第六話「明かされる真実」
1、鬼人族の無念
翼人族の集落を後にして、カリスト村を目指して街道を南下するアーデルハイト達は、その途上、リマという名の宿場町に辿り着き、それぞれに町中を情報収集しながら散策していた。
そんな中、残りの指輪型印章に関する情報を集めていたカープは、町の片隅で一人の大柄な女性と遭遇する(下図)。その女性は頭部から三本の角を生やしており、一目見て鬼人族(オウガ)と分かる風貌であり、その手には巨大な戦槌が握られていた。
「指輪を集めているというのは、お前か!」
そう言って、彼女はカープに向かって戦槌を振り下ろそうとするが、例によって例のごとく、カープはそんな彼女に対しても、笑顔で口説き始める。
「おぉ、これは美しいお嬢さん。あなたのお名前は?」
「な……、お、おま……、いきなり、何を……、あ、いや、そうじゃなくて、その、だから、指輪をだな……」
頬を紅潮させながら明らかに動揺した彼女を翻弄しながら、カープはいつも通りに「自分のペース」に持ち込み、彼女はいつの間にか自分の身の上を語り始める。
彼女の名はマーニー。指輪型印章を受け継ぐ鬼人族の一族の末裔であったが、その指輪を「救世主」に奪われ、その奪還を目指して、「協力者」達と共に各地を旅しているらしい。当初、彼女はカープをその「救世主」の一味と勘違いしていたが、彼から一通りの事情を聞くと、やや訝しげな表情を浮かべながらも、カープに対して一つの提案を示す。
「救世主を倒すということであれば、手を組まないか? 協力者を紹介する」
そう言われたカープは、ひとまず皆と合流した上で相談するために、マーニーを連れて自分達の宿へと戻ることになった。なお、その過程の会話を通じて、どうやらマーニーには、既に「いい仲」になりつつある男性がいるらしい、ということを察したカープであったが、特にそれで落胆するようなこともなかった。どうやら彼の中では「美しい美女を口説く」という行為そのものに意義があるのであって、相手を手に入れられるかどうかということには、それほど強いこだわりは無いようである。
2、獣人族の邂逅
同じ頃、いつも通りに「自分が預かっている指輪を託すべき同族」を探していたサリアは、遂にこの町で、見覚えのある獣人族の青年(下図)と再会する。
「お前、サリアか!? 無事だったんだな!」
先に声をかけてきたのは、その青年の方であった。彼の名は、ホルン。サリアの「二番目の故郷」出身の若者であり、里が襲撃された時には、所用で里を離れていたため、結果的に生き残ることになった(なお、その「所用」とは、実は「花嫁探し」だったのだが、そのことまではサリアは聞かされていない)。
そして、ホルンは故郷に伝わる指輪型印章の存在を長老から聞かされていたため、サリアの首飾りにつけられた指輪を見て、驚愕の表情を浮かべる。
「お、おい、その指輪……、なんでお前が!? てか、なんでそんな形で持ってるんだよ!?」
「長老から預けられたの。そして、こうやって目立つようにしておけば、『敵』が私を見つけて、あっちから勝手に近付いて来てくれるかな、と思って」
サリアにそう言われたホルンは、今の彼女が「里を滅ぼした者」と戦おうとしていることを察して、納得したような顔を浮かべる。
「俺も今、里を滅ぼした奴の手がかりを探しているところだ。お前、何か知ってるか? 今のお前には、他に仲間はいるのか?」
ホルンのその問いに対して、サリアが簡単に大まかな事情を話すと、ホルンは共闘を申し出る。どうやら、彼の仲間もまた、この宿場町に来ているらしい。サリアは、ホルンとその仲間達が泊まっている宿屋の位置を聞いた上で、仲間達と合流してからその宿に向かうと約束し、一旦その場は別れることになった。
3、猫人族の受難
一方、その頃、アイルーは町の裏路地で、見覚えのある人物から声をかけられていた。オデット村の湖の近くで銀の槍の殺戮者と戦い、破れて逃亡した、救世主四天王筆頭Dr.エベロの五虎将軍の一人、ヤヤッキーである。彼はアイルーの鼻先に、明らかにカヴィーナスの体毛と思しき猫毛を突きつけた。
「この猫毛の匂いに、嗅ぎ覚えはありませんかねぇ?」
