てんたろ

 君たち普通の人間の意見こそが貴重なんだ――てんたろ

 IP【FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp】
 てんたろ(字、太郎 あざてんたろう 1986- )は、ライトノベル作法研究所?の利用者。

解説

 17歳より書文の執筆に着手し、その後各地を奔走しながらも特にこれと言われる萌才もなく現在22歳。最近法科を学ぼうと思っている。千葉県在住の自営業。(本人サイトのプロフィールより)

 鍛錬投稿室・短編の間に、挨拶としての掌編三作『現代文芸はどうありたかったのか』を投稿、独自の感性で書かれた作品は多大な反響を呼ぶ。とはいっても、ほとんど否定的意見であり、それに対して「作者・利用規約の違反」にあたる「反論」を大々的に行った。(後述の「批評欄ログ」を参照のこと)
 このことからもわかるように、自分一人で駄サイクルを形成している。

 投稿サイト「作家でごはん!」では上記作品と共に、

あたらしい書き方、それはWEB上で見受けられる掲示板のカキコやニュース記事、まとめブログやキャラクター小説、果てはケータイ小説にて使われる文章技術のPOP要素を検証し、古典的かつ文学的な下地に乗せて、あるいは逆に、下らないテーマに重厚な文それは論文的な独言あるいはただ数式を延々と繰り出すような哲学的思考を乗せて出すという、果てしない文章の大河に向けられた私の掌編作品はちいさな爪楊枝かと思われる昨今いかがお過ごしでしょうか。という挨拶。

いやは、独りでシコシコ作っていても、なんだか寂しいのです。お言葉頂戴したいッス!

という挨拶を披露。しかし、これだけのアピールにもかかわらず、感想は一人からしかつけられなかった。

馬場書き

 てんたろが使用した造語。批評欄のレスで自身の作風について

知り合いにたずねたところ、このようなスタイルは「馬場書き」というものに近いようです。カウンターカルチャーに対するアタックカルチャーとかなんとか言っていました

と語っていた。
 しかし「馬場書き」なるものをネット検索してみると該当するのは1件のみで、しかもそれは「てんたろ本人が運営するブログ」であった。(2009年4月12日現在)
 そのブログによると、

 俺の書いてるものはなんだか小説じゃないし散文詩でもないと言われてもう2年くらい経つんです実は。
 なので名前を付けてもらいました。【馬場書き】っていうんですが、酷い名前です。まあいいです

とあった。
「『馬場書き』というものに近いようです」も何も、要するに「てんたろの文章スタイル=馬場書き」であり、世間には評価どころか認知さえされていない。「カウンターカルチャーに対するアタックカルチャー」というのも、自身の勝手な解釈だということがわかる。


鍛錬投稿室・批評欄過去ログ

 参考のため、批評欄の過去ログを時間順に並べて記しておく。(てんたろ以外のIPは削除した)

2009年04月12日(日)18時33分 ツヴァイ

こんにちは、ツヴァイです。感想などを投下します。

……といいますか、これ、小説じゃないです。散文詩です。
掌編かと思って読んでみたのですが、これではあまりにもイメージと違いすぎます。
あくまでも小説としてしか、私は判断できません。詩心がないものですから。
故に、これは評価することができません。あしからず。

2009年04月12日(日)18時40分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

ツヴァイさん

では川端の『掌の小説』ならばあなた等はこれも散文詩だと言って切り捨てるのでしょうか。
逆に賢治の詩集『春と修羅』の序文や小林秀雄の評論を、私などは小説あるいは“明確に提示するもの”としての文学として評価いたしますがね。

2009年04月12日(日)19時30分 ポータルミスト時計 Yv95BkWDl6 -20点

こんにちは。感想と指摘を書かせていただきます。

 いきなりですみませんが、せっかく感想を書いてくださった方に猛反論するのは失礼ですよ?私も評価の対象外にする予定でしたが、以下の点からマイナス点とさせていただきました。

