第8話(BS60)「魔書は二度死ぬ」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 少年と魔書

 オブリビヨン。それは、暁の牙と並び称される、大陸随一の規模と実力を兼ね備えた、邪紋使いを中心とする傭兵団である。彼等は戦時においては破壊の権化として、戦後においては凄惨な略奪者として、大陸中の人々から恐れられている。
 そんなオブリビヨンの中に、まだ邪紋も植え付けられていないながらも巨大な斧を手に戦い続ける一人の少年の姿があった(下図)。彼の名はヴィーガム。歳は十四。幼少期に故郷をオブリビヨンによって破壊され、捕虜となった彼は、オブリビヨンの少年兵として生きる道を強いられることになり、様々な指揮官の下で多くの戦場を渡り歩きながら、若き古参兵として、生き残るための戦いを送る日々を続けてきた。


 この日も、彼はオブリビヨンの一兵卒として、ブレトランド中部のとある山中に位置する「闇魔法師の隠れ家」への急襲部隊に加わっていた。その闇魔法師が何者なのか、誰からの任務なのか、何が目的なのか、といったことは、一切聞かされていない。ただ、上役に言われた通りに、上役に指定された場所で暴れまわればいい、というのが、彼等に課せられた任務であった。
 その隠れ家は山の中腹の崖の近くに位置しており、ヴィーガム達は正面からその隠れ家を急襲するように命じられていたが、実質的にはこれは「囮」であり、本隊は闇魔法師がヴィーガム達に気を取られている隙に、崖の下から這い上がって隠れ家へと侵入するという手筈であった。
 ところが、先陣を切ってヴィーガムが隠れ家へと殴り込みをかけたものの、闇魔法師の姿は全く見えない。隠れ家のどこかに潜んでいるのではないかと他の兵士達が警戒する中、真っ先に家屋の深部へと足を踏み入れたヴィーガムは、その部屋の一角に所蔵された1冊の「本」を発見する。それは、明らかに混沌の力が込められた「異界魔書」であり、表紙に書かれているのは、異界の文字であった。
 この世界に異世界の書物が投影される場合、大抵は「この世界の言語」に翻訳される形で出現する。しかし、極稀に「元の世界の言語」のまま投影される代物もあり、それは大抵の場合、極めて高度な混沌の力を内包していることが多く、手にしただけで混沌の力に飲み込まれてしまう程の「魔書」である可能性が高い。だが、ヴィーガムは迷わずその本を手にした。
 すると、その直後にヴィーガムの心に「何者か」が語りかけてきたような気がするが、その言葉は明らかに「異界の言葉」であり、何を言っているのかは分からない。だが、その言葉と同時に、本を通じて「何か特殊な力」が自分の中に流れ込んで来るのをヴィーガムは実感し、そして、彼の目の前に、うっすらと「光の紋章」が浮かび上がる。
 その光景に対して、本人よりも先に周囲の者達が驚きの声を上げた。

「お、おい、お前……、今、何をした?」

 邪紋使いが大半を占めるオブリビヨンにおいて、「その力」は極めて稀有な存在である。とはいえ、これまでに戦場において彼等の前に立ちはだかった多くの者達が「それ」を掲げている光景は、何度も見たことがある。それは紛れもなく「聖印」であった。その輝きを目の当たりにしたヴィーガムは、満面の笑みを浮かべながら声を上げる。

「コレだよ……、コレだよコレェ! やっと僕のトコにも来たぁ!」

 それが、「君主ヴィーガム」の最初の言葉であった。これまでオブリビヨンの下っ端として、上役に命じられるがままに危険な戦場での戦いを強いられてきた彼は、思いがけない形で強大な力を手にしたことによって、完全に舞い上がっていた。
 突然の出来事に、その場の者達が困惑する中、現在のヴィーガムの上役の指揮官が現れた。彼の名はリグ。毒を駆使する邪紋使いである。

「き、貴様! その本は……」

 リグは何かを察したような顔でそう呟きつつ、ヴィーガムに対して手を差し出す。

「……それは、お前の手には余る代物だろう。こちらによこせ」

 だが、これに対してヴィーガムは、得意げな顔で見下したような視線を向けながら言い放つ。

「え? なに? リグ、コレ欲しいの〜?」

 それは、これまで自分よりも圧倒的に格上だと思っていた指揮官に対して、もはや何の敬意も恐怖も抱いていないような、明らかに小馬鹿にした口調であった。

「でも、あ〜げない!」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべながらヴィーガムがそう告げると、当然のごとく二人の間で緊迫した空気が流れる。

「貴様……!」

 リグが怒りに震えながら邪紋の力を解放しようとすると、他の者達は恐怖のあまり、その隠れ家から立ち去ろうとする。そんな中、彼等と入れ違いに、一人の「強大な混沌の力を纏った人物」がその部屋に現れた。その気配を察したリグは、発動させようとした邪紋の力をすぐに引っ込めて、黙って彼に道を譲るように脇へと後ずさった。
 そこに現れたのは、“終焉告げる”ヴァライグ(下図)。悪名高い傭兵団「オブリビヨン」を統べる男である。団長自ら出向いていることから察するに、どうやら今回の作戦はそれなりの大仕事だったようだが、今のヴィーガムにとっては、もはやそんなことすらもどうでもよく思えていた。


