1974年のWGP

Rd. GP Date Circuit 50cc winner 125cc winner 250cc winner 350cc winner 500cc winner
1 フランスGP 4/21 シャレード H. v. Kessel K. Andersson G. Agostini P. Read
2 ドイツGP 4/28 ニュルブルクリンク I. Emmerich F. Reitmaier H. Kassner H. Kassner E. Czihak
3 オーストリアGP 5/5 ザルツブルクリンク K. Andersson G. Agostini G. Agostini
4 イタリアGP 5/19 イモラ H. v. Kessel A. Nieto W. Villa G. Agostini F. Bonera
5 マン島TT 6/6 マン島 C.Williams T. Rutter P. Carpenter
6 ダッチTT 6/29 アッセン H. Rittberger B. Kneubühler W. Villa G. Agostini G. Agostini
7 ベルギーGP 7/7 スパ G. Thurow A. Nieto K. Andersson P. Read
8 スウェーデンGP 7/21 アンダーストープ H. v. Kessel K. Andersson 片山敬済 T. Lansivuori T. Lansivuori
9 フィンランドGP 7/28 イマトラ J. v. Zeebroeck W. Villa J. Dodds P. Read
10 チェコスロバキアGP 8/25 ブルノ H. v. Kessel K. Andersson W. Villa P. Read
11 ユーゴスラビアGP 9/8 オパティヤ H. v. Kessel K. Andersson C. Mortimer G. Agostini
12 スペインGP 9/22 モンジュイック H. v. Kessel B. Grau J. Dodds V. Palomo

シーズン概況

 この年の最大のトピックは、ジャコモ・アゴスチーニのヤマハへの移籍であろう。前年、7年間に渡って守り続けた500ccクラスのタイトルをチームメイトのフィル・リードに奪われたアゴスチーニは、シーズンが終わると9年間在籍したMVアグスタを離れ、MVアグスタの4ストロークにとって最大の脅威であったヤマハの2ストロークでリードに挑むことを決めたのである。エースライダーのサーリネンの事故死によって前シーズンの半ばにしてワークスチームを撤退させたヤマハだったがアゴスチーニというこれ以上ない強力なライダーを得たことでこの年の開幕戦からの復帰を決定した。ヤマハがこの年に投入したのは、リヤサスペンションにロードレーサーとしては初となるモノショックを採用した改良型のYZR500である。

 この年はまたスズキが日本のメーカーとしてはヤマハに続いてワークス活動を再開した年でもある。そして後にグランプリで一時代を築くことになるマシン、RG500のデビューシーズンでもあった。先にデビューしていたヤマハのYZR500がデイトナ200用に開発されたYZR750と共通のシャーシを持つ並列4気筒エンジンだったのに対し、RG500は2ストロークという点こそYZRと同じだったもののスクエア4気筒のエンジンレイアウトを採用した「軽量・コンパクト」をコンセプトとしたマシンだった。そしてスズキがこのマシンを託したのは、ベテランのジャック・フィンドレイと前年スズキのサポートを受けてFIMフォーミュラ750選手権タイトルを獲得するなど波に乗っていたバリー・シーンだった。

 この年のドイツGPでは、ニュルブルクリンクのコースサイドの金網に緩衝材が設置されていなかったことが問題となってトップライダーたちがレースをボイコットしたため、以前からやはりコースの安全性の理由によってトップライダーやワークスチームが参戦を回避していたマン島TTと同様に他のグランプリには見られない地元のライダーたちの名前がリザルトに並ぶこととなった。

500ccクラス

 ヤマハに移籍したアゴスチーニは、シーズンの前哨戦とも言えるデイトナ200マイルレースとイモラ200マイルレースに優勝して好調なうちにシーズンを迎えた。しかし開幕戦のフランスGPを制したのはアゴスチーニに代わってMVアグスタのエースとなったフィル・リードだった。アゴスチーニはほとんどのライダーがボイコットしたドイツGPを挟んだ第3戦オーストリアGPでヤマハでの初勝利を飾った。さらにアゴスチーニはオランダでシーズン2勝目を挙げるなど初めての2ストロークにもかかわらず健闘を見せるが、スウェーデンGPで転倒したバリー・シーンを避けきれずにクラッシュして骨折してしまう。この怪我によってアゴスチーニの1974年シーズンは実質的に終わりとなり、タイトルはその後2勝を挙げてシーズン通算4勝となったリードが2年連続で獲得した。結果として、これがMVアグスタが獲得した最後の世界タイトルとなった。
 バリー・シーンの手によってデビュー戦となった開幕戦でいきなり2位を獲得し、オーストリアGPでも3位と幸先の良いスタートをきったスズキのRG500だったがその後は熟成に手間取り、ハンドリングに問題を抱えていたことなどもあって時折速さを見せたもののデビューシーズンで勝利を挙げることはできなかった。

350ccクラス

 MVアグスタのフィル・リードが序盤の数レースをメカニカル・トラブルによって落とし、さらにMVアグスタは500ccクラスに専念するためにシーズン途中で350ccクラスから撤退したため、このクラスはヤマハのマシンが完全に支配するクラスとなった。前年、MVアグスタのマシンでチャンピオンとなったアゴスチーニは、開幕戦でヤマハでの初優勝を記録するとその後も順調に勝利を重ね、第9戦ユーゴスラビアGPで5勝目を挙げてメーカーを移りながらも7年連続となる350ccクラスタイトルを獲得した。

250ccクラス

 この年、250ccクラスを席巻するヤマハの市販マシンの前に立ち塞がったのは、このクラスに唯一ワークスチームを送り込んだハーレーダビッドソンだった。もっとも、このマシンはハーレーの名を冠してはいたものの中身はハーレーに吸収されたイタリアのアエルマッキ製のものである。このマシンに乗るウォルター・ヴィラはイタリアGPでグランプリ初勝利を挙げるとその後もシーズンを通して好調さを維持し、4勝を挙げてディーター・ブラウンやパトリック・ポンスといった強豪プライベーターたちを押さえてタイトルを獲得した。
 この年のダッチTT250ccクラスでは、ケニー・ロバーツと片山敬済という後にワールドチャンピオンとなる2人のライダーがグランプリデビューを飾っている。スポット参戦のロバーツはグランプリデビュー戦でポールポジションを獲得するという速さを見せ、一方日本から単身ヨーロッパに渡ってフル参戦を開始した片山はグランプリ初参戦から3戦目となるスウェーデンGPで早くもGP初勝利を挙げた。

125ccクラス

 このクラスでもヤマハのマシンは速く、中でもディフェンディングチャンピオンのケント・アンダーソンは不出場のドイツGPと最終戦のスペインGP以外の全てのレースで表彰台に上る安定した強さを発揮して2年連続タイトルを獲得した。このアンダーソンらの活躍により、ヤマハはこの年出場した50ccを除く4クラス全てでコンストラクターズ・タイトルを独占することになった。

50ccクラス

 唯一日本製のマシンが出場しない50ccクラスは、この年もクライドラーのマシンが支配するクラスとなった。10戦中6勝を挙げて初タイトルを獲得したヘンク・ヴァン・ケッセルをはじめとして、シーズンの全てのレースをクライドラーのマシンに乗るライダーが制したのである。

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(※)上記テキストは、私Rikitaウィキペディア日本語版に2011年9月18日に投稿したテキストを基にしています。

最終更新:2012年10月20日 23:05
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