Scarborough Fair

ジブリ映画とオカルティズム ラピュタ&ポニョ編

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 ジブリ映画とオカルティズム ④

 ラピュタ&ポニョ編



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『天空の城ラピュタ』

1986年8月に東映洋画系で公開されたアニメ映画。
産業革命時代のヨーロッパを舞台にした、
未だに多くのファンを魅了してやまない大作冒険活劇である。

スタジオジブリ制作映画の記念すべき1作目で、
全国動員 77.4万人、配給収入5.83億円とあまり振るわなかったものの、
数々の賞を受賞するなど高い評価を得た。

子供から大人まで幅広く鑑賞に堪える名作である本作は、
その後のジブリの大躍進に従い再評価され、
今ではジブリを代表する人気作品となっている。

四半世紀も昔の作品であるものの、まぎれもなく日本を代表する
大冒険活劇作品の頂点のひとつであろう。

さて、この作品は作中にラピュタという
浮遊島が登場する事からもわかる通り、
表向きは聖パトリック大聖堂の司祭だったジョナサン・スウィフトの著作
『ガリヴァー旅行記』がモデルとなっている。

『ガリヴァー旅行記』はスウィフトが匿名で出版した諷刺小説で、
1726年に初版が、1735年に完全版が出されている。

イギリスのノッティンガムシアの小地主の三男に生まれた
レミュエル・ガリヴァーという男が、1699年に雇われ船医として
アントロープ号に乗船するものの、船が難破し、
奇妙な国に辿り着く…という筋書きの物語だ。

全編は大きく分けて
① 小人国編 (リリパット国渡航記)
② 巨人国編 (ブロブディンナグ国渡航記)
③ ラピュタ及び日本編 (ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、
  グラブダブドリッブおよび日本への渡航記)
④ フウイヌム国編
の4編からなっている。

このうち3番目のストーリーに登場するのが
磁力によって飛行する浮遊島ラピュタである。

そこには一日中思索に耽って過ごす賢人たちが住んでいる事、
またラピュタが超科学の都市であり、
同時に地上を破壊する超兵器である事が書かれている。

いうまでもなくジブリ映画 『天空の城ラピュタ』 のラピュタとは
この浮遊島ラピュタが元ネタだ。
それが世間の一般的認識である。

しかし元々このラピュタは、スウィフトによるオリジナル創作物ではないのだ。
それどころかこの著作物には様々な謎がつきまとっているのである。

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スウィフト自身が謎の多い人物であるのだが、
彼は英国フリーメーソンの幹部であったとも言われている。

そのツテで彼は、表向き教会から禁止されていた、
聖書の外典・偽典などを集めてこれを読み、
教会の手によって隠されたこれらの秘儀を小説の中で、
そうとわからない形で表の世界に公表していたのだという。

例えばガリヴァー旅行記の作中で、ガリヴァーがラピュタの科学者に
火星の衛星について教えてもらう場面がある。
その中で科学者たちは「火星には衛星が2つある」事や、
それらの火星からの「距離や公転時間」について説明を行っている。

ところが、これらを記したガリヴァー旅行記が出版されたのは1726年の事であり、
フォボスとダイモスが発見されたのはそれから151年も後の1877年なのだ。
当時はこれら火星の衛星は発見されていない。
では、作者のスウィフトはそんな昔にどこからこれらの知識を得たのだろうか?
そこに「ラピュタ」という荒唐無稽な舞台設定を読み解く鍵がある。


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さて、一見話は大きく飛躍するが、我々が住んでいる
この地球の大きさは、いったいどれほどであろうか?

