――聖夜(1)――
12月24日、クリスマスイブ。
とはいっても、今日もまだ学校がある。
少し前の私なら、初めて恋人と過ごすこの日を大喜びで迎えただろう。
あの、おそらく清澄の人が訪ねてきてから1週間、私は悩んだ。考えた。
そして、今日、私は彼女に答えを見せよう。
別に彼女が出した問題なんかじゃないけど。
「和、ちょっと屋上に行かない?」
部活に行こうと迎えに来た和に私はそう言って、手を握った。
やっぱり和の手は冷たいな、なんて初めて手を繋いだころを思い出した。
和はわけがわからなそうにしつつも、手を振り払おうとはしなかった。
ありがたいことに屋上は見たところ、偶然にも誰もいなかった。
「はぁはぁ…」
階段を駆け上がってきたからだろう。
私も和も息が上がっていた。
二人して息切れしてる様子にどちらともなく笑顔がこぼれた。
息切れと相まって苦しくなる。
でも、きっと、これが最後だから、これでいい。
「はぁはぁ、はぁ…。」
少しずつ息が整っていく。
それは終わりに近づいて行くことを意味している。
私は答えを出した。
「……和、別れて。」
別れようと言わなかったのは私の強がり。
屋上から校庭を見下ろすと、そこには沢山のカップルが寄り添うように歩いていて、私は空を見上げた。
「え…?」
唐突だったからだろう。
和は驚きと聞き間違いでしょって感じに声をあげた。
私は空を見上げたまま、口を開く。
「別れてほしいの。」
少し声を大きくしていった。
そう、これが私の答え。
「な、なんで…?何でですか?」
「……私は!」
だって後悔しない人生なんてないし。
でも好きな人が目の前で後悔していくのなんて見てらんない。
「誰かの代わりなんてまっぴらごめん。」
本音半分嘘半分。
誰かの代わりでもいいって思う自分がいたのも事実。
「え?」
「私を抱きしめる時、私とキスするとき…。和は何を考えてた?」
これがあの時からの違和感。
和は私を通して誰を思っていた?
「……好きな人、いるでしょ?私より。」
和は黙る。
沈黙は肯定。
私は勝手にそう受け取る。
「ねぇ、和。教えてほしいことがあるんだ。その私より好きな人のこと。」
もしここで、和がすぐに否定の言葉を出しえくれたなら、それならよかった。
そしたら、私は和の私への愛を確かめるための冗談だよ。ごめんね。って笑うことができた。
でも、和は黙ったまま。
「その人と何があったの?」
せめて、せめて私には本当のこと言ってほしい。
少しの間だけでも通じ合ってたはずなんだから。
「……私は彼女を裏切って、傷つけてしまいました。」
和は口を開いた。
私は振り向いて和と向き合う。
私は黙って和の告白に耳を傾けた。
和の顔は今にも泣きそうで、私はそれを見て泣きそうになった。
「嫌われれば、諦められると思いました。だから、また彼女を傷つけてしまいました。彼女を傷つけてでも、嫌われてしまえば、彼女はもう、傷付くことはなくなる…」
「はぁ?そんなの意味わかんないよ!」
私は和の言葉を遮った。
遮ってなるべく大きな声を出した。
「好きなのに傷つけるなんて私にはわかんないよ!」
和は口を閉じ、俯いた。
私は続ける。
「和……。本当は、今でも好きなんでしょ?大切なんでしょ?その人のこと。」
「もう……、戻れません!あんなに傷つけてしまった今、もう、戻ることなんてできません!」
和は下を向いたまま叫んだ。
和の叫びは今もその人を好きだって、私より好きだってことを認めているってことだった。
「バカ和ッ!それは今もその人を傷つけてるんじゃないの!?」
でも、今はその事実を嘆くことよりも大切だった。
「戻ろうともしてないのに戻れるわけないでしょ!まだ和は何も行動してないのに……。後悔なんてそのあとからできるよ!」
今私が願うのは、和がそんな悲しい顔をしないことだ。
幸せそうに笑うことだ。
「和……。私はその人にはなれないよ。その人の代わりになんてなれないよ!」
絶対泣かないって決めてた。
だから、こらえた。
「……私は。」
「私は!和のことが好きだよ!でも、和が好きなのは私じゃない!」
和、私は本当に和のことが好き。
その人の代わりでもいいって思うくらい、和が好き。
でも、和、まだ戻れるんだよ?