下卑た笑いを浮かべながらそう問いかけるヤヤッキーに対し、アイルーは不快な視線を送りながら匂いを嗅いでみると、それは間違いなく、疎開中の彼の恋人、メラルーの匂いであった。
「貴様! メラルーを……!?」
「いやー、あの子の毛並みは素晴らしいですねぇ。あー、早く帰って、また思う存分、モフモフしたいなぁ。あ、ちなみに、ワタクシが帰らなかったら、彼女を殺すように命じてあるので、あしからず」
そう言いながら卑猥な手つきを見せるヤヤッキーに対し、アイルーは怒りを爆発させるが、ここで殺すわけにもいかない以上、煮え繰り返るはらわたを抑えながら、話を聞き続ける。
「この猫毛の持ち主を返して欲しければ、お前とお前の仲間達の持つ指輪を全て持って来なさい。そうすれば、無事に返してあげますよぉ。アナタ、他人を欺くのは得意なのでしょう?」
現状、アイルー達が持っている指輪の数は四つ。ヤヤッキー達がそこまで情報を正確に把握しているか否かは不明だが、いずれにせよ、ここは彼の要求に従う姿勢を見せなければ、メラルーを奪還する術はない。そう考えたアイルーは、苦渋の表情を浮かべながら、ヤヤッキーから「受け渡しの場所と時間」を聞いた上で、宿屋へと帰還するのであった。
4、二つの血脈
こうして、仲間達がそれぞれに悲喜こもごもの遭遇に直面している中、町外れの一角を調査していたオリバーは、突然、奇妙な「歌声」に遭遇する。それは、明らかに特殊な「魔力」が込められた呪歌であり、自分の精神が内側から破壊されようとするほどの強力な「奇跡(大破壊)」の力であることを、彼は瞬時に実感する。
このままではまずい、と瞬時に判断したオリバーは、自身の内側に秘められた「天真」の奇跡でその呪歌の力を搔き消し、その歌が聞こえる方向へと向かう。すると、そこにいたのは、アーデルハイトと同じくらいの年齢と思しき、一人の少女であった(下図)。ただし、その瞳からは全く生気が感じられない。
「アナタ、私ノ歌ガ効カナイ……、ナゼ?」
焦点の合わない瞳で、カタコトのようにそう語る彼女に対し、どこか不気味な違和感を感じるオリバーであったが、その直後、今度は後方から、先刻と全く同じ「歌声」が聴こえてくる。オリバーが振り返ると、そこにいたのは、今目の前にいる彼女と全く同じ姿の少女であった。
困惑するオリバーであったが、この状況を打破する方法が見つからないまま、彼はその「二人目の少女」の歌声に悶え苦しむ。だが、オリバーの心身が完全に破壊される前に、その「二人目の少女」の足元が爆発し、その圧倒的な火力によって二人目の少女の体はバラバラの破片となって飛び散った。
その爆炎の向こう側から現れたのは(オリバーにとっては翼人族の集落で遭遇して以来の再会となる)セリーナであった。彼女は「一人目の少女」に対して強い視線で睨みつけると、「一人目の少女」は無機質な表情のまま、その場から逃げ去っていく。
オリバーは今一つこの状況がよく分からないままであったが、ひとまず助けてくれたことを感謝すると、セリーナは彼に対してこう告げた。
「あなたと二人で話がしたい。アーデルハイトとレオは抜きで」
セリーナ曰く、彼女個人としては、オリバー達が救世主と戦う気であるなら、敵対することを望んでいないらしい。殺戮者全般に対して恨みを抱くオリバーではあるが、セリーナに関しては、自分と同じ「プルートーの力を受け継ぐ者」である以上、(少なくともエレシスでレオに対して血液を提供していた時点では)殺戮者になっていなかったことは確認しているので、ひとまずここは彼女の話を聞いてみることにした。
セリーナはオリバーを自身の宿へと連れ込むと、彼に対して、自分の知っている限りの情報を提供する。彼女曰く、先刻の少女達は、救世主達の手で作られた「量産型の機械人形」であり、その原型は、レオ達と同じ「七人の機械人形」の一人の「アイレナ」であるという。現在、オリジナルのアイレナはおそらく救世主の手の元にあり、救世主陣営は彼女の量産型を大量生産しているらしい。そして、レオはそのような形で「自分達の量産品」を作ろうとする手法が気に入らず、それが、彼が救世主陣営と相容れられない最大の理由であるらしい。