この問いに対して現存する記録にある中で
最も古く地球の大きさを測定したのは、「第二のプラトン」と呼ばれる
賢人エラトステネス(元前275年 - 紀元前194年)である。
彼はヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者であり、
アレクサンドリア図書館を併設する研究機関ムセイオンの館長を務めた。

エラストネスは紀元前255年頃に初の天球儀を作成。
クレオメデスの『天体の回転運動について』によれば、
紀元前240年頃、シエネ(現在のアスワン)のそばの
エレファンティン島とアレクサンドリアとでの
夏至の正午の太陽高度の知識を元に地球の全周を計算し、
地球の大きさに対して、252000スタディアという解を出している。
(当時のスタディアが何mであるのか諸説あるが、この数値は
実際の地球全周より17%大きいという説が有力である)

この「偉業」から、彼は古代世界最高の天才の一人であると賞賛されているが
その一方で、こうした発想や計算は、エラストネスの独創ではないという話もある。

エラストネスは太古の叡智の文献を大量に蒐集・秘蔵した
アレクサンドリア図書館の館長的な役割を勤めていたが、
彼はそこに収蔵された太古の叡智の書をもとにこれらの発想を得たと見られており、
地球の直径を求める方法とその解については、
エラストネスよりも遥かに古い先駆者がいたと思われる。

さて、現在広く世界で使われている単位「メートル」であるが、
これは1790年に地球の大きさを基準にして作られた度量衡である。
パリを通過する北極から赤道までの子午線弧長の1000万分の1が
1メートルである事に由来する。

一方でエジプト・ダハシュールにはスネフェル王
(在位:紀元前2613年~紀元前2589年)のものとされる、
エジプト最古のピラミッドのピラミディオン(キャップ・ストーン)が置かれている。

不思議な事に、紀元前27世紀という超古代に頃に作られた
このピラミディオンの高さが、精確に1メートルぴったりなのだ。
なお、このピラミディオンは底辺の一片の長さが1.57mで、
底辺2辺の和を高さで割ると円周率πになり、
4面の面積の和を底辺の面積で割ると黄金数φになるよう設計されている。

更にエジプトではキュビットという単位を使っており、当時の1キュビット=0.5236mなのだが
この0.5236mという数値がどこから来ているかというと、
半径1mピッタリの円の円周(6.2832m)を12等分した弧の長さが0.5236mなのである。

要は紀元前27世紀頃からエジプトではメートル法が知られており、使用されていた。
ひいては当時の人間は地球の直径をエラストネスより遥かに精確に計測し、
それを元に1メートル度量衡を作り、更にそれを基にキュビットを制定したものと思われる。

こうした古代の叡智は「エメラルド・タブレット」としてピラミッドに隠されたり
(そもそもピラミッド自体がそれなのだが)、
文書化されてアレクサンドリア図書館に秘蔵されていたが、
カエサルの侵攻時の大火災や、4世紀末から5世紀にかけての
キリスト教徒大司教の使嗾のもとに行われた破壊によって古代の書物が失われてしまった。

しかし完全に全ての古文書が失われたわけではない。
焼失を免れたもの、図書館破壊前に持ち出されていたもの、
あるいは破壊前に作られていた数々の写本群などが
キリスト教の弾圧を恐れて地下へと潜り、散逸し、
様々な知の探求器官へと秘蔵され、各地で脈々と伝えられたと考えられる。


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それらの超古代の科学書は表舞台に現れる事は無かったが
何かのコネでそれにを目にした者たちは、それを自分の仮説のように
装って発表した。

ダ・ヴィンチコードというフィクション小説の中では、
アイザック・ニュートンは「シオン修道会」という組織の幹部であり
教会に封印された古代知識を受け継いだ知の探究者であった。
「シオン修道会」そのものはフィクションだが、ニュートンが
メーソンの幹部だった事は事実らしく、また彼は科学者としての文献よりも
多くのキリスト教研究所、オカルト文書の著作を遥かに多く残している。

「万有引力の法則」についても、「リンゴが木から落ちるのを見て知った」
(悪魔から知恵の実を授かった事の暗喩)という後世の作り話ではなく、
彼がその立場を利用して閲覧する事が可能だった古代文献から知った可能性がある。

また、フランス人数学者・地理学者であるオロンテウス・フィナエウスが
1531年に作成した世界地図や、メルカトル図法の発明で有名な、
ゲラルドゥス・メルカトルが1538年に作成した世界地図には
300年も後の1820年1月末に、初めて「発見」された、南極大陸が描かれている。
それも想像や伝聞で描いたというレベルではなく、大きさから詳細な海岸線、
山脈の位置までソックリなのだ。
彼らもアレクサンドリア図書館で失われた筈の、
太古から伝わる古地図を参考に、これらの地図を作成したのではないかと思われる。

