本田宗一郎が1946年浜松市に、「内燃機関及び各種機械の製造ならびに工作法の研究」を目的として開設した本田技術研究所が前身。1947年には自転車用補助エンジンのホンダA型を発売し、1948年に本田技研工業株式会社が設立された。日本のオートバイメーカーの中では最も早くから海外のモータースポーツに目を向けており、日本初の本格的なオートバイレースであった名古屋TTレースが開催された翌年の1954年2月に、日本のメーカーとして初の海外でのレースであるサンパウロ市政400年祭モーターサイクル・レースに出場(結果は13位)。そして同年3月、宗一郎は社内に向けて『マン島TTレース出場宣言』を発表した。
日本のモータースポーツ黎明期を象徴する浅間火山レースなどを経て『TT宣言』から5年後の1959年、宣言通りホンダはこの頃は世界グランプリシリーズの1戦であったマン島TTレースに出場し、社員ライダーの谷口尚己が6位に入賞して日本人としても日本メーカーとしても初となる選手権ポイント1pを獲得した。この時マン島を走った125cc2気筒DOHCのRC142を見たヨーロッパのメディアは、「まるで時計のように精巧で、ヨーロッパのメーカーのコピーではない独創的な設計だ」と賞賛したという。マン島初出場の翌年からは本格的に世界グランプリシリーズへの参戦を開始するともに参加クラスを順次拡大していき、3年目の1961年の開幕戦でグランプリ初優勝(125ccクラス、ライダーはトム・フィリス)を飾ると第2戦ドイツGPの250ccクラスでは高橋国光が日本人のGP初勝利を上げた。この年のホンダの勢いは衰えることなく、フル参戦2年目にしてトム・フィリスを125ccクラスチャンピオンの座に就かせるという偉業を成し遂げた。
その後も後続の日本メーカーであるヤマハやスズキ、大排気量クラスを支配していたMVアグスタといったメーカーとタイトル争いを繰り広げ、その中であくまでも4ストロークエンジンに拘るホンダはやがて軽量・高出力の2ストローク勢に対抗するためにエンジンの多気筒化への道を歩み始める。そして125cc4気筒や250cc6気筒といった異色のマシンを次々に生み出したホンダのグランプリ活動は、1966年にグランプリの全5クラス(50,125,250,350,500ccクラス)でのコンストラクターズ・タイトル獲得(125,250,350ccの3クラスではライダース・タイトルも獲得)という形でピークを迎える。全クラス制覇というこれ以上ない結果を出したホンダは、「グランプリレースにおける目的を達成した」として1967年シーズンを最後にグランプリから撤退した。時を同じくしてスズキ、ヤマハも相次いでワークス活動を休止し、グランプリから日本製のワークスマシンは一旦姿を消すことになった。その後、1969年からFIMはレギュレーションの大幅な改定を実施し各クラスのエンジン気筒数の制限を順次導入していったため、一時代を築いた日本製の中小排気量多気筒マシンたちはグランプリを走ることができなくなり、この事をもって「速すぎる日本製マシンを締め出すために、FIMはレギュレーション改定を実施した」という文脈で語られることも多い。
ホンダがグランプリに復帰したのは1978年だが、この時の楕円ピストンの4ストロークマシン
NR500は1ポイントも獲得できずに終わり、かつての強いホンダの復活は1982年の
NS500のデビューまで待たなければならなかった。そして1983年、デビュー2年目のNSを駆るフレディ・スペンサーがヤマハYZRのケニー・ロバーツとの壮絶な死闘の末にホンダのライダーとして初めてとなる500ccクラスのタイトルを獲得すると、以後は現在に至るまで途切れることなくグランプリのトップ・コンテンダーのひとつであり続けている。
ホンダのマシン開発の特徴は、一言で表せば「良くも悪くも、他と同じ事をよしとしない」という点にある。GPデビューのマシンであるRC142が他社に先駆けてDOHC4バルブヘッドを採用していたのを皮切りに、125cc並列5気筒のRC148に代表される多気筒化を極限まで推し進めた4ストロークマシン群、2ストローク全盛の時代にオーバルピストンに1気筒あたり8本のバルブを持つ4ストロークエンジンのNR500、多気筒化路線から一転して4気筒勢にV型3気筒で挑んだNS500、他社同様のV型4気筒エンジンでありながらガソリンタンクと排気管のレイアウトを上下逆にした“アップ・サイド・ダウン”と呼ばれる1984年型NSR500、レーシングマシンとして恐らく初めてV型5気筒エンジンを採用した初代MotoGPマシンRC211Vなど、とてもオーソドックスとは言えないようなマシンを数多く生み出している。
また、2輪のモータースポーツをリードするメーカーとしてレース全体の活性化にも力を入れており、鈴鹿サーキットとツインリンクもてぎという日本のモータースポーツを代表する二つのサーキットを運営するとともに、かつてはRSシリーズやNSR500Vといった市販レーサーも販売していた。現在はグランプリ最高峰クラスのMotoGPクラスにファクトリーマシンのRC213Vを送り込むと同時にオープンカテゴリー用のマシンとしてRCV1000Rを開発。Moto2クラスにはエンジンサプライヤーとして全チームにエンジンを供給し、更にMoto3クラス用のマシンとしてNSF250Rをリリースするなど、グランプリに出場するメーカーとしては唯一全てのクラスに深く関わっている。
なお、現在ホンダの2輪モータースポーツ活動は1982年9月に設立された
HRC(Honda Racing Corporation)が統括しており、マシン開発やワークスチームの運営などはHRCが主体となって行なっている。
ホンダのレーシングマシン
最終更新:2014年07月06日 18:34