 私は小説がどうとか、詩がどうとか言うつもりはありません。明確な定義も知らないので。ですから、あくまでも素人なりに読んだ感想だけを書きます。

 面白くは、ないです。というよりむしろ意味が分かりません。とくに最初のネコと犬の部分などは、理解に苦しみます。「それは読者であるお前が馬鹿だからだ」と言えば、確かにそのとおりで、それまでなのかもしれません。でも、多くの作者さんは、できるだけ読者のことを考えて、時間の無駄と言われないように、不愉快な気持ちにさせないように、努力して最善をつくそうとします。

 その点を考えれば、詩や小説と言う前に、これは面白いかどうかで判断します。ツヴァイさんが「小説ではない」と言ったのにはそれなりに理由があると思います。他の方の小説を読んで、どのようなものがここに投稿されているか見てはいかがでしょう?

 えらそうなことを言ってすみません。私ならもっと良い作品を書けるのかと聞かれれば、100%YESとは言えません。でも私たちは作者様たちのために感想を残していると理解していただきたいです。

 それから文章的な指摘ですが、数字は極力漢字にしたほうがいいです。何か特別な理由がなければ。これはこのサイトのトップにも書かれていることです。

 それでは長々と失礼しました。

2009年04月12日(日)19時43分 飛車丸  -20点

雰囲気もテーマも伝わってこない、ストーリー性も皆無だし、1991年当時の世相も現代の世相も風刺していない。あとついでに言えば遊戯王は1996年から。
また、前半で猫を出しても猫の一日と言わずに、犬の場合だけ犬の一日と付けているが、そこに何かしら恣意的なものが隠れているようにも見えない。

というのを#1で思ったのですが、これは結局2や3でも同様でした。
掌編小説の『小説』たる所以は、たとえば風刺であったりテーマであったりという部分にあるものですが、これらからは感じられませんでした。
唯一、#3においてその萌芽を感じることができましたが、芽吹くには至っていないという感が強いです。

ちなみに。
川端康成ですら、最も短い作品で1000文字ほどを費やしています。あれほど圧倒的な文学センスをもってしても、掌編で純文学を書くのにはその程度の文字数が必要なのです。
あと、宮沢賢治の春と修羅は詩集ですから、切って捨てられても仕方ありません。
また、ここは『ライトノベル』研究所ですので、純文学に理解を求めるのは浅慮で愚昧な行為であると言えます。

あと、散文詩だと切って捨てられたのは、あくまで貴方の作品であって、彼らの作品ではありません。自分がそうであるからと、歴史的な文豪の作品までそうであると言うのは、彼らに大変失礼なことですよ。

2009年04月12日(日)19時49分 木野

わけが解りませんでした。
これが初見の感想です。

で、これ結局詩だったのですね。
場違いです。

ツヴァイさんへの反論で上げられてるものを私は春と修羅くらいしかしりませんが自分の作品をそれと同列にするのはおごりすぎだと。
言ってしまえばこれは“明確に掲示するもの”ではないと思います。
独りよがりですから。

2009年04月12日(日)19時52分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

ポータルミスト時計さん

 なるほど。面白くない、と。
 あなたの作品外(主に対感想)観や歴史の浅い国語(特に横書きに対しての)文章作法についてはとくに言う言葉はありません。僕のやってることだけ見てもらえればという感じですので。
 で、まあ。「時間の無駄」ですか。

 ありきたりな小説、というものは、売れるのならば昨今確実にメディアミックスされてしまう。そこから抜けるためには、『文芸』の唯一視観を取り戻すためには、小説から筋を抜き、キャラクター存在の、匿名性を掲示すること。このふたつを屋台骨に最近はちいさな作品を、一日ひとつかふたつ書いております。

 小説を書くという時、あるいは、誰かに見せる為の文章を書くと言うとき、私自身は以下の三つの事柄に気をつけています。

一、イメージ喚起力
二、韻律のなめらかさ
三、文章のレイアウト(ぱっと見)

 これらの要素を鑑みて、まだ私の作品が追えないというのなら、それはあなたが馬鹿だからじゃない。私が至らないだけだ。
 猛反論、とおっしゃったが、これでまだちょっとした反発くらいのつもりではおります。

