シャドウ、『夕陽』に立ち向かう(Ⅲ) ◆Rd1trDrhhU
「まだっ!」
少女が叫べば、急に風が吹きすさぶ。
竜巻の魔法、ヒュルルーだ。
決定打を命中させられないのなら、範囲攻撃を当てればいい。
シャドウをしとめたときと同じパターンである。
しかも、今度はそのときとは違い、手加減なしの全力で魔法を放つ。
殺すことも厭わない一発だ。
竜巻はルカすらも簡単に空へと巻き上げる。
その高度は、ブラッドやシャドウのときより遥かに高く。最終的には命にかかわる高さまで。
そして、無遠慮に固い大地へと叩き落した。
ルカに遅れること数秒。
ドサリと、デイパックがひとつ落ちてきた。
シャドウとの戦いの前にルカが遠くへ投げ捨てたものだが、今の魔法でここまで飛んできたらしい。
男の落下の衝撃によって辺りに生じた土煙が、少女の視界をふさぐ。
彼女が男が倒れているだろう方向を、申し訳なさそうに見つめていた。
悪い子になってしまったかもしれない後悔と、ほんの少しの安堵を抱いて。
「ふははははははははははははは!!!!」
煙の奥から、笑い声。
少女が驚きを隠そうともせず、まん丸な目を見開いた。
男がまだ生きていたことに驚愕したわけではない。
生きていてもおかしくはない、とは思っていた。
しかし、笑う体力まで残されていたとは、さすがに予想だにしていなかった。
「残念だったなッ!」
晴れかけた土煙の中から、ルカが突如として現れる。
走るスタミナまでは残されていないだろうと思っていた
ちょこの反応が遅れた。
その隙を突いて、ルカは皆殺しの剣を少女の腹部へと突き立てる。
今のちょこに、この一撃を避けることは敵わない。
ルカは命中を確信していた。
さて、得意の力押しで戦局を有利に進めていた
ルカ・ブライトだが、彼はたった一つだけミスを犯した。
彼はある見当違いを起こしていたのだ。
少女の能力について、である。
ルカにタフネスと言う長所があるように、ちょこにもズバ抜けた強みがひとつある。
スピードでも、防御力でもなく、魔力だ。
ルカも、少女の魔力が高いことは重々承知のつもりでいた。
それこそ、彼が過去に出会ったどの人物よりも高いと見込んで。
だが、それでも彼は少女を過小評価していた。
少女の魔力がもつ異常性は、ルカのタフネスがもつソレに匹敵するかそれ以上。
ルカの評価の遥か上のそのまた上である。
その見当違いが、さらなる決定的な勘違いを引き起こしてしまう。
彼は、『キラキラ』を少女の『切り札』だと思い込んでいた。
ちょうど自分の持っている魔石のような、『切り札』だと。
もちろんあの魔法は、彼女の『奥の手』ではある。
現在のちょこが使うことの出来る魔法の中で最高威力を誇っているのだから。
しかし『切り札』、つまり一度しか使えない最終手段ではなかった。
「…………なッ!」
こんどはルカが驚かされる番であった。
大地から再び現れた、光の棺に。
この魔法はかなりの魔力を消費する大技だ。
にもかかわらず、少女が繰り返し放てるのはなぜか。
簡単なことだ。少女の魔力の総量が途方も無く膨大であるからだ。
「これで、終わりなの」
世界はもう一度金色に染まる。
広範囲にわたる逃げ道の無い、超破壊魔法。
ルカがこれを切り札だと勘違いしてしまうのも、仕方ないことなのかもしれない。
そうほどまでに、少女の『キラキラ』は強力だったのだから。
彼女は、真の紋章使いをも悠々凌ぐほどの大魔法使いであった。
「…………くくく……これは、愉快だ」
ルカはやっと気づいた。
彼女こそ、自分に勝ち得る唯一の人物であると。
一対一で、ルカ・ブライトを殺すことが出来るただ一人の存在であると。
そして、それに気づいて、彼は楽しそうに笑みを浮かべる。
狂喜に顔を歪めたまま、金色の衝撃に身をゆだねていた。
「ぐ……ぐ、が…………」
光が全て退散した後。
夕陽が照らす静寂の中。
ルカはもはやボロボロで、全身から血を噴出し……それでも二本の足で立っていた。
剣を手放すことなく、戦意も途切れることもなく。
「…………流石に、効いたぞ……小娘……」
