「バルレアの魔城」第1話(ウィステリア編)
1-1、少女達の邂逅
バルレア半島の北端地域は、ウィステリア騎士団と呼ばれる独立君主達が治める、幻想詩連合にも大工房同盟にも属さぬ「中立地帯」である。その中で最も「瞳」に近い場所に位置するアクランド地方を治めていたのが、サラ・アクランド(PC①)という名の女騎士であった。彼女はまだ16歳ながらも、既に戦場で大将首を取った実績を持つ凄腕の大剣使いであり、亡き父の所領を引き継ぐ形でこの地の領主として君臨している。
この地域は、昔から特殊な「香辛料」の原産地として知られており、その収益のおかげで国庫は潤っており、街も活気付いている。サラはそんな街の様子を確認するために、頻繁にお忍びで市井に紛れて街を散策しているのだが、そんなある日、彼女は街の片隅で、奇妙な風貌の少女の姿を見かけた。
その少女は、見たことがない謎の材質で作られた「巨大な蓋の空いた箱」の中で、乞食のように座り込んでおり、「拾って下さい」と訴えかけるような目で周囲を見渡している。街の人々は誰も彼女と目を合わせようとしないが、そんな中でサラだけは、彼女と目が合った瞬間、「只者ではない」というオーラを感じ取る。一方、その少女もまた、サラを一目見た瞬間、なぜか彼女の正体を一発で見抜き、彼女に語りかけてきた。
「私を拾って下さい、領主様。私は豊穣と商業の神、荒井咲希(アライ・サキ/PC⑤)と申します」
唐突に「神」と名乗ったこの少女は、元来は「地球」と呼ばれる異世界に住む人間であった。しかし、彼女は「ダンボール」という特殊な素材を用いて、当時の地球に発生していた温暖化に伴う様々な環境問題を解決した功績によって「神」になった、と自称している(彼女が現在入っている箱もまた、その「ダンボール」で作られた代物らしい)。にわかには信じがたい話だが、君主としての直感から、彼女がただの妄言少女ではないことはサラには分かっていた。実際、この世界では「異界の神」が投影体として出現することが稀にあることは彼女も知っている。
「で、お前は具体的には何が出来るんだ?」
「私がいれば、経済問題や食糧問題を解決出来ます」
「別に、食糧はそれほど困っていないが」
「この世の中、いつ飢餓が起きるかは分かりません。いざという時のために、私がいた方が安全ですよ。別にお金は要りません。家もこのダンボールがあれば十分です。ただ、私が領内で布教活動をするための許可を頂ければ良いのです」
そう言われたサラは、この「明らかに胡散臭い少女」の物言いを真に受けて良いものかどうか悩みつつも、最終的には彼女を受け入れ、「領内での布教活動の許可」を下すことになる。
(まぁ、ウチはもともと『変なの』いるしな。一人くらい増えてもいいか)
こうして領主のお墨付きを得た咲希は、それから数ヶ月後の間に、瞬く間に「信者」を増やしていく。彼女は自らが収納された「巨大なダンボールの箱」(彼女はそれを「神獣」と呼んでいる)の中から素材としてのダンボールを無尽蔵に生み出し、そのダンボールを用いて様々な人々の悩みを解決していくことで、いつしか村の赤に「ダンボール教団」と呼ばれる一大勢力を築き上げていた。その異様な光景にサラは頭を抱え、自分の判断が間違っていたのではないかと悩み始めるが、実際に咲希の言っていた通り、街の経済状況は更に活性化し、彼女の信者達は街の商業活動から治安維持に至るまで、様々な方面で目覚ましい活躍を見せていく。
だが、そんな平穏な日常も、長くは続かなかった。バルレアの均衡を維持してきた「瞳」がサンドルミアの急襲部隊によって攻略され、その跡地に巨大な「魔城」が構築されたことで、この地に新たな動乱が巻き起ころうとしていたのである。
1-2、魔城からの亡命者
瞳で発生した異変に周辺諸国が戸惑う中、ウィステリアの対瞳前線基地であるアクランド地方に、その瞳の跡地に作られた魔城の方角から、巨大な槍を持った一人の男が現れた。
「そこのお前、誰だ? 名を名乗れ!」
街の衛兵にそう問われた男は、端的に答えた。
「サンドルミアのレオンハルトだ。瞳の攻略隊の将である」
この男は、サンドルミア辺境伯傘下のユースベルグ男爵の配下だった指揮官の一人である。「僅か三百人で二百万の敵を退けた」という伝説を持つ異界の英雄の力をその身に宿す邪紋使いであり、その英雄の名にあやかって、レオンハルト・スパルタ(PC③)と称している。
「瞳の攻略隊だと? お前たち、何をしようとしている?」
「実は、我等はパンドラの奸計に嵌ってしまったのだ」
レオンハルト曰く、ユースベルグ男爵による瞳攻略の際には、闇魔法師組織パンドラが力を貸していたらしい。彼等の呼び出した無数の「翼を持つ魔物」に乗って空中から瞳の中心部の攻略に成功したサンドルミア軍であったが、その後、ユースベルグ男爵がその地の混沌核を全て吸収しようとした結果、逆にその混沌核に取り込まれ、その身を異界の魔王に乗っ取られてしまったという。これは、パンドラの描いたシナリオ通りの展開であった。男爵の部下だった兵士達は、変貌した主君への従属を強いられ、それに逆らった者達は次々と、魔王が呼び出した異界の魔物達やパンドラの魔法師達の手によって処刑されていった。そして彼等は、瞳の跡地に巨大な「魔城」を築き、更にその内側では「得体の知れない魔法装置」を構築しつつあるという。
この状況下において、かろうじて魔城を脱出したレオンハルトは、ウィステリアへと落ち延びることになった。彼はサンドルミアに仕える以前の流浪時代にウィステリアを訪れ、その際に、サラの父である先代領主と意気投合した過去がある。その時の縁を頼って、彼はこのアクランドの地への亡命を決意したのである。