2009年04月12日(日)19時53分 龍咲烈哉  +10点

 初めまして、龍咲と申します。
 珍しい作風が目に付きましたので、駄感想などを。
 おそらく的外れなことを言っていますがご了承ください。

 一読して、作者様のおっしゃる作家ではなく、小川国男さんの「海と鰻」を思い出しました。こちらも興味深い作品ですので、よかったらご一読を。


アイムオンリースリーピング:
 犬に定番のいたずらをする、その喧騒を描いたものと受け取りました。猫、の会話をもっと伸ばしてみても良いかな?
文化祭日和の水は冷たく、犬のあたたかい土曜日。
 拙い想像力を働かせてみると……アワワ。

拾う:
 マグロ……ダークですね。
やあ、トラックだ~散らして、
 文章表現として面白いと思います。黄色と黒のコントラストは危険を予想させますし、リフレインがラストにかかって印象的です。独特な擬音や造語は宮沢賢治さんに通じるものがありますね。
 ただ、もう少し練る余地はあるかなと思います。同じオノマトペを繰り返して強調してみる、とか。

しみる:
 仏教に詳しい方かな?
 乖離していた意識の同化が仄めかされている印象。染みが天井から枕元、腹部、私自身へと移動しているのはそのメタファーでしょうか。
 鏡に向かっているところかな? 妊婦さんではないと思うのですが……ううん、拙い読解力ではこれが限界でした。
腹の染みを~視線でした。
 リズムも面白いですし、この文章は個人的に好きです。


 作者様が独特の感性と文章力をお持ちであることは確かだと思いました。
 しかし、それがライトノベル向けかと言われると違うと思いますし、この三編が難解であることも事実だと思います。

 蛇足ながら申し上げますと、こちらのサイトは主にライトノベルを対象とする場所であり、ストーリーの起承転結、登場人物の魅力、あるいは文章などがはっきりしている作品が評価される傾向にあります。ついでに言えば、主な読者は中高生です。
 残念ながら、この作風で評価を得られるのはごく一部ではないかなあと。

 散文詩、純文学、そしてライトノベル。
 いずれの作品向けに日本語を書くにしろ、理解にまでは至らなくても読者の想像力を刺激しようと思うならば、最低限の「分かりやすさ」が必要ではないでしょうか。

「文学って何だろう」と五里夢中な状態の僕が偉そうに申し上げました。
 長文すみません。それでは。

2009年04月12日(日)19時54分 K.K  -30点

 川端康成は「掌の小説」で、

この巻の作品の大半は二十代に書いた。多くの文学者が若い頃に詩を書くが、私は詩の代りに掌の小説を書いたのであったろう。無理にこしらえた作もあるけれども、またおのずから流れ出たよい作も少くない。今日から見ると、この巻を「僕の標本室」とするには不満はあっても、若い日の詩精神はかなり生きていると思う。

と書いています。つまり詩の代わりなんですね。
 それはさておき。意味が分かりません。私も「これはライトノベルでない」という意味の批評を頂いたりする身ですが、本作もまさにそうでしょう。純文学としてもどうでしょうか。「反応が薄い」というのもうなづける気がします。

2009年04月12日(日)19時59分 Eine  -20点

●作者は読者の批評に対して、反論、逆ギレしないでください。
 読者が作品に対してどんな感想を持とうと、それは読者の自由です。
 作者があれこれ口出しできる問題ではありません。
 作者は、読者の方に批評をしていただいている身です。
 本来、感謝せねばならない立場であることを自覚して、ご利用ください。

作者利用規約のところからのコピペです。
お読みになられたのでしょうか?

