66-868「くっくっく。無理はいけないよキョン」

「キョン、無理をする必要はないのだよ?」
「くくくこの俺をナメるなよ佐々木」
 自転車をこぎつつ滝のように汗を流す彼から、どこか漫画じみた返答が返ってくる。
 まったく意地っ張りな友達を持ってしまったものだ。

 塾に向かう二人乗りの自転車、まあその道交法上の問題点は一旦置こう。
 問題はこぎ手である彼と今の時候についてだ。

 暦の上では五月も半ば。
 ウチの中学では六月に夏服への衣替えをすることになっており、残すところもう半月程度まで迫ってきた。
 そして衣替えとは気温の変化に適応するための行事である事は言うを待たない。要するに

「冬服で過ごすにはいささか温かすぎる陽気だよ。しかも人間二人分の重量だ、無理をする事は無い」
「くくく、この程度で俺が根を上げると思ったら大間違いだ」
 まったく。それとその笑い方は僕の専売特許だよ。
 こう言ってはなんだがキミは喉の鍛え方が足りないね、キョン。
「く、ぐ、悪かったな」
「そらみたことか」
「うっせえ」

「くっくっく。無理はいけないよキョン」
 せめてもう少し速度を落としてくれたら僕から降りてもよいのだが、この強情っ張りは速度をことさら落とそうとしない。
 そうとも。友達付き合いをはじめてまだ二月と経ってはいないがそれでも解ることがある。
 彼はこれでいて、そう、意地っ張りでもあるのだ。

 彼を知る人は誰もが言うだろう。
 彼は、どこか怠惰そうな、それでいて斜に構えた大人ぶった少年であると。
 そんな壁を感じさせる評価をさせる割に、僕の知る限り彼の周りには人が絶えたことが無い。
 中心人物になるようなアグレッシブさはないものの、気がつけば誰かがいるし、放課後だってよく数人と連れ立って遊んでいる。
 それは怠惰で斜に構えた「キャラ」ながら、どうにも情動的で少年らしい部分が垣間見えるからかもしれない。
 一度話してみればこれでなかなか付き合いがよいのだ。

 と言っても、キョンは別に「キャラを作っている」訳ではない。
 むしろ自然にそうしたキャラだからこそ、そのギャップに余計に人間性と親しみを感じてしまうのかもしれないね。

「何か言ったか佐々木?」
「ああキョン、何という事だ。ついに幻聴を聞くにまで至ってしまったのかい?」
「ええい何という言い草をしやがる」
 ふふふ、酷い友を持ったものだろキョン?
 太陽がダメなら北風といこう。

「なら降ろしてくれたまえ。幸いここまで来れば」
「うるせえ。めんどくせえが一度やりはじめたならやり遂げさせろ」
 喉奥から自然に笑いが零れてくるのを感じた。
 解っているのかい? いないのかい?

 僕は今、キミの自転車から降りたいと思っている。
 そうしたほうがキミに負担をかけずにすむ、そう理性と道徳は言っている。
 けれど理性と道徳の奥にいる本意は言う。
 できればここから降りたくない。

 ああ、そう、こうしていると楽だからね。そう楽なんだよ。
 そんな僕の怠惰さなど考慮すべきじゃない、降りるべきなのは解っている。
 だから機会を狙っているし言葉だって弄してみる。ただ、どちらかといえば降りたくないのも事実なんだ。

 そんな矛盾をしているから、キミに委ねるべくこうしてキミを誘導しようとする。
 けれどキミは意地を張って降ろそうとしない。
 さて解っているのかいないのか。

「勉強もそのくらい真面目ならいいんだけどねえ」
「ちくしょう言いたい放題言いやがって」
 彼の背中で、酷い奴が皮肉げに笑う。
 けれど彼は速度を緩めない。
 降りろとも言わない。
 埒があかない。

 だから僕は精一杯首を伸ばして言ってみる。
「意地っ張り」
「うっせえ」
「くくっ」

 触れ合う体温が僕の本能を誤動作させているのを感じる。
 そうして自転車の後部座席で笑う僕に向け、ふと、彼のほうから偽悪的な何かが伝わってきた。
「ところで佐々木、俺は何回『うるせえ』って言ったと思う?」
「ほう、そうきたかキョン」


「そうこうしている内に塾についてしまう、そんな関係だったね」
 って橘さん、今の話のどこにそんなニヤニヤするような要素があったのかしら?
 その締まりの無い顔はおやめなさい。
「いーえー別になにもー」

「うっふっふ」
「だからどうしたのよ」
 電車に並んで座ったまま、ゆるんだ口元を押さえるようにして橘さんは笑う。
 人の昔話を聞きだしておいてそれはないでしょ。

「いえいえ強情っぱりはどっちなのかなあと言いますか」
 え? だからキョンが意地っ張りだって話で。
「にしてもアレですねえ」
「どれなのよ」

「彼のお話をする時は必ず『僕』モードの佐々木さんなんですねえ」
 ああそれはそうよ、キョンとの記憶を手繰るからどうしようもないというか。
「深読みしても意味はないわよ?」
「ですかねえ」
 だからその顔止めなさい。

「ねえ佐々木さん」
「なにかしら橘さん」
「今度、彼に会いに行きませんか?」
 別にいいわよ。住んでる場所もそう遠い訳でなし、携帯電話だってあるのだし、そう構える事もないわ。
 会おうと思えばいつでも会える、だから今は別にいいわ、と言ってやると、橘さんは「やれやれ」と言わんばかりの仕草をする。

「佐々木さん、無理をする必要はないのだよゥ?」
「うっせえ橘さん」
 言って二人してくすくすと笑う。
 そんな衣替えを間近に控えたある日の出来事。
 さてキョン、キミは今頃どんな風に汗を流しているんだい? くっくっく。
)終わり

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最終更新:2012年05月17日 01:59
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