鬼ごっこ死滅跳躍 ◆vV5.jnbCYw
時は少し遡る。
場所は諏訪大社より離れた北。哪多蜘蛛山よりを降りた場所。
「一つ聞くが、お前本当に邪神なのか?ん~?」
「何だその疑り深げな目は!吾輩が本気を出せば、下等生物(ニンゲン)など一ひねり……振り回すな!!」
闇夜の森の中を進むのは、黒いスーツを纏った糸目の男、夜桜凶一郎。
由緒ある夜桜家の長男にして、凄腕スパイ。
そして彼の持つ糸の先に結ばれているのは、『狂乱』のナプターク。
ひょんなことから凶一郎の玩具兼ペット兼使い走りにされた恐るべき邪神。
「へー……そうなんだー……邪神だというなら、そのお前をこんな風に出来る俺は何だ?神か?
しかし、邪神より上位の存在って何だろうな~。」
「やめろ!!吾輩は祭りの玩具ではないぞ!」
「邪神か玩具かどっちが近いかと聞かれれば、少なくとも玩具に近くないか?」
凶一郎は彼が邪神だとは全く信じないという様子で、ナプタークで8の字を描いて遊ぶ。
現にこの男と糸で結ばれて振り回されているヒトデのような何か、どちらが邪神かと言われれば、男の方だろう。
現に彼は、実の兄弟からは邪神のごとく嫌われている。
ふと凶一郎は何かを思い出したかのように、ナプタークを振り回すのをやめ、自身の掌の上に置く。
「ゼー……ゼー……やっと気が済んだか愚か者ほげぇ!?」
掌の上からでも、傲岸不遜な口を叩こうとするナプタークだが、それさえ許してもらえない。
ズム、と頭の上かグーで殴られる。
そんな中でも、笑顔を崩すことは無いからより恐ろしく、より気色悪い。
「俺が質問する前に話をするな。聞かれたことだけ答えろ。
お前はどんな技が出来るんだ?今日日、邪神だとか破壊神だとか言うなら、得意技の1つぐらいは持たないとダメだろ?」
「そこまで言うなら 「早く言え」 吾輩の力を見せてやろう。「早く言えって言っただろ」驚くでないぞ!!」
メキメキメキメキと、口が大きく開き、喉の奥からぎょろりと目玉が見える。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ォォォォ――――ッッ!!!」
凶一郎の顔の前で、大声を上げた。
それはただの騒音に非ず。
目の前で聞いた相手を狂気へと誘い、自身に服従する傀儡とすることが出来る。
全盛期の彼ならば。
雄たけびの後に訪れたのは、沈黙。
漫画ならば、シーンという効果音が背景にあってもおかしくないだろう。
「うるさっ。」
一拍置いて、凶一郎が手短極まりない感想を零した。
相変わらず糸目が開かれることは無く、何食わぬ表情でそれを聞いていた。
ナプタークの権能が弱まっていることもあるが、単純に凶一郎の精神がまともじゃないため、精神に干渉はされない。
加えて、この殺し合いに来てから一度権能を使い、その力が弱まっていたのだ。
せめて周囲に小動物か鳥がいれば、その力を見せつけることが出来たかもしれないが。
「な、何故この世界の奴等は…いや待て!確かに聞いた奴は己(うぬ)以外にもいたはずだ!!
