ある日の昼下がりのことだ。何の気もなしにぶらついていた駅前で、俺は佐々木と出会った。
まぁ立ち話も何だということで、佐々木に誘われるままに喫茶店に入り、そこで休日の昼下が
りに相応しい適当な茶飲み話をしていた。
注文したケーキセットを半分ほど平らげたところで、佐々木は、俺に話しかけてきた。
「なぁ、キョン。この間、アーサー王伝説の始まりについて少し話をしたじゃないか?」
ああ、あの物語背景の時代性と物語からの要請により悲劇的な運命を辿った貴婦人のことだ
ったな。
「まぁ、その復讐は、彼女の娘たちが成し遂げるのだが、それはそれとしてね。男性にも同じ
ような伝説があったのを思い出したよ」
それはそれは、男性が意に添わぬ婚姻関係でひどい目に遭うという話か、アーサー王伝説で
は結婚がうまくいった試しはあまりないのだな。
「そうだね、“湖水”のランスロットの異性関係なんてズタボロだからね」
なぜ、そこで、俺をまじまじと見つめるのだ。言っておくが俺は不埒な異性交友関係なんぞ
には縁がないぞ。まったく自慢にならない上に、自分でいうようなことじゃないが。
「へぇ、そうなのかい?」
そう言って、佐々木は唇の端だけをつり上げて悪魔的な微笑みを浮かべた。
……まぁ、その話は長くなりそうだから、別の機会に置いておいてだな。その伝説とやらを
聞こうじゃないか?
「ああ、そのランスロットと双璧をなす円卓の騎士ガウェイン卿のエピソードさ」
ふむ、たしかそんなキャラもいたな。イノシシ武者みたいなイメージだが。
「妖精の加護を得て、午前中は力が3倍になったというからね、パワーファイターのイメージ
はどうしてもあるねぇ」
ふうん、それでそいつはどんな目に遭うんだ。
「アーサー王の尻ぬぐいで醜い老婆と結婚させられる」
そりゃ、ひどいな。
「まぁそうだね、他人の失敗の尻ぬぐいな上に、相手は醜い老婆なのだもの。さすがのガウェ
インも、ふさぎ込んでしまう。それを妻に問われたガウェインは“あんたが婆さんな上に、醜く、
生まれが卑しく下品なのが嫌だ”なんて言ってしまうのだね」
正直だな。面と向かってそんなことを言えるなんて。
「裏表がなく、単純で、正直なところも彼の魅力のひとつなのさ。まぁ、その非難に対しても
涼しい顔で奥さんは言葉を返すのだよ“私は経験が豊かで思慮が深い。醜いから、私が原因
であなたが戦うことはないでしょう。また、人品は生まれで決まるわけではありません”とね」
正論だが、何の慰めにもならないな。
「だけどねぇ、そう言って顔を上げた彼女は若く美しい貴婦人になっていたのだよ。悪魔の呪い
で、醜い老婆の姿にさせられていたのだね」
へぇ、悪い話じゃないじゃないか。俺がそういうと、佐々木は偽悪的な微笑みを再び浮かべた。
「本題はここからさ。奥さんは言う。“呪いの一部が解けて、一日の半分は私は元の姿を取り
戻します。あなたは昼の間、私が美しい方がよいですか? それとも夜、あなたの閨に居る
間、私が美しい方がよいですか?”とね、さて質問だ。親愛なるキョン、キミならこの問いかけ
にどう答えるね」
なるほど。なかなかに深い問題だ。男としては、ベッドで美しい奥さんが居る方がよいのだ
ろうが……、これはなんとも、難しいな。
「さ、キミの答えを聞こう!」
なんで、そんなに俺の答えに興味があるんだ?
「ふふ、このリドルには正解があるからさ。物語としては良くできていて、ちゃんと伏線が張っ
てあるのだ。だが、僕はその部分を今回は省略している」
なんだよ、卑怯だな。
「いいじゃないか、単なる戯れなんだから」
そうだな。俺の答えはだな、奥さんの好きな方でいい、だ。
「ほう、なぜか聞いてもいいかな?」
だって、そうだろう。昼間に夫の友人やその奥方の貴婦人連中から後ろ指さされるのも。
夜、夫に相手にされないのも、どっちも奥さんじゃないか。だから、奥さんが納得できる方を
選べばいいのさ」
俺の答えを聞いた佐々木は目を丸くしていた。なんだよ、俺の答えはそんなに変なのか?
「いやいや、キミ、このエピソードを知っていたわけじゃないよね。それは完璧で模範的な回
答だよ。劇中のガウェインだって、最初は自分の前でだけ、美しい方がいいって素直に言っ
たくらいなのだ。そしてその後にキミの台詞の前半部分を奥さんに言われて、考え直すくらい
なのだ」
ほう、じゃあ、正解を言った。ご褒美にお話のオチを聞かせてくれ。
「その答えを得た奥方の呪いは完璧に解けて、ガウェインは一日中美しい奥方を手に入れる
というオチなのさ」
なるほど、そこはさすがにファンタジーだな。
「しかし、キミも大したものだな」
佐々木は感心したように頷いている。そんなに俺の答えは不思議なのか。
「いやいや、キミのツンデレ具合も相当なものだとね、思っていたのさ」
何がツンデレだ、馬鹿馬鹿しい。
「最後の最後に自分が一番欲しかった言葉をしっかり投げてくれる、そんな辺りが溜まらないね」
そのイヤらしい笑顔を止めろ。俺がそう言うと、佐々木は悪戯っぽく微笑み、ちろりと舌を
出して、唇を舐めあげた。
「このエピソードの始まりはアーサー王が“世の中の婦人たちが一番望むものは何か”という
問いを受けることから始まるのだ。後にガウェインの奥方となる老婆は、その答えをアーサー
王に伝えてくれるのだよ。まぁ、その代償が彼女と美しく礼儀をよくわきまえた騎士を結婚させ
るということなのだが」
その“世の中の婦人たちが一番望むもの”が物語の伏線になるのか?
「そうだよ、その答えは“自分の意志を持つこと”なんだ。この『ガウェイン卿の結婚』という
エピソードがいつ頃、アーサー王伝説に加わったのかはわからないが、アーサー王と円卓の
騎士という物語群が成立した15世紀、あるいは19世紀頃の社会背景が良く出ているエピソード
じゃないかね」
なるほどねぇ。ま、勉強になりましたさ。その内、読みやすい『アーサー王伝説』の本でも
貸してくれや。
「ふふ、キミを退屈させないような『アーサー王伝説』の本か。なかなかの難問だ、それは」
それはそうだろうなぁ。自慢じゃないが、分厚い本を渡されたら、即座にくじける自信があるぜ。
「そんなことは自慢しなくていいよ。ま、せいぜい、読みやすいものでもセレクションさせて
もらうとしようか」
まぁそんな会話をして俺たちは、再び街の雑踏の中に戻っていった。
ん? その後、どうしたのかって? いや、別にすることはないから、別れて家に帰ったぞ。
おい、なんで、そこで溜息をつくんだ、古泉。
「いやいや、あなたのツンデレも相当なものだと、思っていましてね」
何がツンデレだ、馬鹿馬鹿しい。
そのイヤらしい笑顔を止めろ。
おしまい
最終更新:2007年11月01日 08:08