──ユーハバッハは平和を想う。

朝が来た。
しかし、別に会場に晴天が降り注いだわけではない。会場の空は変わらない。曇りになったり、大気が濁ったりなど、空間に多少の変化はあるものの、この『舞台』はシュオルの土台にガイアが手を加え、さらに外膜の空間──宇宙とも呼べる──の小銀河を、アンチスパイラルの創造した隔絶宇宙で覆い、そこに参加者ごとの「時間軸ごとのズレ」の矯正、安定のために霊王の力とタイム・ストーンを用いていた。

つまり、参加者や主催者ら生物の感覚時間は滞りなく経過するのだが、実時間の経過によって極端な綻びが起こらないのだ。早い話、突然台風や大陸を割るようなレベルの地震、想定外の装備、設備の劣化などは自然発生しないようにできている。
そのために、この世界は朝から夜にかけてまでの時間経過が非常に曖昧であった。

しかし、ユーハバッハは「朝が来た」ことを確信した。目を開いたのだ。かつて兵主部一兵衛を倒した時のように──三界を破壊した時、目覚めたように。決して今まで寝ていたのではない、夢を見ていたわけでもない。今ここに、『全知全能』は正しく覚醒を果たしたのだ。

「今日は、より良い世界が見える」

ユーハバッハは満面の笑みを浮かべると、玉座から立ち上がった。

「どこへゆく?」

王室の扉の手前で、背後から声を掛けたのはガイアだった。ユーハバッハはきちんと振り返って答えた。

「門を開けに行く」
「ならぬ」

ガイアは即答した。
「おぬし、まさかおぬしが『負けた理由』を、忘れたわけではあるまい……」
「…………」

それは、正史世界のユーハバッハを指していた。

──全ては繋がっている。

そのユーハバッハは、藍染惣右介の鏡花水月で不意をつかれ、石田雨竜のもたらした『静止の銀』でユーハバッハのほぼ全ての機能が停止していた瞬間に、黒崎一護の斬月に両断された。しかし、その3名だけに、ユーハバッハは破れたのではない。
黒崎一心と石田竜弦がいなければ、「静止の銀」は無かった。銀城空吾と月島秀九郎、井上織姫がいなければ斬月は折れたままだった。阿散井恋次と朽木ルキアがいなければ、一護の心は折れたままであった。
そして、藍染を含めて彼らが一護にここまでの助力を惜しまなかったのは、皮肉にも一護を育てるために画策し、与えてきた試練が育んだ絆がためだった。つまりユーハバッハ自身の奸計があの末路を招いたのだ。

だが、それ以前にも「あの」ユーハバッハはいくらでも黒崎一護を、一護に関わる者たちを葬る機会はあった。黒崎一護の成長を待ったことや全知全能の完全なる覚醒を待ったこと、最初に藍染に遭った時、既に認識をズラされていたが気にも留めなかったこと、『聖別』を逸ったためにハッシュヴァルドやジェラルドに自らトドメを刺してしまったこと、霊王を取り込んだことへの急激な負荷など、理由は様々あったが、結局それは第三者の視点では「慢心」していたのだと切り捨てられても仕方のない、無様な敗北であった。

故に、天と地を通してその事情を知るガイアは止めるのだ。今、ここに集まる者は、それぞれの元の世界の自軍の戦力と比べても、総合的な戦闘力はかつてないほど上である。……例外はアンチスパイラルぐらいだろうが、彼らはバカではない。いきなり敵側に寝返ることはなければ、絆される心配もない。少なくとも、その未来はユーハバッハにも、ガイアにも視えてはいない。
つまり、現状下界で蠢く生き残りどもと戦っても、まず負けることはない。万全の構えで待ちうければ、腕の一振りで全滅させることは容易いのだ。
だというのに……せっかくここまで戦力と舞台を揃えたというのに、時間をかけたというのに、門を開けて自ら敵を招くというユーハバッハの行為は、こちら側の勝利する確率を著しく下げるに等しい愚行である。例え未来に置いて「勝つ」以外の余地がなくとも、ガイアでなくとも止めるのは当たり前だった。

ユーハバッハはガイアの焦燥を受け止めた上で、言った。

「母よ、私は平和を望む。争いを好まぬ。しかし、幾多の世界をそうしてきて、ただ一つ分かったことがある。平和を求める行為は、すなわち争いを産むのだ。対価とする世界が肥大すれば、比例して争いの規模の膨れ上がる。そして、敵たるものが例え蟻に等しい群れであっても、卑劣な手段を用いて勝利すれば、それは自ずと、近い未来において自己の世界の崩壊を招くと知った。例えば敵が赤子であったとしても、私が齎らした試練を乗り越えた者たちは、この手で剣を交えた上で勝利せねば、それは真の勝利とは呼べぬのだ」

