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トットン(SC62年~SC132年)

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トットン(SC62年~SC132年)
所属勢力:アスラン又はアグデッパ?→在野→バン→アカフリ→テンオウ→ミカド→独立勢力

常勝将軍と称えられた名将。
バンやミディアと言った名将と言われている人々に見出された天才であったが、
同時代の歴史家であるラブは「会った事は無い」と前置きしながら「トットンは優秀であり、
その才はバンやミディアをも凌ぐと思われるが、才能あるが故に自分より劣ると見た人間は、
例え目上であっても敬意を払う事が出来無い人物であり、
本人にその自覚が無い為に改める事が出来無かったものと思われる。
彼がバンやミディアに敬意を払うのは、2人が才能ある優れた人間であると判断したからであろう」
と彼の人物像を推測しているが、彼と面識のある人物及びノーズ恒星系史の作者も
「まったくその通りだ」と述べている。
酒好き女好きのどうしようもない面もあったが面倒見が良く部下からの評判は良かった。
元々は軍人だったと思われるがどの国に属していたかは定かではない。
カズキの証言からアスラン軍かアグデッパ軍所属だと思われるがハッキリとしない。
ミディアの開拓船団に所属していたと言う話もあるが、
それでは互いの顔を(特にトットンが)知らないのはおかしい。
ここではカズキの証言に従い地球軍に属していたものとして考える。
士官学校卒業後、16歳で地球軍に仕官。
だが、上官の采配ミスで大敗を記した挙句、その上官に見捨てられ戦場に放置される。
その後、捕虜として敵に捕まり見知らぬ惑星で強制労働を強いられていたが
同じく捕虜として働かされていた元パイロットのカズキと共に収容所から脱走。
各惑星を転々と渡り歩き喧嘩三昧の事実上チンピラと変わらない生活を送っていた。
しかし、旅費が底を尽き酒場でどのタイミングで食い逃げをしようか話し合っていた所、
バン軍下士官の狼藉に遭遇。元々軍人が嫌いだったトットンとカズキは
憂さ晴らしあわよくば店からの謝礼か相手の金品を巻き上げる事を目的に店で乱闘。
そこをバン軍の分将ミディアにその腕っ節を見出され仕官を進められる。
軍人に嫌気のさしていたトットンは渋るもカズキが乗った事と
金銭的な理由からミディアの誘いを乗り彼女直属の下士官として召し抱えられる。

翌年、修業の旅を願い出たサブリナ王女の護衛役としてカズキと共にミディアの推薦を受け
その旅に同行することとなる。
バンはトットンとカズキがサブリナに変な気を起こさないか心配したが
「私は成熟した女性にしか興味はありません」と返答したと言うエピソードが伝わっており
バンは安心すると同時に(将来的に)心配になったと伝わっている。
サブリナの護衛役となったトットンは彼女の性格を良く理解し、彼女の我儘を聞いていた。
それが唯の我がままでは無く物事を良く知り
将来役立ちたいと考えている事を知っていたからである。
故に本来はノーズ宙域のみだった修業の予定をウェズ恒星系にまで広げ
サブリナの見聞を広めようと考えたが、それが仇となった。
同時期、アベモイガ王朝では王妃フィリアがアダムス軍に誘拐され、凌辱の上殺害される事件が起こり
その報復の為に徹底的な諜報員の鎮圧が行われていた。
この取り締まりはかなり厳しかった様で諜報員が現地で接触したものは
罪の有無に関わらず全て殺害すると言う苛烈なもので
アベモイガの参謀役だったサイモンも思わず引くほどであったとされる。
当然、そんな事が起きているとはトットンたちが知るはずもなくコクーンへ入国。
そこで知りあったハナヒゲと談笑していた所、諜報員取り締まりに遭遇。
アダムス軍の諜報員と間違われ連行されかけ、応戦するも多勢に無勢で流石のトットンとカズキも
こてんぱんにやられサブリナ共々連行されてしまう
そして釈放されたトットンの前に晒されたのはサブリナ(とハナヒゲ)の変わり果てた姿で会った。
激昂したトットンは憲兵に掴みかかるが電気ショッカーで失神させられ、最低限の旅費を渡されると
刑務所から叩き出された。
ちなみにある書物によるとホテルに宿泊していた客全員(総勢87人)が捕らえられ、
トットンと脱出に成功したカズキを除く全員が取り調べもなく殺害されたと記されている。
後に事実を知ったアベモイガの調査で関係者はハナヒゲを含む2人だけであったと言う。
刑務所から叩き出されたトットンはせめてサブリナの胴体の返還を要請するが聞き入れられず
失意の中、単身キルビスへの帰途についた。
帰還後、サブリナを守り切れなかった責を問われるが、ミディアが自らの右腕を切断して許しを請い
アベモイガの元に宣戦布告の使者として行き生きて帰って来れれば助命するとして許される。
結果、アベモイガの「受けて立つ」返事を受け取りバンの下へと帰還。一兵卒として召し抱えられる。
直後、ミディアの見舞いに訪れるが彼女が余命幾許もない事を知り
毎日の様にミディアの見舞いに訪れたと言う。
因みに後世の歴史小説家の間ではミディアとの関係が誇張され
『2人は愛し合っていた』としてロマンス小説が出されたりしている。
また『両者の間には不義の子が居た』『ノムはミディアとの子』とする話もあるが、
明らかに年代が合わず信憑性は低い。
トットン自身はミディアを上官として尊敬をしていたのは事実だが、
その域は心酔を通り越し崇拝の域にまで達していたと言う話である。

