「バルレアの魔城」第2話(ユーミル編)
1-1、決死の逃走劇
「バルレアの瞳」の跡地に造られた魔城を取り囲む険しい山岳地帯の中で、一人の騎士が、「東」へ向かって逃走を続けていた。彼の名は、ルクス・プリフィカント(PC①)。パンドラの甘言に唆されて「瞳」を攻略した後に魔王と化してしまったユースベルグ男爵の部下だった男である。二十代後半という働き盛りの彼は、サンドルミアの首都に妻子を残したまま、今回の突入作戦に加わったものの、魔王と化した主君に反発し、彼等の野望を止めようと、ユーミル男爵領に助けを求めるために決死の覚悟で逃亡を決意したのである。
彼と共に「瞳」の攻略隊に加わっていた仲間達のうち、幾人かはそのまま魔王の部下として彼の野望に与する一方で、魔王に逆らって殺された者達もいれば、ルクスと同様に周辺諸国に救援を求めて亡命した者達もいる。そんな中で、内心では魔王に反発しながらも、やむなく魔城に取り残されたまま、服従を強いられている者達もいる。その中の一人に、レト・アスールという名の女騎士がいた。彼女は真面目で義理堅い性格であり、ルクスよりも4〜5歳ほど年下で、ルクスとは「懇意」な関係である(注:上述の通り、ルクスには妻子がいる)。
(彼女のことは気がかりだが、少なくとも、あの魔法装置が完成するまでは、彼女達の命は保証されていると考えて良いだろう)
彼がそんな想い抱いてきながら逃走を続ける中、後方から、凄まじい速度で何かが追いかけてくる気配を感じる。
(おいおい、こんな時に限ってか。俺は、一人で戦うのには向いてないんだよな)
彼の聖印は「指揮官の聖印」と呼ばれる、友軍の支援に特化した聖印であり、味方が一人もいない状況では、自分の身を守ることさえも難しい。それでも必死で逃げようとしたものの、あと少しで山岳地帯を抜けられそうな領域まで来たところで、せせら嗤うような不気味な声が、ルクスの耳に届く。
「よお、随分せわしないじゃないか。もう少し、ゆっくりしたらどうだ?」
ルクスはその声に聞き覚えがあった。自分と共に瞳の攻略隊に参加したサンドルミアの指揮官の一人で、名をエリゴルという。彼は「悪魔」の力を模倣した邪紋使いであり、禍々しい装備を身にまとい、その手には巨大な槍が握られている。その声の大きさから、もう真後ろまで近寄られていることは分かっていたが、ルクスは振り返らずにそのまま走り続ける。
「男のお誘いは乗らないことにしててね。他をあたってみたらどうだ?」
そう言って余裕を見せるルクスであるが、次の瞬間、エリゴルの持つ巨大な槍が、背中からルクスを貫く。そして、その槍に込められた毒が自分の身体の中に回っていくのをルクスは実感していたが、それでも彼は足をふらつかせながらも、その場から走り去ろうとする。
「ほう、まだ耐えるか」
そう言いながらエリゴルは悠々と近付いてくるが、ルクスはこの状況においても、まだ余裕のありそうな声で相手を挑発する。
「一撃で仕留められないとは、腕が鈍ったんじゃないか?」
「まぁ、走りながらだったからな」
そう言って、エリゴルは「次は逃がさん」と言わんばかりに槍を突き立てる。だが、次の瞬間、彼の視界からルクスが消えた。
実は後方からの追撃者の気配を察知した時点で、このままでは逃げ切れないと判断したルクスは、かすかに聞こえる川の水音のする方向へと逃走先を変えていたのである。そして、フラフラになりながらもその川音のするところまでたどり着いた彼は、今自分が立っている場所が「崖」の上であり、川が流れているのが遥か下方であることに気付く。しかし、この時点で彼の中には他に選択肢はなかった。彼はエリゴルの槍をかわしながら、そのまま崖の下の川の激流へと飛び込んだのである。
エリゴルはこの状況に舌打ちしつつ、この状況ではルクスの生死を確認出来ないため、ひとまず川の下方へと向かうのであった。
1-2、武闘派魔法師の憂鬱
その頃、ユーミルの対瞳最前線の城では、この地を預かる領主の契約相手である17歳の生命魔法師ミカエラ・メレテス(PC③)が、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
ミカエラはもともとこの地方の出身であり、子供の頃に、この地の女領主エクレール・グライスナー(PC②)に助けられた恩義から、エクレールの契約魔法師としてこの地に赴任した。ミカエラは、2歳年上のエクレールに対しては盲目的なほどに深い敬愛(偏愛)の情を抱いているが、「瞳」で起きた異変以来、彼女は哨戒のために城外に出ることが多くなり、その代わりに彼女の「上役」として派遣されてきたゲオルグ・パレスとラファエロ・イエルという二人の君主が、我が物顔で城内に居座る日々が続いていたのである。
「ここに埃がたまっているのでは? まったく、エーラムの魔法師ときたら、ろくに仕事も出来ないなのーね」
長身痩躯のゲオルグがミカエラにそう言いながら部屋の片隅の窓の桟に指を走らせる一方で、小太りな体型のラファエロはソファーに座りながら空になった紅茶のカップを見せつける。
「ふむ、我輩の紅茶はまだであーるか?」
そんな態度でミカエラに雑用を申し付ける二人に対して、ミカエラは無意識のうちに闘気を燃やし始める。彼女は生命魔法師の中でも、自分の身体を強化する能力に特化した「常磐の学派」の系譜の魔法師であり、その気になれば丸腰でも君主相手に互角以上に戦える実力の持ち主であるが、ここで自分が彼等を殴ることでエクレールの立場が悪くなることを危惧し、ぐっと堪えて彼等に紅茶を差し出す。
「うむ、我々も忙しいのであーる」
「我々は魔城をどうにかしなきゃいけないのーね、そのために派遣されて来たのーね」
「別に、我々自身の手で攻略しても良いのであーるがな」
「最前線を任せるのがあの小娘とか、ユージーン様も何を考えているのか分からないのーね」
ふんぞり返った姿勢でそう語る二人に対して、ミカエラは眉間にシワを寄せながら応じる。
「それなら、あなた方が前線に行けばいいのでは?」
「我々も出来れば最前線に行って、手柄を立てたいのーね」
「しかし、ユージーン様の命令で、後方支援を任されているのであーる」
現在の彼等の居城は、この最前線の城から少し離れた場所にある。しかし、様々な理由をつけて彼等はこうして頻繁にエクレールの城に足を運んでは、エクレールやミカエラに嫌味を言いたい放題言って去って行く。もともと、魔法師が君主に比べて格下に見られがちな国風のユーミルにおいて、このような「自分の契約相手よりも格上の君主」からの侮蔑に対しては、ミカエラも正面切って反発は出来ない状態であった。
「それなら、後方支援役らしくしてて下さい」
沸き起こる怒りの感情を押さえ込みながら、その一言だけを言い放って、ミカエラは二人の前から立ち去り、言われた通りに城内の清掃活動へと向かう。
(エクレールお姉様、早く帰って来て下さいですー)
1-3、謎の失踪事件
この地の領主であるエクレールには、直属の従属騎士がいる。名は、グリップス・フォルク(PC⑤)。歳は、19歳のエクレールよりも遥かに歳上の33歳。戦場での経験も豊富で、屈強な戦士の風格を漂わせる彼に対しては、城下町の人々からの信頼も厚い。そんな彼は現在、この地で起きている「領民達の失踪事件」について、町の人々から聞き込み調査していた。
「騎士様、何かご用ですか?」
「最近、この地の人々が突然失踪する事件が相次いでいる、と聞いたのだが」
「そうですね、最近よく人がいなくなるんです。人攫いですかねぇ、子供達は色々な噂を話していますが」
「子供達が、とは?」
「『黒い馬車』がどうのとか、『悪魔』がどうのとか。まぁ、この国にいれば、騎士様達がどうにかしてくれるとは思うのですが」
深刻な事件の割には、町の人々にはあまり動揺した様子は見えない。それだけ、この地を治める君主への信頼が強いということなのだろう。だが、今はエクレール達は瞳で起きた異変への対応だけで手一杯で、この事件にまで人員を割く余裕がない。もしかしたら、瞳の異変と関係している可能性もあるのだが、いずれにしても、グリップスとしては、あまり楽観視出来る状態ではなかった。
(馬車に悪魔か……)
町の人々の噂の真相を確かめるべく、グリップスはその噂の出所と思しき子供達の集まる場所へと向かうと、そこにいた子供に対して、彼はそのいかつい風貌から予想される通りの野太い声で問いかける。
「やあ、ぼうや」
その無意識の威圧感に、気弱そうな男の子がピクッと固まる。
「すまない、怖がらせる気はないんだ」
そう言って気持ちを和ませようとしたところで、今度はやんちゃそうな雰囲気の子供達が、後ろから彼の身体を覆う鋼の装甲をポンポンと叩く。
「わー! 鎧すげー!」
「あ、こら、やめろ!」
そう言いながら子供達を軽く振り払う彼であるが、そこまで本気で怒りを露わにすることもなく、なんとなく子供達とじゃれ合っていくうちに、徐々に雰囲気が和らいでいく。
「おじさん、何か用か?」
「最近起きてる人攫いの事件について、ちょっと聞きたいんだが……」
「あー、俺知ってるー、夜に悪魔が来て連れ去るんだよ。でっかくて、翼が生えてて」
「それを見たのか?」
