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日本催眠年表

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西暦 年号 催眠書
発行点数
見せ物、魔術、オカルト、宗教 催眠 エスタブリッシュ、アカデミズム
1872 明治5

催眠術、メスメリズムなどの言葉がすでに知られる(中村古峡による)
1873 明治6

辞書『附音挿図英和字彙』(日就社)にMesmerismを「動物磁石力」の項目。
1874 明治7



1875 明治8



1876 明治9


ベルツ来日(のちに東京帝大で医学を教える)
1877 明治10



1878 明治11



1879 明治12



1880 明治13



1881 明治14

『哲学字彙』(東大三学部印行)に「Mesmerism伝気術」 「Hypnotism催眠術」の記載 外山正一、東京帝大にて心理学を授業。
1882 明治15


旧「刑法」施行。第256条に「官許ヲ得ズシテ医業ヲ為シタル者ハ、十円以上百円以下ノ罰金ニ処スル」と規定。民間の医療行為を禁じる。
1883 明治16



1884 明治17



1885 明治18
こっくりさんがtable turningの変形として輸入され、流行。 馬島東伯、催眠術を治療に使用しはじめる
1886 明治19
坪内逍遥、こっくりさんをtable turningの変形として正しく記述。 大沢謙二「ヒプノーゼ」の訳語として「魔睡」を提唱。医学の分野でしばらく使われる。 東京大学医学部に精神病学がはじめて独立。榊俶、教授に就任。

「東洋学芸雑誌」5月号の雑報欄に、催眠についての記述あり。メスメリズムと催眠術は区別されていないが、催眠の原因については「動物電気説」を一蹴し、「神経系筋肉系の作用」に求めている。
1887 明治20

「催眠術」という用語が一般社会に流布(中村古峡による) 松本源太郎他『心理学』に、馬島東伯(講演)田中政吉(筆記)「催眠術治療法」、井上円了が馬島を招いて行った催眠実験を記録した「治療法ノ新発明」などを掲載。
1888 明治21 1
アメリカの手品師ノルトン一座、1月から4か月に渡り、横浜・山手公会堂、東京・千歳座なので興行を行う。「麻睡術にて昏睡せる身体を空中に釣る」などの「奇芸」で人気を博す。なお、この興行の口上を行ったのが後に寄席で催眠術を行うことになる快楽亭ブラック。
またジャグラー操一の「東洋奇術」も「磁気術を以て看客の一人に通ずれば、其の看客、技術者の意の如く或は舞い或は踊る」という演目で人気を博す。
馬島東伯、熱海で井上円了と催眠について議論。従来の医学を生理療法とするならば、催眠による治療は「心理療法」であるとする。 元良勇次郎米国より帰国。東大にて精神物理学の講義を開始。
『哲学雑誌』にも心理学関係の記事が増え始める。

このころから『哲学雑誌』の批評欄・雑報欄に催眠術に関する記事が載りはじめる(催眠術、魔睡の語、どちらも使われる)。「催眠術の解説」(21年8月)、「催眠術彙報」(21年10月)。後者は欧米の催眠文献にふれ、1880年以来欧米で刊行された催眠術書は700冊、1886年だけで205冊に及ぶ、と紹介。
1889 明治22
初の催眠術に関する翻訳小説「銀行奇談魔術の賊」(黒岩涙香(訳)、絵入自由新聞に掲載)。銀行員を催眠術で眠らせ、金庫の番号を聞き出すというもの。
『哲学雑誌』「魔睡術検究の二学派」(22年8月)、巴里派とナンシィ派の二大勢力を紹介し、「今日では学者の多くはナンシィ派を正しとす」と述べたもの。

東京府癲狂院が巣鴨病院に改称。東京帝大医学部の榊俶が院長を兼務。
1890 明治23


『哲学雑誌』「魔睡と犯罪」「『メスメリズム』と催眠術」(23年10月)
1891 明治24

馬島東伯、日本最初の催眠術病院を開設 尾崎紅葉「紅白毒饅頭』(読売新聞)で、蓮門教批判キャンペーンで部数拡大
1892 明治25 2
近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』、幻術を西洋伝来の“催眠術”をもって説明。また“催眠術”を人間精神の力の解放のための前段階と位置づけ。
(イギリス医学会が催眠の治療的価値を研究する委員会を設立し、その価値を認める報告を出す。欧米の催眠研究は一つのピークをむかえた)
1893 明治26