ミディアが亡くなるとバンはトットンを代わりに重用するようになる。
だが、バンの重用が過ぎるようになり重鎮たちに無断で分将に任ずると言う出来事が起こる。
ここで、多少なりとも銀河史の歴史書をかじった事のある人間なら
「トットンほどの才能があれば優遇されても当然」と思う人達も多いだろう。
だが、ミディアの元家臣でバンの重鎮を務めていたデイビスとデルゴダは
このトットンの重用には少々眉を顰めた。
「デイビスやデルゴダも同じ様に重用されたのにトットンの重用に不満なのは
自らの立場が危うくなる為」と言う歴史家も居るが、そうではない。
デイビスは敵将時代にバンを1度だけとは言え打ち負かし、
バン軍に恭順後は、技術将校として同国の発展に貢献。バンの旗艦建造で功績も上げ、
デルゴダもペレス平定やアビー王朝征服など数々の功績・実績を上げた。
デイビスとデルゴダは評価されて当然なのである。
だが、トットンは特に実績を上げていない。ミディアのお眼鏡に適っただけとも言えた。
しかもサブリナ王女の護衛を任されながら、それをやり遂げられなかったと言って良い状況であり
むしろマイナス評価が付いている。
その後、トットンが内政で汚名を返上し、軍務で名誉を挽回でもしたのなら良いのだが
それすら出来ていない。評価される方が変なのである。
古参の家臣達から不平不満が出たとされるが、彼らを納得させるほどの実績がないのだから当然である。
特に皇太子アカフリの傅役を仰せつかっていた古参のブルフは
アカフリの前はサブリナ王女の傅役を仰せつかっていた事もあり、トットンの重用には特に反発した。
この時、トットンも「身分不相応です」とでも言って固辞すればよかったのだが、遠慮はすれど受けてしまう。
これでは「無意識に古参の家臣達を見下し、自分は彼らより優れており
評価されて当然と自惚れている」と言われても仕方ない状況である。
更に王妃ニナが病に倒れるとバンは皇太子アカフリの王位継承否定を公言するようになる。
バンもバンである。同盟国ロゴから最愛の娘モニカをアカフリの花嫁にと貰い受けながら
彼の王位を否定すると言う暴挙に出ている。
それこそロゴに因縁を付けられ攻められても文句を言えない外交的大失態と言え
ロゴと国境を接していたら、戦争になったであろう事は容易に推測できる。
王妃ニナの死後、正常な思考が出来ないほどバンの神経衰弱が進んでいたものと考えられる。
もし、ミディアが生きていたら確実にトットンに実績を積ませバンや古参の面々を納得させていたであろう。
それを怠ったバンやトットン自身にも落ち度があったと言えよう。
そして遂にバンはアカフリの廃嫡を決意。トットンへの禅譲を言い渡す。
この時、トットンは「考えさせてほしい」と返答している。
ここでもトットンは返答を誤った「私は生涯を掛けアカフリ殿下を支えます」と言わなかったのである。
考えさせてほしいと言う事は心の何処かでは王位が欲しいと言う願望があるのである。
当然、バンは激昂したアカフリに刺され死亡。
アカフリ即位後のトットンも「アカフリ陛下に忠誠を誓います」と言わないばかりか無言で退室。
これでは不敬罪で捕まって当然であり、口ではどうこう言ってもトットンも王位が欲しかったのである。
トットンには、実績を作り大派閥を結成して姫を娶り王位を継いだラーや
野心剥き出しながらも主君に忠誠を誓ったバッカスの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。
歴史家であるラブも「王位と官位の区別が付かない愚か者の行為」とバンとトットンの行いを
(姉ニナを結果的に死に追いやったバンへの恨み節もあるだろうが)痛烈に批判している。

