“レース”の始まり
記録によると1887年、フランスのパリ~ベルサイユ間(約30km)で最初の動力付きの乗り物による“競争”が行われた。この前年の1886年には、ゴットリープ・ダイムラーやカール・ベンツらによって最初のガソリンエンジンによる自動車(三輪車)が開発されていたが、この時のレースで優勝したのはアルベール伯爵が運転するドディオン・ブートンの蒸気機関搭載車だった。そして都市間を走る走行会(ラリー)などが行われるようになり、1895年に開催されたパリ~ボルドー・レース(往復1,200km)をもって現代に繋がる自動車レースの始まりとされる。
1900年代に入っても都市間を走る市街地レースは盛んに開催されていたが、1903年に起きた死亡事故がきっかけでヨーロッパでは都市間レースから一定のコースを周回する形のレースへと移っていくこととなる。
マン島TT
1904年、グレートブリテン島とアイルランド島の間にある英王室属領、マン島で最初の自動車レースが行われた。これは当時フランスで開催されていた国際レース
ゴードン・ベネット杯への参加のための国内選抜レースとして、イギリス・アイルランド自動車クラブの主催で行われたものだった。やがてこのレースは独立したグランプリレースとして誰でも参加しやすいように姿を変え、1907年に
ツーリスト・トロフィー・レースとして生まれ変わった。これが後に100年以上の歴史を繋ぐ
マン島TTレースの記念すべき第1回大会である。この時は今とは違い4輪と2輪の両方のレースが併催され、2輪はシングルシリンダーかマルチシリンダーかによってクラス分けがなされていた。この第1回マン島TTには、
トライアンフ、
ノートン、
マチレス、
NSUなどのマシンが出場している。
こうして始まったマン島TTレースは回を追うごとに試行錯誤を重ね、やがて排気量によるクラス分けやライダーのヘルメット着用義務化など、レギュレーションも次第に現在のレースに近いものとなっていく。同時にマン島TTの結果がオートバイやパーツの売り上げを左右することを理解したメーカーは、TTレースに勝つためのレース専用マシンを開発し、力のあるライダーと契約して自社のマシンに乗せるようになる。後に言うところのワークス(ファクトリー)マシン、ワークスライダーの始まりである。
第一次世界大戦による中断を挟みながらもマン島TTとそこに出場するマシン群は成長を続け、同時に世界各国でTTレースに習った国際レースが開催されるようになり、1930年代にはフランス、ベルギー、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、スウェーデン、アメリカといった国々で国際ロードレースが開かれていた。特にイタリアとドイツでは国威発揚の道具としてモータースポーツが利用され、両国のメーカーやライダーに対しては国家的なバックアップがなされた。
第二次大戦の終わりとWGPのスタート
1939年にナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発すると、当然ながら世の中はモータースポーツどころではなくなり、マン島をはじめとする各国のレースは中断を余儀なくされた。しかし人々がモータースポーツに賭ける情熱が冷めることはなく、戦争が終わった1年後の1946年にはクラブマンレースであるマンクスGPが再開され、翌1947年にはマン島TTが再開。この動きに触発されるようにヨーロッパ各国でもレース再開の機運が高まった。
1948年のマン島TTの後、FICM(Fédération Internationale des Clubs Motocyclistes、後のFIM)は各国のグランプリレースを統合し、共通のレギュレーションのもとで行う国際的なシリーズ戦として体系づけることを提案した。そして翌1949年のマン島TTレースを世界グランプリの開幕戦とすることが決定されたのである。
1949年のWGPはマン島、イギリス(アルスター)、スイス、オランダ、ベルギーの6ヶ国。開催クラスは500cc、350cc、250cc、125ccの4クラスだった。戦前のモーターサイクルレースで力を発揮し始めていたスーパーチャージャーなどの過給器の使用は禁じられ、また敗戦国であるドイツのメーカーやライダーの出場は認められていなかった。
最終更新:2012年01月18日 20:29