著:3スレ目>>518殿
曾根昌世 その2の続き



話を、永禄十一年の初夏に戻そう。
昌世は自らの力で手に入るだけの書物を読み漁り、また、今川領のあらゆる場所を見て回ったりした。
この頃には武田氏の惣領たる義信が没しており、いよいよ武田と今川の間はきな臭くなっていた。
特筆すべきはやはり相駿による塩止めであり、塩を確保する為には海が欲しい筈の武田は、駿河攻めを一向に始めていない。
昌幸に尋ねれば、

(・∀・)昌幸「塩問題は一時的ではありますが、既に解決しています」

(・A・)昌世「なんと?」

(・∀・)昌幸「越後が送ってきたのですよ」

(・A・)昌世「なんと・・・上杉輝虎が・・・?」

(・∀・)昌幸「いかにも」

一安心する昌世であったが、それよりももっと重要な疑問があった。

(・A・)昌世「喜の字、そなたほどの者が駿河に参るということは・・・」

(・∀・)昌幸「はい」

(・A・)昌世「おぉ・・・」

いよいよ信玄の駿河侵攻が始まる、と思うと、感動と、一抹の寂しさが昌世を襲う。

(・∀・)昌幸「孫次殿、駿河の国の景色はよう見られましたか?」

(・A・)昌世「!・・・うむ、しかと見渡したが」

(・∀・)昌幸「ところで孫次殿、近頃御屋形様が、駿河に入る前に心ある者からようその景色を聞いてみたいと仰せられておりましてな」

(・A・)昌世「それは、その・・・つまりは――」

(・∀・)昌幸「そろそろ甲斐へ戻られませ、孫次殿。もっとも、すぐにまた駿河に来ることになりましょうけど」

(・A・)昌世「イクナくない、のだな?再び御屋形様の幕下で働けるのだな?」

(・∀・)昌幸「イイ!」

数日後、流言の流布や今川重臣との密談といった任じられた調略活動を済ませた昌幸に従い、昌世は二年半ぶりに甲駿国境を越えた。



(´∀` (彡信玄「久しいのう、内匠?」

(・A・)昌世「はい、お久しゅう御座います、御屋形様」

(´∀` (彡信玄「内匠・・・駿河はどうじゃ?」

(・A・)昌世「は・・・」

(´∀` (彡信玄「いや、それは後じゃな。内匠よ」

(・A・)昌世「・・・は?」

(´∀` (彡信玄「すまぬことをしたな。周防守がことも含め・・・」

(・A・)昌世「めっ、滅相もなき・・・!そもそも防州めらが太郎様をお諫めしなかったことには某の・・・」

(´∀` (彡信玄「いや、よい。よいのじゃ。・・・のう、内匠」

(・A・)昌世「はっ」

(´∀` (彡信玄「再び儂の片目として働いてもらいたい」

(・A・)昌世「あ・・・」

(´∀` (彡信玄「無論、一度外へやってしまったからには側に置くことは叶わぬが、
    そうでなくともお主はよく働くじゃろう。のう?」

(;A;)昌世「ははーっ」

(´∀` (彡信玄「ついては曾根内匠助を、騎馬15騎、足軽70名持ちの足軽大将といたす」

(;A;)昌世「ありがたし・・・ありがたき幸せに御座います!」

再び信玄の家臣となった昌世は、この後から本格化する今川・北条との戦いに加わることとなる。

この年も暮れようとする頃、二手に分かれて駿河へ侵出。
要害たる薩?峠で一万五千とも二万とも言われる今川軍と対峙した。
双方が開戦しようという直前になって、今川方の朝比奈駿河守信置らが軍を突如駿河へ返し、
葛山備中守氏元は武田の軍門に降って今川軍を攻撃した。
いずれも信玄が調略した重臣であり、これらを欠いた今川軍は戦らしい戦も出来ずに蹴散らされた。
瞬く間に武田軍は今川を駿河から追いやり、同時に武田と同盟した三河の徳川三河守家康が
遠江に攻め込んだこともあって一気に今川氏は滅びることとなった。

