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|武将名|SIZE(10):おおたによしつぐ|| |~|R大谷吉継|秀吉に小姓として仕え、馬廻り衆として中国&br()攻めの頃から従事した。軍事・政務ともに優&br()れた才能を持ち、賤ヶ岳の戦いでは七本槍に&br()次ぐ戦功をあげた。同じ時期に秀吉に仕えた&br()石田三成とは、深い友情で結ばれていたとい&br()われる。&br()&br()「我が将器、試すにはよき機会だろう」| |出身地|近江国|~| |コスト|1.5|~| |兵種|軽騎馬隊|~| |能力|武力4 統率8|~| |特技|防柵 豊国|~| |計略|[[日輪の謀術]]|【日輪:3段階強化/発動後増加】&br()(計略使用時、計略ボタンを押すこ&br()とで日輪ゲージを消費する)&br()敵の武力を下げる。&br()3消費:さらに敵の計略を使用でき&br()なくする| |~|必要士気5|~| |>|>|Illustration : [[タシロトジオ]]| 「大谷刑部」の通称で知られ、軍事内政の両面で秀吉の天下統一に大きく貢献した名将が妖しげな風貌を漂わせて登場。 吉継はハンセン病にかかっていたと言われ、その顔を白い布で覆っていたために見た目のインパクトが強い武将である。 武力4、統率8に柵豊とスペックは悪くないが、所詮低武力の軽騎馬なので戦力としては心もとない。 もっぱら計略要員としての採用となるが、中盤まで受け手に回りがちな豊臣家において、その武力の低さは足を引っ張りかねない。 それを補うのが強力な妨害計略である。 「[[日輪の謀術]]」は範囲内(カード横三枚分程)の敵部隊の武力を下げる妨害計略で、 日輪ゲージを3つ消費した場合は武力を7下げ、さらに計略封印効果までついてくる。 完全な状態で先打ちした場合は必殺の計略となり得るだろう。 そのため相手に対し計略を早めに使わせるプレッシャーをかけることができる。 効果時間は統率2相手に約9c、統率8相手に約7c持つ。士気5としては充分な性能だろう。 |消費量|武力低下|追加効果|h |~0|-3|なし| |~1|-4|なし| |~2|-5|なし| |~3|-7|計略封印| //大谷吉継は幼少時より秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで武功を上げた後は九州征伐や小田原攻めで活躍、越前敦賀に5万石の所領を得た。 //秀吉からの信頼も篤く、あの秀吉をして「100万の兵を与えて存分に指揮させて見たい」と言わせしめた程の軍略の持ち主だが、 //彼の実績はむしろ兵站などの後方支援や検地に撫民といった内政面に大きいだろう。 //しかし後世彼の名声を高めたのは何と言っても[[石田三成]]との固い友情と関ヶ原戦役における壮烈な奮戦ぶりであろう。 //家康とも親しかった吉継は会津上杉征伐に乗じた三成の挙兵を無謀と諫めるも、三成の決意と熱意に打たれ、最後は三成との友情に殉じる覚悟を決めた。 //病を推して参戦した関ヶ原ではその将器を如何なく発揮し、石田隊と宇喜多隊とともに東軍諸将の心胆を寒からしめたが、 //最後は小早川秀秋らの裏切りに合い衆寡敵せず敗退、自刃する。 //利害や保身に走るのが当たり前だった戦国時代において忠義と友情に殉じた吉継は現代にいたるまで「信義の人」として高い人気を獲得している。