「ガー!カァ!?」
凶一郎のザックから鳴き声がしたと思いきや、出たのはなんとカラスだった。
黒い羽根といい、どこか人を不快にさせる鳴き声と言い、カラスそのものだ。
彼自身もそのことは知っていたのだが、繪岳を見てすぐに、ザックに入ってしまったので、出していなかった。
地面に降り立ったカラスは、忠誠の姿勢でナプタークを見つめる。
鎹烏(かすがいがらす)は本来の持ち主である鬼殺隊、あるいはその御館様にしか従わないはずだ。
「見たか!吾輩の『狂乱の咆哮』は聞いた者を傀儡に出来るのだ!我が新しき眷属よ!辺りを探って来い!!」
そう言われるとすぐに、1羽のカラスは南の方へ飛んで行く。
そして、その先は戦場となっている場所。
☆
時行はトガの手を引っ張り、戦場から離れていた。
目指すは彼にとってスタート地点だった、諏訪大社。
あの場所ならば自分が良く知っているし、隠れる場所だってある。
「もう少しで私が知っている場所にたどり着く。それまで我慢してくれ。」
「は……はい……。」
たびたび敵に姿が変わる有様に、分かってはいてもぎょっとする。
(カタクリ殿…無事でいてくれよ……)
戦場からは大分離れた。
それでも風やカラスの鳴き声に混じって、戦いの音が聞こえてくる。
百人規模、あるいは千人規模の戦ならばこの距離まで聞こえてきてもおかしくない。
だが、そんな戦いをたった2人でやっているのだというから始末におえない。
自分が出来ることは、カタクリの邪魔にならないように逃げるだけだ。
こうして走っているだけでも、あの虹色の目の男を思い出すと寒気が走る。
鬼、羅刹、修羅、妖怪、物の怪、あやかし。
時行の時代にも、言の葉を飛ばせる舌を持ちながら、人にあらざる存在は知られている。
あの男は、上の言葉のどれかは分からないが、間違いなくそちら側に該当する。
そんなことを、幼い少年故の第六感が告げていた。
奇妙な髪や瞳の色をしているから、奇妙な技を使ったからというわけではない。
もっとどこか、底知れぬ部分で人とは違う何かを抱いている。そんな感じがした。
それ故、この少女の殺意に気付かなかった。
鬼が醸し出す、刃物のような空気に比べれば、人間であるトガの殺意など小さなものでしかないから。
(見えた…諏訪大社だ……)
馴染みの建造物が見えて来て、安堵する。
自分らが居ぬ間に誰かがやってきて、待ち伏せしている可能性も考慮し、警戒する。
いざとなればすぐに、別方向に逃げることも念頭に入れる。
カタクリと共にここを発つ際に、周囲の地形も把握しておいた。
その瞬間、時行の手を握ったトガの力が抜ける。
彼女は地面にドサリと転がった。
激しい咳をすると、血を混じった痰を吐き出した。
「しっかりしろ!」
励ましの言葉をかけて治るならば、医者も薬も必要ない。
だが、どうすればいいか分からない時行には、そうするしか出来なかった。
「薬……もって……ませんか?」
なおも苦しそうなトガは、時行の支給品の中身を聞いてくる。
カタクリに言われた時もそうだったが、彼は何が薬に該当するのか分からない。
だが、彼女ならば分かるのではないか。そう考えて、支給品袋をひっくり返した。
既に支給品は、全て時行の使えぬ武器・道具だと分かっている。
だが、異なる世界の彼女ならば使えるものがあるのではないか。
「何か知っている物はあるか?」
トガヒミコが注目したのは、注射針だった。
しかも中身は空ではなく、何かの薬が入っている。
注射器が発明される前の時代の人間の時行は、それが医療器具ではなく、職人や大工が素材に穴を開ける錐だと思っていた。
だが、彼の世界よりずっと医学が進んでいる世界から来たトガは違う。
彼女は付属の説明書を読むと、すぐに自分の腕に注射針を突き刺した。
「何やってるの!?」
注射と言う物を知らない時行にとっては、それは自傷行為にしか見えない。
だが、トガが注射したその薬は、確かに効果を発揮した。
何しろそれは、鬼の首魁との戦いに向けて、作られた治療薬なのだから。
「ゲホッ……ごほッ……。」
「大丈夫か!?」
咳は出たが、それを境に痛みや脈の狂いは治まった。
そして、姿が童磨に変わることも無くなった。
少女は蹲ったままだったが、しばらくすると呼吸が整ってきた。
立ち上がってくると、その様子に時行も安堵する。
「助かったようで何よりだ。貴方の名………。」
まともに会話できそうになった時行は、少女に名前を尋ねようとした。
だが、その言葉は尻切れトンボのように小さくなった。
なぜなら、幼き少年の第六感が、感じ取ったからだ。
これまでで何度か経験した、確かな殺意を。
これは五大院宗繁が優しい叔父の振りをして自身に近づいた時。
そして小笠原貞宗の眼力で自身を見つめられた時
さらに瘴肝が、自分を四貫文(二十万円)として舐めるように見て来た時。
他にも足利の息のかかった者が、自身を大金とみなした睨め付けられた時の感覚だ。
「トガです。トガヒミコって、言います。」
それは、何気ない自己紹介。
しかしその片手間に日輪刀を抜き、若君の首筋を串刺しにしようとした。
「!!」
時行は身体を逸らし、済んでの所で躱した。
だが、彼の服の袖が切れた。
「君の名前は時行君だっけ?カァイイねえ。その目、キレイだねえ。」
金色の瞳を爛々と光らせ、口が耳まで届くかと錯覚するくらい釣り上げている。
その口から見える八重歯が、牙のように見えた。
(くそ……虹の目の男のことばかり考えていたせいだ!!)