話をガリヴァー旅行記に戻そう。
作者のジュナサン・スウィフトは、先に述べた通り表向きは
キリスト教組織の中にあって権威ある立場の「司祭」であり、
裏では古代からの叡智を脈々と伝える秘密結社・
フリーメーソンの幹部だったと言われる。

彼は表と裏、その2つのコネと力を使い、教会によって秘蔵され、
表立って公表される事はない大量の古文書を通し、
古代の叡智を知ったのだと思われる。
それを近代ヨーロッパの抱える矛盾や苦惱を、様々な社会風刺を通じて
表現した小説の中にまぎれこませ、様々な暗喩を使って公開したというのが、
「ガリヴァー旅行記」という冒険小説の正体なのである。

(なお、4番目のフウイヌム国編は、英国社會の諷刺であると同時に、
 崇高な理想を持つ結社フリーメーソンと、彼らによって支配される、
 野卑で奴隷のごとき下民たちの構図を暗示した話である。
 メーソンがこれから築かんと画策している“新世界秩序”の姿を
 早々と世間に公表した青写真的な話でもあったのだ)

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ガリヴァー旅行記に登場する火星の知識について
秘された古文書という元ネタがあるように、
作中に登場する飛翔する街ラピュタという
荒唐無稽な舞台設定についても、実は古い聖典にその元ネタがある。

世界で最も読まれている書物。
古代世界の絶対的神話体系──聖書。

その『旧約聖書』の『創世記』や『新約聖書』の『ヘブル人への手紙』に
大預言者エノク(英語読みイーノック)という人物が登場する。
オカルティストにとってエノク魔術の始祖ともされる男で、
エノク市の王でありる。

彼は別の神話に於いては、土着の神と渾淆して
ヘルメス、マーキュリー、トート、オーディンなどとも呼ばれ、
魔法文字を作った人物であるとともに、錬金術の始祖でもある。
彼らを渾淆しヘルメス・トリスメギストスという尊称でも呼ばれる。

またエノクは古代アラビアの伝承に於いては、ギザの三大ピラミッドの
真の建設者・イドリスであるとされる。

アブ・バルキ、マウスディーなど9世紀のアラブ人歴史家によると
ピラミッドの建設者は大洪水以前のエジプト王サウリドで、
大洪水の到来の啓示を受けた彼は、大ピラミッドを建設し
その中に数学や天文学をはじめとする様々な叡智を隠したのだという。
サウリドとはエノクと同一人物であろう。

(なお、今日では三大ピラミッドの建設者のように言われているクフ王は
 農閑期の公共事業として、三大ピラミッドの周囲にある
 非常に小さなピラミッドもどきを作らせただけの人物である。
 のみならず勝手に三大ピラミッド内に自分の名前を刻ませ、
 この事件により彼は人々に恨まれた、と当時の文献にある)

そのエノクは旧約聖書によると、「365歳の時に、
街ごと神の手に取られて地上から消えた」と書かれている。
「神の手に取られて消えた」とはどういう事か。

これについて更に詳しくを記述した書物がある。
『死海文書』にも記されている非常に古い書物であり、
しかし教会によって禁じられて封印されてしまった、
スラヴ語とエチオピア語の『エノク書』である。

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エノク書は俗に『天使の書』と呼ばれるほど
天使に関する記述が多い聖典である。

内容について簡単に述べれば、
エノク市の王であり預言者であるエノクが、ある日神から啓示を受ける。
啓示の内容は堕落したグリゴリの天使たちが持ち込んだ知恵により
人類が堕落し、それを嘆いた神が将来大洪水を起こし、
地上の悪を一掃するというものだ。

その後エノクが生きたまま天界に上げられ、
七層からなる天界の様相を見て回る様が描かれている。

(ちなみにこのエノク書は最近『エルシャダイ』という名でゲーム化され
 「大丈夫だ、問題ない」のセリフでブレイクし、
 発売前は大いに持て囃されたものの、見事に大コケした)

別の失われた聖典『ヤシャルの書』(断片のみが現存)には、
エノクに続いて80万人の男 (女性も含めると推定160万人) が
天に上げられた事が記されている。
同じく失われた聖典である『モーセ書』によると、
その空中都市の名はシオンというそうだ。