「ねぇ、お兄さん。もうやめにはできないの?」
ちょこは、敵を殺さない解決策を最後まで模索していた。
それに反応を示すことなく、ルカはゆっくりと彼女の方へ進む。
少女はもう、距離を保ったりはしない。
仁王立ちで男を迎え撃とうとしていた。
「もうお兄さんじゃ、ちょこには」
「勝てないとでも……」
男が背中から取り出したのは、彼のデイパック。
シャドウとの戦いの前に遠くへ放り投げたが、少女の竜巻で男の近くに偶然戻ってきてしまったものだ。
手を突っ込んで、取り出したのは細長い木製の棒。
取り出すなり、少女へ向けて振るう。
「言いたいのか?」
「…………え?」
不思議な光が少女を包む。
直後、自らの身体に変化が起こったのをちょこは感じた。
慌てて何らかの魔法を展開しようとするが……。
だが、練り上げた魔力は奇跡を発現することなく、無情にも空気中に散っていく。
魔封じの杖。
少女の天敵ともいえるアイテムであった。
「そんな……」
「時の運、とはよくいったものだ……。だが……」
絶望する少女に、男がジリジリとにじり寄る。
少女は後ずさりをして、男から距離をとろうとしたが、どうにも力が出ない。
「それを引き寄せるのも…………君主の力……」
「……ん……ぇ…………」
ルカが追いつき、少女の胸倉を掴んで持ち上げた。
足を振り乱す少女をあざ笑いながら。
「…………」
「そして……重なるものだ。幸運も、不幸も」
男の魔力が手のひらで収束する。
それは、彼がついさっき覚えたばかりの術。
魔石ギルガメッシュを所持したまま戦ったことで会得した補助魔法だ。
「ブレイブ」
少女の『キラキラ』と同じ色。
金色の光が男の足元から全身を包むように燃え上がる。
光は男の力となり、その闘気をいっそう強くみなぎらせた。
「避けられるものなら……」
「あ…………」
少女を真上に放り投げた。
魔法を奪われた少女は、成すすべなく数メートル空を舞う。
いままで、魔法でモンスターたちを吹き飛ばしてきた、しっぺ返しを受けるかのように。
「避けてみろッ!」
「……い、いや……だ……」
ちょこが蚊の鳴くような拒絶を示したが、その声は誰にも届くことはない。
もっとも、誰かがその声を聞いたところで、この一撃を止められるものなど……どこにもいない。
悪魔の頑丈さを持つ彼女ですらも、これを食らったら一瞬で肉塊と化すことだろう。
これこそが、『ブレイブ』のアシスト効果。
攻撃力なんと三倍。
ただでさえ規格外の破壊力が、である。
それは、この男には絶対に与えてはならない魔法だった。
(………おじさん………ごめんね…………)
「豚のように鳴いて……死ねッ!!!!!」
落下したちょこの腹部に、男の全力が叩きつけられる。
反則に近い、威力。
その衝撃は大地を大きく震わせ、ギルガメッシュの一撃よりも大きなクレーターを作る。
爆音は少女の悲鳴すらかき消して。
爆風は、少女の涙すら吹き飛ばし。
最強の召喚獣をも超えるその一撃は、ただの通常攻撃であった。
◆ ◆ ◆
どこまで走ったのだろうか。
背中から戦いの気配を感じなくなってからしばらくした頃、シャドウは足を止めた。
気がつけばもう森の中。
サラサラと木の葉が擦れ、風は植物特有の爽やかな匂いを運んでくる。
「ケアルガ」
逃げながらずっとかけ続けた回復魔法。
主催者が施したのだろう制限により、その回復量は著しく抑えられている。
おかげで、傷があらかた消える頃には、シャドウの魔力はほとんど空っぽ。
おまけに身体に溜まったこの疲労だけは、魔法で消えるものではない。
耐え難い虚脱感を感じ、適当な木に身体を預けて腰を下ろす。
うっかりと眠ってしまわないように気をつけながら、目を瞑って心地よいまどろみを味わった。
ふぅ……と重い息を吐くと、両の腕すら鉛のように感じられる。
「……すまんな」
彼の簡単な謝罪は、赤毛の少女に向けたものだ。
圧倒的な強さを誇る騎士を前に、男は幼き少女を置き去りにして逃走した。
優勝するための、選択だった。
戦友に誓った勝利を求めるための。