「見てはいないよ。でも、母ちゃんに『悪い事をすると悪魔に連れてかれる』と言われたんだ」
「僕が聞いたのは、『黒い馬車に連れてかれる』って話」
「俺は見たよ、夜中に、黒い馬車が走ってるのを」
子供達はそれぞれに色々な話を口にするが、正直、どれもあまり確証の持てる話ではない。グリップスは彼等の言うことを話半分に聞き流した上で、最初に声をかけた気弱そうな子に、「お詫びの飴玉」を差し出し、その子がコクコクと頷くのを確認すると、そのまま静かに立ち去って行く。
かつて、グリップスには妻子がいたが、混沌災害によって命を落としてしまった。彼女達を守れなかったことへの深い悔恨が、彼の心には今も残っている。もう二度と、あのような悲劇を繰り返したくはない。無邪気に遊ぶ子供達を見ながら、彼はそんな決意を固めていた。
1-4、不気味な影
この城下町には、エクレールとグリップスの他にもう一人、騎士級聖印の持ち主がいる。彼の名は、ジェラール・アルテミス(PC④)。エクレールの部下だが、グリップスのように正式な従属関係を結んでいる訳ではなく、あくまでも金で雇われた傭兵である。
彼は日頃から城下町の警備に従事しつつ、時折出現する投影体を浄化する任務を担当している。この国の人々は呑気な気風で、基本的には「上の人たちがなんとかしてくれるだろう」「聖印があればどうにかなる」という意識が強い。ユーミル人ではない彼には馴染みのない雰囲気ではあるが、素直に「市民の人達はそれくらいの方がいい」と、その状況を受け入れている。
そんな中、彼の耳に不穏な噂が届いた。
「ジェラール殿、少々お話が」
「どうした?」
「『サンドルミアのエリゴル』の目撃情報が」
その名は、傭兵として各地を転戦していたジェラールも知っている。大国サンドルミアでも指折りの猛将として名高いが、弱者を踏みにじる狼藉者として、評判はすこぶる悪かった。
「詳しく聞こう」
「ユーミル領内で見たという話があります。なんでも、夜中に他の人影と共に移動していたとか」
「奴一人ではなく?」
「人影と言っても、人間かは分かりませんが」
「どういうことだ?」
「身体から突起物が生えていたとか」
エリゴルは悪魔の力を持つ邪紋使いであると聞いている以上、そのような者達を率いていたとしても、あまり違和感はない。ただ、そのような者達が、この聖印教会の影響力の強いユーミル領内を闊歩しているという状況は、明らかに異常事態である。
「見かけたのは、どのあたりだ?」
「以前は瞳方面の山岳地帯でしたが、現在は麓の村の近辺だとか」
「最近、そのあたりで何か異常はあったか?」
「目撃されるようになる前から、村人の失踪事件が相次いでいた、と言われています」
これは捨て置く訳にはいかない話だと判断した彼は、その「失踪事件」の起きている村へと足を運ぶ。その村も雰囲気自体は城下町とあまり変わりはしなかったが、外出を控えている者が多いようで、人通りが少ない。ひとまず彼は、この地の領主に失踪事件について聞いてみた。
「その件については、我々も調査はしているが、今のところ、まるで解決の糸口がつかめない。『サンドルミアのエリゴル』らしき人物を見かけたという噂も確かにあるが、実際に我々が見た訳ではないので、本当かどうかも、失踪事件にかかわっているかどうかも分からない」
「そうか……。行方不明になった者達の家族に、話を聞くことは可能か?」
「可能だが、あまり刺激しないようにな」
そう言われたジェラールは、慎重に配慮しながら村人達から話を聞いて回ったところ、どうやら行方不明になった者達には「年若い者達」が多く、中には「3歳程度の子供」がいなくなった事例もあるという。その失踪に至るまでの経緯は多様であるが、畑仕事や夜中の外出の際に突然姿を消すなど、明らかに不自然な事例が多いらしい(ただ、さすがに家の中にいる状態で消えた者はいないという)。
情報を提供してくれた人々には丁重に頭を下げつつ、ひとまず雇い主であるエクレールに報告するために、彼は城下町へと戻って行った。
1-5、川辺の邂逅
こうして、部下達がそれぞれに苦悩している中、最前線の城下町の領主であるエクレールは「一人と一頭」で領内の哨戒を続けていた。彼女は馬ではなく、「虎」を乗騎とする特殊な騎士であり、彼女自身は方向音痴なのだが、この愛虎のおかげで道に迷わずに済んでいる。まさに、彼女とは一心同体の存在であった。
そんな彼女が、元瞳の近辺の山岳地帯に差し掛かった時、その愛虎が、山から流れ込む川の岸辺から血の匂いを嗅ぎつける。そこには、傷だらけの男が倒れていた。その家紋から、彼がサンドルミアの騎士であることをエクレールは即座に察する。ユーミルの領内に、瞳を攻略したサンドルミアの将と思しき人物が倒れているのは、明らかに不審な事態だが、彼女としては、傷ついた人物を放っておく訳にはいかないと考え、倒れている彼を肩から持ち上げる形で背負い上げようとする。
そのタイミングで、その男は目を覚ました。
「おぉ、目が覚めたかい」
「あ、あなたは……」
「募る話は後だ。まず傷を癒そう」
そう言って、彼女がその男を愛虎に乗せて移動しようとしたところで、突然、遠方から現れた何者かが巨大槍をその虎に突き立てると、そのまま虎は突き飛ばされる。
「そいつは、置いてってくれねえかなぁ」
そう言って、凶々しい鎧を着た男が現れる。それに対して、目が覚めたばかりのサンドルミアの騎士は、表情を歪ませながら自分の足で立ち上がり、エクレールを庇うように立ちはだかる。
「またお前か、しつこいな。だから、お前なんてお断りなんだよ、お嬢さん、逃げたほうがいい」
その傷ついた騎士、ルクス・プリフィカントは、仇敵を前にしてそう言い放つが、エクレールとしても、愛虎を傷つけられた状態で、黙っている訳にはいかない。
「君の方こそ、逃げた方がいい。これでも鍛えているんだ。私はエクレール。聞いたことはないかな?」
「エクレール……、ユーミルの最前線の領主殿か?」
「そういう君は?」
「俺の自己紹介は後だ。エリゴルが待ってくれないらしい」
そう言って、ルクスは目の前の悪魔の模倣者を睨みつける。この瞬間、エクレールも、自分の目の前にいる人物が、悪名高き「サンドルミアのエリゴル」であることを察し、自分が「サンドルミア陣営内の抗争」に巻き込まれつつあることを理解する。それに対して、当のエリゴルもまた巨大槍をエクレールに向けて掲げながら、彼女に対して語りかける。
「ユーミルの領主か。そいつを置いてってくれねえかな?」
「悪いが、答えはNOだ」
エクレールがそう言うと、エリゴルはその槍で今度はエクレールを、変則的なモーションで貫こうとするが、彼女はそれをひらりとかわす。
「ほう、やるな?」
「今、フェイントかけたつもりだったみたいだけど、見え見えだよ。あなた、修行が足りないんじゃない?」
そう言いながら、今度はエクレールが踏み込んで、二本の短槍を同時に用いる独特の戦技でエリゴルの体に向けて突き立てる。更に、そこにルクスが自身の聖印の力を注ぎ込んだことで、その短槍の威力は更に増幅された。
「なかなかやるじゃねえか。騎乗戦術の使い手だと思っていたが、降りても戦えるとはな」
「一応、そういう訓練も受けててね」
エクレールはそう言ってはみたものの、やはり虎から降りた状態での戦いでは、彼女の本領は発揮出来ない。とはいえ、彼女の愛虎は既に遠くに弾き飛ばされた状態である上に、先刻の攻撃で重症を負っている以上、ここはこのまま応戦するしかない。ルクスの聖印による援助もあり、彼女は立て続けに次の一撃をエリゴルに食らわせようとしたが、それは間一髪のところで避けられてしまった。
「では、そろそろ行かせてもらおうか」
エリゴルがそう言って巨大槍を構え直すと、そこから禍々しいオーラが広がり始める。しかし、次の瞬間、彼の後方から、少女の声が聞こえてきた。
「ダメだよ」
それは、黒いフードを被った、小柄な少女のような姿であった。
「深追いはダメ。それに、そろそろ時間。エリゴル、戻って」
「あぁ? なんだよ、これからって時に」
そう言いながらも、エリゴルは巨大槍を収める。状況がよく分からないまま、エクレールも両槍を収めた。
「アレの調整が必要」
少女がそう言うと、エリゴルは舌打ちしながら、エクレール達に対して背を向ける。
「まぁいい、その命は預けておくぜ」
そう言って、彼等はその場を去っていき、事態を把握出来ない状態のままのエクレールも、ひとまずこの場は深追いせずにそのまま二人を見送る。そんな彼女の傍らで、重症に堪えながらも立ち続けていたルクスは、彼等が去ったことを確認すると、思わず安堵して膝をつき、そして徐々に意識を失っていく。
(あの少女は確か、パンドラの……)
薄れゆく意識の中で、ルクスはその少女のことを思い出す。彼女の名はエティア。ルクス達の主君であったユースベルグ男爵を唆し、瞳攻略へと向かわせたパンドラの魔法師の一人であった。
2-1、領主達の帰還
エクレールが、意識を失った状態のルクスを連れて城へと帰還すると、ゲオルグとラファエロは、訝しげな表情で彼女を迎える。
「何なのーね? どうしたのーね?」
「ちょっと、人助けをね」
「また厄介ごとを持ち込んだのであーるか?」