もっとも、現時点ではまだその「模造品」の性能は、オリジナルには遠く及ばない。ただ、それでも「12の印章」を「プルートーの血」で捺印すれば、彼女達のような量産型にも、レオ達と同じ「世界を揺るがすほどの力」が宿る可能性はある、というのがセリーナの見解である。
そして、その「世界を揺るがすほどの力」についても、セリーナはその詳細を父親から聞かされていた。彼女が父親から聞いたところによると、七人の機械人形の身体の中には、「聖痕の奇跡」と同等の効果を、聖痕の力を消費することなく発動出来る特殊な回路が埋め込まれているらしい。ただし、その使用回数自体に制限はないものの、その力を用いれば用いるほど、その心は闇に落ちやすくなるため、機械人形が闇に落ちそうになったら、その力は使えなくなる制御機能が組み込まれているという。
とはいえ、この「擬似奇跡回路(仮称)」は、使いようによっては、一人で十人以上もの聖痕者を相手に戦うことも可能なほど強力な力であることは間違いない。そして、プルートー達はこの機械人形達を、当初は「魔神」の脅威から人々の社会を守るために作ったらしいのだが、彼等の出資者であった貴族が、この力を自分が人間社会の中で支配者となるための道具として用いようとしていることが分かったため、時限停止装置を組み込むことにしたという。
現在、救世主達が、この力を手に入れた上で、最終的に何をやろうとしているのかまでは、セリーナも把握していない。ただ、救世主陣営はセリーナの「血」を手に入れるために、彼女の実家を襲撃し、彼女の両親を殺し、そして彼女を連れ去ろうとしたらしい。
そんな彼女を助けたのが、レオだった。それは、純粋な義侠心というよりは、救世主への反感だけに基づく衝動だったのかもしれないし、自分自身が力を取り戻すためにセリーナの血を欲していただけなのかもしれない。ただ、いずれにせよ、その戦いにおいて、レオはセリーナを守るためにその力を使い尽くした結果、殺戮者へと堕ちてしまったのである(擬似奇跡回路の使用以外の闇堕ちに関しては、彼等の内部の制御機能では防げない仕様になっていたらしい)。
「私は、私を救ってくれたレオのことを、これから先も、最後まで支え続けたい。それがたとえ、唯一神アーの教えに反することであっても」
セリーナは強い決意の瞳でそう主張する。その上で、彼女はオリバーに対して、前々から気になっていたことを問いかけた。
「あなたにとって、『彼女』は何? 『一人の女性』としては、どう思っている?」
「……考えたこともない」
苦笑しながらオリバーはそう答えるが、セリーナは真剣な表情で忠告する。
「あなたが仮にそうであっても、レオはあなたに対して、明らかに嫉妬している。だから、あなたは『彼女』から離れた方がいい。あなたが『彼女』と一緒にいればいるほど、レオの中であなたへの憎悪は溜まっていく」
セリーナの言いたいことは理解したが、だからと言って、オリバーとしても、今更ここで彼女の元から離れる訳にもいかない。よって、ひとまずは妥協策として、当面は「互いに遭遇しないように配慮する」という方針で一致した。レオが力を取り戻すには、オリバー達が持っている指輪が必要だが、ここまでのオリバー達の戦績を考慮すれば、レオの力を解放しなくても、共闘すれば救世主を倒せるのではないか、とセリーナは考え始めていたのである。
もっとも、救世主を倒した後、放っておけばレオもアーデルハイトも機能停止してしまう。その段階において、最終的には指輪の捺印を巡る戦いが発生する可能性はあるのだが、ひとまず今は、「救世主」という得体の知れない敵と戦うために、当面は「潰し合い」は避けた方が良い、という認識を共有した二人であった。
5、暗黒の聖母
プルートーの血を受け継ぐ遠縁の二人の間でそんな「密約」が交わされていた頃、アーデルハイトもまた、この町で「予期せぬ人物」と遭遇していた。もっとも、オリバー達とは異なり、こちらは初対面の関係である。だが、「相手方」(下図)はアーデルハイトのことをよく知っていた。
「ごきげんよう、アーデルハイトさん。あなたとお話しがしたいのです」