レオンハルトは、自ら武具をその衛兵に差し出し、その身を拘束されることにも同意した上で、サラの前へと「連行」される形で、彼女との対面を果たす。レオンハルトが以前にこの地に足を運んだ時、サラはまだ8歳であったが、それでも二人は互いのことを覚えていた。
「久しぶりだな、レオンハルト」
「大きくなられましたね」
「で、私達のところに来たは要件は?」
そう言われたレオンハルトは、瞳攻略の顛末と「魔城」の現状を伝える。
「我等が主は魔物に憑依されてしまいましたが、私にはまだ人としての矜持がある。その傘下に加わる訳にはいかないのです。アストロフィとユーミルにも、私と共に魔城を脱出した同胞が、魔城討伐のための援護要請に向かっています」
「アストロフィとユーミルにも」と聞いて、サラは少し表情を曇らせつつ、彼の言いたいことを概ね察する。
「で、我等にも力を貸せと?」
「話が早くて助かります」
そう言って、レオンハルトは深々と頭を下げる。現状、レオンハルトの祖国であるサンドルミアは、自らの部下が瞳で起こした今回の異変に対して「黙視」を決め込んでおり、協力を仰げそうにない。アストロフィは幻想詩連合、ユーミルは大工房同盟に所属しており、中立の立場を維持してきたウィステリアも含めて、これまで三国は「瞳」を挟んで微妙な緊張関係にあったが、瞳が消えた現状であれば、その国際状況が動きつつあるため、今なら協力体制を築けるかもしれない、と考えたレオンハルト達は、それぞれの旧知の人物の元へと協力要請に向かったのである。
これに対して、サラが判断に迷っていると、その話を彼女の傍らで話を聞いていた、まだ20代前半程度の若い男が口を挟む。
「アクランド様、ちょっといいッスか?」
彼の名はアーベル・ノート(PC②)。サラの契約魔法師である。やや軽そうな口調ではあるが、主君のことを姓で呼ぶあたり、丁寧なのか無作法なのかよく分からない物腰である。
「なんだ?」
「ダリア先輩から聞いたんスけど、テイザー様が『魔城への対応』を協議するための会議の召集をかけようとしているみたいッス」
テイザーとは、このウィステリア騎士団の実質的な盟主であるテイザー・ノーウッドのことである。爵位的にはサラとは同格の「騎士」ではあるが、騎士団内の立場としては、ほぼ「上官」と言って良い。ちなみに、「ダリア先輩」とは、そのテイザーの契約魔法師であり、アーベルにとってはエーラム時代の同門の先輩である。
「では、協力するかどうかは、その話の後でもいいかな?」
サラはレオンハルトにそう問いかける。ウィステリア騎士団として協力するためには、当然、テイザーの同意が必要となる以上、レオンハルトとしても、反対する理由は無かった。
「分かりました。では、魔城のことをテイザー様にも伝えて下さい」
「そういうことなら、お前も一緒に来てくれるか? 伝言はまどろっこしい」
「そうさせて頂けると助かります」
こうして、ひとまずの同意を得た上で、サラはレオンハルトの拘束を解き、武具を返す。そしてレオンハルトは、魔城を攻略する宿願を果たすために、サラを「新たな主君」とした上で、「ウィステリア領アクランドの武人」となることを決意するのであった。
1-3、老成なる猫将軍
一方、その頃、この地を守る兵士達は、奇妙な風貌の「猫将軍」に、見回りの様子を報告していた。「彼」は見た目も大きさも普通の猫にしか見えない姿だが、後ろ足(に相当する部分)で二足歩行し、黄色のレインコートを身にまとったその姿から、どう見ても「この世界の本来の住人」ではないことが分かる。
彼の名はケンジー・レイン(PC④)。元来は妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)の住人であったが、800年前にこの世界に出現し、人間の女性と恋に落ち、この世界にそのまま定住することになる。その女性が天寿を全うした後は、様々な貴族の家で「愛玩動物」として養われつつ、各地を転々とし、やがてこの地に流れ着くことになった。現在の彼は、この街の古参の「武官」として、兵士達からも慕われる立場である。そんな彼に対して、定時報告を伝えた兵士の一人が、重い口調で語りかける。
「最近、街の中が暗い噂ばかりなんですよ」
そう言われたケンジーは、右手で杖をつきつつ、自分の何倍もの身長のその兵士を見上げながら、ゆったりとした口調で問い返す。
「ほう、どんな噂なんだい?」
「サンドルミアが空から襲ってくるとか、黒い馬車が人を攫っていくとか……」
「それは怖いねぇ。どこからそんな噂が出るのかねぇ」
そんな世間話に興じている中、一人の兵士が駆け込んでくる。
「ケンジー様、大変です!」
「どうしたんだい?」
「倉庫の中身が減ってるんです!」
「なんだって!?」
表情を一変させたケンジーは、杖を置き、「四足歩行」の状態になって倉庫へと走りだす(この方が速いらしい)。すると、確かに倉庫の中に貯蔵されていた、この街の特産品である香辛料が、確かに減っている。しかも、その倉庫の周囲には、何者かが押し入ったような形跡が見られない。まるで、一瞬にしてその香辛料が倉庫から消えてしまったかのような状況に見えた。
「なんだろうねぇ。魔法師の仕業かねぇ」
淡々とそう呟くケンジーの横で、倉庫の管理を任されていた兵士は青ざめた顔を浮かべる。
「どうしましょう? これ、領主様や契約魔法師様に報告しなければまずいですよね……」
「まぁ、君が責められることはないように伝えるよ。おそらくこれは瞬間転移の魔法か何かだろうし。そうだとすれば、仕方ない」
