55-381「月刊佐々木さん6月号」

昨今巷で騒がれている地球温暖化の影響による異常気象とやらも
梅雨前線にはあまり関係がなかったようで、つまりここのところ
しとしとと雨が降り続ける毎日なのである。

6月も半ばを過ぎ、紫陽花が青に紫にピンクと通学路の彩りを
加えてくれているコトは本来自然に感謝すべきところなのだろうが
こうも毎日続くと気が滅入ってしまうのは仕方のない事だった。

「よう、佐々木」
「あぁ、おはようキョン。今日も浮かない顔をしているね」

いつものことだ。気にするな。

「梅雨に敵愾心を抱くのは無理からぬ事かもしれないが、自然には逆らえない。
 それに日本から梅雨がなくなっては農家の方々を始め、夏場の水不足が
 深刻な地域など、困る人が大勢いる事も忘れてはならないね」

わかってるさ、そんな事は。だがたまにはお天道様の顔を拝みたくなるのが人の性だろ。

「だね。実は僕の母親もこの時期になると、乾燥機の導入を真剣に父と論議し始める。
 何事もバランスが大事だと言うところか」
「そうだな」

塾に通うようになり2ヶ月。佐々木と一緒に勉強する事になって1ヶ月。
最近は塾だけでなく、学校において他愛ない会話するようになった。

「あ、佐々木さーん」
「はい、どうしたの?あぁ、またね、キョン」
「おう」

良く話すようになって程なく気づいたが、佐々木は女子相手と男子相手では言葉遣いが異なるらしい。
女子とはフツーの一般的な女子の口調なのだが、男子と話す場合は口調まで男っぽくなるのだ。

「キョン」
「ん、あぁ国木田か。おはようさん」
「うん、おはよう。今日も雨だね」
「全く。この時期はほとんど室内で筋トレに終始せねばならんのが歯がゆい」

国木田と中河。学年トップクラスの秀才と、スポ根バカの2人が揃って教室に入ってきた。

「中河もおはよう。朝練か?」
「あぁ。と言っても校庭を走り回れる訳ではないからな……フラスコレーションが溜まるというものだ」
「……それは多分フラストレーションだよ」

国木田の冷静な突っ込みを豪快に笑い飛ばす。こら、やめろ。ツバが飛んできた。

それにしてもこの梅雨の時期のジメジメ感はなんとかならんものだろうか。
夏に向けて気温も徐々に上昇し始めると共に、相乗効果で湿気が加速度的に不快になる。 

せっかく授業を真面目に受けようとしているのに、端からやる気を削がれてしまうだろう。
俺はこんなにやる気なのに、湿度が高いせいで、授業中に落書きとか始めてしまうじゃないか。
全く困ったもんだぜ。いや、ホントは真面目に受けたいんだからな?本当だ。

そんな俺の背中を指でトントンと叩かれる。
次いで後ろの席のヤツが小さな紙切れを指に挟んで差し出した。

板書している先生に見つからぬよう素早く受け取り、目線で礼を言った。
さてさて、誰からで何と書いてあるものか。

『キョン 今日の授業内容は試験に出そうだから真面目に受けた方が良い 佐々木』

見られていた……だと……。
だがテストに出ると言われては致し方ない。
肌に貼りつくシャツを振り払うように、俺は一心不乱にノートを取り始めるのだった。

放課後。朝から降っている雨は未だに止む気配がない。
いや、朝からというのは語弊があるかもしれないな。
昨夜寝る時も雨は降っていたので、もし夜中の間も人知れず降り続けていたのなら
延々とひたすら降り続けているのかもしれなかった。