そう言ってアーデルハイトの前に現れたのは、黒いローブを身に纏い、顔の半分が薄手のヴェールで覆われた、長身で年齢不詳の一人の女性であった。見知らぬ人物から、突然、(あまり知られていない筈の)自分の名前を呼ばれたアーデルハイトは驚き、警戒するが、彼女は物腰柔らかな口調で語り続ける。
「あなたも知りたいでしょう? あなた自身に秘められた力のことを。マリウスが教えてくれないのであれば、私が教えて差し上げますよ」
「マリウス」とは、おそらくカープが連れているあのマリモのことであろう。この女性が敵か味方かも分からないが、少なくとも、何らかの重要な情報を知っていることは間違いないと判断したアーデルハイトは、ひとまず彼女に言われるがままに、町の宿の一つへと案内された。
宿の一室で、その女性はアーデルハイトと共に向かい合う形で椅子に腰掛けると、彼女は穏やかな笑顔を浮かべながら、こう問いかけた。
「あなたは、この世界が『いびつな構造』にあると思いませんか?」
唐突な「重すぎる質問」に対して、アーデルハイトがどう答えるべきか迷っている間に、彼女はそのまま話を続ける。
「あなた達は『力』を持つ者。その一方で、力を持たない者もいる。しかし、力を持ちすぎると、今度は排斥の対象となる。そこにどんな事情があろうと、問答無用で。あなたも今、その原則故に『親しき友』を討たねばならないという葛藤に、苦しんでいるのではありませんか?」
おそらく彼女が言っているのは、殺戮者と化したレオのことであろう。そこまでの事情を知っている人物である以上、彼女が現在の「指輪型印章の争奪戦」に関わる人物であることは間違いない、ということをアーデルハイトは確信する。
「全ては、神の都合。聖痕自体が、『神』と『闇』との不毛な争いの末に生まれたもの。ならば、その理不尽な秩序から人々を解放するには、どうすれば良いと思いますか?」
先刻から、形式的には問いかけるような形で話しているが、明らかに彼女は「アーデルハイトからの答え」は期待していない。実際のところ、そのように問いかけられても、まともに答えられる者など、まずいないだろう。おそらくこれは、彼女が自分の考えを語る上での「前振り」に過ぎない。アーデルハイトがそこまで察していたかどうかは不明だが、ひとまず彼女はそのまま黙って聞き続けた。
「『聖痕の力』を持たぬ人々にも、同じ『力』を与えれば良いのです。そうなれば『力』を巡る対立も差別も葛藤も発生しない世の中が訪れる。『私達』は、そのような世の中を実現するための研究を続けてきました。そして、その実現の鍵を握るのが、『あなた達』なのです」
その女性はそう言った上で、アーデルハイトに対して、彼女の内側に存在する「擬似奇跡回路」の存在について説明する。その内容は(この時点でのアーデルハイトが知る由もないが)オリバーに対してセリーナが語っていた情報とほぼ同じである。その上で、この女性は、その回路を機械人形だけでなく「聖痕を持たない人間」にも移植することが出来るのではないか、という仮説を提示する。
彼女曰く、この世界に住む人々には、聖痕の力に目覚めていなくても、その内側には必ず(自身の運命を指し示す)三つの使徒(アルカナ)の力が埋め込まれているという。全ての人間がその力を「擬似奇跡」として発動出来るようになれば、「刻まれし者」と「刻まれぬ者」の格差は存在しなくなる、というのが、彼女の主張である。
「無論、これはあくまでも仮説です。しかし、実際に『私達』は、あなた達の内側の回路について調べた結果、それを量産して『人』に対して移植することも不可能ではない、という結論に達しました。ただ、その回路の構造を完全に理解するためには、やはり、一度その力を完全に発動させなければならないのです。そのためには、あなたのお仲間の人達が持っている『指輪』と『血』が、どうしても必要になるのですよ」
あまりにも突拍子もない空想話を聞かされたようで、アーデルハイトはしばし呆然となるが、この女性が言っていることが本当なら、もし仮に自分が「真の力」に目覚めたとしても、同じ力を誰もが持てるようになることで、それは相対的に「世界にとっての脅威」ではなくなるのかもしれない。そう考えると、少し気が楽になるのも事実だが、とはいえ、それはそれでまた様々な「新たな問題」が発生させることは、容易に想像出来る。