「俺は、止まるわけには……いかん……」
先ほどナイフを突きつけながら少女に吐いた言葉を、もう一度。
今度は、自分に言い聞かせるかのように。
仲間に、殺した人たちに報いるためにも、必ず優勝しなくてはならないと彼は心に刻む。
しかし、彼にはひとつの課題があった。
優勝のために、乗り越えなくてはならない障害が。
「弱点、か……」
騎士にも指摘された、シャドウの欠点だ。
高速移動からの奇襲や撹乱を主な戦法とする彼は、広範囲魔法に弱い。
数刻前に喫した二度の敗北のその両方ともが、この弱点が原因だ。
それだけではない。今までもシャドウは、同じような形で死にかけたことが何度もあった。
だから、彼もその弱点を自覚していたはず。
完璧な仕事を遂行しようとする彼が、なぜ今の今までこのような明らさまな欠点を改善しようとすらしなかったのか。
「分かっていたさ……」
暴虐の騎士の言葉に、今更ながらに答える。
なぜ、自分が致命的な弱点を放置していたのか、シャドウはその理由になんとなく気づいていた。
ちょこの竜巻で吹き飛ばされた時……。
少女の魔法を前に、成す術なく真っ赤な空へと舞い上げられ……。
その瞬間、彼は思った。
ひとりはつらいな、と。
「くだらない…………」
理由なんか簡単だ、『彼の仕事じゃない』からだ。
敵の魔法を打ち破る役目を担っていたのは、セリスの魔法剣だ。
真っ向から打ち合うならば、ティナのトランス。
ゴゴのモノマネもいいかもしれない。
とにかく、彼が『それ』を求められることはなかった。
だから対応などしなかった。
他の仲間にまかせて、自分の長所を伸ばすことだけに専念すればいい。
しかし、仲間と共にいる間はそれでよかったが、問題はその後だ。
ケフカを倒して、世界を救ったその後はどうするつもりだったのか。
仲間と別々の道を歩み、また孤独な暗殺者に戻ることを考えると、やはり目に見える欠点は克服すべきではなかったのか。
「……飽いていたのだな、俺は」
観念したように、ため息を吐き出す。
取調室で刑事に追いつめられた犯人が、ついに自白を始めるがごとく。
彼はもう疲れてしまっていた。
たった一人の人生に。
シャドウの弱点を仲間が埋め、仲間に不足しているところを彼が補う。
そうやって支えあうことで生き抜いた旅路は、彼の心に変化を生じさせた。
「寂しい、か……。…………この俺が」
血にまみれた孤独はもう十分。
そんな気持ちを、シャドウは心のどこかに感じていた。
だからこそ魔大陸で、命の危険も省みず仲間を救った。
生きるために、他人の命すらも奪ってきた男が、である。
しかし、彼がその気持ちを直接的に表に出すことはなかった。
彼の過去が血にまみれていたせいだ。
多くの人を殺し、連れ添った相棒をも見捨て……終いには、娘を捨てた。
それらは死神となって彼を責め続ける。
自分だけが望みを叶える事を、死神は許しはしなかった。
罪を犯したなら、その報いを受けて永劫に孤独であるべきだと。
だから、仲間たちにその思いを隠し続けた。
戦友に黙って死ぬその時まで、ずっと胸の奥に秘め続けて。
その声に縛られるままに、瓦礫の塔で逝った。
「刃も、曇るに決まっている……」
その後、彼は魔王オディオによって生きかえされて、この殺し合いに強制参加させられることとなる。
彼は、皆殺しを即決した。
自らの心に根ざしていた希望から、目を背けるようにして。
しかし、殺戮を心に誓ったにも関わらず、彼はエドガーもゴゴも斬ることが出来なかった。
当たり前だ。
心の最奥で、シャドウは彼らと共に生きたいと願っていたのだから。
孤独な生き方しか許されないという十字架。
共に旅した仲間との深い絆。
この相反する二つを背負うことで生まれたのが、仲間を慕いながらも皆殺しを狙うという、全参加者の中でも特に歪な存在。
そんなどうしようない矛盾を抱えた男こそが、今のシャドウであった。
(まだ、俺は…………)
エドガーに誓うことで、迷いを断ち切ったつもりだった。
もう、過去の絆と決別して、仲間を含む全ての人物を殺すことを決意したはずだった。
