67-869 佐々木さんの心のちゃぶ台

 世に言う「ちゃぶだい返し」という奴を一度やってみたいと思ったことがある。
 むしろ、今まさにそう思っている。
 そんな気分だった。

「うーん」
 クーラーの効いた自室の椅子で大きく伸びをし、考える、考える。
 今日、また告白されてしまったことについて、だ。

『佐々木さん』

「伝えた側も、今頃重荷に悩んでいてくれればいいのだけれど」
 我ながら不誠実な独り言。きっと相手は、自分よりずっとずっと悲しんでいるだろうから。
 けれど告白する側には覚悟が……きっと長い葛藤の末だろう……あるのだろうが、される側というのは、基本的に不意打ちなのだ。
 そして「不意打ち」の心の重荷を度々放り込まれるのは辛いものなのだ。

 重いのだ。私のちっぽけな心には。

『じゃあな親友、また同窓会で会おうぜ!』
 春先に告白され、それを葛藤と騒動と……色々と乗り越えた末に丁重に断って以来。
 ようやく人並みの戸惑い、後悔というものを覚えたかな、などと思う暇もなく、それが単に皮切りでしかなかった事を知った。
 ざっくりといえば、告白されることが増えてしまったのだ。

 それが「重い」だって? …………我ながら不遜だ。不誠実だ。
 けれど、どうにも重たいんだ。

 そりゃ以前は「僕なんかに告白するなんて」と衝撃を受けたものさ。
 けど、ここは男女比で「男」が勝る学校であり、私達は青春真っ盛りであり、学校生活に馴染み、再び迫る受験への間隙の時期でもある。
 そして私は、自分がそれなりに清潔感のある容貌だとも自負している。
 実に単純な理屈なんだ。

「くくっ」
 苦笑する。
 そんな簡単な事さえ解らないくらい視野狭窄だった自分に気付いたから。
 周囲の変化にロクに気付けず、あっさり動揺してしまうような自分の心の小ささに気付いたから。
 皆変わってゆくんだ。

 僕は中学時代同様に、「僕」という壁を作る事で恋愛沙汰を回避できると思った。けど、そんな時代はとっくに終わっていたのだ。

 わざわざ他人の「壁」を越えてまで恋愛なんてしたくない、なんて「子供の時代」はとうに過ぎ去っていたのだ。
 街中で「ナンパ」したり、合コンをする人間だってこのくらいから多くなるものだろ?
 何せあの涼宮さんも……キョンでさえも恋愛してしまうくらいなのだ。
 これもまた人間の本能と言う奴だろうか?
 ただ、ね。

『あなたの気持ちは解るつもりです』

 リフレインした言葉に、思わず猫のぬいぐるみを抱き締めてしまう。
 僕を詮索する言葉、「僕」の壁をスルーしようとする言葉、詮索上手な頭のいい人間の言葉。
 ああそうとも、ここが進学校である以上、「頭がいい」人間が揃っている。察しがいい人間の比率も上なのかもしれない。

 けれど自分の気持ちがようやく解ったから。
 だから自分の気持ちと「キミの気持ちは解るよ」なんて頭のいい詮索上手な連中との齟齬にうんざりするんだ。

 僕と誰よりも言葉が通じたのに、心が通じなかった彼を思い起こす。
 もちろん不満は無い。「僕」が心に壁を作っていたのだから。キョンとはそんな関係だった。けどその関係だって心地良かった。
 誰よりも言葉が通じた。僕のトンデモな持論推論、果ては壮大すぎる野望だろうと笑わずに受け止めてくれた。
 僕が「僕」でありたい事を、誰よりも理解してくれた。
 彼にあって彼らにないもの。

 そうだ。キミ達が僕を理解したい、理解しているというなら、なんで僕の大事な壁を、この「僕」を壊そうとするのさ!


