18-781「パーソナルネーム佐々木」

橘たちの組織の野望を粉砕した数日後、俺は長門のマンションに呼び出された。
「悪いな、約束の時間過ぎちまって。ちょっと佐々木と会ってたんでな。なんだか
今日はあいつ様子が変でさ。思い出がどうのとかまるでどっかに引っ越したりする
みたいな感じだったんでなかなか別れられなくてな」
そう言う俺の前にお茶を差し出すと長門は
「そう」
とだけ言うとほんのわずかだが考え込むような表情を見せた後、言葉を続けた。
「彼女とは、あまり親しくしない方がいい。あなたがつらくなるから」
どういうことだ?能力云々ならもう片付いた話だし、そもそも俺がつらくなるって?
俺の表情が固くなるのに気がついたのだろう。長門はちょっとうつむき加減に言った。
「彼女は、あなたと同じ人間ではない」
…どこかで聞いた台詞だな。
「やっぱりあいつはハルヒと同じ能力を持ってるのか?それともおまえと同じ、えーと、
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドなんとか、ってやつか?」
「後者に近い」
そこで俺は言葉を失った。今長門はなんて言った?後者に近い?後者って事は、つまり
佐々木は長門と同じ宇宙人製の・・・?
「情報統合思念体に複数の派閥があることは以前話した。覚えてる?」
ああ、主流派とか急進派とかだったな。
「急進派の一部は、極秘裏に天蓋領域との意思の疎通に成功しそれと結託していた。
そして涼宮ハルヒの能力の受け皿を作り、自分達の意のままにしようとした」
俺はやけに喉が渇く感じを覚え、ぬるくなり始めたお茶を一息に飲んで尋ねた。
「それが佐々木、なのか?」
「そう」
一番聞きたくなかった答えが返ってきた。
「急進派は、あなたが涼宮ハルヒにとっての鍵になることを知り、あなたを押さえれば
自分達の行動に都合が良いと判断した。そのために『受け皿』をあなたと同じ中学校に
送り込み、あなたを観察させた」
なんてこった。じゃあ、佐々木が俺に見せた態度も、俺を親友と呼んでくれたことも、
全部その急進派とやらのシナリオなのか?
「そうじゃない。急進派の誤算は『受け皿』に過ぎなかったはずの彼女が自分の感情を
持ってしまったこと。そして、彼女が観察にとどまらず自らの意思であなたに接触し、
ついにはあなたに好意を持ってしまったこと。そのために彼女はこの土壇場で『受け皿』
としての役割を果たせなくなり、急進派と天蓋領域の狙いは失敗に終わった」
俺は胸の中に湧き上がるなんとも言いようのない感情を必死に抑えつつ質問した。
「じゃあ、佐々木はあくまで自分の意思で俺と親しくしてた、ってわけだな」
「そう。それは間違いない」
その答えを聞いて俺は奇妙な安堵感を覚えた。佐々木が人間だろうと宇宙人だろうと
そんなことはどうでもいい。目の前にいる長門が俺の大切な友人であり仲間であるのと
同じように、佐々木だって俺の大切な親友でいいじゃないか。
そう考えた瞬間、さっきの長門の言葉が頭をよぎった。
-彼女とは、あまり親しくしない方がいい。あなたがつらくなるから-
俺がつらくなる?いや、大丈夫さ。佐々木がなんであろうと、佐々木は佐々木だからな。
俺がそう言うと、長門は悲しそうに首を振った。
「長門!おまえ、何を知ってるんだ?頼む、教えてくれ!」
俺の強い口調に一瞬顔を上げた長門はまた視線を外すと言った。
「急進派の内通者は排除された。彼らによって作成された『受け皿』もまた廃棄される
ことになる」
「廃棄?廃棄ってことは、朝倉みたいに消えてなくなっちまうってことか!?」
長門は何も言わずただ頷いた。
ふざけるな。人間だろうと宇宙人だろうと、宇宙人製のヒューマノイドなんたらだろうと
佐々木は俺の親友だ。そうそう好き勝手に消させてたまるか。
…とは言うものの、相手は宇宙の統治者みたいなもんだ。仮に地球人が束になっても
勝てるわけがない。じゃあどうする?このまま諦めるのか?
俺の灰色の脳細胞は必死に活動してくれたらしい。もちろん勝算などあるわけもないが、
真っ向からは勝負せずに俺の望みを受け入れさせられるかもしれないたった一つの方法が
思い浮かんだ。
「長門」
俺が呼びかけると、長門は顔を上げた。その顔を見つめ、俺は冷静さを装って話を続けた。
「おまえが俺に自分の正体を明かしたときに、『情報統合思念体は自律進化の閉塞状態に
陥っている』と言ったよな。そしてハルヒがそれを破るきっかけになる可能性があるとも。
そして、俺がハルヒと二人で閉鎖空間に行った時には『進化の可能性は失われた』と言い、
それを取り戻すために俺たちが元の世界に戻ることを思念体は望んだ。そうだよな?」
俺が何を言わんとしているのかわからないと言ったそぶりを見せる長門に俺は言った。
「俺はその望みを叶えた。ハルヒをこの世界に戻す事は、あの時、俺にしかできなかった
はずだ。俺はその一点だけでも思念体には大きな貸しを作っているはずだ。そこで相談が
あるんだが」
それだけで十分だったようだ。長門は俺の望みを理解したらしく、
「わかった。あなたの要求は思念体に伝える。ただし、その結果は保証できない」
とだけ答えた。
手間を掛けるけどよろしく頼むぜ。俺はそう言って長門の部屋を後にした。