旧約聖書に登場する、エノクとともに天に上げられ、
地上界から切り離された聖なる空中都市。
天空を飛翔する城。

──これこそが、ガリヴァー旅行記のラピュタのモデルであり、
同時にこの作品をモデルにして作られた長編アニメ映画
『天空の城ラピュタ』のモデルなのだ。

要は、宮崎監督がこの映画にこめたメッセージを調べてもわかる通り、
『天空の城ラピュタ』とは、『ガリヴァー旅行記』を経由した、
聖書偽典・外典の焼き直しなのである。
表向き冒険活劇ではあるが、実はこれもナウシカ同様に
宗教作品なのだ。

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なお、『ラピュタ』 (La puta) とはスペイン語で 『娼婦』 を意味する言葉だ。
フラフラとあちこちの男と交わるふしだらな女を、
はぐれ雲の如き浮遊島に重ねて名づけた名前だと言われている。
彼一流のジョークだというのが定説だ。

そのためアニメ 『天空の城ラピュタ』 も、日本ではほとんどの人が
大して気にする事もなくその名を口にしているが、
アメリカではその名前が卑猥であるとして、ヒスパニック系視聴者に配慮して
『Castle in the Sky』 というタイトルに改題されている。

(なお「風の谷のナウシカ」のモデルとなった「オデュッセア」の王女ナウカシアも、
田舎くさい求婚者たちには見向きもしなかったくせに、
海岸に漂着した妻子もちの全裸の男の色気にクラクラして、
甲斐甲斐しく世話しまくった末、ふられて捨てられた色ボケ女である)

もっとも、これは表層のみの解釈に過ぎない。
スウィフトがこの空中都市に「ラピュタ」と名づけた真意は別にある。

スウィフトの正体がフリーメーソンであり、
物語の元ネタが『聖書』である事を知れば
おのずとその本当の意味が見えてくるのである。

太古の時代、神によって天界に上げられた、
信心深き者たちの住まう空中都市。
しかしそれは永遠に空を漂い続けているわけではない。
時が訪れると、再び人間の世界に姿を現すのだという。

『新約聖書』の最終章 『ヨハネの黙示録』
現在の世界の崩壊から新世界の創造までを描いた、
暗号と暗喩の集大成である怪奇な預言書。

その更に最終章には、福千年の後の最終戦争の後、
有史以来の全ての人間が復活させられ、
神による『最後の審判』によって裁かれる様子が描かれている。

悪しき魂は火の池に投げ込まれ、善き魂は
新たなる世界で永遠に生きる権利を与えられる。
そして神は既存の世界を消滅させ、審判にパスした
善なる選ばれし人々のためらに、光輝に満ちた
新たなる世界──新天新地を創造する。

(この話はまんま『ナウシカ』の最終章になっている。
『ナウシカ』では、ヒステリー症を持った主人公のアバズレ女が
墓所の主──『神』を否定してこれを殺害し、
人類救済のための数千年に渡るその計画を破綻させ、
新しく生まれ変わる清浄な新世界で暮らす事になる
善なる人々の胚珠までも、何の罪もないのに全て焼き尽くしてしまう。

共産主義者である宮崎駿の思想が色濃く反映され、
キリスト教的な思想や救いを完全に否定し、
それで悦に浸って種族まるごと自滅の道を選ぶという、
きわめて幼稚で短絡的な話をさも美談のように描いている)

話を黙示録の最終章に戻すが、そこでは
新しく作られた世界において、かつて遥かな昔に
天に上げられた筈のエノク市が、
選ばれた人々の前に再びその姿を現す。

12段のピラミッド状構造をしたその都は、
ヨハネの黙示録の中で{『天から降りてきた新エルサレム』
『キリストの聖なる花嫁』}という名で呼ばれている。
神と人が共に住まう永遠の浄福の都である。

ラピュタ(淫売婦、ふらつき女)とは
キリスト教的価値観の中で、「最も卑しむべき女」を指す言葉である。
しかし作中全てが比喩や対称表現で出来た暗号である
「ガリヴァー旅行記」において、それが指すものは、
その完全な対極にある「最も聖なる女」の事にほかならない。

