レイニー vs シュワンツ - 1989年日本GP

1989年のWGP

 この年の最大の目玉は何と言ってもゼッケン1と共にホンダに移籍したエディ・ローソンだった。"パワーのホンダ"、"ハンドリングのヤマハ"と言われる様に対照的なキャラクターを持ったマシンに乗り換えたローソンが、果たしてこれまでと同じような速さを発揮できるのか?心中穏やかでないはずのホンダのエース、ワイン・ガードナーとの戦いは?
 ローソンの抜けたマールボロ・ヤマハからは、まるでローソンとのトレードであるかのようにかつてのホンダの顔であったフレディ・スペンサーが復帰してエントリーしたのも注目の的となった。
 そしてもうひとつの注目が、前年デビューして早くも勝利を挙げた二人の大物ルーキー、ウェイン・レイニーとケビン・シュワンツである。AMA時代からの宿命のライバルである二人のバトルは、舞台をWGPに移しても再現されるのか?
 後の5年連続チャンピオン、マイケル・ドゥーハンがデビューしたのもこの年だった。
 このように例年にも増して見所の多い1989年シーズンは鈴鹿サーキットで幕を開けた。

ウェイン・レイニー

 カワサキ、ホンダのワークスライダーとしてAMAスーパーバイクチャンピオンを2度獲得。前年の1988年からケニー・ロバーツ率いるチーム・ラッキーストライク・ロバーツのライダーとしてWGP500ccクラスに参戦。
 1988年はイギリスGPでの初優勝を挙げ、2位が2回、3位が4回でリタイヤはブラジルの1回だけと、安定した速さを発揮してランキング3位。

ケビン・シュワンツ

 AMAではヨシムラのライダーとして活躍。スズキのワークス復帰に合わせるように1986年からWGPにスポット参戦を繰り返し、1988年からスズキのワークスチームであるペプシ・スズキのエースとしてフル参戦開始。
 1988年の緒戦日本GPではバトルの末にワイン・ガードナーを破ってGP初優勝。ドイツGPで2勝目を挙げるが転倒リタイヤも多く、ランキングは8位に留まった。

予選

 ポールポジションは前年の日本GPに続いてヤマハの平忠彦(YZR500)が2年連続。88年は雨の中の予選だったが、今年はドライコンディションの予選終盤に、それまでのレコードを3秒近く上回る2分11秒866というスーパーラップを見せ、見事に地元でPPを奪った。平はすでにお馴染みとなったTECH21カラーのゼッケン21で走る。
 セカンドポジションは2分12秒420のW.レイニー(YZR500)。レイニーは平がPPタイムを出した4回目を除く、3回目までの全てのセッションでトップタイムをマークしている。
 サードポジションは2分12秒858でK.シュワンツ(RGV-Γ500)。シュワンツは予選の段階から既にレイニーにライバル心剥き出しだった。またシュワンツのマシンはトップスピードでは最速だった。
 4番手にW.ガードナー(NSR500)が続き、フロントロー最後はレイニーのチームメイトのK.マギー(YZR500)。注目のF.スペンサー(YZR500)は9番手、E.ローソン(NSR500)は10番手だった。


決勝

 グリーンランプと同時に2列目イン側からスペンサーが飛び出した。しかし第1コーナーでスペンサーのインを突いたレイニーがホールショット。この二人にシュワンツが続き、ポールの平は4番手で1コーナーに入る。続くS字では平がシュワンツをかわして3位に上がった。
 1周目のヘアピンでキリが転倒。スプーンカーブではトップのレイニーが早くも後続を引き離し始める。その後ろではシュワンツが再び平をかわして3番手に浮上。レイニー、スペンサー、シュワンツ、平、マギーの順で2周目に突入した。レイニーは序盤からハードプッシュしているのか、かなりマシンが暴れている。2位のスペンサーとの差は1秒57。

 2周目のヘアピン。ペースが上がらず後続をブロックする格好になっていたスペンサーをシュワンツがかわし、レイニー追撃の体制を整える。2周目のコントロールラインはレイニー、シュワンツ、平、スペンサー、マギーの順。しかし最終コーナーで大きくバランスを崩した平にスペンサーとマギーが襲い掛かり、S字にかけてこの3台のバトルとなる。

(以下、工事中)
最終更新:2010年10月18日 14:39
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