952 :うたかたのユメ ◆6l0Hq6/z.w:2009/06/08(月) 21:20:05 ID:vi0UjRMw0
「……はあっ」
気が付けば溜め息を漏らしていた。
鬱積した胸の内を吐き出す理由には事欠かない。
「キャスターさん、よろしいですか」
本堂の掃除を終えたキャスターを呼び止める声。
きたわね、と身構えた彼女は振り向いて答える。
「はい、なんでしょう?」
やっぱり、と気付かれぬよう溜め息を吐き出す。
まだ肌寒い山の外気に冷やされて、白く結露するそれを憂鬱に見送ってお叱りを待つ。
「障子の桟に誇りが溜まっています。こちらもしっかり掃除しておいて頂きたい」
その叱責に悪意はない。
そもそもこの寺での生活は、自分に割り当てられた仕事を果たすことを前提としている。
「はい。申し訳ありませんでした、一成さん」
故に今の生活を円満に送りたいキャスターは健気に振る舞う。
とても殊勝に申し訳なさそうな顔をして、せいぜい健気に謝罪してみせるのだ。
それは特に耐えられない事ではない。
陰湿な小姑のいじめも、健気な新妻のキャラ立てに必要だと考えれば許容できる。
だから彼女が耐えられないのは────
「宗一郎兄の近辺をお任せしているのですから、丁寧に。
妹さんの掃除であればこんな手抜かりはありません」
「……はいっ」
…………これだ。
あきれ顔の一成が口にした『妹』という単語が、繊細なキャスターの神経にやすりをかける。
「昨日の事もそうです。なんですかあの味噌汁は、キャスターさん」
「な、何が悪かったのでしょうか!?」
「宗一郎兄の味噌汁は、昆布出汁の白味噌と決まっています。
それを赤出汁、しかも煮干し出汁で腹も取っていない粗野な味。
あんな物を宗一郎兄に飲ませていたとは、あきれて物も言えません」
「もっ、もうしわけありません」
「まったく妹さんに比べれば貴女の味噌汁は『ミッソスープ!』としか言いようのないちぐはぐな代物。
彼女もこの寺に来た頃は散々でしたが、宗一郎兄の為にの一念でここまで上達したのです。
彼女の味噌汁は鰹出汁と合わせみそと木綿豆腐が織りなす、まさに和の原点にして究極。
ああ、それに比べれば貴女のアレはまさにやっつけ仕事っ、少しは妹さんの姿勢を見習いなさい!」
「ああ、もうしわけありません……」
……そう。優秀な『妹』との比較。
それがキャスターには耐えられない屈辱だった。
「……やはり不満そうですねキャスターさん」
あの女ぁと呪詛をもらして、ハンカチを噛んでいるのを見咎めて一成は続ける。
「掃除も駄目、料理も杜撰! そして洗濯も最悪!!」
「あ、あの……」
「あれも昨日でしたか。
あなたが皺だらけにした宗一郎兄のワイシャツを一点の染みもなく、襟にいたってはアイロンと糊でしっかり立てたのが誰か貴女は知っていますか!?」
「……いえ」
「はあ、やはり貴女は自分のいい加減な仕事を妹さんがフォローしたことを知らないとおっしゃる───不甲斐ないことっ、少しは妹さんを見習いなさい!」
「はうっ……」
妹。妹、妹妹妹妹妹妹いもうといもうとおぉぉおおお……!
「なんですかその目はっ!
そもそも貴女は私どもの方から頼んでここに居てもらっているわけではない。
貴女がどうしてもこの寺に置いてほしいと頼むから特別に許可したのですよ!?」
「も、もうしわけ……」
「そんなに嫌なら出ていってももらって構いません。
だいたい食うに困って妹を頼っておきながらなんたる態度!