「聖印か。まさか、そんなものを手に入れる者が、このオブリビヨンにいようとはな」

 圧倒的な混沌のオーラを放ちながらヴァライグがそう語ったのに対し、ヴィーガムは相変わらず得意気な表情を浮かべたまま答える。

「ビビっちゃった?」

 今の彼は全能感に溢れている。現時点で自分がどこまでの力を手に入れているのか、彼はまだ全く把握出来ていないが、これまで彼等に散々虐げられてきたことへの反動から、目の前にいる「世界でも五指に入る程の危険な人物」に対してすらも、一切の恐怖を感じていなかった。
 一方、ヴァライグはそんなヴィーガムの挑発に対して冷笑を浮かべつつ、興味深そうな視線を向けながら話を続けた。

「自力で聖印を作り出せる者には『類稀なる英傑の素質』があると言われている。まだ俺は、そんな輩を斬ったことはなかったからな。これは楽しみだ」

 ヴァライグはそう告げた上で大剣を掲げると、明らかに「剣の間合いの外」と思われる距離から、ヴィーガムに向かってその大剣を勢い良く振り下ろす。すると、そこから生じた激しい衝撃波はヴィーガムに直撃し、彼は部屋の壁へと直撃すると同時に、そのまま壁を突き破って、隠れ家の外、すなわち崖の下へと吹き飛ばされていった。

「さて……、これでもまだ生きているようなら、次は……」

 壁に空いた大穴を眺めながらヴァライグがそう呟いている間に、リグは慌てて隠れ家の外に飛び出し、山道を全力で走って「崖の下」へと向かっていった。リグがなぜそこまでしてヴィーガムを追おうとしていたのかはヴァライグには分からない。ただ、ヴァライグはどこか楽しそうな表情を浮かべながら、悠然とその場を去って行った。

 ******

 ヴィーガムが意識を取り戻した時、彼の周囲には誰もいなかった。周囲の地形からして、自分が今、「崖の下」にいることは分かる。どうやら彼は、崖の下に落ちた時の衝撃で、しばらく気を失っていたらしい。

「まぁだ勝てねぇのかぁ……、チッ、大したことねぇな、コレ」

 自身の聖印を掲げながらヴィーガムはそう呟く。だが、壁を突き破る程のヴァライグの一撃を受け、崖から突き落とされたにもかかわらず、(さすがに満身創痍ではあるが)生き残っているという時点で、明らかに今までの「ただの一兵卒のヴィーガム」とは異なる。聖印の力によって、その身体が強化されていたことは明らかであった。
 そんな中、彼の目の前に一人の魔法師らしき男が現れる。その人物は、極東風の装束を身にまとった、左右の目の色が異なる長い黒髪の男であり(下図)、事前に聞いていた「今回の作戦の標的の闇魔法師」の外見的特徴とは明らかに異なっていた。


「おや、ずいぶん若い君主様のようですね」

 友好的な姿勢で語りかけてきたその男に対して、ヴィーガムは訝しげな表情を浮かべながら、ぶっきらぼうに答える。

「あぁ? アンタは?」
「私はただの、通りすがりの魔法師ですよ。ところで、あなたのその本、地球の言葉で書かれていますね」

 その魔法師は、ヴィーガムが先刻手に入れた本の表題を見て、そう呟いた。

「アンタ、読めるの?」
「えぇ、読めますが……、しかし、なかなか興味深い表題ではある……」
「ほう? なんていうんだ?」

 ヴィーガムがそう問いかけてきたのに対して、その男は少し悩ましげな表情を浮かべる。

「あなたがこの表題を知ったところで、あなたがその意味を理解出来るかというと、私は少々怪しいように思える……」
「そんな、出し渋らずにさぁ」

 明らかにズレたテンションでヴィーガムにそう言われた魔法師が、彼に対して何か答えようとした瞬間、その魔法師は何かの気配を察したような表情を浮かべる。

「ん? まずいな……」

 魔法師はそう呟きつつ、周囲に視線を向ける。どうやら彼は「敵と思しき何か」の存在を察知したらしい。即座に彼は自身に魔法をかけると、その姿が消えていく。その直後、ヴィーガムの視界に、一人の小柄な少女のような魔法師(下図)の姿が映るが、彼女もまたすぐに彼の視界から姿を消した。


 何が起きているのか、ヴィーガムにはさっぱり分からなかったが、目の前からいなくなってしまった者達のことについて、とやかく考えても仕方がない。とはいえ、先刻の男の発言については、少し気にかかっていた。

「さっき、地球って言ってたな……」

 そのような名前の異界が存在する、ということは、ヴィーガムも聞いたことがある。というのも、数日程前にオブリビヨンの者達が、「この地域に住んでいる『地球人の傭兵』を名乗る銃使いの女性」についての噂話をしていたのを偶然聞いていた。どうやら、彼等はその銃使いの女性のことを、オブリビヨンの新戦力として勧誘に行こうとしていたらしい。
 その女性が何者なのかは分からないが、地球人ということであれば、この本に書かれている内容を理解出来る可能性もある。自分の聖印をもたらしたこの本の正体については、当然、ヴィーガムも気になっていた。

「……うん、探しに行こうか」

 ヴィーガムはそう呟きつつ、身体中の痛みを堪えながら立ち上がり、(幸か不幸か)崖下を捜索していたリグとは遭遇せぬまま、この場を立ち去るのであった。

(つづく)

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最終更新:2021年10月23日 21:16