66-677「報道された出来事だけが事実となるかい?」

「春だね、キョン」
 夕暮れ時、二人それぞれ自転車を押して歩きながら
 佐々木は綿毛になったタンポポを摘むと、ふっと息を吹きかけた。
 小学校低学年がよくやるような、子供っぽい、ふだん必要以上に大人びた佐々木らしくない仕草。
 その瞳のまま、こちらをくるりと覗き込んでくる。

「おや、何か言いたそうじゃないか親友」
 お前が何か言いたいからそう見えるんじゃないか、佐々木。
「くくっ、それは当てはまらないね。今まで僕がキミに語りかける時、そんなきっかけを必要としていたかい?」
「まあそうだな。お前はいつも聞いてもないのにベラベラ喋る、そんな奴だ」
「嫌なら留めてくれたまえ。僕はどうも空気というのを読むのが苦手でね」
 お前で苦手レベルなら俺はどうなる。
「鈍重な感性だとは思っているよ」
「わざわざ引き伸ばすな」
 鈍感で二文字だろ。

「くく、悪いね。どうも気分が高揚しているのかもしれない」
「佐々木、そんなにお前って春が好きだったか?」
 言ってふと気付いたが、先に指摘された。
「それ以前にね、僕はキミと共に春を過ごした経験そのものが殆どないだろ?」
「そういやそうかもしれんな」

 佐々木と出会ったのは中学三年進級後、俺が塾に放り込まれてからだ。
 佐々木と別れたのは中学三年を終えた三月の頃。佐々木と再会した高二の春はそれどころではなかった。
 出会ってすぐに意気投合したという訳じゃなし、中学三年の春休みにはもう親交は途絶えていたし
 再会した時はそれどころじゃなかった、つまるところ

「こうしてキミとゆったり過ごす春は、僕には初めてなのだからね」
「つっても別にいつもと変わったもんでもないがな」
 高校三年の春は一生に一度しかない。このフレーズは「××生の×年の×は一生に一度しかない」に変換することで
 小学校~大学卒業まで、あらゆる年次と季節、イベントに変換される陳腐な一言だ。
 けれど、まあ。

「でもまあ、確かにそうかもしれん」
 高校入学時にハルヒと出会って早二年経った。
 あらゆるイベントを猛烈に楽しもうとするアイツに感化された事は否定しない。否定しようもない。
 だからといって、俺が率先してイベントに切り込むようなファイティングスピリッツを得たという訳でもないが
 それでも、変わってしまった事だけは、否定しようもない事だ。

「こら佐々木」
「おや何か問題でもあったかな?」
 歩きながら、佐々木は俺の左胸辺りにぐりぐりと後頭部を押し当ててきた。何しやがる親友。
「なんでもないよ。ただ何となくさ。何となく」
「まったく。お前らしくもねえな」
「そうでもないさ」
 綿毛のなくなったタンポポをくるくると回しながら

「誰だって、自分と話をしている時には自分の事だけを考えて欲しいものだろ」
「相変わらず無駄に勘がいいな。お前は」
「くく、キミこそ随分察しがよくなったじゃないか」
 顎に軽く指を添えて笑う。

「一年前なら、なんのことだか、ってとぼけていたろうにさ」
「一年前にな、報道された出来事だけが事実じゃない、想像力を働かせろ。なんて言ったのは誰だ?」
 あの春の日の事を思い出す。佐々木の事情を矢継ぎ早に聞かされ、こいつの事を何も知らなかったのだと痛感した俺にこいつは言った。
 見たことだけが事実になる訳じゃない、むしろ観測できる事件の方が世の中には少ないのだと。
 全部を見て、全部を知る、それが出来るのはそれこそ神様しかいない。
 だから俺達は、見るのではなく感じる事が大事なのだと。

 人は言葉で相手に意思を伝えられる。それは人類普遍の能力だ。
 けれど、人には言葉にできない言葉もあるのだ。だから、言葉や表情から本当の意思を察し、想像する力も人には備わっている。
 それこそが観測者として人が持っている、神様にも匹敵する能力なのだ、と。

 そうさ確かに俺は変わっていってる。
 ハルヒに佐々木、古泉、長門、朝比奈さん、国木田や谷口のバカからだって、どいつからも影響を受けまくって変化してるのさ。
 はて、なら俺は俺で誰かに影響を与えているのかね?
 そこのところはよく解らんが。

「くく、そんなキミも悪くないね。キョン」
「くく、そうなれ、って言ったのはお前だろ佐々木」
 互いに顔を見合わせ、くつくつと喉奥で笑いあってみせる。
 う、意外にキツいなコレ。

「キョン、喉の鍛え方が足りないね」
「うるせえ。どんな喉してやがるんだお前は」
「くく、見たいかい?」
 言ってこちらを覗き込み、いつもより心持ち大きめに口を開いてみせる。ピンク色の舌が見えた。
 からかわれている気がしたので

「くふっ!?」
 唐突に両手で佐々木の頭を挟み込み、じいっと口元に目をやって見せた。
「佐々木、もう少し口をあけろ。中まで見えないぞ」
「キョ、」
「見せてくれるんだろ?」
 タンポポが落ちる。

 と、俺の自転車が倒れる音で気付いた。
 指の間のさらさらした髪、逆卵に整った顔、艶やかな唇、腕の間にいる佐々木が「女」としか形容できない存在である事。
 中学三年、高校二年、高校三年、年を経る毎に甘く鮮やかになっていく佐々木の香り。
 思考フリーズ。リブート。セーフモードでようやく認識したのは

 宵闇に二人で向き合い、両手を添えて佐々木の顔を覗き込む俺の図。

「うむ。暗くて見えんな」
「ああ。そうだね」
 わざとらしくないように手を離し、再び帰途を続行する。
 確かに報道された出来事だけが事実じゃねえな。傍からみたら、あれじゃあまるで……。

「何か言いたそうじゃないか親友」
「お前が何か言いたいからそう見えるんじゃないか、佐々木」
 後は同時だった。

「「やれやれ」」
 二人して肩をすくめる俺達を、弦月が大口を明けて笑っていた。

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最終更新:2012年05月02日 15:14
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