「ライブのときも今の感じでヤッたら成功間違いナシですよッ」
「うん、翠星石の言うとおりだよ、僕なんかホラ、こんなに汗かいちゃった」
蒼星石はTシャツを扇いで体に風を送る。
真紅も雛苺もいつの間にか首筋にうっすらと汗が見える。
水銀燈も手でパタパタと風を頬に送っている。
「もう、せっかくシャワーを浴びたのに汗だくですぅ。 帰りは銭湯にでも
寄ってひとっ風呂あびるですよっ」
「お風呂の帰りに花火とか買うかしらぁ?」
「花火、だーい賛成ですぅ。 ロケット花火で戦争するですよッ」
「キャー素敵な考えだわぁ、そういう発想はさすが翠星石ねぇ」
「とーぜんですぅ、ロックバンドたるもの常に激しさを追い求めるですぅ」
「ロケット花火で撃ち合いなんて危険だよ、だめだよ翠星石」
「とにかく暗くなってきたわ、帰るのだわ、行くわよ、いらっしゃい雛苺」
「はいなのー」
夏は夕暮れまでは長いが星が輝く時間になると、四季を通じてもっとも
夜の色が濃く感じられる。
友達の少ない雛苺はいつも一人で部屋の窓を開け、少し離れた所にある港を出入り
する漁船の音、時には堤防に打ち付ける波の音を聞いていた。
夜の海は怖いけど、でもあの大きな海にいつまでも抱かれていたい、嫌な事を忘れて
大好きな波の音、海の中で弾ける気泡の小さな音、まるで語りかけているような
潮騒をずっと聞いていたい。
そう思っている毎日の夜、この時刻。
だが、今夜はそんな思いもどこかへ消えているようだ。
ニコニコと絶え間ない笑顔を見せて蒼星石と手をつなぎ、その手を大きく
前後に振りながら鼻歌交じりで、足取りも軽く歩いている。
今夜の雛苺の周りには年上で知り合ったばかりだが、紛れも無く雛苺を仲間として
見てくれる人達がいる。
それが嬉しくて手をつないでいる蒼星石に甘えてしまう。
蒼星石も翠星石が姉としていつも自分に向けてくれる優しさをそのまま
雛苺に向けていた。
心のどこかで蒼星石も妹が欲しいと思っていたに違いない。
そんな優しい顔で雛苺と手をつなぎ歩いていた。
*
「さぁー、お風呂タイムですぅ」
「軽く汗を流したらすぐに帰るわよ、まだ曲に歌詞が最後まで
付いていないもの」
「詞を考えるのは苦手ですぅ。それにジュンを待たしておくのも
ちぃーとばかり悪いと思うですぅ」
「そうねぇ、雛苺の宿題を翠星石がジュンに押し付けたからねぇ~」
「なぁ、翠星石が言ったんじゃねぇですぅ。みんなで決めたんですぅ」
「そうだね、帰ったら僕も手伝うよ」
「まぁ、とりあえずお風呂に入ってサッパリしてからかしらぁ」
銭湯ののれんをくぐると、ほど良いお湯の香りが脱衣所に漂っている。
少しくたびれたマッサージチェアに端がふやけたカレンダー、天井には
大きな羽がゆっくりと回っている。
田舎町の古くからある銭湯に入った時間が少し早かったのか、貸切状態
のようだ、それをいいことにはしゃぎながら衣類を脱いでいく。
「一番乗りですぅ~!」
「あぁ、カナが一番に入るかしらぁ~」
「待ちなさい、お風呂で走ったら危ないのだわ!」
すりガラスの扉をガラガラッと勢いよく開けて風呂場に入っていく姿を
雛苺は頭のリボンがうまく解けないのか、しきりにカガミに向かって
いろんな角度からリボンの端を掴もうとしている。
そこに後ろから蒼星石がリボンを解いてあげた。
ニコッと笑う雛苺、2人はみんなから送れて浴槽に向かうと、すでに翠星石
と金糸雀は湯船でお湯のかけ合いをしている。
そのお湯のしぶきが顔にかかる真紅はやや迷惑そうな顔を向けて
湯船の端のほうで浸かっている。