なんとまぁ勤勉なこった。俺にゃ真似できん。

「待ったかな?」
「いや、ぼーっとしてたし問題ない」

今日は塾がないので学校の図書室の一角に潜み、塾の課題をやりつつ
佐々木先生より不明な点をお聞きするという算段だ。

「それじゃあ始めようか、キョン」
「ああ。よろしく頼む」

カリカリと鉛筆の走る音が静かな図書室に染み渡っていく。
時折聞こえる運動部の掛け声や、廊下を歩く女生徒たちの声、
そして微かに聞こえるサーという雨音。

図書室はカビ対策のためか校内では職員室と保健室を除いては
唯一空調が効いており、要するに現在除湿作動中のこの空間は
勉強に集中するのに最適な場所なのだ。

塾で配布された問題集は単元ごとに参考時間が設けられているので
まずはその時間内に解ける問題から解いていく。

分からないところはとりあえず飛ばすが、時間が余っている限りは
頭をヒネり、考え、悩みぬかなければならない、というのが佐々木先生のお達しだった。

『何でも最初から人に聞いては君のためにならないからね。
 自力で解こうとする姿勢にこそ、問題を解く力が宿るものだよ』

本番で他人に質問できる訳など当然ないのだから、至極正論だ。
そういう訳で俺は半年前、いや2ヶ月前ならガラでもないと自分で思うほど
真剣に数学の問題に向き合っている。

それでも対面に座る佐々木をチラリと見ると鉛筆が止まることなく淀むことなく進んでいる。
全くたいしたもんだ。

「ふむ。そろそろ時間かな」
「ん、もうか」

時計を見れば開始してから1時間が経過していた。

「どうかな?」
「うーむ。とりあえずあからさまに不安があるのはこの辺だな……」
「ほう」
「単純な計算問題はなんとかなってると思うんだが……」

黙って佐々木は俺のノートを見ている。
長い睫毛が幾度か瞬きで開閉される度に、パシパシと音を立てていそうだ。
耳を澄ませば聞こえるんじゃなかろうか。

「解き方としては良いんだが……ココとココ。それにココは途中でケアレスミスしているね」
「な、なんだとっ……う、た、確かに……」
「まぁそういう失敗は気をつけて落ち着いてやれば減っていくものさ。
 後は見直しを習慣にした方が良いかな」
「わ、わかった」

それから、と佐々木は挟んで

「キョンは文章問題を計算式に置き換えるのがまだ得意じゃないみたいだね」
「そんな事を得意とするヤツがこの世にはいるのか……」
「当然だろう。というかキョンも得意になってくれないと僕が困る」

今日の勉強会も不甲斐ない散々な事になりそうだ。
まぁ、だからこそ佐々木に協力してもらっている訳だが。

かきかき。カリカリ。けしけし。ペラペラ。
目の前で勉強に没頭している人間がいるせいか
自分まで勉強に集中できていたようで佐々木から声をかけられる頃には
校内に下校を促がすチャイムメロディが響き渡り、外はすっかり暗くなっていた。

「キョン。そろそろ帰らないとまずいね」
「……あ、あぁ、もうそんな時間か」
「随分集中できていたようだね」
「まぁな」

その大半はお前のおかげだが、その事が俺の口をついて出る事はなかった。

「まだ雨降ってるんだな」
「うむ、そのようだ」

言いながら俺たちはカバンに勉強道具をしまい込んだ。

「佐々木は傘持ってきたのか?」
「……キョン、今朝登校する時にも雨は降っていたんだが……」
「……」
「君にとって僕のイメージとは雨が降っているのに傘を持たずに家を出て
 さらに雨に濡れながらそのまま学校まで来るような人間なのかい」
「……すまんかった」

そんな他愛もない話をしながら、誰もいなくなった廊下を、佐々木と肩を並べて歩く。

「明日は晴れるかねぇ」
「梅雨の中休みに期待したいところだね」
「だな」

校門前。佐々木はアッチ。俺はコッチ。

「じゃあまた明日。授業の復習は忘れずにやりたまえよ」
「面倒だがまぁやるさ。また明日な」

そうして佐々木は手を振って俺と逆方向へ歩き出した。
男言葉で話す佐々木の傘は淡い薄桃色で、ほの暗い梅雨の景色の中に一際明るく見える。

佐々木の姿が遠く見えなくなる前に、俺は自分の家へと足を向けるのだった。

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最終更新:2010年06月27日 14:49
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