すなわちラピュタとは、“キリストの花嫁”である空中都市・
新エルサレムを指す言葉なのだ。

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もう一度繰り返すが、この都は『風の谷のナウシカ』においても、
叡智と父性原理の象徴であり、創造主にして管理者であり、
ユダヤ・キリスト教の絶対神の暗喩である“墓所の主”が、
人間の愚かさによって汚染し尽くされた世界を浄化し尽くした後、
1人残らず絶滅した人間という種族──
しかしそれを死から蘇らせた、善と理知によって支配され
惡しきところの見られない、全き“選ばれた民”によって築かれる
“理想世界”という形で登場している。

しかし宮崎はこの「聖なる光に包まれた、父なる神とその下僕」
という集団に対し、母性原理の象徴であり、
一神教以前に世界を支配していたアミニズム、
地母神崇拝の暗喩であるナウシカと
彼女を支持する被差別部落という
「闇とともに生きる、母なる神とその同胞」という
対照的な集団を登場させ。これと対決させている。

そしてこうした完全なる善と幸福に包まれた理想世界を否定し、
それを築くための、二度と再生できぬ貴重な礎を
跡形もなく破壊し尽くしてしまっている。
彼女は結果として人類に2度目の“絶滅”を与えた最悪の死神である。

ここからわかるように、宮崎映画の本質はキリスト教の否定
キリスト教によって邪教や悪魔とされた原始的崇拝の復活にある。

宗教に疎い日本人から見れば宮崎は「偉大な人格者」のように映るかも知れないが
キリスト教的に見れば「淫祠邪教の女神崇拝者」
「サタン教の教祖」そのものである。
彼の作品は原始宗教への回帰をメインテーマとした宣教作品なのだ。

『ナウシカ』同様、『ラピュタ』もその例に漏れない。

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『聖書』においては、堕落した人類は、
かつて自分たちの元を離れていった空中都市に、
悠久の歳月の後に再び戻るという筋書きとなっている。
同様に『天空の城ラピュタ』もまた、かつては人類の都であったが、
歴史のある時期に失われ、長い歳月を経た後の時代、
人々がふたたびこの都を捜し求め、辿り着くという筋書きとなっている。

しかしそこから先が異なり、結局のところ主人公たちは
こうした優れた文明を捨て、人類が営々と築いてきた偉大なる叡智を否定し、
大地へ回帰して原始的な生活を営む道を選ぶ。
この辺りは『ナウシカ』最終章も同じ筋書きである。

『ナウシカ』もそうだが、これは全智全能の神の元で管理され、
約束された楽園に導かれる運命を持っていたにも関わらず、
自由意志を得た事で楽園を失い、1人で生活する道を選ぶ事になった
最初の人類アダムとイヴの話の再現である。
(イヴ以前に様々な女がおり、うちリリスがアダムの最初の妻になったという話もあるが、
 これは中世に創作されたヨタ話である)

いわば運命を決める最後の選択において、ナウシカもラピュタも、
永遠の生命を得る神の道ではなく、滅びに向かう蛇
サタンの道を選んだという事だ。
(ナウシカははっきりと、「滅びに向かうがゆえに人類は美しい」
 といったニュアンスの発言をしている)

いってみれば宮崎は映画や漫画を見た者に対して、
読者がこうした、神に逆らうサタンの道を選ぶ事を
正しいと思い込むように、無意識下にインセプション
(植え付け)しているという事でもある。
それは宮崎の思想である以前に、古代から脈々と伝えられてきた
悪魔ルシファーを崇拝するフリーメーソンの考えでもあるのだ。

その選択が間違っているとまでは言わないが、
ナウシカやシータたちの最後の選択が、神学的に見て悪魔側、
プロメテウス側のものである事は否み得ない。
そして聖書では散々誤った道を進んだ末に人類が
元の道に立ち返った神に救われる筋書きになっているが、
ラピュタでもナウシカでももののけ姫でも、
しつこいぐらい繰り返し「神殺し」を行っているが故に
その望みはもはや無いのである。

