「暑いね」
夏だからな。これも地球温暖化とやらの影響なのかね。
「そうだね、もうそんな風に冗談のネタにしていい時期はとっくにすぎてしまったような
気もするけどね」
サイですか。氷が溶けて水っぽくなったアイスコーヒーをすする。薄まったアイス
コーヒーほど、いまいちと言う言葉がふさわしい飲み物はないな。
「キョン、キミは自己存在についてどう思う?」
お前の質問の意味がわからない。
「意味なんてないさ…なんて、胸を張って言えれば、少しは格好もつこうという所だが、
これは単に暇つぶしのための質問さ」
お前は俺と哲学でも語り合おうってのか?
「ん、キミと僕の間で共有できる話題なら別のものでも構わないよ、でも勉強の話や
スノッブな噂話というのは今の気分じゃないな」
で、何が聞きたいんだ。
「キミは自分自身をどう評価しているのかな?」
それなら、簡単だ。どこにでもいるような中学三年生、凡人の少年Aさ。他人に特別
誇れるような趣味はないし。家族構成だって特別なモンじゃあない。ちなみに親戚一同
見回しても、特別な人間はいないから、先祖代々一般人なんだろ。
「そういえば、新学期の自己紹介でもこれといった特記事項はなかったね」
自分でもどんな自己紹介をしたのか忘れたくらいだからな。
俺の返事を聞いた佐々木は唇の端をくいっと上げて、くつくつと笑った。
「そうなのかい。ふむ、なら僕の記憶からも消去しておこう」
そうしてくれ。右手をひらひらとさせて応える。
「僕はね、キミの非凡な部分を知っている」
ぺろりと上唇をなめ上げ、獲物を見つけた猫科動物の瞳で俺を見つめた。
ほう、それは興味があるね。いったいどんなところなんだ?
「そりゃあ、簡単だ。キミくらいの時分の人間で、自分には誇るべきものがない。ないが、
自分はそう言う人間なのだ。と、ある意味では開き直り、自分を単なる一般人だ、なん
て達観したようなことが言えるのは十分に非凡だよ。嘘やポーズでないことは分かって
いる。そして、キミがそれに満足してはいないってことも」
そうかい、そりゃ買いかぶりってもんだ。俺は今の俺にそれなりに満足してるんだぜ。
そりゃ、俺だってもうちっとハンサムになりたいし、もちっと背丈もほしい。だが、
そのために努力も対価も払っていないのだから、それが手に入らねぇのは、これはもう
しかたない。それに俺が普通に満足できているのはお前のおかげでもあるかな。
興味を引かれたのか、佐々木が、コーヒーカップで俺を指しながら言った。
「さすがはキョンだね、それはとても興味深い話題だ。面白かったら、ここは僕がおごろう」
変なプレッシャー掛けるなよ。佐々木は唇をきゅっと引き上げ、粘度の高い笑みを顔の
下半分だけで作って見せた。
俺はお前のおかげで普通ではないと言うことがどう言うことなのか些少なりとも理解
できたのさ。
「なるほど、キミは僕が変わり者だから、付き合っているというわけか」
まぁ、それだけじゃあないがね。お前とは気が合うし、こうして差し向かいで茶を飲
んでいても気疲れしないしな。これが、そうだな。岡本当たりだったら気が気じゃない
し、国木田あたりだったら、こんなにゆったりとしているかどうかは疑問だな。
「ふぅん、岡本さんだと、キミはもっと気を張っているというわけか。なんだろうね、
この微妙なもやっとした感覚は。しかし、キミは国木田とはずいぶん気があって
いるように感じていたんだがね、これは僕の誤解だったのかい」
ん~、男のツレでは一番か二番だろうなぁ。その分、くだらないことで良く盛り上がる。
それこそ、昨日見ていたバラエティから、今日発売のギャグマンガのネタまでな。そう
言ってさっきまで眺めていたマンガ雑誌を見やる。
「確かに、僕とはマンガの話はあまりしないね」
そういう部分までは趣味が合ってるわけじゃないからな。まぁツレなんてのはそのぐ
らいで丁度いいさ。
「そうかもしれないね。それで、キミは僕のどのような部分から普通ではないことを理解
したんだい」
ん? ちょっとまて。お前はどこにでもいそうなありふれた普通の女子中学生だと自分
自身を認識していたのか?
