細川亨
背番号27 捕手
- 野球板での呼び名は「ずんどこ」。
- 演歌歌手の氷川きよしに似ていると言われ、登場曲を「きよしのズンドコ節」にしたことに由来する。なお、顔はどちらかというとブラマヨである。ファンから「とおるちゃん」と呼ばれるのは構わないが、「ズンさん」呼びはちょっと微妙だそう。
- チーム内でのあだ名は「テイさん(※亭≒亨から来たあだ名)」。
- なお移籍発表の際は、「山崎→パン、田上→おにぎり ときてるから細川はラーメンかうどんでいいな」「マスク投げ止めろ→マスクメロンでいいじゃん」という流れから、たかせんでの愛称が「メロン」になりそうだったが定着を回避している。
- 攝津先発の試合では打撃が向上すると住民より見解がなされており、実際に打つたび「安定の攝津愛」「さすが(攝津を)励ます会会長」などとスレに書きこまれる。また、これにちなんで近年では「帆足愛」や「岩嵜愛」などの派生系がある。どうやら多夫制のようだ。攝津「」
- 2001年に自由獲得枠で西武に入団。2011年にFAで西武から移籍してきた。
- 釣り好きで、加入の際は「ホークスは釣り好きの選手が多いようなので、釣りで交流を深めたい」と語っていた。
- 西武時代はマスク投げなど荒っぽいプレーでたかせん民の間で少し嫌われていた。が、移籍後はかぷてんに何かされたのか鳴りを潜めている。
- 打撃は、西武時代はなぜかホークス戦ではやたら打つという印象だったが、恵まれた体に反して微妙。しかし安定したリードと職人芸の犠打&秘打でチームに貢献。特に若手投手のリードに長け、捕手争いをいきなりリード。
- ノムさんには、捕手として一流との評価を受ける反面、打者としては二流呼ばわりされている。ぐうの音も出ない。
- 移籍2年目となる2012年からは「厳しくなった」(by岩嵜&山田)とのことだが、攝津からしてみれば「あの人、俺にはいつも厳しい」とのことである。攝津のたかせんでのとおるちゃん大好きキャラもあり、この発言に「ノロケか」とたかせん民ざわめく。
- 2012年6月11日の阪神戦では互いに点が取れない中、相手のチャンス場面で悪送球。ランナー生還を許し、これが決勝点に。監督&たかせん住民おかんむり。ちなみにこの時の相手ランナーの名は田上(読みは「たがみ」)であった。田上こんなところで練習してた。細練。
- 2012年8月1日には、初凱旋登板となった攝津の女房役として出場。攝津の家族や親戚による応援団 「攝津正君を励ます会」 の前で、リード面はもちろん決勝打を放つなど打撃面でも活躍したため、「細川は『攝津正君を励ます会』の名誉会長」とスレ内で声が飛んだ。
- 2016年シーズンオフにファームコーチを打診した球団側と、現役続行を希望した細川との交渉が上手くいかなかったこともありホークス退団となった。今までありがとう。鷲への移籍が決まったこともあり、お手柔らかにしてほしいところ。
エピソード
- 松田曰く、自分が女なら「抱かれたいのはテイさん。腕枕されたい」とのこと。
- 青森出身のため、2011年お国言葉でのヒーローインタビューが流行った際には、東北弁で喋らされた。2012年の応援企画でも、他選手が標準語で意気込みを語る中、「まんずVVだ~ぁ!」と一人東北弁で台詞を言わされていた。
- 新加入したばかりの頃、「夢空間スポーツ」のリレーメッセージ企画で、本多の「細川さん、今年はですね、同じチームという事で、走った人を全員殺して下さい。殺して下さい」という、一般人が聞いたら過激すぎるメッセージを受け、「自分も盗塁阻止率というのはすごいこだわってるところでもあるので、全員殺しに行きたいなと思います」と過激に返し、たかせん民を爆笑させた。
- ほあっさんとは同い年。老け顔キャラとしての自覚はあるらしく、この点についてローカル番組で驚かれた際も、その対応は慣れたものであった。
- 西武時代はなぜか、学のことを完全に年下だと思い込み、タメ口で話していたことがホークス入団後に学本人より暴露されている。
- ダウンタウンの浜ちゃんに「若頭みたいや。」と言われたらしい。
- 西武時代の日シリ(08年)では、捕手・炭谷が西口のスライダーを捕逸した後怒った際に、野村克也から「あの球は細川なら捕れていたね。(炭谷は )あの場面で怒っちゃいけないよ。」と引き合いに出される。
- 酒に滅法強く、山崎と呑む時は、べろべろに酔っ払った山崎をタクシーに乗せて見送るまでをルーチンとしているそう。
最終更新:2016年11月17日 01:01