作品については、他の方の述べられているとおりですので私からは特に。

2009年04月12日(日)20時01分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

飛車丸さん

 テーマやストーリー、風刺には興味がありませんが、雰囲気すら否定されて僕の立地は一挙に崩壊、とまあなこた別に構わんのですが。

 ユートピアは「何処でもない所」を指したギリシャ語原典の造語ですが、別にそれを意識してるわけじゃありませんが。
 ライトに書いてるだ。スタンスがライトだからって作品がライトになるわけじゃないってことは分った。

 遊戯王には詳しくないんだ。その天の間違いは認める。君は作品の絵画的精神性というものについて考えてみてくれればいい。

2009年04月12日(日)20時02分 真紅  -30点

普通に面白くないです。
誰かに読ませるという意志が全く伝わりません。
自分で読んで勝手にひとり悦に入ってるような文章という印象です。

あと、規約はちゃんと読まないといけない。

●作者は読者の批評に対して、反論、逆ギレしないでください。

人様の家に土足でずけずけとあがるようなことがよくできますね。
どこに出しても反応が薄い理由がよくわかります。

引き合いに出した川端の作品に関しても、本作に近いものがあると思ってるのですか? そうだとすると、それはとんだ自意識過剰というものです。

2009年04月12日(日)20時04分 ツヴァイ

何度もすみません、ツヴァイです。

逆に賢治の詩集『春と修羅』の序文や小林秀雄の評論を、私などは小説あるいは“明確に提示するもの”としての文学として評価いたしますがね。

それが理解できているのでしたら、なぜこの作品において『明確に提示する』ことができていないのでしょう。
小林秀雄などは私の知る後期はともかく、若い頃はかなりガチガチの文章を書いていて、
それをして悪筆だと評する人もいたらしいですが、御作はそこまでしっかりと組みあがった文章だとも思えない。
『春と修羅』に関しましては、完全に『文学として賢治が述べているもの』であり、
少なくとも御作のように散文的ではなく、完結したひと連なりの『作文』と呼べるものです。
『掌の小説』にいたっては、詩を書けないから仕方なく掌編を書きまくった、と自身で称しています。
いわば書きたいはずの詩の代用としての、掌編であったわけです。

振り返って御作を読み返してみると、そこには小林秀雄的にがっちりとした組み立てもなく、
賢治のようにきめ細かく流れを作りこんだ作文でもなく、
川端康成のように言葉を転がして詩と小説の境目をふらふらとさまよわせているわけでもない。
これをどう評するか。
私には、適した言葉が浮かびません。故に、評価の対象外とさせていただきます。

そして、あえて言うならば、ここは『ライトノベル作法研究所』であり、
純文学や携帯小説などライトノベル以外を否定するわけではありませんが、
それらが極めて評価されにくい場所である、ということも考えてください。
あなたの作品は、しかるべき場所できちんと評価してもらうべきです。
単純明快に言いますと、ここにはあなたの感性についてこれる感想人はいないと思われます。
そんな場所で不平だけを言われるのは、お互いのためにもなりませんから。
では、これにて。失礼します。

2009年04月12日(日)20時06分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

龍咲烈哉さん

 僕は創作に関してははっきり言って多大なマゾヒズム的観点の中にいる。

 ライトノベルさ! こいつは明確なライトノベルだよ! 何故って君たちの作品対批評がとてつもなくライトだからさ。

 創作者としてのあなたにひとつ言いたい。
「書くのなら、鏡を見て書くな。手先に集中しろ」

2009年04月12日(日)20時10分 てんたろ  0点 FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

K.Kさん

 あなたの言葉は言葉未満であるが故に私は返す言葉を見出さない。

2009年04月12日(日)20時12分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

Einaさん

ご苦労様です。

2009年04月12日(日)20時17分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

真紅さん

 オナニーだと、言うのですね?
 読者が何処にいるのか、ぼくにはわからなかった。

 君たちのおかげでいくらかは、進歩出来るのかもしれない。
 赤点を差し出してくれたという行為に対して、僕は君たちに感謝をしたい。
 君たちの言葉については、君たち自身にその責任がある。

2009年04月12日(日)20時27分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

ツヴァイさん(再) 

 ぼくは金が欲しい。君たち普通の人間の意見こそが貴重なんだ。
 僕のまわりのキチガイどもはほんとうにまともなことしか言わないから。
 曰く「働け」「才能ない」「彼女つくれ」「お前に小説は無理」「読んでないからわからない」とね。

