729 :???? ◆6l0Hq6/z.w:2009/04/07(火) 14:19:31 ID:IX8Lq3xc0
扉を開けると、目当ての人物は確かに存在した。
だが納得できない。
なぜ裸なのか、なぜびしょ濡れなのか。
どうしてタオルを首に巻いて胸をそらし、
左手を腰に当てて瓶詰めの牛乳を飲んでいるのかなんて、どうでもいい。
────なぜ遠坂が起きているのか。
そう、納得できないのはその一点。
驚愕は、遠坂がこの時間に起きて活動している事であって。
その事実に比べれば、遠坂が全裸で下水から這い出てきたような姿をしているコトなんて、正直どうでもいい瑣事だったりする。
「まあ目が腐るほど見慣れてるしな」
呟いて十字を切り、神に祈る。
「……何をしているんですか?」
「祈ってるんだ。くたばった後ぐらいは、せめておまえたちと顔を合わせないで済む地獄に落としてくれって」
「ワケが分かりません」
「考えるんじゃない。感じるんだ、俺の苦悩を」
吐き捨てて目の前の少女にジト目を向ける。
「……まあおまえんとこの爺さんが暴れる気配もないし、今回は見逃してもらえたみたいだな」
「?」
しみじみと漏らした安堵の言葉にきょとんと首をひねる遠坂だが、知らぬは本人ばかりである。
「でも今度から早起きするならそう言ってくれ。両組織への根回しとか、抑止の目を欺くとか準備がいるからな」
「別に早起きしたわけじゃないですよ、わたし」
言って、遠坂は両手で持った瓶の残りを口に運んで続ける。
「たんに興奮して眠れなかったからそのまま起きてたんですけど……六時ぐらいから頭の中がすごいコトになってきたので、眠気覚ましに水風呂を堪能してみま
した」
そして『えへへー』と笑った少女は訊いてもいないコトを答える。
「途中で天国のお父さまとお母さまが手を振っているのが見えたんですけど、頑張りました。おかげさまで目がぱっちりです」
「それじゃ、なんでびしょ濡れなんだ? 普通は風呂から出たらタオルで身体を拭いて服を着るだろ?」
「あ、それは着替えとタオルを持っていくのを忘れたからです」
「おーい、おいおい遠坂いまの自分がヒトとしてヤバいところまで劣化してる事に気付いてるか?」
何故そこで誇らしげに胸を張って答えるのか理解できないと全身で表現する。
義理の父親である教会の神父と同等か、それ以上に俺を悩ませる幼馴染の少女。
それが地元では幽霊屋敷として名高いこの洋館の主、六代を数えるこの家の跡取り娘だった。
「……まあ式は午前中で終わるから、それまでなんとか目を開けていてくれよ遠坂」
早くなにか着ればいいのに裸のままの妹分を励ますと、途端に彼女は不機嫌になって……。
「二人きりのときは、ちゃんと名前を呼んでくれるって約束してくれました」
「ああ、そうだったな……おはよう天然桜(あーぱーさくら)」
「変なシコ名をつけないでください」
「それじゃ変種桜(色物ざくら)っていうのはどうだ?」
「もっとダメです」
これ以上ないほどに的確な表現にケチをつけて、目の前の少女は『むー』と見上げてくる。
「ちゃんと名前を呼んでくれないと、わたしにも考えってものがありますよ」
「へえ、どんな? 一体この俺をどうしてくれるって言うんですかね、ああん?」
「今度から『お兄ちゃん』って呼んじゃいます」
「いや悪かった、それだけは勘弁してくれ桜」
大げさに頭を下げて謝罪すると、少女は───
遠坂桜は満面の笑顔でこう言った。
「はい、今日のところは勘弁してあげます。今度から気をつけてくださいね、────」
……さて。
不覚にも聞き逃してしまったが、はたして彼女は最後に俺の事をなんて呼んだのだろうか……?
最終更新:2009年07月22日 21:16