このまま私といたら、本当に戻れなくなる時がきちゃうんだよ。
それは和にとって、幸せなの?
……そんなことない。そんなことない!
「だから、私はその人の代わりなんてまっぴらごめん。」
そう言って私は外に視線を移した。
下を見下ろすと、さっきまで歩いていた人たちも随分少なくなっていた。
「……淡。」
その先の言葉はなぜか予想がついた。
私は耐える準備をする。
「ごめんなさい。……、ありがとう。」
私は和の方を笑顔を作って振り返る。
「和……。頑張れっ!」
和は今日初めて笑った。
「はいっ!」
駆けだしていく和の背中を見送りながら、私はこれでいいんだと自分に言い聞かせ、また外に視線を戻した。
少しして、そこを駆けていく桃色の髪が見えた。
* * *
最近は部活が始まる前に屋上に1人で来ている。
あの竹井という奴と話をした時から私の中にもやもやした、なんと言えばいいかわからない気持ちが芽生えていた。
ここは風が冷たくそんなもやもやを吹き飛ばしてくれる気がしていた。
この時間は、いつも沢山人がいたが、今日はクリスマスイブだからだろうか?
私以外誰もいなかった。
ドアが開く音がするまでは。
最初はいつものように、人が来ただけだと思い、気にも留めていなかった。
「和、別れて。」
でもこの言葉が聞こえてきた瞬間、私は他のことをする余裕はなくなった。
原村と淡がつきあっていることは知っていた。
いつも手を繋いで登下校しているし、部内でも特別仲がいい。
部内で知らない人はいないくらいだ。
私はそれを好奇の目で見るというよりは、私と照との関係と対比させるように見ていた。
原村は当初照と似ていた。
これは間違いない。
でも、淡と出会ってから、照と異なるようになっていた。
何が違うのだろうか?
もちろん原村と照は別の人間であるから、それは当然のことだ。
当然のことなのに、私は自分と淡を比較するようになっていた。
私は二人の会話に耳を傾けていた。
そして、会話は終わり、原村は白糸台に来て、1番いい笑顔をして屋上を去った。
淡も笑っていた。
でも、それはドアが閉まる瞬間に消え、淡は外に顔を向けた。
「……淡。」
その背中に私は話しかけてしまっていた。
淡は振り返らずに、言葉を返す。
「……菫先輩、いたんですか。」
その背中はしっかりしていて、ぶれない。
「……私、後悔してませんよ。」
話しかけたはいいが、次に続ける言葉が見つからず黙っていた私に淡は力強く言う。
「私、泣きませんよ。私が泣いたら、和が気にしちゃうから、絶対泣かないって決めてたんです。」
あぁそうか。
淡は私と違うんだ。
違う選択をしたんだ。
「でも……。今は1人にしてもらえませんか?」
* * *
屋上を後にした私は悩んだ。
今までの自分の選択は正しいのか?
部室に向かう途中で、照に会った。
脳裏に浮かぶのはあの原村の笑顔だった。
私は照のあんな笑顔を見たことがあるだろうか…?
いや、ない。
私はずっと代わりでも構わないと思っていた。
でも、それは今初めて揺れた。
「原村と淡が来てないな。」
部活が始まると同時に照が言った。
私はさっきの出来事のことを言おうかと悩んだ。
「まぁ、今日はイブだからな。」
照はそう言って、どこかの雀卓に入った。
私は誰かの代わりでも、幸せだ。
でも、照は、幸せなのだろうか…?
今まで考えたことがなかった。
麻雀をやる照の横顔を眺めた。
彼女は何かにとりつかれたように麻雀を打っていた。
* * *
クリスマスイブか…。
そう思いながら空を見上げると、雲が空を覆っていた。
これから降るのは雨か、雪か…。
「咲ちゃん!置いてっちゃうじぇー!?」
できれば雪がいいな。
そう思いながら、私は優希ちゃんに振り返る。
「うん!今行くー!」
雨は嫌い。
だって思い出が強すぎる。
「降りそうだじょ。」
優希ちゃんは空を見上げて呟いた。
「雪だといいね!」
優希ちゃんが私を見て笑顔で言った。
それはきっと何気ない一言。
「そうだね。」
空を見上げながら答えて、私は傘を手に取った。
今日は麻雀部でクリスマスパーティーだ。
* * *
「遅れました。」
淡は遅れて部活にやってきた。
でも、もうここには私と菫の2人しかいない。
今日はクリスマスイブ。
だから早めに切り上げた。
でも、淡はそれを知らない。
誰も淡がどこにいるかも知らなかった。
だから私達は淡を待つことにした。
「あ、あれ…?もしかして、もう終わりでしたか?」
不思議に思った。
なぜ淡しかいないのだろう?