トガヒミコという少女は、自分の命を狙っている女鬼だとはっきり分かった。
彼女を恩知らずだと罵倒するつもりはない。
薬をあげた相手を襲わない、受けた恩は必ず返すという保証は、そもそも無い。
鎌倉末期という時代、そしてこの殺し合いの世界では、隙を見せたことが罪なのだ。
まだ10の齢も行かぬ時行でさえ、その事実を知っている。
尊氏とその勢力に家族と家を奪われた時、性善説は彼の世界から失われている。
なので、自分を襲った理由など聞かず、一目散に逃げた。
支給品を全て地面に落としたままだが、彼に使える物は無かった以上、未練はない。
自分には逃げの技術がある。
相手を振り切るか、はたまたカタクリが戻って来るまで、ひたすら逃げるだけだ。
「お薬を貰ったのに悪いんですが、時行君は私の願いを叶えるために死んでくれませんか?」
(そんなことを言われて待つ奴がいるか!!)
幸いなことに、この辺りの地形は覚えている。
最初にひときわ大きな木が見えた所で左に曲がり、次の茂みの手前で右。
そこからまっすぐ走り、今度の茂みは突っ走る。
夜中だということもあり、敵を撒くには森の中の方が良いと判断した。
走る道は、時行の小柄さを存分に生かしたコースだ。
カタクリが戦いにおいて完璧ならば、時行という少年は逃げにおいて完璧だ。
その才能は、戦場を潜り抜けた大人さえも攪乱する。
「時行君はカァイイねえ。カァイイ子の血を、口直しにチウチウと吸いたいです。」
それでもなお、彼女の声が背後から聞こえて来た。
彼女が堅気の道を外れたのは、人を刺し殺したことが発端だ。
それはそうとして、誰彼構わず殺そうと考える性格ではない。
現に敵(ヴィラン)連合というチームを組み、嫌々ながらも死穢八斎會という他組織に協力することもある。
団体行動が出来るための、最低限度の常識は弁えている。
何食わぬ顔して、カタクリと時行の同盟の中に隠れることも念頭に入れていた。
だが、それでは自身の素性を知っているヒーロー達から隠れられない。
隠れ蓑となる姿、即ち参加者の血が必要だ。
その点、この北条時行という少年の姿は最高だ。
幼い少年の姿になれば、ヒーローであれば誰もが守ってくれるはずだから。
鬼の毒による体の不調が薄れるとすぐに、彼を刺殺して血を奪うことに決めた。
「待ってくれませんかあ?私は時行君と、お友達になりたいのです。」
天性の素早さで逃げる時行を、トガは追いかけ始める。
瞬く間に諏訪大社から離れ、森の中へ。
真っすぐ走り、背の低い場所にある枝を潜り抜け、小さな岩を飛び越え。
何度か彼女の刺突が、少年の柔肌を貫こうとする。
だが、空を切ったものか、当たったとしても傷を付けられたのは時行の袴だけ。
天性の逃げ上手は、敵(ヴィラン)の攻撃さえも悉く凌いでいく。
(くそ……どうやったら捲ける……。どうやったら反撃できる!)