榊俶、東京帝国大学精神病学教室院にて催眠術の実習を行う。
夏目金之助(漱石)アーネスト・ハートの「催眠術」を翻訳。「哲学雑誌」に掲載(25年5月)。
『哲学雑誌』「催眠術に罹る人の国別統計」(25年7月)
1894 明治27 2 近藤嘉三「幻術の理法附神と幽霊」
「精神病者取扱心得」、警視庁により制定。

「万朝報」蓮門教批判キャンペーンで部数拡大
1895 明治28



1896 明治29
落語家の快楽亭ブラックの催眠術の実演が寄席で人気に。
「中央新聞」天理教批判キャンペーンで部数拡大
1897 明治30

ある術者の過失から誤解・批判を招き、催眠術下火に(中村古峡による)

大橋又太郎編「日用百科全書;第24編 秘術伝法」(明30.11)に、催眠術の部(催眠術の歴史/催眠術の定義と感通/催眠術を施す法/感通の段階 195/半身催眠術/催眠術の身体的結果/催眠術の精神的結果/サツゼスション即ち触指/催眠術の利害の各項目)あり。
榊俶の死後、法医学を専門とする片山国嘉が精神病講座を兼務。
1898 明治31



1899 明治32


東京脳病院・戸塚脳病院、開設。
1900 明治33

小野福平、宇都宮で催眠の民間研究組織『大日本催眠奨励会』を設立、このあと東京本郷に拠点を移す。 「精神病監護法」公布。
1901 明治34
「海外事情 米国の催眠術 火星の文かく女現る」『太陽』1901.2.5
松本亦太郎、東京帝大に赴任、実験心理学を講義。

呉秀三、ドイツ留学から戻り、東大医学部の精神病講座を担当。

井上円了「妖怪学雑誌」24-5号に催眠術の説明に生理的説明と心理的説明があることを記載。
1902 明治35 1

ハーバード大、エール大で催眠を学んだ山口三之助(Ph.D)、帰国後「催眠学「サイミンガク」を提唱し、『帝國催眠學會』設立 日本神経学会発足。
1903 明治36 12 平井金三、松村介石ら『心霊的現象研究会』(通称、心象会)の活動本格化、テレパシー、透視、こっくりさんの実験・研究を行う。

竹内楠三訳編「近世天眼通実験研究」,明36.5、
諸外国〈超能力者「チョウノウリョクシャ〉とその研究紹介

清原御船千鶴子(のちの千里眼事件主役のひとり)に催眠術をかけはじめる。やがて千里眼ができると暗示するようになる。

佐々木九平「催眠術に於ける精神の現象」(矢島誠進堂,明36.12)。狐憑きを催眠現象として説明。またイエス・キリストが薬物を用いず多くの病者を救った理由として、信者たちの自己暗示を指摘。
元旧制中学の校長であった竹内楠三、海外の文献を渉猟し書いた3冊の催眠書(催眠術自在:学理応用,明36.3; 実用催眠学」,明36.6; 読心術自在:心理作用」,明36.9 )がベストセラーになる(なお、竹内は心理学、生理学、病理学(精神病学含む)の知識なき者の催眠の使用をこの時代から戒めていた)。
これを受けて、以後多くの催眠術教授書が出版される。

大日本催眠術協会編「催眠術講義録;第1−6巻
山口三之助著「
教育上に応用したる催眠術」,明36.10(催眠学叢書;第1編)

陸軍軍医、富永感応催眠術秘訣』を刊行催眠はそれ自体ではもないと断定一方で〈精神作用「セイシンサヨウ〉の強力さを主張)。

静岡師範学校教師、桑原俊朗、依願退職し東京にて『精神研究会』(民間の催眠研究団体)設立。また精神 第一 催眠術を著アラわす。医学イガクに対タイする催眠サイミンジュツの優位ユウイを主張シュチョウ
福来友吉 神経学会総会 東京帝大にて「催眠の心理学的研究」を発表。同年秋より「国家医学会雑誌」に催眠術に関する論説がスタート。