 繰り返すがぼくは金が欲しい。それもたくさんだ。君たちの盲人じみた、名前のあるものにしか相対せぬ気性こそが、その見地こそが必要なんだ。

 純文学を書こうとした。現代詩を書こうとした。古典の解題、ライトノベル、ケータイ小説、商業コピーの研究、詩歌の習い。
 別になにを書きたいってワケじゃないんだ。
 言いたいことも特にない。テーマとか、命題とか、持っちゃいないんだ。ただ書いてるだけで。相手がいれば反応して、いくらかニーズに対応する文章を書くことも出来る。

 言葉が人間によってつくられたものならば、それはやはり人と人との間でしか磨かれないんだ。そして今日、磨かれた言葉はない。

2009年04月12日(日)20時43分 へべれけ

 ̄ω ̄) 釣りかな?

ともおもったんですが、タイトルを見てなんとなく納得。
どうありたいんでしょうねえ~ww

本作品群は日本語で書かれてはいますが、きっと新しい言語なんでしょう。
無知なボクにはさっぱり分かりませんでした。
いつの日にかこの一文でも解することができればいいなと思います。
ではでは~。

2009年04月12日(日)20時47分 K.K  -30点

 再び失礼します。ここでは議論は禁止なのですが、それをご要望のようですので、掲示板のほうへ移動されてはいかがでしょうか?

2009年04月12日(日)20時50分 木野

優しいなぁ、周りの友達。
やってけないと思うからこそ働けとか才能ないとかずばっと言ってくれるんだろうに。
狂人扱いしないで大切にしなさいよ。
お金欲しいならまともに働いてね。

理解されないんなら仕方ないと思うのはいいけど理解されないのはお前のレベルが低いせいだというのは感想を書いてくださった人に失礼だと思いますよ。
感想を書いてくれた人は確かに普通の人だろうけどそれを見下すのは少々おかしいです。貴重な時間割いて書いてくれたんですから。

言葉が人間によってつくられたものならば、それはやはり人と人との間でしか磨かれないんだ。そして今日、磨かれた言葉はない。

それは謙虚な気持ちを忘れたからですよ。
その態度では磨かれませんよ。多分今までもそうだったでしょうね。
貴方の言葉、輝いてませんから。

2009年04月12日(日)20時56分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

飽きた


「現代文芸はどうありたかったのか」ということを考えるにつれ、現代文芸は現代文芸としての座をとっくに放棄していたことに気が付いた。

『現代文芸などなかった』

 あるいはそれがあったのは、種々雑多の多様性の中にであった。これらの頭として据えられたもの、あるいは表出したものは、かつてなかったのだ。

 今ここで言おう。『現代文芸』は、“まだ”生じていないのだ。
 ここで若干の恐慌状態にあった字、太郎(あざてんたろう)に、そもそものタイトルであるところの『現代文芸はどうありたかったのか』という言葉を思い起こさせてくださったへべれけ氏に、あらん限りの感謝の意を示す。


2009/04/12 字、太郎

2009年04月12日(日)21時06分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

木野さん

「理解して欲しい」なんて一言も言ってないわけですが。
 理解できないのならそれはあなた方の問題ではなく私の至らなさが原因であると、この場で言うのはこれで二度目です。

 それに、幻覚(創作というものは簡単に言えば幻覚ですから)や象徴というったものを、“理解”しようとする、あるいは理解できないのならばそれはクズだといった姿勢は、個人的に認めることが出来ません。
 それは理解の為に置かれた果実ではなく、感覚する為に備えられた指標だ。
 言っておくが、「~の為に貴重な時間を割いたのだから~」と、“言う”あるいはわざわざ書くということほど、無駄なことはない。まあこれは個人の嗜好も多分に関係してはくることでありますが。


