965 :うたかたのユメ ◆6l0Hq6/z.w:2009/06/15(月) 18:35:36 ID:9X0UV.zs0


 余談ながら、遠坂桜は父親が嫌いだった。
 嫌う理由には事欠かない───否、それ以前に好きになる要素がない。遠坂桜は身勝手な父親を心底嫌っていた。
 然もあらん。遠坂桜の父親である遠坂時臣は、二番目の娘から一番大事な家族を奪った。
 自らの手本であり、最も身近な保護者であった、姉。
 今でも鮮明に思い出せる柔らかな手の平のぬくもり。優しく握り返してくる頼もしい笑顔。それを時臣は桜から奪ったのだ。
 それだけではない。
 一番大事なモノを奪われた桜に、時臣は関わりたくもないモノと関わることを要求した。
 それは遠坂の家が伝える魔術。
 その存在意義をカケラも理解できない魔術を学ぶ息苦しい時間と、父親の命令で魔術を使うたびに励起させなければならない魔術回路の痛み。
 自己の都合で変更した運命の産物が桜の心を虫食んでいることに、はたして時臣は気付いていたかどうか……。

 そうして彼女の人生を狂わせるだけ狂わせた男は、あっさりと他界した。
 よく分からない理由で戦いに出かけたその男は、気のふれた母親と廃屋のような家───そして呪いの象徴である魔術刻印をまだ小学生になったばかりの子供に押し付けるだけ押し付けて、自分だけの満足に没したのである。これでは恨まない方がおかしい。

 無情な現実に取り残された少女の絶望に終わりはない。
 父親が後見人に指名した兄弟子は桜に遠坂の魔術師であることを求め。
 気のふれた母親は、まだ彼女に甘えたい盛りの娘を無視するかのように自分だけの幸福を見せつけてきた。

 逃げだしたいと思ったことなんて毎日だった。
 ついに我慢の限界に達した少女は姉のぬくもりを求めて逃走する。

 ……だが逃げ出した先に楽園なんてなかった。
 坂の下で交わる道。小さな公園に座りこんで再会の時を待ち焦がれた桜が目にしたのは、以前とは別人のように変わり果てた姉の姿だった。
 髪の色が違う。瞳の色が違う。
 そして何より絶望に縁取られた表情と、その身に纏った諦観の空気が違いすぎた。

『────────』

 アレは本当に自分の姉なのか、と子供心に怯えたのを覚えている。
 気が付けば逃げ出していた。
 痛くて苦しいだけのモノから逃げ出した彼女は、それさえまだマシと思える恐怖から逃げ出して自らの殻に閉じこもった。

『───手が痛いのかよ』

 それをこじ開けたのは誰だったか。
 それまで何度か話しかけられたような気もするけど、きちんと話をするのはこの時が初めてだった赤い影。
 父親の手先である神父に付き添ってこの家に出入りするようなった少年。
 その子は呪いのような痛みにむせび泣く女の子の手をとってこう言った。

『痛かったら痛いって言わなきゃダメなんだからな』

 まるで怒っているかのような表情で。
 痛みに震える左手を握った男の子は、袖をめくって露出した患部に右手をこすりつけるようにして続ける。

『自分の気持ちってヤツは伝えなきゃ伝わらないって綺礼も言ってたから、だから……』
『……だから、なんですか?』
『痛かったらこうしてさすってやっから、そんな顔になるまで我慢するなよ』

 桜が本当の意味で辛いことを向き合えるようになったのはこの時だった。
 姉に依存する逃避ではなく、他者に助けを求める勇気。それをこの少年にもらった。

『もういいのか?』
『はい、もう大丈夫です』

 だから桜は笑おうとした。
 変な顔をしていたら心配させてしまうから。だから精一杯の笑顔を浮かべようとした。

『それより、あの……』

 そうして彼女は気が付いた。
 あの時、あんなに辛そうな顔をしていた姉にも抱えていた痛みがあるのだろうか、と。

『名前を……教えてください』

 だから桜は決意した。
 今度あの人が辛そうな顔をしているのを見かけたら、その時はこの少年を見習って自分から手を差し伸べようと。

 ───────有り得ない夢を見ている。

 なぜ有り得ないのか。それは夢に見るほどの過去がないから。
 自分には過去の記憶がない。特に子供の頃の記憶は真っ先に摩耗した。
 その喪失は今この瞬間も続いている。
 未来。あるいは将来という概念を失い。
 過去というこれまでの記録と断絶した自分に出来ることは、せいぜい退屈な現在を他人事のように眺めることだけ。