原村と一緒にいるものだと思っていた。
「あぁ、今日はイブだから。」
イブだから、早めに切り上げた。
それは淡たちにとっても嬉しいことだろう。
なのに、なんで1人なんだ?
「淡…?原村はどうした?一緒じゃないの?」
そう言った瞬間、菫のお茶を飲む手が止まった。
淡は俯いた。
「……和は、」
耳を疑う。
だってそうだろう。
原村和は私と同じだ。
同じはずなんだ。
「長野に向かいました。」
なのに、なぜ?
* * *
淡、ごめんなさい。ありがとう。
屋上を飛び出し、私は走る。
「戻ろうともしてないのに、戻れるわけないでしょ!」
その通りだと思った。
あの時を懐かしんで、羨んで、憎んで。
結局私は帰りたかったんだ。戻りたかったんだ。
淡は私にそれを教えてくれた。
走る私にどこからか流れてきた音楽が耳に入る。
それはイブには似つかわしくない。
でも、今の私によく似合う。
~まだ走れば、間に合うのかな
終わらせたくない想いを抱いて
面倒くさい奴って思われるかな
このままじゃ何も始まらないから
傷が深くならないようにって守ってたのは
きっと違うなって、そう思えた~
行き交う人に肩をぶつけ、頭を下げた。
嫌われれば、諦められる…?
そう思い、私は彼女を傷つけた。
「好きなのに傷つけるなんて私にはわかんないよ!」
そう、淡の言う通りだ。
私は一番大好きな人を傷つけていた。
そしてそれでいいのだと。
~今しかないんだ。 神様。
本気なんだ。伝えに行きたいんだ。
やっと素直な自分が今、ここにいるんだ
お願い、このまま終わるのは嫌だ
嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌なんだ~
淡、ごめん。
私はずっと淡の優しさに、温かさに甘えていたね。
淡、ありがとう。
私に本当に大切なことを、素直な気持ちを気付かせてくれて。
~今走れば間に合うのかな
君に届くのか確かじゃないけど
めんどくさい奴って思われたっていい
このままじゃ何も変えられないから
傷付いてもいいから会いたいんだ、伝えたいんだ
きみをなくしたくはなかったんだ~
私がずっと恐れていたこと、それは咲さんを失うことだったはずなのに。
ごめんなさい、咲さん。
今更間に合うかなんてわからない。
もう本当に手遅れで届かないかもしれない。
でも、あの時言えなかったことを、本当の気持ちを伝えたい。
私はあなたが好きです、と。
* * *
「照…!」
淡が原村と別れたことを、長野に向かったことを伝えた時、照は固まって動かなかった。
呼んでも、照はこっちを見ない。
淡はそれを告げると、部室を出ていった。
「……どうして?」
「え?」
2人しかいない静かな部室に照の声は響き渡る。
「……どうして!?なんであいつは自分が傷つけた奴に会いに行けるんだ!?どうして…?どうしてそんなことができるんだ!?今更、どうして会おうと出来る!?今更…何を伝えられるんだ!?」
照の叫びは原村への苛立ちではない。
きっと自分自身への叫び。
「照……。」
私はそんな照を見ていることしかできないのか…?
どうして照と原村は違ったのか…?
それは私と淡の選択の違い。
私は自分の幸せを選び、淡は原村の幸せを選んだ。
「ごめん…!ごめん!照!」
私のせいだ。
私のせいで照は未だに呪縛が解けないでいるんだ。
私のせいで照は出口を見つけられないでいるんだ。
自分から抱きしめた照の体はいつになく小さく思えた。
「…菫?」
「ごめん…!ごめん、ごめん!」
照の背中に顔を埋め、私は謝る。
今からでも、間に合うだろうか?
でも、きっとこうしなきゃいけなかった。
少し息を吸い込んだ。
「照…。会いに行こう。妹に、咲に…!」
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最終更新:2010年02月19日 01:14