それから数日、俺は正直なところかなり不安な日々を過ごした。なにせ、喧嘩を売るには
相手がでか過ぎるからな。その上、俺は一度思念体を脅している。そう、あの冬の日に、
俺は長門に言った。もし思念体が長門を消すようなことをしたら、ハルヒを焚き付けて
思念体なんざ消してやる、と。
そして今回だ。思念体がどう動いてくるかは全くわからないし、怖くないといったら嘘に
なる。
…まあいいか。「賽は投げられた」ってやつだ。なるようになるだろうさ。

さらに数日が過ぎた夜、俺は全力で自転車を走らせていた。
「すぐ来て」
長門は電話で一言だけ言った。タイヤを軋ませて止まる自転車。俺はエレベーターを待つ
時間ももどかしく、7階まで階段を一気に駆け上がった。
長門が俺を呼ぶ理由。思いつくのは一つだけだ。俺の要求を思念体は受け入れただろうか?
荒い息遣いのまま、それでも冷静さを取り戻すために一呼吸置いてチャイムを鳴らす。
無言のまま、長門がドアを開けた。
靴を脱ぎ、室内に入る。居間の扉を開き、そして、俺はその場に立ち尽くした。
「キョン・・・!」
部屋の隅に座っていた佐々木は、俺の姿を見ると立ち上がり、俺の方に駆け寄ってきた。
「キョン。僕は君に謝らなければいけない。長門さんから全てを聞いているとは思うけど」
うなだれたままそう言った佐々木はそこで顔を上げた。その両目からは、今にも涙がこぼれ
落ちそうになっていた。
「でも、これだけは信じて欲しい。たしかに僕は君を観察するために送り込まれた。だけど、
君とあえて親しくなれるように話しかけたり、君の事を親友と呼んだのは誰の命令でもない、
僕自身の意思だ。僕は本当に、心の底から君を親友だと、いや、親友以上に・・・」
ついに溢れ出した涙を拭おうともせず、佐々木は話し続けた。
「・・・長門さんに聞いたとは思うが、僕はもう処分される。その前に、最後にどうしても
君に謝りたかったんだ。僕を、許してくれるかい?」
俺は何も言えず、手を伸ばして佐々木を抱きしめた。俺の方こそすまなかった。結局おまえを
助けてはやれなかったらしいな。
その時、背後にいた長門が俺の肩を指先でつついた。俺が振り向くと長門は淡々と言った。
「彼女に対する処分がどのようなものか、まだ話していない」
そう言った長門の表情を見て、俺は思った。ああ、俺は賭けに勝ったのかもしれないな、と。
一方、俺と違って長門のかすかな表情の差など見分けられないであろう佐々木は、俺の腕の
中に抱かれたまま、不安そうに長門を見つめていた。
「彼女から、ヒューマノイドインターフェースとしてのあらゆる機能を削除した上で本体は
太陽系の第三惑星に放棄処分とする、と情報統合思念体は処分を決定した」
「それって・・・」
佐々木の呟きを無視するように長門は俺の顔を見たまま言葉を続けた。
「あなたに伝言を頼まれた。思念体はあなたに借りがあると言う認識はしていない。今回の
処分は思念体の判断によるもので、あなたの要求を受け入れたわけでもない。ただし、放棄
されたインターフェイスの処遇に関しては思念体は一切関知しない」
やれやれ。情報統合思念体って言うのは素直じゃない奴らの集まりなのかね。そう思いつつ、
「ふーん。それなら廃棄されたインターフェイスとやらを俺が拾って、自分のものにしても
構わないってわけかい?もちろんインターフェース自身がそれでいいなら、だけど」
と聞いてみた。
「そう判断して問題はない」
そうかい。じゃあ勝手にさせてもらうとするさ。そう考えていてふと気がついた。俺はさっき
から佐々木を抱きしめたままじゃなかったか。俺が慌てて手を離そうとすると、佐々木は俺に
しがみついたまま顔を上げた。その表情は中学時代に何度も見た、俺が返事に困るような事を
聞いては俺の反応を見て楽しもうとする、そんな時のそれだった。
「キョン、君は今なんと言った?僕を拾って、自分のものにする。そう言ったように聞こえた