「誰もがそんな力を手に入れるようになったら、それは確かに平等ではあるでしょうけど、世界は大混乱に陥ってしまうのではないですか?」
「そうかもしれません。しかし、それでも最終的には、その『新しい世界』の中で、何らかの形で、今とは異なる『新たな秩序』が形成されることになるでしょう。その過程において、多くの血が流されることになるかもしれませんが、それでも、人の魂は巡るもの。また新たな生を受けて、この世界に帰って来れば良いだけの話です」
彼女は変わらず微笑を浮かべたまま淡々とそう語る。ただ、そう言い終えた後で、思い出したかのように付言した。
「もっとも、『私達』は、その輪廻の輪から外れてしまった存在ですから、『私』や『彼等』には、もう『次』はありません。だからこそ、私も『彼等』を無駄に死なせてしまったことは残念に思っています。ですから、出来れば穏便な形であなた方に協力して頂きたいと思い、こうして直接お話させて頂くことにしました」
この口振りからして、彼女が「救世主」の陣営の一員である可能性は極めて高い。そう判断したアーデルハイトは、婉曲的にそのことを聞いてみると、彼女はあっさりとこう答えた。
「私自身が『救世主』などと名乗ったことは一度もないのですけどね。いつの間にか、周囲の人々からそう呼ばれるようになっていました」
どうやら彼女は、「救世主の一味」ではなく、「救世主本人」であったらしい。これまで戦ってきた仇敵達の首領が、自分の中の想像とはかけ離れた理知的な人物であることにアーデルハイトは驚愕する。だが、それでも彼女の部下達がこれまでやってきたことを考えると、いくら彼女の主張が「それなりの正論」であっても、彼女に対して無条件で協力する気にはなれない。
また、先刻の彼女の主張から察するに、彼女の元にいると思われる仲間達(フェルマータとアイレナ?)が、その体内回路の調査のために、何かひどい扱いを受けているのではないか、という懸念もある。そのことをアーデルハイトが問いかけると、彼女は淡々と答える。
「アイレナさんの身体は、現在、一時的に解体させてもらっています。あなた達の内側の構造を理解するためには、どうしても必要なことですからね。もちろん、指輪を揃えて、『完全体』としての回路構造を理解した後で、ちゃんと元に戻すつもりですよ。もっとも、それが出来るのは私と、Dr.エベロだけですけど」
表情一つ変えぬまま、「救世主」はそう語る。アーデルハイトは改めて彼女に対して怒りと不信感を抱きながらも、現状では実質的に仲間を一人「人質」に取られているような状態である、ということを理解する。もしかしたら、フェルマータもその状況故に彼女にやむなく従っているのかもしれないが、それについては本人に確認してみなければ分からないであろう。
「とりあえず、今はまだ気持ちの整理もつかないでしょうし、ゆっくり考えてくれればいいです。もし、協力してくれる気になったら、いつでも来て下さい。ただ……」
そう言いかけたところで、「救世主」は初めて、やや表情を強張らせながら、アーデルハイトに忠告する。
「どうやら今、この宿場町には、『私達』のことを快く思わない者も来ているみたいです。お気を付け下さい」
彼女が言うところの「私達」というのが『どこまでの範囲の人々』を指しているのか、そして、彼女達を快く思わない者というのが何者なのかもさっぱり分からない状態ではあるが、ひとまずここは一旦、仲間と合流する必要があると考えたアーデルハイトは、彼女の部屋を後にする。
ちなみに、「彼女」の名はオーレリア。「失われた聖母」もしくは「暗黒の聖母」と呼ばれる人物であり、800年以上前に失踪した教皇オーレリア1世その人であるとも言われているが、その正体は定かではない(詳細は『グラウンド・オブ・ヴァラー』128頁参照)。
6、裁く者