また、左翼の人間はとにかく狂犬のように
権威や伝統文化に手当たり次第に噛み付き、これを引き摺り下ろし
自分の行為を正当化して、自分たちこそ正義であり進歩的だと主張する特徴がある。

かつて中国であらゆる文化や伝統、宗教、
家族や結婚といった古くいからのシステムを否定し、
これらを破壊し尽し、原始的な農村社会に回帰した
「文化大革命」という狂ったムーブメントがあった。
共産主義者である当の中国人や左翼の機関誌である朝日新聞などは、
これらを偉大なる革命だとか、人類の歴史における偉大な進歩だなどと賞賛していた。
宮崎駿をはじめとするジブリ幹部の面々らも、これらの左翼思想や
共産主義の信奉者であり、それがナウシカやラピュタといった
作品中に色濃く現れているのである。

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宮崎映画の主人公たちは左翼たち同様、とにかく「自由」を尊ぶ。
文化大革命ではそれを突き詰めた結果、家族や結婚、男女の性差などの
過去の制度を全て破壊し、それを「自由」だと称した。
左翼の連中が様々な既存の制度に噛み付いて破壊しようとしているのも
どう余裕の理由からである。

確かに、不自由な環境に対してある程度の「自由」は必要であろう。
ところが宮崎アニメにおいては「自由」をつきつめた結果、
管理者、束縛者、果ては実の親を殺してしまうという過激なオチに行き着くのである。
(この点は映画版で不自然きわまりない“親殺し”のシーンが追加された
 『ゲド戦記』にも見られる。
 一般には息子の吾朗による父親・駿を超えるための気概を現した
 シーンだと解釈されているが、それが示す真実はまた別である)

では、「自由」とは何なのか?
その起源は神に逆らって自由意を得た創世記の物語にある。
つまり“自由”とは元はと言えば神に逆らう意思の事であり、
悪魔の誘惑により人々に与えられたものであるのだ。

“自由”はフリーメーソンの理念の三本柱のひとつであり、
メーソンによって作られた国家アメリカの一大理念にもなっている。
アメリカの大統領が代々就任の際、「メーソンの聖書」に手を置いて、
その神ルシファーに宣誓するのは有名な話である。

サタンは「聖書」に明記されているように、「この世の神」であり
世界中の繁栄国、強国の諸王に権威を与え、これらを下僕として使う管理者であり、
対立構造にあるどころか、神自身によって、末日までこの世の支配を任された御遣いであり、
米大統領はそのサタンの下僕である。
もっともこれはアメリカだけに限った事ではないが、
これについては『ハウルの動く城』の項目で作品の謎説きとともに説明する。

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さて、ついでに『ラピュタ』には大インドの古代聖典
『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』に登場する
神々の最終兵器・アストラも登場している。

アストラは別名アグネアとも呼ばれ、金属の筒に収められ、
毎日兵士によって点検されている空飛ぶ兵器の事である。

それは凄まじい大爆発を起こし、その焦熱で
膨大な数の象部隊(戦車)や鳥たちを焼き焦がす力を持つ。
のみならず強烈な不可視の「毒」を撒き散らし、爆心地の周囲の者たちを
手も触れずに続々と殺してしまう魔力を待つ。
そのため戦場から逃れた兵士たちは、
アストラの放つ毒から逃れるために、水で兵装を洗った…
とこれらの古代聖典に記されている。 

(同書にはヴィマーナという、“特殊な水”を燃料として
 音速で空を飛ぶ兵器も登場し、
 それらがアストラを投下するシーンもある)

核兵器の父であるロバート・オッペンハイマーは、
サンスクリット語の原書を読めるほど古代インド神話に精通しており、
この神々の兵器アストラを元にして原子爆弾を製造した。
原爆作成計画であるトリニティ計画のトリニティとは、
インド神話の創造と維持と破壊の三神・ブラフマー・ヴィシュヌ・
シヴァによって形成するトリムルティ(三位三体)から取ったものだ。

貴子流離譚や、おそらくはシータやパズーという名も、
これらインド聖典から拝借したものであろう。

シータとはこの『ラーマーヤナ』に登場する、
アストラによる核戦争の引き金となった女性の名であるからだ。
彼女は“天から降りてきた月である”とこの聖典の中で表現されている。
ラピュタに於いても、少女シータは空から“降りて”くる。


