67-759「相変わらずお前は小難しい喋りをするんだな」

「……くく、そうだね。大切なものというのは失ってみるのもいい。それは解放と同義と言ってもいいのだから」
「相変わらずお前は小難しい喋りをするんだな」
 解説がないとわかりにくいぞ。
「では解説させてもらおう」
 俺のツッコミに佐々木は嬉々として目を二割増で輝かせると、細い指をくるりと回した。
 それも興味深いがな、佐々木、それよりなんで鮭の皮の話がここまで発展したのかそろそろツッコんでいいか?

「くっくっく、ようやくかね?」
「自覚ありかよ」
 まあお前はそんな奴だよ。
 どうでもいい日常会話のはずが、気が付けばあさってにすっぽ抜けて哲学めいた話になるなんてのは中学時代から変わらんな。

「くく、人はそう簡単には変わらない……という話は以前もしたか」
「そうだな」
 そっちは確か高校の頃だったか。
 すると佐々木はまたくつくつと喉奥を振るわせ始めた。

「くっくっ、その通り、その通りだよキョン。そうやって僕らはいつも判じ物めいた会話ばかりしてきたね」
「お前が難解にあろうとしている、って事くらいは解るさ」
「うふん、そうかな?」
 その通りだろ?

「では質問で返そう。難解、つまり理解して欲しくないはずなのに、何故いつも僕はキミに言葉を重ねてしまうのだろうね?」
 言葉が増えれば増えるほど難解になる、つまり解りにくくなるって話だろ?
「その通り。だが言葉が増えるほど僕を理解する材料も増えないかな?」
 佐々木はいつものようにシニカルに笑いながら言葉を継ぐ。
 沈黙は金なりってか?

「沈黙は金なり、雄弁は銀なり。イギリスの思想家、カーライルの言葉だね」
「ん? ああ何か思い出したぞ」
「くく、西洋じゃ昔は銀の方が希少だったから、銀(雄弁)>金(沈黙)、って見方もあるという事かな?」
 あらぬ方向を指差して佐々木は人から言葉を奪う。
 ああ、それだそれ。
「それも興味深いね。けれどそれには諸説があってね」
「また何か脱線しかかってないか?」
「くっくっく」
 目を伏せ、俺から視線を逃がすようにして、それでも佐々木は笑っていた。
 喉奥を震わせて、いつものように、楽しそうに。


「本当に理解されたくなければ、それこそ隅っこで沈黙していればいいのさ。僕は思想を常とする。沈黙も決して嫌いではない」
 何だ? つまり理解されたいのかされたくないのか?
「さあて、どっちなのだろうね」
「どっちなんだ」
 そう言ってやるとますます楽しげに佐々木は笑った。
 楽しげに体重を後頭部にかけ、俺の額へと細い指をそっとのばしてくる。

「僕にだって解らないさ。解らなかったさ。けれど矛盾しているのが人間の常と言うものだろう? 本能と理性の狭間で揺れる様にね」
 言って、俺の額を細い指でそうっと撫でる。そんな慎重に触れなくたって壊れやせんぞ。
「くく、ホントかな?」
「嘘言ってどうする」
「そうかい」
 だからって乱暴にやるな。前髪が乱れる。
「そりゃ結構だ。僕がちゃんとキミに触れているというこの上ない証だからね」
 そんなとこまで疑い出したら話が進まんだろうが。

「幻じゃない。夢でもない。実にいい現実だ」
「こんなんがそんなに良いのか?」
「ああ、実に、実に良いね」
 あんまりそこでくつくつ笑うな。腿に響くだろうが。

「いやだね。ここは僕の大切な場所なんだ」
「大切なら大切にしろよ」
 軍鶏の腿肉みたいに固いだろうに、俺の、男の固い腿なんかのどこがいいのか?
 俺の腿で膝枕なんぞしながら、佐々木は嬉しそうに笑っている。

「そうだね……大切、大切なものは失うのもいい」
 佐々木がぽつりと呟く。ああ、ようやくそこに戻るのか。
「だってそうだろ? 大切な価値観というものは得てして大きな重荷でもあるからね。守り続けるという事は困難なことなんだ」
「大切なものは、守る為に代価を払う必要があるってか?」
「くく、解っているじゃないか」
 お褒め頂き感謝するよ。

「大切であるほど失った時は悲しいものさ。失う事を思うだけでも涙してしまうくらいにね」
「だから失わないように抱えて生きていくんだろってか?」
 これまた哲学的だな。

「いや、だからこそ失うというのもいいものなんだよ」
 くしゃくしゃと俺の前髪を撫で回しながら佐々木は囁き続ける。
 それこそ、とても大切なんだと言う様に。

「失うのもいい。後はその痛みと哀しみさえ乗り切ってしまえばいいのだ。けれど守るという事は際限なく戦い続けるという事だからね」
「しかし俺はな」
 ……いや、なるほど。ご説ごもっともだ。
 大切な何かを心に抱くという事は、それを抱えて守って生きていくという事。
 敵対する何か、障害、そうしたものを乗り越えて行くという事だ。

 失えば悲しい。失えば自分が自分でなくなるかもしれない。
 けれど失うという事は、そうした枷からの解放、自由になれるという事でもある、か?

「たとえば家族を養う家長は、辛い日々でも家族の為だと歯を食いしばって耐えるだろう。
 けれど家庭を解散し、責任を放棄すれば、職を辞して自分が自由になるということも容易になるだろう?」
 失うのは悲しい。けれど、喪失は開放なのだ、か。
 佐々木、それは誰の話だ?
「さてね」


「なあ佐々木」
「うん?」
 何か心当たりがありそうな口ぶりだったが、お前は一体どうしたんだ?
「両方味わってきたのさ」
 くつくつといつものように喉奥を振るわせる。
 まったくもっていつものように。

「一度、二度と、諦めて。それでも抱えて、戦ったさ」
「なんでそんなに抱えたんだよ」
「決まってるだろ、そうやって何度も諦めかけたから、大切だって良くわかったんだ」
 くく、と嬉しげに喉を鳴らし、俺の後頭部に回していた手をゆっくりと自分の唇に向かって降下させる。
 もちろん俺の後頭部もセットでだ。つまり、ええい聞くな。そうして互いの唇がふさがる直前、佐々木はそっと囁く。

「大切なものを守り続けるという事は、それはとてもとても幸せな事でもあるんだ。それこそ、大切な人に理解されたいのと同じくらいにね」
 そのまま唇がふさがれて、反論なんか許さない、なんて声音が透けて見えた。
 ま、別にするつもりもないんだがね。
 そうだろ佐々木。
)終わり

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最終更新:2012年09月08日 02:57
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