アカフリに不敬罪と反逆未遂の罪で投獄されていたトットンだが、
テンオウ軍に仕えていた旧友カズキに助けだされテンオウ軍に亡命する。
カズキの推挙があった事もあるが、特命担当としてテンオウを守り、
艦隊司令として栄転した際の白兵戦では自ら先陣を切って血路を開き
味方の勝利に貢献するなど着実に実績を上げた。
その際に病院で知りあった看護師と肉体関係を持ち産まれたのが息子のノムであった。
トットンほど優秀な男ならば実績を積むこと位簡単であった。
当然、トットンは然るべき身分と地位を得た。
実績を積んで得た身分なのだから文句を言う者は当然存在しない。
何故、これをバン王朝で実践できなかったのか不思議でならない。
恐らくはミディア、バンと2人の権力者に相次いで重用された事で
本人が天狗になっていたのであろう。
その後は、カズキに誘われた事もありバースァ派に所属。
彼の懐刀として同派に貢献、やがて分1位にまで出世する。
その後は艦隊総司令官としても活躍し、事実上の故国アカフリ王朝への侵攻にも参加。
バン時代の経験を生かしノーズ平定に多大なる貢献をした。
捕縛されたアカフリに「父とミディアは見誤った。2人が見出したのは
祖国の英雄では無く敵であった」と言われるが、トットンは「ザマぁ見ろ」と笑い飛ばした。

同じ年、テンオウ軍は地球を平定する。
その際、テンオウの真意である「王制廃止」を聞かされたバースァは
これを王族の粛清と判断。テンオウを殺害して廃位しテンオウを模したバイオノイドを擁立した。
一説ではこの際、バースァに「事実上の王族の粛清」を進言しテンオウ暗殺の実行犯を
務めたのはトットンであったと言う話もある。
だが、これがテンオウの娘リヨンヒと養子クリントに露見し捕縛に失敗。
ドーラの元に逃げ込んだ事を突き止めるが事実を暴露され、ミカド軍は急速に衰退した。
残されたトットンはミカド王朝で派閥を結成するが、
旗色が悪いのと、バースァに責任を擦り付けられた事からカズキと共にミカドの元を出奔。
この際「ミディア様の遺志を継ぐべく兵を上げる」と旧ミディア派に檄文を飛ばし故地セタにて挙兵し
遂に覇王として君臨した。

独立後はデイビスなどの旧ミディア派やバウゴ、レオングなどの旧アカフリ派や
各地で破れた旧テンオウ軍の敗残兵を吸収し勢力を拡大。
一時はアベグル軍をノーズから駆逐し恒星系全体を手中に収め
ドーラ、バニアウ、クルトニオと共に4強を形成するが、
以降、勢力の拡大は伸び悩むようになる。
トットンは優秀な男であり、全てに置いて抜群のポテンシャルを発揮した。
トットンは自らの才能に絶対の自信があり、家臣達にも同じ仕事量を強要したらどうなるか?
家臣達は付いて行けず、仕事を完遂できない(できるはずもない)事に負い目を感じ士気は下がるだろう。
同じ天才のショーンは自らの才能に胡坐をかく事無く謙虚な姿勢で家臣達を気遣った。
故に多くの者が彼を支持し従った。
プロベットは才能は無かったが、自らが弱い人間だと言う事を知っていた。
故に家臣や領民を大切にし、アズマやバイアグラら海賊艦隊や野心家バッカスを見事使いこなした。
バニアウも人を引き付ける魅力と才能があり、人々の模範であり続けた。
戦場では自ら陣頭指揮を取り、国を追われ亡命を求める者達にも優しく寛大であった。
トットンにはショーンの謙虚さも無ければプロベットの弱さもない、
バニアウのカリスマも無ければ人望も無い。
トットンは天才故の負の連鎖に嵌ってしまったのである。
それ以降トットンは酒と女に現を抜かすようになり、遂に肝臓を患い倒れ
体中点滴の管だらけなってしまう。そこには嘗ての天才の面影は無かった。
その後、他の国々ではドーラ暗殺による同王朝の大分裂、
バニアウとクルトニオ(パメラ)との一大決戦と
平民解放家ショーンとア族宗家プロベットの歴史的な和解と
激動の時代を歩んだ各国に対しトットン王朝は全てに置いて蚊帳の外であった。
度々スパンやコザイクに兵は進めていたが、バニアウ軍に追い返され
同軍がクルトニオを倒しその領土を平定すると、バニアウ軍の主力に圧倒され
スパン、ペレス、ストーと次々に失い遂にはセタ1惑星にまで追い詰められてしまう。
そして、SC132年バニアウ軍の猛攻の前に敗北。
制宙圏を奪われ地上戦が展開される中、持病が悪化し倒れそのまま息を引き取った。
享年70歳。同日セタは陥落、ミディアの志を引き継いだ国は銀河系の勢力図から姿を消した。
彼の崩御後、戦後処理はノムとカズキによって行われ
その手際の良さはバニアウも感服した程であった。

その後ノーズ恒星系総督として統治を任されバニアウ死後に挙兵し
ノーズ恒星系政府元首になった人物は、トットンが軽蔑したアカフリの息子ヘルムートであった。






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