「皆さんには、迷惑をかけないようにしますから」
エクレールは苦笑いを浮かべながら、ひとまずルクスを客室へと運び、配下のエルミナ・ワイズウッド(戦記データブックNPC)に治療を任せた上で、自分の見てきた状況を、応接室に居座っているゲオルグとラファエロに説明した。
「サンドルミアの残党か。また面倒なことを。で、お前はそれをどうしたいのーね?」
「とりあえず、話を聞かなければ」
「確かに、情報は大切であーるからな。しかし、彼はあの魔城を出現させた者の一味であーるぞ、それは分かっているであーるか?」
「えぇ、それはもう」
「ならばいいのであーるが」
そう言いながら、ゲオルグはカップをとんとんと叩く。エクレールはその意図を察すると、自ら彼等のために紅茶を煎れ始める(ただし、彼女は基本的に不器用なので、彼女の淹れる紅茶はあまり旨くはない)。
ミカエラは、そんな彼等の様子を応接室の外から見ながら、怒りのあまり自らの身体能力を強化する魔法をかけて彼等に殴りかかろうとするが、後方から、そんな彼女の首根っこを掴む者が現れる。村の聞き込み調査から帰ってきたジェラールである。ミカエラは、持ち上げられた状態のままジタバタと抵抗するが、ジェラールの握力を振りほどくことは出来ない。
「おねーさまー!」
「お前は、頭を冷やしてこい」
そう言って、ジェラールはミカエラを城の外に向けて放り投げた。無頼の自由騎士である彼は、貴族達の間の上下関係などとは無縁な人生を送ってきた身だが、彼等の中でそれが重要な意味を占めていることは知っている。自分の雇い主であるエクレールの不利益になるような行為に走ることは、たとえエクレールの契約魔法師であろうとも、見逃す訳にはいかなかった(そして、ミカエラの身体能力であれば、外に投げ飛ばされたところで平気なことも分かっている)。
そして、上役二人への報告を終えて、応接室を出てきたエクレールに対して、ジェラールは問いかける。
「エリゴルって奴を見つけたのか?」
話を中途半端に立聞きしていたジェラールとしては、彼等への報告の中で、その名前が出てきたことが気になっていた。なお、彼は雇い主に対して、公の場ではなるべく敬語を使おうとはしているが、他に誰もいない場では、このように「素」の口調となってしまうことが多い。そして、エクレールも特にそのことを気にしてはいなかった。
「それっぽい人は見つけた。どこかに行ってしまったけど」
「奴は危険だ。とりあえず、怪我がなくて良かったが、しばらく、俺はあんたと一緒に行動した方がいいかな」
「そうね」
二人がそんな会話を交わしている中、もう一人の騎士であるグリップスもまた、城下町の聞き取り調査から帰還する。
「あ、おかえり、グリップス」
「なんかさっき、賑やかなのが投げ出されてましたけど」
どうやら、ちょうどミカエラが放り出されたタイミングで城に到着したらしい。こうして、外から戻ってきた二人の部下が、それぞれに失踪事件について聞いた情報をエクレールに伝えると、彼女は深刻な表情を浮かべつつ、それらの事件がサンドルミアや魔城の動向と連動しているのではないか、と考え始める。
「とりあえず、私はあの人に話を聞いてくる」
そう言って、エクレールがルクスのいる客室へと向かおうとすると、放り出された城の外から戻ってきたミカエラが走り寄ってきた。
「私も、お姉様と一緒に……」
「お前はこっちに来ておけ」
ジェラールが再び彼女の首根っこを掴み、エクレールから引き離す。直感的に、彼女を同行させると面倒なコトになるのではないか、とジェラールは読み取っていたのである。そして、くしくもその予感は的中することになるのであった。
2-2、饒舌なる亡命者
「お客様が、お目覚めになられましたよ」
エクレールが客室の前に来たところで、その客室から出てきたエルミナが彼女にそう告げると、エクレールはそのまま扉をガラッと開けて、中に入る。
「君は、あの時の……」
ベッドから半身起き上がった状態のルクスがそう言うと、エクレールは笑顔を見せる。
「さっきは支援ありがとね。半日くらい寝てたけど、大丈夫?」
「あぁ、今は素晴らしい心地だ。何より、君に会えたことが素晴らしい」
ルクスは穏やかな笑顔を浮かべながら、意味深な口調でそう告げる(注:ルクスには妻子がいる)。突然、そんなことを言われたエクレールが困惑していると、次の瞬間、客室のドアが何者かの手によって破壊される。ミカエラである。彼女は奇跡的な聴力によってルクスの発言を聞き取り、「お姉様の危機」を察して、ジェラールの制止を振り切って、走り込んできたのである。
だが、ここで彼女が外からドアを破壊したことで、必然的にその欠片がエクレールに向かって飛び散ろうとする。それに対して、ルクスがエクレールを庇うように彼女の身体を自分の手元に抱き寄せた。その姿を見たミカエラは、更に怒りの炎を燃やす。
「あなた! お姉様から離れな……」
「お静かにして下さいね」
エルミナがそう言いながらミカエラとルクスの間に割って入ったことで、ミカエラはかろうじて冷静さを取り戻す。そして、彼女を追って走ってきたジェラールが部屋に到着すると、その中の様子から、大体の事情を察する。
「すまない、こいつは俺が連れていく。ただ、こいつを刺激するような行動は控えてくれると助かるな」
ルクスに対してジェラールはそう言うが、ルクスは首を傾げる。
「はて? 『刺激するような行動』とは?」
「そういうことだよ」
どさくさ紛れにエクレールに抱きついたままのルクスに対して(注:ルクスには妻子がいる)、ジェラールは呆れた口調でそう告げる。その横で、ミカエラがなおも怒りに震えていると、ルクスは彼女に対しても、爽やかな笑顔でこう告げた。
「かわいいお嬢さん、そういった顔は似合いませんよ」
(注:ルクスには妻子がいる)
当然、そんな言葉は火に油を注ぐだけで、ミカエラの表情は更に険しくなるが、またしてもジェラールが首根っこを掴み、部屋の外に放り出す。その上で、ジェラールはエクレールとルクスに向かって問いかけた。
「紹介を、お願い出来るかな?」
それに対して、ルクスはベッドから降りて、騎士としての儀礼的な作法で答える。
「これは失礼しました。私はサンドルミアに仕えている騎士の一人です。『元』と付けた方が良いかもしれませんが」
彼がそう言ったところで、今度はまた別の人物が、壊れた扉から入ってきた。ゲオルグとラファエロである。
「なんだね? 凄まじい音が聞こえたのであーるが」
「まったく、やめてほしいのーね」
その後方には、苦い表情を浮かべたグリップスの姿も見える。
(また厄介なことになりそうだな)
状況がよく分からないまま、そんなことを思っていたグリップスであったが、ルクスはひとまず、隣にいたエクレールに尋ねる。
「この方々は、どなたでしょう?」
「こちらがゲオルグさん」
そう言って彼女がゲオルグを指すと、ルクスは大仰に驚いたような表情を浮かべる。
「おぉ、ユーミル男爵領にこの人ありと言われたゲオルグ様ですか!」
「うむ、サンドルミア人にしてはよく分かっているのーね。お前は認めてやるのーね」
そう言いながら、ゲオルグはふんぞり返るように胸を張る。
「で、こちらはラファエロさん」
「なるほど、あなたがラファエロ殿でしたか! お噂はかねがね伺っております」
「ふむ、やはり我輩の名は、他国にも響き渡っているのであーるか」
こうして、二人があっさりと気分を良くしたところで、話は「本題」に入っていく。
「で、なんでこっちに来たのーね?」
「実は、私と同志達はサンドルミアの瞳に突如現れた魔城に囚われていたのですが、そこから逃げ出してきたところです。今、魔城では、魔王の指揮の下、異界の兵器と思しき何かを作っています。それが完成したら、対抗手段がなくなるかもしれません」
実際のところ、それが「異界の兵器」なのかどうかは、ルクスには分からない。ただ、そう言っておいた方が、危機感を煽ることが出来ると考えたのだろう。
「ふむ、思ったより事態は深刻であーるな」
「えぇ、ですから、我々は魔王城から抜け出し、近隣諸国に兵を出してもらうために来たのです。私はこのユーミルへの交渉役として参りました」
「では、他の国にも行っているのであーるか?」
「はい、アストロフィとウィステリアにも」
「ふむ、ユーミルでも魔城の対策を講じてはいるが、どうやら急いだ方が良さそうなのーね」
「えぇ、その通りです」
「だが、我々は他国と協力するつもりはないのであーる。魔城攻略はユーミルだけで十分なのであーる。まぁ、貴様も個人としてユーミルに協力するというのであれば、歓迎はするが」
予想通りの反応であったが、ルクスとしても、ここで引き下がる訳にはいかない。
「長年のしがらみで他国との共闘が難しいのは重々承知しています。とはいえ、バルレアの跡地にあるのは、強力な混沌核を宿した異界の投影隊です。侮ってはなりません」
「確かに脅威ではあーるな。しかし、我々は混沌を操る野蛮人と共闘する訳にはいかないのであーる。とはいえ、怪我が治るまでは、こちらで匿おう」
そう言って、ゲオルグとラファエロは部屋を出ていこうとするが、そこでエクレールが呼び止める。
「ゲオルグ様、ラファエロ様」
「なんであーるか?」
