4-704「For Nothing」

自分が消えてしまう―
その重大な事実に対しても、特に大きな感慨はわかなかった。
現実感がなさ過ぎる。
悲しいのか、寂しいのかもわからない。
私はこの事実に対して、悲嘆に暮れるべきなのだろうか、それとも自らの存在のために必死にもがくべきなのだろうか。
橘京子、そして周防九曜の告白によると、私は4年前に涼宮ハルヒの世界改変によって創造された存在、いや分裂した欠片と言ったほうが正しいのかもしれない。
そして、涼宮ハルヒの改変された精神世界が補完されるとき、私もまた補完される。
再び彼女の中に私は還る。
4年前、当たり前のように私が存在したように、当たり前のように私は消える。
そして、涼宮ハルヒでなく私の精神世界が補完されるとき、この分身は涼宮ハルヒと取って代わることができる。
消えるのは涼宮ハルヒ、私は―消えない。
その補完の鍵はあの人。
涼宮ハルヒの、そして私の初恋の人―
私の中学校時代の親友。

気がつけば私は彼の家の前に来ていた。
どうしても彼と会って話がしたかった。
インターフォンを押す。
スピーカーから彼の声が聞こえた。
汗ばんだ手の緊張が少し和らぐ。
少し話がしたい、彼にそう伝えた。
そう、話がしたい。
彼と話がしたい。
確認したかった。
私の存在意義を、そして私の心を。

彼は普段と変わらない笑顔で私を出迎えてくれた。
こんな夜に一体どうしたんだ、そう言う彼の少し困ったような優しい顔。
いつも言い負かされそうになると、その顔をするよね。
私の大好きな顔。
その顔が見たくて私はいつもあなたを言い負かそうとしていた―

話したかったはずなのに、何を話せばいいかわからない。
とりあえず、私たちの中学校まで歩こう。
あの1年間の思い出の詰まった道を、辿っていこう。
帰ろう―
帰りたい、あの頃に。
どうしたんだ、とか勉強は大変なのか、とかあの人は話題を振ってきてくれた。
でも、私はうまく応えられない。
きっと私の話したいこととは違ったから。
気がつけばお互い言葉を交わすことがなくなっていた。
でも、あの人は何も言わずに私の隣を歩いていてくれる。

彼の存在を感じながら、私は自分の存在が消えることについて考えていた。
いつだったか、自分が死ぬときを考えたとき、その痛みや苦しみが怖かった。
世界から痛みも苦しみもなく消え去るように死ぬことができたら、どれだけ幸せだろうと思っていた。
橘京子の言うように、私は自分の存在にしがみつくべきなのだろうか。
周防九曜は言った、涼宮ハルヒと私が同時に鍵に接触した今、間もなく選択は行われるだろう、と。
いつまで私は存在できるのだろう。

気がつけば中学校はもう目の前だった。
懐かしいな、彼はそう言った。
何も変わっていない、あの頃のまま。
中へ入ろう、と私は言った。
校庭のフェンスに人が出入りできる穴がある。
それもあの頃のままに。

私には自分が涼宮ハルヒにとって代わろうという考えは全くなかった。
所詮自分は分裂した存在の欠片―
そう、私の理性、いや存在が理解していたからかもしれない。
なぜ、私が存在することになったのかはどうでもよかった。
ただ、私が何のために存在してきたのか―
それを知りたかった。
証明したかった。

誰もいない校庭は私たち二人には不相応に広かった。
私は校庭の中心へと向かう。
ここがきっと最後の舞台。
ここでクライマックスを迎える。
私にとっての。

彼は何も言わずについてきてくれた。
あたりを見回す。
周りには誰もいない。
祝福してくれる人も、見守ってくれる人もいない、分裂した欠片の最後の舞台。
「ねえ、キョン。懐かしいよね、何も変わっていない。」
ああ―
と彼は応えた。少し訝しがるような表情。
私はどんな表情をしているのだろう。
せめて最後ぐらい自分の一番いい表情を彼に見せたいのに。

佐々木、どうしたんだ―
彼の言葉はやさしい。
私はどうしたいのだろう、どうしたかったのだろう。
ただ、一言「好き」と言えばよかった?
でも、ずっとその一言を言ってしまえば世界が壊れてしまうようで、ずっと怖くて言えなかった。
ずっと勇気がなかった。
もしかしたら、それすらも私にはそう決められていたことだったのかもしれない。
彼に恋をしたことすらも。

どうしてずっとうつむいているんだ、何があったんだ―
やさしい言葉を掛けないで欲しい。
つらくなるから。
気がつけば私は顔を彼の胸にうずめて、そして抱きしめていた。
佐々木―
「お願い、しばらくこのままで―」
私の目から何か熱いものが流れていた。
彼の匂い、彼の温もり、彼の存在―
このまま彼とひとつになれたらいいのに。
私自身が創られた存在だとしても、この感情すらも創られたものだとしても―
彼に私のことを忘れて欲しくない、私がいたことを、私といたことを忘れて欲しくない―
この想いだけは私自身のものだけだと信じていた。
両手に精一杯の力を込める。
彼の心に、彼の存在に私を刻み込めるように。
記憶からは消えてしまっても、そのどこかに私がいるように。

静かに私は誰かの鼓動の中へ消えていく。
当たり前の日常をずっと退屈だと思っていた、
でも今なぜこんなにも懐かしいのだろう。

『For Nothing』

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最終更新:2007年10月11日 21:54
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