937 :うたかたのユメ ◆6l0Hq6/z.w:2009/06/01(月) 19:18:04 ID:mh.Ko94A0
『動かないで! 手当てをするから動かないでください!!』
『……うるさいわね。わたしに拘わるんじゃないわよ、この莫迦……』
他人事のように見つめる先で、鮮やかな朱が怠惰に飛沫を上げる。
赤い地面に吸い込まれるそれは、静かにはじける水滴ではなく無造作に流れる滝のように。
バシャバシャとふざけた音をたてて、鮮血は、彼女の右肩から止め処もなく毀れおちていた。
「────────」
意味もなく熱を帯びた肉体とは裏腹に、思考はひどく冷静に現実を俯瞰する。
冷え切った思考。現実なんて所詮はこんなもんだ、という諦観。
命は塵芥。人間はなんの意味もなく生まれてきて、なんの意味もなく死んでいく。
それが現実というものである事を、
言峰士郎はあの火事の中で理解した。
『……っ、今はそんな事を気にしてる場合じゃ───』
『だからうるさい────いいからさっさと退きなさい! 邪魔するならあんたも殺すわよ』
だから当り前のように理解できる。
この女は助からない。
右手を付け根から切り落とされているのが致命的だ。
これでは傷口を縛ることもできない。
それは止血が不可能という事を意味している。
今はただ蛇口と化した少女の肩から、彼女の命は刻一刻と失われていく。
「─────、……」
出血は一リットルに達しようとしている。
それが二リットルを超えた時が彼女の最期。
つまり彼女の余命は残り半分。
そしてその半分を繋ぎ止めるのも絶望的。
『ふんだ、なによその顔? やめてよね、そういう人の無神経に傷ついたっていう顔』
『だめー! くじけそうになる発言は禁止────じゃなくって! どうして貴女はそうなんですか!? いつもいつも……いつもそうやって人に嫌われるような事ばかり言って!!』
赤い女の前に立つ幼馴染は無意味に言い争っていて、
教会の女は目の前の女が敵か味方か判別が付かず、助けるべきかの判別も付かないためこちらを見て待機しているが。
────たとえこの二人が適切な処置を施しても、既に手遅れの女を助ける事は不可能だ。
「……………………」
確かに魔術を使えば治療も不可能ではない。
先ほど女の兄を治療した教会の女なら止血に必要なスキルを所有しているし、顔を真っ赤にしてわめいている幼馴染が握っている不細工な宝石には、多少の無茶なら押し通せるだけの魔力が蓄えられている。
ならば成る程、右手は元に戻らないかもしれないけど止血ぐらいはできるだろう。
……だがそれは相手が普通の人間だった場合だ。
この女は普通ではない。彼女の肉体が何らかの魔術で維持されている事を『俺』だけは知っている。
魔術に魔術を重ねる事はできない。
既に魔術がかけられているこの女に魔術をかける事はできない。
故に修復が不可能なほど壊されたこの女を助けるなら────彼女を壊しているものと同じ魔術をもって助けるしかない。
『嫌われたって構やしないわよ……わたしはね、誰の助けも借りないで生きていくんだって、子供の時に決めたんだから……って、なによ士郎? あんたもわたしの邪魔をするわけ!?』
『わたしも決めました……それも3回。子供の時に3回も決めたんです。もう傷ついたふりをして何もしないのは嫌だって……ちょ、ちょっとなんですか言峰先輩!?』
だから俺は躊躇わなかった。
口ではそんな事を言いながら肩を押さえて立ち上がる事もできない彼女。
遠坂桜を押しのけて間桐凛の前にひざまずいた俺は、たった一つしかない魔術回路を『向こう側』と繋げて必要な魔力を汲み上げる。
「…………投影、開始」
そうして起動の呪文を口にする。
言峰士郎は魔術師ではない。言峰士郎は何の魔術も使えない。
だが異能はあった───偽物を組み立てる贋作者の業だけが、言峰士郎に許された唯一の取り柄。
「『────────』」
諦めたように口を閉じる遠坂を例外に、誰もが驚きに目を剥いて俺を見る。
……当然だ。これは綺礼が俺にした事の再現。
そしてそれを可能とするのは、魔術でありながら等価交換を無視した超能力みたいなものだ。
今の俺を生かしているものを燃料として、それ以外の“何か”を組み立てる能力。
設計図もなくイメージだけで組み立てられるガラクタ───それが失われた右手の代替品となる。