「この件は私におまかせいただけますか? お二人は忙しいでしょうし」
「ふむ、確かにここはお主の領土であーるからな。しかし、報告を怠るなよ。立場上、こちらが『上』であることは重々承知であーるな?」
「はい、それは勿論」
「それならばいいのーね」
こうして、二人は部屋から去って行く。最初から覚悟していたとはいえ、ルクスはユーミルとの同盟交渉の難しさを改めて実感する。
「これが、俺達の傲慢のツケというものだな……」
ボソッと呟くように彼はそう言ったが、それに対して誰かが反応する前に、壊れた扉の外でミカエラが叫ぶ。
「おねーさまー、私も中に入れてくださいー」
既に扉が壊れているので、入ろうと思えば入れるのだが、一応、許可があるまでは入ってはいけないと考えているらしい。ひとまずエクレールが彼女の入室を許可すると、ミカエラは飛び込んできてエクレールに抱き付くが、その直後にまたジェラールによって引き離される。
「ミカエラさん、一つお願いしていいかしら?」
エクレールにそう言われると、ミカエラは目を輝かせて答える。
「なんですか? なんなりと!」
「扉の外の警護をお願い。これから話すことを、誰かに聞かれたら困るから」
そう言われた彼女は、ショボンとした表情で、やむなく扉の外に出る。そして部屋の内側から、エルミナが、近くにあった物を立て並べて、バリケードのような形で扉を覆うことで、外に対して声が漏れにくい環境を作り上げた。
「彼女は、大丈夫なのか?」
自分が原因であることを知ってか知らずか、ルクスはそう問いかけるが、エクレールは笑顔で答える。
「大丈夫よ、彼女、芯はしっかりしてるから」
2-3、女領主の判断
「さて、どうするつもりです、エクレール様?」
ジェラールがそう問いかけると、エクレールはルクスの方を見ながら答える。
「確かに、他国との協力は必要だとは思う。でも、君が協力に価する人物かどうかはわからないんだ」
「まぁ、まだ会ったばかりだからね」
ルクスは素直に納得したような口調でそう答えるが、それ以上に、先刻からの彼の言動に対して、どこか「胡散臭さ」を感じているのは、この場にいる者達の共通認識であろう。
「では、どうやってその判別を?」
改めてジェラールがそう聞き返すと、エクレールはルクスの方を向いたまま答える。
「とりあえず、あの邪紋使いはもう一回、ここに来ると思う。確実に。君を狙ってね」
そう言われたルクスは、素直にそれに同意する。
「えぇ、あそこまでしつこいのですから、そう簡単に諦めてはくれないでしょう」
「その邪紋使いとの戦いで、君を評価したい」
「つまり、私にその戦いで実力を立証することで、信頼を示せと」
「そう。無論、私達も君と一緒にあの邪紋使いと戦うつもりだが、その戦いの中で君が信頼できると分かれば、以後も私は文字通り、君の『槍』となろう」
ルクスとしては、是非もない話である。彼は支援型の聖印の持ち主であるため、自分一人でエリゴル達の相手をしても、到底勝ち目はない。当初の想定通り、ユーミル全体の支援を勝ち取るのは難しそうな状況ではあるが、それでもこうしてエクレールが個人として協力してくれるようになったことは、彼にとっては大きな前進である。そして、協力する姿勢を示してくれたのは、彼女の傘下の二人の騎士達も同様であった。
「俺もそれは賛成だな。奴は失踪事件にかかわっているかもしれない」
「私も、私の前で誰かを傷つける訳にはいかない」
ジェラールとグリップスがそう言うと、エクレールは静かに頷く。そして、ジェラールの言う「失踪事件」という言葉に、ルクスが反応した。
「その失踪事件の話、詳しく聞かせて欲しい。参考になるかは分からないが、心当たりはある」
ルクスがそう言ったのに対して、ジェラールとグリップスが一通り説明すると、ルクスは改めて、魔城の状況について彼等に伝える。
「魔王の城に残された者達は、異界の兵器か何かの製造作業を強制させられている。だから、誘拐するとしたら、その労働力として使役するためかと思ったのだが……、三歳の子供までもが誘拐されたということは……」
それに対して、エクレールは「最悪の可能性」を想定する。
「『供給源』かもしれないな、異界の兵器の動力の」
「人の命を?」
「考えられない話ではない。まぁ、三歳の子供を育てて、洗脳した上で、兵士として活用する、という可能性もあるけど」
実際のところ、そのような魔法が存在するのかどうかについては、魔法師でもない彼等には分からない。そして、この城で唯一の魔法師であるミカエラは部屋の外にいるのであるが、彼女は自己強化能力一辺倒の魔法師なので、あまりその手の知識に精通しているとも思えない。
「どちらにせよ、連中が人を攫っているのなら、それを集めている隠れ家のような場所があるのかもしれない」
ルクスがそう言うと、エクレール達も同意し、まずは城下町の近辺を捜索する、という方針で一致する。ただ、エクレール自身は方向音痴ということもあり、自分自身がその方面では役には立てないことを自覚していたため、やや表情が暗くなる。
「どうかしたのかい? 顔色が悪いようだが」
そんな事情を知らないルクスは、そう言いながら顔を近付けてくる。
「いや、別に何もないよ」
「疲れているのかな?」
そう言って、ルクスがエクレールの額に手を当てると、扉(の代わりのバリケード)の隙間から中の様子を密かに伺っていたミカエラが、再び激しい憎悪の炎を燃やしていることに、ジェラールは気付く。
「だから、そういう行為は……」
「いや、私はただ領主殿の体調を……」
またしても面倒な状況になりそうな空気の中、エクレールは会話の流れを変えようとする。
「そういえば、さっきもう一人、女の子がいたね」
ルクスはその言葉を聞いて、深刻な表情を浮かべる。
「彼女はパンドラに所属する闇魔法師だ。名は、エティア。召喚魔法を使っていたが、何者なのかはよく分からない」
見た目は幼い少女だったが、魔法師の中には己の姿さえも自在に変化させる者もいる以上、油断は出来ない。ましてや、異界に精通した召喚魔法師である彼女は、今回の魔王降臨に至るまでの計画の中核に関わっている、相当な大物である可能性が高い。その意味では、エリゴル以上に警戒すべき人物と考えておくべきであろう。ちなみに、ルクスの記憶では、彼女は最近「地球」と呼ばれる異世界の書物を読み込んでいたようだが、それが何のための書物なのかまでは、魔法師ならざる身である彼には分かる筈もなかった。
2-4、馬車と悪魔
こうして、彼等はひとまず「黒い馬車」と「エリゴル」の隠れ家に繋がりそうな情報を、改めて収集して回ることになった。
ジェラールは、こういった情報はカタギの者達よりも無法者の連中の方が詳しいのではないかと考え、下町の裏路地近辺を根城とするガラの悪い連中の溜まり場へと向かう。その上で、彼等をあえて挑発し、拳を交えることで友誼を交わした上で、一通り互いに満足したあたりで、彼等に「黒い馬車」と「悪魔のような風貌の者達」についての話を聞いてみた。
「そういう連中なら、たまに見るぜ。夜中に馬車に乗り込んでる様子を見かける。その中には、そのエリゴルとかいう奴っぽい男もいた。そういや、その時に俺と一緒に行ったダチが、何人か最近見なくなってるな」
どうやら彼等の間での「ダチ」とは「一度、拳を交えた相手」という意味であり、その「ダチ」の何人かがいなくなったところで、彼等の中ではさほど大きな問題ではないらしい。いずれにせよ、これで「エリゴル」と「黒い馬車」が繋がった関係にある可能性が高い、ということをジェラールは確信する。
******
一方、グリップスは、先刻の子供達に改めて接触した上で、彼等から話の出所についてもう一度詳しく聞いて回ると、どうやら、孤児院の子供達がその発生源らしい、ということを突き止める。グリップスはその孤児院へと足を運び、院長のシスター・マリアンヌ(戦記データブックNPC)から話を聞いてみることにした。
「ウチの子供達もやんちゃで、よくあちこちを歩きまわっているのですが、その中の何人かが、『悪魔を見た』と言っていました。しかも、夕刻とはいえ、まだ人が普通に活動しているような時間に、です。ただ、その話が子供の間でしか広がっていない、というのが妙ですね」
その話を聞いたグリップスは、一つの仮説に辿り着く。
「もしかしたら、悪魔を見た大人達は、軒並み攫われている、と?」
子供の中にも攫われている者はいるらしいが、小柄であるが故に隠れてやり過ごすことが出来た者もいるだろう。だが、大人の場合、それは難しい。
「そうですね、あるいは『まじない』のようなものを使っているのかもしれません」
「まじない?」
「まぁ、私はそういうことに詳しくはないですし、『専門の人』の話を聞いた方がいいような気はするのですけど、この国ではなかなか難しいところで……」
マリアンヌが言うところの「まじない」とは、いわゆる「魔法」のことである。聖印教会の一員である彼女としては、あまり公に「魔法師に助力を求めるべき」とは言えないので、そのような隠語を用いているのだろう。グリップスはその意図を理解したが、現状、この城下町で唯一の魔法師に、そこまでの知識があるかどうかと考えると、どうにも難しいように思えた。