ケンジーはそう言って、サラの館へと向かう。レオンハルトとの会見を終えた直後のサラにその旨を伝えると、彼女は表情を曇らせた。
「うーむ、それは一大事だが、私はこれからテイザー様のところに行かねばならぬし……」
「では、私が留守中に調べておきましょうか?」
ケンジーはそう言ったが、サラとしては、出来れば現場の武官であるケンジーにも同行してほしいと考えていた。すると、彼女の後ろから、咲希が突然姿を現わす。
「そういうことであれば、その調査はこのダンボール教団の者達にお任せ下さい」
彼女がどこから現れたのかをサラが追求する前に、傍らにいたアーベルが進言する。
「犯人を突き止めることも重要ッスけど、被害を拡大しないことが大切ッスよね」
「では、それもダンボールでどうにかしましょう」
そう言って、彼女は信者達を連れて倉庫へと向かうと、信者達は倉庫の中に残っていた香辛料を「しまっちゃおう、しまっちゃおう」という掛け声をあげながら丁寧にダンボール箱へと梱包していく。この行為に、防犯上どれだけの効果があるかは不明だが、「神の加護を受けた箱に守られている」という印象を与えるだけで、兵士達は不思議な安心感を得るようになり、やがてこの倉庫の兵士達もまた、ダンボール教団へと帰依していくことになる。
こうして、村の内部が着々と新興宗教に侵食されていく様子を、サラは複雑な心境で眺めているのであった。
1−4、義姉弟
その日の夕刻、今度はアーベルの姉弟子であるダリア・ノートがサリアの館を訪れた。アーベルが言っていた通り、サラ達をテイザー主催の「騎士団会議」に連れて行くためである。
「よろしくお願いします、アクランド様。久しぶりね、アーベル」
「どうもッス、ダリア先輩。あの、タクトでの念話じゃダメだったんスか?」
エーラムの魔法師達は、タクトを用いて遠距離間でも会話することが出来る。わざわざ迎えに来なくても、それで指示を出せば十分と言えば十分であろう。
「それでもいいんだけど、可愛い後輩の顔も見たいじゃない」
そう言われたアーベルは、照れて頬を赤くする。ちなみに、彼がこの地に赴任することになったのは、この姉弟子の口利きがあったことが主因である。魔法師はエーラムに入門した時点から、それまでの家庭環境から切り離され、自身が所属する一門が「家族」となる。アーベルは元来は平凡な農家の出身であったが、「ノート一門」の一員となった今の彼にとっては、ダリアは「義姉」に相当する存在でもある。
そんな「義姉弟」のやりとりを交わしつつ、ダリアはサラに改めて会議への出席を促し、サラもそれを了承する。ダリア曰く、会議は「三日後」らしいが、レオンハルトを連れていくこともあり、早めに行ってテイザーに話を通しておいた方が良いだろうとサラは考え、翌朝すぐに出発することを決める。ちょうど都合良く、首都に向けての香辛料の出荷の時期でもあったので、その輸送隊の護衛も兼ねて、部下の兵士達も連れて行くことにした。
ダリアはその方針を承諾すると、与えられた宿舎へと向かう。
「じゃあ、アーベル、またねー」
「えぇ、また会いましょう……ッス」
そう言って姉弟子を見送るアーベルに対して、サラはふと問いかける。
「前から気になってたんだが、その言い回しはクセなのか? キャラ付けなのか?」
「それは、アクランド様が相手でも言えないッス。てか、どう答えても、俺のアイデンティティに関わるッス」
分かったような分からないような回答で返されたサラであったが、それ以上、そのことを追求しようとはしなかった。
2-1、荒れる街道
翌日、サラは、アーベル、レオンハルト、ケンジー、咲希の四人と、それぞれの部下の兵士達(信者達)を引き連れて、ダリアの先導の下、ウィステリア騎士団領の中心地であるノーウッド地方へと向かう。会議に出席するための陣容としてはやや大仰のようにも見えたが、香辛料が何者かに盗まれたという現状において、その香辛料を運ぶ輸送隊の護衛として、念には念を入れておいた方が良いと考えるのも道理である。
そして、その懸念は現実のものとなった。瞳の消滅に伴う混乱によって、騎士団領内の治安もやや乱れつつあると言われていたが、案の定、彼等の前に山賊団が現れたのである。
「ヒャッハー! 金目のモン置いてけやー!」
そう言って輸送隊に襲いかかる山賊達であったが、その中に魔法師や邪紋使いの姿が見えないことを確認すると、サラ達はダリアと兵士達に荷物を預けて後方に下がらせつつ、指揮官五人だけで彼等を迎え撃つ態勢に入る。
まず、ケンジーがアーベルの肩に飛び乗ると、彼はアーベルに向けて異界の力を解き放つ。
「戦い方を教えてやろう。我が祝福を受けよ」
その力を受けたアーベルは、周囲の混沌を集めつつ、敵の位置部隊に狙いを定める。
「俺は、あっちの連中を狙うッス!」
そう言って、彼が魔法を解き放つと、一瞬にして山賊達の一部隊が炎に包まれる。それに対して、別の部隊が彼等に襲いかかるが、アーベルはケンジーを乗せたまま風の魔法でひらりと避ける。一方、サラとレオンハルトは山賊達の攻撃を真正面から受け止め、若干の手傷を負う。更に山賊達は咲希にも襲いかかろうとするが、それはレオンハルトが身を呈して庇った。
「この私に傷をつけるとは、やるな」
レオンハルトはニヤリと笑ってそう言い放つが、その表情からは、まるで負傷した様子は感じられない。そんな彼に守られた咲希は、そのお返しとばかりに「ダンボールの結界」を周囲に張り巡らせ、仲間の防備を固める。だが、立ち位置の都合上、サラだけがその「加護」の範囲から外れてしまった。
(やはり、アイツは信用出来ないのでは……? お父様、私は『余計なモノ』を拾ってしまったのでしょうか……?)