のだが」
俺はついさっき自分が口にした言葉の意味を反芻していた。よく考えると、結構きわどい発言
だったか?
「もし普通の女の子にそれを言った場合その台詞はプロポーズだよ?」
そう来たか。プロポーズだの結婚だの、その手の話を俺に持ちかけては反応を見て楽しむって
ところは変わってないな、おまえ。
でもな、俺も中学時代よりは成長してるんだ。おまえにやり込められてばかりはいられないさ。
俺は反撃のつもりでこう聞いた。
「普通の女の子に言った場合、って事は、おまえにとってはそうじゃないって事か?」
それを聞いた佐々木は一瞬目を見開き、唖然とした表情で俺を見つめた。なんと答えればいい
のか困惑しているその表情を見て、今回は俺の勝ちだな、と考えていた。
しかし、佐々木はすぐにくっくっと笑い出してこう言ってきた。
「本当に君は無自覚にそう言う発言をするから困るね。今のだって、僕に対してのプロポーズ
以外の何物でもないよ」
…しまった。言われるまでもなく、俺は壮絶に自爆したようだった。
「さて、君はさっき、僕が望むならと言う前提で僕を自分のものにすると言ったね。それでは
ちょっと質問させてもらおうか。その言葉の意味を理解した上で、もう一度同じ言葉を言って
くれるかい?もし言ってくれるなら、もちろん僕は拒否などしないよ」
俺の目をじっと見つめてそう言った佐々木の表情は真剣そのものだった。
まいったね。これだけ言われてからじゃもう一度さっきの台詞なんか恥ずかしくて言えるわけ
ないじゃないか。かと言ってこのまま黙っていてもどうにもならないだろうし・・・。必死に
なんと言えばいいのか考えたが、答えは見つからなかった。
その代わりに、佐々木の顔を見つめていて湧き上がった衝動をそのままぶつけることにした。
佐々木の顎に軽く指を添え、顔を少し上げさせる。何をするのかと不安げに俺を見上げるその
顔に俺は自分の顔を近づけ、唇を合わせた。
十秒ほどだっただろうか、唇を離すと、佐々木は言った。
「キョン。言葉じゃなく行動に出るのは君の反則負けだよ。いや、負けたのは僕の方かな。
いずれにしても、最後まで責任を持って、僕を君のものにしてくれるんだろうね」
俺はあまりの気恥ずかしさに何も言えず、ただ佐々木を抱きしめていた。

そしてふと気がついた。この部屋にいるのは、俺と佐々木の二人だけじゃなかったよな。
それに気がついた途端、俺は慌てて振り向いた。そこには、無表情のままで俺たちの様子を
見つめる長門がいた。
「あ、ええと、長門さん、これは、その、つまり」
「構わない」
狼狽する俺に長門は言った。
「もし今年も文芸部の部誌を発行する必要に迫られた場合、私は恋愛小説を執筆することに
する。貴重なサンプルデータも取得できたし、面白いものを書ける気がする」
お願いします、許してください。そんな俺の願いは聞き入れられそうになかった。
佐々木はその様子を見て笑いを堪えていた。あのなあ、おまえも他人事じゃないんだぞ。
「いいじゃないか。君の周りには魅力的な女性が多いからね。浮気防止にもなるだろうし」
ああ、もう俺の嫁モードに入っていらっしゃいますか。ま、構わないけどな。
「それから、僕も北高に転校することにするよ。僕は君のものだから、ずっと君のそばに
いたいんだ」
佐々木よ、そう言ってくれるのは嬉しいんだが、せめて長門がメモを取っていない時にでも
言ってくれないか・・・。


数ヵ月後に長門の発言は事実となり、俺と、今や俺のクラスメイトになった佐々木は全校の
生徒に生暖かい視線を送られるようになるわけだが、神ならぬ身の俺はそれを知るすべも
なかった。

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最終更新:2007年08月25日 15:59
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