ないのですが…えと、その…遠竹さんとは、その、もっとお話してみたいなと…思ってて…」
「えっと、私も、あ〜と」
あっちこっちを見ながら考え、突然思いついたように、再び終夜の方を見据える。そして、どこか「かっこいいことを言ってやったぜ」とでも言いたげなしたり顔で笑って言う。
「一緒にこんなでっかいこと成し遂げたんだもん。もう、友達、でしょ。終夜。」
「え、えと…そう、ですね?えへへ…」
「…それで、その…これは不躾…?な質問なんですけど…良いですか?」
「なにかな?」
「ご、ごめん、突然呼び捨てして。同じぐらいの友達って、その、いなかったから・・・。」
ちょっと嬉しくて呼び捨てにしていたのと、このドヤ顔がちょっと恥ずかしくなってきたのとで、赤面して顔をそらしつつ焠柯が質問を聞く。
「その、僕がもし、レイヤードじゃなくても。焠柯さんは僕のこの、お願い、受けてくれましたか…?」
「?」「終夜君は、レイヤードでしょ?」
焠柯が、聞き返す。が、終夜はさらに一歩踏み込んだ質問を投げかける。この一連の事件の間、焠柯を見ていて何となく、レイヤードとそうじゃない人に、1つの線を引いているような気がしてならなかった。
「僕は、そうですね。レイヤードです。でも、そうじゃなかったかもしれない。僕には、何の力も無かったかもしれない。」
「現に、僕がちゃんと力が使えるようになったのは、つい最近です。」
「たとえ、力が無くても、焠柯さんは僕の事を友人だと…言ってくれましたか?」
「じゃあさ、終夜は犬や猫とお友達になるの?あ、インテレクトとかじゃなくてね」
焠柯は光のない目で終夜を見据える。
「…?ええと…?僕はそういうのも良いと思いますが、どうして急に?」
「そっか。そう言う関係を友達って呼ぶのなら、なれてたと思うよ。」
「その、僕は友達とか、そういうのには詳しくなくて。ただ、ただその…」
「焠柯さんのユミネさんへの態度が、変わったような気がして。」
「……焠柯さんにとっての…僕らはなんだったんだろうなって。」
「?」
「それはそうでしょう?ユミネはコードを手に入れて人になった。後輩ができたら嬉しいのっておかしいかな?」「
私が背中を押してあげたんだ。いいことしちゃった。」
微笑む焠柯を見て、確信する。だから問いかけはやめない。
「どうして、焠柯さんはレイヤードではない人達をそんな風に扱うんですか?彼らと僕らには、コードを持っているか持っていないかの違いしかありません、たったそれだけです。それなのに、どうして…?」
「コード...力を持っている、持っていない。あまりにも大きな違いじゃない?」
「そんな事はありません、そんな事は無いはずだ。たとえ違ったとしても、俺たちはアンタたちと同じように生きてるんだ、同じように心をもって、同じように生きてる。そこに違いなんて無いはずだ。」
「終夜は優しいんだね。うん、私だって無闇に暴力を振るったりしないし、何かあったら可能なら助けるよ。ユミネにも優しくしてたでしょ?」
「……そう、ですね。」
「…でも、僕は優しい訳ではないです。ただ、ただ僕は僕と同じ弱い人を助けたいだけだ。救われない僕らを救いたいだけだ。」
「……そして、焠柯さんのことを、悪い人だと思った事はありません。それは信じてください。」
哀しそうな顔で語る終夜に何処か達観したような眼を、焠柯が向ける。
「でも、コードの力を持たないものは脆い。さっきの戦いでも、力を持たなかったら、終夜は死んでた。」
「すべてを守り切れる人なんて、いない」
「全てを、守りきれないから、あなたは全てを見るのをやめたのですか?」
「………いや、すみません。こんな事、聞くことでは無いですね。」
それを遮って、焠柯は語気を強める。
「わ、私はちゃんと全てを見てる!」
「すべては守り切れない。だから優先順位がつく。しょうがない。」
「力のない奴を守るため、力のある人が傷つくのはおかしいでしょ?」
「もちろん、終夜が守りたいと言うのはとっても立派だと思うよ。でも、それは誰にでもできることじゃない。」
「…レイヤードは、ヒーローだ。僕らを救ってくれる、ヒーローだ。」
「…守れないとしても、諦めないでいてくれる、そんなヒーローのはずなんだ」
「それがあなたの考えるヒーロー?」
「終夜は人...レイヤードになったばっかりなんだっけ?浮かれる気持ちもちょっとはわかる。でもね、覚えておいて。そんな人は一握り。誰も守れなくて、なんなら傷つけそうになる人だっている。」
「…私みたいにさ」
最後の一言は小声だった。終夜に届いていたのかは分からない。
「……これは、僕の道です。あなたを巻き込む必要は無い、だけど。」
「…誰も守れなくても、傷つける事になっても、まだ未来は違うかもしれない。だから、その。僕とヒーロー、してみませんか。」
「……僕だって、どうにも出来ないことがあって、きっと道が違えば人を傷つけていて、だけど、そんな僕だから出来ることがあるはずなんだ。」
それでも、焠柯に向けて手を伸ばしたい。理想論でも、失敗しても、それでも、僕はヒーローでありたい。いや、僕たちはヒーローでありたい。
「な、なんでそんなこと言うの。みんな、私をヒーローだなんて茶化して。魅夜さんには『ヒーローになったら』なんて冗談で、言ったけどさ。なれるわけがない。」
ふと、焠柯の目から涙が零れ落ちる。どうしてだろう。