所詮は偽装。この場合、俺の何かを凛の右手に変換しているだけの詐称。
だがそんな魔術でも───そして自分から大切な“何か”が失われる事になったとしても。
それでもこんな自分と引き換えにする事で彼女が助かるなら、言峰士郎にとってこれほど安い取引は、ない。
「────随分不格好な右手ね」
「俺にイメージできるのは自分の右手だけだからな。不格好なのは勘弁してくれ」
不思議と喪失感は無かった。
外郭だけの投影と違って、確実に自分の部品と引き換えにした投影なのに充足感があった。
「まあ教会の代行者に訊いたところによると、人形の手とか使い魔の手でも繋げてしまえば馴染むって言うし大丈夫じゃないかな?」
「……馬鹿ね。わたしに訊いてどうしようってのよ」
くすくす、という笑い声。
間桐凛は憑き物がとれたような顔で笑った。
「まあ、その、なんだ……とりあえず繋げるものを繋げただけで血液は補充してないけど、輸血すれば大丈夫だから……」
「だから?」
魔術的に『繋がった』俺だけに伝わる限界に耐える少女の耳元で囁く。
「これ以上我慢しないで眠っちまえ。痛みとか眠気とかそういうのは訴えなきゃ伝わらないんだからな」
「ふん、言われなくたって寝させてもらうけど……」
「けど、なんだよ凛?」
「……あの子に謝っといてもらえる?」
「あの子ってアイツか?」
「そう、理由は言えないけど……おねがい」
「わかった。理由は訊かないけどおまえが謝ってたって伝えておく」
「よろしくね……ああそれとわたしの寝顔をジロジロ見たら犯すからよろしく」
「……なんでそういう話になるんだおまえは?」
「目には目をって話よ。女の子の寝顔をジロジロ見るなんてどう考えてもそういうコトじゃない……わたしだってそういうのは────」
それで限界だったのか、凛は疲れた子供のように俺の胸に倒れ込んで穏やかな寝息をたてた。
「……もういいんですか?」
「ちぎれた右手をどうにかしただけだ。どこか休める場所に運んできちんと手当をしないとまずい」
荒事は終わった勘違いしたのか、魔術師のスイッチをオフにしたぼんやり風味の幼馴染に答える。
……まだ何も終わっていない。
凛は右手以外も負傷しているし、彼女がこんな怪我をするにいたった理由───俺たちがここに来た原因でもある戦闘の経緯もようとして知れない。
故にそれらとどう向き合うにせよ、今は安全な場所に移動する必要がある。
「ここから一番近いのはわたしの家ですけど……」
どこか羨ましそうな視線を向けてきた幼馴染は言いにくそうな顔をする。
「……その、理由は詳しく言えないんですけど……わたしの家にその人を運び込むのはちょっと……」
「ああ、あの家は余所者に敏感だからな。俺もさんざん酷い目に遭ったし、最初から考えてないから安心しろ」
端から論外と言わんばかりに決めつけると不満そうな顔をするが、そんな事まで気にしている余裕はない。
周辺には忌避と防音、認識疎外という極めて高度な三重複合結界が張られているが、それは急場凌ぎの簡易的なものだ。
既に綻びが目立ってきた結界が完全に消えるまでに凛の移送と事後処理───アスファルトが剥がれて陥没だらけの道路を調べる事になる警察への根回しをしなければならない。
「なら自分の家だし、凛を運ぶのは間桐の家でいいな」
桜はそれが極めて不適切な対応だと言わんばかりに難しい顔をするが、構ってはいられない。
凛の体を慎重に抱えて立ち上がった俺は、事後処理を頼もうと可憐の方を向いたところで第三者の存在に気がついた。
「…………その女をあの家に運ぶのはまずい」
震える膝に手をついて体を支えるその姿。
「慎二、おまえ……」
「今は理由は説明できないけどね……その女をあの家に戻すのはやめてもらえないかな……」
汗でびっしょり濡れた顔を上げて、間桐慎二は息も絶え絶えにそんな台詞を口にする。
俺は慎二が凛を追い出そうとしているのかと誤解しかけたが、これはどうやらそういう話ではないらしい。
「今は説明できないって言ってたけど、いつか説明してくれるんだろうな、慎二」
「ふん、どうしても知りたきゃその女に訊けよ。……いいから行こうぜ言峰んちにさぁ」
疑問を保留して納得するが、そうすると別の問題が生まれてしまう。
ここは深山町南西部の路上で、俺の家は隣町の新都郊外。
時間にして一時間はかかる距離を、どうやって人目に付かず移動しろというのか……?