「ん~~、その話をつっこんでするためには、普通であるとはどういうことなのか、
ということについて僕らはコンセンサスを得なければならない。違うかな?」
普通は普通だろう。そこに定義を行なうのは難しいと思うぞ。
「そうなのかい? よしよし、これは議論のし甲斐があるぞ」
ボールをみつけた犬のように、佐々木は俺の出したお題に食いついた。
「まず、枠から決めようではないか。たとえば、犯罪者は普通ではないよね」
そうだな。それから、いわゆる非行に分類されるような行為についてもこれは普通で
はないってことでいいよな。
「うむ、了解だ。内面はともかく犯罪行為に手を染めてはいない、と。それでは逆にだね、
スポーツや勉強などで素晴らしい才能を示している人たちも普通ではないよね。
そう言った人たちはまさしく非凡であるのだから」
なるほど、他より秀でている部分であってもこの場合は、除外されるべき一要因か。
「まぁどの段階までかは議論の余地があるがね。何らかの部活動に参加している方が
普通か、そうではないかという部分にも線を引いておく必要はあるだろうね」
なぁこの定義はいつまで続くんだ? 先の展開が何となく読めた俺はそう、佐々木に
問いかける。
「普通から除外して良い条件がなくなるまでだと思うのだけれど?」
やれやれ、降参だよ。このまま進めて俺が残ったとしたら、それは俺が普通でないこ
との証明だからな。
佐々木はくっくっといつもの何かを咽の奥で転がしているような笑いを浮かべた。
「やぁれやれ、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうね」
まぁそれでもお前が変人であることは変わらんがね。
「僕はこんなに善良なのに、キミはそんなことをいう」
善良かどうかは関係ないだろ、お前みたいにキャラ作ってるヤツが普通なわけない。
お前は俺にとってトクベツな人間だ。
「ふふ、そうか、僕はキミに特別か、いいね、その言葉の響きは実にイイ」
だからさ、トクベツでいるために支払わなければならない代償っての? お前は払っ
てる、だからお前は特別なのさ。
何を思って、そんなことをしているか、なんて知らね。そら、お前にはお前の考えが
あるんだろ。
「ここで、僕のキャラについて告白をしておくべきなのかね」
佐々木はテーブルに伏せるようにして、俺を見上げた。そんな捨てられた猫みたいな
目で見るな。
「いいよ、別に興味ねー」
大げさに腕を振ってそう答えた。本音を言えば、知りたくなかったわけじゃない。
ただ、興味本位で覗き込んではいけないような気がしたのだ。いや、違うな。
こいつにそこまで踏み込んでいいのか、俺はためらったのだ。
「そうかい? 残念だったね、僕の心に踏み込むチャンスだったのに」
佐々木は、またいつものように偽悪的な表情を浮かべた。
「そうか、踏み込んで欲しかったのか、そりゃ悪いことをした」
「まったくだ。僕がこんな気分になることなぞ、そうそうないのだよ。まぁいい。僕らは
もうすこし、この境界線上でフラフラしている方がお似合いなのだろう」
そう言って、佐々木は右手をひらひらと動かした。まぁ結局、こいつの察しの良さも、
こいつとゆったりとした友達づきあいを続けることができている理由のひとつなのだろう。
お互い相手に悪くない感情を抱いている。そんなことはもう分かっている。だけど、
お互い決定的な一歩を踏み出す気はないのだ。
正直、こいつが彼女だったらいいだろうなと思う。別に振られたら振られたでもかま
いはしない。傷つきたくないわけじゃない。だが、その結果がどちらであるにせよ、
こいつとの間にしか流れないこの空気は失われてしまうだろう。
それが惜しかった。
そして、それは佐々木にとっても同じなのだろう。あいつも一定以上は俺に踏み込ん
では来なかった。
今日のように少し、誘いを掛けては、すぐに引いてしまう。きっと俺の反応を見て
楽しんでいるのだろう。まぁ、俺も佐々木の誘いをはぐらかしたり、スカしたりするの
を楽しんでいるのだから、これはこれでお互いさまなのだろう。
サ店の会計を済ませている--結局奢って貰うことになった--佐々木の細い背中
を見ながら、そんなとりとめもないことを考えた。
「どうしたね、キョン」
いつもの皮肉げな笑顔で声を掛ける佐々木に、いつものように答える。
「別に、大したことじゃねぇよ。お前のことを考えてただけさ」
お、そのちょっと恥ずかしがってる顔。俺、結構好きだぜ、佐々木。
「バカなことばかり、言ってないで。行こう、午後の講義が始まってしまう」
そうして俺たちは、夏期講習中の受験生に戻ったのだった。
最終更新:2007年07月26日 23:06