サラがそんな不安を抱いている中、今度は山賊達がアーベルとレオンハルトに向かって火矢を放つ。だが、ダンボールの加護によって守られた彼等の身体は、炎に包まれた状態になっても、その皮膚には火傷一つ負っていない。
困惑した山賊達は、咲希が乗騎として乗っている巨大なダンボール箱に向かって襲いかかる。
「その、なんかよく分からない箱も奪い取ってやる!」
「やめなさい! 私の御神体を!」
そう言って避けようとする咲希であったが、避けれずに山賊の刃がダンボール箱に届こうとした瞬間、アーベルが「元素の盾」を発生させることで、どうにか重傷を回避する。
こうして、各自がそれぞれの持ち味を生かして応戦した結果、あっさりと山賊団は壊滅させられ、生き残った者達は土下座して助命を請う。すると、咲希は彼等に対してダンボールを優しく差し出し、その山賊の残党達を包み込んでいく。
「あたたかい……」
一人の山賊がそう呟くと、彼女は優しく微笑んだ。
「君も今日から私の教団の一員だよ」
そう言われた山賊を教団員達が慰めつつ、和気藹々とした雰囲気が広がっていく。
「ウィステリアも、しばらく見ないうちに変わりましたな」
遠目に見ていたレオンハルトがそう呟くと、サラは改めて頭を抱える。
「これは、私のせいなのだろうか……、私のせいだよな……」
そんな彼女の苦悩はさておき、彼等は無事に襲撃者を撃退(一部を籠絡)した上で、ひとまず野営をしてしばしの休眠を取った後、予定通りにノーウッド地方へと辿り着くのであった。
2-2、事前交渉
ノーウッド地方の中心都市である城下町ウィステリアに到着した彼等は、香辛料の売買の交渉を咲希とダンボール教団に任せた上で、盟主であるテイザーの城へと向かおうとするが、ふと気付くと、ダリアが姿を消している。彼女はサラ達を送り届けたところでお役御免とばかりに、「お疲れ様でした」という置手紙を残して、自分の研究室へと帰ってしまったらしい。
サラとアーベルは、呆れた表情を浮かべながら顔を見合わせる。
「お前の先輩、無責任すぎないか?」
「昔から、あんなカンジだったッスからねぇ」
「どうして私の周りはこんなのばかり……」
そんなやり取りはさておき、彼女達がテイザーの元へと向かうと、彼は快く出迎えた。サラはまず、テイザーとは初対面であろう邪紋使いを彼に紹介する。
「ノーウッド卿、私の古くからの友人であるレオンハルトです。彼は、魔城についての詳細を知っています」
「ほう、サンドルミアからのお客人でしたか」
「敗軍の将の身ではありますが」
レオンハルトはそう言って、一通りの事情を説明する。
「なるほど、アストロフィ、ユーミルと協力か……」
テイザーはその主張に理解を示しつつも、慎重な表情を浮かべる。サラもその心境は理解出来た。理屈の上では、確かに彼等と協力した上での攻略作戦が必要なのは分かる。だが、現実問題として、それが非常に難しいことは、この地の者であれば誰でも知っている。
レオンハルトもそのことは分かった上で、改めて訴えた。
「そちらも色々と事情はあるでしょうが、魔城建造の進行状況を考慮すると、あまり時間がないのです」
「なるほど。では、当日の会議に出席して、その旨を皆に伝えてもらえるかな?」
「分かりました。そうさせて頂きます」
こうして、ひとまずの事前交渉を終えると、彼等はテイザーからあてがわれた宿舎へと向かう。ちなみに、ダンボール教団の面々は、借りた大部屋をダンボールで飾り付けていたらしいが、その装飾が彼等の去った後にどうなったのかは定かではない。
2-3、相次ぐ異変
その日の夜、テイザーはサラとアーベルに、密かに自分の私室に来るように使いを出す。だが、その二人が到着する前に、事前会議の時点で不在であった咲希が、独断でテイザーを訪問した。彼女はダンボール製の名刺を渡し、この地での「ダンボール教団」としての商業活動の許可を願い出る。
「なるほど。アクランド卿の許可があるのであれば、問題はない」
この時点でテイザーは「布教活動」までは許可していなかったのだが、彼女達の布教活動はダンボールを用いた商業活動の中に巧妙に組み込まれており、彼女の中ではこの時点で「布教の許諾」を得たも同然と解釈していた。
やがて、テイザーに呼ばれたサラとアーベルが到着すると、入れ替わりに咲希はその場から退出する。
「珍しい友人をお持ちだな」
「彼奴には、気をつけた方が良いですよ……」
去りゆく「異界の神」を見ながら二人の騎士はそんな言葉を交わしつつ、テイザーは「本題」の話を切り出す。曰く、彼はダリアがサラ達を連れて来るために外出している間に、日頃は彼女が担当している政務も請け負っていたのだが、その際に、城の倉庫の保存食の一部が不自然に減っていることが判明する。何者かが窃盗したとしか考えられないのだが、なぜ保存食を狙うのか、見当がつかずに混乱していた。
その話を聞いたサラとアーベルの中では、その状況が即座に自領の状況と重なり合う。
「私達の領内でも同じような事件が起きています。ここは私達に調査させて頂けませんか?」
「分かった。そういうことなら、お願いしよう」
「この情報は、他の者には伝えない方がいいッスか?」
「そうだな。我が領内の者達には、余計な不安を与えたくない」
「こちらの身内には?」