ユーハバッハはそれだけ言って、背を向けた。漆黒のマントが靡く。霊圧が実態を持った影が後に続く。ガイアはそこに向けて、わからぬ。と呟いた。そして、遠ざかる背中越しに「それが人間なのだ」という声を聞いた。


ユーハバッハはゲートガーディアンを見上げた。主催の居城と参加者の世界を繋ぐ門の守護者たるこの怪異──天使──は、主たるユーハバッハへの敬意と礼賛を欠かすことはない。
ユーハバッハは自らの手に集めた霊子で剣を作り、ガーディアンの5歩後方の地面をひと撫でした。強固な霊子で構成される道に、ざくりと大きな亀裂が走った。

「ガーディアンよ、ここを境界線(ゼミ・コーロン)とする」

ガーディアンは霊子一つ動かすことはない。

「お前は門番だ。我が世界に踏み込むものを、物言わず、尽く塵へ還す守護者だ。かつての我が子の誰よりも、私に忠実な僕(しもべ)だと言っても過言ではない」

ユーハバッハは続ける。
「ユーハバッハの名を持って命じ、そして禁ずる。ガーディアンよ、これからここに敵が来る。お前はその敵を、全霊を持って駆逐せよ。ただし、この線を越えた者には一切手を出してはならぬ。その者は試練を乗り越えた者、すなわち勇者(イロアス・エレティコス)だ。天使は勇者を阻んではならぬ」

ガーディアンはそこで初めて、視線を地面の線へと向けた。
ユーハバッハ再び居城へと、玉座へと戻っていった。


「いいじゃないですか、それ。要は哀れな者たちに力の差を教えてあげて、絶望に落としてさしあげるのでしょう? もしかしたら勝てる……などと、甘い希望にすがる者たちに現実を教えてあげるのですから、んー……さすがはユーハバッハ。私を見染めた男と言えますねぇ」

ユーハバッハが自ら門を開けたことを聞いた天津は、白スーツを翻して言った。おそらく天津が話しかけた相手であろう里見は、彼にしては珍しい真顔で沈黙している。

「私もサウザンドライバーの強化に加え、新たなG4システムを完成させたばかり……! つまり、私が飛電或人たちに勝つ可能性は言うまでもなく……」
「1000%と言いたいのだろう?」

天津はその通り! と唸った。里見は呆れていた。物も言えないほどに。
自分もこの男のように、人を騙し、改造し、命を弄ぶ真似はしていた、しかしそれは超人なき世界のために、幻想を捨てて大人の世界とするためという、彼なりの世界を想ったものなのだ。しかし、こうして客観的に見てみると、そんな自分すらなんとも情けなかったのかというか、ふざけたことをしていたのでは? と猜疑心が湧いてくる。ましてや、天津はヒューマギアという、ある種羨ましいほどの人類の科学の最先端を司るというのに、元の世界でやっていたことと言えば自ら仮面をつけて正義のヒーローと戯れていたのだ。
はっきり言って、天津は里見にとって、ヒーローごっこの幻想に執着する大人の次に、唾棄すべき存在と言えるのだった。
そんな男に「話が合いそう」というだけで粘着されているのだから、たまったものではない。

業を煮やした里見がいよいよ離れようとした時、ユーハバッハは現れた。

「天津垓よ。お前に前線をまかせたい。ガーディアンの5歩より後に来るものを、尽く打ち倒すがよい」
「ほぉー……いいのですかユーハバッハ。私が前線に出ると、それで全てが終わってしまいますよ?」
「かまわぬ」
「ユーハバッハ、私は何をするべきだい?」
「お前は『好きにせよ』。行動に「思想」にも制限は設けぬ。あるがままに振る舞うが良い」

ユーハバッハの複眼がぎょろりと里見を「視」た。里見はしばらくの間を開けて、了承の意を示した。
天津はウキウキと門へと歩いていった。その足は羽のように軽そうだった。

ユーハバッハは再び玉座についた。
リュウヤとアンチスパイラルにはあえて何も告げていない。彼らは余計な干渉を拒むと考えたからだ。計画的で潔癖のきらいがある里見と違い、その場その場で自身の考えで行動しても、この催しの締めとしては申し分のない働きをするだろう。例えばその刃が自身に向けられても……。

──良い夢を見れそうだ。

とびきりの、平和の世界を。

ユーハバッハは誰にいうでもなく、その声を世界に溶けさせた。


最終章:プロローグ 誰がために鐘はなる

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最終更新:2020年07月12日 16:25