「日本」「東奥日報」などに、催眠術を使う「山師的医師」(民間の治療者)を批判・告発する記事、催眠の取り締まりを求める。

青山脳病院、開設。

宮崎県の休職中の小学校教員、「心理学を応用した」なるものを提唱し、患者治療新聞広告し、宮崎郡医会から告発刑法256違反われ、第一審では罰金50第二審では逆転無罪となる〈宮崎県医業被告事件〉。
1904 明治37 19

小野福平、雑誌『催眠術界』を発行。同時に『大日本催眠奨励会』を『大日本催眠学会』に改組。

小野福平・山口三之助民間催眠家ら、催眠術取締りの動きに反対する建議書上奏

山口三之助著「実用催眠術講義」,明37−38。

古屋鉄石(景晴)『催眠術治療法』(大日本催眠術協会, 明37.9)
東京帝大文科大学の授業規定、試験規定の改訂。これにより心理学科が哲学科の一科目ながらも、独立した学科として認められる。

福来友吉らの論説「催眠術及びズッゲスチオン論集」として発刊。

前年の宮崎県私為医業被告事件の第二審無罪を受けて、東京帝大にて27人の医学者・法学者により「催眠術取締法に関する相談会」、開かれる。
1905 明治38 13
幸田露伴「術ジュツ」比べ」(催眠に関わる人々についての喜劇コメディ)。
大阪の開業医、至田清を会長とする 「東洋催眠學會」 結成。
小野福平「催眠術治療精義」,明38.4。
古屋鉄石『催眠術独稽古』(大日本催眠術協会, 明38.7)
福来友吉「催眠心理学概論」,明38.6
1906 明治39 9


福来友吉「催眠心理学」(前年の「概論」を増補改訂したもの)、小野福平らの民間催眠家による流行に言及、また催眠術の学術研究の再興を明治36年に求める。加えてメスメル以来催眠の研究が医学において行われたことに言及。このため催眠は臨床効果あるも、いまだ理論が貧困であることに警鐘。催眠サイミンの応用オウヨウ/臨床リンショウは医学的イガクテキ研究ケンキュウであるも、催眠の原理・基礎研究は心理学の領分と主張する。

「医師法」施行、それまで「医業開業試験」の科目などで間接的に規定されていた医療関係者の身分を法的に確立。
1907 明治40 7 上野柳眠「催眠心理学」弘法大師、阿部晴明、文覚上人の奇跡を催眠と記載。  催眠術秘伝書」,明40.2。
古屋鉄石『催眠術治療法』(大日本催眠術協会, 明40.5)
福来友吉「心理学講義」,明40.7。
1908 明治41 8
平井金三、松村介石ら『心霊的現象研究会』、雑誌『道』を刊行。

清原猛雄、義妹の御船千鶴子(のちの千里眼事件の主役のひとり)に、深呼吸をして無我の境地に至ったならば万物が透視できると暗示、毎朝試みるように命じる。

渡邊藤交、京都で日本心霊学会を設立。
万朝報、第三師団騎兵隊の将校の間に催眠術の流行と、この将校らが徒に村の子供に未熟なる催眠術をかけ覚醒法が不十分なために「脳「ノウを狂わせ殆ど白痴となれり」と人道問題となったことを報じる(明治41.8.28)。

大日本催眠学会編「精神療法:催眠術応用」,明41.8−2版

古屋鉄石『反抗者催眠論』(博士書院, 明41.12)
福来友吉東京帝国大学助教授に。

「警察犯処罰令」施行」シコウ、「濫に催眠術を施したる者」に「30日以下の拘留または20円以下の科料」をかす規定を盛り込む。
1909 明治42 8
福来友吉、熊本の御船千鶴子をる(熊本高等クマモトコウトウガッコウ工業学校勤務友人熊本から、地元熊本での評判く)。

「遊神夢魂術」(本多嘯月)『新小説』 1909.5
「催眠術の大魔力」『冒険世界』 1909.5

渋江易軒「嶄新催眠術」,明42.3
渋江易軒「心象及び其の実験」,明42.3
渋江易軒降神術:Spiritism 原理応用」,明42.4
渋江易軒「自己催眠術自在:原理応用」,明42.4
渋江易軒「遠距離催眠術:学理応用」,明42.5
渋江易軒「人身磁力催眠術」,明42.6