「信頼出来る者であれば、問題ない」
果たして、どこまでが「信頼出来る者」と言って良いのか、それは彼等の中でも、非常に難しい問題であったが、少なくとも「彼女」は信用出来ないという点に関しては、二人の認識は一致していた。
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その頃、夜店でダンボールのアクセサリーを売っていた「信用出来ない異界の神」は、街の人々が「黒い馬車」について噂している場面に遭遇する。曰く、夜中に多くの荷物を詰め込んだ怪しい黒い馬車が走り去って行くのを見た、と証言する者が多発しているらしい。ケンジーの部下の兵士達が話していた通り、アクランド地方でも「黒い馬車」に関する噂は流れてはいたが、果たしてそれらが「繋がった話」なのかどうかは、まだこの時点では判断出来なかった。
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そして翌朝、サラは保存食が無くなったという倉庫を確認するため、ケンジーに現場検証を依頼する。自領の倉庫を確認したのが彼である以上、同一犯による窃盗かどうかを確認する上でも彼が適任であった(そしてまた、彼は対人交渉においては圧倒的な強みである「見た目が可愛い」という特性の持ち主でもあった)。
ケンジーはまず、倉庫の警備兵から聞き込み調査を開始する。「二足歩行で歩いて喋る猫」を目の当たりにした兵士は、当初は困惑しつつも、やがてその姿に素直に魅了され、警戒心を解いて状況を素直に説明する。
「ありがとうね」
彼はそう言って、肉球の捺してある名刺を警備兵に渡した上で、その倉庫の中を実際に見聞する。建物としての構造が異なるため、単純に比較することは出来ないが、どこにも強引に盗み出そうとした形跡は見えず、おそらくは瞬間転移の類いによる犯行なのではないか、という結論に至る。しかし、それもこの時点では、まだあくまで「仮説」にすぎなかった。
3-1、騎士団会議
こうして、様々な疑惑と思惑が渦巻く中、ウィステリア騎士団の面々が城に集まり、騎士団会議が開催される。
瞳の消滅と魔城の出現という事態の急変に対して、盟主のテイザーは、ひとまず今は守りを固めるべきと主張し、多くの騎士達がそれに賛同するが、その中で「魔城をどうにかしなければならない」と主張する若い騎士もいる。彼の名は、テヴェル・ヘイディア。以前から、瞳攻略に対して積極的な姿勢を示していた人物でもある。
そんなテヴェルに対して、参考人として出席していたレオンハルトが賛同の意を示す。
「あなたは話が分かる御仁だ。実のところ、そこまでうかうかしている余裕はない。これはまだサラ殿にもお話していないことなのですが、魔城の方からも、こちらへの侵攻の準備を整えています。我々の元同胞の中にも、魔王に協力している者もいます。まごまごしている間に、敵の戦力が増強される可能性もあるのです」
彼がそう語ると、それに同調するように咲希が口を開く。
「そうです。アストロフィやユーミルとの間で過去に諍いがあったとしても、それを乗り越えて、手を携えていかなければ。そのために、私がダンボールで架け橋を築きます!」
だが、そんな彼女の発言は誰からも相手にされないまま、諸侯からは慎重な意見が相次ぐ。
「むしろ、それならなおさら守りを固めるべきでは?」
「籠城戦ならば、我等はこれまで幾度も守りきってきた実績もある」
そんな声に対して、今度はサラが口を開く。
「仮に、ユーミルもしくはアストロフィが単独で魔城を攻略した場合、ウィステリアは滅びます。だからこそ、むしろ、こちらから先に同盟を持ちかけた方がいいのでは?」
魔城を攻略して、魔王の混沌核をいずれかの君主が浄化・吸収した場合、その聖印はこの地域全体を治めるに足る規模となるだろう。それだけでなく、あの地から生まれる様々な混沌の産物(混沌装備など)をも手に入れることで、軍事的な脅威となる可能性もある。無論、彼等が単独で攻略出来る可能性は低いが、もし、幻想詩連合や大工房同盟が本気で肩入れすれば話は変わってくる。一方、何の後ろ盾もないウィステリア騎士団が魔城攻略を実現するには、三国同盟以外に道はない。
「なるほど、一理あるな」
テイザーが素直に納得すると、畳み掛けるようにレオンハルトが熱弁する。
「我が同胞達も、その同盟の結成のために動いている筈です」
だが、現実問題として本当にそんなことが可能なのか、疑念を持つ者も多い。ユーミルとアストロフィは、それぞれ同盟と連合という後ろ盾があるからこそ、そう易々と敵対勢力と手を組むことが認められるかと考えると、確かに難しいだろう。
こうして、それぞれの主張を語り尽したところで、一旦、この話は翌日に持ち越しとなった。
3-2、若き協力者
会議の終了後、咲希とレオンハルトは各地の諸侯を個別に説得しようとするが、なかなか積極的な賛同者は現れない。そんな中、会議において主戦論を語ったテヴェルが二人の前に現れた。
「元気そうだね、咲希。このあいだの魔境攻略の時には世話になった」
そう、実は咲希は、サラの元に現れる前は、このテヴェルが治めるヘイディア地方に定住し、その地の近辺の魔境討伐に協力していたのである(その後、なぜ彼女がその地を去ったのかは定かではない)。
