第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦


C.E.71年9月26~27日に、プラントの最終防衛ライン、ヤキン・ドゥーエ宙域で行われた地球連合軍?ザフト?の事実上の最終決戦。プラント議長であるパトリック・ザラ自らががザフト全軍の指揮を行っていた。

後が無いザフト軍に対し、緒戦から膨大な戦力で挑んだ地球連合軍だったが、土壇場でのラクス・クライン三隻同盟?の介入により、核ミサイルでのプラント本国への攻撃に失敗。さらにはザフト軍の切り札ジェネシス?の発射により戦力の40%を失い、一時撤退した。

翌27日にはジェネシスが再び地球軍を攻撃。待機していた第二波の部隊共々、月面プトレマイオス基地を撃破。
この大損害に激怒したブルーコスモス?の盟主ムルタ・アズラエル?は、ピースメーカー隊による再度の核攻撃を決定するも、一度目と同様に介入した三隻同盟のフリーダムジャスティスによりまたしても阻止される。

また、対ザフト戦の切り札としてモビルスーツ部隊の中核となっていたフォビドゥンカラミティレイダーが相次いで撃破された事や、それら三機の母艦であった戦艦ドミニオンの撃沈(同乗していたアズラエルも同時に戦死)など、様々な要因が重なり、戦線を維持することが不可能となった地球軍は敗走を開始する。

この時点でプラントの勝利はほぼ決定的なものとなっていたが、ザフトの指揮を執るパトリック・ザラは、ジェネシスによる攻撃を続行。
地球軍の残存部隊による抵抗もむなしく、遂には大西洋連邦首都ワシントンD.C.に狙いを定めるも、発射直前、その行動に疑問を抱いた部下レイ・ユウキがパトリック・ザラを射殺。
突然に司令官を失ったザフトは戦意を喪失し、パトリック・ザラが死ぬ間際に作動させた自爆シークエンスによりヤキン・ドゥーエが崩壊をはじめると、これを放棄して撤退を開始。

これにより第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦は引き分けという形で終わり、共に総力を使い果たして戦闘の続行が困難となった両軍は、和平への道を歩むこととなった。

なお、ヤキンの崩壊と同時に、ワシントンを照準したまま暴走を始めていたジェネシスであったが、アスラン・ザラが中枢部に進入。核動力炉を搭載した愛機ジャスティスを自爆させ、これを無力化させる事に成功している。

なお、「ヤキン」とはソロモン王が建てた「ソロモンの神殿」にある、一対の青銅製の円柱に由来する。右側の柱を「ヤキン」と呼び「確立」を意味し、左側の柱を「ボアズ」と呼び「力」を意味する。この2つを結合することで「安定」が生じるとされている。
「ドゥーエ(Due)」はイタリア語で「2」を意味する。

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最終更新:2006年08月24日 23:55
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