ゴゴとの邂逅で、死神すらも乗り越えた。
そしてマッシュの亡骸の前で、もう一度誓った。決して振り向かないと。
だというのに。
「ちょこは……」
呟いた名前。
少女らしい可愛い名前なのに、何故か重々しく口内に反響する。
あの少女との出会いが、全てを揺るがせた。
(あの少女は、俺と同じだ)
シャドウが背負っている過去の罪。
そして心密かに願っていた賑やかな未来への願望。
その両方を、少女はそっくりそのまま抱えていたのだ。
一人は嫌だと、願って、叫んで、足掻いて。
でも、罪を背負った過去のせいで、結局は孤独の道しか歩むことが出来ない。
まるで、鏡に映った自分を見ているようで、ひどく痛ましかった。
(いや、違う。ちょこは、俺よりもずっと苦しんで、俺よりもずっと頑張っていた)
少女は、大切な人たちを、自らの手で殺した。
あの幼い心に圧し掛かった、孤独な人生を歩む負担。シャドウには計り知れない。
少女は、誰かと手を繋ぐことを望んでいた。
その絆への渇望を隠そうとすらしない。自分を殺そうとしたシャドウとも例外なく仲良くしようとした。
そして少女は、全てが思い通りになるほどの力を持っているにもかかわらず、それに頼らず心で何とか人と通じ合おうとしている。
彼女は、いい子であり続けようとしたのだ。
それが、ちょこが幼い頭で必死に考えた、償いなのだろう。
死んでしまった人に報い、罪と向き合うための。
そして亡き父親を喜ばせるための弔いなのだろう。
「それなのに、彼女はそれすらも、捨てたのだ!」
シャドウが珍しく声を張り上げる。
治りきっていない肋骨が痛む。少女に負わせられた怪我だった。
今、ちょこは騎士と戦っている。
彼女は敵を殺すと宣言した。
(孤独な、血にまみれる生き方を選んだんだ)
もう一度、人を殺す。
そうすれば、少女は再び永い孤独を歩むことになるのだろう。
もしかしたら、一人のままでこの会場で死んでいくのかもしれない。
あの騎士に殺されてしまうのかもしれない。
(こんな、男の……ために……)
全てはシャドウと、その娘のために。
愚かにも自ら捨てた人生、未来。
それらをもう一度拾い上げるチャンスを、彼に与えるために。
少女は死者を想うことすらも諦めたのだ。
「…………マッシュ」
木を支えにして、立ち上がった。
視界がぼやけ、クラクラと立ちくらみを起こす。
血が、足りなかった。
「俺は、このまま優勝したとして、胸を張って生きられるか?」
東へ一歩、踏み出そうとする。
少女と騎士が戦っているのとは、逆の方向。
太陽がいない方向だ。
しかし、体が上手く動いてくれない。
膝から力が抜けて、地面に転がる。
頭を振って、脳に鞭を打って、無理やりに身体を起こした。
「俺は背筋を伸ばせるか?」
目の前に、死神がいた。
ゴゴとの再開のおかげで消えたはずの死神を、シャドウは再び感じてしまっていた。
そいつは、赤い絵の具を染みこませた筆を持って、男の行く手を阻み。
彼女は、赤いベレー帽の下から覗く大きな両目で、悲しそうに男を睨みつけ。
死神の指では、誰かの形見の指輪が、男を元気付けるように光り輝いて。
『どこへ行くんだよ』と攻めたてるような声が。
シャドウは「そうだな……」と一言、死神に答えた後……。
「ふっ……ははは……」
顎についた泥を拭って、大声で笑った。
狂ったように、吹っ切れたように声をあげて。
忍ぶことを忘れ、ひたすらに。
「ふはははは……!」
数秒ほど、らしくない高笑いを惜しげもなく披露する。
これほど笑ったのは、『シャドウ』を名乗ってから初めてのことかもしれない。
ひどく心が軽くなった。
「そんなわけ、ないよなァ……」
このまま優勝したとしたら、とシャドウは考える。
おそらく、彼はそれすらも罪の一つにカウントするのだろう。
そして、また終わりのない孤独を自ら歩むことになる。
殺して、背負って、また殺して、それも背負って。
仲間に教えてもらった絆すらも、無駄にして。
(……貴様らのせいだぞ……マッシュ……エドガー……!)
