「今でも時々、キミと一緒にいた中学時代の夢を見るよ」
佐々木はそうあっさりと言い放つと、目の前のストローに口を付けた。静かにレモンティーのトパーズ色をした水面が下がっていく。
秋に移り変わるこの時期、喫茶店のエアコンはどうしたらいいかわからないように、遠慮がちに店内を冷やしていた。
佐々木はストローから口を離すと、その先を手にとって、軽く頬杖を付きながら、無造作にグラスをかき混ぜた。カラカラと、氷がグラスに当たる音が涼しげに響き渡る。
「中学時代の夢?どんな夢だ?」
その素っ気無さの奥に隠された佐々木の意思を確かめるべく、俺はその夢の内容を尋ねた。
「そうだね。うん、そう、うまく思い出せないね」
「なんだよ、そりゃ」
天井を人差し指で指して、さあね、と佐々木はその指先をくるくる回した。
訝しげな俺の顔を見て、佐々木は楽しそうにくっくっと笑う。いったい何が面白いっていうんだ、まったく。
「高校生活は楽しいかい?」
佐々木は柔和な笑顔を浮かべながら、どうでもいい話題をどうでもよさげに振ってくる。
「とんでもなく疲れることだらけだが、まぁ、たまには楽しい」
「そうか、それはなによりだ」
お前は久しぶりに会った親戚のおっさんか。
まぁ、久しぶりに会ったっていう点では同じだが。
「そう言うお前はどうなんだ?」
今日は学校帰りに駅前に寄った。俺の愛読している漫画本の最新刊を発売日にきっちりゲットするためであり、駅前商店街のちょっと大きな本屋に寄る必要があったからだ。
目的の品を無事手中に収めると、俺はせっかくなのであたりを少しぶらついていた。
ちょうど日が傾いて、黄金色の光の中で影が伸びる頃合、俺の後ろから一つの人影が近づいてきた。
「やぁ、キョン」
振り返ると、ショルダーバッグを抱えた佐々木が、片手を上げて立っていた。
それから、近くの喫茶店に入り、現在に至る。
「んー、そうだね。残念ながら、僕の知的好奇心を刺激するような出来事には乏しいかな。まるで、判を押したように普遍的で退屈な毎日だよ」
「お前の知的好奇心って奴を刺激できるほど、話題の豊富な人間なんてそう多くはないだろうよ」
「そうでもない。僕が求めているのは、知識ではなく知性のほうだから。雑学や薀蓄を並べ立てられても、そこに知性がなければ退屈だ」
お前の求めるレベルの知性を持った人間なんてそうそういるはずもない。しかし、佐々木はやわらかい皮肉の色に染まった表情で俺を見つめて、笑っている。
こいつがこうやって笑うときは、わざと反論されるべき話題を振って、待っているときだ。やれやれ。
「悪いが、今こうやってお前と話をしている俺自身、おせじにも知性があるとは言えないと思うぜ」
赤点すれすれ超低空飛行を続ける自分の成績を思い出す。
佐々木はわが意を得たりと満足げな表情をした。
「キョン、キミは知性というものが、学校のテストの点数なんてもので測れると思っているのかい?
もしも、そうなら、今の世の中はもっと素晴らしい物になっているはずだね。賢人政治とでも言えばいいだろうかな」
相変わらず小難しい話をするのが好きな奴だ。こういうとき、うれしそうに身を乗り出してくるクセは何も変わっていない。
こいつの瞳もあの頃のままに輝いている。
「だったら、お前の言うところの知性とやらはなんなんだ?」
「そうだね。一言で表現するなら対応する力とでも言おうか。自己と外界の相対的な認識により、その存在定義を明確にするもの、それこそが知性だと思うのだよ、キョン」
悪戯っぽく得意げな、佐々木の表情を見ながら、俺は中学時代を思い出していた。
こいつはいつもこんな小難しい話をしたがる。そしてそうやって、大人ぶった背伸びに、その子供っぽさを感じずにはいられなかった。
こいつの話は、本質的に、小さな子供が自分の小さな発見を嬉しそうに母親に語っているのと変わらない。
母親に今日あった小さな発見を嬉しそうに語るかわりに、今日考えたことを嬉しそうに語っているだけのことだ。
変わらないひねくれた態度を見せたがる無邪気さに、俺は安心していた。
それから佐々木は10分ほど、自説を展開していた。
その内容を俺には到底理解できはしないが、心底楽しそうなこいつの笑顔を見守ってやることくらいはできる。
「なぁ、佐々木」
「なんだい、キョン」
得意の独演会を遮られた佐々木は不思議そうな目で俺を見ている。
俺の返すべき言葉はたった一言だけ。
「中学時代は楽しかったよな」
「―そうだね」
佐々木はそう小さく頷くと、レモンティーのグラスを両手で握った。
その小さな手の中で、グラスの中の氷はもう半分ほどに溶けていた。
『今も、今でも』
最終更新:2007年09月28日 11:17