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軍集団司令官としてのハインリヒ・ヒムラー
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軍集団司令官任命
ヒトラーの忠臣としてヨーロッパ中を恐怖のドン底に陥れた史上最悪な男ハインリヒ・ヒムラー。彼は第一次大戦に従軍できなかったことで軍隊コンプレックスを抱えていて、SS全国指導者という強大な地位を手にした後も軍人への憧れは消えることはなかった。そんな彼にチャンスが訪れる。7月20日事件。多くの軍将校が関わったこのクーデター未遂を受けたヒトラーは軍への不信感を募らせ、昔から自分に忠実であるヒムラーをオーバーライン軍集団の司令官に任命した。オーバーライン軍集団はライン河を背にコルマールにて包囲された第19軍を助け、戦線を安定させることを目的に設立された上級司令部だ。本来、西部戦線の軍集団は全てルントシュテット元帥率いる西方総軍の下に統括されることになっていたけど、ヒムラーがこれを嫌がったからオーバーライン軍集団はルントシュテットの下につかない西部戦線では特異存在だった。ヒムラーは鉄十字勲章を授与することを夢みて、第19軍救援作戦"ゾンネンヴェンテ"を発動。3度に渡り大規模攻撃を行ったがなんの成果も得られなかった。しかしながら何か大きな失敗をしたわけではなかったため、何故かヒムラーは何もしてないのにヒトラーとゲッベルスからの評価が上がるという偉業を成し遂げる。ゲッベルスなんかは多忙な総統の負担を軽くするためヒムラーを陸軍総司令官にすべきとも発言してる。ヒトラーはそれは流石にやりすぎだと感じ「ヒムラーが資質を証明しない限りはそこまで思い切った措置はまだ取れない」と返してるよ。
ヴァイクセル軍集団司令官
そこでヒトラーは北東ドイツ方面でソ連軍によって開けられた戦線の大穴を埋めるために新たに設立したヴァイクセル軍集団の司令官にヒムラーを任じるよ。これにはグデーリアンもドン引き。軍集団作戦参謀に着任したアイスマン大佐も何故か司令官が軍事経験が皆無のヒムラーでドン引き。これには質問攻めをせざるを得ない。アイスマン「戦線の穴は何で塞ぐのですか? 利用できる戦力はあるんですか?それじゃ攻勢できなくないですか?」日村はこれに対し「参謀将校という人種は懐疑を抱くことしかできない。敗北主義者、いやそれ以上のものだ。」とキレ気味になりながら痛烈ディスで答えることしか出来なかったよ。ヒムラーは軍集団の頭脳「参謀長」を個人的に縁故のあるラマーディングSS少将に任せたが、そのラマーディングも知識・経験ともに足りずアイスマンは色々仕事を教えてあげないといけなかった。さらに幕僚の到着も遅れ、司令部には兵站将校も製図士も通信部隊もいないというグダグダっぷり。ヴァイクセル軍集団の体たらくなどお構いなしにソ連軍はオーデル川へ進撃。ヒムラーは「攻撃的に」だとか「側面を衝け」とかそれっぽいことを言うのみで、具体的な指揮というものを何もしなかった。ヒムラーは戦線全体には興味を示さず、トルン、ポーゼン、シュナイデミュールという三つの要塞都市にのみ関心を寄せていた。しかし助言や救援部隊を出すことはせず、無線で前線部隊に激励と非難のお言葉を伝えることと、逃亡兵の処刑を賞賛することしかできなかったよ。ヒムラーは1日の内の数時間しか野戦司令部で過ごさず、夜の10時半には就寝。それ以降の報告は一切受け付けなかった。ほぼ同時期、日村と同じ軍集団司令官職に就いていたゲオルグ=ハンス・ラインハルトがなんとしてでも東プロイセンを守るべく、苦悩をタバコで抑え、眠れぬ夜を過ごしていたことを見ると、ヒムラーはとても軍集団司令官とは思えない日々を過ごしていたよ。
忙しいヒムラー