が、もう一世紀近く今川の盟友である北条が武田を討つべく四万五千の大軍で陸海より駿河へ進軍。
補給路を確立しきれていなかった武田軍は、奪い取った駿河を止む無く放棄し、甲斐へ撤退した。翌年の春のことである。
更に遠州掛川城を囲んでいた徳川軍は今川軍と和睦。氏真らの身柄を相模の小田原へと送り届けた。
これに前後して徳川方の部隊と武田軍の秋山伯耆守信友が遠江北部で小競り合いを起こした事もあり、
一度は同盟した徳川は、一転して敵に回ってしまう。
次いで北条が徳川、上杉と同盟。対武田包囲網を固めつつあった。



永禄十二年夏、武田軍は再び甲駿国境を越えて北条勢の拠る城や砦にちょっかいを出した。
もっともこの攻撃は兵力も少なく、富士郡を奪っただけに終わるが、昌世はそれで充分だと考えていた。
というのもこれと前後して、信玄は諸将に集結の命令を下していたのである。

(・A・)昌世「喜の字はどう思う?」

(・∀・)昌幸「先の富士郡への攻撃を鑑みても、これは着実に駿河を奪う為の――
    と北条の将に思わせれば上々でしょうね」

(・A・)昌世「撹乱するだけして、やはり最終目標は小田原であろうかな」

(・∀・)昌幸「いえ、やはり此度の戦の最終目標は駿河でしょう」

(・A・)昌世「駿河が目的、と・・・」

秋、武田軍は甲府を発ち信濃へ、信濃から碓氷峠を越えて上野へ、上野を南下して武蔵に出るという大幅な迂回で北条を大いに動揺させた。
させた上で、信玄は甲斐郡内の小山田左兵衛尉信茂に自らの影武者をつけて甲武国境の小仏峠を越えさせ、
北条陸奥守氏照の滝山城を攻めさせた。
本隊先鋒の諏訪四郎勝頼隊も北条安房守氏邦の鉢形城を攻め、打って出てきた敵勢を軽くあしらうと、
囲みを解いて滝山城へと向かった。
更に滝山城を落城寸前までに追い込むと、これもまた囲みを解いて、今度は小田原へ向かうのである。

くミイX`дK!勝頼「鉢形も滝山も、我らがあと半時も攻めれば落ちたのになあ、典厩」

ヽ(゚∀゚)ノ信豊「アヒャヒャ」

( `ハ´)勝資「お家を継がれるであろう四郎君を先鋒に立てておきながら、全くなにゆえ退かせるのであろうか」

(・A・)昌世「四郎様、領土を広げて小田原を落とすのではなく、小田原を落として領土を広げようというのでは御座りますまいか?」

くミイX`дK!勝頼「それはわかるが、どうにも血が熱くなってな」

ヽ(゚∀゚)ノ信豊「ヌッコロセー」

(・∀・)昌幸「ここで謎々ですよ。もし小田原をも、一攻めの後包囲を解いて我らが帰途につけば、相軍はどう致しましょう?」

くミイX`дK!勝頼「万単位の軍勢で追撃をかけるであろうよ。特に氏照と氏邦は真っ先に諸将を集めて追ってくるであろ」

( `ハ´)勝資「そんな行軍は愚かではないか、武藤」

(・A・)昌世「大炊殿の仰せられる通りだ。そのような行動を取れば、北条の将兵を勢いづかせるだけであるし、
    そもそも北条を撹乱して小田原まで出張った意味がなくなる」

(・∀・)昌幸「典厩殿、北条が追ってきたらどうなさりますか?

ヽ(゚∀゚)ノ信豊「ブッツブス!」

(・A・)昌世「(なにゆえそこで新典厩殿に問われるのだ、喜の字・・・。古典厩様に似ても似つかぬような御仁ではないか・・・)」

(・∀・)昌幸「その通りです。初手から北条を撹乱し続けたなら、最後まで撹乱して叩き潰すことこそ道理」

ヽ(゚∀゚)ノ信豊「アヒャヒャ」

ともあれ10月1日、武田軍は二万の兵力で小田原城を包囲した。かつて上杉輝虎が十万の兵力を以って落とせなかった城は、
武田軍を以ってしてもびくともしない。
だが、それにしても早すぎる同月4日、信玄は平然として甲斐への撤退を命じた。