 ───だから有り得ない。
 こんなに楽しそうな過去がある筈がない。
 もしあったらこんな自分にはならなかった────

 そう思いつめた少女は、しかし自らの結論を否定する。
 こんな自分にも幸福な記憶はあった。
 思えば義兄も昔は優しかった。
 だというのにそんな兄を遠ざけたのは自分だ。
 何度かすれ違った妹を意図的に無視したのも自分だ。

 なぜそうしたのかという理由はいくらでも用意できる。
 こんな自分に関わらせてはならない。それが関わらせなかった理由だ。
 自分は誰とも関わらずに生きていく。それが彼女の結論だった。

 ……それが揺らいだのはいつだったか。
 自らに他者と関わることを禁じた少女の意識はユメの中に沈み込む。



 薄暗い空間に誰かの姿が浮かび上がる。
 これ以上ないほどに散らかった誰かの部屋を、誰かの視線で俯瞰する。
 広さは日本風に言えば六畳半と言ったところか。
 散らかった部屋を見回した少女は失笑をこらえる。
 魔術師にしては現代の文化に理解のある少女には、乱雑な部屋の中に積み上げられている物の正体が判ったのである。

『これって日本製のゲームじゃない』

 ここは俗に言う『ゲーオタ』の部屋なのか。
 だがそれにしては時代遅れの第三世代が現役を務めているのは何故なのか。
 そのおかしさに微笑した少女はある事に気が付いて赤面する。

「ああ、チクショウ! まったくどいつもこいつも勝手なコトを言いやがって!」

 思わず視線を逸らしてしまう。
 意外に思うかも知れないけれど───この少女が同性・異性を問わず他人の裸を目にするのは、これが初めてのことだった。

『……………………』

 他人のプライバシーを覗き見る趣味はない。
 赤面した少女は、だが自分のユメに現れた人物に興味もあるのだろう。
 ごくりと喉を鳴らした少女は、タオルでごしごしと身体を拭く男を失礼にならないように観察する。

『……………………』

 年齢は二十代後半と言ったところか。
 男性にしては長く真っ直ぐな髪と、不愉快そうに歪められた目蓋の下の瞳は黒く。
 全体的に痩せぎすながら引き締まった身体つきは意外にも逞しい。

「ファック、なにが補習だ! この際はっきりと言ってやるが───このボクにアイツらのような低能の為に使っていい時間なんて、これっぽっちも持ち合わせていないんだからな!!」

 少女はときおり下品なF言葉を連発する青年の正体に心当たりがあった。
 間桐の代表として協会本部に顔を出した時に何度か見たことがある。
 乱雑な部屋の中に垣間見える難解な書物と照らし合わしても間違いない。

「なあライダー……ボクはこれからどうしたらいいんだ?」

 そうして男の背中を眺めていた少女が硬直する。
 癇癪を噛み殺した男が物憂げに眺めた右手に焼き付いているモノ。
 アレはマキリの令呪だ────少女は早すぎる聖杯戦争の再来に驚愕する。

「あのときオマエを呼び出すのに使った聖遺物はまだ残っている。だからボクはその気になりさえすれば、いつでもオマエを呼び出せるんだ……」

 言って、男は散らかった床からひとつのTシャツを拾い上げる。
 XLサイズの、いかにも安っぽい半袖プリントシャツ。
 それを宝物のように拾い上げた男は、まるで人目を忍ぶかのようにいそいそと袖を通した。

「……くそ。やっぱりまだ大きいな」

 そうして目撃するポージング。
 かつてはち切れんばかりに『伸ばされた』だぶだぶTシャツに袖を通した男は、姿なき少女の存在も知らずに意味不明のポージングを連発する。

『……………………』

 引き締まった尻の割れ目を見せつけられた少女は困り果てる。
 どういった理由からか自分のユメに登場した知人が情けない姿を見せつけてくるのだから、これはもう困り果てるしかない。

「────ウェイバーの部屋はここか?」
「ええ。……あの事は私から言ってもいいが、貴女から言ってもらった方が彼には効果的でしょう」

 だが世界はある意味公平に出来ている。

「私だ。入るぞマスターベルベット」
「ローレライから聞いたぞウェイバー! おまえはいつまで駄々をこねていれば気が済む!!」

 困り果てるのがユメの主である少女だけでは不公平だとでも言うかのように、乱入した少女と、彼女をここまで案内した少女が目にしたのは『ぱんつはいてないロード・エルメロイ二世』とでも言うべき姿だった。

「『────────』」

 沈黙が長く重い。
 思わぬ醜態を晒した青年はもちろん、彼の醜態を目撃した三人の少女たちも間抜けに立ちつくすしかない。
 何しろ目の前には『ぱんつはいてないロード・エルメロイ二世』の姿があるのだから───────