|武将名|SIZE(10):おおたによしつぐ|| |~|R大谷吉継|秀吉に小姓として仕え、馬廻り衆として中国&br()攻めの頃から従事した。軍事・政務ともに優&br()れた才能を持ち、賤ヶ岳の戦いでは七本槍に&br()次ぐ戦功をあげた。同じ時期に秀吉に仕えた&br()石田三成とは、深い友情で結ばれていたとい&br()われる。&br()&br()「我が将器、試すにはよき機会だろう」| |出身地|近江国|~| |コスト|1.5|~| |兵種|軽騎馬隊|~| |能力|武力4 統率8|~| |特技|防柵 豊国|~| |計略|[[日輪の謀術]]|【日輪:3段階強化/発動後増加】&br()(計略使用時、計略ボタンを押すこ&br()とで日輪ゲージを消費する)&br()敵の武力を下げる。&br()3消費:さらに敵の計略を使用でき&br()なくする| |~|必要士気5|~| |>|>|Illustration : [[タシロトジオ]]| 「大谷刑部」の通称で知られ、軍事内政の両面で秀吉の天下統一に貢献した名将が妖しげな風貌を漂わせて登場。 吉継はハンセン病にかかっていたと言われ、その顔を白い布で覆っていたために見た目のインパクトが強い武将である。 柵・豊持ちの高統率軽騎馬だが、武力が低いのでやや心もとないスペック。 もっぱら計略要員としての採用となるが、中盤まで受け手に回りがちな豊臣家においてその武力は足を引っ張りかねない。 計略「[[日輪の謀術]]」は範囲内(カード横三枚分程)の敵部隊の武力を下げる妨害計略。 日輪ゲージを3つ消費した場合は武力を7下げ、さらに計略封印効果までついてくる。 効果時間は敵統率依存がかなり低いようで、統率2に約9Cながら統率9にも約7C続く。 |消費量|武力低下|追加効果|h |~0|-3|なし| |~1|-4|なし| |~2|-5|なし| |~3|-7|計略封印| 3つ消費時は計略を封印しつつ大きな武力差をつけるので、敵の主力4枚ほどに先撃ちできれば、相手には退くか玉砕して再起家宝を撃つかの2択しか残されていない。 ただし効果範囲はそこまで広くはないため、陣形や采配メインの敵には強いが、超絶強化+裏の手といったデッキにはやや相性が悪い。 最大消費の強烈さだけが目立ちがちだが、効果時間は日輪消費と関係ないので、実は0~2消費でもなかなかの有用性。 特に1消費時は日輪を増やしつつ効果時間が安定している[[力萎えの術]]を撃つ形であり、防衛戦において他の日輪計略よりも高い士気効率を誇る。 敵の大型采配を大絢爛しないと凌げない他の士気5以下の日輪計略より、この点で勝っている。 中盤に大絢爛すると後半はほぼ1回しか大絢爛できない日輪システムの性質上、2以下の消費で敵の攻めをごまかせるのは貴重。 そのまま後半の反撃においては大絢爛で自己完結できるので、[[日輪の構え]]などに比べて多局面で潰しが効きやすい計略と言える。 なおイラストは一見すると口が横に裂けているように錯覚しやすいが、右頬に髪がかかっているだけでよく見ると普通の微笑み。 //大谷吉継は幼少時より秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで武功を上げた後は九州征伐や小田原攻めで活躍、越前敦賀に5万石の所領を得た。 //秀吉からの信頼も篤く、あの秀吉をして「100万の兵を与えて存分に指揮させて見たい」と言わせしめた程の軍略の持ち主だが、 //彼の実績はむしろ兵站などの後方支援や検地に撫民といった内政面に大きいだろう。 //しかし後世彼の名声を高めたのは何と言っても[[石田三成]]との固い友情と関ヶ原戦役における壮烈な奮戦ぶりであろう。 //家康とも親しかった吉継は会津上杉征伐に乗じた三成の挙兵を無謀と諫めるも、三成の決意と熱意に打たれ、最後は三成との友情に殉じる覚悟を決めた。 //病を推して参戦した関ヶ原ではその将器を如何なく発揮し、石田隊と宇喜多隊とともに東軍諸将の心胆を寒からしめたが、 //最後は小早川秀秋らの裏切りに合い衆寡敵せず敗退、自刃する。 //利害や保身に走るのが当たり前だった戦国時代において忠義と友情に殉じた吉継は現代にいたるまで「信義の人」として高い人気を獲得している。

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