(・A・)昌世「(なんと・・・喜の字め、なんたる慧眼。舌を巻かずにはいられない)」

昌世は昌幸の成長を喜び、羨み、そしてその機会を逸した自分を悔いた。



(´∀` (彡信玄「皆の者、退却の陣容じゃ」

諸将を集めた席で、信玄は陣容が書き記された書を広げた。

(´∀` (彡信玄「ここ三日、これを考えておった」

(`・ω・´)昌景「では・・・、まさか小田原を囲んでよりずっと、撤退を決めていたので御座りますか?」

(´∀` (彡信玄「まぁ、上杉輝虎が十万の兵で落とせぬのも無理からぬことじゃ。形だけでも、小田原を囲むつもりでおったのじゃよ」

彡`Д´ミ信春「この美濃守が真っ先に甲斐へ帰るので御座るか・・・。致し方ない」

( ^ω^)祐長「僕はまた小荷駄ですかお・・・」

(`д´)勝頼「父上、なにゆえ我らに殿軍を申し付けてくれませぬか!この勝頼、赤備えに劣ることなど!」

( `ハ´)勝資「御屋形様、先の戦においても四郎様は先陣を賜りながら、功名を挙げる前に退きを命じられて御座いまするのに!」

(`´ё`)信種「殿軍は某でござるか。赤備えは先鋒こそ常套と心得ておりましたがの」

( ´_ゝ`)信綱「我らは山県隊に従って別の道」

(´<_` )昌輝「外様には妥当だな、兄者」

(・A・)昌世「(某は喜の字や宗四郎とともに検使か。それは妥当としても、この配置はいささか・・・。
    そもそも何故御屋形様は小田原を攻めたのだ・・・?まさか本当に駿河を・・・)

侍大将、足軽大将、百足衆の使番達がざわめき、周囲と話を交わしていた。不審を感じているのは昌世だけではないようだ。
その中で一人――、

(・∀・)昌幸「ニヤニヤ」

(・A・)昌世「(はて・・・?)

平然と、笑みすら湛えている昌幸が目に入った。



{´昌`}昌胤「ご一同、意見は多様に御座いましょうが、陣馬奉行として申し上げる」

(´∀` (彡信玄「まぁ、待つのじゃ、隼人。――喜兵衛よ、思う所を申してみい」

(・∀・)昌幸「拙者のような者の稚拙な考えでもよろしいのですか?」

(´∀` (彡信玄「武田の軍議に、何者とて遠慮は無用じゃ」

(・∀・)昌幸「ならば・・・皆様方、此度の戦の最終目標は駿河です」

しん、と場が静まり返った。

(・A・)昌世「(あっ)」

出陣の前にも、昌幸はそう言っていた。
鉢形城や滝山城を捨て置いて小田原を囲んだ時も、昌幸は狙いが小田原にないことを仄めかしていた。
味方すら、もしや関東の領土を広げるのではなく、本気で小田原を獲るつもりではないかと思う中、

(・A・)昌世「(全てを見渡していたというのか、喜の字は・・・)

(・∀・)昌幸「駿河を落とす為には、少々北条をいたぶる必要があったことは皆様ご承知のことと存ずる」

(`д´)勝頼「それは無論、北条と戦わねば駿河は奪い返せぬことくらいは承知だ。だから、武蔵を獲り、相模を獲り、
    小田原を落とせば駿河も自落するのではないのか?」