水銀燈は歌を口ずさみながら体を洗っている。
そのとなりに蒼星石が座ると雛苺は石鹸をたっぷりと付けたタオルで
蒼星石の背中を洗い出す。
「あっ、イイよ、僕は自分でするから」
「イイの~、ヒナをバンドに誘ってくれたお礼なのー」
「あらあら、本当の姉妹みたいねぇ。でも貴女の本当の姉妹はあんな
ことになってるわよぉ~」
クスッと笑いながら水銀燈が湯船を指差す。
そこには真紅と金糸雀に顔を湯船の中に浸けられて、もがいている
翠星石の姿があった。
やれやれという表情で苦笑いをしている蒼星石の背中を流している雛苺の手が止まる。
「ん? どうしたの雛苺?」
蒼星石と水銀燈が振り返ると少し眉を下げた表情の雛苺はモジモジしながら
蒼星石の体を見ている。
「あのね、ヒナも蒼星石や水銀燈みたいに綺麗な体になりたいのぉ」
彼女達とくらべてかなり幼い雛苺は同じ学年の娘と比べても性格だけでなく
体つきまで幼かった。
それはイジメの原因の一つでもあったため、蒼星石の背中を流しながら見た
スタイルを少し羨ましくなっていたのだ。
キュッと締まったウエストからは、ほど良い大きさの丸みのあるヒップが
浴槽の椅子に納まっている。そこから膝を曲げた足は余分な肉などついてなく
スラリと伸びている。
背中にタオルを当てている雛苺からは、その背中越しからも解る蒼星石の
形がよい胸のふくらみに手を回し、そっと触れてみる。
「ヒナも蒼星石みたいくカッコよくなれるのぉ?」
「雛苺は何年生だったかな?」
「ヒナは中学1年生になったばかりなの~」
そう言いながら蒼星石の胸から手を離すと自分の胸に手を当てて
蒼星石との違いを感じる。
肩は小さく、そこから伸びる腕はまだ幼い丸みがあり、小さな体には
膨らみ始めてようやく女性らしさが見え始めた胸の先にチョコンと
石鹸の泡が付いていた。
「なーにぃ、そんなの気にしてたのぉ?この春までは小学生だったら
そんなもんよぉ。そのうちボ~ンって大きくなるわよぉ。だいたい
そんなの気にしてたら真紅なんか自殺もんよぉ」
Illust ID:zukp7r8B0 氏(58th take)
そう言いながら水銀燈は雛苺の胸の先に付いている石鹸の泡を指先で
ピンッと弾いて飛ばすが、その際に指先が触れる。
体をよじってくすぐったがる雛苺を見て蒼星石は軽く笑う。
「やぁーん、水銀燈くちゅぐったいの~」
「ハハハ、雛苺は気にしすぎだよ、さぁ、お湯に浸かろうか」
体を流した蒼星石と雛苺、そして水銀燈はようやくはしゃぎ疲れて
静かになった湯船にそっと入る。
そしてみつの店で行われるライブについて冗談交じりの会話が
始まり、やがて先ほどまで練習していた曲を雛苺と真紅は水銀燈と
金糸雀の手拍子のもとで歌った。その声は浴槽の壁に反響して広がっていく。
それは彼女達の笑顔と楽しいひと時も一緒に響いていたように感じた。
*
「遅いよ、なにヤッてたんだよ?」
「ちょっとお風呂に入ってきたですぅ。 どーです、このしとやかな肌」
雛苺の宿題に取り掛かっているジュンの前で翠星石はクルリと回ってみる。
シャンプーの香りがジュンの鼻をくすぐりながら、洗いたての長い栗毛色
の髪がフワッと踊って顔の前をかすめていく。
一瞬ドキッとして言葉がノドに詰まってすぐに出てこない。
そんなジュンの横に真紅はそっと座ってTシャツの端をつまんだ。
「私も宿題を手伝ってあげるわ」
「えっ、そう? 助かるよ」
「しゃ、しゃーねぇですねぇ、翠星石も手伝ってやるですよッ」
真紅がジュンのとなりに座ったのを見て、翠星石は人差し指を立てて