それが馬鹿げていると、今更になってやっと気づいた。
わざと唇を噛み切って、血を流した。
そいつを洋酒に見立てて、飲み込む。
当然だが、鉄の味しかしない。
「確かに、たくさん殺した」
ゆっくりと、木を支えにして後ろを振り向いた。
眼光鋭く、笑みは絶やさず。
恐れが無いと言えば嘘だ。
だが、それを笑って受け止められるほど、彼の背中を押す力は強大だった。
「消えない罪だ」
死神の気配を背に感じる。
頼むから消えてくれるなよ。死神に願った。
沈みかけの赤い夕陽が、彼の目に刺さる。
全ての影を拒絶するような、雄々しい輝きであった。
「だから、一人にならなくちゃいけないのか?」
少女に、返せなかった言葉。
それを、馬鹿でかい紅のまん丸にぶつけた。
ありったけの荒々しさを込めて。
(ふざけろ……!)
男は怒っていた。
犯した過ちに縛られて、生きたいように生きられなかった自分にも。
男のために、犠牲となること選んだ少女にすらも。
そして、それを甘んじて受け入れてしまった自分自身が、やはり一番憎い。
(一人が辛いなら、俺がその手を握ってやる……!)
逃げないで、最初から素直に望めばよかったのだ。
共にありたいと。
仲間なら、答えてくれるに決まっていたのに。
過去も、罪も、共に分かち合ってくれると、分かっていたのに。
「エドガー、みんな。俺に力をよこせ」
仲間の一人、野生児が流した涙を思い出す。
彼は言った。「父親が生きてる、それが幸せだ」と。
そんなもんだよなとシャドウは笑う。
『絆』とは、『無条件に愛せるつながり』の事を言うのだから。
「お前たちを、裏切るための……力をッ!」
西へ一歩。確かに踏み出す。
柔らかな土の感触を、今になって初めて感じた気がした。
男は、戦友たちに約束した。必ず優勝すると。
彼は必死で進む。
その誓いを破るために。
(死神……君はそこで見ていろ)
背中の少女に向けて宣言する。
死神が何も言わずに頷いたのを、シャドウはその背で感じ取っていた。
それが、シャドウにはとても頼もしいと思えた。
孤独など、屁でもないと思えるほどに。
(俺の背中から……目を離すな)
森を抜ければ、平野が開けた。
戦場は近い。
男の鼻が感じ取る。
真っ赤な光が、緑の草原を赤く照らしていた。
(全てが終わったら……必ず君を……)
臆することなく夕陽に向かう。
紅い光を浴びながら、影はそれでも消えなかった。
何かに押されるように、シャドウは歩みを速める。
西へ西へと影は進んだ。
少女の手を、握るために。
(抱きしめにいく)
死神は、静かに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
ルカのブレイブによる超攻撃の余波が去り、何度目かの静寂に包まれる港町跡。
その爆撃にも等しい衝撃の震源地にあたる場所。
ルカが誇らしげに大地に刻まれた傷跡を眺める。
しかし、そこにあるべき少女の亡骸は見当たらなかったなかった。
少女がなぜ死んでいないのか、周囲を見渡すと。
百メートル以上先に、その原因を見つけた。
夕陽に浮かぶは、黒いシルエット。
「貴様か……ッ!」
ルカが忌々しげに、歯軋りをしながら男を睨みつける。
また殺し損なったことに、苛立ちと憎悪を感じながら。
「…………おじさん」
間一髪でシャドウに抱きとめられたちょこ。
彼女は、なぜ彼がここにいるのか分からないでいた。
細い指で、男の黒衣の胸の部分を引っ張ってみて、幻でないことを確認する。
「…………やはり、殺せなかったか……」
「……ごめんなさい…………ちょこ……」
「いや、それでいい」
少女が殺すのを躊躇ったのか。
それとも騎士の実力が、ちょこを追い詰める程のものだったのか。
おそらくは、その両方だろうとシャドウは予想。
謝る少女の頭を撫でてやる。
彼の手に感じられる暖かな感触は、確実に人間の熱だ。