「誰も助けられず、傷つけて、自分だけ惨めに生き残ってきた私が。願っていいはずがない、ヒーローになっていいはずが!」
とめどなく流れる自分の涙に困惑する。
「あれ?あれ?」
泣きじゃくる焠柯の手を、しっかりと終夜が握る。一瞬だけ、焠柯がビクッと驚いた表情を向けたが、言葉を続ける。これは、言わなきゃいけない。
「焠柯さんはヒーローだ!僕の事を助けてくれた!焠柯さんは、誰も助けられないわけじゃない!」
「たとえ過去が暗くても、どれだけ後悔があっても、それは今を暗くする理由にはならないはずだ!」
「でも!でも!!でも!!!」
「ごめんなさい、焠柯さん。でも、でも僕は。焠柯さんに後悔して欲しくないんだ。弱いから仕方ないってあきらめて、それで自分の心に傷を残すのはあまりにも、悲しいから。」
「…私、ヒーローになっても、いいのかな?」
涙と嗚咽の混ざる声で、か細く聞く。その質問に込められているのは、疑問であり、僅かな期待。
「それを決めるのは、僕じゃない。焠柯さんです。」「自分の心に、正直になれたら。それであなたはヒーローです。」「そして、僕の気持ちを伝えておくと…僕にとって、あなたは最初からヒーローですよ。」
「しゅうやぁあ!!」
先ほどにもまして、涙があふれ出る。けれど、終夜にしがみついて泣く彼女に、先ほどまでの怯え、震えは、少し薄まっていた。しがみつかれた終夜は一瞬だけ、おろおろと慌てた顔を浮かべるが、すぐに微笑みを取り戻し、背中をなでる。
結局、焠柯は泣き疲れて寝入ってしまうまでそのままだった。穏やかな寝顔をのぞき込んで、寝たことを確認する。
「おやすみなさい、焠柯さん」
「ありがとう...」
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝。顔を真っ赤にした焠柯が終夜に詰め寄っていた。
「こ、このことは絶対、絶対秘密だからね!」
「はい、僕らだけの秘密です。」
「あと、その…『終夜とヒーロー』って言うの、考えとく。」
「はい!」
Case5 橋喰大輔&魅夜・レイジングムーン
後日、マカーオーンと関わりの深いレイヤードたちに、藍川春樹から1件のメッセ―ジが送られた。それを読み、橋喰大輔は、隣に立つ魅夜に今後の方針を聞く。
「...藍川さんの通達、君はどうする?」
「殊更私があの場所に残る理由も無いだろう。」
「無論、最重要の防衛拠点であることに変わりはないが、それは互いによく分かっている。」
「藍川春樹は十分な防衛体制を敷くだろうし、ヒポクラテス陣営はおいそれと手を出せない。藍川春樹のことを知るマカーオーンが向こうにいればなおさらだ。」
マカーオーンが向こうにいるからこそ、彼はアジトの防衛戦力は簡単には突破できないことを、誰よりもよく知っている。無理な襲撃をかけてくる可能性は低い。
「また、どこかで暗躍を?」
「暗躍とは人聞きの悪い。ちょっとした準備が必要なだけさ。」
「なに、安心しろ。今度は決戦の場を人任せになどしないさ。その時は、『わたしはそこにいる』」
「頼りになるよ」
「そうじゃなきゃ、助けた甲斐もない」
「ああ、任せておけ。」
鏡との戦いのときほど大きな計略を仕掛ける時間は無いだろうが、いや、だからこそ、来たる決戦の時まで、与えられた時間の価値は千金に勝る。
きっと何か、必要な事があるのだろう。
ふと、話を変えて、魅夜が逆に尋ねる。
「ときに、『助けた』か…」
「それに先ほど、私のことを指して『君』と言ったか。」
「私を対等と見るほどに君は成長したのかな。その戦いの場、期待してしまうぞ?」
「成長......どうだろう。心境の変化はあったと思う」
「この際言っておくけれど、レイジングムーンさん、俺は“あなた”に勝ちたかった。その背中を一瞬でも追い越して、目に物言わせたかった」
「だけど、あの廃墟で“君”の名を呼んだ時から、それは変わった。君の顔が初めて見えて——痛みを抱え、悩むこともある、そんな一人の人間だと分かったから」
「そう思うのであれば、君は私の隣に立てるさ。10年も先に近しい道を辿っておいて、気付いたのが同時では、私の方こそ世話ないがな。」
「では、君が私と同程度の活躍をしてくれることを前提に、計略を練り直すことにしよう。」
「"君"に期待している。」
「ありがとうレイジングムーンさん。その期待、応えてみせるよ。」
「——この戦い、絶対に勝とう。」
「いずれ、時が来たらまた会おう…」
と言って、魅夜は懐から燐寸箱を取り出し、手元で擦ると…
もはや何が起こるかはよく知っている、かつて見た時と同じように、その姿は掻き消えていく。
「ところで、『十年先』? つまり君は......」
大輔は言いかけたが、半ばで消え去ったのを見て、肩を竦めるにとどめる。
「......まあ、別に詮索する必要もないな。」
「また会おう。今度は同じ戦線で、肩を並べて」
◆ ◆ ◆ ◆
→ To Be Continue Episode Final “ "CUЯE" The WoRld ”
さあ、始めよう。
数多の過去の行き着く先は、未来への出発点だ。
その力で、未来(げんそう)を取り戻せ!
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最終更新:2020年08月03日 17:29