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山下斐紹 - (2015/01/06 (火) 21:04:42) の編集履歴(バックアップ)


斐紹

背番号22 捕手

  • フルネームは「山下斐紹」。「斐紹」は「あやつぐ」と読む。読める気がしない。
  • 2010年ドラフト1位指名で習志野高校より入団。指名の際は、前年ドラ1の今宮に続き、やんちゃ顔枠かと言われていた。習志野高校は千葉県にあることもあり、かもめせん民からも「育ててくれ」と書き込まれる。ちなみに、山下の出身地は北海道である。
  • 何人目かの城島二世。
  • 強肩で俊足、ヤフードームでの2軍戦でHRを打つなど打撃面が魅力な若鷹。3軍戦で審判に暴言を吐いて退場になる気の強さも魅、力?
  • アイスホッケー選手のようなキャッチャーマスクが特徴。

  • 2011年は2軍で捕手として82試合に出場。シーズン中にアッキーお得意の社会科見学で数日だけ1軍に上がる。が、地元千葉が舞台の鴎戦であったため、ご両親も見に来ていたそうだが出番なし。出番を待望していた解説者の黒木氏もたかせん民も残念がる。
  • 同年オフにオーストラリアへ武者修行へ。「まだ早いのでは」と疑問視する声もあったが何のその。規定打席に到達しないながらも、なんとチームトップの打率.340を残し、柳川今宮と共にオールスター戦に世界選抜チームの一員として選出!パーマをかけ、チャラシタになって帰ってきた。
  • 2012年春季キャンプではA組スタートするも、2月21日に大遅刻をかまし、二軍行きを命じられる。しかもこの一件でヤフーのトップニュースデビューしてしまい、悪い方に顔が売れてしまうというおまけ付き。なお、翌年には先輩も大遅刻をかまし二軍行きになry いつかこの遅刻バッテリーの活躍が一軍で見られるかもしれない…?

  • 2013年シーズンは安定した打撃を評価され、4月26日に2年ぶりに一軍に昇格。5月6日の鴎戦で4回裏に細川の代打としてプロ初出場を果たす。初打席は強烈なレフトライナーであったが、第2打席では10球粘った末、阿部和成から右前安打を放った。またこの試合で、5回からはプロ初マスクをかぶった。
  • 6月25日の日ハム戦でプロ初スタメンマスクをかぶる。試合前はリラックスしていたが、いざ試合が始まると本人曰く「人生で初めて」の緊張に襲われたらしい。
  • 2014年オフに、新たな山下枠の入団が決まったせいではないだろうが登録名を「斐紹」に変更すると発表した。


エピソード


  • 兄はインディーズバンド「Sugarless Infant」のボーカルをしている。
  • 入団会見では目標を「捕手で、盗塁王!」と掲げる。また、その次にドラフト2位指名のギータが「僕は30盗塁でいい」と答えたのに対し、「でいいって!なんすか!トリプルスリー でしょ、目標」ときっちりツッコミを入れる場面も。なお、山下は高卒で柳田は大卒である。
  • 憧れの選手は城島と阿部。2012年春季キャンプで大遅刻した際には、「城島さんのように(不動の正捕手に)ならなくちゃ」と思い、戒めのために寮の自室に城島が現役引退を表明した時の新聞紙面を貼ったという。
  • 2011年オフ、オーストラリアのウインターリーグ参加中に誕生日を迎え、ドッキリで清水将海コーチから呼び出しをくらう。本人曰く「叱られると思った…」と緊張した面持ちで座ると、みんなからサプライズとして顔面生クリームという手荒い祝福を受けた。