あなたの言葉は、輝いてるよ。

2009年04月12日(日)21時30分 栗栖

純粋な感想ですが……意味がわからないです。


はじめは3つのストーリーが巧く一つにまとまって話が展開していくのかな、と思いましたが……。


〉街は眠りについた、と思いたいのは眠らない人間だけだ。1991年の冬からこの街は、昼寝ばかりに熱心だ。

 この文だけだと説明不足です。このあとの犬、猫のところで読むのをやめようと思いました。


 作者はマルセル・デュシャン的思想で文章をこえた作品が作りたかったんだと思いますが、明らかに畑違いです。

 ここで真面目に小説を練習しに来てる人、感想を書きに来てくれている人に不快な思いをさせると思います。

2009年04月12日(日)21時43分 藤峰 由 u1ftvLtrC. -20点

 こんばんは、藤峰 由です。
 拝読しましたので、感想を。

 えっと。
 犬や猫などの部分で、色々なセリフ(?)が乱立しているせいか、読みにくかったですね。
 また、ごめんなさい。私も理解できなかったのですが……

 最後の”しみる”での秒数も何か意味があるのかな、と勘繰ってみましたが、よくわかりませんでした。 すみません。

 では、このへんで

 次回作もがんばってください。

2009年04月12日(日)21時53分 ディアナ

どうも、ディアナです。

作品もさることながらてんたろさんのコメントはそれを凌駕する面白さです。あと一生懸命なのもわかります。

現代文、現代美術、現代人……とかく先んじようとする者は善悪にかかわらず理解されにくいものですよ。お金が欲しければ読み手がバカであれ凡庸であれ共感を得られない限りだめなんです。たとえ貴方の文章がどんなにすばらしっくっても。

2009年04月12日(日)21時53分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

栗栖さん

畑違いですね。
そろそろ本当に認めましょう。
これはライトノベルじゃあない。
そしてもちろんのこと、純文学や私小説でもなく、
詩として評価が得られるものでもない。

知り合いにたずねたところ、このようなスタイルは「馬場書き」というものに近いようです。カウンターカルチャーに対するアタックカルチャーとかなんとか言っていました。
今後はそっちも研究してみようと思います。
どうもお世話さまです。

2009年04月12日(日)21時56分 あるすや  -30点

どうも、こんばんは。はじめまして。
あるすやと申します。

さっそく、感想をば。
  • 魅力がない
読んでいて、引き込まれる『もの』がありませんでした。
  • 文章が自己満足
ライトノベルはエンターテイメントで、読者が主役で作者は脇役。
ぼくはそう思っているのですが、仮にそうではなくとも、読者への気配りはするものです。
しかし、あなたの小説からは、それを感じることが出来なかった。
言うならば、「オレ最高!オレかっこいい!」といったような、自分に酔った印象しか感じられない。
それは、純文学なら良いのかもしれませんが、「このサイトはライトノベル専門ですし」、やはりダメと言わざるをえませんでした。

頑張ってください。

2009年04月12日(日)21時58分 やぎ

はじめまして。通り過ぎるつもりだったのですが、二、三思ったことなどを。
作品から作者メッセージ、作者レスまでひっくるめての感想ですので、もはや感想にすらなってないかもしれませんが、ご勘弁ください。

肩の力を、少し抜くと良いかもしれません。深呼吸をして、ゆっくり目をつぶって。暖かい御飯を食べて、好きな映画を見て。布団をかぶって、ゆっくりと寝て。そして起きたら顔を洗って、いつもより少しだけ体が軽くなったら、また小説を書きはじめたらどうでしょう。
過ぎたるはなお及ばざるが如し、と言います。何も考えないのもダメですが、考えすぎても結局は、コインの裏表ですよ。


人に何かを伝えるというのは、とても難しいことです。意味の分からないことを言っているやつがいる、とお怒りになるかもしれません。
それでも、これが御作に対して私が抱いた感想の全てです。ご容赦ください。
では。

2009年04月12日(日)21時59分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

藤峰 由さん

既に頑張ってます。
今作の次回作は脱稿してもうそれから既に三作書いてますから、頑張るのは次々々々回作ということになりますが、もうここでお読みいただくわけにはいかないようです。
お疲れ様です。