「そういう事ならハイヤーを呼びます。教会の息がかかった車ですから安心してください」
そんな俺を見かねて助け船を出す可憐。
助けてくれたコトは嬉しいのだが、そういう笑顔は止めてほしいのが正直なところ。
「……僕も行くけど構わないよね?」
「ああ、おまえは凛の兄貴なんだから、妹についてやるのは当然だろ」
「わたしも行きますけど構いませんよね?」
「いやおまえの出入り禁止は解けてないから自分の家に帰れ。明日は遅刻するなよ遠坂」
顔を真っ赤にして抗議する桜の相手をしながらある終焉を受け入れる。
今日という一日の終り。
それはこれまでの終わりも意味するのか。
アーチャーの不在と凛の負傷───多くの不安を残しての終焉だった。
○アナウンス
*
うたかたのユメの初日(昼の部)が終了しました。
*全体ルート『聖杯戦争【序】』を解放。今後の選択肢次第で五回目の聖杯戦争が始まる可能性が生まれました。
*個別ルートは『間桐凛』がヒロインの凛ルートで、物語は彼女を中心として進行しています。
*なお個別ルートは誰の物語を重点的に描くかというものなので、選択肢の積み重ねによって変動します。
*タイガースタンプは規定数(五個)に達しなかったために初期化。今回のタイガー道場はお休みとなります。
*ちなみに藤ねえルートはありませんし、想い人とくっつけようとするだけ無駄です。
*虎はなぜこういう扱いだと思う? もともとそういう扱いだからだというコトで納得のほどを……。
●言峰士郎のステータス
*遠坂桜の言峰士郎に対する好感度初期値(+8)より+2
*間桐凛の言峰士郎に対する好感度初期値(+10)より+8
*間桐慎二の言峰士郎に対する好感度初期値(+10)より+6
*美綴綾子の言峰士郎に対する好感度初期値(+6)より+1
*柳洞一成の言峰士郎に対する好感度初期値(+8)
*言峰可憐の言峰士郎に対する好感度初期値(±0)より+2
*タイガースタンプ獲得数初期化(0個)
●遠坂桜ステータス
*言峰士郎の遠坂桜に対する好感度初期値(??)より+1
*間桐凛の遠坂桜に対する好感度初期値(??)より+3
*間桐慎二の遠坂桜に対する好感度(+12)より+4
●間桐凛のステータス
*言峰士郎の間桐凛に対する好感度初期値(+6)より+6
*遠坂桜の間桐凛に対する好感度初期値(±18)より-4
*間桐慎二の間桐凛に対する好感度初期値(+12)
*三枝由紀香の間桐凛に対する好感度(+6)より+2
●間桐慎二のステータス
*言峰士郎の間桐慎二に対する友情度初期値(+6)より+6 ←これは高ければ高いほどいい
*遠坂桜の間桐慎二に対する軽蔑度初期値(±0)より-4 ←これは低ければ低いほどいい
*間桐凛の間桐慎二に対する哀れみ度初期値(+6)+1 ←これは高くても低くてもどうにもならない
*言峰可憐の間桐慎二に対する嗜虐度初期値(-256)より+2048 ←これはどうあっても天井知らずに跳ね上がる
最終更新:2009年07月24日 21:04