古屋鉄石(景晴)催眠宗教論』(博士書院, 明42.8)
森鴎外「魔睡」(『スバル』1909.6) を発表。医師が診察した女性に「魔睡」をかけ婦女暴行に及ぶものとして話題。


東洋催眠学会創立ノ趣意及緒言,実験,規則」,明42.11−訂3版

森下幽堂「心理応用脳神経衰弱
小野副平小野催眠術オノサイミンジュツ
風水軒主人「統制医者気質」『東京朝日新聞』1909.2.21〜4.27。50回に渡り、市立病院・大学病院・軍医などの問題点を指摘、一大キャンペーンを展開。

『万朝報』「医科大学の乱脈」1909.3.27〜29。東京帝大医科大学について教授の内職問題・博士乱造問題を批判。

竹内楠三著「独文クレムペレル診断学:詞学的文法的詳解;第1,2」,明41,4


1910 明治43 10 高橋五郎「心霊万能論」,明43.2。唯心論の復活を説き、X線、ラジウムの発見は、物質が薄弱なものであると教えたと主張。

福来友吉、御船千鶴子について
実験を試み、研究すると判断する。4じく千鶴子能力注目していた京都帝大医学部教授今村新吉と、共同実験実施以後、福来は実験くの学者参加するように根回しし、全国れる「千里眼「センリガン能力者積極的追試していく。
今村新吉、6〜7
にかけて実験結果を『大阪朝日新聞』に連載(「透視「トウシいて」)

名古屋新聞、御船千鶴子の千里眼ばかりか、精神治療数百人遠隔治療うなど)をじる。
これ
以後全国千鶴子模倣催眠術での超能力発現)が相次ぐ。

竹内楠三「千里眼」、明43.9、京都大阪われた千鶴子公開実験評価

11
、福来、「千鶴子上回能力者」として丸亀長尾郁子る。郁子の透視能力驚嘆した福来は、かべたものを写真実験む(「念写」実験)。
新聞報道加熱し、「念写」実験へ次々特派員む。
精神研究会「催眠術案内書」,明43.8

平井金三「家庭の催眠術」『新小説』 1910.8

村上辰午郎、神奈川県の農業補習学校で催眠の実験を行う。
村上は倫理学、教育学(農業道徳、農業教育)を専門とし、東京帝大農科学校、東京高等蚕糸学校、東京農科大学などで講師を勤める学者であった。以後、全国の農業系学校で催眠の実験と講話を続けていく。

「念写」実験に対するアカデミズムからの批判、強まる。
1911 明治44 5
1月、御船千鶴子が自殺。
2月、
長尾郁子が病死。
催眠にかかると早死にするとの流言が広がる。

新聞各社、次第に「千里眼「センリガン」に否定的な論調にかわっていく(千里眼に好意的だった記者の左遷が噂される)。

来原木犀庵『通俗霊怪学』、「好奇心に出づる催眠術の流行は近来漸くその流行を減じたかの観があるが、治病矯癖に於ける催眠術の応用は未だ中々に衰えはせで之を営業となす者に増加するは実に驚くばかりである」と記す。
(催眠術は排除の対象となり、「科学」の陰画、「いかがわしさ」のメタファーとして機能しはじめる(cf.『催眠術の日本近代』p.156〜)
谷崎潤一郎「幇間」『スバル』1911.9。お座敷芸としての(だましのテクニックとしての)「催眠術」。
谷崎潤一郎「秘密」『中央公論』1911.11。秘密の隠れ家にふさわしい小道具としての「催眠術書」。
1月、物理学者、山川健次郎(東大総長)、丸亀へ乗り込み「念写」の検証実験に乗り出す。しかし、実験は不可解な中断に終わる。

以後,物理学者ら、講演会・書物・新聞記事などを通じて、「千里眼」批判を展開。
1912 明治メイジ45/
大正タイショウ
6
古屋鉄石『催眠術宝典』(精神研究会, 明45.1)
古屋は明治30年代から催眠書を数多く出版し、
明治末期には「大日本催眠術協会」を主宰していたが、
大正期に入って「精神研究会」を主宰する霊術家となっていた。
村上辰午郎『最新式催眠術』(成美堂, 明45.2)。
村上辰午郎『最新式実験催眠術講義』(金刺芳流堂, 明45.5)。

