4-622「探索」

「探索:序章」

 うん、まぁ彼も、健康な男子中学生なのだ。このような書物の一冊や二冊持っていても
不思議はない。というより、それが普通だろう。
 僕が、そのような友人の性癖にこれまたまったく興味がないといえば、これもまた嘘、
欺瞞というしか他はない。僕だって、その、健康な女子中学生なのだからね。
 キミが認めるまでもなく、我々は思春期の男女なのだ、そういうことにまったく興味が
ないというのも、それはそれで歪んでいるというべきだろう。

 ……などと、彼に対する時のような、モノローグを頭の中に構築した。
 落ち着け、私。
 はい、深呼吸、一回、二回。素数を数えるんだ。1、2、3、4…アレ。

 状況を確認するんだ、佐々木。
 はい、大佐……大佐、誰?

 え~と、その、なんだろう。そうか、私は混乱しているのだ。混乱状態にある時こそ、
冷静に、周辺の情報を確認するべきだ。道に迷ったら、まず現在位置を確かめない
といけない。
 そう、現在位置は、親友の自宅、その自室の中。
 次だ。私は何をしている。彼と一緒に自習をしている。今は国語だ。ちゃんとした意味
が分からない言葉があったから、辞書を引いておこうと思った。辞書を引いて類似や
近似している言葉にも目を通しておくことで、応用力を養うのである。
 タイミング悪く、彼はお茶を入れるために席を外していた。本棚に国語辞書のケース
はあったので、とりあえず、借りることにした。辞書を抜き出したら、その上に重ねてあっ
た雑誌が落ちた、その雑誌が………うああ。だったのだ。

 どうしよう、どうしたら、どうすべき、どうするならば、どうする時?
 ええい、五段活用している場合じゃないのよ。もうすぐ、彼が戻ってくる。
 こんな物を私が見たって知ったら、彼はどう思うだろう。恥ずかしいだろうなぁ。でも、
こんなとこに、無造作に突っ込んでおく彼が悪いのだ。うん、私は悪くないぞ。
 ちらりと、紙袋に入ったブツを見る。外国人の白人女性が挑発的なポーズでこっちを
見ていた。やっぱり彼もこういうのが好きなんだなぁ。自分の胸に手を置いてみる、
むなしい。いいや、私は人並みだ。14歳の日本人女性の平均の範囲内にあるはずだ。
 やっぱり、男の子は、大きなおっぱいが好きなんだなぁ。こんなにあったら、体育の時
とか大変だろうなぁ。核ミサイルみたいな胸を見ながら、そんなことを思う。
 とりあえず、足先でちょいちょいとつついてみる。
 私、何やってんのぉぉ。
 こんなの私のキャラじゃないよ。
 そうだ。彼のもっているであろう私へのイメージを想像する。
 こんな時、“僕”なら、どうするだろう。


