第1話 退院

作者 景



 ある休日の朝、テリスは病室のベッドでふと目を覚ます。

 ここは魔法学校の中に併設されている病院の病室であり、テリスは約2年にわたってこの病室で暮らしている。魔法学校に入学した直後、エーラム辺境まで旅行に行っていたのだが、その際に混沌災害に巻き込まれてしまい、体を自由に動かせなくなるほどの重症を負ってしまった。加えて、細菌性の合併症を患ったことで、長期に渡って治療をせざるを得なくなった。今は自由に動けるまで回復したものの、特に足に関しては、つい最近までリハビリをしていたところである。

「そういえば、昔と比べて大分体も動くようになりましたわね……」
 テリスは昔のことを思い出しながら、病室のベッドから立ち上がる。

 そして、少し部屋を見渡した後に、外の見慣れた景色を見て、思いをはせながらこうつぶやく。
「この部屋とももうお別れですか……。今となっては少し寂しい気もしますが……」

 そう、今日は待ちに待った退院の日である。先日、担当の医師「レオ先生」からは、後遺症として魔法行使時における副作用が存在する可能性があるものの、足のリハビリが完了したことで、退院するには十分だろう、と判断が下されたのである。しかし、2年間ずっと暮らしていた部屋と別れるのは、やはり寂しかったようだ。

 そして物思いから我に返ると、病院内でいつも着ている部屋着から、昨日新たに支給された学園の制服に着替えた。
「……前の制服よりはだいぶ楽に着られるわね」
 外の小鳥のさえずりが聞こえる部屋の中で、小さな感想がつぶやかれる。

 実は、入学直後に支給された服も無事に残ってはいたのだが、すでに体のサイズと合わなくなっていた。身長も少し伸びた上に、この2年で胸がだいぶ大きくなっていた。それもあって、新たに新調してもらっていたのだ。

 その後、退院できて嬉しい気持ちと病院からの別れによる寂しい気持ちが交錯する中、部屋に飾ってある観葉植物や、すでに退院に向けて鞄にまとめられている自分の持ち物を持って、部屋を出るのであった。

   *     *

「レオ先生、おはようございます」
 テリスは、病院の食堂で朝ご飯を食べ終えた後、お礼という名の最後の挨拶をするために、担当のレオ先生の診察室を訪ねた。
 ちなみに、本来は「レオナルド先生」なのだが、少し長くて不便なため、テリスは入院初期のころから「レオ先生」と呼ぶことにしていた。

「おはよう、テリス。そういえば、今日でついに君も退院するのか……。一時のことを考えたら、君もずいぶん元気になったものだね……」

 レオ先生はそう言うと、少し物思いにふけるような顔をする。
 彼はこの病院に勤務するテリスの担当医でありると同時に、家庭を持つ父親でもある。テリスとは2年間も同じ病院内に居たこともあり、まるで娘のように見える部分があった。そんな彼からしてみれば、彼女の回復ぶりや成長ぶりには思うところがあったのだろう。

 そしてテリスは、少し間を空けて、心の準備を整えてからこう告げる。
「今まで、様々な治療やリハビリをして下さいまして、本当にありがとうございました。おかげさまで、こうして退院することができました」

 元武家の娘であるテリスは、こうしたお礼を言うことは決して忘れなかった。自分に対して恩義を尽くしてくれた相手に対して、お礼を言わずに去るなどという行為は、決してできないような人であったのだ。
 そしてこの言葉に、レオ先生は少しきょとんとしたように、一瞬体が固まる。

 しかし、彼はすぐに我に返り、返事をする。
「いえいえ、なんともありませんよ。それが僕の仕事でもあるし、あれだけの重症からここまで回復したのは、君の生命力や意思のおかげでもあるのだよ……」
 彼は必死で謙遜するが、その目には涙が浮かんでいた。

「いえいえ、確かにそうかもしれませんが、先生のおかげでもあるのです。どうか感謝の言葉を告げさせて下さい」
「僕は君のその気持ちだけで十分だよ。ありがとう……」
 先生の目から出た涙は、既に頬の下まで垂れ続けている。
 そして、先生が自分の顔を手で拭いていると、テリスもそれに続いて涙を浮かべるのであった。

 そうこうしているうちに、そろそろお互いに泣き止んだかなという頃になり、テリスはレオ先生にこう話しかける。

「そういえば、私が所属するアスカム家の方が迎えに来て下さると聞いているのですが、もういらっしゃるのでしょうか?」
「ああ、あの子か。もう来ているよ。待合室で待っているから、そろそろ行ってあげた方がいいんじゃないかな?」
「ありがとうございます。あまり長く待たせてしまうのも悪いので、私はこれで失礼します」

 そうして、テリスは丁寧なお辞儀をして診察室から立ち去った。

   *     *

 待合室に移動すると、魔法学校の制服を着た、見慣れない少し桃色がかった茶髪の少女が一人座っていた。自分よりは少し年下のように見えるが、真偽は分からない。

 いくら魔法学校の中とはいえ、ここは比較的重症の患者を受け入れる病院であるため、朝一で待合室に魔法学校の生徒が患者として来るようなことはあまりない。今日は休日なので、見舞いでやって来る生徒は少なからずいるものの、それなら待合室で待つことはなく、受付の看護師に部屋の場所を聞くなりして、すぐに病室に向かうはずだ。

テリスはそのような考えの末、この少女がレオ先生が言っていた子だろうと思い、話しかける。

「すみません、あなたがアスカム家のお迎えの方でしょうか?」
「はい、そうですわよ。何か用かしら」
 目の前の少女がそう告げると、何か思い当たった様子でこちらを見つめる。

「はじめまして。私はテリス・アスカムと申します。同門の仲間としてこれからお世話になることもあると思いますが、よろしくお願いします」
 テリスはそう言って、30度のお辞儀をし、ゆっくりと顔を上げる。

 すると、目の前の少女が顔を赤くしながら挨拶を返す。
「あら、あなたがテリスさんなのですわね。はじめまして。私はアカネ・アスカムと申しますの。こちらこそよろしくお願いしますわ……」

 お嬢様口調で挨拶を済ませたアカネは、テリスを見つめて顔を赤くしたまま微笑む。
 ……いや、これは「ニヤニヤする」と言った方がいいかもしれない。
(なんという美しい黒髪……。そして優雅な仕草……。なんて可愛いのよぉぉ~! これぞ理想のタ・イ・プ♡ 今すぐ抱きしめてあげたいくらいだわ~~)

 ……どうやら、アカネは重度の変態のようであった。

 もちろんテリスには、アカネが何を考えているのかについては分からず、初対面の自分に対して赤らみながらニヤニヤ見つめるアカネを見て、きょとんとしていた。そんな中、アカネは心の叫びを終えて顔の赤らみが少し戻ってきた所で、さっそく本題に移す。
「では早速ですが、私たちがこれから暮らすことになる寮の部屋まで案内しますわ。ついてきて下さいませ」

 そして始めの挨拶を終えた2人は、少し不思議な雰囲気に包まれる中、寮に向かって歩き始めた。


……こうして、2度目のテリスの学園生活が始まったのである。

(続く)

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最終更新:2020年06月05日 18:01