「あの魔城は攻略すべきです。この地の繁栄のためにも。だから、今回も私は協力します」
そう語る咲希に対してテヴェルが同意する一方で、レオンハルトは「魔王」の危険性を改めてテヴェルに解く。
「あの魔王は『瞳』の混沌核を全て吸収した存在であり、おそらく今は『瞳』があった頃よりも危険な状況です」
「そうだね。僕達だけで攻略出来るなら、刺し違えてでも攻略したいけど、難しいだろう。だから、皆の力を貸してほしい」
「私が言うのも変な話ですが、あなたが魔城にそこまでこだわる理由は?」
「理由か、単純な話だよ。僕の尊敬する父が魔境に攻め込み、命を落とした。僕はその仇を取りたいんだ」
実は、この点についてはサラも同様である。彼女の父(レオンハルトの旧友)もまた、瞳から生じた魔物との戦いで落命している。
「これは失礼致しました。だとすれば、なおさら私は協力しなければなりませんな。我々が先に攻略してしまった訳ですし……」
「まぁ、攻略してくれたことには感謝してるよ。その後については……」
そこから先は、どう言葉を繋げれば良いのか分からないまま、微妙な空気が広がる。そんな中、レオンハルトはふと、サラから聞かされていた「保存食盗難事件」について思い出し、テヴェルにそのことを聞いてみたが、テヴェエル曰く、どうやら今のところ彼の所領内ではそういった事件は起きていないらしい。
とはいえ、食糧を奪うことは、戦力を弱めることに繋がる以上、この事件の背後で魔王やパンドラが動いている可能性を危惧しつつ、レオンハルトはこの問題を早急に解決しなければならないと決意を固める。
そして、幸か不幸か、この場でレオンハルトがそのことを口に出したことで、結果的にこの情報は咲希にも伝わることになったのであった。
3-3、聞き込み調査
一方、その間にケンジーが他の領主達から「同じような食料盗難事件が起きていないか」ということを確認して回ってみたところ、幾人かの領主達が首を縦に振る。どうやら、ウィステリアの各地で同時発生していることは間違いないらしい。
そのことをケンジーが皆に伝えると、ようやく咲希とも情報共有した上で、咲希はアーベルの手助けを受けつつ、改めて「黒い馬車」に関する調査に向かう。根気強く街中で聞き込みを続けた結果、実際に見かけた人を発見し、詳しい話を聞くことに成功した。
どうやら、その馬車を発見したのは街の外側で、「箱のようなもの」を馬車に詰め込んでいたらしい(ダンボールではなかったらしい)。積み込み作業をしていたのは中肉中背の男性らしき風貌だったが、御者の姿は見えず、そして積み込みを終えた馬車は、南西の方角に向かって走り去って行ったという。その場で筆記用具を持っていなかった咲希は、毒消し薬の液体をダンボールに染み込ませる形でその馬車のスケッチを描いてもらい、お礼にダンボールを与える。
「椅子にでも使って下さい」
そう言って渡されたダンボールが実際にどう使われたのかは定かではないが、ひとまず情報を得た彼女は、そのスケッチをケンジーの部下の「アクランド地方で黒い馬車を見た」と言っていた者達に見せて確認したところ、非常に類似した形状であるという証言を得る。やはり、この黒い馬車が保存食および香辛料の窃盗事件に深く関わっていることは間違いないらしい。
そうなると、問題は誰がいかにしてその積荷を盗み出したか、である。ケンジーの憶測では、それは魔法師の仕業である可能性が高い。そうなると、この街でその件について話を聞くべき相手は「彼女」しかいなかった。
3-4、姉弟子の憂鬱
「魔法師」についての情報を得るために、アーベルとケンジーがダリアに話を聞きに行こうとすると、彼女は執務室にて、自分の不在時に溜め込んだ仕事の作業に忙殺されていた。
「アーベル、手伝ってくれるの!?」
「まぁ、手伝ってもいいんスけど、その前に、この猫の話をきいてほしいッス」
そう言って彼は、肩に乗せていたケンジーを彼女の前に差し出す。交渉に関しては、やはりアーベルよりもケンジーの方が上手だという判断である(なお、ダリアが犬派なのか猫派なのかは定かではない)。
「なあに、猫ちゃん?」
「君の知り合いで、高位の時空魔法師はいる?」
瞬間転移の魔法が使える者と言えば、真っ先に思いつくのは時空魔法師である。ちなみに、ダリア自身は召喚魔法師であった。
「魔法師協会には、いくらでもいるわ」
「瞬間転移が出来そうな人は?」
「この辺では聞いたことがないわね……。ところで、猫ちゃんも手伝ってくれるの?」
そう言って、資料の山を押し付けようとした瞬間、アーベルが間に入る。
「ここは俺が食い止める、逃げてくれッス!」
そう言われたケンジーは、ひとまずその場から走り去る。こうして、なし崩し的にアーベルが彼女の仕事を手伝うことになった。彼はその雑務を進めながら、おもむろに問いかける。
「どうしてここまで仕事を溜めてたんスか?」
「君の所に行くためかな」
答えになっているのか微妙な回答にやや困惑しつつ、アーベルは質問を続ける。
「倉庫の中身が減っていたことについて、気付いてました?」
「……領主様に指摘されるまで気付かなかったわ」
そう答えた彼女の口調に、アーベルは違和感を感じる。それは、明らかにどこか動揺した様子であるようにアーベルには思えた。