そして男の胸元にしがみ付くその姿は、幼子そのもの。
にもかかわらず勇敢に狂騎士に立ち向かった彼女に、シャドウは無言で感心した。
「後は、任せておけ……」
「……でも!」
シャドウは少女を地に下ろし、自分の力で立たせる。
ルカに向けて歩き出そうとした男の服を、ちょこが引っ張って引き止める。
シャドウを心配しての行動だ。
ルカがちょことの戦いで疲労していたこと、シャドウが少々の休憩をはさんだこと。
その二つを加味したとしても、彼はルカには勝てない。
「……俺は負けない」
「……でも、でも!」
少女の手を優しく解く。
ちょこは何か言いたげだが、上手く言葉の整理がつけられない。
シャドウは少女に背を向け、手持ちの道具を確認する。
デイパックは、少女の竜巻を食らった時にどこかへ飛んでいってしまった。
彼に残されているのは、この殺し合いの一番最初から彼を助けてきた二つのアイテム。
アサッシンズと竜騎士の靴。それだけだ。
ルカと戦うには、明らかに厳しい状況。
それでも彼は、少女に勝利を宣言した。
「全てを……賭けるから……」
数十メートル先で構えるルカへと、一歩を踏み出す。
竜騎士の靴があげた軋みは、無口な男の変わりに放たれた雄たけびだ。
少女は、男の背中を不安そうに眺めるばかり。
彼のその言葉は、強がりなのか。
それとも、本気で自分が勝つと信じているのか。
彼の背中を守る死神だけが、その真意を知っていた。
「今更ノコノコと……死にに来たかッ!」
大ジャンプで迫るシャドウを迎えるは、狂皇、ルカ・ブライト。
狼は怒っていた。
久しぶりの殺人を何度も邪魔された苛立ちも、その憤りの一端を担っている。
だがそれ以上の原因は、再び自分の前に立ちはだかったこの男にあった。
先刻の無様な敗北を繰り返さんとしているその愚かさが、ルカの血液を急沸騰させていた。
「このルカ・ブライトに……貴様ごときが……!」
皆殺しの剣が炎を纏う。
この技によって焼け野原と化した港町が、一瞬だけざわめいたような気がした。
魔力の高いちょこには使わなかったこの技だが、耐性の弱いシャドウには効果絶大だろう。
そのうえブレイブによって攻撃力そのものも超強化済だ。
命中、それ即ち即死だと言っていい。
「敵うなどと……思うなァッ!」
兵器の域にまで達したソレが、一個人に向けて放たれた。
炎の龍が、遥か空まで舞い上がる。
その熱に曝され、世界は瞬く間に燃えさかった。
いくつもの市街を焼き払ってきたルカには、見慣れたこの灼熱の光景。
いつもと違うのは、これが一対一の戦いであるということ。
国家同士の戦争とはワケが違う。
国も関係なく、軍も階級もここには存在しない。
だが、たった二人の男の戦いは、戦争並みの破壊をも引き起こす。
焼け野原で始まったシビル・ウォー。
ある男が、過去に捨てたものと向き合うための戦いだった。
「…………おじさん……そんなぁ……」
見つめた先であがった爆炎。
エルクの炎ですら見劣りしてしまうほど轟々と。
その巨大な紅いドラゴンは、特攻した男の死を少女に確信させるには十分な大きさだった。
ちょこが、絶望のあまり膝から崩れ落ちる。
もし、魔法が使えたらと、自分の無力さを呪った。
「………あ………あぁッ!」
しかし、彼女は視界の隅にその姿を確認した。
流れる炎の合間を縫って跳ぶ、漆黒の影を。
呼びかけようとしたが、少女は今になって男の名前を知らないことに気づいた。
どうしようかと悩んだ挙句……。
「父さま! 頑張ってなのーーーーーッ!」
男の背中と重なった幻影へと呼びかけた。
それが彼に聞こえるのか、ちょこは少しだけ心配する。
が、叫び続けているうちに、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまった。
この距離と炎じゃ届かないんだろうな、と薄々感じながら。