一方で、時行の表情にも焦りが見えていた。
なにしろこのトガヒミコという少女、足が速いだけではない。
逃げても逃げても、ピッタリとくっ付いてくる。
直線でも茂みの中でも、自分以外は背を低くしないとくぐれない木の枝を通った時も、減速する様子が無い。
彼よりずっと先の時代の言葉を引用するならば、ストーカーでもやっているかのようについてくる。
今までの経験から、地面の出っ張りや穴ぼこ、曲がり角など、どこかで追跡者が失速する箇所はあった。
だが、彼女にはそれがない。
理由は簡単。彼女はこれまで時行を追った武士や野盗と異なり、逃げの人生を歩んだ経験を積んでいるからだ。
トガヒミコという少女もまた、人通りの真ん中を歩くことを許されず、自分を追う者から逃げ続けてきた。
その原因が理不尽によるものなのか、それとも己が欲のためなのか。そんな違いはこの際どうでもいい。
逃げ上手の若乙女だった彼女は、戦う術のみならず、社会の隅から隅へと逃げる術も兼ね備えている。
さらに、敵連合の一員として、夜の森でヒーローたちと戦った経験も、彼を追いかけるのに役立った。
(はあ………はあ………。)
今までの時とまるで違う。
時行はトガとその凶刃から逃げ続ける中、そう感じ始めた。
そしてこの猫のような眼の色をした女は、今までの追跡者の誰よりも手ごわかった。
☆
カラスが南の方角に飛んで行ってしばらくのこと。
「なあ、あのカラス、本当に従えられたのか?逃げられたんじゃないのか?」
「違うに決まってるだろう!帰りが遅いだけだ!!」
凶一郎とナプタークがそんなやりとりを繰り広げていると、カラスが鳴き声と共に戻って来た。
「ガー、ガー!!危険!鬼!!南西ニ鬼!!」
鎹烏は、慌てて捲し立てるかのような剣幕で、遠くで見たことを報告する。
凶一郎は疑り深げに眉間にしわを寄せ、カラスのつぶらな瞳を見つめる。
彼の生まれ育った世界は、鎹烏が飛び回っていた世界とは異なるので、そんな視線になるのも当然だ。
夜桜の家の長男として、『タンポポ』のメンバーのように異形の姿をした者と戦った経験はあるが、機会そのものは少ない。
だが、山の真ん中で戦った獪岳のような者だと考える。
そしてそんな鼻持ちならない輩が六美に近づけばどうなるか。想像しただけで悍ましい。
「マグ=メヌエクや宮薙流々ではないようだが……他に見た者はいないのか?」
「南東ニ、少女ニ追イカケラレテイル少年アリ!!」
「……その少女の髪の色は?」
「金色ダ!ソレヨリ主人ヲ離セ!!」
鎹烏は、凶一郎には敵意をむき出しにする。
一応主人であるナプタークを宙づりにしている彼に対し、良い感情など抱くわけは無いが。
そもそも番犬のゴリアテにさえ嫌われている時点で、この男が動物に好かれるはずなどないのだ。
(金髪というと、四怨や六美じゃ無いな。)
首を振り子のようにして、カラスのくちばしを躱しながら、凶一郎は考える。
追いかけっこをしていたということには気になったが、それより六美が鬼の近くにいないということに安堵した。
そして追いかけられているのが太陽だという可能性も低い。
彼ならば、追跡者相手に反撃の一発でも入れるはずだ。
(鬼って奴らが気がかりだな……。)
烏からの話を聞くとすぐに、凶一郎は南西へと走り出そうとした。
「お、おい!吾輩はそんな危ない奴等の所へ行きたくないぞ!!我が眷属も何とか言ったらどうだ!!」
ナプタークの声に伴って、カラスも凶一郎に攻撃を仕掛け……なかった。
彼に操られているとはいえ、鎹烏もまた、鬼を倒すために生きる鳥だ。
たとえ精神の干渉を受けたとしても、本能までは覆せない。
なので、警告をしても、鬼の下へ戦いに行こうとする者を止めたりはしなかった。
「あーもううるさいな。じゃあお前は
鬼ごっこをしているという奴らの所へ行くかこの場で待っていろ。
逃げたらその尖った部分を落として丸くするからな。」
彼は初めて、ナプタークの拘束を解いた。
「そ、そんなことはゴメンだ!」
『狂乱』のナプターク
夜桜家の長男に脅迫され、逃げることも出来ない恐るべき邪神。
彼が南東へ行った後、凶一郎もすぐに南西へと走る。
正義の味方になったつもりは無いが、六美に害を与える可能性がある者は排除すべき。
彼の思想信条は家族を全てにおいて優先する。
無駄に戦いで時間を浪費するのは本末転倒だが、あの雷使いの男のように、適当にあしらってやればよい。
舞台の表と裏で繰り広げられる戦いに、新たな参戦者が来るまで、あと少し。
最終更新:2022年11月16日 23:17