2009年04月12日(日)22時01分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

ディアナさん

たとえ、ね。

2009年04月12日(日)22時04分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

あるすやさん

 大切なことなので二回言ってくだすったんでしょうか。

 頑張ってます。
 頑張ってます。
 頑張ります。

2009年04月12日(日)22時08分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

やぎさん

 御作、と。

 お祭り好きのギャラリーの面々のパンチラインも私の作品としてみていただきありがとう御座います。これが字、太郎です。今後ともよろしく。

2009年04月12日(日)22時16分 飛車丸  -20点

飽きたようですが一応。

作品が固有の雰囲気を持つのは当たり前です。作品には作者の個性が反映され、それが雰囲気として作品に顕れるのですから、何の雰囲気も持たない作品などありはしないのです。
そしてここで問題になるのは、それが上質であるかどうか。なのですが、残念ながらこの作品群のソレはいまいちであっただけに過ぎません。というのも、貴方の感性がどれほどを素晴らしいものであったとしても、それを表現する技法が稚拙であるだけでなく、独り善がりで傲慢な文章であるためです。
これほど短い文章で読者に強烈な個性を読者には、技法を磨いて感性を伝えるというスマートな手法と、全身全霊を以って感性をぶつけるダイナミックな手法、その両方を身に付けなければ、読者に真っ直ぐ伝わることはないんですね。

絵画でも音楽でも文章でも彫刻でも、作者が感性のままに書いただけの作品なんてのは殆ど何の価値もない。それは作者の自慰行為に過ぎません。
作者の感性で読者の感性に訴えてこそ、ようやくその作品は他者にとって価値あるものになるのだ、ということです。

2009年04月12日(日)22時26分 たなかなた

壮大な釣りでしょうか…? それとも本物なんですかねぇ…? 怖いなぁ。
作品の感想ですが、意味がわからないしつまらないし、読んでいて苦痛でした。そもそも小説として成り立っていないと思います。

あなたの書くものは新時代的で、どうやらこの時代ではあなた以外この文章を理解できないようです。その点については、とても素晴らしい才能だと思います。

2009年04月12日(日)22時27分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

飛車丸さん(再)

 あなたたちは、他人の作品との距離が緊密に過ぎる。

 私の手によるこの三つの作品は、言わば素描だが、私が過去ピカソ展に赴いた折は、キュビスム満載のゲルニカ的絵画よりもむしろ彼の素描(ハトとか手が書いてある)に興味を惹かれたから、そこもまた個人の嗜好の問題だ。
 私は我がこれらの作品を手にするとき、それが芥川の王朝ものの傑作と言われた『六の宮の姫君』の、まさしくその主人公がうたう歌や、手を慰めたあそびに、似ているのではないかと思うのだ。
 昼間「笑っていいとも」を眺めるように、小説を読んだという時期が君になかったと、誰が言えよう。

2009年04月12日(日)22時28分 ルゥリィ・マリア・るーこ NGbGbdSCQc +10点

 この作品の側面を私が見て感じた事であり、作者さんの意図に反した見方である事は重々承知しておりますが、平にご容赦下さい。

 さて。
 凡人である所の私は、作者さんの頭の中を覗ける訳ではありませんので、作品の一端を理解したに過ぎないかと思います。
 簡単に言えば、恐らくこういう作品だったんだろう……と、その文章は私の頭の中に留めておきます。
 私の感じた感想についての説明を寄こせ、と仰られるかもしれませんが、それは他の方も含め作者さんの作品に対する言葉です。
 これで作品が伝わってるんだ、完成しているんだ、と思われているのならそれは勘違いです。
 もう少し言葉と文章にして作品を完成して欲しいと切に願います。
#3『しみる』
 以降の文章はそこそこ書けているのですから、もっと一般受けをするような作品作りをなさるのが第一歩かと存じます。

2009年04月12日(日)22時31分 てんたろ  0点 FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

たなかなたさん

 それだけを言う為にわざわざのこのこ出てきて下すってありがとう御座います。

2009年04月12日(日)22時33分 てんたろ  作者レス FL1-119-240-169-52.chb.mesh.ad.jp

ルゥリィ・マリア・るーこさん

 ごめんなさい! なにを仰ってるのかさっぱり分らないです! ごめんなさい! 逆にあなたの書く小説(書かれてるんですよね?)に興味が沸いてきました。



外部リンク

1-100 或いは ・ http://d.hatena.ne.jp/mr450/
 本人によるブログ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年12月09日 13:34
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。