ちなみにこの体たらくはヒムラーがただ怠けていたから起きた訳ではないよ。ヒムラーはこの時期、軍集団司令官職以外にもSS長官、ドイツ警察長官、内相、国内予備軍司令官を兼務していて、軍集団を見ている暇がなかった。そして職務兼務による過労のために10時半以後は眠らなければならなかったんだ。
背後を気にするヒムラー
ヒムラーは自らの活躍アピールのためにしばしばベルリンに赴くことも忘れない。こののんびり具合には流石のゲッベルスもドン引き。お前ついさっきまで陸軍総司令官にしようとしてただろ。
解任へ
グデーリアンは肝煎りの反撃作戦の準備をヴァイクセル軍集団に命じたが、司令官がヒムラーという弊害により中々準備が進まない。あまりの無能さにグデーリアンはついに激怒し、総統へヒムラーの解任を求める。口論は白熱したが、最終的に総統は納得。これ以降、軍集団の実質的な指揮はグデーリアン子飼いの将ヴェンクが務めることになり、これにはヒムラーも作り笑いをして悔しさと哀しみを誤魔化すことしかできなかった。その後なんやかんやあってヒムラーが守る役目を帯びていたポンメルン地方がソ連に制圧される。ヒムラーはこの頃にはストレスに苛まれ司令官を辞めたがっていた。さらに追い討ちをかけるように扁桃炎がヒムラーを襲う。ヒムラーはグデーリアンには知らせず同級生が経営するサナトリウムに引きこもる。指揮はヴェンクに任せていたがまだ一応司令官だったヒムラーが突如消えたため、司令部は大混乱。呆れたグデーリアンはヒムラーへ司令官職の返上を直言。もう疲れきっていた日村はこれを了承。でもヒトラーに面と向かって「私辞めまあす!」と言うのは怖いので、グデーリアンを通して辞任を伝えてもらった。期待されていた職務を果たすことができなかったヒムラーの体たらくには総統閣下も大激怒。ヒムラーを呼びつけ凄まじい怒号を浴びせた。こうしてヒムラーの鉄十字勲章の夢は永遠に消え去ったのだった。最後にヒムラーの後任司令官として司令部の引き継ぎにやってきたゴットハルト・ハインリツィの体験を見ていこうと思うよ。ハインリツィはヒムラーの芝居がかった自己弁護を長時間に渡り聞かされたが、戦況や軍集団の状況などの説明は何もしなかった。アイスマンに依るとヒムラーは速記者が追いつけず鉛筆を置くほど早口だったというよ。これにはハインリツィもイライラ。しばらくして前線指揮官から凶報が伝えられたが、ヒムラーは逃げるように立ち去って後のことは何も知らないハインリツィに丸投げした。ちなみにハインリツィはこの後色々頑張って、第三帝国高官のツッコミ役として活躍したり、ゼーロウ高地でドイツ軍を最後の勝利に導いたりしてるよ。詳しくは各末期ドイツ戦書籍で読んでね。最末期ドイツ軍で起きたとんだ茶番劇、いかがでしたでしょうか?今回は終わりです。ありがとうございます。
参考文献
- 大木毅 「ドイツ軍事史 その虚像と実像」作品社
- Oberst Hans-Georg Eismann 「UNDER HIMMLER'S COMMAND The Personal Recollections of Oberst Hans-Georg Eismann, Operations Officer, Army Group Vistula, Eastern Front 1945」
- アントニー・ビーヴァー 「ベルリン陥落 1945」白水社
- コーネリアス・ライアン 「ヒトラー最後の戦闘」ハヤカワ文庫NF
- ハインツ・ヘーネ 「髑髏の結社 SSの歴史」フジ出版社
- イアン・カーショー 「ナチ・ドイツの終焉1944-45」白水社
- 高橋慶史 「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」大日本絵画
- 高橋慶史 「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅣ」大日本絵画
- STEVEN J ZALOGA 「OPERATION NORDWIND 1945 Hitler's last offensive in the West」