少女は甲高い声を必死に枯らした。
「これで死なないとはな……!」
ルカが周囲を走り回る男を評価し、少しだけその興味を再燃させた。
男のスピードと精密さが、以前よりも増している。
スピードは、おそらく『ブレイブ』のような補助魔法に過ぎない。
しかし精密の方は、魔法でどうにかなるステータスではない。
集中力、つまり心の持ちようだ。
男の迷いが消えたことを知り、ルカは高揚した。
敗戦から立ち上がった男を今度こそ完全に壊すべく、舌なめずりをする。
「さァッ! 今度は貴様の番だ」
男を迎え撃つべく、五感を研ぎ澄ます。
前回の戦いでは、集中したルカにシャドウのスピードは全く通用しなかった。
精神の戸惑いを断ち切ったことにより、男はどこまで変わったのか。
その男の真価を見極めるために、ルカはあえて防戦を選択。
シャドウを捉えることに、全身全霊を注ぐ。
「そこかァ!」
ルカの感覚が、敵を捕捉。
探知した場所に、絶妙のタイミングで焔の剣を振るう。
魔法で強化された剣の勢いは凄まじく、武器のリーチの約十倍に渡って炎が迸り。
その軌道上の全ての存在を灰と化した。
しかし、シャドウの消し炭はそこになく。
ルカの感覚器官は確実に遅れをとっていた。
アサッシンズはルカの頬に一筋の赤を刻む。
一瞬遅れて脳に伝わる痛みを感じるまで、攻撃を受けたことにルカは気づかなかった。
驚きと喜びにその目が大きく見開かれる。
男の刃が、ついに狂皇に届いた瞬間であった。
「……………………」
シャドウがジャンプをしてルカとの距離を確保。
着地と同時に大きく息を吐く。
顎の先から滴る玉汗が、つま先に落ちて弾けた。
(……もっと……速く…………)
かすり傷だが、ルカに一撃を加えることに成功したシャドウ。
彼は自分の身体が軽くなったように感じていた。
しかし実際は違う。軽くなったのではない。
自身を縛っていた多くの枷から解き放たれたことで、彼本来のスピードに戻りつつあるのだ。
しかし、ルカを翻弄してもそれでも彼はまだ速さを渇望していた。
もっと軽く、もっと速く動くために。
(全てを……ぶつける……)
そのためには、踏み込むことだ。
敵の生み出す炎を恐れず、敵が振り回す剣を恐れず。
……死にすらも臆することなく。
ブレーキをかけずに敵の懐に踏み込まなくてはならない。
(経験も……命も……誇りすらも……)
スピードよりも、需要なのは精神力。
相手の動きの隙間を縫うことにこだわる。
投擲という選択肢がない以上、致命傷を叩き込むにはそれしかなかった。
(……なにもかも…………!)
大きく息を吸い込んで、男は再び風を超える。
背中に感じる温もりが、頼もしくて仕方ない。
「ふん。だいぶマシになったではないか!」
精神の統一は崩すことなく、ルカが心底愉快そうに笑う。
彼が口にした評価は皮肉ではない本心だ。
今まで出会った敵の中で最も速く、鋭い攻撃。
これが速さを司る真の紋章の効果だと言われたら、一瞬の疑いもなく信じてしまうほどに。
「だが、俺の首を刈れるかと言えば……ククク……」
それでもルカは余裕を見せ続けた。
この言葉もまた男の能力を正確に評したもので、決して油断などではない。
ルカが過去に首を刎ねた者の中には、慢心してこそ君主であるなどと主張する輩もいた。
彼がその言葉に感じたのは、吐き気をもよおすほどの嫌悪。
気取りたいが為だけに吐き出されたような文句だ、と当時の彼はその美学を切り捨てた。
慢心している自分に酔いたいだけならば、自室の鏡を前にポーズを決めていればよい。
戦場で命の奪い合いをしている以上、彼はいつでも本気で殺す。
犬も、老人も、稚児も。出来る限りの絶望を眺めるために。
それが、『悪』たる男の信条だった。
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2010年06月30日 22:14