1913 大正2 4
8月、福来友吉『透視と念写』を刊行。新しい能力者、高橋夫人の存在を示し、改めて物理学者たちとの共同実験を呼びかける。が、かつての共同実験者であった今村新吉も含めて、応じる学者は現れず。
大槻快尊「精神療法の話」『心理研究』1916.1。正統的な精神療法を定義し通常の医学(身体療法)との併用を是とし、精神療法を無限に拡大解釈する者(無意識論者、精神万能論者、心霊神秘力論者、宗教的信仰論者の4つに分類)たちを批判。

10月、東京帝大助教授である福来友吉に休職の辞令(事実上の追放処分、「千里眼・念写騒動」の終結)。
1914 大正3 6
村上辰午郎『村上式催眠術』(大正婦女社会, 大正3)。
1915 大正4 4

村上辰午郎『村上式注意術講話』(明文堂, 大正4)。悪名高くなった「催眠術」の名をかえて、「注意術」の語を使いはじめる。 休職満期となり、福来友吉、東京帝大を去る。
1916 大正5 6

清水芳洲『清水式瞬間催眠法』(東京心理協会本部, 大正5)。


1917 大正6 10

谷崎潤一郎「魔術師」『新小説』1917.1。神秘性・怪奇性がデフォルメされた「催眠術」像=「劇場内のあらゆる人間が、魔術師の与える暗示の通りに錯覚を感じる」

のちに日本超心理学会会長をつとめた心理学者小熊虎之介、仙台で清水芳洲(英範)に自己催眠術を教授される。
「変態心理」催眠術革新号(1917.4)
1918 大正7 8
清水芳洲『清水式催眠術速解』(東京心理協会本部, 大正7)。
1919 大正8 4
古屋鉄石「宗教上の奇蹟と催眠術」『武侠世界』1919.9

清水芳洲『微妙なる霊能の働き』(東京心理協会, 大正8)。
芥川龍之介「魔術」『中央公論』1919.9〜10。「欲のある人間には使えない」魔術としての、極めて強力でリスキーな「催眠術」像。

清水芳洲『最も進歩せる清水式催眠法』(二松堂, 大正8)。
清水芳洲『自己催眠法の極意』(東京心理協会, 大正8)。

1920 大正9 5
清水芳洲『誰でも容易に熟達する催眠施術法』(東京心理協会, 大正9)。
清水芳洲『臨床暗示清水式心理療法』(東京心理協会, 大正9)。


1921 大正10 3
清水芳洲『精神療法病は気から』(二松堂書店, 大正10)。



中村古峡『催眠術講義」(日本精神医学界, 大正10)
森田正馬(のちの森田療法の創始者)、「精神療法の基礎」『変態心理』1921.1、で「催眠術は一時盛んな流行のようになって、其価値は大分誇張されたが、此頃次第に下火になった。然るに之に代わって此頃多く有害なる迷信に陥る処の種々有難そうな名目を以てする処の諸種精神療法(大霊道、リズム学、気合術、念射療法等の如き)が益々流行するようになった。之は要するに一般の人に慣れて余り有難味のなくなった催眠術の名を代え、心霊という仮面を被ったという迄のものである。総て是等の類は皆一の暗示療法であって、其原理は皆呪詛禁厭と同一のものである」と指摘。

1922 大正11



1923 大正12 1

有島武郎と心中した波田野秋子、夫の波田野春房に責められ、ついには催眠術をかけられて、有島との関係を白状する(女性の性的な秘密を暴露させるための「催眠術」)。
松岡孝一郎『医学的精神療法催眠術講義録』(東京精神医学会, 大正12-14)
1924 大正13 1
古屋鉄石『新催眠療法講義録」(精神研究会, 大正13)

1925 大正14 1



1926 大正タイショウ15/
昭和ショウワ
1

村上辰午郎『注意術の手ほどき』(金刺芳流堂, 大正15)。

1927 昭和2



1928 昭和3 1



1929 昭和4 1

村上辰午郎『精神統一心理実験』(明文堂,昭和4)。自ら東京心霊研究会を
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