(・∀・)昌幸「残念ながら二万の兵力では、合戦で北条に勝てたとて、国獲りには及びません」

(・A・)昌世「つまり、合戦で北条を破ろうというのか?」

(・∀・)昌幸「いかにも。今から小田原から退けば、諸方の北条勢が立ちふさがり、
    次いで小田原の氏康・氏政の二万も我らの背後を突こうと出てくるでしょう」

誰かが「それならばなにゆえ」と言いかけて、一同がはっとなった。

(・∀・)昌幸「拙者にわかるのはここまでです」

(´∀` (彡信玄「ぬけぬけと言うわいw」

平然としているのは信玄と昌幸だけであった。陣馬奉行の原隼人佑昌胤でさえ、
まさか昌幸がそこまで読んでいるとは思わなかったのか、唖然としていた。



(´∀` (彡信玄「さて、三郎兵衛。撤退を決めていたのは、囲む前どころか出陣の前じゃよ」

(`・ω・´)昌景「流石で御座います、御屋形様!」

(´∀` (彡信玄「美濃、わかっておろう?その方は先鋒じゃ」

彡`Д´ミ信春「ははっ、お任せくだされ!」

(´∀` (彡信玄「源左、此度の小荷駄奉行、何にも勝る困難な役目じゃ」

( ^ω^)祐長「任せて下さいお!何としても小荷駄を守りますお!」

(`д´)勝頼「父上、勝頼の浅慮に御座いました。申し訳御座いませぬ」

(´∀` (彡信玄「儂も幼き頃は、自ら先頭に立って城攻めにあたったものじゃ。ゆくゆくは、父を超えるのじゃぞ」

( `ハ´)勝資「されど、先の戦の後、軍勢の真ん中では、お世継ぎの面目が立ちませぬ」

(´∀` (彡信玄「大炊、此度は待ち受ける敵に向かっていくのじゃ。前も後ろも乱れた時に支えるのは次期当主の役目じゃよ。
    それならば安心して殿軍も務められよう、右馬助?」

(`´ё`)信種「いかさま。最後尾ゆえ、万全の敵に向かうはいささか恐う御座るが、四郎様が前におるなら頼もしいこと」

(´∀` (彡信玄「うむ。源太、兵部、別の道を通るおぬしらの役割はわかっておるな?」

( ´_ゝ`)信綱「苦戦必至の中央隊を助け、北条勢に打撃を与えまする」

(´<_` )昌輝「まさに流石だな、と言ったところで御座います」

(´∀` (彡信玄「喜兵衛、勘解由、内匠。左翼隊が参るまではその方らが中央隊の命綱じゃ。わかっておるな?」

(・∀・)昌幸「頑張りまする」

( ´゚ω゚` )守友「畏まって御座る」

(・A・)昌世「お任せあれ」

(´∀` (彡信玄「これより三増峠に向かう。山岳戦は我らの独擅場。今こそ我ら武田の真骨頂を発揮するときぞ!御旗、楯無も御照覧あれ!」

一同「御旗、楯無も御照覧あれ!」



武田軍が小田原を離れたのを知ると、先に煮え湯を飲まされた陸奥守氏照、安房守氏邦兄弟が真っ先に動いた。
これに氏康の妹婿、北条上総介や関東の諸将が従い、武田軍と同数の合計二万の軍勢が三増峠へ先回りした。
更に後方の小田原からは氏康の本隊が出陣の用意に取り掛かり、武田軍を挟み撃ちにしようと謀った。

時間との勝負に、武田軍は勝つ。
氏康本隊が小田原城を出るよりも早く三増峠に辿り着いたのである。

志田峠から迂回した加藤丹後守景忠と小幡尾張守重貞が津久井城の動きを封じると、
まず馬場美濃守信春隊が峠を駆け上る。
この時一番槍の名乗りを挙げたのは、馬場隊の検使である昌幸であった。
軍議での一件もあり、武藤喜兵衛尉の名は武田家中に轟くこととなる。
更に馬場隊寄騎の小幡豊後守昌盛が北条勢に斬りかかり、馬場隊、勝頼隊、浅利隊も続いた。

(㍾・_・㍾)昌次「さすがは喜兵衛だ。一時は能力を潰すかと心配したが・・・あ奴こそ文武両道というべきもの」

浅利隊寄騎の昌次が、昌世を皮肉るように言った。

(・A・)昌世「いかにも。喜の字はまさしく・・・そうさな、御屋形様の脇差と言ったところよ」

(㍾・_・㍾)昌次「・・・ふん」

各隊は奮戦し、始めの内は小荷駄隊も、鉄砲を巧みに利用した工藤源左衛門尉祐長の指揮で、いまださしたる被害もなかった。
だが、この時三増峠を進んでいた武田軍は、総勢の半数ほどであり、即ち北条方の半数である。
峠の上を抑えられていることもあって、すぐに武田軍は苦戦を強いられることとなる。
高所に陣する北条からは、小荷駄の位置が丸見えであり、自然と北条軍が集中した。
峠を駆け上りつつ勝頼隊が祐長の掩護を行うが、