こうして、オリバーとアーデルハイトが、それぞれに敵対陣営の人物の滞在する宿での交渉が長引いている間に、カープ、サリア、アイルーの三人は自分達の宿に帰還する。そして、カープの傍らには鬼人族のマーニーの姿があった。カープから、「マーニーの協力者」と会うことを提案された二人は、(アイルーとしては、メラルーのことが気がかりではあったが、言い出せるタイミングを逃していたので)ひとまずその方針に同意し、三人でマーニーの宿を訪れることになる。
そこで、そこで彼等を出迎えたのは、先刻サリアと遭遇した獣人族のホルンと、そして、オデットの村でカープやアイルーと遭遇した、あのバルゴという名の魔術師風の少女であった。どうやら、この三人は現在、協力関係にあるらしい。
「お久しぶり。やっぱり、あなた達、指輪を集めるためにあの村に来てたのね」
バルゴにそう言われたカープは素直に肯定しつつ、逆に彼女達の目的を問おうとしたが、そこに彼女達の「主人」が現れた(下図)。女性のように長く美しい黒髪を持つ、眉目秀麗な風貌のその男は、名を聞かれると、あっさりと答える。
「隠し事をするのは私の流儀ではないからな。私の名はオクルス。この世界を裁く者だ」
オクルス、という名に対して、カープとアイルーは聞き覚えがあった。それは、この世界に存在する魔神の一人の名である。「人」の姿をして現れることもあり、その時は「冷たい雰囲気の秀麗な青年の姿」で現れると言われている。それはまさに今、彼等の目の前にいる青年の姿そのものであった。
なお、同じ魔神でも、サリアに花押を与えたアーグリフとは対照的に、オクルスは理知的な性格の魔神であり、唯一神アーの秩序そのものの破壊は望まない。あくまでも世界全体のバランスを考えた上で、長期的な視点から世界を闇に陥れるための策謀を巡らせている。
そんなオクルスは現在、「七人の機械人形」の復活を危惧しているという。セリーナが語っていた通り、アーデルハイト達は元来、魔神と戦うことを想定して造られた存在であり、オクルス達にとっては、まさに不倶戴天の敵であった。それ故に、彼は「救世主」達がその力を復活させるのを阻止するため、救世主陣営に恨みを持つマーニーやホルンに花押を与えることで、その「力」の復活を阻止しようとしているらしい(なお、バルゴはそれ以前からの彼の部下らしいが、その詳細については語らなかった)。
その上で、オクルスはカープ達に対して、彼等が救世主達と戦うのであれば、条件次第で協力しても良い、という提案を持ちかける。その条件とは、アーデルハイトを破棄もしくは完全に封印することである。オクルスにとっては、救世主達を倒したとしても、アーデルハイトが「完全体」になってしまっては、自分を含めた魔神達にとっての脅威となる以上、それは彼等に協力するための絶対条件であった(もう一つの選択肢として「指輪を壊す」という道も考えたが、オクルスが見たところ、12個の指輪型印章には、たとえ火山の火口の中に放り込んでもその原型を保っていられるほどの特殊な耐久性が備わっているらしい)。
なお、元来の「指輪の継承者」としての使命を考えれば、マーニーもホルンも、世界を正しい方向に導くためであれば、機械人形に捺印することを認めるべき立場なのであるが、どうやら二人とも、今はその使命よりも、故郷の同胞達の無念を晴したい、という衝動の方が強く、それ故に、彼等は「指輪は誰にも捺印しない」という約定を交わした上で、オクルスの花押を刻むことになったらしい。
そして実際のところ、それに関してはサリアも同様の心境であったのだが、彼女は既にアーグリフの花押を刻んでいる身である以上、今からオクルスの眷属となることは(理論上、不可能ではないが)難しい。
一方、カープとしては、アーデルハイトの「力」を復活させずに彼女を救う道を模索しているものの、現状でその道筋が立っていない以上、最終的に自分の持つ印章を彼女に捺印するという選択肢を完全に捨てることは出来ないし、ましてや彼女そのものの破棄という条件など、同意出来るはずもない。
また、アイルーに関しては、既に捺印済みなので、ある意味、ここからどう立ち回ることも可能な立場ではあるのだが、今の時点で彼の心はメラルーを心配する気持ちだけで一杯一杯で、そもそもまともに判断を下せるような心境ではなかった。