******
その頃、その「この城下町で唯一の魔法師」は(あまり魔法師自体が尊敬されていないこの国では、自分が聞き取り調査に出ることは向いていないと考えたようで)、ひとまず、これまでに得た様々な目撃情報から、「悪魔の力を模した邪紋使い」としてのエリゴルの能力について解析していた。
エクレールの愛虎やルクスの身体に残っていた傷跡などから推測するに、エリゴルは強力な毒を使う邪紋使いであることが想像出来る。そして、ここまで強力な毒を用いる悪魔は、自分自身も毒への耐性が強く、そして多彩な攻撃手段の持ち主であることが、彼等の目撃情報から推測出来た。彼が着込んでいたという禍々しい形状の鎧も、相当に硬度の高い装甲であることは間違いないだろう。
ただ、そのようなタイプの邪紋使いは、自分の身体そのものを削って相手を傷つける能力の持ち主であることが多く、あまり長期戦には向かない、ということも推察出来る。とはいえ、長期戦に持ち込むことが許される状況かどうかはその時々の戦況次第であるし、このような短期決戦特化型の悪魔は、それを補助する能力を持つ誰かと手を組むことによって、更にその力を発揮することになるであろうことも予想出来る。その意味で、非常に厄介な存在であることは間違いなかった。
2-5、一瞬のやすらぎ
こうして、部下達がそれぞれの得意分野で、情報の収集・解析に勤しんでいる中、エクレールも自力で何かを調べようかと試みたが、やはり(この地の領主であるにも関わらず)土地勘の弱い彼女は、何も有益な情報を得られなかった。
失意のうちに帰城したエクレールに対して、ようやく傷の癒えたルクスが声をかける。
「申し訳ありませんが、Lady、この辺りを案内していただけませんでしょうか?」
先刻までとは明らかに異なる口調の紳士的な物腰で、彼はそう依頼した。なお、余所者であるルクスには、この町の中を案内されたところで、何か情報を得られるアテがある筈もない。これは純粋に(契約魔法師の少女がいない間に)エクレールと「二人きりの時間」を楽しみたいという彼の私欲の発現である(注:ルクスには妻子がいる)。
「いいわ、私でも、城下町の中くらいまでは分かるから」
どうやら、彼女の方向感覚が有効に機能するのは「城壁の内側」までらしい。彼女はルクスの下心を知ってか知らずか、言われるがままに町の中を案内して回った。
「なるほど、いい街ですね」
「悪政はしない、という約束だからね」
それが「誰との約束」なのかについてはエクレールは何も言わなかったが、ルクスの方も、そこまで踏み込んで聞こうとはしなかった。
「君主の本来の役目は、こうして街を守るだけで十分なのかもしれませんね」
しみじみとルクスがそう呟くと、エクレールは思い出したかのように問いかける。
「そういえば、『向こう』の様子を、差し支えなければ教えてほしいんだけど」
そう言って、彼女は魔城の方角に視線を向けると、ルクスは自分が魔城内で見てきた悲惨な様相を細かく教える。
「なるほど、辛い話だね」
「いえ、当然の罰が降っただけかもしれません」
「罰?」
「我々は、本来敵対関係であるパンドラの者達の手を借りて、電撃作戦を決行しました。そこに野心があったことは否定できません。その野心のツケを払わされただけでしょう」
「そっか。そちらの事情もよく知らないまま、あの二人がイヤなことを言ってしまったわね」
上役二人のことを思い出しながら、エクレールは申し訳なさそうにそう告げる。
「いえ、仕方ないことです。今回の事態を招いたのは我々ですし。だからこそ、命をかけてこの事態を解決すべきだと考えています」
「私としても、出来れば協力はしたいかな」
それは、この城下町を守る者としての疑い無き本音である。とはいえ、本当にアストロフィやウィステリアとの共闘が可能かどうかについては、彼女もまだ半信半疑であった。
「あなたは本当に優しい人ですね。まぁ、あまり暗い話ばかりしていても何ですし、あそこの店にでも入りませんか?」
「えぇ、そうね」
そう言って、二人は町の外れの喫茶店に入り、互いの身の上話などを語り合いながら、優雅にティータイムを楽しむ。だが、そんな二人の「一瞬のやすらぎ」は、すぐに打ち壊されることになる。
2-6、哀しき再会
突然、城下町の人々がざわめき始める声が、エクレールとルクスの耳に届いた。二人がその声のする方へと向かうと、そこには「黒い馬車」が現れ、そしてその中から、一人の女性が姿を現わす。ルクスは彼女に見覚えがあった。
「あれは、レト? なぜここに……? すみません、少々様子を見てきます」
そう言って、人混みをかき分けてルクスは彼女のいる方向へと向かう。そんな彼の後ろを、少し遅れてエクレールもついて行った。
ルクスがレトの目の前に姿を現わすと、彼女は複雑な表情でルクスに語りかける。
「ルクス、お久しぶりです」
「なぜ君がここに? 自力で脱出を?」
「それは私の方から聞きたいことでもあります。あなたのことですから、察しはつきますが」
回りくどい言い方でレトがそう問い返したのに対し、ルクスがどう答えるべきか迷っていると、彼女は哀しそうな瞳を浮かべながら、最初のルクスの問いに対して(というよりも、彼が聞きたかったことに対して)婉曲的に答える。
「私は、変わり果ててしまったとはいえ、一度忠誠を誓った身として、『あの方』を見捨てる訳にはいきません。それに、『あれ』に勝てるとも思えません……」
「そうか、君はそういう選択をしたのか」
「えぇ、でも、あなたはそうではなかったのですね」
「あぁ」
「あなたの言いたいことも分かります。ですが、もう一度考え直してはみませんか?」
「何をどう考え直せと?」
そう問い返したルクスに対して、レトの表情は更に沈んでいく。その様子を見て、ルクスは丸腰の状態のまま近寄り、正面から彼女を強く抱き締める(注:ルクスには妻子がいる)。
「君が今、どういう思いでここに来ているのか、正確なことを知らない僕は分からない。でも、そんな顔は君には似合わないよ」
その一言で、彼女の瞳が一気に潤み始める。
「私も出来れば、あなたと共にいたかった……」
彼女がそう言った直後、馬車の中から、エリゴルが姿を現わす。
「お、どうした? 交渉決裂か?」
この瞬間、後ろから密かに見ていたエクレールが、手持ちの笛を吹いた。その音は城下町中に広がり、街の各地でそれぞれの調査に従事していたミカエラ、ジェラール、グリップスが、その音のする方向に向かって走り出し始める。
その音に周囲がざわつき始める中、レトはエリゴルに対して気丈に言い放つ。
「下がっていて下さい! 手出しは無用です!」
そして、ルクスもまた、心底うんざりした視線をエリゴルに向ける。
「おいおい、またお前か? いい雰囲気なんだから、今はご退場願おう」
「面倒くせえやつだな。気に入ったなら、その場でヤればいいだろうが」
エリゴルはそう言い返した上で、改めてレトとルクスに対して挑発するような表情を浮かべながら語りかける。
「逃げ出した奴が、今更戻ってくる訳ねえだろうが。なぁ、そうだろ?」
「ああ。俺達はあの時、間違えたんだ。そのツケは払わなければならない。お前はそちら側に魂を売ったようだが」
ルクスが強い決意の表情でそう答えると、エリゴルはせせら嗤うような顔で答える。
「俺はただ、強い奴につくだけだ」
「それも合理的な生き方だな。だが、その生き方には気品が足りない」
「やはり、お前とは気が合わないな。ただ、今は手出しをしねぇよ。約束は守るからな。レト、交渉決裂だ。さっさと戻るぞ」
エリゴルはそう言って、馬車の中へと戻ろうとする。それに対して、ルクスは一瞬ためらいつつ、レトの両腕を離し、そしてこう告げた。
「たとえお互い、どういう立場であっても、俺は君の味方だよ」
それに対して、レトが何かを答えようとしたところで、ミカエラ、ジェラール、グリップスが到着する。
「おねーさまー!」
「ご無事ですか!?」
「ここで一体、何を?」
その状況に対して、馬車の奥からエティアと思しき声が聞こえてくる。
「エリゴル、そろそろいくよ」
「しゃーねー、今は戦うつもりはない。追ってくるのは自由だがよ」
煽るようにそう言ったエリゴルに対して、エクレールは冷静に答える。
「追いはしませんよ、とはいえ、我々の領地に無駄に入ったこと、私たちは忘れはしません」
本来ならば、この場で彼等を成敗すべきなのだが、現状、彼女達の周りには兵士達は不在で、代わりにこの場に集まっているのは、町の一般市民達である。この場で戦端を開くには、あまりにも危険性が高すぎた。
「領地ねぇ、そんなものにこだわっていた時期もあったな。まぁ、その礼は今度たっぷりしてやるよ」
エリゴルはそう言い捨てた上で、レトをやや強引に馬車に連れ戻し、そのまま彼等を乗せた黒い馬車は走り去っていく。ただ、その馬車の通った後には、轍も蹄の跡もない。どうやら、あの黒い馬車は「馬車の形状をした特殊な飛行乗騎」のようである。それを見たグリップスは、あらためてマリアンヌが言っていた「まじないの類いかもしれない」という言葉の意味を、改めて深く実感するのであった。
2-7、上級騎士達の思惑