(`´ё`)信種「曾根、我らは工藤を助けるべきではないか?」

(・A・)昌世「この場に留まって下され、右馬助殿。我らが動けば四郎様が危のう御座る」

(`´ё`)信種「じゃが、山県殿が現れるにはまだ――んぬっ!?」

(・A・)昌世「右馬助殿ッ!」

流れ弾が信種の胸を貫き、その身体が馬から落ちた。
即死だった。



(・A・)昌世「(これはイクナイ!)」

(・A・)昌世「平八!右馬助殿が負傷された。この隊は某が指揮を執る!」

(㍾・_・㍾)昌次「あい、わかった」

(・A・)昌世「皆の者、構えて動くな!」

(㍾・_・㍾)昌次「工藤殿を見捨てる気か、孫次殿!」

(・A・)昌世「状況を見ろ、平八。我らが小荷駄に駆けつけたが最後、我らを囲む北条上総介の勢に、
    山県隊の到着を待たずして切り崩される!小荷駄の守備は源左衛門殿と四郎様にお任せ致せ!」

(㍾・_・㍾)昌次「・・・承知した。ならば上総介を討ち取るまで!」

(・A・)昌世「あ、待たぬか、平八っ!」

昌次は手勢を率いて攻め寄せる北条軍に向かっていった。
その行く手には地黄八幡の旗。まさしく北条家随一の猛将で、玉縄城主の北条上総介綱成の軍勢であった。
いかに武勇で鳴る昌次とはいえ、土屋勢百騎では分が悪いのは明白である。
土屋勢は北条の先鋒と交戦するが、横合いにも敵が回りこみ、いくらか経った後、崩れそうになった。

(・A・)昌世「(イクナイ!)」

と思ったその時、志田峠を迂回した三千とも五千とも言う左翼隊が現れ、逆落としに北条軍に襲い掛かったのである。

(`・ω・´)昌景「皆の者、続けェッ!」

( ´_ゝ`)信綱「別働隊一万一千、推参!行くぞ、弟者」

(´<_` )昌輝「おう!それにしてもこの大軍、流石だよな俺ら」

更に右翼の信玄旗本も、北条の外様衆への勧告や流言を飛ばしつつ主戦場に現れ
左翼隊と共に敵を挟撃する形とった。形勢は逆転した。
土屋勢が危機一髪であったと同時に、それだけに北条勢の動揺はひとしおである。
すかさず昌世は下知を下した。

(・A・)昌世「・・・、かかれェ!前面の北条勢を突き崩すのだ!」

してから、機のよい昌次の突撃に、たとえそれが偶然だとしても感心せずにはいられなかった。

(・A・)昌世「(ふうむ・・・)」

この一年、今川や北条との小競り合いはあったものの、本格的な合戦で前線で戦うのは、八幡原での敵の肉迫を除けば初めての昌世である。
初陣の後すぐに足軽大将、侍大将となった昌次の言葉にも、理はあるのではと思い直しつつあった。

(・A・)昌世「(一寸先は闇、か)」

信玄は何故よく見ようとするのか。それは一寸先が闇だからこそではないのか。
そう考えた昌世は、この後再び馬場美濃守信春らに師事し、検使役として多くの合戦で最前線に身を置いていくこととなる。

しかしながら、これの是非を問われれば、六年後の悲劇を鑑みると言葉を濁さざるを得ない。

ともあれ、一気に陣を掻き乱された北条勢は転げるように峠を逃げ下っていった。
この時、真田兄弟らの獅子奮迅の働きもあって、三千二百余りの北条勢を討ち取ったと云われる。
この合戦の後、昌次は討死した浅利右馬助信種の家臣70騎と駿河先鋒衆30騎を配下に付され、右衛門尉に叙任される。


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最終更新:2009年12月15日 20:23