世界が無くなったかのような静寂が、あたり一帯を支配していた。
ぴん、と耳鳴りがするほどに張り詰めた無音は、肌に触れているかと錯覚するほど、冷たく空気に満ちていた。空気の動きが凍ったかのように止まり、冷たく鋭く密度を増して、まるで空気がもっと透明で硬質な、例えるなら《鏡の向こうに見える大気》と入れ替わってしまったかのような、それほどの静謐がこの空間には満ちていた。
凍った、静寂。
何者も存在しないかのような静謐の中、しかしある一定の音のみが周囲に木霊していた。
―――タッ、タッ、タッ
それは足音。やや焦燥した雰囲気と共に放たれる硬質の音が、冷たい静寂を破ってあたりに鳴り響く。
その足音を辿ると、そこにいたのは夏服の学生服を着た、童顔の少年だった。贔屓目で見れば可愛らしいと言えなくもない顔に焦りを滲ませ、少年は夜の街を早足で歩いている。
エリアX-X、住宅街。地図に示されたいかなる施設とも離れた場所にあるここは、一切の音も動きもなく、雲すら流れず、ただ空の月のみが夜の帳を彩っていた。
そう、動くものは何一つ存在しない。ただ一人、この少年を除いて。
「……困ったな。明日も学校あるのに」
少年―――
白野蒼衣は、つい先ほどの光景を思い返しながらそう呟く。
冥王を名乗る謎の男による殺し合いの開催。最初はたちの悪いテレビ企画に巻き込まれたと思ったが、見せしめとして殺された人たちを見て確信した。
ああ、これは"本物"だ、と。
今までに何度も惨劇に遭遇し、その中で多くの死を見てきた。感性は未だに普通の高校生であると自認するが、それでも《騎士》として培ってきた勘が「あれは本物だ」と言ってきかない。
「もういいかな?」
足早に歩いていた足を止め、蒼衣は言う。
蒼衣が今まで行っていたことは二つの意味での確認だ。一つは、自分が今いる地点が本当に地図に描かれた住宅街であるのかどうか。それは遠めに見える巨大なビルと方角を照らし合わせて大体合っているのではないかと素人ながらに結論付けることができた。
そしてもう一つは、人がいないかどうか。
「もしかしたらと思ったけど、本当に誰もいないみたいだね」
蒼衣がこの場所に飛ばされて最初に行ったことは、付近の住民に助けを求めることだった。
無論、こんな悪趣味な企画を催した主催者が何の対策もしていないことはないだろうとは思ったが、それでも藁にも縋る思いで住民と接触しようと試みたのだが。
駆け寄った家には、誰もいなかった。インターホンを鳴らしても誰も出ず、生活の音や明かりの一切が無かった。
次の家も、その次の家も。最初で薄々感付いてはいたが、どうやらこの住宅街に住民は誰もいないらしい。
「……これからどうしよう」
ひとまずの目的を達成してか、若干緊張の糸がほぐれ嘆息する。
この数十分でわかったことは、少なくとも主催者に住宅街から住民を一人残らず追い出せる力があるか、もしくは住む者のいない住宅街を一から作ることができる力があるということだけだ。
それに加えて、自分の首に繋がれた金属の首輪。正直なところ、蒼衣の手に負える範疇を遥かに逸脱していると言っていい。
とはいえ、最初から諦める気など毛頭ない。
とりあえず、当面の目標だけは確保するとしよう。
「まずなんと言っても、誰かに会わなきゃいけないよね」
蒼衣の為すべきことは、何を置いてもまず"識る"ことである。
蒼衣は彼の守るべき少女である時槻雪乃とは違い、戦う力は全く存在しない。蒼衣にできるのは、相手を知り、共感し、そして見捨てること。
だからこそ知る必要がある。この殺し合いは何故開かれたのか。彼らの目的は何なのか。
殺し合いという悪夢から、目を醒ますために。
□
玄関前に立つと、埃や汚れのない、しかし生活感というものが欠如したような大型のドアが目の前に聳えた。無意識にドアの向こうへと耳を澄ませたが、厚板一枚向こうに感じるのは、冷たく暗い静寂ばかりであった。
「……」
その静寂が、蒼衣の胸に僅かばかりの不安を形作る。