「本当は、何かに気付いてたんじゃないッスか?」
そう言われたダリアは、作業の手を止める。
「どうしてそう思うの? さっき言った通りよ」
「これだけ仕事を溜め込んでまでこっちに来た理由、タクトでの念話で済ませなかった理由は何なんスか?」
「君に会いたかったというのは本当なんだけど……、現実逃避がしたかったのかもね……。さすがに疲れてきたね。今日はここまでにしとこうか?」
そう言って、彼女は仕事を終えようとするが、結局、そのまま二人は作業を夜中まで続けることになるのであった。
3-5、猫と魔女
そして世が更けていく中、アーベルは作業の途中で疲れてそのまま机に突っ伏して倒れる。ダリアは彼が眠ったものだと判断したが、実はこれは狸寝入りであった。そんな彼の隣で一人で淡々と作業を続けていくダリアの前に、再びケンジーが現れる。
「あら、猫ちゃん、また来てくれたのね」
そう言われたケンジーは、神妙な表情で問いかける。
「最近、このウィステリアの各地で『黒い馬車』が噂になってるみたいだけど、君、そういうのを見たことはあるかい?」
「……分からないわ」
その言い方が、どこかぎこちない様子であることを、ケンジーは見逃さなかった。
「その黒い馬車はね、箱に何かを詰めて、瞳のあった方角へ運んでいるらしいんだ」
「じゃあ、その人達が犯人ってことかな?」
「そうだね。で、本当に何も知らない?」
自分に明らかに疑惑の目が向けられていることを察したダリアは、何も答えずに、にっこりと笑う。
「知ってるね? 教えてくれないかな?」
「まぁ、これは、潮時を間違えたということだよね……。見逃してくれないかな?」
「僕は武官だからね。見逃す訳にはいかないんだ。それに、せっかく見つけた安住の地をかき乱されて、僕は結構怒ってるんだ。僕がその気になれば、君の首を撥ねることも出来る」
いつもの「のんびりした老猫のような口調」とは明らかに異なる声色で、ケンジーはそう告げる。
「あら? あなたにそんなことが本当に出来るのかしら?」
「それだけの権力はあるさ」
確かに、彼はただの猫ではない。国家権力に深く関わる存在ではある。だが、権力に関しては、むしろテイザーの契約魔法師であるダリアの方が上であろう。もっとも、それは彼女が「テイザーの契約魔法師」としての地位であり続けることが条件である訳だが。
「今回はいいけど、話す気になったら、いつでも来てくれ」
ケンジーはそう言って部屋から去るふりをするが、そのまま部屋の片隅に潜み、彼女の監視を継続する。
すると、彼女はおもむろに窓を開け、そして魔法の詠唱を始める。やがて彼女の前に、魔獣ペリュトンが現れ、彼女はそのペリュトンの背に乗って、その部屋から飛び去って行った。
3-6、破滅の毒龍
ケンジーはその飛び去った方角を確認した上で、即座にアーベルと共にサラ達の元へと帰還する。そして皆と共にテイザーに報告に行った。
「まさかとは思っていたが、本当に彼女が……」
どうやら、テイザーも薄々その可能性には勘付いていたらしい。
「今は彼女を探すことが先決です!」
サラはそう言って、テイザーに街の衛兵達を動員させつつ、自分達もまた、部下の兵達を率いて彼女の捜索へと向かう。
「バツが悪いッスね」
「それは仕方ない」
アーベルに対してサラがそう言い聞かせつつ、ケンジーの指し示した方角へと向かうと、そこでは明らかに投影体と思しき異界の巨人が、街の兵士達と戦っていた。その巨人の陰には、ダリアの姿がいる。おそらく、この巨人は彼女が召喚した魔物であろう。
自分を追ってきた者達の中にアーベルの姿を確認したダリアは、彼に向かって問いかける。
「私に、ついてきてくれないかな?」
その言葉が何を意味しているのかは定かではないが、アーベルの中では答えは決まっていた。
「先輩と戦うのは気が引けますけど……、私は『彼女』を支えると決めているッス」
そう言って彼は、サラに視線を向ける。魔法師としての彼の矜持は「王佐」。契約相手であるサラの覇道を助けることこそが、彼の信条であった。
「そうか、じゃあ仕方ないな。でも、このままお縄になるのも癪だから、最後に私の研究成果を見せてあげるよ」
ダリアはそう言いながら、謎の呪文の詠唱を始める。
「出でよ、破滅の毒龍!」
その一言と同時に、彼女はその場に倒れ込み、そしてその場に不気味な巨大投影体が出現する。それは、「龍」というよりは「無数の毒素の塊が龍のような大きさになるまで連結した姿」であり、周囲には、その眷属と思しき魔物達がうごめいている。
あまりにも面妖なその姿に困惑しつつも、それが明らかに「浄化しなければならない投影体」であることを確信したサラ達は、兵達を率いて戦陣を整える。
真っ先に動いたのは、ケンジーとアーベルの部隊である。ケンジーがアベールの肩に乗り、実質的に二人の部隊が一体化して共同戦線を構築する。その上で、アーベルはケンジーによる妖精の祝福と、咲希によるダンボールの加護をその身に宿した上で、渾身の火球魔法を毒龍に向けて叩き込む。その圧倒的な豪炎は、並の魔物であれば一瞬にして消し炭になるほどの威力であったが、それでも毒龍の半身を消滅させるにとどまり、瞬殺には至らなかった。