「~~~~ッッ!!」

 肺の中を空っぽにして跳ね起きる。
 世に悪夢があるなら、これこそが悪夢だ。
 いったい何を好きこのんであんな修羅場をユメで見たいというのか。

「…………っあ~~~~~~~~。もう、勘弁してよ……」

 だがこれほど悪いコトが起きたら、暫くは悪いコトが起きないように出来ているのも世界だ。
 世界の半分は悪いコトで、もう半分は良いコト出来ている。
 ようするに、そうそう悪いコトばかり起きない。
 なら思いつくかぎり最悪の珍事を経験したんだから少しは油断していい。

「…………、え?」

 そう思い、力無くベッドに倒れた少女は傍らの人影に気が付いて息を飲む。
 どうしたことか胸とお尻のあたりがゆるゆるの寝間着に着替えさせられた少女、間桐凛の傍らには、備え付けの椅子に座って居眠りする遠坂桜の姿があり───その両手は右手の袖をしっかりと握っていた。

「ったく……今さらなんだっていうのよ」

 ……そう。
 本当に何もかも今さらだ。
 自分たちが姉妹だったのは、もう十一年も前の話だ。
 いや、正確には自分には妹がいると聞かされていた、だ。

 十一年の断絶は凛から桜の記憶を奪った。
 桜という妹がいたことは知っていても、どんな子だったかは思い出せない。

 ならば他人も同然だ。
 かつての思い出を喪失した間桐凛にとって、遠坂桜は拒絶すべき他人でしかない。

「……本当に今さらね」

 だがこの場には拒絶出来ない他人がいる。
 変なユメを見ている間に随分馴染んだ他人の手。
 どこから引き込んだのかは不明ながら、膨大な魔力のバックアップをもって『再現』された右手が最後の抵抗を奪った。

「特別なのは今日だけだから勘違いしないでよね……」

 間桐凛は寝間着の袖を掴む妹の手に指をからめて目蓋を落とし、やがて穏やかな寝息をたてて優しいユメの中で眠った。

 ○アナウンス
  *時計塔のロード・エルメロイ二世に令呪の予兆が浮かんで『聖杯戦争勃発フラグその2』が成立しました。
  *これをもってうたかのユメは初日・夜の部『夜の聖杯戦争・前哨戦1』の開幕となります。


 ●言峰士郎のステータス
  *遠坂桜の言峰士郎に対する好感度初期値(+8)より+2
  *間桐凛の言峰士郎に対する好感度初期値(+10)より+8
  *間桐慎二の言峰士郎に対する好感度初期値(+10)より+6
  *美綴綾子の言峰士郎に対する好感度初期値(+6)より+1
  *柳洞一成の言峰士郎に対する好感度初期値(+8)
  *言峰可憐の言峰士郎に対する好感度初期値(±0)より+2
  *タイガースタンプ獲得数初期化(0個)

 ●遠坂桜ステータス
  *言峰士郎の遠坂桜に対する好感度初期値(??)より+1
  *間桐凛の遠坂桜に対する好感度初期値(??)より+4
  *間桐慎二の遠坂桜に対する好感度(+12)より+4

 ●間桐凛のステータス
  *言峰士郎の間桐凛に対する好感度初期値(+6)より+6
  *遠坂桜の間桐凛に対する好感度初期値(±18)より-4
  *間桐慎二の間桐凛に対する好感度初期値(+12)
  *三枝由紀香の間桐凛に対する好感度(+6)より+2

 ●間桐慎二のステータス
  *言峰士郎の間桐慎二に対する友情度初期値(+6)より+6
  *遠坂桜の間桐慎二に対する軽蔑度初期値(±0)より-4
  *間桐凛の間桐慎二に対する哀れみ度初期値(+6)+1
  *言峰可憐の間桐慎二に対する嗜虐度初期値(-256)より+2048


 【人】言峰士郎はいきり立つ遠坂桜をなだめるのに苦労していた(士郎視点、遠坂桜の言峰士郎に対する好感度上昇)
 【外】遠坂桜は言峰士郎に間桐凛との『関係』を問いただすのを忘れなかった(士郎視点、関係者一同の好感度変動不明)
 【魔】仮初の休戦協定を破棄した仇敵を追撃したアーチャーは思わぬ伏兵に苦戦を強いられていた(第三者視点、タイガースタンプ一個獲得)
 【境】虎はなぜ強いと思う? もともと強いからだ(第三者視点、わりと平和な衛宮邸の夜)

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最終更新:2009年07月24日 21:13