下がりなさいこのウクライナの田舎女っ!」
「すみませんすみません、お許し下さい一成さんっ!」
「妹さんと宗一郎兄には私から伝えます。あの二人の傍らに貴女は相応しくありませんっ、さっさと荷物をまとめて黒海沿岸の芋くさいコルホーズにお帰りっ!」
「ああ、それだけは、それだけは後生ですお止め下さい一成さん……」
……などと、まあ。
キャスターの脳内で大いに脚色された上記のようなやり取りを経て、へとへとになった彼女が境内でたそがているところに問題の人物が登場する。
「いま帰った」
ぼそりと呟かれたその言葉にキャスターのとがった耳が反応する。
濃緑色のスーツを纏った痩身。
「そっ……」
「宗一郎さまっ!」
宗一郎さま、と敬愛するマスターに駆け寄ろうとしたキャスターが硬直する。
ぽふん、と可愛らしい音をたてて枯れた長身に飛び込む少女。
年のころ十四歳ぐらいの無邪気な女の子。
キャスターと同じ水色の髪、尖った耳、そして紫紺のローブ。
「────────」
これが妹。
問題の妹。
自分の妹という事になっている少女。
「いま帰った。私の留守中に何事もなかったか、メディア」
「はい特になにも。お帰りなさいませ、宗一郎さま」
憂鬱に見つめる先で、その少女は照れ臭そうにはにかむ。
無表情に訊ねる葛木宗一郎に、頬を赤く上気させて答える少女。
その正体が葛木メディアというのだから世の中侮れない。
「っ……!」
この寺に訪れる参拝客にも評判なおしどり夫婦。
それがこの世界における『自分たち』の姿かとキャスターは憤慨する。
それはもう歳老いた老婆のような心境で世の無情を呪うのだった。
「ふむ、キャスターも息災であったか」
「……はい、お帰りなさいませ宗一郎さま」
かつての自分と連れ添い訊ねる男に返す言葉は重い。
重くならざるをえない。
所詮いまの自分は余所者と理解しても、納得するには程遠い。
納得できるはずがない。
どうして彼の隣に昔の自分がいるのか。キャスターの疑問はその一点に集中する。
虚構の住人であるキャスターがこの時代、この場所に現界している事には理由がある。
そもそもの発端は、魔法少女を自称する人外のキワモノに己が武装を奪われたこと。
自身の英雄としての象徴である宝具ではないが、生前にまだ恋も知らぬ乙女であった頃から愛用していた魔術礼装たる杖。
それが「なんか月っぽいデザインがわたしにぴったりよね」という理由で強奪されてそのままにしておけるはずがない。
故にキャスターは追撃した。ついでだからパンツ見せちゃえ、そっちの方が人気出るだろうし、などと寝言をほざくあーぱー娘を。
だがキャスターは知らなかった。魔法ではなく魔術でもなく魔法少女という概念を織りなす意味不明な法則を。
追いついた先で彼女が目撃したのは、不思議系魔法少女が軍事系魔法少女と仲良くケンカする姿だったのである。
……この時点でキャスターの命運は尽きていた。
パンツじゃないから恥ずかしくないもんとばかりに空中戦を繰り広げる少女たちが、どんなひいき目で見ても縮退砲とか加粒子砲としか思えないビームを撃ち合う『魔法少女の世界』におけるキャスターのキャラは、魔女。
ただ女性魔術師であるというだけで魔女と略され敵役にされるこの現実。
新たな強敵───ただし二番目か三番目に登場してあっさりとやられる幹部役───を前にタッグを組む二人のヒロイン。
白き月姫ファンタズムーンエクリプスは必殺の真祖ビームを。
魔法少女カレイドルビーは必殺のシュバインシュタインを問答無用でぶっ放し。
二人の色物が放った怪しい光線は、それを浴びたキャスターを魔弾として無限に連なるとされる並行世界の境界をぶち抜いたのであった。
そうして彼女はこの世界の住人となった。
キャスターのサーヴァントとしてではなくキャスターという名前の人間として。
「ところで宗一郎さま……その、今夜も一緒に居ていただけますか?」
「傍に居てほしいというなら傍にいよう」
「あの……実は傍にいるだけじゃなくて、その……」
「それは優しくか? それとも激しくか?」
葛木宗一郎の妻・葛木メディアが存在するこの世界で、皆が呼ぶところの『キャスターさん』は今日もすごい顔をしてかつての自分を睨んでいた。
「やだ、そういう事は他の人がいる所でしないでください!」
「キャスターなら他人ではあるまい」
「えー……たしかにこの人はわたしの姉というコトになってますけど」
ちらり、と口裏を合わせた『姉』のすごい顔を一瞥したメディアは言うのだ。
「なんかこの人ってそういう話をオカズにして自分を慰めてそうじゃないですか! ほら、デバガメとかストーキングとか好きそうな顔だし!!」
“こぉぉおおのぉぉおぉぉんなぁぁ”
自身を知る素晴らしい発言に、キャスターの神経が焼き切れる。
どちらも英霊。望まれた性質が異なるだけの同一人物ではあるが、もし争うとなればキャスターに分がある。
いや正確にはメディアに勝算がない。
所詮は未熟な過去と老成した未来の力関係。キャスターにはメディアを三分で始末する自信があった。
“────────”
キャスターは脳内でけちょんけちょんに打ち負かしたメディアを這いつくばらせて「ごめんなさい」と泣き叫ぶ姿を思い浮かべる。
ボロボロに破れたローブの裾を手繰り寄せて、白い素肌を恥ずかしそうに隠して泣き濡れる少女の姿。
それはキャスターの留飲を下げるにとどまらず、彼女の特殊な性癖を刺激せずにはいられない姿だった。
“────うふふ”
暴走したキャスターの思考がバラ色に染まる。