そんな最前線の城下町での異変の報告が、そこから少し後方に位置する砦へと戻っていたゲオルグとラファエロの耳にも届いていた。
「なかなか騒がしいのーね」
「連中も色々ごちゃごちゃやっているであーるな」
そう言いながら、彼等は手元の書類に目を通し、ニヤリと笑う。
「ふむ、これだけあれば問題はないのーね」
「我々の天下も時間の問題なのであーる」
二人は下卑た笑みを浮かべながら、お気に入りの紅茶を口元へと運びつつ、部下を呼び、最前線の砦への手紙を手渡すのであった。
3-1、出頭命令
翌日、エクレールに対して、ゲオルグとラファエロからの書状が届いた。彼等の現在の居城である後方の砦に、彼女一人で非武装状態で来るように、とのことである。
どうやら彼等は、エクレールが、魔城からの脱走者と手を組んで謀反を企んでいるのではないか、という嫌疑をかけているらしい。昨日の時点で、城下町でエリゴル達と遭遇しながらも手出しをせずに見送ったこともまた、その容儀の根拠として挙げられており、その他にも、部下であるミカエラのこれまでの諸々の不始末(というほどでもない些細な失態)なども、その嫌疑の理由として書き並べられていたが、どう見てもただの難癖である。
しかも、その命令に従わなかった場合、エクレールを反逆者とみなして討伐する、とまで書かれていた。無論、それはエクレールが武装して来た場合や、部下を引き連れてきた場合も同様、とのことである。
あまりに唐突な内容に彼女達が困惑しているところに、今度は更に後方の大本営からの使者として、騎士のベルカイル・ストーンウォール(戦記データブックNPC)が到着する。彼が言うには、これから三日後に、彼等の主君であるユーミル男爵ユージーン・ニカイド(公式NPC)がこの地を訪問する、とのことである。どうやら、最前線の視察に来るつもりらしい。
当然、この話はゲオルグとラファエロにも伝わっているだろう。どうやら、彼等としてはその前に「エクレールの疑惑」にまつわる問題を、彼等の独断で「解決」したいと考えているようである。
エクレールは皆を集めて対応を協議しようとするが、これに対して真っ先に口を開いたのはルクスであった。
「その文面からは、いささか悪意を感じます。彼等はあなたを害そうとしているのでは?」
部外者だからこそ、率直に言いたいことが言えるのが現在の彼の立場である。当然、他の者達も内心では同じことを考えていた。
ちなみに、ジェラールは前々から、あの二人が何らかの陰謀を企んでいるのではないか、という噂を耳にしていた。一方、グリップスは、昨日の時点で城内に配備されている兵達の一部が、ゲオルグ達の独断によって彼等の城へと転属させられていたことに気付いている。これは、どう考えても「対エクレール戦」を想定した準備としか思えない。
このような状況下において、彼等の言う通りに一人で、しかも丸腰で彼等の砦に赴くという選択肢はありえない。エクレールがいかに弁明したところで、彼女の言い分を彼等が聞き入れるとは思えない以上、もはや彼等とは雌雄を決する他に道はない、という決意を彼女は固める。そうなると、彼等の先手を打って動いた方が良いだろうが、彼等の砦は既に戦闘態勢が整っている可能性が高いので、兵を率いて正面から乗り込んでも勝算は低いであろうし、エリゴル達がいつ再び動き出すかも分からないこの状況で、彼等に籠城戦を決め込まれては厄介である。
なお、これまで彼等の世話をさせられていたミカエラが知る限り、ゲオルグは対混沌戦の能力に特化した騎士であり、ラファエロはルクスと同じ友軍補助を得意とする聖印の持ち主である。つまり、いずれも「騎士対騎士の一騎打ち」には向かないスタイルである以上、騎士としての聖印の格は彼等の方が上ではあるが、兵に守られぬ状態での直接対決であれば、エクレールにも十分勝機はある。
よって、ここは今夜中に彼等の砦に忍び込み、奇襲で彼等との直接対決に持ち込むのが得策、という結論に彼女達は行き着いた。騎士として、あまり褒められた戦法ではないが、相手が露骨に騎士道に反した手法で自分を追い詰めようとしている現状において、そんな悠長なコトを言っていられる余裕は、今の彼女達にはない。
今から彼等の砦に向かった場合、辿り着く前におそらく陽は落ちる。方向感覚に難のあるエクレールにとっては不安材料であるが、彼女の愛虎は夜目が効くため、彼に任せれば問題ない。そして当然、この場にいる者達も、誰一人として、彼女を一人で行かせるつもりはなかった。
3-2、真夜中の奇襲
その日の夜、ゲオルグとラファエロは、縞模様の寝間着に身を包みながら、就寝前のティータイムを楽しんでいた。
「んー、これであの目障りな小娘も消せるのであーる」
「なんだかんだでイチャモンをつけて、こちらで始末してしまえば問題ないのーね」
「ユージーン殿には、事後報告で問題ないのであーる」
「魔城からの逃亡者も来ている。都合がいい状況なのーね」
「奴らは魔城の連中と話をしていたようであーるからな」
「こちらの権限は我々の方が強いのーね。どうとでもなるのーね」
満面の笑みでそう語り合う二人出会ったが、次の瞬間、窓の外から不審な声が聞こえる。
「いいことを聞いた。では、ユージーン殿には事後報告でいいな」
そう言って、窓の外から完全武装の状態で飛び込んで来たのは、ジェラールである。
「お前、なぜここに? 明日来るように言った筈なのーね」
「そのための予行演習さ」
「うむ、確かにリハーサルは大事であーるが、そんなこと言ってる場合ではないのであーる! というか、そもそもお前は呼んでないのであーる!」
そして次の瞬間、虎に乗った&color(blue){エクレール}が突入してくる。
「お前、一人で来いと言ったのーね!」
「あら? でも、この『一頭』は含めなくていいよね?」
「それは『武装』なのであーる!」
「どっちにしても、仲間を連れてきてる時点で、軍規違反なのーね!」
彼等がそう言っている間に、更に続いてグリップス、ミカエラ、そしてルクスも侵入してくる。
「ええーい、衛兵! 衛兵はまだか!」
ラファエロはそう叫ぶが、二人は落ち着いてティータイムを楽しむために、この時間帯は彼等を寝室から遠ざけていた。これもまた、今まで彼等の接待をさせられていた(それ故に彼等の生活スタイルを熟知していた)ミカエラの想定通りの展開である。
衛兵達が来る前に終わらせたいと考えていたエクレールは、ラファエロに対して二本の短槍を突き立て、更にルクスが聖印の力でその双槍の威力を増幅させるが、ラファエロも自らの聖印の力で防壁を築き、深手を負いながらも、かろうじて倒れずに踏み留まる。
それに対して、今度はゲオルグが彼等から距離を取りつつ、ジェラール、グリップス、ルクスに対して聖印の力を用いた光弾の攻撃を放ち、更にその力をラファエロが増幅させる。それは絶大な威力であったが、「守り」に特化した聖印の持ち主であるグリップスがルクスを庇いつつ、ジェラールに対しては聖なる防壁を作り出したことで、どうにか三人とも持ちこたえる。だが、さすがにグリップスはその身に深手を負ってしまう。
そこへ、更に止めの一撃を放つべく、ラファエロの聖印の力で急速展開する能力を得たゲオルグが同じ光弾を解き放とうとしたが、次の瞬間、その光弾は瞬く間に消散してしまう。ルクスが、自らの聖印の力で、ゲオルグの聖印の力そのものを打ち消したのであった。
「妨害とはずるいのーね」
「さっき助けてもらった以上、今度は私が彼を助けなければな」
グリップスを見ながらルクスがそう言っている間に、その傍らからミカエラが己の拳に周囲の混沌の力を集め、全力をこめてラファエロに必殺の一撃を叩き込む。その拳は彼の身体を完全に貫き、ラファエロはその場に崩れ落ちる。
「ラ、ラファエロ!」
狼狽したゲオルグがラファエロに駆け寄ったところで、ジェラールがその首元に背中から剣を突きつける。
「不意打ちとは卑怯なのーね!」
ゲオルグはそう言って睨みつけるが、この状況ではもはやどうにもならない。遅れてかけつけた衛兵達も、目の前の状況に困惑して何も出来ない状態のまま、ミカエラがゲオルグと(まだかろうじて息のあった)ラファエロを縄で縛り上げて拘束する。こうして、エクレール達の奇襲作戦は、彼女達の完全勝利に終わった。
3-3、男爵の思惑
そして、エクレールがゲオルグ達の詰問を開始しようとしたその時、混乱した兵士達の後方から、一人の男の声が響き渡る。
「ふむ、やれやれ、少し様子を見ておこうとは思いましたが、なんたる体たらく。私は『協力しろ』と言った筈では?」
そう言って姿を現したのは、ユーミル男爵ユージーン・ニカイドである。その傍らにはベルカイルの姿もあった。実は彼は「三日後に到着する予定」という虚偽の情報をベルカイルに伝えさせた上で、あえて密かにこの地に逗留し、彼等の様子を監視していたのである。突然の主君の登場に驚きながらも、即座に臣下の礼を取ったエクレールに対して、ユージーンは淡々とこう告げた。
「あなた方も少々手荒い方法ではありましたが、今回は彼等の方に非があるようですね」
そう言って、彼はゲオルグとラファエロに冷たい視線を向ける。この状況だけを見れば、いきなり上官を奇襲したエクレールが全面的に悪いように判断するのが自然であろうが、どうやらユージーンはこの状況に至るまでの経緯を、既に事前に把握していたようである。
