339 名前: 邪気姫 ◆CC0Zm79P5c [sage] 投稿日: 2007/06/28(木) 22:22:01

 ――私の息子が今日、家を出ます。

「今までお世話になりました。母さんも元気で」
「ええ。志貴も。遠野の屋敷では大変でしょうけど、しっかりね」

 笑顔を――別離の為の哀悼を混ぜた笑顔を浮かべながら、私は別れの挨拶を口にします。
 おそらく、もうこうやって遅刻ギリギリの志貴を見送るのも最後でしょう。
 あの子はきっと悲しむわね。他人事のように胸中で呟きながら、その独り言の滑稽さに笑います。
 私も、十分悲しんでいるのですから。
 涙こそ流さないけど、泣くほど悲しいのですから。

「――じゃあ、行ってきます」

 嗚呼、だけど。この子の表情からは、なにも読みとれません。
 志貴が片時も手放さなかった眼鏡に光が反射して、目の奥の思いは読みとれないけれど、少なくとも悲しみに満ちているようには見えませんでした。
 強がりならば、良いのです。それは、この別れを本当は悲しんでくれているということですから。
 強くなってくれたのならば、良いのです。それは、私たちとの八年間が無駄ではなかったということですから。
 だけどこの子は、竜頭徹尾、終始一貫、その性質をうつろわせず。
 結局私は、我が子が何を考えているのか、とうとう理解できませんでした。
 ――それは傲慢なのかも知れません。子を完全に理解できるなどというのは、上の立場でいるつもりの親の身勝手なのかも知れません。
 ……けれど。
 けれどあまりにも、この子は私たちという存在から遠過ぎるのです。
 有間の家は、その濃度が限りないほど希薄とはいえ混ざりモノの家系。
 関わる機会はほとんど絶無ですが、それでも人外の存在やその能力行使を目にしたことがないわけではありません。
 それでもなお、この子はあまりにも異質で――

「――志貴」
「――? はい、なんですか?」

 振り返って聞き返してくるその行動はとても普通で、私の心の底にある想いなどどこ吹く風といった様子。
 この子は柳。嵐のただ中にあっても揺れるだけで、決して折れない柳そのものです。
 だから、どうしても諦めきれずに、この言葉を伝えます。 
 万分の一でもいいから、どうかこの子に届くように億の願いを込めて。

340 名前: 邪気姫 ◆CC0Zm79P5c [sage] 投稿日: 2007/06/28(木) 22:24:19

「志貴――『機関』も『審判の日』も『炎の採択』も。そんなものは、どこにも無いんですよ」

 この八年で嫌でも脳髄に刻み込まれた言葉。そのすべてを否定します。
 途端、それまで好青年然としていた志貴の表情が、どこか薄っぺらでニヒルな笑みに変わりました。
 いつ見ても、なんていうか、こう――控えめに言って、衝動的に頭蓋骨から剥ぎ取りたくなるような。
 あるいは、鈍器で元の形姿が分からなくなるまで叩き潰したくなるような。
 悪質なストーカーを無我夢中で刺し殺してしまって、
 事情聴取の席で「だって気持ち悪かったんです……!」と泣き崩れる女性の気持ちを追体験できそうな、そんな笑顔でした。

「ふっ――邪気眼を持たぬ者にはわからぬだろう」 

 ――結果は、分かり切っていました。
 この子は柳です。ちょっと枝葉が異様なまでに禍々しい形をしいて、さらに全体的に七色パステルカラーに変色したケミカルバイオ的な柳。
 おまけに強度は超合金Zがゲッター線浴びて進化した感じで、チェーンソーでも傷一つ付きません。その前に近寄りたくありませんが。
 それでも八年間、私と文臣は一生懸命その柳を、せめてペンキで塗り替えて外側だけでも体裁を整えようとしたのです。
 結果は、まあ――見ての通りです。不登校にならなかっただけ本人の将来的にはまし、世間体的にはアルマゲドンといった所でしょうか。
 ちなみに都古は学校でいじめられた。「お前のにーちゃん、じゃーきがーん」っていじめられた。
 その後、都古は何やら紆余曲折あって志貴に好意を寄せているらしいのですが、そんな娘の将来が本当に心配です。

「それじゃあ――行ってきます。母さんも元気で」

 気付けば志貴は平生を取り戻し、冒頭の台詞を繰り返します。
 それは、私の言葉が一ミリだって届かなかったという証拠。遠野志貴の不変の証明。
 結局、私ではあの子を救うことが出来ません。
 だから私は、泣きながらその後ろ姿が見えなくなるまで立ちつくしていました。
 どれくらい経ったのでしょうか。泣きやんだ私は、ようやく動ける状態に復帰します。
 頭の中には一つの命題。取り立てて、すぐにやらなくてはならないことがありました。
 ――さて、塩でも撒くか。