「やれやれ」
 心のエアちゃぶ台をひっくり返し、ぬいぐるみを抱きなおす。
 いっそ全てを放り出し、「僕」という全てを壊してしまうべきなのだろうか、と度々考える。
 けれど刺繍で出来た猫の目を見つめていると、どうしても中学時代の、あの春の日の、彼の細めた目を思い出してしまう。

 自分の抱えた過去も、想いも、ホントは感情的なことも、ただの女である事も、……告白された事も。
 洗いざらいの想いも「材料」を全部閉じ込めて、それでも「僕」は「僕」であり続けた。中学時代からずっとそうしてきたように。
 大事な想いを閉じ込めてでも、大事にしてきたものだから。
 だから、大事にしていきたいのだ。

 でも変わりたくない訳じゃない。
 今まで踏みしめてきた道を恥じずに歩いていきたいのだ…………。

「……くぬっ!」
 思い切って掛け声をつけ、エアちゃぶだいをひっくり返す。
 我ながらマヌケだ。けれど、他者の感情、自分の鬱々とした気持ちを想像上のテーブルに乗せてひっくり返すと、少しだけ気が楽になった。
 そして、すとん、と嵌るように意味合いがつかめた。
 そうか、そうだね。

「ふ、くっくっくっくっくっく……あはははははははははははははは!」
 馬鹿みたいに笑った。ふふ、一人でよかった。もし母さんが居たら心配になって飛んでくるだろう。
 それくらいに、笑った。バカみたいに笑い倒した。

 心のちゃぶだいとは、つまり心を乗せる土台なんだ。
 ちゃぶだいを返してしまえば、後にはちゃぶだいだけが残るのだ。
 私は感情的だから、私は「僕」であり続けたいのだ。そんなシンプルな気持ちだけが残るのだ。

 シンプルでいい。
 シンプルじゃなきゃいけない。
 とても「普通」な心しか持たないこの私が、大それた遠大な野望を抱く以上、細く固く絞り込まなきゃ進めない。
 自分の全てを寄り合わせて、固く細い一本の意思につなげよう。
 その為に、やっぱり私は僕でありたい。

 自分がホントは情動的だと嫌になるくらい解っているから。解ってしまったから。
 だから私は「僕」でいたい。理性の塊になるくらいの覚悟がなきゃ、きっと誰かに寄りかかってしまうだろうから。
 誰かさんにそうしてしまったように、「寂しい」って手を差し出してしまうだろうから。
 だから、僕は後ろに手を組んで歩くのさ。

 彼との出会いも、あの雨の日も、別れも、告白された事も、……そしてあの春の騒動も。
 僕は幾度も自分に問いかけた。私は「僕」であるべきか、と。
 そしてこれが結論だ。

 僕は、僕でありたい。

 幾度も心を揺らした結論だから。
 僕の心を一番揺るがした人がくれた結論だから。
 だから僕は信じたいのさ。

 それにね。
 いつかまた誰かさんと出会う時、彼が見間違えたら困るだろ? 私が「僕」を忘れないというのはそんな副次的な効果もあるんだ。
 やっぱり僕は僕でありたい。彼が信じてくれた、彼の前で誓った、私より立派な「僕」でありたい。
 彼の前で語った「僕」が真実となるように。語った「夢」が言霊となるように。
 いつか、夢を現実にして、小さな胸を張って笑えるように。

 少なくとも……そう、いつかこの想いが本当に途絶えてしまう日が来るまで。
 或いは……いつか、また彼の隣を歩くまで。
 心の土台を胸に据えて。

 僕は、僕であり続けたい。
)終わり

『すみません佐々木さん、佐々木さんの閉鎖空間がちゃぶだいだらけになってるんですが……』
「あら橘さん。……閉鎖空間ってまだあったの?」
『ええまあ。相変わらず何が起こると言う訳でもないんですが』
 まあ不気味だろう。電話口の向うで首を傾げる橘さんが瞼に浮かぶ。

「うん。努力するから」
『何をです?』

「……何を努力すればいいのかしら?」
『……さあ?』
)終わり

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最終更新:2012年09月08日 03:07
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