「お待ちください、ユージーン様、彼等は、魔城から来た者と手を組もうと……」
「それに何の問題が? 最終的に、我々がその『瞳を取り込んだ魔王の混沌核』を手中に収めれば良いのです」
どうやら、それがユーミルの盟主の判断であるらしい。彼は涼しげな表情を浮かべながら、エクレールに語りかける。
「仲間内の争いで、よくやったとは言えませんが、お疲れ様です。そちらの方は……」
その視線がルクスに向いた瞬間、ルクスが自ら名乗りを上げる。
「私が、元サンドルミアの騎士、ルクス・プリフィカントです」
あくまでも「元」であることを強調しつつ、彼がそう告げると、ユージーンはそれに対して淡々と答える。
「私はユージーン・ニカイドです。以後、お見知りおきを」
「はい、私の同志達はそれぞれの国に向かって行き、三国共同という形で魔王を討ち取るための交渉に赴いております」
「ふむ、魔王の討伐は我々も考えていたところです。『混沌核』を譲る気はありませんが、その過程で共闘することに異論はありません。皆さんも、それでよろしいですね?」
あっさりとそう言ってのけるユージーンに対して、エクレールは内心で思うところがありながらも、そのまま頭を下げ、他の者達も同意する。
「とはいえ、まずは、今のこの地を騒がせている失踪事件と悪魔の問題が先決ですねですね。引き続き、調査を続行して下さい」
ユージーンはそう告げた上で、ゲオルグとラファエロ、そして自身の直属の部下であるベルカイルに、以後はエクレールの指揮下に入るように告げる。ゲオルグとラファエロは明らかに不服そうではあったが、この状況下では、「処罰」されなかっただけでも良しとせざるをえない。ひとまず、彼等はそのままこの砦で一泊することになった。
3-4、嵐の前の静けさ
そして、皆がそれぞれに与えられた寝室へと向かう中、ルクスがエクレールを呼び止め、「話がある」告げると、二人は砦の屋上へと向かう。
「夜遅い時間に、すまない」
「いや、大丈夫。で、なに?」
「君にとっては、隣国の問題を後始末をすることになってしまって、申し訳ない」
「大丈夫だよ、それくらいは。もともと、最初に言った通り、あの邪紋使いを倒すところまでは、共闘するという約束だしね」
そう、現時点でこの二人の間に交わされている約定は「そこまで」である。
「こんな時間に呼び出したのは、一つ、頼みがあるからなんだ」
ルクスはそう前置きした上で、真剣な瞳で訴えかける。
「魔王を倒すまででいい。俺を、あんたの配下に加えてくれないか?」
「……その答えは、邪紋使いを倒した後でいいかな?」
「あぁ、それで構わない」
「分かった、考えておくよ」
そう言って、二人はそれぞれの寝室へと向かうのであった。
******
その頃、砦の付近では、黒い馬車が走っていた。その中では、悪魔のような姿の邪紋使いと、幼女のような姿の魔法師が言葉を交わしている。
「さーて、明日でいいんだな?」
「そうだね、他の皆は失敗しちゃったみたいだし、あの仮説を試してみるよ。いい素材もあるみたいだし」
「まぁ、いいさ。戦力が上がるなら、それで十分だ」
3-5、暁の惨劇
翌朝、エクレールが目覚めようとする直前に、こっそりミカエラが彼女のベッドに中に潜り込もうとするが、例によって例のごとく、ジェラールがミカエラを無理矢理ベッドから引き剥がす(エクレールは完全に熟睡していて全く気付いていない)。そんな「いつも通りの朝」を迎えた直後、この砦の近辺の村の入口で、巨大な破壊音と悲鳴が広がる。
その音に、さすがのエクレールも飛び起きた。ジェラールが砦の者達を叩き起こしながら、有事に備えて臨戦態勢を備えていた兵士達を率いて、エクレール、ミカエラ、ジェラール、グリップス、そして(客将扱いで歩兵を預けられた)ルクスの五人に率いられた兵士達が現地へと向かう、そこでは、エリゴルとエティアが、村の人々に襲いかかっていた。
おそらくエティアが呼び出したと思しき南瓜型の怪物が民家に火をつけ、そして悪魔達が暴れている。そんな中、レトもまた彼等に同行し、彼等に協力するような素振りを見せながらも、密かに人々をその場から逃がそうとしている、そんな状況であった。
「ようやく来たか、あまりに退屈なもんだから、もう何人かやっちまったよ」
誇らしげにそう語るエリゴルに対して、ルクスは侮蔑の表情を向ける。
「お前はそうやって何かを殺戮することでしか自己証明できないのか。なんて哀れな奴なんだ」
「戦うことすらできない奴に言われてもなぁ」
エリゴルが相変わらずの嘲笑を浮かべながらそう言って挑発している間に、ジェラールが市民を逃し、グリップスは怒りを燃やしながら市民達を南瓜の炎から守り続ける。
「おっと、こいつが話があるみたいだぜ」
エリゴルはそう言って、レトの腕を引っ張り、自身の前に連れてくる。
「申し訳ございません、私には、止めることができず……」
俯きながら、そう呟くレトに対し、ルクスは穏やかな表情で、しかし、はっきりとした口調で答える。
「分かっている。君は君で、自分の心の赴くままに、その力をふるえばいい。君が俺を殺すと言うなら、そうすればいい。その上で、君が誤った道を進むというのなら、俺が引き戻す」
その言葉に、レトはそれまで握っていた剣を、その場に落とす。
「私は、あなたと戦いたくない……」
「そうか、すまないな、そこまで君が苦しんでいるのに、助けてあげられなくて。でも、もう少し待ってくれ。今から、どうにかするから」
ルクスがそう言った次の瞬間、レトの下腹部から、鋭い刃が突き出され、そこから彼女の血が激しく噴き出した。彼女の背後からエリゴルが剣を突き刺したのである。直後にそこにエティアが駆け寄り、何らかの「術」を施すと、彼女の傷口から、腫瘍のような何かが現れ、それは瞬く間に巨大化し、「歪な何か」と化していく。
「おいおい、ゲテモノが出てきちまったけど、これで成功なのか?」
「大丈夫大丈夫、想定の範囲内。とはいえ、うーん……、素材が良すぎたのかな? まぁ、いいや。やっちゃえ、アスタロト!」
エティアがそう言うと、その「レトの身体から生じた化け物」は、辺り一面に毒息を吹きかける。そして、その周囲から歪な形をした悪魔達が次々と現れた。
「明らかに失敗くさいが、まぁ、これが戦力として使えるかどうか確認出来れば十分だ」
エリゴルはそう言いながら、自身の身体を更に悪魔化させていく。そして、そのアスタロトと呼ばれた化け物がおぞましい咆哮を上げ、その場にいる者達を恐怖に陥れようとするが、それをルクスが聖印の力を用いて、かろうじて打ち消した。
その直後、最前線に立っていたグリップス隊に対してエリゴルが襲いかかるが、グリップスがその聖印の力を一気に発動させて光の防壁を築いた結果、完全にその攻撃を弾き飛ばす。すると、その次の瞬間、そのエリゴルをも巻き込む形で、エクレール達全員に対して、後方からエティアが「ウーズ」と呼ばれる不気味な液状の召喚獣を解き放った。
「エリゴルなら大丈夫だよね、うん、大丈夫大丈夫」
「てめぇ!」
エリゴルを含めた全員が、そのウーズに巻き込まれて身動きが取れない状態となる中、レトから生まれた巨大な怪物が邪悪な波動を放ち、その場にいる者達全員に深手を負わせる。だが、その一撃を受けた際にウーズの呪縛から逃れたエクレール率いる騎馬隊が、エティアに向かって特攻をかけた。更にその背後から、ルクスがまたしても彼女の槍の威力を増幅させる。
「あなたの非道は、許さない!」
想定外の速度で突入してきた彼女の(ルクスの想いも込められた)双槍の猛攻に対して、エティアは為す術もなく、その身は一瞬にして消し炭と化す。
その瞬時の出来事にエリゴルが驚愕の表情を浮かべる中、今度はミカエラ隊がエリゴルに襲いかかる。その拳に全ての魔力を注ぎ込んだミカエラの一撃をまともに受けたエリゴルは、自身の身体が内側から崩れ始めていくのを感じる。そして、彼女の背後から、今度はジェラールが迫りつつあるのが視界に入った。
「ふぅ、なかなかやるじゃないか。ここは、引き時だな」
そう言って、彼は翼を広げて、その場から逃走する。一方、怪物の吐息から生まれた眷属達は、ジェラード隊、グリップス隊、ミカエラ隊に対して襲いかかるが、ジェラードとミカエラはあっさりとその攻撃をかわし、グリップスはその強靭な装備と肉体で耐え凌ぐ。そんな中、眷属達の中の一体が巨大怪物の中に取り込まれると、怪物は再び邪悪な波動を全体に向かって解き放とうとする。
だが、それに対して、グリップスが立ちはだかった。彼はその巨大な盾でその波動を全て受け止め、そしてその場に盾を突き立てて、大声で叫ぶ。
「ここだけは、凌がせてもらおう!」
その絶対的な信頼感に満ち溢れた仁王立ちの姿に兵士達が沸き立つ中、ジェラールが自らの剣に持てる全ての想いを込めて、巨大怪物に全力の一撃を叩き込むと、怪物は一瞬その体勢を崩しかける。だが、それでもなお、兵士達に向かって襲いかかろうとしていた。
そんな中、ルクスが自身の内なる闘志を聖印に込めることで周囲の者達の気力を再起させると、その直後にエクレールがルクスの支援を受けながら巨大怪物に特攻するが、それでもまだ怪物は倒れず、逆にその眷属達がエクレールに襲いかかることで、彼女は窮地に陥る。
