738 :???? ◆6l0Hq6/z.w:2009/04/08(水) 20:26:57 ID:t8HUYBSU0


 シチューを煮込むコンロの火力を弱火にして、トーストをセットする。
 今朝は洋食。クリームシチューにトースト、ベーコンエッグにツナサラダと、それなりに気合の入った朝食を用意する。
 理由は簡単。長年の経験から善後策を協議するに、アイツは食べ物で釣るのが一番だという結論が出たからである。

「───わ。こんなに豪華な朝食は久しぶりです」

 効果は覿面だった。
 制服に着替えた桜は驚きが混じった笑みをほころばせ、小躍りしながらテーブルの前に座った。

「冷蔵庫にロクな物が無かったんでな。こんなモノしか用意できなくて悪いが、今日のところはこの程度で勘弁してくれ」
「……なんだか微妙に失礼な謙遜の仕方ですね」

 そうかな、と首をひねりながらエプロンを取り外す。
 一時はこちらに剣呑な視線を向けてきた桜だったが、不機嫌を貫くには目の前の誘惑が大きすぎる様子で。
 ゴクリと喉を鳴らした桜は、ちらちらとこちらの顔色を窺ってきた。
 要するに「もう食べていいですか?」と訊きたいのだろう。

「食うのは構わないが、せっかくの制服を汚さないようにナプキンを首に巻こうか」
「ナプキンですか……でもアレって小さいから首に巻くのは難しいと思うんですけど?」
「そのナプキンじゃなくてだな……いや、いい。エプロンを着けるから大人しくしていろ」
「え、食べる時にエプロンを着るんですか───わわ、今わたしのおっぱい触りました!」
「不可抗力だ。暴れるなこの馬鹿」

 作り手の立場から言わせてもらえば、自分の作品───この場合は朝飯だが───を評価されて嬉しくないわけはないのだが。
 この何かと足りないところの多い妹分には、まず小言が口に出る習慣になっている。

「……今朝は裸も見られちゃったし、わたし的に散々です」
「もしもし遠坂さん? そういう台詞は一昨年まで俺と一緒の風呂に入りたがってた過去をどうにかしてから言ってくれないかな?」

 とても落ち込んでいるとは思えない表情で、探るような視線を向けてくる困り者の妹分に、コツン、と軽めの拳骨を落として続ける。

「いいからさっさと食え────九時半までに登校すればいいおまえと違って、準備やら手伝いやらがある俺はそろろそ出ないとまずい」
「……はい。いただきます」
「いただきます、アーメン」

 時間がないので食事時のお祈りも一言に省略。
 本音を言えば食事そのものも省略したいのだが───にこにこと満面の笑みを浮かべて料理を口に運ぶコイツには、どうしても言っておかなければならないコトがあるのである。

「……ところで桜」
「はい、何ですか?」
「俺が誰かもう一度言ってもらえるかな?」
「お兄ちゃん?」
「ブブー! 不正解の桜さんにはもう一度回答の機会が与えられます。ほれもう一度俺が誰か言ってみろ」
「……お兄さまって呼んだ方がいいんですか?」
「いや、そうじゃなくてだな────」

 思わず突っ伏したくなるのを我慢して、この頭の中がかわいそうなお嬢様に事実関係を確認する。

「……そもそも俺たちは兄妹でもなんでもないワケなんだが」
「ああ、なるほど」

 すると桜は珍しくすんなりと頷いて続けてきた。

「そうですよね、兄妹だと結婚とか性交とかもできませんよね」

 …………。

「そうでした。わたしも十六歳になったんですからそういった申込みをされてもおかしくないし、そういった申込みに応じても問題ない年ごろでしたね」

 うんうんと力強くうなずいた桜は、そこでようやく自らの発言がとんでもなく破廉恥だった事に気づいたように顔を赤くして────

「……ひょっとしてわたしとエッチなコトをしたいからお兄ちゃんって呼ばれるのが嫌なんですか?」

 そんなとんでもない台詞を口にしやがったのである。

「────」

 暗転する意識を気力で堪える。
 ……ゴッド。
 何故アナタはこの哀れな子羊にこれほどの試練をお与えになりますか……?

『おまえも本当は理解しているはずだ──────それは私に娯楽を与える為だとな』
「黙れクソ親父」

 正気と狂気の狭間に浮かんだ性悪神父に悪態をついて、俺こと言峰士郎は現実を向き合う。

「わたし士郎さんなら応じてもいいんですけど……まかり間違って出来ちゃった婚になっちゃったら遠坂の娘としてそれはどうかという話になりますので、その……」
「とりあえずそれはないから安心してくれ」

 わずか数秒────たったそれだけの時間でここまで妄想できる天然ぶりに、改めて戦慄しつつもきっぱりと断言する。

「ないんですか?」
「ない。……それより桜」

 残念そうに顔を曇らせる桜の反応を無視して本題に入る。

「前にも言ったが俺たち二人だけの時は、俺の事をさっきみたいに士郎さんでも、昔のように言峰くんでも好きなように呼んで構わない」
「お兄ちゃんでも?」
「ただし条件がある」
「無視しないでください」

 桜は頬袋にどんぐりを詰め込んだハムスターのようにむくれるが、俺としてはこれだけは譲れない。

「ひとつ、俺のことをそう呼んでいる事を誰にも口外しないこと」
「むー、わたしだってそこまで考え無しじゃありません。こういうのは二人だけの秘密だってちゃんとわきまえています」
「ひとつ」
「……まだあるんですか?」
「学校では俺のことを『言峰先輩』か、ただの『先輩』と呼ぶこと……これが最大限の譲歩だ」

 この提案を拒否するなら縁切りも辞さない覚悟で───そんなコトが出来るなら是非やってみたいものだが───桜の目を真っ直ぐに見つめる。

「───分かりました。そこまで言うんでしたら、これからは士郎さんのコトを言峰先輩と呼ぶことにします」

 ようやく分かってくれたかという満足とともに胸をなでおろす。
 よしよし。これでアイツらの前で『お兄ちゃん』と呼ばれる自殺ものの未来を回避できたわけだな。

「しかしおまえも困ったヤツだな。せっかくアイツがいいとこのお嬢さんを集めたカトリック系の学校を紹介してくれたのに、中学ん時みたいに俺のと同じ学校を選びやがって」
「そんなに子供扱いしないでください。別に言峰先輩と一緒じゃなきゃ嫌だとまで思っていませんから」

 気を緩めたのが悪かったのか、思わず口に出た本音にむくれた桜は、なぜか懐かしそうな顔をして────

「……ただあの学校にはちょっと気になる人がいるから……」

 そんな言葉を最後に続けられた食事もやがて終り。
 気が付けば八時前を指していた柱時計に慌てて遠坂邸を後にした俺は───────


 【妬】桜の言っていた『ちょっと気になる人』が誰か無性に気になった。
 【慌】いや、そんなコトより約束がある。生徒会の手伝いに行かないと。
 【厭】面倒くさいのでパスパス。式が始まるまで弓道部で時間をつぶしていよう。
 【焦】……やっぱり桜が気になる。まさか二度寝をするとかない……よな……?

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最終更新:2009年07月22日 21:15