舞台は地下聖堂。かつて降した聖女を幽閉するその地下へ、白いドレスに着換えさせたかつての自分を放り込む。
したたかに打ちつけた腰を撫でて周囲を確認したメディアは、獄中の聖女の哀れな姿に絶句し、これから自身に降り注ぐ運命の過酷さを悟って後ずさる。
少女が聖女の末路を察したように、聖女もまた少女の運命を察して魔女を罵倒する。
囚われの騎士はまだ堕ちていない。
こんな仕打ちに負ける私ではないと気高くある聖女は、だが新たに囚われた少女が自分と同じように扱われる事を容認できないのだろう。
彼女はあらん限りの罵詈雑言を叩きつけるが、しかしその抵抗は魔女を徒に悦ばせるだけだった。
“うふふ、ふふふ”
───この二人を卑しい性奴にする。
キャスターの脳内で炸裂する陵辱は、それを知った見当違いの集団が抗議すること間違いなしのシロモノで。
この世界に流れ着く以前から色んなものを溜めこんでいたキャスターを大いに満足させるが────
“うふふ……って、だからなんだって言うのよ、バカ”
所詮は現実逃避。
あまりの虚しさに脱力したキャスターが顔を上げた時、そこには誰もいなかった。
「……………………」
そういえば「キャスターが何をしているのか判るかメディア?」とか「この人は病気ですから放っておくのが一番です宗一郎さま」とか「そうか、ならば放っておこう」という台詞を耳にしたような気もする。
だがだとしたら余計に虚しい。二重の意味で虚しい。あまりの虚しさにローブをかぶってゴミ袋になりたくなる……というかゴミ袋になった。
そんなキャスターの奇行に最後の女性客がそそくさと退散して無人となった境内で、回収拒否間違いなしのゴミ袋は、現実逃避の延長としてこの世界に来てからずっと感じていた疑問と向かい合う。
この世界はどこかおかしい───それがキャスターの疑問だった。
疑問だったと過去形なのは、彼女がその疑問を確信に変えたからだ。
つまり彼女は気が付いていたのだ。
この世界の成り立ち。この世界の異常さに、彼女ほどの魔術師が気づかない筈がない。
「……そうね。この世界はあの世界の並行世界じゃない事だけは確かね」
並行世界とは、文字通り並び行く世界の事だ。
この世界ではこうだったけれど、もしあの時こうしていたらどうなったのだろう、という疑問が生み出す『この世界』とは一つだけ異なる隣の世界。それが並行世界という『もしもの可能性』の本質。
ここで重要なのは、合わせ鏡の差異は『一つだけ』しか存在しないということ。
なぜなら疑問が生じた瞬間に発生した新たな世界は、基本的に『その可能性』」以外は生み出した世界とまったく同一───少なくとも枝分かれした時点においては。
たとえば「もしあの火事の日に赤い髪の少年を助けたのが衛宮切嗣ではなく、言峰綺礼だったら」という可能性によって生み出された世界があるとしよう。
その場合、その可能性がゼロでない限り、衛宮士郎が誕生する世界が確定する直前に
言峰士郎が誕生する世界が枝分かれする。
その分岐を促した要因と、それを取り巻く環境の変化を除いて基本的に同一の合わせ鏡の世界。
そうして分裂した世界からまた新たな可能性が提示され、世界という大樹は無限に枝分かれする───それが並行世界の理。
後世に持ち込まれたこの二番目の奇跡に詳しくないキャスターだったが、その本質を捉えそこなう彼女でもない。
繰り返すがここで重要なのは、合わせ鏡の差異は『一つだけ』しか存在しないということだ。
「だったらここまでふざけた世界はあの世界からどれだけ遠いのかって話よね」
もはやあの世界の人間にはタチの悪い冗談としか思えないほど変貌した世界。
それがこの世界───最低でも十一年前に枝別れして、その間に数えきれないほどの枝葉を挟む最果ての世界。
紫紺のローブを裏返したキャスターは、その中で、ある書類の写しを懐から取り出す。
薄闇のなかキャスターが目を通した書類にはこう書かれている。
曰く、穂群原学園全生徒住所録と────
紡がれた不快な響きに顔をしかめる。
それはあの世界の人間に肩入れする自分ならでは反応か。
「……どちらにしろこの世界があの世界の隣ということは無さそうね」
妹の夫に無理を言って手に入れたこの書類に不備がなければ、疑問の発生は十一年前に遡ることになる。
だがそれはあまりに遠い隔たり。
隣り合う世界の差異が一つだけなら、一体ここまで違う世界の間にどれほどの世界があるのか。
たしかにあの時の光は世界の境界に“路”を穿った。
だがさすがにこれほど遠い世界まで───それも間にある世界を悉く貫いたとは思えない。
故にキャスターの結論はこの一点に集約する。
「なら答えは────」
簡単だわ、と続けようとしたキャスターが厳しい顔つきで立ち上がる。
やはり彼女は見逃さなかった。
妹と共同で運営する地脈の異常。
それはこれまで流れ落ちるものだけを集積してきた回路が、足りない分を強引に搾取しようとするものへ変わろうとする瞬間。
「───やっぱりこの世界は誰かの願いをカタチにしようとする世界なのね」
それは微睡の淵に築かれた揺り籠のような虚構。
神代の魔術師は己の手に浮かんだ聖痕を悲しげに見やって嘆息した。
○アナウンス
*キャスターに令呪の予兆が浮かんで『聖杯戦争勃発フラグその1』が成立しました。
*それにともない『深淵に潜むもの登場フラグその1』も成立。
*そして今回この幕間から続く選択肢はなく、他の幕間の中から『正解』を選ぶことで
うたかたのユメは初日・夜の部へ続くことになります。
最終更新:2009年07月24日 21:11