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『ラピュタ』において、宮崎はこのアグネアを登場させて
その凄まじい破壊描写を見せ付けた。
さらに出典がよくわかるように『ラーマーヤナ』の名を出し、
かつわざわざ『旧約聖書』の、神によって滅ぼされた
ソドムとゴモラの名を引き合いに出した。
これらは偶然でも何でもなく、『ラピュタ』という作品の骨子が
オカルトで構成されている事の証左である。
同時に『神』=ラピュタ及びその支配者という等式が成り立つ。

またここには更にもう1つの意味がある。
フリードリッヒ・ニーチェは、それまでヨーロッパ文明の根幹をなしていた
『神』という絶対的概念が力を失い、科学への信仰がそれに取って代わった事を
「神は死んだ」という言葉で表した。

同様に科学が隆盛し人々が空を侵すようになった産業革命の時代、
既に滅び去り、その存在すらも忘れ去られた世界の支配者ラピュタ。
それは科学によってその座を逐われた『神』そのものの比喩であるのだ。

その『神』が、かつて穢れた都ソドムとゴモラを滅ぼした力をもってして復活し
再び世界をわがものにしようとするも、粉々に破壊されて天へ帰ってしまう──
いわば宮崎はこの作品の中で『神』を二重に殺したのである。

『ラピュタ』の本質とは『ナウシカ』同様、キリスト教の神を
暴虐者、滑稽な支配者としてカリカチュアライズしてこれを描き、
否定して殺害し、キリスト教によって弾圧され抹殺された
地母神崇拝の信仰を選ばせ、復権させる。
そしてまた左翼思想のように科学的発展や文明を否定し、
原始的な農耕生活に従属させる──
そのプロバガンダ作品なのである。

作品に隠された裏の思想を読み解こうともしない、
というかそのようなものが隠されている事自体をまったく想定していな
普通の視聴者はまったく気づいていないのだが、
この作品に何らかのシンパシーを感じた者は
知らず知らずのうちにその古い思想を植えつけられてしまっているのである。
それこそフリーメーソンや魔術結社が
太古から行ってきた常套手段だという事も知らずに。


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 『ナウシカ』『ラピュタ』について語ったので
 次は同じく宮崎アニメである『丘の上のポニョ』。について短く語ろう。

 『ポニョ』とは、聖書のノア、ギリシアのデュカリオン、北欧神話のベルゲルメル、
 アフリカのトムイバイノット、プラトーンのアトランティス、ケルト神話のビト、
 北米のコヤングティ、マヤの4人の男女、アステカのナタ、インド神話のマヌ、
 東南アジアのヨーム・スア、中国神話の伏羲と女媧、朝鮮神話の木道令、
 日本神話の泥の海が攪拌された後に(水が引いて)現れた大八洲など、
 太古から世界中に見られる、大洪水伝説を現代に蘇らせた物語である。

 なお、この神話の中で最も古い記録は、
 やはりシュメール神話のウトゥ・ナピシュティムだ。
 こうした洪水神話の多くには、神々が穢れた人類社会を滅ぼして
 世界を再生するという物語が付属している。

 さて、ポニョの本名はブリュンヒルデ
 北欧神話に登場するヴァルキューレの一人、死者を冥界に導く女神の名だ。

 つまりナウシカが人類を“絶滅”させた死神であり、
 シータが人類のために与えられた科学都市の破壊者であるように、
 ポニョの正体もまた人間を大洪水で殺しにきた死神なのである。

 その母は母なる海の女神であるが、これは大地母神の比喩である。
 やはり「ナウシカ」同様、古い地母神信仰が裏に隠れているのである。

 さて、先にシュメール神話について述べた。
 シュメール神話は世界最古の神話であり、世界中のあらゆる神話の原型であり
 「シュメール神話がわかれば古代世界の宗教の7割がわかる」といわれている。
 宮崎はこのシュメール神話を長編アニメ映画にリメイクして公開しているのだ。
 それが『もののけ姫』である。


                            ☞ジブリ考察その⑤ もののけ姫編




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