「探索:本編」

「お待たせ、コーヒーでよかったか?」
 そう言って、俺は自室のドアを片手で開ける。そして、凍り付いた。
 部屋の真ん中には、勉強のために持ってきたちゃぶ台。
 そこには佐々木が座っており、熱心に読んでいた。
 何を、参考書ではない、辞書でもない、俺が、須藤から借りた、秘蔵のアレである。
「おかえり、キョン。ああ、これかい。ちょっと辞書を借りようと思ったら、こんな物を
見つけてしまってね。普段、持て余し気味だった好奇心を満たしている所だ」
 佐々木は俺を見上げ、にっこりと微笑む。
 背筋が凍り付く笑顔というものを俺は初めて味わった。
「そんなところで、固まっていないで、盆を下ろしたらどうかな、座りたまえよ。ここは
キミの部屋なのだから、遠慮する必要などないはずだ」
 ことりと、盆をちゃぶ台に乗せ、佐々木の前にコーヒーカップを置く。
 たしか、ブラックでよかったな。
「ああ、それで結構だよ、ありがとう」
 とりあえず、佐々木の向かいに正座する。しばらく、沈黙が続いた。佐々木はコーヒーを
飲みながら、興味深げに、雑誌をめくる。英語の雑誌だが、彼女には読めるのだろうか
……きっと読める。なぜだか、そう確信した。
「キョン」
 はぃいい、なんとなく声が上ずった。針のムシロとはこういう状態を言うのだ、きっと。
ああ、こんな感覚、一生涯知りたくなどなかったぜ。
「何をそんなにびくびくしているんだい? 今日のキミはヘンだね。そんな風に固まって
いないで、課題を進めたらどうかな」
 雑誌から視線も外さずにそう言う佐々木に、ヘンなのはお前だ。という言葉を飲み込む。
ふぅ、深呼吸、深呼吸。
「お前もそんな本なんか見てないで、再開したらどうだ」
 根性で、平静を装う。まさに必死だ。声が震えないように緊張したぜ。
「僕は米語の勉強中だ。生きた言葉を学ぶならリアルタイムに使用されている言葉を読ん
だり聞いたりするのが一番だよ、キミもそう思ったから、こんな雑誌を買っているのだろう」
 嘘付け! なんで、俺がそんな皮肉を聞かされなきゃならんのだ。
 大体、それは……止めよう、それを口にしたら、須藤に悪すぎる。
「男はみんなマザコンだと、よくいわれるが、キョン、キミも例外ではなかったというこ
とかな? キミも知っているだろうが大きな胸と腰は豊穣の象徴だ。アフリカの大地母神
いわゆるブラックマリアと日本の弥生時代などの胸と腰を強調した土器に見られる象徴性
の一致は、偶然ではない。大きな胸をしている女性の方が多くの子供を育てることができる。
大きな腰をしている方が出産による危険が少ない。まったく理に適った女性の愛し方だ。
それが、人類発生から65万年変わらぬ美の姿だ。芸術や感性というものですら本能からは
逃れられないという証左でもあるね」
 よくエロ本ひとつから、そんな長台詞を生み出せるな。一年近く、佐々木と付き合って、
コイツが半端なく面白いヤツであることはよく認識していたつもりではあったが、ことこ
れほどとは思っていなかった。やばい、面白くなってきた。
 考えてもみれば、性別女性とエロ本について語り合うなどという経験がそうそうあろう
はずもない。こうなったら、とことん付き合ってやろうではないか。
「そりゃあ、胸はないよりかはあった方がいいわな。まぁ、それでも、限度というものは
あるし、全体のバランスという物も極めて重要だ」
 ん、今一瞬、うろたえなかったか、佐々木の視線が自分の胸元に向いたのを俺は見逃さ
なかった。夏の水泳の授業を思い出す。佐々木は細身ではあったが、綺麗な体つきをして
いたなぁ。腰から足にかけてのすっと筆で引いたようなラインなどは理想的ですらあった。
 くつくつと佐々木が水底のカニのような笑みを漏らす。
「それは、もしかして、慰められたということなのかな?」
 ちょっと、まて。いや、これはあくまでも一般論だ。佐々木がどうのということは一言
も言っていないぞ。
「キョン、ことこういうことに関して、一般論ほど意味のないこともないよ。なぜなら、
身体の悩みというものの多くは、特定個人に自分がどのように見えているのか、そこに
起因するからだ」
 そういうもんか。
「そういうもんさ、だから僕にとってはだね、キミに自分がどう見えているのか、僕は
キミにとって魅力的な女性なのか、それともそうではないのか、その点こそがもっとも
重要なことなのであって、それ以外は、実に些少なものでしかない」
 俺にとってのお前か、まぁお前は俺のクラスメイトであり、この一年、もっとも連んだ
友人であり、同じ学習塾に通う塾生仲間であり、共に受験戦争に挑む戦友だ。かように
佐々木は佐々木なのであってそれ以外の者とは比べることなぞ……。
 などと、トートロジーに耽っていると、佐々木はそんな俺を見て、ぷッと吹き出した。
きゃらきゃらと珍しく声を上げて、女の子っぽく笑い続ける。
「いやぁ、キョン。困らせてしまったようだね、すまない。単なる言葉遊び、戯れ言だよ。
気にしないでくれるとありがたい。それから、こういう本はもっとキチンと隠したまえ。
僕が好奇心で探してやっと見つかるくらいの場所がよい。あれでは、予期せぬ時に見つけ
て焦ってしまうよ」
 うるさいな、木を隠すなら森の中っていうだろ、ベッドの下とかあからさまに怪しい場所
は逆にすぐに見つかってしまうんだよ。お前も日常的に家捜しをする存在が身近にい
ればわかるさ。
「なるほどねぇ、僕は家の者に見られて恥ずかしい書物など、日記帳ぐらいしか持ってい
ないからね、そのような苦労など思いも至らなかった。さぁ、それでは受験勉強に戻ると
しようか、実に有意義な時間であったよ、ありがとう」
 まったくだ。どういたしまして。
 そういってやると、佐々木は唇の端を歪め、皮肉な笑みを浮かべた。
 くそっ、いつか犯してやる。
 そそくさと秘蔵のアレを紙袋にしまい込み、元の場所に慎重に戻しながら、そんな犯罪
的な感想を持つ俺なのだった。
「探索:エピローグ」

 ふぅ、なんとか誤魔化せただろうか。僕にとっては有意義で、私にとっは残念な時間が
経過し、彼の自室内には再び真面目な空気が漂った。
 分かっていたことだった、彼には女の私を見せないように注意していた。だから、これ
は当然の結果、実験結果は理想的ですらあった、僕にとっては。
 誤算だったのは、彼に対して女の顔をしたがっている私の生み出すノイズ。そのノイズ
は今も甘美な誘惑を僕に、私に送ってくる。
 これが悪魔の誘惑というものなのだろう、これからは魔が差さないようにより慎重に
注意しないとならない。
 ここまで、うまくやってきたのだ。最後まで、貫き通したい。だけど、この気持ちもま
たノイズなのだ。機械的に受験勉強を続けながら、私はそんなトートロジーに耽っていた。

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最終更新:2007年10月11日 21:53
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