誰かと会って殺し合いを理解する。方針をそう定めた蒼衣がまず最初に取った行動は、潜伏。どこかに隠れ、朝になるまでじっと待つというもの。
戦う力を持たない以上、誰かに襲われれば自分はひとたまりもない。そもそもあらゆる意味で素人の自分が夜間に行動するのは下策だろう。
様子見と安全策。自分と同じく無力な誰かが襲われているかもしれないと考えると後ろめたいが、背に腹は代えられない。
静かな空気。風の一つも吹かないために周辺には一切の物音がなく、逆に耳鳴りが聞こえてくるようだ。そんな中で蒼衣は手を伸ばし、金属製のドアの取っ手を、ゆっくりと掴んだ。
ドアの取っ手はひんやりと冷たく、夜の静けさを思わせた。蒼衣はドアのスイッチレバーに親指をかけ、ぐっ、と押し込んだ。鍵はかかっていなかった。ドアのストッパーが動く重く確かな手ごたえが親指に伝わり、蒼衣の気分を、ぐっ、と重くさせた。
ドアを、引く。
ちゃっ、
と音を立ててドアが動き、思いのほか重厚な感触と共に開くと、中からは酷く冷たい空気が流れ出してきた。
明らかに人間の住んでいるものではない、埃っぽさこそないが澱んだ空気だった。鍵がかかっていなかったことといい、やはりこの住宅街は殺し合いのためだけに作られたものなのだろうかという考えが頭をよぎる。
広い玄関からは広い廊下が延び、その一番奥に、格子状にガラスの嵌った戸が見えた。月明かりに照らされて、薄ぼんやりとした闇が室内を覆っている。
「お邪魔します……」
無駄だとわかりつつも一声かけて、蒼衣は土足のまま床板に足を乗せる。家宅侵入などおよそ普通の行動ではないが、この際四の五の言っている場合ではないだろう。
とん、
と足音を忍ばせてもなお響く、板張りの廊下を踏む、靴の音。
色彩の死んだ暗闇と、そんな廊下に満ちる澱んだ空気と、冷たい静寂。その中を一人、進む。
とりあえず真っ直ぐ奥の突き当たりにある、格子風のガラスからぼんやり月明かりが漏れている、リビングに続くと思われる、戸へ向けて。
とん、とん、とん、
自分の足音を、聞きながら。
自分の足音と、呼吸と、そして心臓の音を、聞きながら。
とん、
そして戸に辿りつき、前に、立つ。ぼんやりと、月明かりがガラスから漏れ出している。
戸に手をかけ、そっと静かに部屋へと入ると。
「……えっと」
「…………」
そこには先客がいた。
綺麗な少年だった。全身を包む黒い服は夜闇に溶け込み、彼の持つ美貌を殊更に浮き出させていた。
リビングの椅子に座り、月明かりで読んでいたのだろう本から一瞬だけ顔を上げたが、またすぐに視線は本に戻っていた。
「…………」
「…………」
気まずい。とても、気まずい。
貴方も殺し合いに巻き込まれたか、とか。何か心当たりや知っていることはないか、とか。そもそも貴方は殺し合いに乗っているのか、とか。色々聞くべきことはあったはずだけれど。
「……その本、面白いですか?」
「非常に興味深いな」
咄嗟に出てきたのは、そんな言葉だけだった。
『X-X 住宅街のとある民家内・一日目 深夜』
【白野蒼衣@断章のグリム】
[状態]:健康
[道具]:基本支給品一式、不明支給品×1~3
[思考]:対主催
0:殺し合いの謎を解き、できるだけ穏便に終結させる。
1:目の前の少年に対処。
2:できるだけ情報を集めたいので他の参加者と合流する。しかし
第一回放送までは一箇所に留まり様子見。
3:この殺し合いが泡禍である可能性は……
[備考]:参戦時期はいばら姫終了直後。
【
空目恭一@missing】
[状態]:健康
[道具]:基本支給品一式、アル・アジフ@デモンベインシリーズ、不明支給品×0~2
[思考]:対主催?
0:とりあえず殺しあうつもりはない。
1:支給された魔道書を読む。
2:読みながら目の前の少年に対処。
3:現状他にできることは何もない。
[備考]:参戦時期は未定。魔道書をガン見していますが、今のところSAN値の心配はありません。
最終更新:2014年09月30日 08:01