恩着せがましく言うとドカッと勢いよく座る。
雛苺は嬉しそうな顔をしてカバンからジュンに教えてもらおうとしている
ノートを出して開けてみるが、そこには雛苺を暗くさせる落書きが目に入る。
雛苺はうつむきながらノートをカバンに戻す。
雛苺の後ろにいた水銀燈と蒼星石はその落書きの内容をチラッと見えた。
蒼星石は雛苺に声をかけようとするが、適当な言葉が思い浮かばない。
そんな蒼星石に向かって水銀燈は声を出さずに手首をクンッと回すジェスチャーをしてみせる。
それを見た蒼星石はコクッとうなづく。
そして水銀燈はクスッと笑いながら雛苺に声をかけた。
「ねぇ、雛苺。 ちょっと涼みにいかない? 金糸雀、メット借りるわよぉ」
「いいかしらぁ、メットは玄関の横に置いてあるかしら~」
詞を考えている金糸雀は曲のイメージにあう言葉を片っ端からノートに
書き綴りながら玄関のほうを指差す。
雛苺にヘルメットをかぶせると、シールドを開けて目にかかる前髪を指で横にもっていく。
初めてバイクという乗り物に乗る雛苺は恐る恐るシートに跨り、しっかりと
水銀燈の腰に腕を回す。
「しっかり掴まってるのよぉ、今から少し走るから。そうしたらイヤなことなんか
忘れちゃうわよぉ」
「はいなのー」
つまさきを動かし、ニュートラルの位置から1速に入れると、左指をゆっくり広げていく。
乾燥重量170キロの鉄でできた馬は低速から盛り上がるようなトルクを出して動き出す。
民家が並ぶ道を過ぎると夜の海沿いの国道にでる。
胸の高さで続く道と海を隔てる堤防の向こうには漁船の漁火がチカチカと揺れている。
「飛ばすわよ、しっかり摑まってるのよぉ」
ヘルメット越しにそう言うと手首を回しアクセルを開けていく。
加速するごとに雛苺の上半身は後ろに持っていかれそうになる。
175馬力を搾り出す暴力的な加速に驚いていたが、しばらく走っていると
硬く閉じていた目をそっと開けてみる。
黒いアスファルトに点々と書かれているセンターラインが
スピードのためか直線に見える。
コーナーを曲がる度にそのラインがグッと雛苺の顔に近付く。
そして岬状になった地形を回り込むようなカーブを抜けると、
短い直線にさし掛かる頃には、周りの景色を見る余裕が生まれてきた。
今まで体験したことがない速度で風を追いかけている自分に気付く。
雲ひとつない夜空に目を向けると、洋上で瞬く漁火を照らす満月の淡い
月明かりが落とす海原にはガラスを散りばめたような輝きが見えた。
このまま水銀燈の腰に回している腕を放して大きく広げてみたら空を飛んでいけるかも?
そして自由な気持ちのまま、あの海と夜空が混じる水平線の向こうに行けるかも?
そう思えるほどの開放感を雛苺は時速150キロ近い風の中で感じた。
ついさっきまでしがみ付いていた雛苺の強張った腕が軽く感じる。
ヘルメットの中でクスッと笑みを見せた水銀燈はそのままカーブを2つ
3つと抜けていくと急な上り道でさらに速度を上げていく。
タンデムシートに座る雛苺は少し首を伸ばして水銀燈の肩越しに前の景色を、
そのクリクリッとした大きな幼い瞳で見てみる。
バイクのヘッドライトが照らすアスファルトの向こうには夜空の一部を
金色に変えている大きな満月が見えた。
そこに向かって水銀燈と雛苺を乗せたバイクは飛んでいっている。
そう感じた雛苺はタンデムシートで気持ちの奥底から歓喜の声をあげる。
今や雛苺にとってバイクは鉄の馬ではなく羽の生えたペガサスにでも
乗っているように感じていた。
最終更新:2006年08月12日 00:52