だが、彼女に続いてジェラールが再びその剣を怪物に突き立てた結果、遂に怪物の混沌核は完全に破壊され、周囲の眷属達諸共消滅していく。そして、その場に残ったのは、無残にも腹を抉られた状態のまま、徐々に冷たくなりつつあるレトの遺体だけであった……。
4、エピローグ
こうして、幾人かの村の人々と、そしてレトという犠牲は出してしまったものの、悪魔達の襲撃を食い止めることには成功した。結局のところ、彼等が何をしようとしていたのかは分からないままであったが、失踪事件の際に目撃されていた「黒い馬車」に乗っていたのが彼等であることを考えると、彼等が失踪事件の犯人であることは間違いないだろう。
連れ去られた人々がどうなったのかは分からないが、先刻の状況から察するに、彼等は人体を媒体として何かを生み出す研究をしているようである。故に、おそらくはその「実験体」として虐殺されてしまったのではないか、という考えが、エクレール達の間で広がっていく。
そんな中、少し遅れて到着したユージーンは、村の被害状況を見ながら深刻な表情を浮かべつつも、エクレール達を労う。
「まさか、これほどのものを用意しているとは。ですが、これで少しは敵の手の内が見えてきました。一匹ほど、逃してしまったようですが、皆さん、ひとまず本日は休んで下さい」
そう言って、兵士達が勝利に沸き立つ中、やや気落ちした様子のルクスに声をかける。
「あなたもよく頑張ってくれました。共闘の件は前向きに検討させて頂きます」
「えぇ、ありがとうございます」
レトを失った悲しみに打ちひしがれながらも、必死で平静を保ちつつ、ルクスはその場から立ち去る。ユージーンはそんな彼を見送りつつ、ルクスと同じくらい浮かぬ表情を浮かべているグリップスに対して、こう告げた。
「あなたに、後で少しお話があります。私の客室に一人で来て下さい」
******
砦全体が勝利に沸き立つ中、最終的に怪物にとどめを刺す功績を挙げたジェラールは、自分の部屋に戻ると、窓を開け、行き交う往来の人々を眺めながら、ぼそりと呟く。
「俺は、どれだけ『あの人』に近づけたのだろうか」
「あの人」とは、ジェラールが騎士を目指す契機となった聖印教会の女騎士、クレア・リネージュのことである。
「今回はなんとかなったけど、力不足を感じるし、まだまだ精進しないとな。あの人は今頃、どうしているんだろう?」
一人で感慨に耽りながら、彼はそのままぼんやりと空を見上げる。この時、その彼が敬愛するクレアがこのバルレアの地に近付きつつあることを、まだ彼は知らなかった。
そんな中、砦内から聞き覚えのある(と言うよりも、聞き飽きた)声と足音が聞こえてくる。
「おねーさまー!」
ドタドタと「傭い主」を追いかけようとするその声に対して、ジェラールはため息を浮かべつつ、傭い主の平穏を守るために、いつもの「日課」に戻るのであった。
******
一方、グリップスが言われた通りにユージーンの部屋へと向かうと、そこではエルミナがユージーンに対して、何かを報告していた。
「あの悪魔、少々出自が特殊なようで。『地球』と呼ばれる世界の文献によると、もともとは『女神』から派生した存在らしいです。彼等も意味深な発言をしていたようですが、『あの状態』が完成系ではなく、更に『その次の段階』へと成長する存在だったのかもしれません。あるいは、『戻る』と言った方が良いのかもしれませんが……」
その言葉の意味がよく分からないまま、グリップスが部屋の中に入ると、入れ替わるようにエルミナが退室していく。そして、部屋の中に二人きりになったところで、ユージーンはグリップスに対して、小声で語りかけた。
「あなたに頼みたい仕事があります。表向きの魔城の攻略作戦は『彼女達』にお願いすることにして、あなたには『彼女』の支援をお願いしたいのです。魔王が吸収したあの瞳の混沌核を、確実に我がユーミルのものとするために」
「彼女」とは、エクレールのことであろう。つまり、ユージーンはグリップスに対して、彼女から離れて「別働隊」として行動することを促しているのである。
「そのために必要な人員は用意してあります。この場所に向かって下さい」
そう言われて「地図」を渡されたグリップスは、あえて返事はせず、黙って指定された場所へと向かうことにした。今の彼の中では、直属の上司であるエクレールに黙って、より高位の主君であるユージーンの命令に従うことが、正しいのかどうかは分からない。というよりも、そのことを冷静に判断出来るような精神状態ではなかったのである。
「また、守れなかった……」
目の前で殺されたレトや村の人々の姿を、今は亡き妻子の姿と思い被せながら、彼は一人、黙って砦を去っていくのであった。
******
その頃、エクレールが公務室で一人静かに休養しているところに、ルクスが現れる。
「決戦の前にお願いしたことについてですが、いかがでしょうか?」
そう言われたエクレールは、笑顔で答える。
「答えとしてはNOだ。でも、それは悪い意味でのNOではない。むしろ、こちらからお願いがある。私達を、君が率いてはくれないか?」
突然の提案に、ルクスは困惑する。
「私がですか? それは、なぜですか?」
「君は『勇気』を見せてくれた。私はそれを評価している」
彼女が言っている「勇気」とは、果たして自分のどの行動をことを指しているのか、ルクスにはよく分からない。ただ、常に「勇気」を持って行動しているという自負は、確かに彼の中にはあった。とはいえ、それだけでは理由として不十分なように思える。
「それは、君主として当然のことでは?」
「そう、当然のこと、だからこそ、それは同時に難しいことだ。 君主にもそれぞれの個性があると思う。誰もが皆、同じことが出来る訳ではない」
「それは、人として当然でしょう」
「でも、それを君は当たり前のこととして受け入れている。それは素晴らしいことだと思う」
今ひとつ噛み合っていないような会話であるが、ひとまずルクスは彼女の言い分を受け入れつつも、自分の中に残っているわだかまりを、素直に述懐する。
「しかし、彼女を助けられなかった以上、私のやったことは正しかったとは言えないと思う」
「それなら、彼女の分まで生きていけばいいんじゃないかな」
あっさりとエクレールにそう言われたことで、ルクスの中で「何か」が吹っ切れた。
「そうですか、わかりました。確かに、こうやってクヨクヨしているのは私らしくない。ただ、あなたは一つ、勘違いをしている」
そう言って、彼は顔を近付ける。
「私は先ほどあなたが評価してくれたような真面目な人間でも、正しい人間ではない。私はただ、気持ちに正直なだけなのです」
そう言って、ルクスはエクレールに口付けをした(注:ルクスには妻子がいる)。
「……!」
エクレールは、自分の身に何が起こったのか分からないまま硬直し、ルクスはそっと彼女から離れる。その次の瞬間、ドアを蹴り破ってミカエラがエクレールに駆け寄ってきた。
「おや、お嬢ちゃん、どうした?」
「今、『不埒な音』がした!」
そう言って激しい敵意をルクスに向けるミカエラの背後から、ジェラールが姿を現わす。
「ん? どうした? 大丈夫か?」
「よく分からないけど、『不埒な匂い』がしたから、来ました!」
その部屋の中の様子を見て、なんとなく事情を察したジェラールは、深いため息をつく。
「あなたの誤解が解けたところで、それでも、俺に指揮を委ねるというのですか?」
ルクスがエクレールにそう問いかけると、彼女はようやく正気を取り戻しつつ、少し間を空けた上で、改めて笑顔で答える。
「私も、決めたことには正直に従いたいから」
実際のところ、軍隊全体を指揮する能力に関しては、騎乗突撃を得意とするエクレールよりも、友軍支援を本業とするルクスの方が適していることは間違いない。
また、今後、他国と共闘することになった際には、必然的に、他国の魔法師や邪紋使い、場合によっては投影体の将兵と共闘せざるをえないことにもなるだろう。エクレール自身はそれに対してさほど抵抗は無いようだが、信仰心の厚い兵士達の間では、当然、そこに違和感を感じる者もいる。そうなった時に、「ユーミルの騎士」である彼女の命令で彼等と共同戦線を組むよりも、あえて異国人であるルクスに指揮権を委ねることで、「作戦指揮官の命令故に、やむなく邪紋使いや投影体を支援せざるをえなかった」という建前にした方が、後々のことを考えれば、カドが立ちにくいかもしれない。
もっとも、彼女がそこまで考えた上で提案しているのかは分からない。あくまでも直感で「その方が上手くいきそう」と思っているだけなのかもしれない。いずれにせよ、そこまで言ってもらえたからには、ルクスとしては断る理由はなかった。
「分かりました。そういうことなら、引き受けましょう」
「よろしくお願いします、マイ・ロード」
エクレールはそう言って、臣下の礼を示す。無論、これはあくまでも「今回の魔城攻略作戦限定の関係」であり、魔城攻略後に彼等がどのような関係になるかは、まだ分からない。「騎士」と「騎士」としても。「男」と「女」としても。
最終更新:2017年02月15日 05:37