このように、彼等が自分の提案に対して今一つ乗り気ではないことを察したオクルスは、あっさりと交渉を打ち切り、今後は彼等が救世主陣営と「潰し合う」のを静観すると宣言する。その上で、「生き残った方」が、自分達にとっての脅威であると判断した時は、全力でその芽を摘み取ると宣言した上で、カープ達の前から姿を消した。
7、古城の決戦
その後、それぞれの交渉を終えた五人は宿に集結し、その概要を互いに説明する。皆がそれぞれに困惑する中、ここでようやくアイルーも、自分の恋人が救世主陣営にさらわれていることを皆に明かし、協力を要請した。レオやオクルスの動向も気がかりではあったが、まずは仲間の窮地を救うことに専念するという方針で一致した彼等は、皆で話し合った上で、一計を案じる。それは、ヤヤッキーに指輪を渡すフリをしながら、アイルーが「真名」の奇跡の力で彼を誘導し、彼の「神移」の力でメラルーのいる場所へと皆を転送させる、という作戦であった。
翌日、この作戦を決行するために、指定された受け渡し場所(町の外れの廃屋)へと向かった彼等は、見事にヤヤッキーの誘導に成功し、「メラルーのいる場所」へと全員まとめて瞬間転移させることに成功する。そこは、見たことがない石造の建物の一室であり、そこにいたのは、縄で縛られた状態のメラルーと、警護の兵達と、そして片眼鏡をかけた一人の壮年の男性(下図)であった。
「ヤヤッキー、なんだそいつらは? 私は、指輪を持って来るように命じただけで、そいつらを全員連れて来いとは言ってないぞ」
その男性がそう言ってヤヤッキーを問い詰めている間に、アイルーはメラルーの周囲にいた兵士達を「大破壊」の奇跡で吹き飛ばし、そして彼女の身柄を確保する。この時点で、アイルー達に従順の意思がないことを確信したその男は、鋭い視線を彼等に向けながら、名乗りを上げる。
「私が名は、救世主様の四天王の筆頭、Dr.エベロ。我が部下達を次々と奪った上で、我が城にまで土足で踏み入ったその罪、もはや死以外では償えぬと思え!」
彼はそう宣言すると同時に、オリバー達に向かって「爆破」の奇跡を四連続で放つ。カープやオリバーの奇跡によって彼等がかろうじてそれを耐えきると、今度はアイルーやサリアが魔法と魔剱で襲いかかるが、それらを「無敵防御」の奇跡で全て弾き飛ばす。文武両道・攻防一体型の四天王筆頭は、これまでの敵幹部達とは明らかに別格の存在であることを、彼等は身をもって実感させられた。
だが、それでも、これまでの戦いを通じて培ってきた彼等の実力は、そんなエベロの百戦錬磨の戦闘力をも上回っていた。絶え間なく繰り出されるアーデルハイトやサリアの攻撃によって、遂にその絶対的な防御体勢に綻びが生じたところで、オリバーの支援を受けたアイルーの怒りの魔法の一撃が炸裂し、エベロはその身を木っ端微塵に四散させる。それは、断末魔の叫びすら残せぬほどの圧倒的な破壊力であった。
アーデルハイトとしては、アイレナを元に戻すための選択肢として、彼を生かしたまま捕らえたい気持ちはあったが、さすがにここで手加減するほどの余裕はなかった以上、この結果もやむをえないと受け入れるしかなかった。
そして、残されたヤヤッキーは「自分は今まで、Dr.エベロに洗脳されていただけ」と主張したものの、「何も話せる情報がないなら、生かしておく必要はない」とカープに脅されたことで、あっさりと自分の知っている情報を全て話し始める。
どうやら、今彼等がいるこの地は、ハイデルランド北部に位置するブレダ公国の辺境の一角に位置するクロストン男爵領の中心に位置する古城であり、Dr.エベロはこの地の領主であったらしい。もともと、彼はこの世界に内在する構造的な矛盾に疑問を抱いていたが、数年前に彼の元に現れた「黒衣の女性」の教えを聞いて彼女に心酔し、彼女のことを「救世主様」と呼び、崇めるようになったという。
その意味では、この地こそが「救世主」陣営の本拠地とも言える訳だが、現時点でここに救世主本人の姿は見あたらない。そして、残る四天王最後の一人である女魔術師アンザの姿もまた、見つけることは出来なかった。
最終更新:2016年07月06日 23:37