その直後、今度は毒龍の眷属達がケンジーとアーベルと咲希に向かって襲いかかるが、彼等はかろうじてその攻撃をかわし続ける。そして咲希がダンボールの結界を(今度はサラもその効果範囲に含めた上で)作り出すことで、万全の態勢を作り上げたかに見えたが、次の瞬間、毒龍本体が放った攻撃が彼等を襲う。その濁流は彼等の身にまとわれた鎧を破損させ、その身に毒を染み込ませていく。ダンボールの結界のおかげで、かろうじて踏みとどまってはいるが、このまま毒を身体に受け続けると、更に危険な状況へと追い込まれるであろうことは彼等も実感していた。
各自が手持ちの毒消し薬を駆使しながら戦線を立て直しつつ、アーベルは二発目の火球魔法を放とうとするが、(毒龍の足元で倒れたままのダリアを見て動揺したのか)その発動に失敗してしまう。徐々に皆が窮地に追い込まれていく中、日頃は自身が戦うことのない咲希も自ら鎌を振るって眷属達に立ち向かい、サラとレオンハルトも眷属達の壁を突破して毒龍に向かって渾身の一撃を放つものの、それでも毒龍は倒れない。
こうして戦況が長期化する中、もともと防備の弱いケンジーや咲希の体力が限界に達しようとしていたところで、アーベルが最後の力を根こそぎ振り絞って解き放った石飛礫の魔法が毒龍に直撃した瞬間、毒龍は消滅し、巨大な混沌核だけがその場に残る。その混沌核をサラが吸収することによって(その間に巨人は街の警備兵達によって倒されていたため)、どうにかこの戦いに終止符が打たれることになった。
4、エピローグ
戦いを終えた時点で、ダリアは意識を失ってはいたものの、まだ息はあったため、捕縛した上で、意識を取り戻した後に事情を聴取することになった。
どうやら彼女は、一門の事情で契約魔法師としてこの地に赴任させられたものの、生粋の研究者気質であったが故に、魔法の研究とは無関係の政務の仕事に忙殺される日々に辟易していたらしい。そんな中、彼女の目の前にパンドラのエージェントが現れ、彼女の研究に必要な特殊な物資を提供する代わりに、保存食や(その保存食を作るために必要な)香辛料を盗み出す手助けをする契約を結んでいたという。召喚魔法師である彼女は、異界の門を開く技術に長けており、その手法を応用して「異なる二箇所」を繋ぐ門を開く魔法を開発していたのである。
パンドラの目的が、魔城における籠城戦のための蓄えを確保するためだったのか、あるいはウィステリアの籠城戦の備えを崩すためだったのかは不明だが、いずれにせよ「街を守る魔法師としての使命感」よりも「魔道を極めたいという欲求」の方が高まっていた彼女にとって、この提案は渡りに船であった。
そして、この事実を知らされたテイザーは、まずはサラ達に深く感謝した上で、こう告げる。
「自分の契約魔法師がしでかしたことを止められなかった以上、もう私はこの地の領主を続けられない。サラ・アクランド卿、この聖印を受け取ってくれ」
そう言って、彼は聖印と共に「この地の領主の座」をサラに委ねた上で、騎士を廃業することを決意した。そして、このウィステリアの中心地を治めることになったサラは、実質的に騎士団長の座も引き継ぐことになる。弱冠16歳の身にはあまりにも重すぎる荷だが、今のこのウィステリアの危機を救うために、彼女は強い決意を持って、その任を引き受けた。この結果、ウィステリアは翌日の騎士団会議を通じて、魔城攻略へと本格的に舵を取ることになる。レオンハルトの宿願の実現に向けて、これは大きな一歩であった。
そして、契約相手が不在となったダリアは、新たにサラと契約を結ぶこととなった。本来ならば、反逆者として処刑されるべき大罪を犯した彼女であるが、その魔法師としての高い技術を失うことを惜しんだ上でのサラの寛大な措置である。ダリアには「研究に専念出来る環境」と「潤沢な研究資金」さえ与えておけば、二度とこのような事態は引き起こさないであろう、というのが、最も彼女のことを良く知るアーベルの判断であった。
もともとアクランドは経済的に潤っている以上、金銭面に関してはさほど問題はない。あとは、アーベルがダリアの分まで事務作業に邁進すれば良いだけの話である。それでも、万が一の事態に備えて、ダリアはケンジーの管轄下に置き、定期的に彼女を監視する任をケンジーが担うことになった。なお、実はダリアに契約をもちかけたパンドラの魔法師は、そんなアーベルとケンジーの過去に深く関わっていた人物でもあったのだが、彼等がその事実を知るのは、もう少し先の話である。
一方、咲希はこの戦いを通じて更にダンボール教団の名声を高め、ウィステリアの本拠地であるノーウッド地方においても着実に信者を増やしていくことになる。サラはダンボール教がウィステリアの国教になることだけは絶対に避けねばならないと警戒心を強めつつも、今回の戦いで彼女の力に助けられたことは否めないため、ひとまず今はその活動を黙認せざるをえなかった。
こうして、ウィステリアを揺るがせた一つの動乱は、静かに収束することになった。だが、それは間もなく繰り広げられる「魔城決戦」へと至るための、一つの布石にすぎない。魔城攻略のために必要な残り二つの欠片を手に入れることが出来るかどうかは、レオンハルトの二人の同胞と、彼等を受け入れるアストロフィとユーミルの領主と、その仲間達の手に委ねられていた。
最終更新:2017年02月11日 10:30