挨拶としての掌編三作『現代文芸はどうありたかったのか』

 挨拶としての掌編三作『現代文芸はどうありたかったのか』は、てんたろの掌編作品。「馬場書き」なる手法で書かれている。

概要

 2009年4月12日に鍛錬投稿室・短編の間に投稿された。独自の感性で書かれた作品は多大な反響を呼ぶ。とはいっても、ほとんどは否定的意見であり、それに対して作者は「作者・利用規約の違反」にあたる「反論」を大々的に行った。詳しくはてんたろの項目を参照のこと。
 作者本人曰く「イメージ喚起力、韻律のなめらかさ、文章のレイアウト(ぱっと見)を意識している」とのこと。

ストーリーおよび登場人物

 要約しようがない。
 てんたろ本人がブログにて、転載? ご勝手に~。と書いているので、本文をそのまま掲載しておく。

#1『アイムオンリースリーピング。』

 街は眠りに就いた。と思いたいのは眠らない人間だけだ。1991年の冬からこの街は、昼寝にばかり熱心だ。

 猫。

 せんせい。あたしもうダメっぽい。
 ん? やーさ。もー。
 いいか、って。
 んー? やー。いちおー。
 まあ。
 いぃええ? まあ。
 しあわせ って、言うんでしょうか。へ。

 犬。

 毛並みといえるような毛並みも無いような柴の野良。野良? あこれ首輪付いてますよ。あー、逃げてきちゃったのかな? 飼える石田? 捜してるんじゃない飼い主。

「いい、犬だ。いい目だ」

 汚ったねー目ヤニ取ってやろうぜ洗うかっ、こ。く、これっ、レモン石鹸て・・・。っ。いーか、ハ。っしゃ、おおーい! ヘイッ、でわっ。ででっ、今日マックチケ大量に稼いだ。「えげつねー」ハイハイ強いですねー坂田サン「遊戯王かよ」まあ、ごっそさん。おっし! 綺麗!「まーゆーげっ! まーゆーげっ!」おまっ。ショーガクセーかよ、上等々々、眉ペン借りて来いよおい! 京野! え? 何コレ、デスカ?ホワット。「チーク」チーク、てか。おっシャレすね先輩、カワイイー。るせっ、うるせッ、下がれ女子。こやつは海に帰すべきじゃ。海、、、、、海、、。

1991年10月5日
文化祭日和の水は冷たく、犬のあたたかい土曜日。




#2『拾う』

 空っ風にコートの襟も追い立てられて、冷えてゆく土曜の午後。僕とホーツクテンは>黄色い台車を押していた。ガロガッロ、ガル、ガロロ。アスファルトは、どうして黒いのか、知ってるかいとホーツクテン。

「石油が黒いからだよね」
「どうして石油やアフリカ人は黒いんだ?」
「古代というものの性質だってミドリちゃんが言ってた」
「古く強いものは黒いのか?」
「君のコートは?」
「ああ、古いし、強い。それに怠惰だ」
 それに怠惰だ。

 ホーツクテンはうなじをひと掻きして、台車の手すりを撫ぜた。ガタッ。ゴゴ。ガロッ。
 く、だあーてゆ、くぅーーと歌いながらホーツクテンは台車に乗って坂道を降りた。

 やあ、トラックだ。黄色い台車のはじけるぐらいなあっぱれなイエローは、切れそうなカケラとなっていくつかの地面に落ち、膝の先の骨と赤や白の繊維や肉や黄色の脂肪を散らしてホーツクテンは、 黒いコートだ! そうだ俺のコートは黒! そう叫んで台車の、イエローの、まぶしいカケラで血を掬う。


#3 しみる

 天井の染みを33秒間みつめて目を閉じると、心地よいひやりが眉に上る。
 目をあけると染みは消え、何事かと返り見ると枕元に移動している。そんなこともあるかなと88秒数え見詰めてついで窓を仰げば、白い鳩が一羽ベランダに降り立ち、もはや景色は眩しいぐらいにひつと静かだ。染みももう何処にも見出せず、あれはただ目蓋の裏の不具合であったのだろうと、ベッドを降りてシャワールームへ運ぶ私の足元には花も咲くかと思われた。

 湯の栓をひる、とおヘソの右側に憶えのある染みが。手を遣ると何か、あたたかいようなつめたいような、えもいわれぬやさしさのような、きっとこれはひとつのいのちでしたから。
 腹の染みを撫で回し108秒もとうに過ぎて。目も閉じて、吐息も艶かではないかと独りながらに気に病まれども、果てど止まりせぬ指先を、あ、とふと放せば感じるのは誰かの視線でした。
 つめたく円らなその目のひかり方は、いや、ではなくとも、いじらしいと言うか、さあ目を上げてと、考えてももう睫毛も重くぴたり、ややかんじるのは誰かの掌の、湿気と、もう私は、渇いたなあと思うひとつの染みでしか、なかったから。



■この作品の著作権はてんたろさんにあります。

余談

 この作品は投稿された当日に削除された。規約違反により消去されたのか、本人による行為なのかは定かではない。

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最終更新:2011年12月09日 13:34
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