341 名前: 邪気姫 ◆CC0Zm79P5c [sage] 投稿日: 2007/06/28(木) 22:30:40

◇◇◇

 遠野志貴は二重人格である。
 医学的に診断するのならばそれは軽度の精神分裂病であり、
 本来は多重人格障害とは別物になるのだが、彼の場合に限っては少々特殊なケースになる。
 幼少の頃に起きた事故――胸部を殆ど貫通するほどの重傷を追うことになった事故が、それの間接的な原因だった。
 病院で目覚め、そこで少年は『何か』を見た。
 これは当時の資料が残っていないため、幼き遠野志貴が何を見たのかは分からない。
 だがその『何か』に怯えた少年は半狂乱になって、その後色々あって頭を強打。
 さらに様々な偶然が重なって、遠野志貴は自身の中にもうひとりの遠野志貴を飼うことになったのだ。
 ……まあそれが人格といえるほど確固としたモノなのかは本人以外分からず、
 その当の本人は傍目から見てどうでもよさそうだったが――
 それでも周囲の被害は甚大だった。
 振り回し、混乱させ、ドン引きされても気にせずに近づいてそいつを舞台から叩き落とす。
 ――これは、その『被害』の最たる例を記した物語。

◇◇◇

「――ふん、定刻通りか」

 つまりは遅刻ぎりぎりの時間である。
 遠野志貴は、いつものように人気のない裏門から校内に踏み入った。有間の家からだと裏門の方が正門より近いのだ。
 だが明日からは違う。遠野の実家は学校を挟んで反対方向。つまり正門の方が近くなる。
 遅刻ギリギリの常習である自分にとって、学校の周りを半周するというのは致命的なタイムロスである。

「……ま、それでも裏門を使うけど」

 だけどそんなことを呟きながら、遠野志貴は校舎入り口に向けて歩き出した。
 朝の裏門は人っ子ひとりいない。昔はまだ数人くらいここを利用する生徒も居た気がするが、何であれ人がいないというのは好都合だ。
 すっ――と、眼鏡のしたから指を差し入れ、瞼越しに眼球の感触を確かめる。
 この朝の静寂が何よりも『眼』を静めてくれる。
 そして、この静寂が何より自分が『異常』であることを再確認させてくれる――

「……クッ。感傷か。人らしい感性など、すでに果てたと思っていたがな」

 クックックと陰気に笑う彼の周囲は、『爽やかな朝』という単語の介入を一切許さない絶対領域。
 ぶっちゃけ気持ち悪かった。
 なにしろ遠野志貴が裏門を好むのは『孤独に佇む俺カッコイイ』という広がったクリップにさえ劣る理由――いや妄想なのだから。

「……俺が遠野に帰れば、有間の家の人達は安全だ。『奴ら』もそこまで堕ちてはいまい」

 常人なら妄想を膨らませるのは夜が多いが、その意味でいうとこの男の周囲は常に夜である。
 周りが見えていないので、いつでもどこでも自由気ままに妄想を飛ばす。そこら辺に垂れ流す。
 いまもこの変人は、無駄に演技くさい、憂いと苦しみに満ちているような表情を浮かべて、

「だがそれだと今度は秋葉を危険に晒すことになる、か。まったく、厄介な目だ……」

 なんか、この場に聞く者がいれば思わずフクロにしたくなるようなことをほざいていた。
 ちなみにその有間の家の啓子さんは凄い勢いで清めの塩を玄関先に撒いているし、
 そもそもこの裏門に人気がないのは、今や校内関わっちゃいけない人ランキングで頂点に輝いている人ダニが利用しているからである。

「ま。考えてもしょうがないか。いざとなれば、この忌まわしき力を解放してでも――」

 未来の自分に渡すとんでもない量の負の遺産を増額しながら、志貴は眼鏡に手をかけ、そしてその汚染思考が頂点に達しようとした時――
 幸いにして、それを遮ったものがあった。
 トンカン、カンカンと、硬質な何かを叩く音が、中庭の方から響いている。

「む、これは――?」

 眼鏡から手を離し、遠野志貴は――

【選択肢】
浄眼:「まあいいや。それよりもHRだ」
邪気眼:「な……! 馬鹿な、ノイズ・カノッサだと!?」
過去視:唐突だが過去を振り返ってみよう。

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最終更新:2008年10月25日 16:34